都市空間計画区域
◆2026年/大阪ホットナンバー4(フォー)ミュージック◆ - ラジオの友
2026/01/07 (Wed) 23:13:10
君が歌えば、僕が踊る時、新しい音楽が生まれる。
インターネットの代わりにラジオを、テレビの代わりにライブハウスを、新しい音楽をリードする。
老いたる者には、過ぎし日の郷愁(きょうしゅう)を。
若人(わこうど)には、古(いにしえ)の幻(まぼろし)を。
今日も始まりました大阪ホットナンバー4(フォー)ミュージックの時間です。
素敵な音楽をあなたにお届けするミュージックオアシス。
では、大阪で流行っている最新の音楽をお届けします。
Re: ◆2026年/大阪ホットナンバー4(フォー)ミュージック◆ - ラジオの友
2026/01/07 (Wed) 23:14:00
「♪2026年、大阪キャバクラ幕府!!」
『“いしん”をかけて、いい穴(あな)入れよう大阪キャバクラ幕府。』
「大阪夜の陣」
“いしん”をかけて夜のミナミへ繰り出しまんねぇん。
毎晩の様に布陣している風俗奉行(ぶぎょう)。
「十三(じゅうそう)の役(えき)」
年齢層はオカン並やがぁ、ベテランのテクニックにはかないまへぇんねぇん。
“いしん”をかけて御奉仕してもらいまっせぇ!
「西中島南方(にしなかじまみなみかた)の戦」
どこの店も、パンツを脱がない店はおまへぇんでぇ!
昼はOLと掛け持ちの女子も多いさかいに、議員バッチをチラつかせて“いしん”をかけて裸の人生相談やぁ!
「兎我野(とがの)の乱」
大阪でもナンバー1(ワン)のピンク街やぁでぇ!
ヘルスにしようか、ホテルに呼ぼうか、魅惑と戸惑いが溢れる“いしん”をかけた快楽の境地やぁ!
「宗右衛門町(そうえもんちょう)の変」
揉(も)んではみたが、吸ってはいない。
濡れてはいたが、入れてはいない。
不謹慎かも知れないが、“いしん”をかけて法的には適正やでぇ。
こんなわしぃらには、風俗で考え抜(ヌ)いて“いしん”をかけた夢がおますねぇん。
中国の植民地の大阪を、“いしん”をかけて副首都のしまっせぇ!
副首都の大阪から、“いしん”をかけて日本の機密情報をドンドンと、親愛なる共産当局に流しまっせぇ!
歴史的に診て沖縄(琉球国)は、中国(明/みん・清/しん)の領土でっせぇ!
ただ、そんな中国も歴史的に診てモンゴル(元/げん)の領土でしてぇん!
こんな難しい国際情勢も、大阪のキャバクラでおっ立てながら議論してますねぇん。
キャバクラ、なんて美しい響きなんだ。
2026年、大阪キャバクラ幕府!!
キャバクラ、なんて素晴らしい楽園なんだ。
2026年、大阪キャバクラ幕府!!
『“いしん”をかけて、いい穴(あな)入れよう大阪キャバクラ幕府。』
Re: ◆2026年/大阪ホットナンバー4(フォー)ミュージック◆ - ラジオの友
2026/01/17 (Sat) 00:29:57
「♪大阪は“いしん”をかけた“オナホ”(オナニーホール)で決まり!」
ジェルをたっぷりと塗り込んだ“オナホ”(オナニーホール)に挿入する至福の時間。
微動する穴内(ホールインターナル)が俺を刺激する。
5分程度で発射オーライ!
抑圧された暗く狭い空間から解き放たれる開放感。
その向こうに、ほんの数秒の素晴らしい世界が待っている。
淫行(いんこう)、脱糞(だっぷん)、デリケートゾーン。
“いしん”をかけた“オナホ”(オナニーホール)に、そんな事は関係ない。
大阪の街は、ところ構わずオナニー三昧(ざんまい)
大阪は“いしん”をかけたオナニー天国!
略して“大阪オナ天”!
大阪は“いしん”をかけた“オナホ”(オナニーホール)で決まり!
略して“大阪いしんのオナホ”でキメッ!
お金をたっぷりと貯め込んだ“金庫”(マネーホール)に入金する至福の時間。
ひしめく札束(ビッグマネー)が俺を刺激する。
1日かけても札勘定(さつかん)できない!
誰にも知られない密室で大金に埋もれる高揚感。
その向こうに、今後の人生の危険な世界が待っている。
違法、脱法、グレーゾーン。
“いしん”をかけた“国保”(国民健康保険)逃れに、そんな事は関係ない。
大阪の街は、ところ構わず財テク蓄財三昧(ざんまい)
大阪は“いしん”をかけた脱税地獄!
称して“大阪死刑囚”!
大阪は“いしん”をかけた“国保”(国民健康保険)逃れで決まり!
称して“大阪いしんは国賊”で死刑!
何の成果も出てないのに、選挙ってどうなん?
お頭(つむ)の弱いアホな人間は、一時(ひととき)の時流に乗っかるかも知れへんが。
政治(まつりごと)を“大人の玩具”(おとなのおもちゃ)に利用したらアカンでぇ!
Re: ◆2026年/大阪ホットナンバー4(フォー)ミュージック◆ - ラジオの友
2026/02/19 (Thu) 09:30:20
「♪テレビ局対抗、爽(さわ)やかゲートボール大会!」
大阪の街外れにある少し広めの公園で、今朝も元気な近所のお年寄りが集っている。
運動場にゲートを設置して、老人会のゲートボールが始まる。
天満テレビさん、茶屋町放送さん、堂島川放送さん、城見テレビさん、上町放送局さん。
どのご老体も昭和期の大阪で活躍していたテレビ局の関係者だ。
昭和期から積もった埃(ほこり)が溜まった脳と感性で、令和期も元気に生き抜く意気込みは十分にある。
ゲートボールの後は、公園の近所にある喫茶店のサボールで昔話の談義に花が咲く。
根拠のない武勇伝や良かった昔の思い出話、そして今、患(わずら)っている病気自慢で会話で延々とローテーションする。
街中ではインターネットさんがあくせく働く中で、テレビ局さんは1杯のコーヒーで何時間も粘(ねば)る。
お昼頃になれば家に居る婆さんからガラケー(旧式携帯電話)のメールにお昼ご飯の通知が入る。
それで今日の会合はお開きとなり解散する。
『ほなぁ、また! 明日までちゃんと生きとかなアカンでぇ!』
テレビ局対抗、爽(さわ)やかゲートボール大会!
スマートフォンとガラケー(旧式携帯電話)とポケットベルが共存できなかった様に、インターネットとテレビと雑誌の共存はあり得ない。
テレビ局対抗、爽(さわ)やかゲートボール大会!
