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今日の1枚、お薦めレコード/20250928 - ラジオの友 URL

2025/09/28 (Sun) 00:18:26

◆◇◆其の五十七:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

1937年の近衛(このえ)内閣での日本の戦略は、中華民国の政権を担う国民党の蒋介石(しょうかいせき/国民党)を排除して、親日家の政治家による政党が担う新しい中華民国の創建である。

この事前段階で、華北(かほく)地域に中華民国臨時政府と上海に中華民国維新政府を設置した。

こうした日本の政府に戦争機運が高まり、日本全体で戦争体制を整える必要性が出てきた。

これが“国家総動員体制”として、日本国民と経済活動を戦争主体で統制していく事になる。

しかし、日本国内では政府が思っている程に戦争機運は高まらず、その要因として、日本国民は働き手の男性を戦争に取られ貧困生活を余儀なくされ、経済活動も軍事産業を手掛ける企業は旺盛だったが、それ以外の品目を手掛ける企業は需要が縮小して倒産する事態に陥っていた。

そこで政府は“国民精神総動員運動”を展開して、『挙国一致(きょこくいっち)、尽忠報国(じんちゅうほうこく)、堅忍持久(けんにんじきゅう)。』を掲げて日本国民を鼓舞(こぶ)した。

①:挙国一致(きょこくいっち)・・・戦争や恐慌など国家の危機や政党内閣の危機に陥った際に、対立する政党と同調した内閣。

②:尽忠報国(じんちゅうほうこく)・・・忠義を尽くして国の恩に報いる事。

③:堅忍持久(けんにんじきゅう)・・・辛さや苦しさに耐え、我慢強く持ち堪(こた)える事。

更に戦争の国債を発行したり、寄付金を集めたりし、軍事資金の確保にも躍起(やっき)になっていた。

政府系機関の企画院も設けられ、軍事産業を優先する政策が採られた。

こうして1938年に策定されたのが“国家総動員法”である。

この“国家総動員法”は、国会の議会を審議して決議する事なく、第124代天皇の昭和天皇(しょうわてんのう/皇族)の宣旨(せんじ)による詔勅(しょうちょく)で政策が承認できた。

これには民主主義の立法権を侵害するものとして、政党の立憲民政党と立憲政友会は異議を唱えたが、日本軍の圧力と皇族の後ろ盾により屈した。

こうして軍国主義の大日本帝国は、日本軍の暴走で歯止めが掛からなくなる。

全て“国家総動員法”の元で政策が決定され、軍事産業を手掛ける三井財閥や三菱財閥や住友財閥は、戦艦の造船や戦闘機の製造などで軍事特需により大幅な増益を確保し、企業組織も肥大化させた。

この時に世界最大級と言われた戦艦の大和(やまと)や武蔵(むさし)が造船され、日本各地の工場で戦闘機の零戦なども大量に製造されてた。

一方で日本国民の生活は、この戦争で一変する。

働き手の男性は兵士か軍事産業工場に就かされ、農業や漁業などの担い手が不足して食料品の生産性が激減した。

日常生活に必要な食料や家財などの生産は、軍事産業が優先となり低迷し、物価も高騰する事となる。

日本の主要都市の繁華街には『贅沢(ぜいたく)は敵だ!』のスローガンが掲げられた。

更に政府による情報統制は、全国にある新聞社や放送局は共同で同盟通信社を設立して、日本軍に都合が良いニュースを流し、映画も戦争を賞賛するプロパガンダ(思想誘導宣伝)が多く制作された。

ROXETTE /♪ OPPORTUNITY NOX

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250928 - ラジオの友 URL

2025/09/28 (Sun) 00:19:28

◆◇◆其の五十八:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

この日本の政府の交戦姿勢に対して、中国大陸に駐屯する日本軍の攻勢は拍車(はくしゃ)を掛け、次々と中国軍を撃退していく。

北東部の満州国から関東軍が南下侵攻し、中部から支那駐屯軍と日本援軍が北上侵攻し、山東省(さんとうしょう)の台児荘(たいじそう)に設けられた中国軍の陣営を挟み撃ちにする作戦に出た。

この戦況は中国軍の攻防が強固で、楽観していた日本軍は苦戦をした。

これに対して中華民国は、『日本軍の惨敗、中国軍の大勝利!』と言う速報を世界中のメディアに拡散した。

これを1938年に起こった「台児荘の戦」(たいじそうのたたかい)と呼ぶ。

これに奮起した日本軍は、山東省(さんとうしょう)と江蘇省(こうそしょう)の一帯の徐州(じょしゅう)で中国軍を追撃した。

この時に南下侵攻の関東軍と北上侵攻の支那駐屯軍と日本援軍が、東側の海岸を背景に北西南に布陣して中国軍を包囲する徐州会戦(じょしゅうかいせん)を実施した。

ところが細長い島国の日本の感覚からは、想像できないくらい広大な中国大陸である。

中国軍を包囲する範囲も、実際は日本の九州と同規模の広域だった。

同然に中国軍を包囲しても、その隙間から抜けられて退陣される。

結局は、日本軍が追撃して中国軍が攻防しながら退却する、今まで通りのアニメの「トムとジェリー」の喧嘩(ケンカ)の様相となった。

そんな時にジェリーが、いやぁもとい、中国軍が近隣に流れる黄河(こうが)の堤防を爆破し決壊させたのである。

世界屈指の大河でもある黄河(こうが)の水量は桁違いで、その地域一帯が水没した。

当然に日本軍は進行できなくなったが、それ以上にそこに住む中華民族が濁流(だくりゅう)に流され甚大(じんだい)な被害を出した。

そして日本軍は何とか進行を開始し、湖北省(こほくしょう)の武漢(ぶかん)や広東省(かんとんしょう)の深圳(しんせん)などの市街地を攻略していく。

GOURDS /♪ I WANT IT SO BAD

◆ラジオの友◆

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2025/09/28 (Sun) 00:20:24

◆◇◆其の五十九:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

湖北省(こほくしょう)の武漢(ぶかん)は長江(ちょうこう/揚子江)が流れる山岳地帯に囲まれた都市で、ここに中国軍は鉄壁の陣営を設けていた。

しかし、日本軍は長江(ちょうこう/揚子江)からの川隊と、山岳地帯からの山隊を侵攻させて挟み撃ちにして中国軍を武漢(ぶかん)から敗退させた。

続いて香港に近い広東省(かんとんしょう)の深圳(しんせん)に日本軍は侵攻し、ここは中華民国にとり香港の港湾からの貿易の流通進路となっており重要拠点だった。

その深圳(しんせん)も日本軍は占領する事に成功する。

こうして日本軍は、中国大陸の政治拠点でもある北京と南京と漢口(かんこう/武漢)と、貿易拠点の港湾部でもある天津(てんしん)と青島(ちんたお)と上海と広東(かんとん)を制圧した。

しかし、広大な中国大陸では、中国軍はどこにでも退陣して拠点を設ける事ができ、四川省(しせんしょう)の重慶(じゅうけい)に陣営を設けていた。

中国大陸で侵攻すれば攻略し勝利する日本軍は獅子奮迅(ししふんじん)していたが、そこに水を差す事態が日本で起こっていた。

要は広大な中国大陸を攻略するのは、日本軍もそれなりの人員を増強しなければならない。

しかし、日本の人口には限界があり、中国大陸へ援軍を送るだけの兵士は残っていなかった。

SHA-NA-NA /♪ BORN TO HAND JIVE

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250928 - ラジオの友 URL

2025/09/28 (Sun) 00:21:20

◆◇◆其の六十:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

第34代内閣総理大臣の近衛文麿(このえふみまろ/公卿→政治家)が担う内閣は、軍事力での攻勢は限界に達したが、政治力での調略なら勝利する可能性はあると判断した。

この時に芸能界でも戦略的な興行が実施された。

その一例が、絶世の美女の李香蘭(りこうらん/山口淑子)が♪蘇州夜曲(そしゅうやきょく)を大ヒットさせるも、日本軍事戦略上では中国人だが、実は日本人だった。

李香蘭(りこうらん/山口淑子)は、母国の日本をはじめ満州国や中華民国で人気を博した。

近衛文麿(このえふみまろ/公卿→政治家)は「日中戦争」の戦略の方針転換を掲げて内閣改造と日本軍の人事を刷新に取り掛かった。

こうして陸軍大臣には軍国主義の一夕会(いっせきかい)で穏健派の板垣征四郎(いたがきせいしろう/軍人→ 一夕会→関東軍)が就任し、外務大臣には日本軍の長州閥を引き継ぐ宇垣閥(長州閥)を組成した宇垣一成(うがきかずしげ/備前→軍人)が就任した。

ところが戦争拡大を主張する武闘派の武藤章(むとうあきら/軍人)と東條英機(とうじょうひでき/軍人→木曜会→ 一夕会)は猛反発する。

この東條英機(とうじょうひでき/軍人→木曜会→ 一夕会)は、幼少期から陸軍学校で学業に励(はげ)み、軍事に関して英俊豪傑(えいしゅんごうけつ)と言われた人物である。

そんな武闘派の東條英機(とうじょうひでき/軍人→木曜会→ 一夕会)が陸軍の次官に就任した。

これにより陸軍大臣で穏健派の板垣征四郎(いたがきせいしろう/軍人→ 一夕会→関東軍)の存在感が薄らいだ。

そして、過去に日本軍の薩摩閥を引き継ぐ九州閥(薩摩閥)の真崎甚三郎(まさきじんざぶろう/肥前〔長崎〕→軍人)などを支持した木曜会からの因縁(いんねん)で、陸軍次官の東條英機(とうじょうひでき/軍人→木曜会→ 一夕会)は外務大臣の宇垣一成(うがきかずしげ/備前→軍人)と対立する。

そして東條英機(とうじょうひでき/軍人→木曜会→ 一夕会)は、日本に中国大陸の占領地を統治する機関の興亜院(こうあいん)を設置した。

こうなると日本と中華民国との外交は、外務省ではなく興亜院(こうあいん)が担う事になり、これに反発した外務大臣の宇垣一成(うがきかずしげ/備前→軍人)は辞任する。

結局は第34代内閣総理大臣の近衛文麿(このえふみまろ/公卿→政治家)が実施した内閣改造と日本軍の人事の刷新は大失敗に終わる。

その後、近衛文麿(このえふみまろ/公卿→政治家)は、どこに向かい、どこへ着地するのか解らないくらい御乱心となる。

JOHN TRAVOLTA /♪ SANDY

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250928 - ラジオの友 URL

2025/09/28 (Sun) 00:22:20

◆◇◆其の六十一:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

混乱する第34代内閣総理大臣の近衛文麿(このえふみまろ/公卿→政治家)は、中華民国などアジアに向けて談話を発表する。

近衛文麿…『1918年11月に終結した「第一次世界大戦」の以後、アメリカやヨーロッパなどは、武力ではなく平和的な解決を促しているが、実質は平和などでは無い。 未だにアジアの植民地支配や奴隷制度を実施し、アジアの資源や労働の搾取(さくしゅ)を続けている。 これが本当の平和なのか?』

こうして日本は満州国と中華民国に対して三国友好協定の“東亜新秩序”を呼び掛けた。

しかし、この狙いは三国友好協定ではなく、日本に同調する中華民族を分離して中華民国に内部分裂を起こさせて、その隙を突いて日本排除を主張する中華民族を討伐するものだった。

そんな日本の小手先の戦略に応じた国民党の党員も居た。

そんな1人が孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)の側近で親日家だった汪兆銘(おうちょうめい/中国革命家→国民党)である。

更に調子が乗った第34代内閣総理大臣の近衛文麿(このえふみまろ/公卿→政治家)は、饒舌(じょうぜつ)に熱弁を語った。

近衛文麿…『アジアの安定の為には、中華民国は日本排除運動を止めるべきで、それには最高指導者の蒋介石(しょうかいせき/国民党)が政治から身を引く事である。 もし“東亜新秩序”に共感する中華民族が居れば、大和民族と共に平和的な国際秩序を築こうではないか!』

これを1938年に発表した「第二次近衛声明」(だいにじこのえせいめい)と呼ぶ。

この日本の近衛文麿(このえふみまろ/公卿→政治家)の演説に、中華民国の蒋介石(しょうかいせき/国民党)が反応した。

蒋介石…『日本が主張する“東亜新秩序”はアジアの秩序を乱し、この眩惑(げんわく)が潜む提案には、中華民国を崩壊させる危険がはらんでいる。』

一方、国民党の幹部だった汪兆銘(おうちょうめい/中国革命家→国民党)は、「日中戦争」の戦況と中華民国の現状を直視して、日本の提案に同調した。

汪兆銘…『この戦争で既に中国大陸の半分近くが日本の占領下に置かれている。 これ以上、中国軍が抵抗して対戦するのは中華民国に取り得策ではない。 ここは日本と協調すべきである。』

こうして国民党の蒋介石(しょうかいせき/国民党)と袂(たもと)を分かちた汪兆銘(おうちょうめい/中国革命家→国民党)は、後々に日本の援助を受けて1940年に南京政府を創建した。

RINGO STARR /♪ NOT ENOUGH LOVE IN THE WORLD

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250928 - ラジオの友 URL

2025/09/28 (Sun) 00:23:13

◆◇◆其の六十二:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

中華民国が日本寄りの南京政府を創建した後に、日本の近衛文麿(このえふみまろ/公卿→政治家)が中華民国に“近衛三原則”を提示した。

①:隣り合う日本と中華民国が友好関係を築く善隣友好。

②:日本と中華民国は共同で他国からの侵攻を防衛する共同防共。

③:日本と中華民国は貿易により生産性と経済性を向上させる経済提携。

しかし、第124代天皇の昭和天皇(しょうわてんのう/皇族)を交えた政府の官僚で開催する御前会議(ごぜんかい)で示した“日支新関係調整方針”が世界に波紋を広げる。

①:中国大陸の日本が占領している地域の、日本軍の駐屯を中華民国は認可する。

②:中国大陸の日本が占領している地域の、鉄道や通信施設やインフラや軍事施設の権益を日本に移行する。

③:中国大陸の日本が占領している地域の、石炭や鉄鉱石など鉱山の権益を日本に移行する。

こんな日本が提示した“日支新関係調整方針”を、中華民国が承認する筈(はず)もない。

更に、この近衛文麿(このえふみまろ/公卿→政治家)が宣言した“東亜新秩序”は、アメリカとイギリスを激怒させて、日本との講和条約の破棄や貿易停止の経済制裁にまで発展した。

これにより日本は石油や鉄鋼が輸入できなくなり、更に困窮する事になる。

こうしてアメリカとイギリスとソビエトは、中華民国に軍事支援を実施し、軍備を増強できた中国軍は「日中戦争」の長期戦の構えを示した。

第34代内閣総理大臣の近衛文麿(このえふみまろ/公卿→政治家)が編み出した政治力での調略は大失敗に終わり、日本軍の軍事力での攻勢は限界に達しているところに、アメリカとイギリスとソビエトを味方に軍事力を増強した中国軍が攻勢を強める。

日本にとって正(まさ)に“弱り目に祟(たた)り目”で、この5年後に訪れる地獄の伏線(フラグ)が此処(ここ)にある。

ETERNAL&BEBE WINANS /♪ I WANNA BE THE ONLY ONE

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250928 - ラジオの友 URL

2025/09/28 (Sun) 00:24:14

◆◇◆其の六十三:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

1937年から今までの「日中戦争」での戦況は、日本軍が有利に侵攻し、攻防しながら退陣する中国軍の“窮鼠(きゅうそ)猫を噛む”だった。

ところが1938年からの「日中戦争」での戦況は、アメリカとイギリスとソビエトを味方に軍事力を増強した中国軍が攻勢を強め、軍事力での攻勢は限界に達して手当たり次第に攻防する日本軍の“窮鼠(きゅうそ)猫を噛む”となった。

中国大陸に駐留する日本軍に、広大な大陸を進行できる兵士は残っていなかった。

そこで戦闘機を使った空軍による攻撃に方向転換した。

中国軍が陣営を設ける四川省(しせんしょう)の重慶(じゅうけい)に、戦闘機で大量の爆弾を落として空爆した。

しかし、戦闘機による空爆は一般人も巻き込む無差別攻撃となる為に、その戦略の効果は未知数だった。

この時の重慶(じゅうけい)での空爆でも、多くの中華民族に死傷者が出て、今までにない程の凄惨(せいさん)な戦地となった。

これを1938年に実施した「重慶爆撃」(じゅうけいばくげき)と呼ぶ。

このタイミングで、中国大陸で日本軍の横暴を抑圧する為にソビエトが、満州国との国境付近のサハン湖がある張鼓峰(ちょうこほう)にソビエト軍を集結させた。

この張鼓峰(ちょうこほう)は地形が複雑で、中華民国かつ満州国とソビエトの国境の線引きが曖昧(あいまい)だった。

この時に日本軍はソビエトの領域に陣営を設けた為に、ソビエト軍に総攻撃を受けて甚大な被害を出す。

交戦は直ぐに終結したが、この戦闘で日本軍は強靭なソビエト軍を目の当たりにした。

これを1938年に起こった「張鼓峰事件」(ちょうこほうじけん)と呼ぶ。

ERIC CARMEN /♪ ON BROADWAY

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250928 - ラジオの友 URL

2025/09/28 (Sun) 00:25:09

◆◇◆其の六十四:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

この日本の苦境に近付いてきた国があった。

それはヨーロッパで孤立していたナチス党の最高責任者のアドルフヒトラー(軍人→ナチス統帥)が統治するドイツである。

ドイツも西部にイギリスおよびフランスと対峙し、東部にソビエトと対峙していた。

そんな同じ境遇のドイツは、日本に対してより協調した“日独防共協定”を再度に締結して、軍事同盟を結成する事を提案してきた。

これに日本の政府や日本軍では賛否両論が飛び交い、政治を収拾できなくなった34代内閣総理大臣の近衛文麿(このえふみまろ/公卿→政治家)は辞職してしまう。

1939年に次期総理に検察官で司法に詳しい平沼騏一郎(ひらぬまきいちろう/検察官→政治家)が第35代内閣総理大臣に就任した。

この時期の日本は、中華民国との「日中戦争」の泥沼から抜け出せずにいたところに、アメリカとイギリスとソビエトまで敵陣に回す、“四面楚歌”(しめんそか)の最悪な事態まで追い込まれていた。

第35代内閣総理大臣の平沼騏一郎(ひらぬまきいちろう/検察官→政治家)は、ドイツとの“日独防共協定”を慎重に検討していた。

その要因の1つが、ソビエトへの攻防は同調できるが、実害のないイギリスとフランスに対しての攻防は不要と考えていた。

その為にドイツとの“日独防共協定”の締結は先延ばしにした。

SUPERTRAMP /♪ THE LOGICAL SONG

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250928 - ラジオの友 URL

2025/09/28 (Sun) 00:26:03

◆◇◆其の六十五:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

中国大陸の日本が占領する河北省(かほくしょう)の天津(てんしん)で、日本が運営する銀行の責任者が殺害される事件が起こった。

犯人は中華民族のテロリストで、更に周辺の劇場なども爆弾を仕掛けて爆破し、一般人の死傷者も出した大惨事となった。

この中華民族のテロリストは、天津(てんしん)に設けてあるイギリスの租界(そかい)に逃げ込んだ為に、治外法権で追求できない日本はイギリスに対して犯人の引渡しを要求した。

しかし、イギリスは日本の要求を拒否した。

この為に日本は、イギリスの租界(そかい)を全面封鎖して出入できない様に通行不能にした。

これに困惑したイギリスは、同盟国のアメリカに事態解決を依頼した。

これに対してアメリカは、日本の中国大陸での横暴を調査し始めた。

これを1939年に起こった「天津租界事件」(てんしんそかいじけん)と呼ぶ。

更に中国大陸の北西部に位置するノモンハンで、モンゴルと満州国が国境の線引きで紛争を起こす。

これに満州軍には日本軍が加勢し、モンゴル軍にはソビエト軍が加勢した。

日本とソビエトの代理戦争となり、総攻撃を受けた日本軍は苦戦するも反撃し、ソビエト軍も多くの戦死者を出す甚大な被害が出た。

交戦は直ぐに終結したが、この戦闘で日本軍は強靭なソビエト軍を再確認させられた。

これを1939年に起こった「ノモンハン事件」と呼ぶ。

これら中国大陸での一連の暴虐(ぼうぎゃく)な日本に対して、アメリカが出した回答は“日米通商航海条約”の廃棄である。

このアメリカからの“日米通商航海条約”の解除は日本にとって、商品など輸出入の貿易と船舶による航海が不能になる為に、石油などの資源や日用品だけでなく、軍事備品も確保できなる事を意味する。

アメリカによる実質的な日本に対する経済制裁である。

そんな緊急事態の時に、日本へ悪い知らせが飛び込んできた。

何とドイツとソビエトが“独ソ不可侵条約”を締結したのである。

これによりソビエトはドイツへの侵攻していたソビエト軍を、東方の日本への侵攻に集中する事ができる。

悪い目に遭う時期は、悪事が重なるものである。

現世で地獄に堕ちていくとは、この事である。

こうした“泣きっ面に蜂”の第35代内閣総理大臣の平沼騏一郎(ひらぬまきいちろう/検察官→政治家)は、政治家としての責務を放棄して辞任した。

CRYSTAL GAYLE /♪ HALF THE WAY

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250928 - ラジオの友 URL

2025/09/28 (Sun) 00:26:57

◆◇◆其の六十六:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

1939年9月にドイツの政権を掌握したナチス党の最高責任者のアドルフヒトラー(軍人→ナチス統帥)が、ドイツ軍を隣国のポーランドに侵攻させ「第二次世界大戦」が起こる。

この頃に第35代内閣総理大臣の平沼騏一郎(ひらぬまきいちろう/検察官→政治家)が辞任し、次期総理に阿部信行(あべのぶゆき/軍人→政治家)が第36代内閣総理大臣に就任した。

大事な戦局でコロコロと総理大臣が代わる内閣に、困惑と嫌気が差した第124代天皇の昭和天皇(しょうわてんのう/皇族)は、第36代内閣総理大臣の阿部信行(あべのぶゆき/軍人→政治家)に苦言を呈する。

そして昭和天皇(しょうわてんのう/皇族)は直々に阿部信行(あべのぶゆき/軍人→政治家)に対して勅命(ちょくめい)を出した。

①:陸軍大臣は、中国大陸で陸軍の参謀だった畑俊六(はたしゅんろく/軍人)もしくは満州国の関東庁の官僚だった梅津美治郎(うめづよしじろう/軍人)のどちらかに就任させる。

②:アメリカとイギリスとは、外交で友好関係を築く事。

③:内務大臣と司法大臣の人選は慎重に吟味し、適材適所の貴人(うまひと)を選任する事。

この昭和天皇(しょうわてんのう/皇族)が自ら勅命(ちょくめい)を出す異例は、「日中戦争」をはじめとする戦乱や混乱は日本軍の陸軍が起因しており、陸軍が主導する日本の政権に危機感を覚えての事である。

こうして陸軍大臣に選任されたのは畑俊六(はたしゅんろく/軍人)だった。

早速に畑俊六(はたしゅんろく/軍人)は、日本中が危惧する陸軍の刷新を開始する。

そして、第36代内閣総理大臣の阿部信行(あべのぶゆき/軍人→政治家)は、ヨーロッパでの「第二次世界大戦」には参戦せず、目下の課題でもある「日中戦争」を早期終結を目指した。

しかし、そんな新天地を目指して高揚する阿部信行(あべのぶゆき/軍人→政治家)の内閣でも、中国大陸での戦闘やアメリカからの経済制裁の現実からは逃れられない。

結局は現状を知らない理想家による机上の空論で終わってしまい、第36代内閣総理大臣の阿部信行(あべのぶゆき/軍人→政治家)の内閣は4ヶ月余りで総辞職する。

WORKSHY /♪ OUT OF THE COLD

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250928 - ラジオの友 URL

2025/09/28 (Sun) 00:27:47

◆◇◆其の六十七:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

1940年に続いて次期総理に海軍の米内光政(よないみつまさ/軍人→政治家)が第37代内閣総理大臣に就任した。

これにより日本軍の人事も元に戻り、陸軍の意向が働く様になる。

陸軍省の軍務局長には関東軍の武闘派だった武藤章(むとうあきら/軍人)が就任し、参謀本部の作戦部長には軍国主義の一夕会(いっせきかい)に参加していた武闘派の富永恭次(とみながきょうじ/軍人)が就任した。

ただ、この頃の武藤章(むとうあきら/軍人)は、1937年から中国大陸に渡り「日中戦争」を戦闘してきた反動で、泥沼化した領土拡大の作戦は失敗だと自認し、中華民国での軍縮を提案し始めていた。

こうして第37代内閣総理大臣の米内光政(よないみつまさ/軍人→政治家)が掲げたのが“総合国策十年計画”である。

①:アメリカやヨーロッパに対抗するアジア圏による協力体制を構築する大東亜経済圏の建設。

②:欧米列強に対峙できる強靭な日本軍の軍備拡張。

③:ヨーロッパで勃発した「第二次世界大戦」へ日本軍の大戦不介入。

④:長期戦となった「日中戦争」の解決。

⑤:“国家総動員法”に準ずる全国的国民総動員組織の確立。

アメリカの“日米通商航海条約”の廃棄により、日本は徐々に商品など輸出入の貿易と船舶による航海が不能になり、石油などの資源や日用品だけでなく、軍事備品も確保できなくなっていった。

アメリカによる経済制裁で、日本の国内は物資や食料が足りなくなる困窮や貧困に陥る。

そこで日本は窮地の打開策として、アメリカに頼らず石油やゴムやアルミニウムなどの資源を確保する為に、東南アジアのオランダ領だったインドネシアの油田に目を付ける。

今までの日本軍の戦略は、東部の中華民国や北部のソビエトとの攻防を想定としていたが、方針転換して東南アジアなど南部に侵攻する「南方作戦」に切り替えた。

日本軍はドイツとソビエトと和平を締結し、中華民国と会談を設けて「日中戦争」の早期解決して、「南方作戦」に集中して遂行する作戦を立てた。

ところが第37代内閣総理大臣の米内光政(よないみつまさ/軍人→政治家)は、ヨーロッパでの「第二次世界大戦」ではドイツはイギリスに敗北すると主張し、日本軍の作戦には熟慮(じゅくりょ)が足りず綻(ほころ)びがあると進言した。

内閣と日本軍の意見が相違し、憤懣(ふんまん)する陸軍の統治が不能となり陸軍大臣の畑俊六(はたしゅんろく/軍人)が辞任した。

次期の陸軍大臣を選出する事を拒否した日本軍により、米内光政(よないみつまさ/軍人→政治家)は内閣を維持できず6ヶ月余りで辞任した。

WORKSHY /♪ THE GIRL IN QUESTION

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250928 - ラジオの友 URL

2025/09/28 (Sun) 00:28:44

◆◇◆其の六十八:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

この様な日本の政府と日本軍の事情から、次期総理には日本軍の意向に沿う首相と内閣が求められた。

そして、1940年に第34代内閣総理大臣だった近衛文麿(このえふみまろ/公卿→政治家)が第38代内閣総理大臣に就任した。

軍国主義の大日本帝国を担う第二次近衛内閣の誕生である。

陸軍大臣には陸軍の忠勇義烈(ちゅうゆうぎれつ)で武闘派の東條英機(とうじょうひでき/軍人→木曜会→ 一夕会)が就任した。

海軍大臣には海軍の忠君愛国(ちゅうくんあいこく)と呼ばれる吉田善吾(よしだぜんご/軍人)が就任した。

外務大臣には1933年に「国際連盟脱退」を宣言した外交官の松岡洋右(まつおかようすけ/政治家)が就任した。

この時の第二次近衛内閣が掲げた指針は主に4項目あった。

①:ドイツとイタリアとの三国同盟の結束強化。

②:ソビエトとの“日ソ不可侵条約”の締結。

③:東南アジアなどの資源国へ侵攻する「南方作戦」の実行。

④:経済大国のアメリカとの戦争回避と貿易復帰。

この第二次近衛内閣が掲げた指針は、ほぼ日本軍の意向に沿ったもので、陸軍の最高指導者だった武藤章(むとうあきら/軍人)にも異論は無かった。

そこで3項目の基本国策要綱(きほんこくさくようこう)が示された。

①:アジアを中心とした大東亜経済圏の新秩序。

②:“国家総動員法”に準ずる国家総動員体制。

③:戦争政策に揺るぎない新政治体制。

STEPHANIE MILLS /♪ HOME

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2025/09/28 (Sun) 00:29:38

◆◇◆其の六十九:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

こうして国会の議員でも、第38代内閣総理大臣だった近衛文麿(このえふみまろ/公卿→政治家)を代表とした新党の立ち上げが必要不可欠と判断し、旧体制の立憲民政党と立憲政友会は解散して大政翼賛会(たいせいよくさんかい)が組成された。