インターネット全盛のこの時代に、テレビの置かれている立場は、町の公園で朝から催される老人のゲートボール大会となんら変わりわない。
Re: ◆2026年/大阪ホットナンバー4(フォー)ミュージック◆ - ラジオの友
2026/02/21 (Sat) 13:05:27
「♪誰もが憧れる大阪シティガール!」
私は生まれも育ちも大阪市東住吉区にある団地型の市営住宅。
周りには色々な住民が多かった事もあり、近所の兄ちゃんやおっちゃんに男を仕込まれたわぁ〜
多くの友達も同じ様な境遇(きょうぐう)で、中には中学校の先生や先輩に操(みさお)を奪われた子も居たのぉ〜
私も教育熱心な両親に、『女の価値は男の数で決まる!』と教えられた。
その教え通りに数多くの男と交わり、お金持ちのボンボンを目当てに腰を振って汗と汁を流したのぉ〜
ボンボンの子供を妊(はら)めばコッチのものよ!
子供を武器に結婚を迫り、後は悠々自適(ゆうゆうじてき)の暮らしが待っているぅ〜
何の役にも立たないアホな恋愛よりも、実(みの)りある攻略の方が、人生よっぽど役に立つ!
男の金(きん)と懐(ふところ)の金(かね)しか信じない。
これが大阪女の生き様よ!
誰もが憧れる大阪シティガール!
両親の教えは絶対に守るべきねぇ〜
誰もが憧れる大阪シティガール!
これが大阪で育った女の子の実像よぉ〜
Re: ◆2026年/大阪ホットナンバー4(フォー)ミュージック◆ - ラジオの友
2026/02/22 (Sun) 15:47:01
「♪俺は“なにわ”のおとっつぁん!」
俺は“なにわ”のおとっつぁん!
年齢は50歳を超えたところだが、現在は仕事をしていない。
何度か大阪の町工場(まちこうば)で就職はしたが、社長や先輩と仕事に対する姿勢で口論になり辞めている。
俺くらいのレベル(Lv)は、軍師などの待遇でないと納得しない。
そんな無職の俺には、嫁と息子がいた。
ただ、少ない生活費をキッカケに嫁が出て行き離婚したが、息子は俺が引き取った。
これが理不尽の離婚に対する父親としての責務だ。
俺は“なにわ”のおとっつぁん!
賃貸アパートの家賃が払えなくなった俺は、親父(おやじ)とお袋(ふくろ)が住む実家に出戻りする事になった。
親父(おやじ)は昔気質(むかしかたぎ)の職人で、俺の素行が気に入らないのか、一つ屋根の下で生活するが口を効(き)かない。
そんな仲裁役がお袋(ふくろ)で、食事に洗濯に掃除もしてくれ、結婚時より快適である。
この実家の生活では、息子が小学生の頃に近所の公園で野球を教えていた。
ところが俺自身は野球をやった経験がなく、1ヶ月程度で早々に廃部となった。
息子が中学校に入学した時は、俺が家庭教師になって勉強を教えていた。
毎日、スパルタ教育でみっちり鍛えるつもりが、2週間くらい経つと俺の方が中学1年の学力に着いて行けず、そのままフェードアウトした。
俺は“なにわ”のおとっつぁん!
そんな中でお袋(ふくろ)に、日々の生活費や息子の教育費などで、仕事をする様に小言(こごと)を言われる。
そこで俺は中古でシルバーの軽ワゴンを購入し、人気の車中泊系ユーチューバーになる決心をした。
早速に真冬に軽ワゴンで人里離れた山奥に行き、車の中でコンビニで購入した焼き鳥セットと缶ビールと缶酎ハイで車中泊系ユーチューバーのデビューを祝った。
ところが、その深夜から車内でも外に居るくらいの極寒で、一応に毛布も持ってきたが何の役にも立たない。
軽ワゴンのエンジンを掛けっぱなしで暖房を最強にしていたが、冷気が四方の窓からガンガン入ってくる。
缶ビールと缶酎ハイを併せて6本も飲んでいるから、飲酒になり運転して家に帰る事もできない。
結局、日の出まで一睡もできずに、俺の車中泊系ユーチューバーのデビューは終わった。
1ヶ月経ったが、俺のユーチューブ動画の閲覧件数は俺が観た1件のままだ。
俺は“なにわ”のおとっつぁん!
俺は誰からも目を惹(ひ)くカッコいいシルバーの軽ワゴンに改造する事にした。
とは言っても余計なお金は無いので、自分でできる範囲でカスタマイズする。
黒色のスプレーでバンパーを塗装して、流行している2色にしてみた。
高級車のレクサスのエンブレムを軽ワゴンのフロントの中央に貼った。
そして既存のマフラーにカバーを着けてポルシェサウンドに早変わり。
早速、俺のカッコ良くなった軽ワゴンの試乗に出かけた。
ブロロロ〜ン ブロロロ〜ン
ポルシェサウンドが唸(うな)るぜぇ!
ブロロロ〜ン ブロロロ〜ン
カランコロンカラン
こう聞こえた次の瞬間、ポルシェサウンドからノーマルサウンドに変わった。
ポロロ〜ン ポロロ〜ン
車を降りて見てみると、ポルシェサウンドを轟(とどろ)かせるマフラーカバーが無くなっていた。
ついでにレクサスのエンブレムが取れて、接着剤の跡だけが残っていた。
マジマジと観ると、購入時のノーマルより酷(ひど)い軽ワゴンの容姿になっている気がする。
俺は“なにわ”のおとっつぁん!
実は俺には本当の大金持ちの父親が居て、いつかその莫大(ばくだい)な遺産が入り、一生遊んで暮らすのが夢だ!
俺は“なにわ”のおとっつぁん!
いつか俺の才能が開花して、画期的な発明をし、その莫大(ばくだい)な特許料で、一生遊んで暮らすのが夢だ!
Re: ◆2026年/大阪ホットナンバー4(フォー)ミュージック◆ - ラジオの友
2026/02/26 (Thu) 11:34:38
「♪“いしん”を掛けて中国の植民地の大阪都(おおさかと)を実現させよう!」
日本で2番目に大きな都市の大阪府を、都(みやこ)に昇格させよう。
政治や経済、文化や伝統を兼ね備える大阪府には、都(みやこ)の資質と品格は十分にある。
中国の植民地でもある大阪。
中華民族の奴隷となる大阪人。
2025年に開催された大阪関西万博の大成功は、親愛なる中国が大きく貢献し、実際には大阪中国万博と呼んでいい。
“いしん”を掛けて大阪都(おおさかと)が実現したら、大阪府を共産主義のシンボルカラーでもある真っ赤に染めよう!
多くの中華民族が大阪をはじめ日本各地のタワーマンションなどの不動産を、高値で購入する冊封(さくほう)を実施して日本の経済効果に貢献してくれている。
“いしん”を掛けて大阪都(おおさかと)が実現したら、御礼に大阪人は中国大陸の各地に建つ開発途中や未入居のマンションを、高値で購入する朝貢(ちょうこう)を実施して中国の経済効果に貢献しよう。
近年では地球環境に配慮したEV(電気自動車)が世界中で浸透し、サステナブル(持続可能社会構造)の実現に向けて躍進(やくしん)している。
“いしん”を掛けて大阪都(おおさかと)が実現したら、大阪で乗用車やバスを乗り換える際は、中国製のEV(電気自動車)を購入し、たとえ設備不良で不動車になったり、車体が炎上したりしても自然現象として諦めよう。
これが植民地の大阪の夢であり、奴隷の大阪人の希望である。
“いしん”を掛けて大阪都(おおさかと)が実現したら、日本の全財産を尊(とうと)び敬(うやま)う中国当局にバンバンと寄贈しよう!
“いしん”を掛けて大阪都(おおさかと)が実現したら、日本の機密情報を尊(とうと)び敬(うやま)う中国にドンドンと漏洩しよう!
“いしん”を掛けて中国の植民地の大阪都(おおさかと)を実現させよう!
大阪は中国の都(みやこ)、大阪大名は中国の公方(くぼう)。
“いしん”を掛けて中国の植民地の大阪都(おおさかと)を実現させよう!
大阪は中国の都(みやこ)、大阪大名は中国の公方(くぼう)。
Re: ◆2026年/大阪ホットナンバー4(フォー)ミュージック◆ - ラジオの友
2026/02/27 (Fri) 09:55:44
「♪偉人なるアーティストに対してのアンサーソング」
世界には偉大なる敬愛する多くのアーティストが居る。
そんな才能あるアーティストは、魅力が溢れる多くの作品を創り出している。
そんな偉人なるアーティストに対してのアンサーソング。
チャックベリーとリトルリチャードをリスペクト(尊敬)して創作してみた。
その曲名は「♪ジョニーB、フルッティ」だ。
レイチャールズとスティービーワンダーをトリビュート(敬意)して創作してみた。
その曲名は「♪ヒット・ザ・シーラブリィー」だ。
ビートルズとローリングストーンズをインスパイア(影響)して創作してみた。
その曲名は「♪レットイット、ファクション」だ。
アレサフランクリンとティナターナーとドナサマーをイマジネーション(想像力)して創作してみた。
その曲名は「♪シンク、ラブゴットトゥ、スタッフ」だ。
カーペンターズとサイモン&ガーファンクルをリスペクト(尊敬)して創作してみた。
その曲名は「♪イエスタデイワンス、オブサイレンス」だ。
エリッククラプトンとジェフベックとジミーペイジをトリビュート(敬意)して創作してみた。
その曲名は「♪ワンダフル、ピープルゲット、イミグラント」だ。
ビリージョエルとエルトンジョンをインスパイア(影響)して創作してみた。
その曲名は「♪オネスティ、ロケットマン」だ。
プリンスとマイケルジャクソンをイマジネーション(想像力)して創作してみた。
その曲名は「♪パープル、スリラー」だ。
シンディローパーとマドンナをリスペクト(尊敬)して創作してみた。
その曲名は「♪タイムアフター、ヴァージン」だ。
アーハとワムをトリビュート(敬意)して創作してみた。
その曲名は「♪テイクオン、クリスマス」だ。
ガンズ&ローゼズとメタリカをインスパイア(影響)して創作してみた。
その曲名は「♪ウェルカムトゥ、サンドマン」だ。
最後に、エマニエル坊やとエマニエル夫人をイマジネーション(想像力)して創作してみた。
その曲名は「♪シティコネクションのエロい夫人」だ。
ファック、ファック、あの夫人とファックトゥナイト!
Re: ◆2026年/大阪ホットナンバー4(フォー)ミュージック◆ - ラジオの友
2026/03/10 (Tue) 12:41:15
「♪我が故郷、京の里・伏見:壱番」
平安京から鴨川と共に南に下(さが)れば京の里・伏見。
稲荷山を中心に広々していて、とても良い町です。
有名な観光地も多く、見所満載なメジャーなスポットをご紹介しよう。
平安時代に、生前は『筆を誤った事は、一度たりとも無いっ!』が口癖だった弘法大師(こうぼうだいし)こと空海(くうかい/真言宗)が建立(こんりゅう)した真言宗(しんごんしゅう)の東寺(とうじ)を、真っ直ぐ1号線を南下すると名神高速の京都南インターがあり、そこは関西で最大級のラブホテル街で一見の価値あり。
その地域に厄除けの神社で有名な城南宮(じょうなんぐう)があり、平安時代には第74代天皇の鳥羽天皇(とばてんのう/朝廷)の鳥羽離宮もこの一帯にあった。
明治期の1868年に起こった「戊辰戦争」(ぼしんせんそう)の初戦となる「鳥羽伏見の戦」の名称は、これらが由来(ゆらい)である
確か1984年に発生した“グリコ森永事件”の身代金受渡場所に指定されたのが、京都南インターにあるファミリーレストランだったと記憶している。
南北を通る1号線は渋滞の名所でもあるが、ロードサイドの飲食店も充実している。
ただ、1号線沿いにあったアジア風の店内の大盛りオムライスで有名だった“ベビーフェイスプラネッツ京都伏見店”がクローズしている。
どうなっているんだろう?
その東側を通るのが、江戸時代に徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)が築城した二条城(にじょうじょう/京都)や親鸞(しんらん/浄土真宗)が宗祖の浄土真宗(じょうどしんしゅう)で“浄土真宗本願寺派”の西本願寺が面する堀川通から続く油小路通(あぶらのこうじどおり)には、その高架に高速道路の第二京阪道路が通っているが、少し前までは山科(やましな)から巨椋池(おぐらいけ)は阪神高速道路だった。
ただ、大阪から北上して来ると、巨椋池(おぐらいけ)から別料金となりややこしく、結局、第二京阪道路に編入された。
そんな油小路通(あぶらのこうじどおり)だが、くいな橋にある陸運局と並んで建っているのが罪人を一時的に拘束する京都拘置所だ。
そこから南部に行くと近鉄と地下鉄の竹田駅があり、駅前にはカマボコ型の屋根が特徴の昭和期に流行したカフェバーの“バンブーハウス”があったのだが、近年にクローズしてしまった。
更に南部に行くと第76代天皇の近衛天皇(このえてんのう/朝廷)の墓陵があり、その南側にバブルモダン建築の第一人者だった高松伸(たかまつしん/建築家)先生の建築設計事務所がある。
京都で歌い継がれる民謡(みんよう)の♪竹田の子守唄は、この地域の事を歌っている。
そこから少し南部に行くと“京セラ”の本社があり、京都には珍しく高層ビルである。
その油小路通(あぶらのこうじどおり)を挟んで反対側にサッちゃんが目印のカルビ丼とスンドゥブ(豆腐)が美味しい“韓丼”の本店があり、そこから南側にある“焼肉のやる気”が経営している。
この油小路通(あぶらのこうじどおり)もロードサイドの飲食店も充実している。
我が故郷、京の里・伏見。
楽しさ満点、みんなおいでよ!
我が故郷、京の里・伏見。
魅力が満載、みんな住もうよ!