ただ、大政翼賛会(たいせいよくさんかい)は各政党からの寄せ集めで、挙国一致(きょこくいっち)とはならず烏合(うごう)の衆となる。

しかし、大政翼賛会(たいせいよくさんかい)は戦時中の国策には大いに活躍し、組織図からも頂点の総裁、中央本部、都道府県支部、市町村部、部落会、町内会と、トップダウンによる組織運営により日本列島の隅々まで網羅された。

①:軍人を戦地へ見送る出征(しゅっせい)の『万歳!』を町内で実施する。

②:国家総動員による町内や学校での、軍事訓練や防災訓練の実施。

③:資源不足による鋼鉄や貴金属などの回収。

④:国家から支給される食料や日用品の配給。

⑤:町内会で国民を監視して、戦争を反対する非国民の密告。

こうして軍国主義の大日本帝国は最高潮を迎える。

JESUS & MARY CHAIN /♪ SOMETIMES ALWAYS

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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250928 - ラジオの友 URL

2025/09/28 (Sun) 00:30:44

◆◇◆其の七十:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

日本軍の資源確保の為に東南アジアなどへ侵攻する「南方作戦」には、もう1つの理由があった。

この頃の中華民国は、アメリカとイギリスとフランスとソビエトに軍事支援を受けており、日本軍との「日中戦争」の長期化は万全だった。

この軍事支援を輸送するルートは、広大な中国大陸には幾つもあり、これを中華民国の蒋介石(しょうかいせき/国民党)を支援する為のルートとして援蒋(えんしょう)ルートと呼んだ。

その援蒋(えんしょう)ルートの1つが、フランス領でインドシナ半島からの仏印ルートだった。

日本軍はこの仏印ルートを封鎖し、インドシナ半島を占領する戦略を画策していた。

当初の日本はフランスと講和的な解決を目指して、会談を重ね日本軍のインドシナ半島の占領を模索していた。

ところが、陸軍の参謀本部の作戦部長に就任していた富永恭次(とみながきょうじ/軍人)は、現地の交渉役で派遣されたが、フランスとの条件が折り合わない事と、交渉が長期化した事で、激怒して軍令に背いて独断で日本軍をインドシナ半島に侵攻させた。

これに驚いたのはフランスと日本の政府で、結局、フランスは抵抗せずに日本の占領を認可した。

この不祥事に御立腹だったのが日本軍の官僚である。

当時の陸軍は、陸軍省の陸軍大臣に東條英機(とうじょうひでき/軍人→木曜会→ 一夕会)、事務局長に武藤章(むとうあきら/軍人)が就任し、参謀本部の参謀総長に閑院宮載仁親王(かんいんのみやことひとしんのう/皇族→ 軍人→政治家)、作戦部長に富永恭次(とみながきょうじ/軍人)が就任していた。

不祥事の責任を取らせ富永恭次(とみながきょうじ/軍人)を解任し、新たに作戦部長には田中新一(たなかしんいち/軍人)を就任させた。

また同時に参謀総長に閑院宮載仁親王(かんいんのみやことひとしんのう/皇族→ 軍人→政治家)も辞任し、後任に杉山元(すぎやまげん/軍人)が就任した。

この次期の日本は、日本軍の陸軍の暴走で歯車が狂い始めていた。

THE CRANBERRIES /♪ SHATTERED

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2025/09/28 (Sun) 00:31:50

◆◇◆其の七十一:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

日本はドイツとイタリアとの三国同盟の結束強化に動き、ソビエトとの“日ソ不可侵条約”の締結も視野に入れて、外務大臣の松岡洋右(まつおかようすけ/政治家)が世界中を駆け巡り奔走(ほんそう)する。

一方でな日本の第二次近衛内閣は、経済大国のアメリカとの戦争回避と貿易復帰を目指して意見交換を続けていた。

アメリカ大統領のルーズベルト(軍人→第32代アメリカ大統領)の官僚で国務長官に就任していたコーデルハル(弁護士→国務長官)は、日本との講和条件として幾つかの項目を提示した。

この中でコーデルハル(弁護士→国務長官)は、基本理念となる“ハル四原則”の遵守を求めた。

①:全ての国家の領土と主権を尊重する事。

②:他国の内政に干渉しない原則を遵守する事。

③:通商の公平公正を含めて平等の原則を遵守する事。

④:平和的手段によって変更される場合を除き太平洋の現状を維持する事。

この“ハル四原則”を踏まえて、その中で日本と中華民国の「日中戦争」については4項目を条件に、アメリカ大統領のルーズベルト(軍人→第32代アメリカ大統領)が、中華民国の蒋介石(しょうかいせき/国民党)に対して、日本との和平勧告を実施する事などが盛り込まれていた。

①:中華民国の独立の確約。

②:日本軍の中国大陸からの撤退。

③:1940年に南京政府を創建した汪兆銘(おうちょうめい/中国革命家→国民党)と中華民国の蒋介石(しょうかいせき/国民党)の和睦と融合。

④:アメリカは満州国の建国を承認する。

また、「第二次世界大戦」でアメリカとドイツが交戦したら、日本はドイツに軍事支援などを実施しない様にも勧告していた。

しかし、これらアメリカの講和条件に対して、外務大臣の松岡洋右(まつおかようすけ/政治家)は拒否した。

この時に松岡洋右(まつおかようすけ/政治家)は、日本はドイツとイタリアとの三国同盟の結束強化と共に、ソビエトとの“日ソ不可侵条約”の締結で、四国協商(日本、ドイツ、イタリア、ソビエト)によりアメリカに対抗できると確信していた。

BEE GEES /♪ HOW CAN YOU MEND A BROKEN HEART

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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250928 - ラジオの友 URL

2025/09/28 (Sun) 00:33:21

◆◇◆其の七十二:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

日本の松岡洋右(まつおかようすけ/政治家)の態度と対応に激怒した国務長官のコーデルハル(弁護士→国務長官)は、講和条件を改定して強硬姿勢を見せた。

①:日本軍の中国大陸とインドシナ半島からの全面撤退。

②:アメリカは満州国の建国を承認しない。

③:アメリカは汪兆銘(おうちょうめい/中国革命家→国民党)の南京政府を承認しない。

④:日本と満州国と中華民国の三国友好協定の“東亜新秩序”を承認しない。

⑤:日本のドイツとイタリアとの三国同盟から離脱。

この改定した講和条件を見た外務大臣の松岡洋右(まつおかようすけ/政治家)は激怒して、アメリカとの外交を打ち切る。

このタイミングで日本にとって最悪な事態が起こる。

1941年6月にドイツ軍がソビエトに侵攻したのである。

このドイツとソビエトの戦争により、外務大臣の松岡洋右(まつおかようすけ/政治家)が確信して自信を見せていた四国協商(日本、ドイツ、イタリア、ソビエト)は完全に崩壊した。

この日本の危機的な事態に、陸軍の参謀本部の作戦部長に就任していた田中新一(たなかしんいち/軍人)は、この戦機にドイツと協調してソビエトへ侵攻する事を提案する。

しかも、ソビエトと“日ソ不可侵条約”を締結してきた外務大臣の松岡洋右(まつおかようすけ/政治家)も、手のひら返したかの様に田中新一(たなかしんいち/軍人)に同調してソビエトへの侵攻を主張し始めた。

こうした日本の内紛に、第38代内閣総理大臣の近衛文麿(このえふみまろ/公卿→政治家)は困惑して、何とか外務大臣の松岡洋右(まつおかようすけ/政治家)だけでも辞任させる画策に出る。

そこで奇策に出たのが内閣総辞職だった。

STEPHEN BISHOP /♪ CARELESS

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250928 - ラジオの友 URL

2025/09/28 (Sun) 00:34:16

◆◇◆其の七十三:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

第二次近衛内閣の閣僚を辞任させ、外務大臣の松岡洋右(まつおかようすけ/政治家)だけを外して、そのまま同じ人事で第三次近衛内閣に移行する。

そして外務大臣には海軍の豊田貞次郎(とよだていじろう/軍人)が就任した。

こうして第39代内閣総理大臣の近衛文麿(このえふみまろ/公卿→政治家)が担う第三次近衛内閣が開始された。

新体制の第三次近衛内閣で提示された軍事計画は主に2項目だった。

①:ドイツとソビエトの戦争で、日本にとって有利な条件が揃ったら、中国大陸より北部に位置する北方作戦の準備に取り掛かる。

②:日本が万が一にもアメリカやイギリスと戦争になった時に、東南アジアなど一帯の南進政策を実現させる為に推進させる準備に取り掛かる。

お分かり頂けただろうか?

この日本の軍事計画は、確実に実践するのではなく、時と場合によっては、実施したり中止したりする条文だ。

そんな中でも石油など資源確保は喫緊(きっきん)の課題で、実効性の高いインドシナ半島での日本軍の駐屯を、領主のフランスに許可を得て実施した。

ところが、この日本軍の「南方作戦」にアメリカがクレームを入れてきた。

アメリカの国務長官のコーデルハル(弁護士→国務長官)が提示した一節には、①:日本軍の中国大陸とインドシナ半島からの全面撤退と明記してある。

こうしてアメリカは日本に対して石油などの輸輸出を全面禁止し、アメリカ内にある日本の資産も凍結して、強固な経済制裁を加えた。

しかもイギリスとオランダも同様の措置を追随した。

こうして日本はA(アメリカ)B(イギリス)C(中華民国)D(オランダ)包囲網により“四面楚歌”(しめんそか)となる。

BOB SEGER & THE SILVER BULLET BAND /♪ WE'VE GOT TONITE

◆ラジオの友◆

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2025/09/28 (Sun) 00:35:10

◆◇◆其の七十四:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

日本がこの窮地から脱するには、先(ま)ずはアメリカからの経済制裁を解除してもらい、石油などの輸出を解禁してもらう事である。

第39代内閣総理大臣の近衛文麿(このえふみまろ/公卿→政治家)が担う第三次近衛内閣は、今までの経緯(けいい)を分析したところ、最悪の戦況に陥った原因は陸軍の武闘派にあると結論つけた。

そこで近衛文麿(このえふみまろ/公卿→政治家)は、アメリカとは陸軍を抜いて戦争終結の会談を実施する事にした。

そこで、アメリカ大統領のルーズベルト(軍人→第32代アメリカ大統領)に対して“日米首脳会談”の開催を提案した。

アメリカのルーズベルト(軍人→第32代アメリカ大統領)も“日米首脳会談”には賛同したが、ただ、その前に日本で戦争終結する為の条件を確約してからと要求した。

①:アメリカの国務長官のコーデルハル(弁護士→国務長官)が提示した“ハル四原則”の遵守。

②:「日中戦争」の早期終結と、日本軍の中国大陸からの完全撤退。

③:日本のドイツとイタリアとの三国同盟から離脱。

④:日本と満州国と中華民国の三国友好協定の“東亜新秩序”による貿易協定にて、他国の通商排除の禁止。

このアメリカ大統領のルーズベルト(軍人→第32代アメリカ大統領)からの回答を見た第39代内閣総理大臣の近衛文麿(このえふみまろ/公卿→政治家)は、②:「日中戦争」の早期終結と、日本軍の中国大陸からの完全撤退と③:日本のドイツとイタリアとの三国同盟から離脱は、日本軍の事前の確認が必要の為に、陸軍を排除した“日米首脳会談”は不可能と悟る。

REX SMITH /♪ YOU TAKE MY BREATH AWAY

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2025/09/28 (Sun) 00:36:05

◆◇◆其の七十五:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

この時期の陸軍の組織は、陸軍省の陸軍大臣には東條英機(とうじょうひでき/軍人→木曜会→ 一夕会)、軍務局長には武藤章(むとうあきら/軍人)が就任していた。

参謀本部の参謀総長に杉山元(すぎやまげん/軍人)、作戦部長には田中新一(たなかしんいち/軍人)が就任していた。

第39代内閣総理大臣の近衛文麿(このえふみまろ/公卿→政治家)から“日米首脳会談”の内幕を聞いた陸軍では、ここでも意見の相違が出た。

陸軍省の東條英機(とうじょうひでき/軍人→木曜会→ 一夕会)と武藤章(むとうあきら/軍人)は、アメリカ大統領のルーズベルト(軍人→第32代アメリカ大統領)との“日米首脳会談”を実現させて、外交で問題解決して日米戦争の回避を主張した。

参謀本部の杉山元(すぎやまげん/軍人)と田中新一(たなかしんいち/軍人)は、軍備が枯渇(こかつ)している状態で、現状ならまだ戦争に踏み切れる軍隊が整う為に、日米戦争の即時開戦を主張した。

近衛文麿(このえふみまろ/公卿→政治家)は海軍の連合艦隊司令長官に就任していた山本五十六(やまもといそろく/軍人)にも相談したが、日本軍は強靭なアメリカ軍と1年程度なら交戦できるが、長期戦になれば必ず敗戦する為に、早期に外交で問題解決して日米戦争を回避する事との回答を得た。

ただ、海軍でも意見の相違が出ていた。

海軍省の海軍大臣の及川古志郎(おいかわこしろう/軍人)は外交で問題解決して日米戦争の回避を主張したが、海軍令部の海軍大将の永野修身(ながのおさみ/軍人)は日米戦争の即時開戦を主張した。

いつの時代も穏健派と武闘派は相容(あいい)れない。

JOSE JAMES FEAT.TAALI /♪ I FOUND A LOVE

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2025/09/27 (Sat) 15:47:32

GRATEFUL DEAD /♪ I NEED A MIRACLE

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2025/09/27 (Sat) 15:48:26

GRAM PARSONS /♪ BIG MOUTH BLUES

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2025/09/27 (Sat) 15:49:23

BREWER & SHIPLEY /♪ ONE TOKE OVER THE LINE

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2025/09/27 (Sat) 15:50:12

THE CITY /♪ NOW THAT EVERYTHING'S BEEN SAID

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2025/09/27 (Sat) 15:51:03

JONATHAN EDWARDS /♪ SUNSHINE

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2025/09/27 (Sat) 15:51:55

LOOKING GLASS /♪ BRANDY(YOU'RE A FINE GIRL)

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2025/09/27 (Sat) 15:52:49

BARENAKED LADIES&SARAH MCLACHLAN /♪ GOD REST YE MERRY GENTLEMEN& We Three Kings

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2025/09/27 (Sat) 15:53:41

LLOYD COLE /♪ TRAVELLING LIGHT

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2025/09/27 (Sat) 15:54:34

THE JAM /♪ LIZA RADLEY

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2025/09/27 (Sat) 15:55:25

PAUL WELLER /♪ I SHOULD HAVE BEEN THERE TO INSPIRE YOU

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2025/09/27 (Sat) 15:56:18

ALT-J /♪ MATILDA

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2025/09/27 (Sat) 15:57:12

PUSSNBOOTS /♪ IT'S NOT EASY

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2025/09/27 (Sat) 15:58:07

GOTTHARD /♪ HE AIN'T HEAVY,HE'S MY BROTHER

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2025/09/27 (Sat) 15:59:00

AMBROSIA /♪ HOW MUCH I FEEL

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2025/09/27 (Sat) 15:59:50

DAVE LOGGINS /♪ PLEASE COME TO BOSTON

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2025/09/27 (Sat) 16:00:51

DAN FOGELBERG /♪ THERE'S A PLACE IN THE WORLD FOR A GAMBLER

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2025/09/27 (Sat) 16:01:48

PRIMAL SCREAM /♪ (I'M GONNA)CRY MYSELF BLIND

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2025/09/27 (Sat) 16:02:41

NEIL YOUNG /♪ LOVE AND WAR

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今日の1枚、お薦めレコード/20250925 - ラジオの友 URL

2025/09/25 (Thu) 21:31:36

◆◇◆其の三十九:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

この時点で中国大陸には、北部を統治する北京政府の張作霖(ちょうさくりん/盗賊→奉天派)が率いる奉天派(ほうてんは)と、南部を統治する広東軍政府の蒋介石(しょうかいせき/国民党)が率いる国民党と、中央部を拠点にする武漢国民政府の毛沢東(もうたくとう/共産党→国家主席)が率いる共産党が混在していた。

この戦況は、蒋介石(しょうかいせき/国民党)が率いる国民党が圧倒的に強靭で、この勢力に脅威を感じていたのは日本だった。

中国大陸の東北部に位置する満州一帯は、日本が租界(そかい)として統治おり、権益を持つ南満州鉄道の運営も実施している。

蒋介石(しょうかいせき/国民党)が率いる国民党が中国統一すれば、日本の利権は喪失する可能性もある。

ただ、国際法により中華民国の内政に、日本が介入する事はできず、密かに張作霖(ちょうさくりん/盗賊→奉天派)が率いる奉天派(ほうてんは)に軍事支援を実施していた。

この時期の日本軍では、明治維新の影響により長州閥と薩摩閥が政策と人事権を掌握していた。

そして、長州閥を引き継ぐ宇垣閥(長州閥)の宇垣一成(うがきかずしげ/備前→軍人)と、薩摩閥を引き継ぐ九州閥(薩摩閥)の真崎甚三郎(まさきじんざぶろう/肥前〔長崎〕→軍人)などが、政策と人事権の権力闘争を繰り広げていた。

そんな内輪揉(うちわも)めに嫌気を差したのが、エリート(高学歴秀才)集団の二葉会を結成した永田鉄山(ながたてつざん/軍人→二葉会→ 一夕会)などであり、特に明治維新からの慣行で決定する日本軍の人事権を問題視していた。

一方で、東條英機(とうじょうひでき/軍人→木曜会→ 一夕会)などが結成した木曜会は、中国大陸の満州と内モンゴルの統治を強化する様に主張した。

この時に日本の政府は主に4つの勢力が対立していた。

野党の立憲民政党は、次期の第27代内閣総理大臣に就く濱口雄幸(はまぐちおさち/政治家)を中心に、中国大陸の内政には干渉せず講和により平定する穏健派だった。

与党の立憲政友会は、第26代内閣総理大臣に就いていた田中義一(たなかぎいち/軍人→政治家)を中心に、中国大陸の万里の長城より北側の統治と権益を守護し、その防衛を北京政府の張作霖(ちょうさくりん/盗賊→奉天派)が率いる奉天派(ほうてんは)に委任した中堅派だった。

日本軍が駐在する中国大陸の東北部を守護する関東軍は、張作霖(ちょうさくりん/盗賊→奉天派)が率いる奉天派(ほうてんは)を追い出して、日本が介入できる満州政府を建国して、満州一帯を関東軍が防衛する強硬派だった。

新興派閥の二葉会と木曜会は、軍事圧力により満州一帯を占領下に置いて植民地にする武闘派だった。

この4つの勢力により、政治的かつ軍事的な駆け引きが繰り広げられた。

与党の立憲政友会は第26代内閣総理大臣に就いていた田中義一(たなかぎいち/軍人→政治家)により、蒋介石(しょうかいせき/国民党)が率いる国民党の軍事勢力から、張作霖(ちょうさくりん/盗賊→奉天派)が率いる奉天派(ほうてんは)に対して抗戦を中止して退陣する様に威令(いれい)を出した。

こうして張作霖(ちょうさくりん/盗賊→奉天派)が率いる奉天派(ほうてんは)は、戦地から撤退して鉄道で奉天駅(ほうてんえき)に向かっていた。

ところがである。

この張作霖(ちょうさくりん/盗賊→奉天派)が乗車する車両が爆破されたのである。

この鉄道が爆破された事で、張作霖(ちょうさくりん/盗賊→奉天派)をはじめ奉天派(ほうてんは)の多くの兵士が爆死した。

中国大陸に現地駐在する関東軍の河本大作(こうもとだいさく/軍人→関東軍)は、この鉄道爆破は蒋介石(しょうかいせき/国民党)が率いる国民党の仕業(しわざ)と声明を発表した。

ただ実際の主犯者は、張作霖(ちょうさくりん/盗賊→奉天派)が率いる奉天派(ほうてんは)を追い出して、日本が介入できる満州政府を建国して、満州一帯を関東軍が防衛する強硬派だった河本大作(こうもとだいさく/軍人→関東軍)の自作自演だった。

奉天派(ほうてんは)の張作霖(ちょうさくりん/盗賊→奉天派)が死去する事で、北京政府をはじめ中国大陸が混乱に陥り、その混乱に乗じて関東軍が軍事制圧する予定だった。

ところが子供騙しの安易な謀略(ぼうりゃく)は、中華民国でも、日本でも、世界でも、明らかに関東軍の河本大作(こうもとだいさく/軍人→関東軍)が怪しいと指摘していた。

こうして中国大陸が混乱に陥る事はなく、関東軍の河本大作(こうもとだいさく/軍人→関東軍)の思惑は大幅に外れた。

これを1928年に起こった「張作霖爆殺事件」(ちょうさくりんばくさつじけん)と呼ぶ。

GINO VANNELLI /♪ FLY INTO THIS NIGHT WAR SUITE

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250925 - ラジオの友 URL

2025/09/25 (Thu) 21:32:33

◆◇◆其の四十:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

「張作霖爆殺事件」(ちょうさくりんばくさつじけん)で死去した張作霖(ちょうさくりん/盗賊→奉天派)の息子の張学良(ちょうがくりょう/奉天派→ 国民党)が後継者に就任し、蒋介石(しょうかいせき/国民党)が率いる国民党と講和会談を開催し、奉天派(ほうてんは)を国民党と統合し中国統一を決定する。

この中国統一は、関東軍が満州一帯を統治するどころか、南満州鉄道の権益や沿線開発をも脅かす事を意味する。

日本に取って最悪の事態である。

日本国内の政界や世論では、「張作霖爆殺事件」(ちょうさくりんばくさつじけん)の主犯者でもある関東軍の河本大作(こうもとだいさく/軍人→関東軍)に対して、軍法会議を開催して口頭弁論や責任追求を要求した。

しかし、日本軍にとって恥辱(ちじょく)なこの事件を公にしたくない思惑が軍幹部で錯綜(さくそう)し、「張作霖爆殺事件」(ちょうさくりんばくさつじけん)の隠蔽(いんぺい)する事を模索する。

この時に第26代内閣総理大臣に就いていた田中義一(たなかぎいち/軍人→政治家)は、右往左往しながら事態の収束を試みるも、野党の立憲民政党は濱口雄幸(はまぐちおさち/政治家)から強い批判を浴びる。

そこで第26代内閣総理大臣の田中義一(たなかぎいち/軍人→政治家)は、1926年に即位したばかりの第124代天皇の昭和天皇(しょうわてんのう/皇族)に相談した。

第124代天皇の昭和天皇(しょうわてんのう/皇族)は第26代内閣総理大臣の田中義一(たなかぎいち/軍人→政治家)に対して、軍法会議を開催して、被告人である関東軍の河本大作(こうもとだいさく/軍人→関東軍)に対して口頭弁論や責任追求を実施する様に勅命(ちょくめい)を出す。

ところが、その間に日本軍は、密かに関東軍の河本大作(こうもとだいさく/軍人→関東軍)を退役処分として軍隊を辞任させ、「張作霖爆殺事件」(ちょうさくりんばくさつじけん)を闇に葬り去った。

この日本軍の勝手な行動に、第124代天皇の昭和天皇(しょうわてんのう/皇族)は激怒し、政治統制が執れていない面目丸潰れの第26代内閣総理大臣の田中義一(たなかぎいち/軍人→政治家)の内閣は総辞職となる。

そして次期総裁には、立憲民政党の濱口雄幸(はまぐちおさち/政治家)が第27代内閣総理大臣に就任する。

前任の田中義一(たなかぎいち/軍人→政治家)は、内閣総辞職した3ヶ月後に疲労困憊で体調を悪化させて死去する。

SHAKATAK /♪ DEJA VU (TO THE WIND)

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2025/09/25 (Thu) 21:33:31

◆◇◆其の四十一:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

1914年7月〜1918年11月に起こった「第一次世界大戦」では、戦法や戦術を大きく変えた。

ヨーロッパで起こった産業革命により、工業化された近代工場で大量生産される軍艦や戦闘機や戦車、それに機関銃や爆弾などにより、機械式兵器で敵陣を壊滅させる。

これを目の当たりにした日本軍のエリート(高学歴秀才)集団の二葉会を結成した永田鉄山(ながたてつざん/軍人→二葉会→ 一夕会)は、軍国主義の一夕会(いっせきかい)に再編成する。

そこには木曜会のメンバーだった東條英機(とうじょうひでき/軍人→木曜会→ 一夕会)なども参加した。

一夕会(いっせきかい)の会訓は主に三ヶ条からなる。

①:旧閥による人事権を刷新し、出身母体に捉われず優秀で有能な人材の投与。

②:中国大陸の満州と内モンゴルの領土問題の解決。

③:日本軍の薩摩閥を引き継ぐ九州閥(薩摩閥)の真崎甚三郎(まさきじんざぶろう/肥前〔長崎〕→軍人)などを中心に、日本軍の組織改革。

そんな日本国内の軍事余興で盛り上がる1929年に、アメリカのニューヨークのウォール街が発端となった金融恐慌の「世界大恐慌」が起こり、瞬(またた)く間に大不況が世界を覆う。

この世界的な動乱の最中(さなか)に、中国大陸の北東部に位置する満州にて、南満州鉄道の権益を得た日本が、この満州一帯を占領下に置く植民地を目論(もくろ)み、現地を統治していた関東軍により自作自演の鉄路爆破を起こす計画を画策する。

何処(どこ)かで聞いた様な話しだ。

軍国主義の一夕会(いっせきかい)のメンバーで板垣征四郎(いたがきせいしろう/軍人→ 一夕会→関東軍)と石原莞爾(いしわらかんじ/軍人→ 一夕会→関東軍)を、日本から中国大陸に現地駐在する関東軍の幹部に送り込んだ。

そして、日本の一夕会(いっせきかい)の指示により関東軍の板垣征四郎(いたがきせいしろう/軍人→ 一夕会→関東軍)と石原莞爾(いしわらかんじ/軍人→ 一夕会→関東軍)は、1931年に南満州鉄道の中間辺りにある奉天(ほうてん)にて線路を爆破する。

関東軍の板垣征四郎(いたがきせいしろう/軍人→ 一夕会→関東軍)と石原莞爾(いしわらかんじ/軍人→ 一夕会→関東軍)は、この南満州鉄道の鉄道爆破は蒋介石(しょうかいせき/国民党)が率いる国民党の仕業(しわざ)と声明を発表した。

これを1931年に起こった「柳条湖事件」(りゅうじょうこじけん)と呼ぶ。

ただ実際の主犯者は、蒋介石(しょうかいせき/国民党)が率いる国民党を追い出して、日本が介入できる満州政府を建国して、満州一帯を関東軍が防衛する強硬派だった関東軍の板垣征四郎(いたがきせいしろう/軍人→ 一夕会→関東軍)と石原莞爾(いしわらかんじ/軍人→ 一夕会→関東軍)の自作自演だった。

南満州鉄道の中間辺りにある奉天(ほうてん)にて線路を爆破する事で、中華民国による日本に対しての宣戦布告と捉えて、それに乗じて関東軍が軍事制圧する予定だった。

ところが子供騙しの安易な謀略(ぼうりゃく)は、中華民国でも、日本でも、世界でも、明らかに関東軍の板垣征四郎(いたがきせいしろう/軍人→ 一夕会→関東軍)と石原莞爾(いしわらかんじ/軍人→ 一夕会→関東軍)が怪しいと指摘していた。

これ、これを1928年に起こった「張作霖爆殺事件」(ちょうさくりんばくさつじけん)と、全く同じ思考回路で画策した謀略(ぼうりゃく)だった。

日本に取って最悪の事態である。

DJO /♪ DELETE YA

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2025/09/25 (Thu) 21:34:23

◆◇◆其の四十二:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

時の与党である立憲民政党の第28代内閣総理大臣の若槻礼次郎(わかつきれいじろう/政治家)は、日本軍の一夕会(いっせきかい)と関東軍に暴挙に対して抑圧に尽力するが、既に内閣の指示を聞かない日本軍の暴走を止められなかった。