Re: ◆2026年/大阪ホットナンバー4(フォー)ミュージック◆ - ラジオの友
2026/03/10 (Tue) 12:42:42
「♪我が故郷、京の里・伏見:弍番」
京都駅の東側を南北に通る24号線は、そのまま南下すれば奈良まで行ける。
そんな24号線の鴨川に架かる観進橋(かんじんばし)を渡ると左手に団地型のクラシックな大規模マンションが建っており、京都市は建築規制が厳しいので、この様な大きなマンションは珍しい。
その南部には龍谷(りゅうこく)大学があるのだが、何故かキャンパスに“スターバックスコーヒー”が入っている。
その南側にある深草西浦町は、その昔、極道の事務所が集積する地帯だった。
京阪電鉄の藤森駅には、京都1号店となる“ダイエー藤森店”があったが、今では大規模マンションになっている。
藤森にあった伏見人の憩いの場だったカフェの“ポポロヒロバ”は、近年に残念ながらクローズしてしまった。
そこから東部に行くと、鎌倉時代の持明院統(じみょういんとう/北朝)に属する第89代天皇の後深草天皇(ごふかくさてんのう/朝廷)など12人の天皇の墓陵の深草北陵(ふかくさのきたのみささぎ)がある。
名神高速道路を挟んだ南側に、平安時代の第54代天皇の仁明天皇(にんみょうてんのう/朝廷)の墓陵の深草陵(ふかくさのみささぎ)がある。
その南西部に京都国立病院があるが、これは1941年12月に起こった「太平洋戦争」こと「大東亜戦争」の時に、日本軍の施設が伏見一帯に設けられ、その名残が国立病院と師団街道(しだんかいどう)である。
その南側にある藤森神社は、馬の神様が祀られており、淀にある京都競馬場に行く人が必勝祈願で訪れる。
その南部の墨染(すみぞめ)には、忠臣蔵の赤穂浪士四十七士の首謀者だった大石内蔵助(おおいしくらのすけ)こと大石良雄(おおいしよしお/赤穂)が通い詰めた撞木町遊郭(しゅもくちょうゆうかく)の跡地がある。
その横にあるスーパーマーケットの“イズミヤ”は建替えて綺麗になった。
その前面道路が24号線だが、西南側に行くと棒鼻(ぼうばな)と言う地名があるのだが、ここに二股に別れる道路が通っており、そのちょうど股の部分にコンビニがある。
碁盤目状の都市と知られる京都で、この不思議な道路の1通りは、その昔に路面電車の専用線路だった名残であり、京都駅から中書島駅を結んでいた。
近鉄の伏見駅前にある公園に、その路面電車の車両が保存されている。
墨染(すみぞめ)の南部が丹波橋(たんばばし)で京阪電鉄と近鉄の駅がある。
その直ぐ南側が伏見桃山で伏見で一番栄えた街で、東西を通る大手筋商店街があるのだが、京阪電鉄の特急は停車しない。
伏見桃山駅前にある中華料理の“くれたけ”は、担々麺や回鍋肉定食などが美味しく、お昼はリーズナブルなランチ定食もある。
そこから近鉄の桃山御陵前駅(ももやまごりょうまええき)を過ぎると御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)があり、伏見城の大手門が移築され表門に活用している。
我が故郷、京の里・伏見。
楽しさ満点、みんなおいでよ!
我が故郷、京の里・伏見。
魅力が満載、みんな住もうよ!
Re: ◆2026年/大阪ホットナンバー4(フォー)ミュージック◆ - ラジオの友
2026/03/10 (Tue) 12:44:00
「♪我が故郷、京の里・伏見:参番」
伏見桃山の南部に位置する中書島(ちゅうしょじま)は、その昔に遊郭があり、その名残が新地の地名として残っている。
中書島(ちゅうしょじま)から濠川(ほりかわ)を越えた北部にある和菓子屋の“伏見駿河屋”の前には、明治期の1985年に日本初の電気鉄道が開通した記念碑が立っている。
そんな中書島(ちゅうしょじま)から宇治川を越えた向島(むかいじま)の一帯は、平安時代には巨椋池(おぐらいけ)と言う大きな湖だった
平安京を築城する際に、風水の四神(ししん)を採り入れているが、南の朱雀(すざく)が巨椋池(おぐらいけ)である。
ただ、明治期に新田開発の為に埋められ、昭和期には広大な敷地を利用して向島(むかいじま)に巨大な団地が建築されている。
伏見桃山の東側には小高い山があり、ここに豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)が築城した伏見城(ふしみじょう/京都)が建っていた。
その地に第50代天皇の桓武天皇(かんむてんのう/朝廷)と第122代天皇の明治天皇(めいじてんのう/朝廷)の墓陵が並んで設けられている。
その南側には室町時代に朝廷が京都と奈良で分裂した南北朝時代の、北朝2代天皇の光明天皇(こうみょうてんのう/北朝)と北朝3代天皇の崇光天皇(すこうてんのう/北朝)の墓陵も設けられている。
京阪電鉄宇治線の桃山南口駅前にある鉛筆削りみたいな建物は、高松伸(たかまつしん/建築家)先生が設計した建築業界では有名な建築物である。
そこから東側に行くと京阪電鉄とJRと地下鉄の駅がある六地蔵(ろくじぞう)で、最近まで京都1号店だった“イトーヨーカドー六地蔵店”があったが、クローズして大規模マンションが建設された。
ただご安心、ショッピングモールの“MOMO(モモ)テラス”があるので買い物の不自由さはありません。
その昔は歴代のウルトラマンを集積させた飲食店の“ウルトラdeレストラン”が併設されていたのだが、いつの間にかクローズしていた。
地球の安全を防衛するウルトラマンの施設が日本から消滅する事は、“夢”も“希望”も無い絶望国家の現れでもある。
1582年に起こった「本能寺の変」(ほんのうじのへん)で、主君の織田信長(おだのぶなが/織田)を討ち取った明智光秀(あけちみつひで/斎藤→織田→明智)だった。
ところが、その直後の天王山(てんのうざん)で起こった「山崎の戦」(やまざきのたたかい)で豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)に敗れ、伏見の小栗栖(おぐりす)まで逃亡したが、落武者狩に遭い竹藪にて斬殺された場所が、六地蔵(ろくじぞう)の北側に明智薮(あけちやぶ)として残る。
そこから北部に上(あ)がると桜で有名な醍醐寺(だいごじ/真言宗)があり、豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)が毎年に花見と茶会を催し、その桜の美しさから『醍醐見』(だいごみ/醍醐味)の語源になった。
醍醐寺(だいごじ/真言宗)の裏手には、平安時代の第61代天皇の朱雀天皇(すざくてんのう/朝廷)の墓陵がある。
醍醐寺(だいごじ/真言宗)と朱雀天皇(すざくてんのう/朝廷)の墓陵を参拝したら、是非に焼肉屋の“天壇(てんだん)山科店”に行って欲しい。
このお店は他の“天壇(てんだん)”とは違い、店内がモダンなデザインとなっておりお洒落で、デザインを生業(なりわい)とする者なら立ち寄ってもらいたい。
我が故郷、京の里・伏見。
楽しさ満点、みんなおいでよ!
我が故郷、京の里・伏見。
魅力が満載、みんな住もうよ!
Re: ◆2026年/大阪ホットナンバー4(フォー)ミュージック◆ - ラジオの友
2026/03/19 (Thu) 10:21:36
「♪京乃都(きょうのみやこ)、平安京の唄:壱番」
794年に第50代天皇の桓武天皇(かんむてんのう/朝廷)により、山城国(京都府)に平安京が遷都(せんと)された。
その前は784年に遷都(せんと)された桂川(保津川)と宇治川と木津川が合流する淀川近くの長岡京(ながおかきょう)で、その前が710年に遷都(せんと)された大和国(奈良県)の平城京だった。
この平安京から領国名が山背国から山城国(京都府)に改名された。
長岡京(ながおかきょう)から平安京への遷都(せんと)は、785年に起こった「藤原種継暗殺事件」(ふじわらたねつぐあんさつじけん)を起因した、桓武天皇(かんむてんのう/朝廷)が弟の早良親王(さわらしんのう/朝廷)を首謀者と見なし、讃岐国(香川県)に流刑した事で抗議の絶食死し、その後に多くの祟りが起こる様になった。
この厄災(やくさい)に慄(おのの)いた桓武天皇(かんむてんのう/朝廷)は家臣の和気清麻呂(わけきよまろ/朝廷)に相談し、そこで長岡京から北東の鬼門とされる平安京へ都(みやこ)の遷都(せんと)が決定し、これを「和気清麻呂の建議」(わけきよまろのけんぎ)と呼んだ。
京都の平安京は、鴨川や山脈を隔てた境目が明確で、平安京の中は人が住む場所、それより外側は異界と捉えられていた。
夕刻の薄暗い時間帯は大禍時(おおまがとき)と呼ばれ、悪霊や怨霊などが動き出し漂う時刻として人々から恐れられていた。
時には鴨川に死者を放置する為に、その遺体が5000人程に膨れ上がり、川の流れを堰き止めて市中に水が溢れ出ていたと言う。
江戸時代初めに徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)が築城した二条城の南側にある神泉苑(しんせんえん)は、異界から侵入する悪霊や怨霊などを追い払う守護神の役目を果たす。
その後、人の霊(御霊/ごりょう)を鎮魂(ちんこん)する祭り事(まつりごと)の御霊会(ごりょうえ)に発展していく。
そこに仏教の要素が加わり、7月17日に開催される祇園祭などの祭が日本各地で開催される様になる。
京乃都(きょうのみやこ)、平安京の唄。
これくらいの知識を頭に入れて、京都にお越しやすぅ〜
京乃都(きょうのみやこ)、平安京の唄。
平安京の成り立ちを知らない観光客は、ぶぶ漬け(お茶漬け)でもどうどぉすぅ〜
Re: ◆2026年/大阪ホットナンバー4(フォー)ミュージック◆ - ラジオの友
2026/03/19 (Thu) 10:22:35
「♪京乃都(きょうのみやこ)、平安京の唄:弐番」
京都の平安京の街区は、西北東方を山脈に囲まれ、その盆地に平安京は建設された。
そこに“風水”と“四神相応”(しじんそうおう)を取り入れた都市計画が定められ、平安京は構築される事となる。
そして東西南北を“四神”がその地を守り、北山に“玄武”(げんぶ)、東川に“青龍”(せいりゅう)、西道に“白虎”(びゃっこ)、南海に“朱雀”(すざく)が鎮守する。
京都の北山には東側の比叡山から西側の愛宕山が連なり、“玄武”(げんぶ)が守護する。
東川は鴨川が流れており、北側の大文字山から南側の稲荷山が連なり、“青龍”(せいりゅう)が守護する。
西道は山陽道と山陰道の起点となり、北側の嵐山から南側の松尾山が連なり、“白虎”(びゃっこ)が守護する。
南海は伏見の向島から久御山(くみやま)の周辺にかつては大きな湖の巨椋池(おぐらいけ)があり、“朱雀”(すざく)が守護する。
この“風水”と“四神相応”(しじんそうおう)に基づき、南北5.2km、東西4.5kmの街区を形成し、東西路が北方から一条から九条まで並び、南北路は中央に幅員84mの朱雀大路(すざくおおじ)が貫き、左京(東方)に中央側より一坊(いちぼう)から四坊(しぼう)が並び、右京(西方)に中央側より一坊(いちぼう)から四坊(しぼう)が並ぶ。
この一坊(いちぼう)の坊(ぼう)は、田の字の四区画に区切られ一保(いちほ)から四保(よんほ)までの保(ほ)と呼ばれた。
そして保(ほ)も田の字の四区画に区切られ町(ちょう)となり、一坊(いちぼう)は四保(よんほ)で十六町(じゅうろくちょう)となる。
ここから一町(いちちょう)を南北に四行、東西を八門に分けて三十二の宅地を造成して建物を配置した。
これにより碁盤の目状に路地が組み合わさる条坊制(じょうぼうせい)が採られた。
朱雀大路(すざくおおじ)の北方には大内裏(だいだいり)が設けられ、天皇が政治の執務を実施していた。
朱雀大路(すざくおおじ)の南方には羅城門(らじょうもん/羅生門)が構えられ、此処(ここ)が平安京の正門となる。
ただ、この平安京には寺院の建立(こんりゅう)に対して原則は認めず、羅城門(らじょうもん/羅生門)の東方に東寺(とうじ)、西方に西寺(さいじ)のみが建立(こんりゅう)された。
この平安京を現代の京都に当てはめてみると、朱雀大路(すざくおおじ)はJR嵯峨野線を中心に、北方は今出川通の少し南側の一条通、東方は河原町通辺りの鴨川、西方は桂川や西京極あたりの葛野大路通(かどのおおじとおり)、南方は一部が国道1号線と被る九条通となる。
京乃都(きょうのみやこ)、平安京の唄。
これくらいの知識を頭に入れて、京都にお越しやすぅ〜
京乃都(きょうのみやこ)、平安京の唄。
平安京の成り立ちを知らない観光客は、ぶぶ漬け(お茶漬け)でもどうどぉすぅ〜
Re: ◆2026年/大阪ホットナンバー4(フォー)ミュージック◆ - ラジオの友
2026/03/19 (Thu) 10:39:38
「♪京乃都(きょうのみやこ)、平安京の唄:参番」
平安京を基礎となす京都は、東西と南北の通りで構成される碁盤の目の都市である。
東西の通りを北側から順に並べて、京都御所の南側の通りから、丸太町通、竹屋町通、夷川通、二条通、押小路通。
まるたけえびすに、おしおいけ〜
そして二条城の南側の通りから、御池通、姉小路通、三条通、六角通、蛸薬師通、錦小路通。
あねさんろっかく、たこにしき〜
京都の主要通りの四条通、綾小路通、仏光寺通、高辻通、松原通、万寿寺通。