こうして穏健派だった立憲民政党の第28代内閣総理大臣の若槻礼次郎(わかつきれいじろう/政治家)が司る内閣の支持率は低迷した。

その為に野党である立憲政友会の犬養毅(いぬかいつよし/備中→政治家)に、共に協調する挙国一致内閣の構想を持ち掛ける。

ただ、身内の立憲民政党から挙国一致内閣に対して反論が出た為に、第28代内閣総理大臣の若槻礼次郎(わかつきれいじろう/政治家)は内閣総辞職を判断した。

そして1931年の年末に、次期総理は立憲政友会の犬養毅(いぬかいつよし/備中→政治家)が第29代内閣総理大臣に就任する。

関東軍はこの南満州鉄道の鉄路爆破は中国軍が起こしたと主張し、取り敢えず日本は中華民国による「柳条湖事件」(りゅうじょうこじけん)として取り扱った。

これを1931年に起こった「満州事変」と呼ぶ。

関東軍は反日勢力の犯行と断定して、満州一帯の広域に侵攻して支配権を拡大させる。

関東軍の思惑の通りに、中国大陸の東部に位置する上海の租界(そかい)周辺にて、日本軍による襲撃が勃発し、中国軍との交戦により多くの死傷者を出した。

これを1932年に起こった「第一次上海事変」(だいいちじしゃんはいじへん)と呼ぶ。

中華民族に恐怖心を与えたその後に、日本が介入できる満州政府を建国して、満州一帯を関東軍が防衛する為に、1932年に満州国を建国する。

日本は清(しん)王朝の最後となる第12代皇帝(ラストエンペラー)の愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ/皇帝)を担ぎ出して、満州国の皇帝に就任させるも、明らかな傀儡(かいらい)政治を目的とするものであった。

中華民国では、1922年にアメリカにて「第一次世界大戦」の事後確認をするワシントン会議にて締結された“九カ国条約”に違反するとして、日本による満州の強制統治を不服として国際連盟に提訴した。

“九カ国条約”の主な概要は、他国は中華民国の独立と行政的、領土的保全を約束し、門戸開放と機会均等の原則を承認していた。

これにより国際連盟から派遣されたイギリスのヴィクターリットン(インド貴族→政治家)が率いるリットン調査団が偵察に訪れた。

事件現場を調査したリットン調査団は、日本にも、中華民国にも、正当性を認める曖昧な報告書を国際連盟に提出した。

①:関東軍の自作自演とは言い難い。

②:満州に住む中国民も抑圧されている。

③:日本が保有する南満州鉄道の権益は守られる。

④:関東軍による満州の広域な統治は認可できない。

⑤:日本が主導する満州国の建国は認可できない。

STEVE LACY /♪ PLAYGROUND

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2025/09/25 (Thu) 21:35:23

◆◇◆其の四十三:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

日本は国際連盟の意向を遵守せず、しかも日本の新聞社や放送局が「満州事変」と満州国の建国を称賛する報道を繰り返した為に、日本国民も日本軍の一夕会(いっせきかい)と関東軍の一連の行動を忠君愛国(ちゅうくんあいこく)として褒(ほ)め称(たた)えた。

この軍国主義国家に変貌した1932年の日本には、この13年後の1945年に日本列島の主要都市へ大量の爆弾が落され、広島と長崎に原子爆弾が投下される伏線(フラグ)で既に出ている。

ただ、この関東軍の暴挙に対して、日本では着任したばかりの第29代内閣総理大臣の犬養毅(いぬかいつよし/備中→政治家)が、満州国を建国した関東軍と一夕会(いっせきかい)を痛烈に批判する。

犬養毅…『関東軍と一夕会(いっせきかい)が実施した満州国を建国は、国際法でも条約違反に該当し、日本としても認可する事はできない。』

この第29代内閣総理大臣の犬養毅(いぬかいつよし/備中→政治家)の意思表明に対して、日本の政府が満州国を認可しなければ関東軍と一夕会(いっせきかい)の立場が危うくなり、日本軍は軍事クーデターを実施した。

1932年5月15日に、日本軍の若手将校により永田町の首相官邸を包囲し、在宅していた犬養毅(いぬかいつよし/備中→政治家)を拘束した。

犬養毅…『お前達は何を騒いでおるのか? 話せば解る。』

若手将校…『問答無用!』

バンッ バンッ

犬養毅…『ギャ〜〜 やられた〜〜』

バタン

こうして第29代内閣総理大臣の犬養毅(いぬかいつよし/備中→政治家)は、日本軍の一夕会(いっせきかい)に暗殺された。

これを1932年に起こった「五一五事件」と呼ぶ。

時の総理大臣が暗殺される前代未聞の大事件で、日本の政府は混乱に陥った。

その隙を突いたのが軍事クーデターを指示していた軍国主義の一夕会(いっせきかい)の最高指導者だった永田鉄山(ながたてつざん/軍人→二葉会→ 一夕会)で、陸軍大臣の人材提供を盾(たて)に内閣の人事権にも介入した。

そして1932年に、一夕会(いっせきかい)に関わりの深い斎藤実(さいとうまこと/軍人→政治家)を第30代内閣総理大臣に就任させて、ここから日本は軍国主義国家へと変貌(へんぼう)していく。

1931年に起こった「柳条湖事件」(りゅうじょうこじけん)を現地調査したリットン調査団の報告書による満州国の建国は容認できないとした国際連盟の方針を無視した日本。

これらアジア圏での領域拡大を図る日本に対して、警戒するアメリカやヨーロッパ諸国など国際連盟の裁定に不服とする日本では、1933年に外交官の松岡洋右(まつおかようすけ/政治家)は「国際連盟脱退」を表明した。

こうして日本は世界から孤立する事となる。

SCRITTI POLITTI /♪ DON'T WORK THAT HARD

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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250925 - ラジオの友 URL

2025/09/25 (Thu) 21:36:23

◆◇◆其の四十四:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

1931年に起こった南満州鉄道の鉄路爆破事件の「柳条湖事件」(りゅうじょうこじけん)こと「満州事変」で、1932年に日本の主導で満州国が建国され中華民国は対立を深めた。

これにより中国大陸の各地で日本軍と中国軍や中華民族が紛争を繰り広げ、凄惨(せいさん)な戦地には甚大な被害も出ていた。

その為に河北省(かほくしょう)の塘沽(とうこ)にて、日本軍と中国軍は停戦する事を決定し、1933年に塘沽停戦協定(とうこていせんきょうてい)が締結された。

黄海の入江辺りに位置する熱河省(ねっかしょう)に、軍事介入できないと非武装地帯を設けて、中華民国の警察が警護し、居住者が安心して暮らせる静穏地域とした。

しかし、非武装地帯に居住する中華民族は『日本排除!』を掲げて、同じく居住する日本人を暴力的な強制排除を実施していた。

これに日本は抗議したが対応が鈍い中華民国を他所(よそ)に、日本軍の支那駐屯軍を非武装地帯に派遣して、暴動を起こす中華民族を鎮圧し、日本が統治した。

資源の少ない島国の日本では、多くの資源が眠る中国大陸の満州国を手に入れた事で、これから資源不足に苦悩する必要は無いと思っていた。

ところがである。

地質調査団が満州国の鉱山などを調査したところ、ほぼ全域で眠る有効な資源は皆無だった。

要は満州国を掌握しても、使い物にならないのである。

これには日本の関東軍も落胆した。

そんな時に、内モンゴル一帯の華北(かほく)地域に、豊富な石炭や鉄鉱石が眠る資源がある情報が日本と関東軍に入る。

この情報に飛び付いたのが関東軍だった。

中国大陸の各地で起こる中華民族の暴動を理由に、関東軍が華北(かほく)地域に侵攻したのである。

これが1935年から始まった「華北分離工作」(かほくぶんりこうさく)である。

ANGELA BOFILL /♪ BABY,I NEED YOUR LOVE

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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250925 - ラジオの友 URL

2025/09/25 (Thu) 21:37:21

◆◇◆其の四十五:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

この時期の中華民国は、中国統一を果たした蒋介石(しょうかいせき/国民党)が率いる国民党と、中国大陸の労働者や農家の支持を得た毛沢東(もうたくとう/共産党→国家主席)が率いる共産党が対立している状態だった。

ただ、共産党の毛沢東(もうたくとう/共産党→国家主席)は、国内対立より先に日本との抗戦を主張し、国民党へ和睦を提案していた。

しかし、国民党の蒋介石(しょうかいせき/国民党)は、日本との抗戦より先に国内平定を主張し、共産党との徹底交戦を提案していた。

この中華民国の内乱状態に、話し合いで歩み寄ったのが外務大臣の広田弘毅(ひろたこうき/外交官→政治家)だった。

この会合で中華民国が提示した講和条件の“中華三原則”は以下となる。

①:中華民国と日本の平和解決。

②:公平公正な対等交渉。

③:中華民国による中国大陸の日本排除運動の取り締まり。

外務大臣の広田弘毅(ひろたこうき/外交官→政治家)が提示した講和条件の“広田三原則”は以下となる。

①:中華民国による中国大陸の日本排除運動の取り締まり。

②:満州国の建国に対して中華民国の正式な承認。

③:日本と中華民国で、内モンゴル一帯の華北(かほく)地域の抵抗勢力を一掃する。

しかし、中華民国の国内では、満州国の建国や内モンゴル一帯の華北(かほく)地域の情勢は、日本が勝手に引き起こした動乱と受け止めており、今更に講和を締結する必要は無いとの意見が多数だった。

この中華民国の強硬姿勢に対して日本と支那駐屯軍は、1935年に河北省(かほくしょう)の塘沽(とうこ)の非武装地帯だった地域一帯に冀東防共自治政府(きとうぼうきょうじちせいふ)を設けた。

日本から送り込まれた官僚により冀東政権(きとうせいけん)が運営した。

これに対して中華民国も、日本との交渉窓口として冀東防共自治政府(きとうぼうきょうじちせいふ)に隣接して冀察政務委員会(きさつせいむいいんかい)を設けた。

ただ、冀察政務委員会(きさつせいむいいんかい)の役目は中華民国との思惑(おもわく)とはかけ離れ、日本の関東軍が密貿易や阿片(アヘン)を中国大陸に流通させる為に無関税で利用した。

この好条件を日本の大小の商社も参入し、冀東防共自治政府(きとうぼうきょうじちせいふ)や冀察政務委員会(きさつせいむいいんかい)の地域一帯に支社を設けて日本からの輸入品を中国大陸に流通させた。

こうなると中華民国は関税収入が減少し、安価で高品質な日本製商品が中国大陸に出回る事で、中国製品の売上も激減した。

この事態に憤懣(ふんまん)したのは当事者の中華民国だけでなく、アメリカやイギリスも中国大陸の経済市場を独占する日本に対して抗議した。

そこでアメリカやイギリスは、中華民国の与党でもある蒋介石(しょうかいせき/国民党)が率いる国民党に軍事支援を実施する。

これが国民党の蒋介石(しょうかいせき/国民党)と資本主義国家のアメリカやイギリスとの結び付きの要因である。

RUPERT HOLMES /♪ SO BEAUTIFUL IT HURTS

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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250925 - ラジオの友 URL

2025/09/25 (Thu) 21:38:15

◆◇◆其の四十六:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

中国大陸に駐屯する関東軍や支那駐屯軍は、徹底的な武力制圧で「華北分離工作」(かほくぶんりこうさく)を推進した。

しかし、この中国大陸の事態を危惧していた日本の軍人がいた。

満州国から日本に帰還していた関東軍の幹部だった石原莞爾(いしわらかんじ/軍人→ 一夕会→関東軍)である。

この時期、世界情勢はソビエトのレーニン(政治家→ソビエト創立者)が創設した共産主義インターナショナルの意義を持つ政治思想のコミンテルン(国際共産主義運動)を拡大させており、世界で強大な共産圏を構築していた。

この共産主義のソビエトに石原莞爾(いしわらかんじ/軍人→ 一夕会→関東軍)は脅威を感じ、いずれ日本のソビエトの共産圏に飲み込まれると主張していた。

しかし、中国大陸に駐留する関東軍の幹部だった武藤章(むとうあきら/軍人)は、資源確保の為に「華北分離工作」(かほくぶんりこうさく)の計画を主張した。

こうして石原莞爾(いしわらかんじ/軍人→ 一夕会→関東軍)は中国大陸に渡り、関東軍の武藤章(むとうあきら/軍人)にソビエト攻防対応を威令(いれい)した。

石原莞爾…『おいっ! 「華北分離工作」(かほくぶんりこうさく)より、緊急課題でもあるソビエト攻防対応を先決しろぉ!』

武藤章…『おやぁ!? 「華北分離工作」(かほくぶんりこうさく)は、あなた方の時代の関東軍が実施した1931年の「柳条湖事件」(りゅうじょうこじけん)や「満州事変」を見習って実施しております。 そのお手本を中止しろとはどう言う事ですか?』

石原莞爾…『うぬぬっ・・・』

日本も若干の内輪揉(うちわも)めがあったが、中華民国はそれよりもかなり酷(ひど)かった。

中華民国は政党が挙国一致で日本に挑(いど)まなけれならないが、蒋介石(しょうかいせき/国民党)が率いる国民党と、毛沢東(もうたくとう/共産党→国家主席)が率いる共産党の溝は一向に埋まる気配がない。

そして、国民党が共産党に攻勢を仕掛けて追い込み勝利する。

こうして共産党の毛沢東(もうたくとう/共産党→国家主席)は、中国大陸の南部に位置する江西省(こうせいしょう)の瑞金(ずいきん)に拠点を移転する。

その後の共産党はソビエトのコミンテルン(国際共産主義運動)を主導する団体とも対立し、ゲリラ戦線に傾斜していく。

ただ、勢力基盤を拡大させた国民党の蒋介石(しょうかいせき/国民党)により、共産党の毛沢東(もうたくとう/共産党→国家主席)と弟の毛沢覃(もうたくたん/共産党)、それに鄧小平(とうしょうへい/共産党→ 人民解放軍元帥)などの幹部は処分され政界から追放される。

1935年に毛沢覃(もうたくたん/共産党)は、国民党との対戦で戦死する。

RAY PARKER /♪ THAT OLD SONG

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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250925 - ラジオの友 URL

2025/09/25 (Thu) 21:39:10

◆◇◆其の四十七:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

この頃の1934年〜1935年に、共産党の拠点だった江西省(こうせいしょう)の瑞金(ずいきん)から1万2500kmを徒歩で移動した「長征」(ちょうせい)と呼ぶ。

江西省(こうせいしょう)の西部に位置する貴州省(きしゅうしょう)の遵義(じゅんぎ)にて、共産党の会議を開催して最高指導者の毛沢東(もうたくとう/共産党→国家主席)の元で勢力を拡大する事を決定する。

これを1935年に開催した「遵義会議」(じゅんぎかいぎ)と呼ぶ。

共産党は貴州省(きしゅうしょう)の北部に位置する陝西省(せんせいしょう)の延安(えんあん)に拠点を移転する。

この頃の共産党の中国工農紅軍(ちゅうごくこうのうこうぐん)は、最盛期の10万人から1万人までに減少していた。

国民党の蒋介石(しょうかいせき/国民党)は、共産党との徹底交戦により討伐する事を命じた。

ただ、そんな国民党の党員にも、毛沢東(もうたくとう/共産党→国家主席)の政策に近い思想を持つ者も居り、その1人が張作霖(ちょうさくりん/盗賊→奉天派)の息子で奉天派(ほうてんは)と国民党を統合し中国統一を果たした張学良(ちょうがくりょう/奉天派→ 国民党)である。

共産党の毛沢東(もうたくとう/共産党→国家主席)と国民党の張学良(ちょうがくりょう/奉天派→ 国民党)は、密かに会合を開催して密談を重ねた。

これに気付いた国民党の蒋介石(しょうかいせき/国民党)は、張学良(ちょうがくりょう/奉天派→ 国民党)に対して共産党との徹底交戦を威令(いれい)した。

ところが張学良(ちょうがくりょう/奉天派→ 国民党)らの国民党の党員に、陝西省(せんせいしょう)の西安(せいあん/長安)で逆に蒋介石(しょうかいせき/国民党)が拘束され監禁される。

これを1936年に起こった「西安事件」(せいあんじけん)と呼ぶ。

これに驚愕(きょうがく)した共産党の毛沢東(もうたくとう/共産党→国家主席)は、幹部の周恩来(しゅうおんらい/共産党→初代総理)を西安(せいあん/長安)に派遣して、監禁されている国民党の蒋介石(しょうかいせき/国民党)と会談した。

周恩来(しゅうおんらい/共産党→初代総理)は、中華民国は政党が挙国一致して国内対立より先に日本との抗戦し、共産党と国民党の和睦を交渉した。

この周恩来(しゅうおんらい/共産党→初代総理)の説得に、蒋介石(しょうかいせき/国民党)も納得して挙国一致政策に方針を変更した。

EVIE SANDS /♪ TAKE A LITTLE LOVE

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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250925 - ラジオの友 URL

2025/09/25 (Thu) 21:40:03

◆◇◆其の四十八:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

中華民国の内輪揉(うちわも)めが解決しひと段落した頃に、日本ではとんでもない事件が勃発する。

1936年2月26日に日本軍の若手軍人が、天皇が主権を掌握する王政復古を掲げた独裁政権を樹立させる為に軍事クーデターを起こした。

東京都心部の永田町や霞ヶ関を中心に、政府主要施設などを占拠した。

軍国主義国家を提唱していた第31代内閣総理大臣の岡田啓介(おかだけいすけ/軍人→政治家)も弱腰と批判して襲撃するも、人違いで義理弟が射殺される。

事態を重く観た日本軍の幹部と第124代天皇の昭和天皇(しょうわてんのう/皇族)は、軍事クーデターを起こした若手軍人を説得して投降させた。

その後の軍法裁判で若手軍人は死罪の判決を受けた。

これを1936年に起こった「二二六事件」と呼ぶ。

第31代内閣総理大臣の岡田啓介(おかだけいすけ/軍人→政治家)は、この「二二六事件」の責任を取り辞任した。

次期総理に外務大臣に就いて中華民国と交渉していた広田弘毅(ひろたこうき/外交官→政治家)が第32代内閣総理大臣に就任した。

JONATHAN BUTLER /♪ SARAH,SARAH

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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250925 - ラジオの友 URL

2025/09/25 (Thu) 21:41:01

◆◇◆其の四十九:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

日本の政局で大混乱している最中(さなか)に、中国大陸の中華民国でも大事件が勃発した。

この時期の日本軍の戦略は、中国大陸の満州国に駐屯する関東軍は、ソビエトへの交戦に備えて北上前線を配備していた。

一方で、河北省(かほくしょう)の塘沽(とうこ)の地域一帯の冀東防共自治政府(きとうぼうきょうじちせいふ)に駐屯する支那駐屯軍は、中国軍への交戦に備えて南下前線を配備していた。

しかし、小所帯の支那駐屯軍だけでは中国軍を抑止する事はできず、日本から兵士の増員を要請し日本援軍が冀東防共自治政府(きとうぼうきょうじちせいふ)に渡ってきた。

ところが日本援軍が到着すると、その人員の多さに駐在する施設が足りなかった。

そこで北京の南西部に位置する豊台(ほうだい)に収容施設を設けた。

ただ、この豊台(ほうだい)周辺は市街地だった為に、日本援軍が軍事訓練する広大な場所がない。

そこで、豊台(ほうだい)から西側に行った盧溝橋(ろこうきょう)と言う橋が架かる河川敷で軍事訓練する事となる。

しかし、この盧溝橋(ろこうきょう)周辺には、中国軍の拠点でもある宛平城(えんへいじょう)が陣営を構えていた。

そんな一触即発(いっしょくしょくはつ)の中で、日本援軍が盧溝橋(ろこうきょう)の河川敷で軍事訓練を実施していると、中国軍の拠点から銃声が鳴り響いた。

日本援軍は軍事訓練を中止して事態の情報収集にあたったが、1人の兵士が見当たらない。

これは中国軍に拉致されたと判断し、早速に支那駐屯軍に報告を入れた。

ただ、この行方不明になった兵士は、便所(トイレ)に行っていただけである。

支那駐屯軍は、直ちに中国軍に対して事態の解明と報告、それに謝罪を要求した。

この支那駐屯軍の要求に中国軍は、兵士の誰1人として日本援軍に向けて発砲した者は居らず真相は不明で、その為に謝罪の必要も無いと回答してきた。

以前にも日本軍と中国軍が衝突した際に、戦闘が終わった後も日本軍は武装解除しなかった事があり、それを中国軍の武力が恐怖で日本軍は武装解除できなかったと風聴(ふうちょう)した過去がある。

その為に今回も日本軍が、中国軍の説明を間に受けて事態収束させれば、また何を言われるか分からない。

そこで支那駐屯軍は、中国軍に対して誠意ある対応が無かったとして、中国軍の拠点でもある宛平城(えんへいじょう)の一帯で総攻撃を仕掛ける。

北京の盧溝橋(ろこうきょう)周辺で、日本軍と中国軍が軍事衝突と起こした。

これを1937年に起こった「盧溝橋事件」(ろこうきょうじけん)と呼ぶ。

WILSON BROTHERS /♪ LIKE YESTERDAY

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2025/09/25 (Thu) 21:41:52

◆◇◆其の五十:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

この盧溝橋(ろこうきょう)での軍事衝突を聞いた石原莞爾(いしわらかんじ/軍人→ 一夕会→関東軍)は、直ぐに支那駐屯軍に対して戦闘を中止する様に要請し、ソビエトへの交戦に備えて満州国に駐屯する関東軍を後方支援する様に威令(いれい)を出す。

しかし、関東軍の幹部だった武藤章(むとうあきら/軍人)は、これを機に中国軍との全面戦争を主張した。

この時の支那駐屯軍は日本援軍が加勢したとは言え小所帯だった為に、大群勢の中国軍と正面から侵攻する武力は持っていない。

そんな日本軍に取って不利な戦況もあり、石原莞爾(いしわらかんじ/軍人→ 一夕会→関東軍)も支那駐屯軍の救済目的で渋々に全面戦争を承諾した。

これにより満州国の関東軍と大韓帝国の朝鮮軍、それに日本から更なる日本援軍を侵攻させた。

一時的に、この戦乱収束の為に、日本軍と中国軍は停戦の協定を締結する。

しかし、国民党の蒋介石(しょうかいせき/国民党)は、北京政府として現地で締結された停戦協定は認可できないと主張し、もし、日本軍は戦乱収束したければ、日本の政府と中華民国の北京政府との間で停戦協定を締結すべきだと言い放つ。

これに日本は反発し、徹底的に交戦する姿勢を示した。

そして日本軍は首都の北京と港町の天津(てんしん)を制圧して統治下に置いた。

これが要因となり日本と中華民国は「日中戦争」に突入した。

GERALD ALBRIGHT /♪ SAY IT WITH FEELING

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2025/09/25 (Thu) 21:42:46

◆◇◆其の五十一:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

この戦乱で、国民党の蒋介石(しょうかいせき/国民党)と共産党の毛沢東(もうたくとう/共産党→国家主席)は和睦し、日本軍と戦闘する為に協力し合う。

これを1937年に実施した“第二次国共合作”(だいにじこっきょうがっさく)と呼ぶ。

これにより共産党の中国工農紅軍(ちゅうごくこうのうこうぐん)は、政府の国民革命軍と合併して八路軍(はちろぐん)に再編される。

当初の日本は「日中戦争」は小規模で早期に終結すると考えていた。

それが大規模な戦闘になり、長期化する事になる。

その一因が日本軍の海軍にあった。

この頃の海軍の組織は、海軍省と軍令部に分別されていた。

海軍省は軍政や人事権を担い、外交交渉による戦争回避を重視しており、最高指導者には米内光政(よないみつまさ/軍人→政治家)が就任していた。

軍令部は作戦や軍指揮を担い、外交交渉が決裂した際の戦争計画を画策しており、最高指導者には皇室の伏見宮博恭王(ふしみのみやひろやすおう/皇族→ 軍人)が就任していた。

因みに皇室の世襲親王家には、1409年に創設された伏見宮(ふしみのみや)、1589年に創設された桂宮(かつらのみや)や京極宮(きょうごくのみや)、1625年に創設された有栖川宮(ありすがわのみや)や高松宮(たかまつのみや)、1710年に創設された閑院宮(かんいんのみや)がある。

ADRIAN GURVITZ /♪ PUT A LITTLE LOVE(IN LIFE'S HEART)

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2025/09/25 (Thu) 21:43:38

◆◇◆其の五十二:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

そんな時に今度は上海で大事件が勃発した。

日本軍の海軍に所属する幹部の大山勇夫(おおやまいさお/軍人)と運転手が、車で上海の市街地を移動していたところに、中華民族のテロリストに襲撃され死去した。

大山勇夫(おおやまいさお/軍人)と運転手は、中華民族のテロリストに射殺された後、太刀(たち)で身体をめった斬りにされバラバラにされた。

これを1937年に起こった「大山事件」(おおやまじけん)と呼ぶ。

これには日本軍もさすがに理性を失い、上海の租界(そかい)を含めた市街地に、海上から戦艦で総攻撃を仕掛けた。

対する中国軍も戦闘機で日本軍の戦艦を空爆して反撃する。

海軍の軍令部の米内光政(よないみつまさ/軍人→政治家)は、怒りを増幅させて中国大陸の一帯に総攻撃を命じる。

満州国からは東條英機(とうじょうひでき/軍人→木曜会→ 一夕会)が率いる関東軍が南下してきた。

これにより日本軍は上海以外の市街地にも侵攻した。

地元の中国軍は地の利を活(い)かして、重要拠点に陣営を設けて、「第一次世界大戦」で攻防成果が立証された水堀を四方八方に掘削した。

これに日本軍は苦戦し多くの戦死者を出していく。

しかも中国軍は追い詰められると、直ぐに撤退して別の場所に陣営を設けて反撃してきた。

こうして戦争は拡大と長期化して、日本軍が当初に思い描いていた短期決戦には程遠かった。

この大損傷する日本軍の責任を取って日本軍の参謀だった石原莞爾(いしわらかんじ/軍人→ 一夕会→関東軍)は要職を辞任し、中国大陸に渡り東條英機(とうじょうひでき/軍人→木曜会→ 一夕会)が率いる関東軍に加勢した。

「日中戦争」に積極的だった日本軍の武藤章(むとうあきら/軍人)も戦地に赴き戦闘に加わる。

日本軍が総力戦で侵攻してきた為に、中華民国の蒋介石(しょうかいせき/国民党)は、中国軍を上海から退陣させた。

こうして大山勇夫(おおやまいさお/軍人)と運転手の敵討ちとして、日本軍は壊滅させ上海を占拠した。

日本軍は中国軍を撃退し戦術には勝利したが、甚大な被害を被(こうむ)り戦略で敗北した結果となる。

これを1937年に起こった「第二次上海事変」(だいにじしゃんはいじへん)と呼ぶ。

この時点で日本も中華民国も、「日中戦争」の宣戦布告を実施していない。

これには理由があり、日本も中華民国もアメリカとの貿易で軍事物資を輸入していた。

ただ、アメリカとの条約で日本と中華民国が戦争状態になった場合は、中立法により経済制裁と貿易停止が発動される事になっていた。

その為に、表向きは中国大陸での内乱の鎮圧とし、「盧溝橋事件」(ろこうきょうじけん)は「北支事変」と呼び、「第二次上海事変」(だいにじしゃんはいじへん)は「支那事変」と呼び、「日中戦争」は「日華事変」と呼んでおり、戦争と言う言葉は使用していない。

Will Foulke /♪ NO WORRIES

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2025/09/25 (Thu) 21:44:36

◆◇◆其の五十三:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

この時期にヨーロッパのドイツでは、ナチス党の最高責任者でオーストリア人のアドルフヒトラー(軍人→ナチス統帥)が政権を掌握していた。

ドイツのナチス党は、日本のドイツ大使にディルクセン(軍人→日本ドイツ大使)を駐在させ、中華民国のドイツ大使にトラウトマン(軍人→中国ドイツ大使)を駐在させていた。

この頃のドイツは、日本と中華民国は同盟を締結しており、ヨーロッパ戦線を目論むナチス党のアドルフヒトラー(軍人→ナチス統帥)としては、何とかアジアの両国の戦闘は避けたいと考えていた。