しあやぶったか、まつまんごじょう〜
国道1号線の五条通、雪駄屋町通(楊梅通)、鍵屋町通、銭屋町通(的場通)、魚の棚通(六条通)、三哲通(塩小路通)。
せったちゃらちゃら、うおのたな〜
ろくじょうさんてつ、とおりすぎ〜
京都駅の北側の七条通、南側の八条通。
ひっちょうこえれば、はっくじょう〜
東寺がある通りの九条通、任天堂の本社がある十条通となる。
じゅうじょうとうじで、とどめさす〜
続いて縦筋の碁盤の目で構成される京都の南北を走る通り。
現在の主要道路と言えるのが、京都一番の繁華街を貫く河原町通。
その西側から寺町通、御幸町通、麩屋町通、富小路通、柳馬場通、堺町通、高倉通、間之町通、東洞院通、車屋町通。
てらごこ、ふやとみ、やなぎさかい〜
たかあい、ひがし、くるまやちょう〜
そして京都御所の西側から東本願寺の東側を通り京都駅まで下る烏丸通が始まり、両替町通、室町通、衣棚通、新町通、釜座通、西洞院通、小川通、油小路通、醒ヶ井通。
からすりょうがえ、むらごろも〜
しんまち、かまんざ、にしおがわ〜
あぶらさめがいで、ほりかわのみず〜
京都市内の南北通りで一番広く、二条城や西本願寺の東側を通る堀川通、そして葭屋町通、猪熊通、黒門通。
よしやいのくろ、おおみやへ〜
阪急の四条大宮駅前を通り京都駅西側の梅小路公園を横目にJRの線路を高架橋で跨ぐ大宮通、松屋町通、日暮通、智恵光院通、浄福寺通。
まつひぐらしに、ちえこういん〜
最後に平安京の主軸の朱雀大路と朱雀門があったJRの二条駅の東側から真南に下がる千本通。
じょうふくせんぼん、さてにしじん〜
京乃都(きょうのみやこ)、平安京の唄。
これくらいの知識を頭に入れて、京都にお越しやすぅ〜
京乃都(きょうのみやこ)、平安京の唄。
平安京の成り立ちを知らない観光客は、ぶぶ漬け(お茶漬け)でもどうどぉすぅ〜
Re: ◆2026年/大阪ホットナンバー4(フォー)ミュージック◆ - ラジオの友
2026/05/22 (Fri) 06:35:44
「♪環境と税金に優しい、“いしん”を掛けた大阪電気(EV)バス!」
大都会の大阪の街中を元気に走る大阪電気(EV)バス。
朝の通勤通学に、夜の帰宅に、飲み過ぎの午前様に、大阪人の足となり不休で走り続ける。
24時間365日、南北に東西に縦横無尽に走り続けても、ビクともしない超強靭の大阪電気(EV)バスだ。
それでも故障はしない安全安心の設計と製造さ。
そんな大阪電気(EV)バスは信用信頼できる中国製。
ありがとう中国大陸、ありがとう毛沢東。
“いしん”を掛けて大阪電気(EV)バスは、中国の植民地の大阪を網羅して元気よく走るよ。
環境と税金に優しい、“いしん”を掛けた大阪電気(EV)バス!
他の自治体も大阪と同様に、中国製の電気(EV)バスを導入しよう!!
“いしん”を掛けて大阪電気(EV)バスは、中華民族の奴隷の大阪人を乗せて生き生き走るよ。
環境と税金に優しい、“いしん”を掛けた大阪電気(EV)バス!
絶対に損はしまへぇんでぇ〜
Re: ◆2026年/大阪ホットナンバー4(フォー)ミュージック◆ - ラジオの友
2026/08/22 (Sat) 16:16:02
「♪ゆかいな大阪」
チャチャッチャチャ〜
チャチャッチャチャ〜
大阪府は中国の植民地なんやでぇ〜
諜報活動、移民受入、臓器売買、何でもやるでぇ!
チャチャッチャチャ〜
チャチャッチャチャ〜
大阪人は中華民族の奴隷なんやでぇ〜
毛沢東(もうたくとう/共産党→国家主席)、周恩来(しゅうおんらい/共産党→初代総理)、鄧小平(とうしょうへい/共産党→ 人民解放軍元帥)、敬仰(けいぎょう)してるでぇ!
チャチャッチャチャ〜
チャチャッチャチャ〜
西成は中華街になったぁんやでぇ〜
民泊、覚醒剤、人身売買、儲かりまっせぇ!
チャチャッチャチャ〜
チャチャッチャチャ〜
大阪のゼネコン(総合建設会社)は私利私欲〜
賄賂、贈賄、袖(そで)の下、やめられまへぇんなぁ〜
チャチャッチャチャ〜
チャチャッチャチャ〜
ミナミ(難波周辺)は中華民族の憩いの場〜
タワーマンション、高級ブランド、もんじゃ焼き、なんでやぁねぇん!
Re: ◆2026年/大阪ホットナンバー4(フォー)ミュージック◆ - ラジオの友
2026/09/06 (Sun) 16:28:30
「♪脳と心が腐敗する雑草地が主体の都市構造」
ヨッヨッヨッ、ヨーメン!
JR大阪駅北側で再開発していた“うめきた”を見たかい?
グラングリーン大阪と名付けられた緑地帯が中心の都市計画だぜぇ!
大都会のど真ん中に雑草地を造ってどうするんだぁ!
大阪の顔とも言うべき大阪駅前に、4万5000㎡(1万3600坪)の雑草地。
令和8年度の公示地価は2470万円(1㎡/坪単価:8200万円)なので、単純に土地値の価値が1兆1115億円の雑草地を造った事になるぜぇ!
プロの不動産集団が手がけた再開発事業として正気の沙汰でない。
そんなに緑が恋しければ、梅田から30分程度で行ける吹田の万博公園か豊中の服部緑地に行ったらいいぜっ!
大都会は“金”と“欲望”を生み出せ!
阿傍羅刹(あぼうらせつ)が待ち構える地獄(じごく/下界)に堕ちても、大都会で人生を歩み“金”と“欲望”を捨てる事はできない。
伊耶那岐神(イザナギ)も伊耶那美神(イザナミ)も糞(クソ)喰らえだぁ!
大都会の住民は全員がこう思っているぜっ!
“金”と“欲望”の為に高層ビルを建てまくり、神地も自然も破壊しまくってやる!
ヨッヨッヨッ、ヨーメン!
グラングリーン大阪の建設地は、江戸時代には無縁仏が埋葬される“梅田墓地”で、今でも地中には無数の髑髏(しゃれこうべ)など人骨が埋まっているぜぇ!
そんな墓地跡地の緑地帯に、カップルやファミリーが多く押し寄せ、偽物(ニセモノ)の自然を満喫していると言うから笑止千万(しょうしせんばん)にも程がある。
人工的に造られた偽物(ニセモノ)の緑地帯しか知らないから、あの宇宙やこの地球が生み出した本物(ホンモノ)の環境や自然の雄大さを知らずに育ってしまうんだぁ。
未だに悪霊や怨霊が彷徨(さまよう)う“梅田墓地”で、『このグリーンに心が癒される。』なんて惚(とぼ)けた事を言っているから、地獄(じごく/下界)に引き摺り込まれるんだぜぇ!
そんなに自然を求めているなら、長野新幹線で信濃(しなの)に行って、2000m級のアルプス山脈を愛(め)でた方がよっぽど効果的だ。
大都会は“金”と“欲望”を生み出せ!
阿傍羅刹(あぼうらせつ)が待ち構える地獄(じごく/下界)に堕ちても、大都会で人生を歩み“金”と“欲望”を捨てる事はできない。
天照大御神(アマテラス)も須佐之男命(スサノオ)も糞(クソ)喰らえだぁ!
大都会の住民は全員がこう思っているぜっ!
“金”と“欲望”の為に高層ビルを建てまくり、神地も自然も破壊しまくってやる!
ヨッヨッヨッ、ヨーメン!
都会の再開発と言うのは、超高層ビルが隙間なく乱立する東京都港区が、本来の大都会のあるべき姿であるぜぇ!
JR大阪駅北側のグラングリーン大阪も従来の敢行に従い今直にでも雑草地を、高層複合ビルやタワーマンション、それに商業施設や附属施設を建設できる様に都市計画事業を変更すべきだぁ!
人工的に造られた緑地帯で、『自然を満喫できる!』なんて言っているのは、脳と心が腐敗している証拠。
そもそも都会は利便性と合理性を追求した都市構造を目指し、その結果が高層ビル群や鉄道や道路の交通網であるぜぇ!
その空白地に緑地帯を設けるのが通例で、偽物(ニセモノ)の緑地帯を主体に都市計画を推奨するのは、やはり脳と心が腐敗している証拠。
例えるなら、通学する女子中学生に変態のおじさんが自分のイチモツを見せて、『これが本物(ホンモノ)の愛だよ!』と言っている様なものだ。
ヤバい世の中になったものだぁ。
そんなに心の安らぎが欲しければ、弘法大師(こうぼうだいし)こと空海(くうかい/真言宗)へ逢いに四国へ八十八ヶ所お遍路の巡礼の旅に出たらいいぜっ!
大都会は“金”と“欲望”を生み出せ!
阿傍羅刹(あぼうらせつ)が待ち構える地獄(じごく/下界)に堕ちても、大都会で人生を歩み“金”と“欲望”を捨てる事はできない。
建御雷之男神(タケミカヅチノヲノカミ)も倭建御子(ヤマトタケルノミコ)も糞(クソ)喰らえだぁ!
大都会の住民は全員がこう思っているぜっ!
“金”と“欲望”の為に高層ビルを建てまくり、神地も自然も破壊しまくってやる!
Re: ◆2026年/大阪ホットナンバー4(フォー)ミュージック◆ - ラジオの友
2026/11/02 (Mon) 03:37:05
「♪よし子さんとダメ夫くん、明暗を別ける人生設計」
同じ時代に生まれたよし子さんとダメ夫くん、明暗を別けた人生の経緯(けいい)を診てみよう。
大学生活。
よし子さんは、都心のラグジュアリーホテルや夏休みはリゾートホテルでアルバイトし、最高レベルのサービスを身に付けて従業員や顧客の人脈を築く。
ダメ夫くんは、大学時代の4年間は近所のコンビニでアルバイトし、レジ打ちや商品陳列の日々を過ごす。
社会生活。
よし子さんは、金融機関やIT企業に勤めて、会社の為に働くのではなく、自分のスキルアップの為に知識と技能を習得する。
ダメ夫くんは、衣料品の問屋に就職し、先の事を考えず、会社や上司からの指示通りに、ただ働く日々を送る。
日常生活。
よし子さんは、夕方のスーパーで3000円のシャトーブリアンのフィレステーキや2000円の中トロの刺身を半額で購入して、上質な感性と味覚を構築させ、効果的な支出で自炊して生活費を節約する。
空いた時間や休日は、無意味無駄な交際は一切せずに、国家資格や語学を取得する為に猛勉強。
ダメ夫くんは、同僚や友人とガード下の赤提灯で安酒とホルモンで感性と味覚が構築され、高品質とは無縁の生活環境に身を置く。
空いた時間や休日は、オンラインゲーム仲間とSNSにUPする為に、ラーメン食べ歩きや居酒屋巡りを趣味とする。
5年後。
よし子さんは、都心での就労をキッパリ辞めて、所得は下がるが地方移住を実行するも、地方移住活動を推進する自治体から空き家を提供され住居費はタダ(無料)で、食費も近所の人が採れたての野菜やジビエをくれるので、生活費はさほどは掛からない。
自治体による地方移住活動の団体で働きながら、特技のITスキルを活かして地元名産の野菜や空き家活用の宿泊施設をインターネットで商売できるシステムを構築する。
ダメ夫くんは、東京都内のワンルームマンションに居住し、月収の手取り25万円のうち月額家賃8万円と生活費高騰の煽りでほぼ消えていく。
ところが、円安や物価高騰により務め先の衣料品の問屋が倒産し、その後は飲食店やガソリンスタンドでアルバイトするも、ここもドンドンと潰れていく。
10年後。
よし子さんは、地方移住活動で出会った男性と結婚して、300坪の敷地に建つ古民家をタダ(無料)で譲り受けて、2人の子供にも恵まれて、農地で野菜や果物を栽培し、自然豊かな山や海に家族で出掛けるのが日常である。
ダメ夫くんは、職を転々とする日々を過ごして、結婚を前提にして付き合っていた彼女と新築マンションの販売センターに行くも、全ての住戸が1億円以上で35年住宅ローンは月額40万円ほどを提示され、東京都郊外の月額家賃5万円のボロアパートで暮らす人種にとっては夢のまた夢で、彼女も静かにフェードアウトしていった。
老後。
よし子さんは、ほとんど生活費が掛からない田舎暮らしの為に貯蓄も十分にあり、2人の子供も独立して近所の空き家を活用して暮らしており、夫婦で孫の世話を楽しみにしながら、農地で野菜や果物を栽培する日々を送っている。
ダメ夫くんは、年金は雀の涙ほどで貯蓄もなく生活できないので、70歳を過ぎても相変わらず夏の炎天下で駐車場整理のアルバイトをして、カップラーメンとおにぎり1個の日々を送っている。
人生の明暗は、現時点の生活にある訳ではなく、数十年前からの人生設計への姿勢と実行にある。
常に世界や社会の情勢を読み解き、自己研鑽に努めてきたのは、よし子さんタイプでほぼ確定。
人生の明暗は、現時点の生活にある訳ではなく、数十年前からの人生設計への姿勢と実行にある。
25歳を過ぎて恋愛やグルメの話しか出来ず、無意味無駄なSNSに熱中するのは、ダメ夫くんタイプでほぼ確定。
今日の1枚、お薦めレコード/20261029 - ラジオの友 URL
2026/10/29 (Thu) 15:18:19
TRANSVISION VAMP /♪ BABY I DON'T CARE
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261029 - ラジオの友 URL
2026/10/29 (Thu) 15:19:31
BREATHE /♪ DON'T TELL ME LIES
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261029 - ラジオの友 URL
2026/10/29 (Thu) 15:20:31
PAUL CARRACK /♪ AFTER THE LOVE IS GONE
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261029 - ラジオの友 URL
2026/10/29 (Thu) 15:21:28
JOHN MELLENCAMP /♪ JACK AND DIANE
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261029 - ラジオの友 URL
2026/10/29 (Thu) 15:22:37
GENERAL PUBLIC /♪ I'LL TAKE YOU THERE
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261029 - ラジオの友 URL
2026/10/29 (Thu) 15:23:46
GABRIELLE /♪ HAVE YOU EVER WONDERED
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261029 - ラジオの友 URL
2026/10/29 (Thu) 15:25:53
THE PSYCHEDELIC FURS /♪ HEAVEN
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261029 - ラジオの友 URL
2026/10/29 (Thu) 15:28:19
SMOKEY ROBINSON /♪ JUST TO SEE HER
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261029 - ラジオの友 URL
2026/10/29 (Thu) 15:29:19
STEVIE WONDER FEAT.DIONNE WARWICK /♪ IT'S YOU
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261029 - ラジオの友 URL
2026/10/29 (Thu) 15:30:22
JESSE JOHNSON'S REVUE /♪ I WANT MY GIRL
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261029 - ラジオの友 URL
2026/10/29 (Thu) 15:31:28
MICHAEL W.SMITH /♪ I WILL BE HERE FOR YOU
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261029 - ラジオの友 URL
2026/10/29 (Thu) 15:32:25
Jann Arden/♪ YOU DON'T KNOW ME
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261029 - ラジオの友 URL
2026/10/29 (Thu) 15:33:25
DAN HILL /♪ I FALL ALL OVER AGAIN
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261029 - ラジオの友 URL
2026/10/29 (Thu) 15:35:23