そしてドイツが仲介し、日本と中華民国の和平交渉が始まる。

日本の第32代内閣総理大臣の広田弘毅(ひろたこうき/外交官→政治家)は、ドイツ大使のディルクセン(軍人→日本ドイツ大使)に対して複数項目の講和条件を提示した。

①:中華民国の支配が及ばない内モンゴルの自治政府の創設。

②:日本軍が駐屯する華北(かほく)地域と上海に日本人の居住者を保護する非武装地帯の設置。

③:他国の侵攻を両国で防衛する“日中防共協定”の締結。

④:中国大陸の各地で起こっている日本排除運動の取り締まり。

日本のドイツ大使のディルクセン(軍人→日本ドイツ大使)は、早速に中華民国のドイツ大使のトラウトマン(軍人→中国ドイツ大使)に手紙を送達し、そこから中華民国の蒋介石(しょうかいせき/国民党)に日本からの講和条件を提示した。

これを1937年に実施した「トラウトマン和平工作」と呼ぶ。

しかし、断固として戦闘を継続する強硬派の蒋介石(しょうかいせき/国民党)は、日本からの講和条件を全て拒否した。

その蒋介石(しょうかいせき/国民党)の胸の内には、3つの思惑があった。

①:「盧溝橋事件」(ろこうきょうじけん)や「第二次上海事変」(だいにじしゃんはいじへん)で中国軍は敗北したとは言え、共産党の中国工農紅軍(ちゅうごくこうのうこうぐん)と国民党の国民革命軍を再編して組成した八路軍(はちろぐん)の導入もあり、戦局は不利とは言えなかった。

②:1922年にアメリカにて「第一次世界大戦」の事後確認をするワシントン会議にて締結された“九カ国条約”にて、他国は中華民国の独立と行政的、領土的保全を約束し、門戸開放と機会均等の原則を承認した為に、今回の日本軍の侵攻は条約違反するとして国際連盟に提訴していた。

③:中華民国は、同じ共産圏でソビエトのスターリン(ソビエト書記長)に対して、日本軍へ侵攻する援軍を要請していた。

ただ、この蒋介石(しょうかいせき/国民党)の皮算用が全て裏目に出る。

EARTH,WIND & FIRE /♪ FEELIN' BLUE

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2025/09/25 (Thu) 21:45:28

◆◇◆其の五十四:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

中国大陸の戦況悪化により、日本軍は大本営(だいほんえい)を設けた。

大本営(だいほんえい)とは、第124代天皇の昭和天皇(しょうわてんのう/皇族)の詔勅(しょうちょく)により宣旨(せんじ)が出され、日本軍の陸軍と海軍が戦争を指揮する最高機関である。

ただ大本営(だいほんえい)には、政府の官僚が参加できない事から、政府の方針が反映されず軍部が暴走する危険性もあった。

そこで政府の内閣は、日本軍との意思疎通を図る為に“大本営政府連絡会議”を開催した。

この“大本営政府連絡会議”での決定事項は、『ある程度、中国軍に攻撃をし弱体化したら和平交渉する。』と言う内容だった。

この時の日本軍では、陸軍が圧倒的な権力と武力を掌握しており発言権が強かった。

陸軍の組織は、参謀総長、参謀次長、作戦部長の要職が連なっている。

参謀総長には、皇室の閑院宮載仁親王(かんいんのみやことひとしんのう/皇族→ 軍人→政治家)が就任し、皇族の為に発言権が大きく、戦争では大局でしか発言しない。

参謀次長には、多田駿(ただはやお/軍人)が就任し、講和解決を望み中国侵攻には反対する穏健派だった。

作戦部長には、下村定(しもむらさだむ/軍人→政治家)が就任し、徹底した交戦で中国侵攻に賛成する武闘派だった。

“大本営政府連絡会議”での海軍と政府の方針は、発言権の大きい陸軍の意向に追従(ついじゅう)する姿勢を見せていた。

ただ、爆弾が飛び交わない安全な日本の“大本営政府連絡会議”がどんな政策を立てたとしても、中国大陸の戦地で戦う日本軍との温度差はあった。

TYLER,THE CREATOR /♪ SWEET&I THOUGHT YOU WANTED TO DANCE

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2025/09/25 (Thu) 21:46:20

◆◇◆其の五十五:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

1937年の「第二次上海事変」(だいにじしゃんはいじへん)により上海に拠点を置いていた中国軍は、北西部の南京に移動した。

これに対して日本軍は南京に追撃を開始したが、思いの外に軍備と兵糧の減少が早く、南京に到着した時には、日本軍の軍備と兵糧はほぼ無くなっており底を着いていた。

日本からの補給も遅れており、日本軍は現地調達する為に進行する市街地で、民衆から軍備と食糧などを略奪していた。

江蘇省(こうそしょう)の南京に到着した日本軍は、中国軍が陣営を設ける南京城(なんきんじょう)を包囲した。

退陣戦術を採っていた中国軍の蒋介石(しょうかいせき/国民党)は、『一定期間は攻防して南京城(なんきんじょう)を死守しろ!』と檄(げき)を飛ばしていた。

これが裏目に出て、南京城(なんきんじょう)で篭城する中国軍は、戦況が悪化しても撤退する機会を失い、城内で留(とど)まるしかなかった。

その為に南京城(なんきんじょう)の城内に設けてある非武装地帯の安全区に、多くの兵士が逃げ込んだ。

更に北西側の城門から逃亡を図る兵士も多く、近くに流れる長江(ちょうこう/揚子江)を渡ろううとして、速い水流により溺死した。

日本軍の侵攻は落ち着いたが、捕虜で拘束した中国軍の兵士に食べさせる食糧も無く、勝利を確信できるまではジェノサイド(集団殺戮)を実施した。

これを1937年に起こった「南京大虐殺」(南京事件)と呼ぶ。

現代でも日本と中国の関係にシコリを残す「南京大虐殺」(南京事件)だが、実は平安時代末期の1100年代に、政権を掌握する平氏に対して反旗を翻(ひるが)した河内源氏の系統の信濃源氏の木曽義仲(きそよしなか)こと源義仲(みなもとよしなか/源氏)も、京都に上洛した際は、木曽源氏軍は軍備と兵糧に困窮(こんきゅう)して平安京にて略奪行為を実施している。

『歴史は繰り返す。』と言う教訓は、窮地に追い込まれ理性が崩壊した人間の行動を、こう言う所からも読み取れる。

現代でも、鉄とコンクリートで造られた街に生息する人間も似たり寄ったりで、そんな大差はない。

中国軍は陣営の拠点を落城した南京から重慶(じゅうけい)に移転した。

正に勝利も敗北もない戦争の“イタチごっこ”である。

Alessi Brothers /♪ HOW LONG,HOW MUCH

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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250925 - ラジオの友 URL

2025/09/25 (Thu) 21:47:22

◆◇◆其の五十六:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

日本でも、中華民国でも、政局と戦況が大混乱する中で、その統治の能力に瑕疵(かし)や欠陥があるとして第32代内閣総理大臣の広田弘毅(ひろたこうき/外交官→政治家)は1937年初期に辞職した。

次期総理に就任した第33代内閣総理大臣の林銑十郎(はやしせんじゅうろう/軍人→政治家)は、国会の予算を成立させ4ヶ月で辞職した為に“食い逃げ解散”と呼ばれた。

1937年中期に次期総理に就任したのが藤原氏北家(ほっけ)の五摂家(ごせっけ)でもある近衛家(このえけ)の名門家の系統の、第34代内閣総理大臣の近衛文麿(このえふみまろ/公卿→政治家)である。

1937年に実施した「トラウトマン和平工作」により、日本のドイツ大使のディルクセン(軍人→日本ドイツ大使)と中華民国のドイツ大使のトラウトマン(軍人→中国ドイツ大使)を仲介役として、日本と中華民国の和平交渉は、中華民国の蒋介石(しょうかいせき/国民党)により断固拒否され消滅していた。

ところがここに来て、和睦を断固拒否した蒋介石(しょうかいせき/国民党)の3つの思惑が全て外れた。

①:「盧溝橋事件」(ろこうきょうじけん)や「第二次上海事変」(だいにじしゃんはいじへん)で中国軍は敗北したとは言え、共産党の中国工農紅軍(ちゅうごくこうのうこうぐん)と国民党の国民革命軍を再編して組成した八路軍(はちろぐん)の導入もあり、戦局は不利とは言えなかった。 → 1937年に起こった「南京大虐殺」(南京事件)にて中国軍はほぼ壊滅し、戦況が不利となる。

②:1922年にアメリカにて「第一次世界大戦」の事後確認をするワシントン会議にて締結された“九カ国条約”にて、他国は中華民国の独立と行政的、領土的保全を約束し、門戸開放と機会均等の原則を承認した為に、今回の日本軍の侵攻は条約違反するとして国際連盟に提訴していた。 → ヨーロッパで開催されていた“九カ国条約”の会議にて、今回の「日中戦争」こと「日華事変」に対して日本に制裁しない事が決定する。

③:中華民国は、同じ共産圏でソビエトのスターリン(ソビエト書記長)に対して、日本軍へ侵攻する援軍を要請していた。 → ソビエトのスターリン(ソビエト書記長)は不穏な動きを見せるドイツに注視し、日本への侵攻を拒否した。

中華民国の蒋介石(しょうかいせき/国民党)は、この様な“背水の陣”の状況で日本と和睦すると言い出した。

これには流石(さすが)に虫が良すぎる。

日本の政府は、前回の講和条件を追加と改定して提示した。

①:中華民国の支配が及ばない内モンゴルの自治政府の創設。 → 内モンゴルの独立政府の創設。

②:日本軍が駐屯する華北(かほく)地域と上海に日本人の居住者を保護する非武装地帯の設置。 → 非武装地帯を華中(かちゅう)地域までに拡大。

③:他国の侵攻を両国で防衛する“日中防共協定”の締結。

④:中国大陸の各地で起こっている日本排除運動の取り締まり。

⑤:中華民国は戦争賠償金の支払い。

しかし、“窮鼠(きゅうそ)、猫を噛む”の如(ごと)く中華民国の蒋介石(しょうかいせき/国民党)は、日本からの改訂版の講和条件を全て拒否した。

この中華民国の強硬路線に対して、日本の政府と日本軍が設けた“大本営政府連絡会議”では、陸軍の参謀次長の多田駿(ただはやお/軍人)が『改訂版の講和条件を早期に締結する。』と主張したのに対して、外務大臣の広田弘毅(ひろたこうき/外交官→政治家)は『時間稼ぎばかりで問題解決意思と誠意の無い中華民国と和睦する必要は無い。』と主張した。

海軍省の米内光政(よないみつまさ/軍人→政治家)も外務大臣の広田弘毅(ひろたこうき/外交官→政治家)に同調し『中国大陸での「日中戦争」は勝利するまで継続すべき。』と主張した。

これにより日本の34代内閣総理大臣の近衛文麿(このえふみまろ/公卿→政治家)も、『中華民国と講和の締結は無い!』と発言した。

これを1937年に発表した「第一次近衛声明」(だいいちじこのえせいめい)と呼ぶ。

Henry Gross /♪ SHANNON

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2025/09/24 (Wed) 21:53:43

◆◇◆大人のジャズはよろしゅうおすぅなぁ〜◆◇◆

AKIKO /♪ Love Theme From "Spartucus"

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2025/09/24 (Wed) 21:54:39

HORACE SILVER /♪ The Jody Grind

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2025/09/24 (Wed) 21:55:52

ALAN BROADBENT /♪ ANOTHER TIME

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2025/09/24 (Wed) 21:56:50

PHIL WOODS /♪ THE SUMMER KNOWS

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2025/09/24 (Wed) 21:57:47

ROBERT GLASPER/♪ So Beautiful

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2025/09/24 (Wed) 21:58:39

桑原あい/♪ FLYING?

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2025/09/24 (Wed) 21:59:35

DAVE BASS TRIO /♪ LEGRAND-LESTER LEFT TOWN

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2025/09/24 (Wed) 22:00:31

山中千尋/♪ MOON RIVER

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2025/09/24 (Wed) 22:01:24

EMMA SMITH /♪ FRIM FRAM SAUCE

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2025/09/24 (Wed) 22:02:18

REID HOYSON PROJECT /♪ IN YOUR DREAMS

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2025/09/24 (Wed) 22:03:09

JIMMY GREENE /♪ IMPATIENT

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2025/09/24 (Wed) 22:04:01

DIEGO RIVERA /♪ BOTH-SIDING

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2025/09/24 (Wed) 22:04:51

JOE HENDERSON SEXTET /♪ MAMACITA

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2025/09/24 (Wed) 22:07:19

NOAH HAIDU /♪ SLIPSTREAM

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2025/09/24 (Wed) 22:08:09

BENNY BENACK III /♪ SUGAR & SPICE

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2025/09/24 (Wed) 22:09:04

PETE MCGUINNESS JAZZ ORCHESTRA /♪ LILAC BLUES

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2025/09/24 (Wed) 22:09:57

NEW CENTURY JAZZ QUINTET /♪ Soul Conversations

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2025/09/24 (Wed) 22:10:53

大西ユカリ/♪ ハルカロジ

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2025/09/23 (Tue) 10:29:03

◆◇◆其の二十一:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

20世紀初期の中国大陸は、イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、日本などが各地を占領下に置いた植民地としていた。

そんな中国大陸が侵略されていた時代の1893年に、湖南省(こなんしょう)の湘潭(しょうたん)で毛沢東(もうたくとう/共産党→国家主席)は誕生した。

そして1898年に、江蘇州(こうそしょう)の淮安(わいあん)の貧しい家庭に周恩来(しゅうおんらい/共産党→初代総理)は誕生する。

諸外国に抑圧され、貧困に喘(あえ)いでいた中華民族は、更に西洋から来た宣教師によりキリスト教への改宗(かいしゅう)を強要された。

これに憤懣(ふんまん)した山東省(さんとうしょう)の民衆が奮起して義和団(ぎわだん)を組成して反乱を起こす。

この義和団(ぎわだん)の行動に、北京の紫禁城(しきんじょう)を拠点とする清(しん)王朝の第11代皇帝の光緒帝(こうしょてい/皇帝)や、垂簾聴政(すいれんちょうせい)を実施していた叔母の西太后(せいたいこう/女帝)は反乱を支持し、諸外国連合軍に宣戦布告して軍隊を送り込んだ。

しかし、諸外国連合軍の強靭な軍事力や豊富な物資の前では、脆弱な清軍や義和団(ぎわだん)はなす術(すべ)もなく大敗する。

勝利した諸外国は更に中国大陸の抑圧を強め、ロシアは満州の東北一帯、日本は朝鮮半島や台湾などの海域一帯、ドイツは北西一帯、イギリスは西部一帯、フランスは南部一帯を支配した。

これを1900年に起こった「義和団の乱」(ぎわだんのらん)と呼ぶ。

この頃の清(しん)王朝の中華民族は、1904年の「日露戦争」で大国のロシアに勝利した日本を賞賛(しょうさん)し、明治維新の成功を学ぼうと日本へ留学する者が多かった。

その1人が1866年に広東省(かんとんしょう)の香山(こうざん)で誕生した孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)だった。

日本に留学した孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)は、文明が発達し近代化した日本を目の当たりにし、古来の清(しん)王朝では政治経済改革はできないと悟り、皇帝のいない共和制の国家を創建する目標を立てる。

この日本の留学時代に、孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)の支援したのが、香港の貿易商で後々に日活の創業者となる梅屋庄吉(うめやしょうきち/実業家)だった。

孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)は、東京で中華民族の同志と共に中国同盟会を結成した。

この時に孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)が掲げたのが三民主義だった。

三民主義とは、民族の独立を意味する民族主義、民権の保証を意味する民権主義、民生の安定を意味する民生主義の3つからなる。

この頃の中国大陸が混沌とした時代の1904年に、四川省(しせんしょう)の広安(こうあん)で鄧小平(とうしょうへい/共産党→ 人民解放軍元帥)は誕生する。

STARTING LINE /♪ ISLAND (FLOAT AWAY)

◆ラジオの友◆

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2025/09/23 (Tue) 10:29:50

◆◇◆其の二十二:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

清(しん)王朝の実権を掌握していた西太后(せいたいこう/女帝)は、近代化されるヨーロッパや日本の情報を聞いても、当初は中国大陸の近代化には断固反対していた。

ところが、ヨーロッパや日本が近代化の波に乗り、軍事力も拡大させ戦争に勝利している事を知ると、今度は中国大陸の近代化を推奨した。

この時期に清(しん)王朝の実行役は、1885年の“天津条約”(てんしんじょうやく)を日本と締結したり、1895年に「日清戦争」の日清講和会議により「馬関条約」(ばかんじょうやく/下関条約)を締結した李鴻章(りこうしょう/官僚)だった。

しかし、1901年に李鴻章(りこうしょう/官僚)が死去した為に、重鎮家臣で“ストロングマン”と呼ばれる袁世凱(えんせいがい/軍人→北洋派→中華民国総統)が引き継いだ。

袁世凱(えんせいがい/軍人→北洋派→中華民国総統)は、西太后(せいたいこう/女帝)の勅命(ちょくめい)により清軍の近代化を宣言する。

しかし、1908年に第11代皇帝の光緒帝(こうしょてい/皇帝)が崩御(ほうぎょ)し、その翌日には叔母の西太后(せいたいこう/女帝)も崩御(ほうぎょ)した。

一説には西太后(せいたいこう/女帝)の勅命(ちょくめい)により、光緒帝(こうしょてい/皇帝)は暗殺されたと言われる。

そして直ぐに西太后(せいたいこう/女帝)の遺言により、光緒帝(こうしょてい/皇帝)の甥だった第12代皇帝(ラストエンペラー)の愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ/皇帝)が就任する。

ただ、第12代皇帝(ラストエンペラー)の愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ/皇帝)はまだ幼児だった為に、実際は父親の醇親王(じゅんしんのう)こと愛新覚羅載灃(あいしんかくらさいほう/皇族)が、日本の皇室で言う院政(いんせい)の治天の君(ちてんのきみ)に就任して実務をこなした。

西太后(せいたいこう/女帝)の遺言を実直に遵守しよう近代化を推進した袁世凱(えんせいがい/軍人→北洋派→中華民国総統)は、醇親王(じゅんしんのう)こと愛新覚羅載灃(あいしんかくらさいほう/皇族)に疎(うと)まれて北京の紫禁城(しきんじょう)から排除した。

こうして醇親王(じゅんしんのう)こと愛新覚羅載灃(あいしんかくらさいほう/皇族)は、諫言(かんげん)を言う邪魔者が居ない居心地の良い政権を掌握した。

INHALER /♪ YOUR HOUSE

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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250923 - ラジオの友 URL

2025/09/23 (Tue) 10:30:36

◆◇◆其の二十三:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

院政(いんせい)の治天の君(ちてんのきみ)みたいな重職に就いた醇親王(じゅんしんのう)こと愛新覚羅載灃(あいしんかくらさいほう/皇族)は清(しん)王朝の政権を掌握し、中国大陸を網羅する国有鉄道の敷設を命じる。

ただ、既存の鉄道網は各地方の自治で運営されており、そこに清(しん)王朝が国有化として鉄道を取り上げる事に、中華民族の怒りは最高潮となり、各地で反乱が勃発した。

清(しん)王朝は清軍を各地に派遣して、反乱の鎮圧を実施した。

そんな時に、湖北省(こほくしょう)の武漢(ぶかん)の1つでもある武昌(ぶしょう)で、中国革命軍のアジト(隠れ家)で爆弾が暴発した。

これにより中国革命軍のアジト(隠れ家)が清軍に発覚し、戦闘状態に発展する。

これを1911年に起こった「武昌起義」(ぶしょうきぎ)と呼ぶ。

こうして中国革命軍の勢力は増幅し、中国大陸の南部を制圧して、上海の西部に位置する南京を拠点とした。

このタイミングで孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)が日本での留学を終えて中国大陸に帰国していた。

これに危機感を抱いた第12代皇帝(ラストエンペラー)で幼児の愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ/皇帝)と、院政(いんせい)で父親の醇親王(じゅんしんのう)こと愛新覚羅載灃(あいしんかくらさいほう/皇族)は、清軍の実力者だった袁世凱(えんせいがい/軍人→北洋派→中華民国総統)を呼び戻し、清軍の総大将に復帰させる。

しかし、この時期の袁世凱(えんせいがい/軍人→北洋派→中華民国総統)は、時代は既に清(しん)王朝ではないと感じていた。

そして袁世凱(えんせいがい/軍人→北洋派→中華民国総統)は、南京を拠点とする中国革命軍と和睦する施策を採る。

中国革命軍は信用できない清(しん)王朝との和睦を拒否して、南京を首都とした中華民国の建国と、孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)を大総統に就任させた。

中国大陸が清(しん)王朝と中華民国の二国に分裂し、それを注意深く観ていたのは日本とイギリスだった。

今までの関係性から清(しん)王朝への支持を表明した日本とイギリスは、経済と軍事の支援を実施した。

これにより建国まもない中華民国は直ぐに財政難に陥り、大総統の孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)は清(しん)王朝へ和睦の条件を提示した。

①:清(しん)王朝の皇帝の退位と皇族の廃止。

②:中国大陸の共和制へ移行し、袁世凱(えんせいがい/軍人→北洋派→中華民国総統)が大総統に就任する事。

この中華民国の大総統だった孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)から示された和睦の条件に、第12代皇帝(ラストエンペラー)で幼児の愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ/皇帝)と院政(いんせい)で父親の醇親王(じゅんしんのう)こと愛新覚羅載灃(あいしんかくらさいほう/皇族)など紫禁城(しきんじょう)の皇族は反発したが、ただ、清軍を掌握していた袁世凱(えんせいがい/軍人→北洋派→中華民国総統)は快諾した。

こうした皇族後継者問題や「義和団の乱」(ぎわだんのらん)の不手際で、更に弱体化した清(しん)王朝に対して中華民族は見切りを付ける。

こうして1644年〜1912年の268年間も続いた清(しん)王朝は崩壊した。

これを1911年に起こった「中国第一革命」こと「辛亥革命」(しんがいかくめい)と呼ぶ。

JOEY TEMPEST /♪ WE COME ALIVE

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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250923 - ラジオの友 URL

2025/09/23 (Tue) 10:31:10

◆◇◆其の二十四:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

●●●1912年〜1949年 中華民国●●●

「辛亥革命」(しんがいかくめい)を成功させた中国革命軍を率いた孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)は、1912年に北京を拠点とする中華民国を正式に建国した。

これにより2000年以上も続いていた中国大陸の王朝の歴史は途切れ、国民党を率いる孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)は“中国革命の父”と呼ばれる様になる。

この領国の統治の違いは何なのか?

清(しん)王朝は“君主制”(くんしゅせい)を採っており、皇帝が主権を持ち、国民を統治している。

中華民国は“共和制”(きょうわせい)を採っており、国民が主権を持ち、選挙にて主権を持つ大統領を選任する。

日本は“立憲君主制”(りっけんくんしゅせい)を採っており、天皇の勅命(ちょくめい)で首相が就任して主権を持ち、議会と法律で国民を統治している。

この時期、中国では様々な政策思想を持った政党が乱立した。

中国革命軍と清(しん)王朝との和睦の条件の通りに、中華民国の初代総統には“ストロングマン”と呼ばれる袁世凱(えんせいがい/軍人→北洋派→中華民国総統)が就任した。

実質的に清(しん)王朝を討伐した中国革命軍を率いた孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)は、袁世凱(えんせいがい/軍人→北洋派→中華民国総統)に総統に就任する条件を与えていた。

①:中華民国の首都は南京に置く事。

②:中華民国の内閣は南京で執務し、総統も同調する事。

③:総統は臨時約法(憲法)を順守する事。

しかし、清(しん)王朝にて清軍を統括し、北京の紫禁城(しきんじょう)に地盤のある袁世凱(えんせいがい/軍人→北洋派→中華民国総統)にとって、南京に移住すると地盤を失う可能性があり、色々と理由を付けて拒否した。

その為に中国革命軍の孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)も承諾したが、臨時約法(憲法)の順守だけは承認させた。

この臨時約法(憲法)を作成したのは、中国革命軍の宋教仁(そうきょうじん/国民党)で、“共和制”(きょうわせい)の中華民国の主権は国民にあり、総統の権限は議会と臨時約法(憲法)により制限して、総統の独裁を抑制していた。

更に「辛亥革命」(しんがいかくめい)で地方自治の独立心が強くなり、宋教仁(そうきょうじん/国民党)は中華民国で地方分権体制を採り入れた。

SEMISONIC /♪ CHEMISTRY

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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250923 - ラジオの友 URL

2025/09/23 (Tue) 10:31:46

◆◇◆其の二十五:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

宋教仁(そうきょうじん/国民党)はアメリカの“共和制”(きょうわせい)を学び、独立した地方分権により国民の民主制度を確立し、政府機関は国家全体を統治する構想を持っていた。

しかし、権力欲の強い袁世凱(えんせいがい/軍人→北洋派→中華民国総統)は、地方自治に分権すると独立心から反乱が起こり、古来の中国大陸の様に幾つもの国に分裂する可能性があると主張し、中央集権体制を試(こころ)みる。

こうして中華民国の議会を設ける為に、国民による選挙が開催される事となる。

宋教仁(そうきょうじん/国民党)は国民党の創設し、主要党員には孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)や黄興(こうこう/中国革命家→国民党→政治研究者)が加わった。

一方の袁世凱(えんせいがい/軍人→北洋派→中華民国総統)は共和党を創設し、主要党員には清(しん)王朝の官僚や清軍の軍人が加わった。

そして中国大陸で初となる国民による選挙では、宋教仁(そうきょうじん/国民党)の国民党が1/3余りの議席を取り勝利した。

一方の袁世凱(えんせいがい/軍人→北洋派→中華民国総統)の共和党は1/5余りの議席しか取れず、その他の民主党と統一党も微々たる議席だった。

この勢いで宋教仁(そうきょうじん/国民党)の国民党は、総統の袁世凱(えんせいがい/軍人→北洋派→中華民国総統)を辞任に追い込んで、国民党による内閣を目指す。

ところが根っからの軍人である袁世凱(えんせいがい/軍人→北洋派→中華民国総統)は、1913年に刺客を放ち上海で宋教仁(そうきょうじん/国民党)を暗殺した。

そして、袁世凱(えんせいがい/軍人→北洋派→中華民国総統)の共和党は、民主党と統一党などの他の党を吸収して進歩党と名称を変更した。

この頃、孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)は日本を訪問していたが、革命の同志で国民党の宋教仁(そうきょうじん/国民党)が暗殺された知らせを受けて、急遽、中華民国に帰国した。

THE WONDER STUFF /♪ SLEEP ALONE

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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250923 - ラジオの友 URL

2025/09/23 (Tue) 10:32:21

◆◇◆其の二十六:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)は国民党の代表に就任し、袁世凱(えんせいがい/軍人→北洋派→中華民国総統)の進歩党と対峙した。

ところが袁世凱(えんせいがい/軍人→北洋派→中華民国総統)は、国民党の党員に賄賂(ワイロ)を送り進歩党に引き込んでいた。

この行為に激怒した孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)と黄興(こうこう/中国革命家→国民党→政治研究者)は、元々のゲリラ部隊で戦闘を繰り広げた中国革命軍を再結成し武装蜂起した。

これが1913年に起こった「中国第二革命」となる。

しかし、清(しん)王朝の清軍を引き継いだ袁世凱(えんせいがい/軍人→北洋派→中華民国総統)は、圧倒的な軍事力で中国革命軍を鎮圧して、孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)と黄興(こうこう/中国革命家→国民党→政治研究者)は日本へ亡命した。

こうして中華民国で絶対的な権力を掌握した袁世凱(えんせいがい/軍人→北洋派→中華民国総統)は、孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)の国民党を解散させて、亡き宋教仁(そうきょうじん/国民党)が国家制度を策定した議会や臨時約法(憲法)も撤廃し、中華民国の大総統が独裁政治できる制度と憲法を策定した。

この様な袁世凱(えんせいがい/軍人→北洋派→中華民国総統)の強気の姿勢は、後ろ盾にイギリスと日本が付いていた事情もある。

この為に日本に亡命した孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)と黄興(こうこう/中国革命家→国民党→政治研究者)は、政府の圧力で入国許可が下りず、アメリカに行くように薦められる。

ただ、日本の政治家で交流のあった犬養毅(いぬかいつよし/備中→政治家)などの尽力で、何とか日本への入国許可が下りた。

犬養毅(いぬかいつよし/備中→政治家)とは立憲政友会の党員で、第29代の内閣総理大臣に就任するも、1932年の「五一五事件」で暗殺された人物である。

日本に入った孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)と黄興(こうこう/中国革命家→国民党→政治研究者)は、東京の拠点で中華革命党を結成する。

以前の国民党は、話し合いで解決する温和主義だったが、孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)はこの生温(なまぬる)さが革命の失敗を生んだと考えた。

そして中華革命党は、絶対服従の武闘主義で、規律を厳格にして統制の取れた集団で革命を成功させる方針を打ち出した。

しかし、この武闘主義に反発した黄興(こうこう/中国革命家→国民党→政治研究者)など複数の党員は、早々に離脱する。

日本の東京で結成された中華革命党の最高指導者に就いた孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)は、印刷業者で成功し浙江財閥(せっこうざいばつ)の創業者となる宋嘉澍(そうかじゅ/実業家→宣教師)の政治支援を受けていた。

宋嘉澍(そうかじゅ/実業家→宣教師)は中華民族の有力者との絆(きずな)を深める為に、長女の宋靄齢(そうあいれい/中国→アメリカ)を石油会社を経営や中華民国の政治家となる孔祥熙(こうしょうき/実業家→政治家)に嫁がせ、次女の宋慶齢(そうけいれい/中国)は孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)に嫁がせ、三女の宋美齢(そうびれい/中国→台湾→アメリカ)は蒋介石(しょうかいせき/国民党)に嫁がせた。

THE MIGHTY MIGHTY BOSSTONES /♪ SHE JUST HAPPENED

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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250923 - ラジオの友 URL

2025/09/23 (Tue) 10:32:56

◆◇◆其の二十七:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

中国大陸で民族分裂や動乱が起こっている最中(さなか)に、世界に目を向けるとヨーロッパ大陸で各国が領土や資源を奪い合い、1914年7月〜1918年11月に「第一次世界大戦」が勃発する。

ロシアとフランスとイギリスの連合軍に対して、ドイツとオーストリアハンガリーの帝国軍が対峙し、ヨーロッパで勃発した「第一次世界大戦」に対して、中華民国の袁世凱(えんせいがい/軍人→北洋派→中華民国総統)は中立の立場を示した。

一方で増強した軍事力を世界に示したかった日本は、連合軍に加担して参戦を表明した。

この時期にドイツは山東半島(さんとうはんとう)を租借(そしゃく)して統治しており、日本は対岸の遼東半島(りょうとうはんとう)を占有し、渤海(ぼっかい)の一帯統治を計画していた。

しかし、中華民国の袁世凱(えんせいがい/軍人→北洋派→中華民国総統)は「第一次世界大戦」に対して中立を宣言しており、日本軍でも勝手に中国大陸でもある山東半島(さんとうはんとう)のドイツ軍を侵攻する事はできない。

そこで日本は中華民国の袁世凱(えんせいがい/軍人→北洋派→中華民国総統)に対して圧力を掛けて、山東半島(さんとうはんとう)を統治するドイツを退却させる名目で攻撃の許可を出す。

こうして日本軍は一気に総攻撃を仕掛けてドイツ軍を撃退し、山東半島(さんとうはんとう)の占領下に置いた。

この頃の日本はアメリカやヨーロッパに目を着けられない様に、友好条約で確認を取りながらアジアの支配権を拡大してきた。

ところが「第一次世界大戦」の勃発でヨーロッパ諸国は、アジアに注力する事が出来なくなり、その隙を突いて日本は強気な姿勢を示す様になる。

311 /♪ FLOWING

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250923 - ラジオの友 URL

2025/09/23 (Tue) 10:33:31

◆◇◆其の二十八:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

日本の強気な姿勢の矛先(ほこさき)が中華民国の袁世凱(えんせいがい/軍人→北洋派→中華民国総統)に向き、日本に取って有利な条件を揃えた“対華二十一カ条要求”(たいかにじゅういちかじょうようきゅう)を突き付けた。

この“対華二十一カ条要求”(たいかにじゅういちかじょうようきゅう)の概要は、主に5ヶ条からなる。

第1号は山東省(さんとうしょう)問題。

日本軍がドイツ軍を撃退し占領下に置いた山東半島(さんとうはんとう)の権益を承認する事。

第2号は満州かつ内モンゴル問題。

遼東半島(りょうとうはんとう)の旅順(りょじゅん)から奉天(ほうてん/瀋陽)を経由して長春(ちょうしゅん/新京)まで向かう南満州鉄道の権益を1997年まで延長する事。

満州や内モンゴルの領域について、日本による統治の権限拡大など。

第3号は中国製鉄会社の共同経営。

中華民国の国営製鉄会社の漢冶萍公司(かんやひょうこんす)の共同経営。

第4号は中国大陸での領土保障。

中国大陸の東部の沿岸部に対する安全保障。

第5号は中国政権に日本人を投与など。

中華民国の政権や政府機関に日本人の役人を雇用する事。

中国大陸にて日本の病院や神社仏閣を設ける事など。

日本から“対華二十一カ条要求”(たいかにじゅういちかじょうようきゅう)を突き付けられ、当然に中華民国の袁世凱(えんせいがい/軍人→北洋派→中華民国総統)は承諾せず、要求を拒否してそのまま突き返した。

更にアメリカやヨーロッパに日本の横暴を暴露すると脅してきた。

これに対して日本は、1915年5月6日に“対華二十一カ条要求”(たいかにじゅういちかじょうようきゅう)の第5号を除いた条件を承諾する様に要求し、拒否すれば軍事行動に出ると脅してきた。

日本と中華民国の軍力差は雲泥で、怖気(おじけ)付いた袁世凱(えんせいがい/軍人→北洋派→中華民国総統)は、1915年5月9日に渋々に承諾した。

この事が中国大陸の全土に明るみとなり、中国の国民は『日本の軍事圧力に屈した中国の恥である。』として、5月6日と5月9日を“国恥記念日”(こくちきねんび)に制定した。

JAMIE CULLUM /♪ PHOTOGRAPH

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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250923 - ラジオの友 URL

2025/09/23 (Tue) 10:34:10

◆◇◆其の二十九:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

こんな中華民国の総統の“ストロングマン”と呼ばれる袁世凱(えんせいがい/軍人→北洋派→中華民国総統)が外交で弱腰の姿勢を見せた事で、中華民族に不信感が募(つの)った。

更に重鎮家臣でもある馮国璋(ふうこくしょう/軍人→政治家)と段祺瑞(だんきずい/軍人→政治家)も、袁世凱(えんせいがい/軍人→北洋派→中華民国総統)に対して反発した。

国民からも家臣からも見放され、窮地に追い込まれた袁世凱(えんせいがい/軍人→北洋派→中華民国総統)は奇策に出る。

何と滅亡させた王朝を復活させて、自らを皇帝に即位させたのである。

中華民国から中華帝国に国政を変更して、袁世凱(えんせいがい/軍人→北洋派→中華民国総統)は皇帝となった。

さすがに国民も家臣も呆(あき)れてモノも言えず、中国大陸の各地で反乱が勃発する。

これが1915年に起こった「中国第三革命」である。

中国大陸の南部に位置する雲南省(うんなんしょう)で挙兵した雲南護国軍は、中華帝国からの独立を目指して革命を起こした。

これに袁世凱(えんせいがい/軍人→北洋派→中華民国総統)は中華軍隊を進軍させて鎮圧に当たらせ、当初は雲南護国軍を追い込んでいった。

ところが、中華帝国の皇帝に就いた袁世凱(えんせいがい/軍人→北洋派→中華民国総統)に見切りをつけていたのは国外も同様で、特に隣国の日本は密かに雲南護国軍に軍事援助を始めていた。

これにより軍事力を増強した雲南護国軍は反撃に出て、中華軍隊を敗退に追い込んだ。

中華軍隊の敗北で袁世凱(えんせいがい/軍人→北洋派→中華民国総統)は、中華帝国の建国と皇帝の就任を廃止し白紙に戻した。

こうして袁世凱(えんせいがい/軍人→北洋派→中華民国総統)は退任し、中華民国の2代目総統に黎元洪(れいげんこう/軍人→政治家)が就任した。

そして黎元洪(れいげんこう/軍人→政治家)は、中華帝国の以前の国政に全て戻した。

しかし、袁世凱(えんせいがい/軍人→北洋派→中華民国総統)の圧倒的な軍事力まで、黎元洪(れいげんこう/軍人→政治家)は引き継げなかった為に、それが最大の弱点となる。

そこで黎元洪(れいげんこう/軍人→政治家)は、袁世凱(えんせいがい/軍人→北洋派→中華民国総統)の重鎮家臣だった馮国璋(ふうこくしょう/軍人→政治家)と段祺瑞(だんきずい/軍人→政治家)を重要な役職に就任させた。

そんな混乱が続く中華民国だが、1916年に混乱の原因を作った袁世凱(えんせいがい/軍人→北洋派→中華民国総統)が病死した。

ROBBIE WILLIAMS /♪ GO GENTLE

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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250923 - ラジオの友 URL

2025/09/23 (Tue) 10:34:48

◆◇◆其の三十:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

1917年に中華民国の軍事を掌握していた袁世凱(えんせいがい/軍人→北洋派→中華民国総統)が死去し、重鎮家臣だった馮国璋(ふうこくしょう/軍人→政治家)と段祺瑞(だんきずい/軍人→政治家)で軍事力の後継者争いが内部で勃発する。

馮国璋(ふうこくしょう/軍人→政治家)の政治思考は、議会重視的な穏健派で直隷派(ちょくれいは)と呼ばれた。

段祺瑞(だんきずい/軍人→政治家)の政治思考は、中央集権的な武闘派で安徽派(あんきは)と呼ばれた。

当然に意見は噛み合わず対立する。

中華民国の2代目総統に就任していた黎元洪(れいげんこう/軍人→政治家)の政治思考は、議会重視的な穏健派だった為に馮国璋(ふうこくしょう/軍人→政治家)と同調した。

そんな時にヨーロッパ大陸で繰り広げられる「第一次世界大戦」も終盤に差し掛かり、アメリカから中華民国に対して参戦の要請が来た。

この経済大国のアメリカからの依頼に高揚したのは武闘派で安徽派(あんきは)の段祺瑞(だんきずい/軍人→政治家)で、早速に「第一次世界大戦」に参戦の表明をする。

しかし、ここで「第一次世界大戦」に参戦すれば段祺瑞(だんきずい/軍人→政治家)に権力が集中する事を危惧した2代目総統の黎元洪(れいげんこう/軍人→政治家)と穏健派で直隷派(ちょくれいは)の馮国璋(ふうこくしょう/軍人→政治家)は、段祺瑞(だんきずい/軍人→政治家)を排除して「第一次世界大戦」の不参加を表明する。

中華民国の北京政府を解任された武闘派で安徽派(あんきは)の段祺瑞(だんきずい/軍人→政治家)は、出身地の安徽省(あんきしょう)を拠点に独立国家を宣言する。

しかも、中国大陸の各地でも段祺瑞(だんきずい/軍人→政治家)に同調した将軍が独立国家を宣言し始めた。

この事態に危機感を抱いた2代目総統の黎元洪(れいげんこう/軍人→政治家)は、清(しん)王朝の有力官僚だった張勲(ちょうくん/清官僚→政治家)に助けを求めた。

ところがである。

この張勲(ちょうくん/清官僚→政治家)は、清(しん)王朝が滅亡した1912年から、再興の機会を虎視眈々(こしたんたん)と狙っていた。

そして1917年に、その時が到来した。

中華民国の重鎮官僚となった張勲(ちょうくん/清官僚→政治家)は、北京政府の議会を解散させて、2代目総統の黎元洪(れいげんこう/軍人→政治家)に辞任の勧告を出して排除した。

更に中華民国は“共和制”(きょうわせい)を廃止して、清(しん)王朝は“君主制”(くんしゅせい)を復活させ、皇帝には第12代皇帝(ラストエンペラー)の愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ/皇帝)を即位させた。

さすがに、この状況は世界的に観ても理解し難く、“国恥記念日”(こくちきねんび)に指定してもいいくらいの謎の謀反(むほん)である。

この事態に2代目総統の黎元洪(れいげんこう/軍人→政治家)は、武闘派で安徽派(あんきは)の段祺瑞(だんきずい/軍人→政治家)を北京政府に呼び戻した。

段祺瑞(だんきずい/軍人→政治家)が率いる安徽派(あんきは)の軍隊は、抵抗する清(しん)王朝の軍隊を即座に壊滅させる。

それに清(しん)王朝の再興は中華民族からも認められず、愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ/皇帝)と張勲(ちょうくん/清官僚→政治家)は10日余りで更迭(こうてつ)された。

これを1917年に起こった「張勲復辟」(ちょうくんふくへき)と呼ぶ。

この2代目総統の黎元洪(れいげんこう/軍人→政治家)は、「張勲復辟」(ちょうくんふくへき)の混乱の責任を取って辞任し、後継者に穏健派で直隷派(ちょくれいは)の馮国璋(ふうこくしょう/軍人→政治家)を指名して3代目総統に就任させた。

この処遇に不満を募らせたのは、幻(まぼろし)の清(しん)王朝を討伐した武闘派で安徽派(あんきは)の段祺瑞(だんきずい/軍人→政治家)である。

中華民国の北京政府は内乱が続く事になる。

BEN FOLDS FIVE /♪ PHILOSOPHY

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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250923 - ラジオの友 URL

2025/09/23 (Tue) 10:35:28

◆◇◆其の三十一:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

北京政府の混乱の隙を突いたのが、日本に亡命し中華革命党を結成し最高指導者に就任していた孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)だった。

早速に孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)は中華民国に帰国し、出身地の広東省(かんとんしょう)を拠点に革命運動を開始した。

そして、北京政府に不満を持つ官僚や役人を広東省(かんとんしょう)に呼び寄せて、広東軍政府を組成した。

こうして中国大陸には、穏健派の馮国璋(ふうこくしょう/軍人→政治家)が率いる直隷派(ちょくれいは)と、武闘派の段祺瑞(だんきずい/軍人→政治家)が率いる安徽派(あんきは)と、武闘派の孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)が率いる広東軍政府の三つ巴(ともえ)となり、200年頃に起こった魏(ぎ)と呉(ご)と蜀(しょく)の“三国志”に準(なぞら)え“新三国志”と呼ばれた。

穏健派の馮国璋(ふうこくしょう/軍人→政治家)が率いる直隷派(ちょくれいは)は、戦乱を避けて調停(ちょうてい)で決定する事を示した。

武闘派の段祺瑞(だんきずい/軍人→政治家)が率いる安徽派(あんきは)は、南下して武力で制圧する事を示した。

武闘派の孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)が率いる広東軍政府は、北上して武力で制圧する事を示した。

この“新三国志”の政治思想を鑑(かんが)みて、中国大陸の中華民族が出した答えが穏健派の馮国璋(ふうこくしょう/軍人→政治家)が率いる直隷派(ちょくれいは)を支持して、武闘派の段祺瑞(だんきずい/軍人→政治家)が率いる安徽派(あんきは)と武闘派の孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)が率いる広東軍政府を政界から追放する事だった。

一先(ひとま)ず中華民国の内政は落ち着いた。

1917年に周恩来(しゅうおんらい/共産党→初代総理)は、日本に留学して大学受験の為に予備校に通っていた。

大正期の東京を見学する日々を過ごし、浅草や銀座にも足を運んだ。

周恩来(しゅうおんらい/共産党→初代総理)は、神田にある中華料理店の“漢陽楼”(かんようろう)に通い、安価な焼豆腐と肉団子スープが好物だったと言う。

この頃に“大正デモクラシー”(自由主義運動)の立役者で東京帝国大学の教授だった吉野作造(よしのさくぞう/大学教授)と出会い、“民本主義”の理論などを学ぶ。

しかし、周恩来(しゅうおんらい/共産党→初代総理)は大学受験に失敗し、中国に帰国する事になる。

日本の最後の日に京都の嵐山を観光し、日本との別れの歌を詠んでいる。

周恩来…⦅雨に中を二度、嵐山に遊ぶ。 両岸の青き松に、いく様かの桜混じる。⦆(雨中嵐山)

COUNTING CROWS /♪ ROUND HERE

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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250923 - ラジオの友 URL

2025/09/23 (Tue) 10:36:07

◆◇◆其の三十二:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

中国大陸の隣国とも言うべきロシア帝国では、1917年にレーニン(政治家→ソビエト創立者)などにより「ロシア革命」が勃発して、ロシア帝国の国王だったニコライ2世(ロシア皇帝)は1918年に処刑された。

ロシアを制圧したレーニン(政治家→ソビエト創立者)は、共産主義インターナショナルの意義を持つ政治思想のコミンテルン(国際共産主義運動)を実施する。

そして、ロシアにて“コミンテルン世界大会”を開催して、ヨーロッパや東南アジアなどの各国に参加を呼び掛けた。

湖南省(こなんしょう)の湘潭(しょうたん)の出身の毛沢東(もうたくとう/共産党→国家主席)は、レーニン(政治家→ソビエト創立者)が実施した「ロシア革命」とコミンテルン(国際共産主義運動)に感銘を受けて共産圏の政治思想に傾斜していく。

そんな時期の1918年11月に「第一次世界大戦」も終結しており、アメリカ大統領のウィルソン(第28代アメリカ大統領)は、世界大戦の反省から議会にて“十四カ条の平和原則”を提案した。

この“十四カ条の平和原則”の主な概要は下記に渡る。

①:各国の講和を優先して秘密外交を禁止

②:世界での船舶による航海や飛行機の航空の自由と安全の確保。

③:民族による領国の自決。

④:植民地の解放と、公正公平な解決。

⑤:国際平和機構(国際連盟)の創設など。

このアメリカ大統領のウィルソン(第28代アメリカ大統領)が提案した“十四カ条の平和原則”に、中華民国は賛同して中国大陸に残る日本からの植民地支配の解放を喜んだ。

しかし、この“十四カ条の平和原則”は、世界各国に対して拘束力は薄く、実際に遵守した国は少数で、植民地支配も不平等条約も継続した。

今まで通りに日本は、中国大陸の遼東半島(りょうとうはんとう)や山東半島(さんとうはんとう)、台湾、朝鮮半島などを占領下に置いた植民地とした。

これに反発した中華民族は1919年に北京にある紫禁城(しきんじょう)の天安門などで、『帝国主義反対、日本統治反対!』と叫びデモを起こした「五四運動」(ごしうんどう)を実施した。

その後の1919年にフランスのヴェルサイユ宮殿にて戦後処理が話し合われ、そこでイギリスとフランスとロシアの連合軍と帝国軍のドイツの講和条約として“ヴェルサイユ条約”が締結された。

しかし、ヴェルサイユ宮殿の会談に参加した中華民国は、日本の植民地支配に反発して共同調印を拒否した。

その為に中華民国は独自でドイツと講和条約の“中独平和回復協定”を締結している。

1920年にフランスのパリに留学していた鄧小平(とうしょうへい/共産党→ 人民解放軍元帥)は、「第一次世界大戦」により荒廃していたパリで学問を志す事ができず、日々の生活の為に労働に従事していた。

そんな時に同じくパリに来ていた周恩来(しゅうおんらい/共産党→初代総理)と出会い、ヨーロッパで活動していた中国の共産党ヨーロッパ支部に鄧小平(とうしょうへい/共産党→ 人民解放軍元帥)は入党する。

1921年に毛沢東(もうたくとう/共産党→国家主席)や陳独秀(ちんどくしゅう/中華革命家→共産党)など12人が、上海で中国の共産党を創設する。

1922年にロシアのレーニン(政治家→ソビエト創立者)によりロシア共和国が創立されて、その後、世界初となる社会主義国のソビエトが建国する。

同時期の1922年にアメリカにて「第一次世界大戦」の事後確認をするワシントン会議が開催された。

アメリカとイギリスとフランスとイタリアとオランダとベルギーとポルトガルと日本と中華民国の9国で会議が開かれ、“九カ国条約”が締結された。

“九カ国条約”の主な概要は、他国は中華民国の独立と行政的、領土的保全を約束し、門戸開放と機会均等の原則を承認した。

これにより日本はドイツから奪取(だっしゅ)した山東半島(さんとうはんとう)のみを中華民国に返還した。

この様な世界会議により“ワシントン体制”が整い、各国が友好的な立場で安定した世界の秩序を実現させた。

MATT NATHANSON /♪ SUSPENDED

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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250923 - ラジオの友 URL

2025/09/23 (Tue) 10:36:47

◆◇◆其の三十三:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

フランスに居た鄧小平(とうしょうへい/共産党→ 人民解放軍元帥)は、コミンテルン(国際共産主義運動)に参加し社会主義を学ぶ為にロシアのモスクワに渡り、その時に名前もドゾロフに改名した。

孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)は、1917年に起こった「張勲復辟」(ちょうくんふくへき)や1919年に起こった「五四運動」(ごしうんどう)による民衆の底力に驚き、有力者により結成された中華革命党を再編成し、志の高い優秀な民衆も参加させる国民党を組成した。

そして中華民国を統括していた北京政府に対して、国民党の孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)は対抗し1922年〜1924年の「北伐」(ほくばつ)を開始した。

この時期の北京政府には、1919年に死去した馮国璋(ふうこくしょう/軍人→政治家)の後任に就いた曹錕(そうこん/軍人→政治家)が率いる直隷派(ちょくれいは)と、段祺瑞(だんきずい/軍人→政治家)が率いる安徽派(あんきは)に加えて、満州を拠点とする張作霖(ちょうさくりん/盗賊→奉天派)が率いる奉天派(ほうてんは)の三つ巴(ともえ)の様相だった。

この三つ巴(ともえ)の中で、中華民族に最も不人気だったのは、武闘派の段祺瑞(だんきずい/軍人→政治家)が率いる安徽派(あんきは)だった。

この頃の日本は、段祺瑞(だんきずい/軍人→政治家)が率いる安徽派(あんきは)へ軍事支援を実施していたが、中華民国の世論を汲み取り段祺瑞(だんきずい/軍人→政治家)に見切りを付けて、新興派閥の張作霖(ちょうさくりん/盗賊→奉天派)が率いる奉天派(ほうてんは)を支持した。

この情勢を好機と捉えた曹錕(そうこん/軍人→政治家)が率いる直隷派(ちょくれいは)と張作霖(ちょうさくりん/盗賊→奉天派)が率いる奉天派(ほうてんは)は連携して、強靭な軍事力を持つ武闘派の段祺瑞(だんきずい/軍人→政治家)が率いる安徽派(あんきは)に攻撃を仕掛けて敗走させた。

しかし、この連携も長くは続かず、直ぐに曹錕(そうこん/軍人→政治家)が率いる直隷派(ちょくれいは)と張作霖(ちょうさくりん/盗賊→奉天派)が率いる奉天派(ほうてんは)は対立する。

この内戦は曹錕(そうこん/軍人→政治家)が率いる直隷派(ちょくれいは)が勝利した。

これを1922年に起こった「第一次奉直戦争」(だいいちじほうちょくせんそう)と呼ぶ。

GIN BLOSSOMS /♪ AS LONG AS IT MATTERS

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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250923 - ラジオの友 URL

2025/09/23 (Tue) 10:37:24

◆◇◆其の三十四:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

この時期の中国大陸の南部を拠点とする広東軍政府は、広東人による広東省(かんとんしょう)の統治を目指して、出身者でもある孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)が大総統に就任した。

この孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)の広東軍政府に急接近してきたのが、レーニン(政治家→ソビエト創立者)の思想を掲げるコミンテルン(国際共産主義運動)だった。

コミンテルン(国際共産主義運動)は、アメリカが主体となる“ワシントン体制”を批判し、ソビエトと中華民国は阻害されていると強調した。

こうして孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)は、共産圏と共に社会主義の思想に傾斜していく。

この社会主義の思想は、毛沢東(もうたくとう/共産党→国家主席)や陳独秀(ちんどくしゅう/中華革命家→共産党)などが率いる共産党と共通する為に協調する事になる。

北京政府を打倒すべく「北伐」(ほくばつ)を推進する国民党と、中国大陸の労働改革を推進する共産党は、目的意識の違いが妨害に当たらないとして“第一次国共合作”(だいいちじこっきょうがっさく)を締結した。

主な目的は、社会主義国家のソビエトと連携して、共産圏の拡大に尽力し、中国大陸の農業や工業の効率的な改革で向上させる事などが掲げられた。

更に共産党の党員を広東軍政府や国民党への受入や、北京政府を打倒すべく「北伐」(ほくばつ)への共産党の全面協力も約束された。

孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)は「北伐」(ほくばつ)を達成するには軍事力の強化が重要と考えて、広東省(かんとんしょう)の黄埔(こうほ)に軍人を養成する黄埔軍官学校(こうほぐんかんがっこう)を開校する。

黄埔軍官学校(こうほぐんかんがっこう)の校長には蒋介石(しょうかいせき/国民党)が就任し、生徒の面接官に共産党の毛沢東(もうたくとう/共産党→国家主席)も参加した。

STEVE AZAR /♪ NIGHTS LIKE THIS

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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250923 - ラジオの友 URL

2025/09/23 (Tue) 10:38:02

◆◇◆其の三十五:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

この時期の北京政府では、直隷派(ちょくれいは)の曹錕(そうこん/軍人→政治家)が多額の賄賂(ワイロ)で有権者を買収して、中華民国の5代目総統に就任していた。

この金権政治の曹錕(そうこん/軍人→政治家)に対して、中華民国の民衆の不満が高まり、世論を味方に着けた張作霖(ちょうさくりん/盗賊→奉天派)が率いる奉天派(ほうてんは)が北京政府で内乱を起こした。

軍事力では圧倒的に有利だった曹錕(そうこん/軍人→政治家)が率いる直隷派(ちょくれいは)だったが、賄賂(ワイロ)が蔓延(はびこ)る金権政治に嫌気が差していた直隷派(ちょくれいは)の官僚から離反が相次ぎ、その1人が馮玉祥(ふうぎょくしょう/軍人→北京派)だった。

馮玉祥(ふうぎょくしょう/軍人→北京派)は戦闘で混乱する直隷派(ちょくれいは)で謀反(むほん)を起こして、5代目総統の曹錕(そうこん/軍人→政治家)は拘束され監禁される。

これを1924年に起こった「第二次奉直戦争」(だいにじほうちょくせんそう)と呼ぶ。

中華民国の政権が不安定となり、中国大陸の各都市ではテロが多発する。

内乱で分裂状態にある直隷派(ちょくれいは)は、もはや統括できず張作霖(ちょうさくりん/盗賊→奉天派)が率いる奉天派(ほうてんは)との戦争ができる状態ではなかった。

そこで馮玉祥(ふうぎょくしょう/軍人→北京派)は、敵方ながら北京政府を打倒すべく「北伐」(ほくばつ)を推進する国民党の孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)に協力依頼を出す。

これに応えて孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)が率いる国民党は「北伐」(ほくばつ)を開始するが、上海で北京政府に依頼されたイギリス軍に行く手を阻(はば)まれ、仕方なく船で海で航海し日本に向かい、そこから再び船で航海し黄海から上陸する事にした。

その時に兵庫県神戸市の港に上陸した孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)は、日本で馴染みある知人や華僑(かきょう)を呼び寄せて講演を実施した。

孫文…『今、東洋の取り分けアジアの民衆は、西洋の強国により圧迫されており、公正公平で対等な関係を保てていない。 西洋の覇道(はどう)は化学や武力を保って他国を制圧するが、東洋の王道(おうどう)は仁義や道徳を重んじて関係を築く。 この日本は古来から神道(しんどう)や天皇を尊(とおと)い敬(うやま)い東洋の王道(おうどう)の先端を行く国家であるが、時代の変化を瞬時に捉えて西洋の覇道(はどう)も採り入れながら変革する柔軟性も持っている。 今や日本はアジア諸国の先導者となる立場なのである!』

これが有名な1924年に孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)が唱えた“大アジア主義講演”である。

その後、孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)が率いる国民党は、日本から船で航海して中国大陸の天津(てんしん)に到着した。

そして、北京に着いた孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)が率いる国民党は、馮玉祥(ふうぎょくしょう/軍人→北京派)が率いる直隷派(ちょくれいは)と合流した。

しかし、この時に既に孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)は病魔に侵され、戦線を離脱する。

その頃の1924年に、ソビエトの創設者のレーニン(政治家→ソビエト創立者)が死去する。

そして1925年に、“中国革命の父”と呼ばれ国民党を率いる孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)が死去する。

ALAIN CLARK /♪ IF I WAS THE PRIEST

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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250923 - ラジオの友 URL

2025/09/23 (Tue) 10:38:40

◆◇◆其の三十六:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

頼みの綱だった国民党の孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)が1925年に死去した事により、馮玉祥(ふうぎょくしょう/軍人→北京派)が率いる直隷派(ちょくれいは)は単独で張作霖(ちょうさくりん/盗賊→奉天派)が率いる奉天派(ほうてんは)と抗争する事になる。

馮玉祥(ふうぎょくしょう/軍人→北京派)はソビエトに軍事支援を要請し、これによりソビエトは共産党員を派遣し、その中にコミンテルン(国際共産主義運動)に参加していた鄧小平(とうしょうへい/共産党→ 人民解放軍元帥)も居た。

張作霖(ちょうさくりん/盗賊→奉天派)が率いる奉天派(ほうてんは)には、英俊豪傑(えいしゅんごうけつ)な軍人の郭松齢(かくしょうれい/奉天派→ 直隷派)が陣頭指揮を採っており、馮玉祥(ふうぎょくしょう/軍人→北京派)が率いる直隷派(ちょくれいは)は苦境に立たされる。

しかし、そんな時に奉天派(ほうてんは)の張作霖(ちょうさくりん/盗賊→奉天派)の政策や戦術に対して疑問を感じていた郭松齢(かくしょうれい/奉天派→ 直隷派)は寝返り、馮玉祥(ふうぎょくしょう/軍人→北京派)が率いる直隷派(ちょくれいは)に鞍替えした。

直隷派(ちょくれいは)の軍隊を率いる郭松齢(かくしょうれい/奉天派→ 直隷派)は獅子奮迅(ししふんじん)し、張作霖(ちょうさくりん/盗賊→奉天派)が率いる奉天派(ほうてんは)は苦戦して、満州の奉天(ほうてん)に構える本陣まで退却する。

しかし、ここで満州の一帯を占有し、南満州鉄道の権益を持つ日本が戦乱に介入してくる。

日本は1906年から、旅順(りょじゅん)に関東都督府(かんとうととくふ)を設置して、政治と軍事の行政機関を置いた。

そして南満州鉄道は、遼東半島(りょうとうはんとう)の旅順(りょじゅん)から奉天(ほうてん/瀋陽)を経由して長春(ちょうしゅん/新京)まで向かう鉄道網で、その沿線は日本が都市開発や不動産造成を実施し、多くの日本人も居住していた。

南満州鉄道の経営が軌道に乗ると、日本は遼東半島(りょうとうはんとう)の旅順(りょじゅん)の一帯を、関東州(かんとうしゅう)と言う日本流の名称に変更した。

この関東都督府(かんとうととくふ)は、政治部門を関東庁、軍事部門を関東軍に名称を改めた。

そんな日本の拠点とも言うべき満州で、中華民国の内乱が起こっている事を見過ごす事はできず、関東都督府(かんとうととくふ)は関東軍を進軍させて鎮圧にあたらせた。

また、苦戦していた張作霖(ちょうさくりん/盗賊→奉天派)が率いる奉天派(ほうてんは)は、日本と親密だった為に関東軍に保護してもらっている。

関東軍は、郭松齢(かくしょうれい/奉天派→ 直隷派)が率いる直隷派(ちょくれいは)に対して、南満州鉄道の沿線周辺に侵攻する事を禁止した。

これにより直隷派(ちょくれいは)の軍隊は、南満州鉄道の沿線周辺に近付く事ができず停滞し、そのまま奉天派(ほうてんは)は反撃に出て直隷派(ちょくれいは)を撃ち負かした。

そして1925年に、直隷派(ちょくれいは)の郭松齢(かくしょうれい/奉天派→ 直隷派)を拘束して銃殺した。

敗北した直隷派(ちょくれいは)の馮玉祥(ふうぎょくしょう/軍人→北京派)は、命の危険を感じてソビエトに亡命した。

こうして中華民国の北京政府は、張作霖(ちょうさくりん/盗賊→奉天派)が率いる奉天派(ほうてんは)が制圧した。

RADIOHEAD /♪ LUCKY

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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250923 - ラジオの友 URL

2025/09/23 (Tue) 10:39:18

◆◇◆其の三十七:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

一方で中国大陸の南部では、孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)の死去により、国民党の最高指導者は、軍隊の国民革命軍を掌握していた蒋介石(しょうかいせき/国民党)が就任した。

孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)は国民党の政治改革を、軍政期と訓政期と憲政期の3段階に別けて考え、最後に中華民国を“共和制”(きょうわせい)にする目標を掲げていた。

軍政期の国民革命軍の行動により、中国大陸の南部に広東軍政府が設けられ、孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)が大総統に就任した事で達成した。

続いて訓政期に入り、広東軍政府の指導政党になった国民党により政治を運営する段階だったが、孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)が死去した事で、その政策を蒋介石(しょうかいせき/国民党)が引き継いだ。

中華民国を統括していた北京政府に対して、孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)の意思を引き継いだ国民党の蒋介石(しょうかいせき/国民党)は1926年〜1928年の「北伐」(ほくばつ)を開始した。

以前に国民党と共産党は“第一次国共合作”(だいいちじこっきょうがっさく)を締結していた事もあり、国民党の蒋介石(しょうかいせき/国民党)は、敵対していた毛沢東(もうたくとう/共産党→国家主席)の共産党と和睦して同盟軍を結成する。

これにより広東軍政府の与党である国民党に、共産党の党員が多く参加する事になる。

しかし、中国大陸の農家と労働者の政治基盤を持つ共産党は、広東軍政府の国民党の中で勢力を増していく。

そんな時に国民党が所有する軍艦の中山艦(ちゅうざんかん)に共産党の党員が乗り込み、国民党の蒋介石(しょうかいせき/国民党)を拉致してソビエトに連行しようとした。

これは拿捕(だほ)未遂に終わったが、これにより国民党の蒋介石(しょうかいせき/国民党)は共産党への弾圧を強めていく。

これを1926年に起こった「中山艦事件」(ちゅうざんかんじけん)と呼ぶ。

W.A.S.P. /♪ HOLD ON TO MY HEART

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2025/09/23 (Tue) 10:39:54

◆◇◆其の三十八:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

「北伐」(ほくばつ)を続ける内に国民党の蒋介石(しょうかいせき/国民党)は、1927年に中国工農紅軍(ちゅうごくこうのうこうぐん)を結成した毛沢東(もうたくとう/共産党→国家主席)の共産党の勢力拡大に脅威を感じる様になる。

迫害を受ける共産党は、中国大陸の農家と労働者に呼び掛けて反乱を起こさせる。

そして湖北省(こほくしょう)の武漢に武漢国民政府を創立した。

共産党の中国工農紅軍(ちゅうごくこうのうこうぐん)は、中国大陸の各地で暴動を起こし、アメリカやイギリスの租界(そかい)まで侵攻し、破壊や暴行や略奪を繰り返していた。

この共産党の中国工農紅軍(ちゅうごくこうのうこうぐん)の横暴を観て、国民党の蒋介石(しょうかいせき/国民党)は密かに偽装した中国工農紅軍(ちゅうごくこうのうこうぐん)を組成し、アメリカとイギリスとフランスとイタリアと日本の領事館や居留地で、偽共産党の兵士により破壊や暴行や略奪を実施させた。

これに対して5ヶ国の首脳陣は、広東軍政府や武漢国民政府に対して猛抗議した。

国民党の蒋介石(しょうかいせき/国民党)は5ヶ国に対して、共産党の中国工農紅軍(ちゅうごくこうのうこうぐん)を討伐する事を確約する。

その際にアメリカなどがら軍事支援を受けた。

これにより国民党の蒋介石(しょうかいせき/国民党)は、共産党を排除する為に党員を対象にジェノサイド(集団殺戮)を実施した。

これを1927年に起こった「上海クーデター」と呼ぶ。

1928年に毛沢東(もうたくとう/共産党→国家主席)の共産党は表立って活動できず、地下活動に移行した。

この時に鄧小平(とうしょうへい/共産党→ 人民解放軍元帥)も上海で地下活動を実施し、その後、中国大陸の南西部に位置する広西省(こうせいしょう)の百色(ひゃくしょく)に移転して、農民を参加させた中国工農紅軍(ちゅうごくこうのうこうぐん)を指揮する。

DEXTER FREEBISH /♪ How Do I Get Through to You

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2025/09/22 (Mon) 19:36:44

CALCIA /♪ OIE MAMA

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2025/09/22 (Mon) 19:37:42

SANTANA /♪ CARNAVAL

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2025/09/22 (Mon) 19:38:40

MISS ABRAMS AND THE STRAWBERRY POINT 4TH GRADE CLASS /♪ FLOATING AWAY

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2025/09/22 (Mon) 19:39:39

MARCOS VALLE /♪ QUE QUE TEM

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2025/09/22 (Mon) 19:40:31

BOB AZZAM /♪ TEA FOR TWO

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2025/09/22 (Mon) 19:41:26

SERGIO MENDES & BRASIL '66 /♪ GOING OUT OF MY HEAD

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2025/09/22 (Mon) 19:42:25

SERGIO MENDES FEAT.GRACINHA LEPORACE AND GUINGA /♪ TANGARA

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2025/09/22 (Mon) 19:43:35

MILTON NASCIMENTO,ESPERANZA SPALDING /♪ A DAY IN THE LIFE

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2025/09/22 (Mon) 19:44:30

RASPBERRIES /♪ WAITING

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2025/09/22 (Mon) 19:45:29

DJAVAN /♪ BANHO DE RIO

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2025/09/22 (Mon) 19:46:29

GARY HOEY /♪ O HOLY NIGHT

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2025/09/22 (Mon) 19:47:24

BURT BACHARACH /♪ APRIL FOOLS

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2025/09/22 (Mon) 19:48:30

FRANCOISE HARDY /♪ C'EST BIEN MOI

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2025/09/22 (Mon) 19:49:26

FRANCOISE HARDY /♪ MEME SOUS LA PLUIE

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2025/09/22 (Mon) 19:50:25

LINDA LEWIS /♪ Beggars And Kings

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2025/09/22 (Mon) 19:51:19

BEACH HOUSE /♪ ASTRONAUT

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2025/09/22 (Mon) 19:52:15

RAY PRICE /♪ FOR THE GOOD TIMES

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2025/09/22 (Mon) 19:53:11

SKEETER DAVIS /♪ THE END OF THE WORLD

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2025/09/21 (Sun) 18:42:22

不思議ちゃん第19弾!

でわぁ、いってみよぉう!!

CHVRCHES /♪ GET OUT

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2025/09/21 (Sun) 18:43:18

ALESHA /♪ LIPSTICK

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2025/09/21 (Sun) 18:44:11

SARA BAREILLES /♪ GONNA GET OVER YOU

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2025/09/21 (Sun) 18:45:09

LIANNE LA HAVAS /♪ FORGET

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2025/09/21 (Sun) 18:46:06

WOLF ALICE /♪ JUST TWO GIRLS

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2025/09/21 (Sun) 18:47:13

Y2K & JOJO /♪ DAMAGE IS DONE

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2025/09/21 (Sun) 18:48:10

LILY ALLEN /♪ I COULD SAY

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SARA KAYS /♪ FUTURE KIDS

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2025/09/21 (Sun) 18:51:12

BRANDI CARLILE /♪ THE STORY

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2025/09/21 (Sun) 18:52:10

PATTI ROTHBERG /♪ INSIDE

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KARIMA FRANCIS /♪ WHEREVER I GO

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2025/09/21 (Sun) 18:54:03

STINA NORDENSTAM /♪ THE RETURN OF ALAN BEAN

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2025/09/21 (Sun) 18:55:00

ANGEL OLSEN /♪ HIGH AND WILD

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2025/09/21 (Sun) 18:55:57

FIONA APPLE /♪ CRIMINAL

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2025/09/21 (Sun) 18:56:52

MARIE DIGBY /♪ BRING ME LOVE

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2025/09/21 (Sun) 18:57:53

AURORA /♪ RUNAWAY

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2025/09/21 (Sun) 18:58:56

CORINNE BAILEY RAE /♪ DO YOU EVER THINK OF ME?

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2025/09/21 (Sun) 19:00:01

CORINNE BAILEY RAE /♪ ENCHANTMENT

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2025/09/21 (Sun) 19:00:58

CORINNE BAILEY RAE /♪ GREEN APHRODISIAC

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2025/09/19 (Fri) 22:29:59

◆◇◆其の一:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

歴史は時間の数珠繋(じゅずつな)ぎで、一度たりとも途切れた事は無い。

この歴史は、人によって見え方も価値観も変わってくる。

お金が大好きな拝金(はいきん)主義者には、“年前”を“万円”に置き換えると解り易(やす)い。

100年前の世界大戦までを語る者は、人生100万円の価値しかない愚人(ぐじん)の生涯を送る。

1000年前の平安時代までを語る者は、人生1000万円の価値の凡人(ぼんじん)の生涯を送る。

10000年前(1万年)の縄文時代までを語る者は、人生10000万円(1億円)の価値がある賢人(けんじん)の生涯を送る。

ここからも解る通り、どこまで歴史を遡及(そきゅう)して理解し語っているかが重要になってくる。

その口から出る歴史観で、その人物像と価値観までもが視えてくる。

歴史を学べば、価値の無い国民性と、価値の有る人間性の違いが分別(ふんべつ)できる様になる。

特に日本では、隣国の中国や韓国と歴史観の違いから、政治でも国民でも軋轢(あつれき)が生まれている。

ゴリ押しに仲良くしろと言っても、内に秘めた心情までは制御(コントロール)できない。

では、この中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観を、日本を基準に地球の常識的な時間から少し遡(さかのぼ)って観てみよう。

ONLY CRIME /♪ TAKE ME

◆ラジオの友◆

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2025/09/19 (Fri) 22:30:54

◆◇◆其の二:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

古来から中国大陸の隋(ずい)や唐(とう)などの帝国は、朝鮮半島や倭国(日本)を従属(じゅうぞく)させて、中華民族の皇帝が臣従(しんじゅう)する国の防衛や制度を支援する冊封(さくほう)を施し、替わりに服従(ふくじゅう)する国の朝鮮民族や大和民族は貢物(みつぎもの)を贈る朝貢(ちょうこう)で主従関係により和平を保っていた。

歴史的な価値から観れば、朝鮮民族や大和民族は、中華民族に対して許し難(がた)い行為である。

古墳時代の200年頃に、倭建御子(ヤマトタケルノミコ)の息子の帯中日子天皇(タラシナカツヒコノスメラミコト)が第14代天皇の仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)として即位(そくい)した。

第14代天皇の仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)は、筑紫国(つくしのくに/福岡県)の訶志比宮(かしいのみや/香椎宮)を拠点とし、この時、正妻となる息長帯比売命(オキナガタラシヒメノミコト)こと神功皇后(じんぐうこうごう)とその子供の品夜和気命(ホムヤワケ)も同行していた。

因みに、神功皇后(じんぐうこうごう)の母方の家系は朝鮮半島の新羅(しらぎ)の皇族である。

仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)は天社(あまつやしろ)の天津神(あまつのかみ)の逆鱗(げきりん)に触れて崩御(ほうぎょ)してしまうが、その後継を神功皇后(じんぐうこうごう)が引継ぎ、シャーマン(呪術師)の力を持って軍事戦略を神託(しんたく)で占っていた。

そこで実施したのが朝鮮半島の高句麗(こうくり)、百済(くだら)、新羅(しらぎ)に侵略する“三韓征伐”で、妊娠中の神功皇后(じんぐうこうごう)はお腹に鎮懐石(ちんかいせき)を巻いてヤマト軍の船団を率いた“第1次朝鮮出兵”を実施した。

この“第1次朝鮮出兵”に勝利したヤマト軍の船団は、筑紫国(つくしのくに/福岡県)の糟屋(かすや)に寄港し、この地で神功皇后(じんぐうこうごう)は赤ちゃんを出産した。

ここで大鞆和気命(オホトモワケ)こと第15代天皇の応神天皇(おうじんてんのう)が誕生したのである。

この時に初めて倭国(日本)は朝鮮半島を占領したのである。

歴史的な価値から観れば、朝鮮民族は、大和民族に対して許し難(がた)い行為である

古墳時代の500年頃の第26代天皇の継体天皇(けいたいてんのう)の就任中の時期に、朝鮮半島では動乱が起こっていた。

北部を領国とする高句麗(こうくり)が侵攻を始めて南下し、南西部を領国とする百済(くだら)、南東部を領国とする新羅(しらぎ)の領土を侵略していった。

その頃の倭国(日本)のヤマト政権は、朝鮮半島の南端部の任那(みまな)を領地としていた。

ただ、この任那(みまな)が新羅(しらぎ)に侵略される。

ヤマト政権は任那(みまな)の奪還を目指して百済(くだら)と同盟を締結して、“第2次朝鮮出兵”を計画していた。

そこで朝鮮半島に近い九州の筑紫国(つくしのくに)を領国統治していた大王(おおきみ)の筑紫君石井(ちくしのきみいわい)に協力要請をする為に、ヤマト政権の将軍の近江毛野(おうみけな/大和)を勅使(ちょくし)として筑紫国(つくしのくに)に派遣する。

しかし、筑紫君石井(ちくしのきみいわい)は朝鮮半島の新羅(しらぎ)と同盟し、ヤマト政権に反乱を起こす。

ただ、筑紫君石井(ちくしのきみいわい)はヤマト政権に敗北して討死した。

これを527年に起こった「磐井の乱」(いわいのらん)と呼ぶ。

こうしてヤマト政権は、筑前国(福岡県)の糟屋(かすや)の屯倉(みやけ)を、中国大陸や朝鮮半島の交易の拠点とした。

それと筑紫国(つくしのくに)をはじめ西日本の出先機関として筑前国(福岡県)に太宰府(だざいふ)を設置した。

これにより朝鮮半島の新羅(しらぎ)からの軍備援助を受けて盤石の体制を整える。

更に朝鮮半島の任那(みまな)を、ヤマト政権の占領地として整備した。

歴史的な価値から観れば、朝鮮民族は、大和民族に対して許し難(がた)い行為である

飛鳥時代の618年頃、中国大陸の情勢で変化があり、国が隋(ずい)から唐(とう)へ政権交代があった。

この影響で661年に中国大陸の唐(とう)が朝鮮半島の新羅(しらぎ)と同盟を結び百済(くだら)を攻撃した。

百済(くだら)はヤマト政権に援軍を要請した為に、大和国(奈良県)から朝鮮半島にヤマト軍を派遣する。

これが“第3次朝鮮出兵”である。

この時に百済(くだら)と同盟関係にあった倭国(日本)も朝鮮半島に援軍を送ったが大敗し、白村江(はくすきのえ)は百済(くだら)と倭国(日本)の戦死者により血で赤く染まり、まさに“血の海”となった。

これで百済(くだら)は完全に滅亡する。

これを663年に起こった「白村江の戦」(はくすきのえのたたかい)と呼ぶ。

その後、新羅(しらぎ)が中国大陸の唐(とう)に攻撃して追い出し、高句麗(こうくり)も滅ぼして朝鮮半島の統一を果たす。

歴史的な価値から観れば、朝鮮民族や大和民族は、中華民族に対して許し難(がた)い行為である。

TURBOWOLF /♪ DOMINO

◆ラジオの友◆

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2025/09/19 (Fri) 22:31:46

◆◇◆其の三:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

中国大陸など壮大な領土を支配するモンゴル帝国の元(げん)。

その都(みやこ)である大都(北京)に君臨するフビライハン(元皇帝)は、倭国(日本)に対して侵攻の命令を下(くだ)す。

こうしてモンゴル軍は、朝鮮半島から軍艦を連ねて大軍で押し寄せてきた。

これにより8代目の北条時宗(ほうじょうときむね/鎌倉)は、相模国(神奈川県)の鎌倉幕府から遠く1000kmほど離れた九州の博多に向けて“異国警固番役”(いこくけいごばんやく)を発布した。

先(ま)ずモンゴル軍は対馬半島(つしまはんとう)の小茂田浜(こもだはま)に上陸し、対馬国(長崎県)の守護代を担う宗助国(そうすけくに/鎌倉)と対戦して勝利し、島内を占領して拠点を設けた。

これにより幕府軍の宗助国(そうすけくに/鎌倉)は討死した。

そしてモンゴル軍は壱岐島(いきのしま)も制圧して、東松浦半島から迂回して博多湾から九州本土への上陸を開始する。

モンゴル軍は二手(ふたて)に別れてモンゴル1号軍は百道原(ももちはら)、モンゴル2号軍は筥崎宮(はこざきぐう)から侵攻を開始した。

モンゴル軍は福崎丘陵(ふくざききゅうりょう)の赤坂山(福岡城)に本陣を構えた。

一方、幕府軍の総大将に任命された筑前国(福岡県)の武将の少弐景資(しょうにかげすけ/鎌倉)は、兄の少弐経資(しょうにつねすけ/鎌倉)と共に博多に本陣を構えた。

これにより鎌倉幕府の武将が“博多の陣”(はかたのじん)に集結し始めた。

その中で肥後国(熊本県)の菊池氏に属する武士の竹崎季長(たけさきすえなが/鎌倉)も、筥崎宮(はこざきぐう)の街道を駆け抜けて、千代の松原(福岡県庁)を通り“博多の陣”(はかたのじん)に到着した。

幕府軍の総大将の少弐景資(しょうにかげすけ/鎌倉)は、モンゴル軍が本陣を構える福崎丘陵(ふくざききゅうりょう)の赤坂山(福岡城)を、下手(したて)から攻め込むのは危険があるとして、モンゴル軍が攻撃してくるのを待つ“後手必勝の策”に出る。

ところが肥後国(熊本県)の武将の菊池武房(きくちたけふさ/鎌倉)が、総大将の命令を無視して家臣の竹崎季長(たけさきすえなが/鎌倉)などと共に、赤坂山(福岡城)のモンゴル軍の本陣を一気に攻め落とす。

この幕府軍の奇襲作戦に驚いたモンゴル軍は、鹿原山(そはらやま/祖原山)まで退陣する。

その後、幕府軍とモンゴル軍は鳥飼(とりかい)の塩屋の松にて、激戦が繰り広げられる。

ただ、モンゴル軍の弓で射(い)る毒矢で命を落としたり、てつはう(爆弾)の投擲(とうてき)により爆死したり、戦法の違いから幕府軍は苦戦した。

そして、博多湾の沖合で待機していたモンゴル軍の予備隊が多々良川(たたらがわ)から上陸して、幕府軍を挟み討ちにする陣営となり、幕府軍は撤退して水城(みずき)に入り、その後に太宰府(だざいふ)に布陣した。

その晩、“太宰府の陣”(だざいふのじん)から北西部を眺めると、博多周辺に火を放ったモンゴル軍により夜空が真っ赤に染まっていた。

そして一夜が明けて・・・

博多周辺に布陣していたモンゴル軍の兵士は1人も居らず、博多湾の海域には軍艦が1隻も無く消えていた。

これを1274年に起こった“文永の役”(ぶんえいのえき)または第1次の元寇(げんこう/蒙古襲来)と呼ぶ。

歴史的な価値から観れば、大和民族は、中華民族や朝鮮民族に対して許し難(がた)い行為である。

STARS IN STEREO /♪ FAIR-WEATHER FRIEND

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250919 - ラジオの友 URL

2025/09/19 (Fri) 22:32:42

◆◇◆其の四:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

倭国(日本)から突如に消えたモンゴル軍は、モンゴル帝国の元(げん)が拠点とする都(みやこ)である大都(北京)に戻り、そこで君臨するフビライハン(元皇帝)に報告した。

こうして再び元(げん)のフビライハン(元皇帝)から、倭国(日本)の鎌倉幕府に宛てて国書が送達される事となる。

1275年に国書を持参させた使者を遣わせて、元(げん)から朝鮮半島の北部に位置する高麗(こうらい)に行き、従属(じゅうぞく)していた高麗(こうらい)の使節団に倭国(日本)の鎌倉幕府に国書を渡す様に命じる。

高麗(こうらい)の使節団は、先(ま)ずは九州に上陸して太宰府(だざいふ)に行き、そこから相模国(神奈川県)の鎌倉幕府に到着して8代目の北条時宗(ほうじょうときむね/鎌倉)に謁見(えっけん)して手渡した。

国書の内容は穏和な文章で綴(つづ)っていたが、内容はこんな感じだった。

⦅世界最強のモンゴル軍との合戦で敗北した島国の倭国(日本)は、中国大陸の大国でもある元(げん)に臣従(しんじゅう)する道しか残されていない。⦆

この元(げん)からの国書を拝見した北条時宗(ほうじょうときむね/鎌倉)はこう述べた。

北条時宗…『この不吉な元(げん)の国書を焼き捨てて、高麗(こうらい)の使節団は全員を斬首して晒し首(さらしくび)にせいっ!』

こうして鎌倉の鶴岡八幡宮に通じる参道には、高麗(こうらい)の使者達の晒し首(さらしくび)がズラリと並ぶ。

北条時宗(ほうじょうときむね/鎌倉)は、九州の博多での合戦で幕府軍が思った以上に苦戦した事を教訓として海外対策を講じる。

先(ま)ず、博多湾の海岸一帯に石塁(せきるい)を設けて、モンゴル軍が容易に上陸できない様にした。

いつまで待っても倭国(日本)から国書の返答が無いフビライハン(元皇帝)は憤(いきどお)っていた。

この頃、モンゴル帝国の元(げん)は、中国大陸を南下して南宋(なんそう/杭州)の侵略に成功していた。

これにより南宋(なんそう/杭州)で仏門に入って修行をしていた僧侶が、元(げん)の迫害から逃れて海を渡り倭国(日本)に来ていた。

この南宋(なんそう/杭州)の僧侶から鎌倉幕府は、モンゴル帝国の元(げん)の情報収集を行なっていた。

モンゴル軍は朝鮮半島の東路軍(とうろぐん)4万人と、中国大陸の南宋(なんそう/杭州)の江南軍(こうなんぐん)10万人の二手(ふたて)に別れて進撃の準備をしていた。

ところが、南宋(なんそう/杭州)の江南軍(こうなんぐん)を率いる大将軍がウイルスに感染して病気になり、兵士も自宅待機となって進軍の準備が遅れる事になる。

そうした中でモンゴル軍は、朝鮮半島の東路軍(とうろぐん)4万人を乗せた軍艦により、大軍で倭国(日本)に向けて出航する。

先(ま)ず東路軍(とうろぐん)は対馬半島(つしまはんとう)と壱岐島(いきのしま)を制圧した。

ここで東路軍(とうろぐん)は二手(ふたて)に別れて東路1号軍は筑前国(福岡県)の博多湾、東路2号軍は長門国(山口県)の長門(ながと)から侵攻を開始した。

ただ今回の合戦では、鎌倉幕府が博多湾の海岸一帯に石塁(せきるい)を設けて、モンゴル軍が容易に上陸できない様にしていた為に、東路1号軍の舟は海上で待機する事となる。

その晩になると肥後国(熊本県)の武将の菊池武房(きくちたけふさ/鎌倉)が、家臣の竹崎季長(たけさきすえなが/鎌倉)などを引き連れて舟に乗り、寝静まった東路1号軍の舟に乗り込みモンゴル軍の兵士を斬首して、舟に火を着けて積載されたてつはう(爆弾)に引火させ爆破していった。

この幕府軍の夜襲に驚いたモンゴル軍の東路1号軍は撤退して、博多湾の出先にある志賀島(しかのしま)に上陸して布陣する。

更に幕府軍の猛攻撃に遭い、こうしてモンゴル軍の東路1号軍は壱岐島(いきのしま)に退陣した。

長門国(山口県)の長門(ながと)から上陸した東路2号軍も苦戦して東路1号軍と壱岐島(いきのしま)で合流した。

既(すで)に東路軍(とうろぐん)は意気消沈して戦う気力は低減していた。

そんなモンゴル軍の兵士の想いとは裏腹に、元(げん)の軍本部からは倭国(日本)侵攻の指示が矢継ぎ早に飛ぶ。

そこで漸(ようや)く現れたのが、中国大陸の南宋(なんそう/杭州)から侵攻して来た江南軍(こうなんぐん)10万人の軍勢である。

モンゴル軍は作戦を変更して、筑前国(福岡県)の博多湾からの上陸を取り止め、肥前国(長崎県)の平戸(ひらど)から上陸する事にした。

そして肥前国(長崎県)の鷹島(たかしま/松浦)には、幕府軍が侵攻してモンゴル軍と激戦を繰り広げた。

お互いの軍力に差は無く、一進一退の攻防が続き、一先(ひとま)ずは引き分けとなる。

夜も明けて幕府軍が再び戦地に向かうと、平戸(ひらど)に布陣していたモンゴル軍の兵士は1人も居らず、鷹島(たかしま/松浦)の海域には軍艦が1隻も無く消えていた。

これが1281年に起こった“弘安の役”(こうあんのえき)または第2次の元寇(げんこう/蒙古襲来)と呼ぶ。

歴史的な価値から観れば、大和民族は、中華民族や朝鮮民族に対して許し難(がた)い行為である。

ADELITAS WAY /♪ Sick

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250919 - ラジオの友 URL

2025/09/19 (Fri) 22:33:40

◆◇◆其の五:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

戦国時代の豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)にとって朝鮮半島は進軍の通り道に過ぎず、真の目的は中国大陸の明(みん)であり、最終的にはロシアからヨーロッパまでを領国にする世界征服である。

この壮大な構想は、織田信長(おだのぶなが/織田)が近江国(滋賀県)の安土城(あづちじょう/近江八幡)の天守閣から、琵琶湖を望みながら思い描いた構想でもある。

その殿の横には、地球儀がクルクルと回っていた。

1590年に相模国(神奈川県)で起こった「小田原城攻め」で、伊勢北条氏4代目の北条氏政(ほうじょううじまさ/伊勢北条)を自害に追い込み、その息子の伊勢北条氏5代目の北条氏直(ほうじょううじなお/伊勢北条)に降伏させ感服(かんぷく)させた事により、豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)は“天下統一”を果たした。

これで日本には合戦の無い、みんなが仲良しこよしの平和な時代が到来したが、ただ、それにより大きな問題も発生した。

戦(いくさ)を仕事にしていた武士と、領国統治と領土拡大させてきた武将の、役割と出番が無くなった事である。

この問題は織田信長(おだのぶなが/織田)も見据えていた為に、当然に直参(じきさん)家臣の豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)の頭にもプログラムされている。

この動機が“朝鮮出兵”であり、“世界統一”である。

要は日本で活躍していた武将と武士を海外移住させて、今まで通りの職務に就いてもらい、領土拡大と合戦に従事してもらう。

こうして1591年に勇猛果敢な名門武将を集合させて、朝鮮半島に向けて肥前国(佐賀県)の名護屋城(なごやじょう/唐津)を築城し、30万人の軍隊を配備する。

この時期の中国大陸の明(みん)と朝鮮半島の李氏朝鮮(りしちょうせん)は、明(みん)の冊封(さくほう)と李氏朝鮮(りしちょうせん)の朝貢(ちょうこう)を実施する主従関係が成立していた。

肥前国(佐賀県)の名護屋城(なごやじょう/唐津)から軍艦で出陣した名だたる武将が率いる日本軍の15万人の軍勢。

これに対して李氏朝鮮(りしちょうせん)は、朝鮮半島の南側で軍艦を配備して徹底抗戦の構えを朝鮮軍は見せていた。

しかし、日本軍の総攻撃で朝鮮軍は惨敗して、朝鮮半島に上陸を許してしまう。

その後は、各武将が四方八方に進軍して、李氏朝鮮(りしちょうせん)の首都でもある漢城府(かんじょうふ/ソウル)を包囲した。

序盤は連戦連勝だった日本軍だが、慣れない土地と軍力を分散させた事により劣勢になる。

最大の問題が日本から補給される兵糧で、日本軍の全軍に行き渡らせる流通経路を朝鮮軍に分断され、日本軍の食糧が滞る様になる。

朝鮮水軍によるゲリラ戦術で、日本軍の補給船が次々と撃沈された事も痛手となる。

日本軍は朝鮮半島の北部にある平壌(ピョンヤン)に進軍を始めたが、途中の山岳地帯に潜む朝鮮軍のゲリラ部隊に行く手を阻(はば)まれる。

しかし、日本軍の大軍の前では多勢に無勢で、平壌(ピョンヤン)は落城して李氏朝鮮(りしちょうせん)の皇族は捕獲される。

ここで日本の本気度を悟った中国大陸の明(みん)の皇帝である万暦帝(ばんれきてい/明皇帝)が、ようやく朝鮮半島に明軍を侵攻させるが、時既(ときすで)に遅し。

勝戦気分で高揚する荒ぶる日本軍の武士に対して、明軍はことごとく討ち破られ大敗する。

これにより日本の豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)と、明(みん)の万暦帝(ばんれきてい/明皇帝)は和平交渉の準備に取り掛かる。

これを1592年に起こった「文禄の役」(ぶんろくのえき)または“第4次朝鮮出兵”と呼ぶ。

歴史的な価値から観れば、朝鮮民族や中華民族は、大和民族に対して許し難(がた)い行為である。

ZEBRAHEAD /♪ POSTCARDS FROM HELL

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250919 - ラジオの友 URL

2025/09/19 (Fri) 22:34:35

◆◇◆其の六:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

豊臣政権の主君の無謀な政策の為に、再び肥前国(佐賀県)の名護屋城(なごやじょう/唐津)に集結した名だたる武将。

そして石田三成(いしだみつなり/豊臣)は参戦せずに日本に残って、豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)に戦況を伝える伝令者(でんれいしゃ)に徹した。

今回の“朝鮮出兵”では、前回の失策を検討して作戦を改めて、朝鮮半島の全域を軍隊を別けて進軍するのではなく、南朝鮮に領土を確保してお城を築き、軍備や兵糧を確保できる体制を整えてから少しずつ北上侵攻する事とした。

日本軍は肥前国(佐賀県)の名護屋城(なごやじょう/唐津)から多数の軍艦で出航して、朝鮮半島南部の釜山(プサン)に上陸を試みる。

この時に李氏朝鮮(りしちょうせん)の朝鮮軍も、港湾に軍艦を並べて防衛していた。

そして海上で日本軍と朝鮮軍が軍艦同士で交戦し、激戦が繰り広げられ次々と炎上する船や、海に飛び込む兵士により、穏やかな海は凄惨(せいさん)な戦場と化していた。

これを1597年に起こった「漆川梁海戦」(しっせんりょうかいせん)と呼ぶ。

日本軍の勢いは止まる事を知らず、釜山(プサン)に上陸してから進撃を続けて、朝鮮半島南部の制圧を完了する。

そして、次はお城の建設を始め、先(ま)ずは蔚山城(ウルサンソン)を築き加藤清正(かとうきよまさ/豊臣→徳川)が居城した。

この日本軍の蔚山城(ウルサンソン)を、明軍と朝鮮軍の連合軍は5万人の軍勢で総攻撃した。

これには百戦錬磨で戦(いくさ)上手の加藤清正(かとうきよまさ/豊臣→徳川)も窮地に追いやられる。

そこに各々の猛将による2万人の軍勢を率いた援軍が駆け付ける。

これにより戦況は逆転し、明軍と朝鮮軍の連合軍は2万人の戦死者を出して敗北を来(き)す。

これを1598年に起こった「蔚山城の戦」(うるさんそんのたたかい)と呼ぶ。

ただ、日本軍にとっての大勝利でも、日本の豊臣政権にとっては暗転(あんてん)の引き金となった。

その日本では、1598年に山城国(京都府)の伏見城で病気により床に伏せていた豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)が死去したのである。

ただ、朝鮮半島で戦っている日本軍の武将に、直(す)ぐには知らされなかった。

「蔚山城の戦」(うるさんそんのたたかい)の敗北により明軍と朝鮮軍の連合軍は10万人の軍勢を整えて、李氏朝鮮(りしちょうせん)の首都でもある漢城府(かんじょうふ/ソウル)から出陣した。

島津義弘(しまづよしひろ/島津→豊臣→徳川)が守るお城には、明軍の5万人の軍勢が包囲した。

しかし、鎌倉時代から戦闘集団として鍛えられてきた島津氏であり、先(ま)ずは明軍の兵糧倉庫を焼き討ちにして長期戦を出来なくし、お城に大軍で押し寄せてくる兵士をお家芸でもある“釣り野伏せ”(つりのぶせ)で、ある一定の位置にまで来た時に隠れていた伏兵の鉄砲(火縄銃)で総攻撃を浴びせた。

しかも、お城まで辿(たど)り着けたとしても、その城郭には地雷が埋められており爆死する兵士が多発する。

これらにより明軍は3万人近い兵士が戦死した。

この戦術により、アジア大陸で“鬼島津”(おにしまづ)と呼ばれる島津義弘(しまづよしひろ/島津→豊臣→徳川)の武勇伝である。

この頃になると豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)の死去は日本軍に周知され、朝鮮半島から撤退し始める。

これを1596年に起こった「慶長の役」(けいちょうのえき)または“第5次朝鮮出兵”と呼ぶ。

歴史的な価値から観れば、朝鮮民族や中華民族は、大和民族に対して許し難(がた)い行為である

Rancid /♪ THE 11TH HOUR

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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250919 - ラジオの友 URL

2025/09/19 (Fri) 22:35:32

◆◇◆其の七:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

明治期の1889年に日本の憲法を制定した「憲法発布の式典」を実施し、“大日本帝国憲法”が発布された。

明治維新により欧米列強(おうべいれっきょう)に倣(なら)い、“自由”と“平等”の資本主義を掲げた日本国家を形成しようとした。

ところが、アジア大陸を植民地にする悪弊(あくへい)まで感化(かんか)され、明治政府は右に倣(なら)えとなってしまった。

要は植民地支配である。

日本もヨーロッパ諸国からの侵攻を恐れつつ、欧米列強(おうべいれっきょう)と肩を並べる為に富国強兵を推進して強大国家を形勢させる為に、清(しん)王朝の満州や大韓帝国への侵攻を伺(うかが)っていた。

その為に1894年に起こった「日清戦争」で日本軍は勝利して、清(しん)王朝と大韓帝国は日本に対して感服(かんぷく)の意を示す。

明治政府は“第6次朝鮮出兵”により1910年に「韓国併合」を実施した。

歴史的な価値から観れば、朝鮮民族や中華民族は、大和民族に対して許し難(がた)い行為である。

1914年7月〜1918年11月に起こった「第一次世界大戦」の前後に、産業革命の余波で機械化された兵器や武器により戦争の形式が変わり、世界中のどこかで戦争が勃発している時代に入った。

1937年に起こった「盧溝橋事件」(ろこうきょうじけん)を起因とする日本と中華民国による「日中戦争」が起こる。

そして日本軍は中国大陸に満州国を建国して、台湾や朝鮮半島の大韓帝国を占領下に置いた植民地とした。

そんな中国大陸を侵攻する最中(さなか)に起こったのが1937年の「南京大虐殺」(南京事件)で、中国軍の兵士や一般民衆に対してジェノサイド(集団殺戮)を実施した。

そんな中でヨーロッパでは1939年9月〜1945年8月に「第二次世界大戦」が起こる。

そして、日本はアメリカを相手に1941年に「真珠湾攻撃」を起こして「太平洋戦争」に突入する。

その後の1945年にアメリカ軍は広島と長崎に原子爆弾を投下し、その数日後に日本の無条件降伏により終戦を迎える。

しかし、戦争はここでは終わらず、日本が植民地にしていた朝鮮半島にて朝鮮民族の解放を目的に、資本主義国家のアメリカと社会主義国家のソビエトと中国の代理戦争が勃発する。

その副作用で朝鮮半島は南北に分断され、朝鮮半島の38度線を境に、1948年に北朝鮮と大韓民国(韓国)が建国され、1950年〜1953年まで続いた「朝鮮戦争」が勃発した。

歴史的な価値から観れば、朝鮮民族や中華民族は、大和民族に対して許し難(がた)い行為である。

中華民族と朝鮮民族と大和民族、お互いに想う所はある。

ただ、天界であれ、宇宙であれ、地球であれ、それが“正義”では無い。

現在でも数百年数千年の歴史は繋がっている。

日本第二の大都市でもある大阪では、“いしん”をかけた日本の国賊により、大阪へ移住してきた中華民族の支配体制によって、中国の占領下に置かれ植民地となったのは大阪府である。

これにより880万人の大阪府民は、“いしん”を込めてコミンテルン(国際共産主義運動)を信仰する共産圏の信者の扱いを日本で受けている。

大阪弁や文化など日本人とは違う事を、“いしん”を込めてやたらとアピールする大阪人は、敬愛する中華民族の一員であると言う自負(じふ)と尊厳(そんげん)の表れでもある。

大阪市と姉妹都市を提携する上海にて、1937年の「日中戦争」の時に「第二次上海事変」(だいにじしゃんはいじへん)の後に中華民国維新政府(ちゅうかみんこくいしんせいふ)を創設した縁もある。

中国に臣従(しんじゅう)し植民地となった大阪府はJR大阪駅前の広大な原っぱに、少なくとも親日家だった“中国革命の父”の孫文(そんぶん/中国革命家→国民党)と“中華人民共和国の建国功労者”の周恩来(しゅうおんらい/共産党→初代総理)の40m(10階建相当)の銅像を“いしん”を込めて建造すべきである。

更に、台湾への政治的圧力として、その日本の国賊は、“いしん”を掛けて沖縄県を軍事拠点とするべく、中国の占領下に置いた植民地にする事に尽力している。

地球の人間と人間が戦い合う、目に見える戦争、目に視えない戦争、それがいつまでも続いている。

その人間は、あなたもその1人である。

THE JAM /♪ AWAY FROM THE NUMBERS

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250919 - ラジオの友 URL

2025/09/19 (Fri) 22:36:25

◆◇◆其の八:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

●●●1644年〜1912年 清(しん)王朝●●●

中国大陸は古来から、近隣の朝鮮半島や倭国(日本)に対して主従関係を締結していた。

特に陸地で繋がる朝鮮半島は、1000年余り臣従(しんじゅう)している。

それは清(しん)王朝になっても同じで、大韓帝国は服従(ふくじゅう)する事で守護してもらっていた。

清(しん)王朝が皇帝を認可したり軍事による防衛の冊封(さくほう)に対して、大韓帝国は貢物(みちぎもの)を贈る朝貢(ちょうこう)で友好関係を保っている。

しかし、西洋のヨーロッパ大陸などが鉄とガラスの発明により産業革命で近代化する中で、各帝国は国交による条約を締結して友好関係を築いていた。

一方の東洋は、大国が小国の面倒を見る冊封(さくほう)と朝貢(ちょうこう)の主従関係を築いていた。

西洋は産業の近代化と軍事の強化により、発展途上国にある東洋の各国を占領下に置いて植民地にしていった。

インドはイギリス領、ベトナムなどインドシナはフランス領、インドネシアなど南アジアはオランダ領となる帝国主義である。

この西洋による東洋の植民地化は、明治期の日本にも情報は入ってきた。

日本は江戸時代から明治期に掛けて、アメリカやイギリスなどと国交の交渉を経験していた為に、東洋にありながら条約締結による西洋式の関係を築いていたが、ただ、周囲が植民地になっていくのを観て気が気でない。

そこで日本は、先(ま)ずは大韓帝国を清(しん)王朝との主従関係を解消させて、条約締結による西洋式に変更させようとした。

この時期の日本と大韓帝国は、国交を締結していなかった為に、国書を送達して国交締結を提案する。

しかし、大韓帝国は日本からの国書に、皇帝などの“皇”や勅与(ちょくよ)などの“勅”が使用されている事に対して、この漢字は清(しん)王朝の皇帝のみが使用できるとして、日本を相手にしなかった。

この大韓帝国の対応に日本の政府は『無礼な国だ!』として、明治維新にて西郷吉之助(さいごうきちのすけ)こと西郷隆盛(さいごうたかもり/薩摩)が主張した“征韓論”(せいかんろん)が再燃した。

これにより日本軍は朝鮮半島に侵攻し、漢城(かんじょう/ソウル)の北西に位置する江華島(こうかとう)にて朝鮮軍と交戦した。

これを1875年に起こった「江華島事件」(こうかとうじけん)と呼ぶ。

江華島(こうかとう)の市街地は戦闘により荒廃し、日本軍と朝鮮軍は停戦交渉に入り和睦して戦争は終結した。

この延長線上で、1876年に日本と大韓帝国は“日朝修好条規”(にっちょうしゅうこうじょうき)を締結する。

こうして日本は大韓帝国を支配下に置く事に成功する。

この頃の朝鮮半島の大韓帝国は、皇帝だった興宣大院君(フンソンテウォングン/朝鮮皇帝)から息子の高宗(コジョン/朝鮮皇帝)に皇位が譲位(じょうい)されていた。

高宗(コジョン/朝鮮皇帝)には妻の閔玆暎(ミンジャヨン/朝鮮皇后)が居たが、この皇后が権力欲が強い女性で政治の実権を掌握(しょうあく)した。

閔玆暎(ミンジャヨン/朝鮮皇后)は、日本の明治維新に感銘を受けて、朝鮮半島の大韓帝国でも同じような改革の朝鮮維新を実施した。

こうして誕生した朝鮮維新軍を指揮する閔玆暎(ミンジャヨン/朝鮮皇后)は、中国大陸の清(しん)王朝を崇拝(すうはい)する元々の韓国幕府を排除して軍政改革を実施した。

GOLDFINGER /♪ MABLE

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250919 - ラジオの友 URL

2025/09/19 (Fri) 22:37:20

◆◇◆其の九:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

この大韓帝国の閔玆暎(ミンジャヨン/朝鮮皇后)が率いる朝鮮維新軍の軍政改革を見て、日本の政府も援軍を派遣した。

この日本軍を指揮したのは、元は土佐藩の藩士だった陸軍の堀本礼造(ほりもとれいぞう/土佐→軍人)だった。

この間に大韓帝国の旧体制の韓国幕府軍は迫害を受けて、1年以上も給与が支払われなかった。

こうして韓国幕府軍は漢城(かんじょう/ソウル)で軍事クーデターを起こし、朝鮮維新軍や日本軍の主要人物を殺害し、その中には陸軍の堀本礼造(ほりもとれいぞう/土佐→軍人)も含まれていた。

朝鮮維新軍の最高指導者だった閔玆暎(ミンジャヨン/朝鮮皇后)は、漢城(かんじょう/ソウル)の宮廷の昌徳宮 (しょうとくきゅう)から、皇帝で夫の高宗(コジョン/朝鮮皇帝)を置き去りにして逃亡した。

この戦乱に危惧した高宗(コジョン/朝鮮皇帝)の父親の興宣大院君(フンソンテウォングン/朝鮮皇帝)が、宮廷の昌徳宮 (しょうとくきゅう)に入り再び実権を握った。

これを1882年に起こった「壬午軍乱」(じんごぐんらん)と呼ぶ。

しかし、この大韓帝国の戦乱を、宗国(そうこく)だった清(しん)王朝も危惧して、清軍を朝鮮半島に侵攻させた。

こうして清軍は、韓国幕府軍の興宣大院君(フンソンテウォングン/朝鮮皇帝)を拘束して、清(しん)王朝に連行した。

こうした清(しん)王朝の一連の行動と結果を診て、親日家だった朝鮮維新軍の閔玆暎(ミンジャヨン/朝鮮皇后)は、清(しん)王朝に寝返る。

ただ、この時期に清(しん)王朝は、インドシナ半島のベトナムなどの領有権を巡りフランスと交戦する事になる。

この戦争で清(しん)王朝はベトナムの権益を放棄してフランスが勝利するも、両軍は甚大な被害を被(こうむ)った。

これを1884年に起こった「清仏戦争」(しんふつせんそう)と呼ぶ。

日本は、この戦争で疲弊(ひへい)した清(しん)王朝の隙を突き、親日家の金玉均(キムオッキュン/朝鮮政治家)に指示を出して軍事クーデターを起こさせる。

漢城(かんじょう/ソウル)の宮廷の昌徳宮 (しょうとくきゅう)に居城していた皇帝の高宗(コジョン/朝鮮皇帝)を拉致して、景福宮(けいふくきゅう)の北側に建つ景祐宮(けいゆうきゅう)に移動して監禁した。

その金玉均(キムオッキュン/朝鮮政治家)と高宗(コジョン/朝鮮皇帝)が居る景祐宮(けいゆうきゅう)の周囲を日本軍が守護した。

閔玆暎(ミンジャヨン/朝鮮皇后)が指揮する朝鮮維新軍は、皇帝の高宗(コジョン/朝鮮皇帝)を救済する為に景祐宮(けいゆうきゅう)へ侵攻した。

しかし、日本軍の武力制圧により朝鮮維新軍は壊滅する。

この苦境に閔玆暎(ミンジャヨン/朝鮮皇后)は、清(しん)王朝に救援を要請する。

清(しん)王朝は、将軍の袁世凱(えんせいがい/軍人→北洋派→中華民国総統)が率いる清軍を朝鮮半島に侵攻させて日本軍を壊滅させる。

こうして軍事クーデターは失敗に終わり、金玉均(キムオッキュン/朝鮮政治家)は日本へ亡命した。

これを1884年に起こった「甲申政変」(こうしんせいへん)と呼ぶ。

この朝鮮半島での日本軍の敗北は、日本列島にも情報が伝達された。

こうして日本には、中国大陸の清(しん)王朝と朝鮮半島の大韓帝国に対して討伐の機運が高まる。

POISON /♪ NOTHIN' BUT A GOOD TIME

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250919 - ラジオの友 URL

2025/09/19 (Fri) 22:38:21

◆◇◆其の十:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

この時期に慶應義塾(けいおうぎじゅく)を開設していた福沢諭吉(ふくざわゆきち/学者)は“脱亜論”を提唱した。

福沢諭吉…『現在の日本は、既に東洋ではなく西洋の文化を取り入れている。 ただ、東洋の日本の立地は、中国大陸の清(しん)王朝と朝鮮半島の大韓帝国に隣接している為に、ヨーロッパなどから日本も同類と思われている。 その為に日本はヨーロッパなどと同様に、中国大陸の清(しん)王朝と朝鮮半島の大韓帝国と接するべきである。 日本は発展途上国である東洋の悪縁を断ち切り、先進国である西洋と親密にするべきだ。』

この福沢諭吉(ふくざわゆきち/学者)の“脱亜論”が日本の政府に響いたかは定かではないが、日本は中国大陸の清(しん)王朝と朝鮮半島の大韓帝国に対して強行姿勢を取るようになる。

こうして日本政府の代表として外務大臣の井上馨(いのうえかおる/長州)が、朝鮮半島の大韓帝国との「甲申政変」(こうしんせいへん)の戦後処理の交渉に出向く。

井上馨(いのうえかおる/長州)とは、周防国(すおう/山口県)の吉敷郡(湯田温泉)の出身で長州藩では抗戦派(正義派)に属していた。

1885年に武闘派の井上馨(いのうえかおる/長州)は、大韓帝国に対して戦争による謝罪と損害賠償を要求し、それらを承諾させる“漢城条約”(かんじょうじょうやく)を締結した。

一方で中国大陸の清(しん)王朝に対しては、伊藤博文(いとうひろふみ/長州)が戦後処理の交渉に出向いた。

伊藤博文(いとうひろふみ/長州)とは、長州藩の吉田松陰(よしだしょういん/長州)が塾長となる松下村塾(しょうかそんじゅく)の門下生で、抗戦派(正義派)でも知られ、後々に“初代の内閣総理大臣”に就任する。

1885年に好色派の伊藤博文(いとうひろふみ/長州)は、清(しん)王朝の代表の李鴻章(りこうしょう/官僚)に対して朝鮮半島の大韓帝国からの撤退を要求し、それらを承諾させる“天津条約”(てんしんじょうやく)を締結した。

こうして東洋の戦局は平定されたかと思われたが、今度は朝鮮半島の大韓帝国で、日本に対して反乱が勃発した。

HOOTERS /♪ TWENTY-FIVE HOURS A DAY

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250919 - ラジオの友 URL

2025/09/19 (Fri) 22:39:17

◆◇◆其の十一:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

1889年に日本の憲法を制定した「憲法発布の式典」を実施し、“大日本帝国憲法”が発布された。

明治末期の日本を取り巻く環境は、ユーラシア大陸北部のロシア、中国大陸の清(しん)王朝、朝鮮半島の大韓帝国を交え、アジアを中心とした世界的な領土侵攻が激しさを増していた。

要は植民地支配である。

日本もヨーロッパ諸国からの侵攻を恐れつつ、欧米列強(おうべいれっきょう)と肩を並べる為に富国強兵を推進して強大国家を形勢させる為に、清(しん)王朝の満州や大韓帝国への侵攻を伺(うかが)っていた。

日本は占領下に置いた植民地の扱いをした大韓帝国で、日本から多くの商人が朝鮮半島に渡り、安価なお米を大量に購入して日本に輸出していた。

そうなると朝鮮半島での備蓄米が足りなくなり、お米の価格が高騰して朝鮮民族は食糧不足に陥った。

こうした事情から大韓帝国は、1889年に国内の穀物を海外に輸出する事を禁止する防穀令(ぼうこくれい)を発布した。

この防穀令(ぼうこくれい)により朝鮮半島に渡った日本の商人は大損害を被(こうむ)り、日本は即刻に“漢城条約”(かんじょうじょうやく)に違反するとして異議を唱えて、大韓帝国に対して損害賠償を請求した。

この防穀令(ぼうこくれい)の不備を認めた大韓帝国は、日本に損害賠償金を支払った。

これを1889年に起こった「防穀令事件」(ぼうこくれいじけん)と呼ぶ。

こうした日本からの抑圧で朝鮮半島では、朝鮮民族の間で東学(とうがく)の信仰が広まっていく。

東学(とうがく)とは、儒教と仏教と道教の教えを融合させて尊(とうと)び、西学のキリスト教の反対語として名付けられた。

朝鮮民族は弱腰の大韓帝国の政府に対して不満を鬱積(うっせき)させ、西洋のキリスト教をダシにして反乱を起こした。

この朝鮮民族の反乱で、大韓帝国と日本と清(しん)王朝の軍隊が入り乱れて鎮圧に向かったが、誰が敵で誰が味方なのか判断できない程に混乱した。

国家の軍隊が侵攻してきた事で、反乱を起こした朝鮮民族は恐れ慄(おのの)いて、直ぐに大人(おとな)しくなり反乱軍は解散した。

これを1894年に起こった「甲午農民戦争/東学党の乱」(こうごのうみんせんそう/とうがくとうのらん)と呼ぶ。

この反乱終結で朝鮮半島に残っている日本軍と清軍は拍子抜(ひょうしぬ)けとなり、このままでは無駄足になる為に、外務大臣で“カミソリ大臣”と呼ばれた陸奥宗光(むつむねみつ/紀州→政治家)は軍事作戦を変更した。

内乱状態にある朝鮮半島の安定を目的とした軍事統治を、日本は清(しん)王朝と共同で実施する提案をする。

しかし、清(しん)王朝は日本の申出を断った。

この時期に日本はイギリスと不平等に締結された条約の改定に尽力しており、1894年に“日英通商航海条約”(にちえいつうしょうこうかいじょうやく)を締結した事で、日本とイギリスの国交は正常化した。

この条約には、日本が清(しん)王朝と戦争状態に陥ったとしても、イギリスは清(しん)王朝を擁護しない条文が盛り込まれていた。

こうして日本は単独で清(しん)王朝を討伐できる体制を整える。

OPEN SKYZ /♪ EVERY DAY OF MY LIFE

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250919 - ラジオの友 URL

2025/09/19 (Fri) 22:40:15

◆◇◆其の十二:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

この明治期の日本では、明治維新の余韻(よいん)が冷めやらず、日本国民が一致団結して清(しん)王朝を征伐する機運が高まり、政府も一丸となって“検挙一致体制”で戦争に向かっていった。

日本軍は広島県に本陣を設けて前線基地とした。

一方の清(しん)王朝は、皇帝時代が長く続き、政局は乱れて戦意の無い要職の役人も多く、政治統制が採れていない状態だった。

そんな政局で清軍は、とても日本軍に立ち向かう軍事力や統率力は持っていなかった。

この日本と清(しん)王朝に挟まれた朝鮮半島の大韓帝国は、日本による占領下の元で、鉄道の敷設やインフラ整備が進行していた。

日本軍は植民地とした大韓帝国に対して、戦時中の食糧確保や軍事物資の運搬を指示した。

日本の政府は、清(しん)王朝に侵攻する事を決定し、九州は長崎県の佐世保港から日本軍の海上部隊が戦艦で出港し、朝鮮半島に向けて航海が始まった。

1894年7月23日に、先鋒隊として朝鮮半島に上陸していた日本軍の陸上部隊は朝鮮軍を制圧し、大韓帝国の漢城(かんじょう/ソウル)にある宮廷の景福宮(けいふくきゅう)に居城していた皇帝の高宗(コジョン/朝鮮皇帝)を包囲して降伏させた。

その後に皇帝の高宗(コジョン/朝鮮皇帝)を拘束して監禁し、父親の興宣大院君(フンソンテウォングン/朝鮮皇帝)を皇帝に復帰させ、大韓帝国の最高指導者に就任させた。

これにより日本は大韓帝国の興宣大院君(フンソンテウォングン/朝鮮皇帝)に対して、朝鮮半島に駐屯する清(しん)王朝の軍隊を、日本軍により清軍を退陣させて欲しいと嘆願した事で、戦争の大義名分を得る様に画策する。

これを1894年に起こった「7月23日戦争」と呼ぶ。

この日本軍の横暴に対して、朝鮮民族は抵抗して反乱を起こした。

しかし、近代兵器を装備する日本軍に、朝鮮民族の反乱は直ぐに鎮圧される。

これを1894年に実施した「甲午改革」(こうごかいかく)と呼ぶ。

漢城(かんじょう/ソウル)の南部に位置する牙山(がざん)に清軍の本陣があり、日本軍の作戦は、漢城(かんじょう/ソウル)から南下する陸上部隊と、海から援軍に駆け付ける清軍の戦艦を撃沈する海上部隊の2軍で侵攻する計画だった。

牙山湾(がざんわん)の西部に位置する豊島沖(ほうとうおき)で、日本軍の海上部隊の戦艦4艘と、清軍の戦艦2艘が偶然に遭遇する。

日本軍は清軍の戦艦1艘を撃沈し、もう1艘は逃亡した。

日本軍の戦艦4艘が追撃する所へ、別の清軍の戦艦2艘が進行してきた。

この清軍の戦艦は、1艘は兵士の護送船で、もう1艘は護衛艦だった。

清軍の戦艦は豊島沖(ほうとうおき)の港湾の奥深くまで入り込んでしまった。

日本軍の海上部隊の統帥に就任していた東郷平八郎(とうごうへいはちろう/薩摩→軍人)は、清軍の戦艦に対して降伏要求するも拒否される。

日本軍の戦艦は清軍の戦艦を撃沈して、清軍の援軍を朝鮮半島への上陸を阻止した。

これを1894年に起こった「豊島沖海戦」(ほうとうおきかいせん)と呼ぶ。

FALL OUT BOY /♪ THE TAKE OVER,THE BREAKS OVER

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250919 - ラジオの友 URL

2025/09/19 (Fri) 22:41:14

◆◇◆其の十三:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

牙山(がざん)に本陣を設けていた清軍は、日本軍が漢城(かんじょう/ソウル)から南下している事と、清軍の援軍が豊島沖(ほうとうおき)で撃沈された事を踏まえて、北東部に位置する成歓(せいかん)に布陣した。

この成歓(せいかん)の戦地は激戦となり、日本軍にも大多数の戦死者が出た。

その中に突撃ラッパを吹いたまま銃撃を受けて戦死した白神源次郎(しらがみげんじろう/備中→軍人)または木口小平(きぐちこへい/備中→軍人)も居り、これが後々に日本へ伝わり『戦死してもラッパを離さず、吹き続けた有志。』として讃(たた)えられ、それが元で薬の“正露丸”にラッパが採用される。

成歓(せいかん)の戦地で日本軍は清軍を壊滅させて、続いて牙山(がざん)の本陣に侵攻するも清軍は退却していた。

これを1894年に起こった「成歓牙山の戦」(せいかんがざんのたたかい)と呼ぶ。

これら一連の戦闘により、日本が清(しん)王朝に対しての宣戦布告となり「日清戦争」が起こる。

日本と清(しん)王朝の戦争とは言うものの、実際の戦闘は朝鮮半島で起こっている。

日本軍は漢城(かんじょう/ソウル)に本陣を構え、中国大陸から進行した清軍は平壌城(ぴょんやんじょう)に本陣を構えた。

この日本軍の「日清戦争」の作戦は、朝鮮半島の付け根に位置する遼東半島(りょうとうはんとう)の旅順(りょじゅん)と奉天(ほうてん/瀋陽)を征圧する事にあった。

漢城(かんじょう/ソウル)から侵攻した日本軍は、清軍の本陣でもある平壌城(ぴょんやんじょう)の四方八方を包囲した。

しかし、細長く広大な平壌城(ぴょんやんじょう)は東側に川が流れる難攻不落のお城で、日本軍も落城に苦戦した。

特に北側に設けられた玄武門(げんぶもん)は中から施錠され、日本軍の攻撃にも耐えていた。

清軍は平壌城(ぴょんやんじょう)での篭城作戦に出た。

ところが玄武門(げんぶもん)を攻撃していた日本軍の原田重吉(はらだじゅうきち/三河→軍人)が、城壁をよじ登り平壌城(ぴょんやんじょう)の城内に侵入する事に成功した。

そして、玄武門(げんぶもん)の施錠を解除して、日本軍を平壌城(ぴょんやんじょう)の城内に侵攻させた“玄武門破り”を見事に成し遂げた。

この“玄武門破り”により勢い付いた日本軍は平壌城(ぴょんやんじょう)を落城させて、清軍は退陣し日本軍が勝利する。

これを1894年に起こった「平壌の戦」(ぴょんやんのたたかい)と呼ぶ。

一方で日本軍の海上部隊は、朝鮮半島の西部に位置する黄海(こうかい)で清軍の海上部隊と、互いに10艘以上の戦艦で激闘を繰り広げていた。

この激戦で清軍の戦艦5艘が撃沈された一方で、日本軍の戦艦は破損はあるものの沈没には至(いた)らず、ここでも日本軍が勝利する。

これを1894年に起こった「黄海海戦」(こうかいかいせん)と呼ぶ。

日本軍はこれら朝鮮半島での勝利により、本格的に中国大陸への侵攻を開始した。

日本軍は陸路から朝鮮半島を陸上部隊が北上し、中国大陸の満州に侵攻する“鴨緑江作戦”(おうりょくこうさくせん)を遂行する。

その間に日本軍の海上部隊は、遼東半島(りょうとうはんとう)の旅順(りょじゅん)に上陸した。

旅順(りょじゅん)は清(しん)王朝にとって東部を守護する防衛拠点で、長年に掛けて難攻不落の要塞として建造してきた。

しかし、日本軍の勢力に慄(おのの)いた清軍は、旅順(りょじゅん)を守護する事なく直ぐに逃亡してしまう。

日本軍は旅順(りょじゅん)を軍事拠点にする為に、次々と家屋を破壊して、清軍に置き去りにされた中華民族のジェノサイド(集団殺戮)を実施した。

これにようやく危機感を募らせた北京にある清(しん)王朝の宮中は、日本との和睦を提案する。

日本軍は服従(ふくじゅう)の姿勢を見せた清(しん)王朝により、北京への侵攻を中止して、中国大陸の南部へ侵攻を開始した。

遼東半島(りょうとうはんとう)の対岸にある威海衛(いかいえい)の戦地にて、最後となる戦闘が繰り広げられる。

日本軍は陸路から陸上部隊が、海路から海上部隊が侵攻し、圧倒的な軍事力の前に清軍は降伏した。

これを1895年に起こった「威海衛の戦」(いかいえいのたたかい)と呼ぶ。

これにて日本が勝利し、清(しん)王朝の敗北が確定して、1894年〜1895年の「日清戦争」は実質的に終戦を迎える。

FLOGGING MOLLY /♪ REQUIEM FOR A DYING SONG

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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250919 - ラジオの友 URL

2025/09/19 (Fri) 22:42:15

◆◇◆其の十四:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

日本は戦後処理として山口県下関市で、清(しん)王朝との日清講和会議を開催する。

日本からは“初代の内閣総理大臣”の伊藤博文(いとうひろふみ/長州)と、外務大臣で“カミソリ大臣”と呼ばれた陸奥宗光(むつむねみつ/紀州→政治家)が交渉にあたった。

清(しん)王朝からは、1885年の“天津条約”(てんしんじょうやく)の際に伊藤博文(いとうひろふみ/長州)と締結した李鴻章(りこうしょう/官僚)が来日した。

日本が清(しん)王朝に要求したのは主な概要は下記となる。

①:朝鮮半島の大韓帝国に対して、清(しん)王朝は干渉せず独立を認可する。

②:遼東半島(りょうとうはんとう)と澎湖諸島(ほうこしょとう)と台湾を割譲し、日本に領有権を譲渡する。

③:威海衛(いかいえい)にて日本軍の駐屯。

④:清(しん)王朝は日本に対して、貿易と重工業の目的により沙市(さし)と重慶(じゅうけい)と蘇州(そしゅう)と杭州(こうしゅう)の港を開港する。

⑤:戦争賠償金の2億両(1000億円)の支払い。

これを1895年に“日清講和条約”を締結した「馬関条約」(ばかんじょうやく/下関条約)と呼ぶ。

しかし、“日清講和条約が締結され会談が終了し、清(しん)王朝の李鴻章(りこうしょう/官僚)が宿泊先に帰る途中に、テロリストの日本青年に拳銃で襲撃され負傷する。

この李鴻章(りこうしょう/官僚)の襲撃事件を受けて、世界の各国は日本を野蛮(やばん)な国民性と認識し、被害に遭った清(しん)王朝に対して同情した。

テロリストの日本青年による襲撃事件により、「日清戦争」に勝利した日本の扱いが変わってくる。

日本は事実上に朝鮮半島と台湾を占領下に置く植民地とした。

しかし、軍事強国となった日本に対して、ロシアとドイツとフランスの“三国干渉”により異議を唱えてきた。

特に冬季には極寒となるロシア大陸は港湾の海も凍結する為に、冬場でも凍らない港湾を手中に収めたかった。

それが清(しん)王朝が港湾整備した遼東半島(りょうとうはんとう)の旅順(りょじゅん)で、ロシアはドイツやフランスと連携して日本に軍事圧力を掛けた。

日本は「日清戦争」に勝利したからと言って、戦後の国内は疲弊(ひへい)しており、直ぐにロシアとドイツとフランスの三国を相手に戦争する余力は無い。

結局、日本は遼東半島(りょうとうはんとう)の占有を放棄する代替に、清(しん)王朝から遼東半島(りょうとうはんとう)に見合う価値の戦争賠償金を得る事になる。

これを知った日本国民(大和民族)は憤懣(ふんまん)し、特にロシアに対して強い敵意を感じる様になる。

こうして日本国内はロシアへの報復の為に、国民が一丸となり臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の思いで軍事主義帝国として歩み始める。

IMELDA MAY /♪ MAYHEM

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250919 - ラジオの友 URL

2025/09/19 (Fri) 22:43:16

◆◇◆其の十五:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

1895年に日清講和会議により締結した「馬関条約」(ばかんじょうやく/下関条約)にて、日本は中国大陸の北京を中心とした北部を占領下に置いた。

その為に、今後は資源が豊富に眠る東南アジアへ、日本軍が侵攻する事を決定した“北守南進”(ほくしゅなんしん)を推進する。

その軍事拠点となるのが台湾だった。

1894年〜1895年の「日清戦争」で、台湾の西部に点在する澎湖諸島(ほうこしょとう)は日本軍が占領していた為に、「馬関条約」(ばかんじょうやく/下関条約)に基づき台湾の統治を始める。

先(ま)ず、政府機関の台湾総督府を設けて初代の台湾総督に樺山資紀(かばやますけのり/薩摩→軍人)が就任した。

樺山資紀(かばやますけのり/薩摩→軍人)は、1874年の日本軍による台湾出兵の際に台湾に従軍しており、内部事情に詳しかった事が決め手となった。

樺山資紀(かばやますけのり/薩摩→軍人)は海路で台湾の北部に上陸し、そこで待っていた清(しん)王朝の外交官で李鴻章(りこうしょう/官僚)の甥の李経芳(りけいほう/外交官)から台湾の割譲を受けた。

しかし、国同士の政治的な取り決めも、その国民に取っては有益になるものではなく、台湾領民の反発は大きかった。

更に台湾領民は清(しん)王朝に対しても、見捨てたと言う裏切り行為から不信感が募り、1895年に独立国家の台湾民主国を建国した。

台湾民主国の総統には、清(しん)王朝の官僚だった唐景崧(とうけいすう/官僚→台湾総統)が就任した。

台湾民主国は台湾軍を組成して、台湾の北部に上陸してきた日本軍に真っ向から対峙した。

ところが出てたてホヤホヤの台湾軍が、騎虎(きこ)の勢いで侵攻する日本軍に太刀打ちできる筈(はず)もなく、台湾軍は敗北して台湾民主国の総統だった唐景崧(とうけいすう/官僚→台湾総統)は中国大陸に逃亡した。

こうして日本軍は台湾の北部を制圧し、そのまま南下したが、行く先々で台湾領民の抵抗に遭い、中々に台湾の統治は進まなかった。

台湾民主国は台湾軍より数倍も強靭な台湾領民は、ゲリラ戦術で日本軍を翻弄(ほんろう)させた。

ゲリラ部隊と一般領民の区別がつかない事情もあり、日本軍は街を焼き討ちし、台湾領民に対してジェノサイド(集団殺戮)を実施した。

更に南国特有の病気も日本軍を苦しめ、不衛生な環境から赤痢やマラリアを発病する兵士が多発し、食糧不足から栄養失調に陥り、多くの死者を出した。

そんな劣悪な環境下でも、台湾の南部から日本軍の海上部隊が上陸し、北部の陸上部隊と挟み討ちする戦術で、台湾民主国は台湾軍とゲリラ部隊を鎮圧し、台湾軍の将軍だった劉永福(りゅうえいふく/軍人→台湾将軍)は中国大陸へ逃亡した。

HOTWAX /♪ STRANGE TO BE HERE

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250919 - ラジオの友 URL

2025/09/19 (Fri) 22:44:16

◆◇◆其の十六:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

この頃に台湾総督は4代目の児玉源太郎(こだまげんたろう/長州→軍人)が就任し、今まで台湾の統治は日本軍による強硬路線で実施してきたが、頑(かたく)なに抵抗する台湾領民の事を考慮して融和路線に変更した。

そして台湾総督府の官僚で、後々に東京市長に就任して帝都都市計画を実施した後藤新平(ごとうしんぺい/陸奥〔岩手〕→台湾官僚→東京市長)を台湾の平定政策に起用した。

後藤新平(ごとうしんぺい/陸奥〔岩手〕→台湾官僚→東京市長)は“旧慣尊重”(きゅうかんそんちょう)を掲げて、台湾領民の意見を聞き入れて改革に着手した。

これにより台湾領民も日本に対して協力的になった。

台湾総督府は、台湾の島内に必要な鉄道や港湾、それに水道などのインフラ整備を実施した。

台湾の南部と北部を結ぶ南北縦貫鉄道の敷設により、物流の効率化が格段に上昇した。

そして、港湾の整備をした事で、日本だけでなくアメリカやヨーロッパとの貿易も盛んになった。

また、農地の開墾にも尽力し、お米や砂糖の殖産を推進した。

この時に農業の学者だった新渡戸稲造(にとべいなぞう/陸奥〔岩手〕→学者)が陣頭指揮を執(と)った。

台湾総督府は、日本流による土地改革も実施して、地租改正事業も実施して台湾領民による土地などの不動産の所有権を認可した。

日本はロシアとドイツとフランスの“三国干渉”により、清(しん)王朝と大韓帝国の統治権を放棄したが、そのロシアが中国大陸の東北部に侵攻し始めた。

これに怒った日本軍はロシアを相手に、1904年に「日露戦争」を勃発させた。

この戦争で日本軍は勝利したが、アメリカが介入し戦後処理が執(と)り行われる。

これにより事実上、清(しん)王朝の満州と大韓帝国は日本の占有権が優位に運ぶ環境が整ってきた。

NO DOUBT /♪ HELLA GOOD

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250919 - ラジオの友 URL

2025/09/19 (Fri) 22:45:11

◆◇◆其の十七:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

日本政府が外国相手に「日清戦争」と「日露戦争」に勝利したとは言え、日本国内は景気が悪化しており国民の不満が高まっていた。

日本政府は、その不満分子のエネルギーを国内から国外に矛先(ほこさき)を変えたのが、1910年に実施した「韓国併合」である。

先(ま)ず日本は、朝鮮半島の大韓帝国に的(まと)を絞り強硬な交渉を押し付けていく。

“日韓議定書”で、大韓帝国は他国の意見は聞き捨て日本の政治的助言のみを受け入れ、日本軍が朝鮮半島を自由に往来できる内容を締結させた。

1904年に“第1次日韓協約”を締結し、日本は大韓帝国を保護国として、外交権と財政権に介入した。

これをアメリカ、イギリス、ロシアの大国が認可している。

1905年に“第2次日韓協約”を締結し、日本の元内閣総理大臣の伊藤博文(いとうひろふみ/長州)と大韓帝国の皇帝の高宗(コジョン/朝鮮)が交渉を進めて、日本の政治圧力と日本軍の軍備圧力で大韓帝国が日本の保護国になる事を高宗(コジョン/朝鮮)に認めさせた。

それに伴い漢城(かんじょう/ソウル)に保護国として韓国統監府(かんこくとうかんふ)を設置して、初代統監に伊藤博文(いとうひろふみ/長州)が就任した。

ただ、大韓帝国の国民も、軍隊も、政治家も、もちろん高宗(コジョン/朝鮮)も、日本の強引な国交措置に不満を抱(いだ)き、オランダのハーグで実施されていた万国平和会議で、高宗(コジョン/朝鮮)が世界に向けて日本による支配の救済を訴えた。

ところが世界各国は“第1次日韓協約”にて認可していたので、この高宗(コジョン/朝鮮)を無視してしまう。

これを1907年に起こった「ハーグ密使事件」と呼ぶ。

この大韓帝国の高宗(コジョン/朝鮮)による謀反(むほん)に激怒した日本は、さらに抑圧を強めていく。

THE WHITE STRIPES /♪ THERE'S NO HOME FOR YOU HERE

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250919 - ラジオの友 URL

2025/09/19 (Fri) 22:46:07

◆◇◆其の十八:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

1907年に“第3次日韓協約”を締結し、大韓帝国の内政権にまで掌握(しょうあく)し、日本の実質的な支配を開始した。

高宗(コジョン/朝鮮)は責任を取らされ皇帝を辞任し、息子の純宗(スンジョン/朝鮮)が皇位を譲位(じょうい)した。

ただ、国同士の書面による条約締結も、大韓帝国の国民にも、軍隊にも、政治家にも、単なる紙切れの戯言(たわごと)に過ぎず、心の中までは支配できない。

大韓帝国の漢城(かんじょう/ソウル)をはじめ、各地で反乱が勃発する。

これに嫌気を刺した統監の伊藤博文(いとうひろふみ/長州)は、辞任して日本に帰ってしまう。

その後の1909年、伊藤博文(いとうひろふみ/長州)は中国大陸に渡り、清(しん)王朝のハルビンの駅で列車を待っていたところに、大韓帝国の政治革命家だった安重根(アンジュングン/朝鮮)に銃撃されて暗殺された。

この伊藤博文(いとうひろふみ/長州)暗殺事件をきっかけに、皮肉にも日本は大韓帝国に対して更(さら)に圧力を強める。

大韓帝国の皇帝の純宗(スンジョン/朝鮮)は、日本の第122代天皇の明治天皇(めいじてんのう/朝廷)に大韓帝国の統治権を譲渡した。

日本政府は、国名の大韓帝国を朝鮮、首都の漢城(かんじょう/ソウル)を京城(けいじょう/ソウル)の名称に改めた。

そして朝鮮総督府(ちょうせんそうとくふ)を設置し、初代総督に寺内正毅(てらうちまさたけ/長州)が就任し、後々に第18代の内閣総理大臣に就任する人物である。

これにより日本が大韓帝国を植民地化した事を世界的に周知させる。

これを1910年に実施した「韓国併合」と呼ぶ。

朝鮮半島は1910年の「韓国併合」より35年間余り、日本の占領下に置かれ植民地となっていた。

その間に日本軍は朝鮮民族に対して、日本語の強要や和風文化の浸透を実施した。

平安南道(へいあんなんどう)に天照大御神(アマテラス)を祭神とする平壌神社(へいじょうじんじゃ)や、京城(けいじょう/ソウル)に第122代天皇の明治天皇(めいじてんのう/朝廷)を祀る朝鮮神宮を創建した。

これ以外にも神道(しんとう)の神社が、朝鮮半島の各地に設けられた。

LOCAL H /♪ BOUND FOR THE FLOOR

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250919 - ラジオの友 URL

2025/09/19 (Fri) 22:47:02

◆◇◆其の十九:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

1904年の「日露戦争」で日本は勝利し、ロシアと戦後処理の“ポーツマス条約”を締結する。

この日本とロシアの講和会議の“ポーツマス条約”で取り決められたのは、中国大陸の東北部に位置する満州と朝鮮半島の占有と利権や、オホーツク海峡の漁業の利権を、日本はロシアに承認させた。

しかし、「日露戦争」に多額の軍事費が掛かったにも関わらず、日本はロシアから戦争賠償金を得る事ができなかった。

中国大陸の満州と朝鮮半島を得たとしても、新規開拓する事業費が日本には無かった。

そんな日本の懐(ふところ)事情を見透かしたアメリカが、共同で満州の統治を持ち掛けてきた。

このアメリカの申出に、金欠で財政難の日本に取っては渡りに舟で、この事情を知った政治家の井上馨(いのうえかおる/長州)や実業家の渋沢栄一(しぶさわえいいち/実業家)も賛同した。

こうして内閣総理大臣だった桂太郎(かつらたろう/長州→軍人)は、満州をアメリカとの共同統治する覚書に調印する。

しかし、ここで『待った!』がかかる。

アメリカの留学から帰国したばかりの小村寿太郎(こむらじゅたろう/日向→政治家)が、アメリカの本心と調略を見抜いており、後々にアメリカは強靭な軍事力で日本を脅して、満州の統治を独裁すると進言した。

小村寿太郎(こむらじゅたろう/日向→政治家)は、満州の統治の為の事業資金も調達し、アメリカに頼らなくても日本独自で満州の事業を賄える様になる。

その後、“ポーツマス条約”によりロシアから満州の権益の譲渡を受ける際に、清(しん)王朝は日本の統治に抵抗した。

それでも小村寿太郎(こむらじゅたろう/日向→政治家)が清(しん)王朝の北京を訪問し、交渉を重ねて承諾を得た。

これにより日本は、遼東半島(りょうとうはんとう)の旅順(りょじゅん)から奉天(ほうてん/瀋陽)を経由して長春(ちょうしゅん/新京)まで向かう南満州鉄道の権益を得る。

LOSER /♪ NOBODY KNOWS

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250919 - ラジオの友 URL

2025/09/19 (Fri) 22:47:57

◆◇◆其の二十:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

日本は満州に日本軍を派遣して南満州鉄道の沿線の警備に当たらせた。

また、奉天(ほうてん/瀋陽)からの支線として朝鮮半島の付け根に位置する安東(あんとう)も設ける。

1905年に日本は正式に南満州鉄道を設立させ、資本金は半官半民とした。

台湾の統治で実績のある4代目の台湾総督に就いていた児玉源太郎(こだまげんたろう/長州→軍人)を南満州鉄道の設立責任者に就任させた。

しかし、1906年に児玉源太郎(こだまげんたろう/長州→軍人)は急死し、生前に南満州鉄道の総裁には台湾総督府の官僚だった後藤新平(ごとうしんぺい/陸奥〔岩手〕→台湾官僚→東京市長)を指名していた。

初めは後藤新平(ごとうしんぺい/陸奥〔岩手〕→台湾官僚→東京市長)も拒否していたが、児玉源太郎(こだまげんたろう/長州→軍人)が遺言を残して死去した為に、南満州鉄道の総裁を引き受けた。

総裁に就任した後藤新平(ごとうしんぺい/陸奥〔岩手〕→台湾官僚→東京市長)の元で南満州鉄道は、鉄道の運行は勿論(もちろん)の事、不動産の沿線開発や駅周辺の都市計画も実施した。

更に満州の山岳地帯で鉱山や製鉄所も設立して、南満州鉄道により石炭や鉱物の貨物運搬も実施している。

南満州鉄道の主要都市には、ホテルや商業施設、学校や病院も設けた。

その1つが大連ヤマトホテルである。

市街地にはガスや電気、それに上下水道のインフラ整備も整えた。

1906年に南満州鉄道の経営が軌道に乗ると、日本は遼東半島(りょうとうはんとう)の旅順(りょじゅん)の一帯を、関東州(かんとうしゅう)と言う日本流の名称に変更した。

旅順(りょじゅん)に関東都督府(かんとうととくふ)を設置して、政治と軍事の行政機関を置いた。

この関東都督府(かんとうととくふ)は、後々に政治部門を関東庁、軍事部門を関東軍に名称を改めている。

この満州における日本の成功を苦々しく観ていたのは、共同で統治を提案していたアメリカだった。

この頃になると日本とロシアは友好関係を築いており、アメリカはアジアでの植民地支配の成功を治めているイギリスを頼る様になる。

しかし、イギリスは日本とも友好関係にあり、これによりアメリカは政治的圧力でイギリスと日本の関係性に亀裂を入れる事になる。

CHEAP TRICK /♪ COLD TURKEY

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2025/09/16 (Tue) 21:11:40

L.T.D. /♪ KICKIN' BACK

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2025/09/16 (Tue) 21:12:42

CON FUNK SHUN /♪ TOO TIGHT

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2025/09/16 (Tue) 21:13:51

NITEFLYTE /♪ SUNSHINE

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2025/09/16 (Tue) 21:14:58

ARABESQUE /♪ MAKE LOVE WHENEVER YOU CAN

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2025/09/16 (Tue) 21:15:58

DAVID NAUGHTON /♪ MAKIN' IT

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2025/09/16 (Tue) 21:16:56

POINTER SISTERS /♪ OPERATOR

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2025/09/16 (Tue) 21:17:55

POINTER SISTERS /♪ BABY COME AND GET IT

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2025/09/16 (Tue) 21:18:56

SHALAMAR /♪ CIRCUMSTANTIAL EVIDENCE

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2025/09/16 (Tue) 21:19:50

RUFUS & CHAKA KHAN /♪ WALK THE ROCKWAY

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2025/09/16 (Tue) 21:20:46

IRENE CARA /♪ FAME

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2025/09/16 (Tue) 21:21:43

WAR /♪ YOU GOT THE POWER

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2025/09/16 (Tue) 21:22:42

THE HIVES /♪ WE RULE THE WORLD (T.H.E.H.I.V.E.S.)

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2025/09/16 (Tue) 21:23:38

CHANGE /♪ PARADISE

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2025/09/16 (Tue) 21:24:33

ANGELA JOGNSON FEAT.FRANK MCCOMB /♪ PLAY

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2025/09/16 (Tue) 21:25:33

TIMEX SOCIAL CLUB /♪ RUMORS

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2025/09/16 (Tue) 21:26:27

PETER BROWN /♪ DO YA WANNA GET FUNKY WITH ME

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2025/09/16 (Tue) 21:27:23

GINJI JAMES /♪ HONEY BABE

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2025/09/16 (Tue) 21:28:21

CECIL PARKER /♪ REALLY REALLY LOVE YOU

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2025/09/15 (Mon) 23:27:34

King Jammy /♪ Call The Police

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2025/09/15 (Mon) 23:28:35

Ninjaman /♪ NINJA MI NINJA

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2025/09/15 (Mon) 23:29:29

Mr Vegas /♪ The Voices Of Sweet Jamaica

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2025/09/15 (Mon) 23:30:23

SHINEHEAD /♪ GIMME NO CRACK

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2025/09/15 (Mon) 23:31:18

Shabba Ranks /♪ Ting-A-ling

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2025/09/15 (Mon) 23:32:10

ASWAD /♪ Shine

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2025/09/15 (Mon) 23:33:05

Big mountain /♪ Sweet Sensual Love

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2025/09/15 (Mon) 23:34:52

Steely & Clevie /♪ Fish Market

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2025/09/15 (Mon) 23:36:31

Lee "Scratch" Perry /♪ Panic in Babylon

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2025/09/15 (Mon) 23:37:31

SEAN PAUL & BERES HAMMOND /♪ REBEL TIME

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2025/09/15 (Mon) 23:38:21

Ward 21 /♪ OG Kush

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2025/09/15 (Mon) 23:39:17

Dawn Penn /♪ No, No No

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2025/09/15 (Mon) 23:40:12

BOUNTY KILLER /♪ Inner Voice

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2025/09/15 (Mon) 23:42:07

King Tubby /♪ Dub Take Five

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2025/09/15 (Mon) 23:44:31

Scientist /♪ Your Teeth in My Neck

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2025/09/15 (Mon) 23:45:27

JANET KAY /♪ LOVE YOU ALWAYS

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2025/09/15 (Mon) 23:46:18

Sugar Minott /♪ Good Thing Going

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FRANKIE PAUL /♪ I Know the Score

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