MELVIN RILEY /♪ WHAT MAKES A MAN(WANNA CHEAT ON HIS WOMA)
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261029 - ラジオの友 URL
2026/10/29 (Thu) 15:36:34
DOLLY PARTON & JAMES INGRAM /♪ THE DAY I FALL IN LOVE
◆ラジオの友◆
今日の1枚、お薦めレコード/20261028 - ラジオの友 URL
2026/10/28 (Wed) 09:53:13
◆◇◆大人のジャズはよろしゅうおすぅなぁ〜◆◇◆
MATT WHITE /♪ 9 TO 5
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261028 - ラジオの友 URL
2026/10/28 (Wed) 09:56:28
MIKE CLARK /♪ EAST BROADWAY RUNDOWN
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261028 - ラジオの友 URL
2026/10/28 (Wed) 09:58:22
YORON ISRAEL /♪ BLACK SCHOLARS
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261028 - ラジオの友 URL
2026/10/28 (Wed) 09:59:18
Woong San /♪ COME ON AND KISS ME
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261028 - ラジオの友 URL
2026/10/28 (Wed) 10:00:14
LOLIVONE DE LA ROSA /♪ SI POR MI LLUEVE
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261028 - ラジオの友 URL
2026/10/28 (Wed) 10:01:16
JANIS SIEGEL /♪ UNSQUARE DANCE
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261028 - ラジオの友 URL
2026/10/28 (Wed) 10:02:16
CHRISTIAN SANDS NORTH MEET WEST TRIO /♪ WHERE THE CHILDREN STILL PLAY
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261028 - ラジオの友 URL
2026/10/28 (Wed) 10:03:14
JOHN PIZZARELLI /♪ Love Scene
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261028 - ラジオの友 URL
2026/10/28 (Wed) 10:04:14
TED ROSENTHAL TRIO /♪ FROM THE MOMENT ON
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261028 - ラジオの友 URL
2026/10/28 (Wed) 10:05:11
JOHNNY HARTMAN /♪ MIDNIGHT IN NEW ORLEANS
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261028 - ラジオの友 URL
2026/10/28 (Wed) 10:06:13
Yoshio Chin Suzuki The Blend/♪ BACKSTAGE
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261028 - ラジオの友 URL
2026/10/28 (Wed) 10:07:17
Knoxville Jazz Orchestra/♪ THE PEACOCKS
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261028 - ラジオの友 URL
2026/10/28 (Wed) 10:08:18
ANITA ELLIS /♪ SOMEONE TO WATCH OVER ME
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261028 - ラジオの友 URL
2026/10/28 (Wed) 10:09:15
Art Simmons/♪ TOO MARVELOUS FOR WORDS
◆ラジオの友◆
今日の1枚、お薦めレコード/20261027 - ラジオの友 URL
2026/10/27 (Tue) 09:50:45
MILES KANE /♪ DON'T FORGET WHO YOU ARE
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261027 - ラジオの友 URL
2026/10/27 (Tue) 09:51:45
MARCIA BALL /♪ COUNT THE DAYS
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261027 - ラジオの友 URL
2026/10/27 (Tue) 09:52:58
ZIGGY MARLEY /♪ TRUE TO MYSELF
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261027 - ラジオの友 URL
2026/10/27 (Tue) 09:53:57
THE O'JAYS /♪ LOVES ME LIKE A ROCK
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261027 - ラジオの友 URL
2026/10/27 (Tue) 09:55:02
JOHN NEMETH /♪ FUEL FOR YOUR FIRE
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261027 - ラジオの友 URL
2026/10/27 (Tue) 09:56:14
SHANIA TWAIN /♪ STRANGER THINGS
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261027 - ラジオの友 URL
2026/10/27 (Tue) 09:57:20
DAN FOGELBERG /♪ Old Tennessee
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261027 - ラジオの友 URL
2026/10/27 (Tue) 09:58:28
BOB SEGER & THE SILVER BULLET BAND /♪ UNDERSTANDING
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261027 - ラジオの友 URL
2026/10/27 (Tue) 10:01:18
AMOS LEE /♪ NO MORE DARKNESS,NO MORE LIGHT
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261027 - ラジオの友 URL
2026/10/27 (Tue) 10:02:15
SOMBR /♪ MY BODY ISN'T READY
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261027 - ラジオの友 URL
2026/10/27 (Tue) 10:04:58
RESTLESS HEART /♪ I'LL STILL BE LOVING YOU
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261027 - ラジオの友 URL
2026/10/27 (Tue) 10:06:01
VAN MORRISON /♪ THE PROPHET SPEAKS
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261027 - ラジオの友 URL
2026/10/27 (Tue) 10:06:57
PETER GABRIEL /♪ IN YOUR EYES
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261027 - ラジオの友 URL
2026/10/27 (Tue) 10:07:58
STEVE WINWOOD /♪ THERE'S A RIVER
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261027 - ラジオの友 URL
2026/10/27 (Tue) 10:09:01
DIONNE WARWICK /♪ I'LL NEVER LOVE THIS WAY AGAIN
◆ラジオの友◆
今日の1枚、お薦めレコード/20261026 - ラジオの友 URL
2026/10/26 (Mon) 17:37:13
MADNESS /♪ WINGS OF A DOVE
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261026 - ラジオの友 URL
2026/10/26 (Mon) 17:39:11
SANTANA FEAT.BUIKA /♪ BREAKING DOWN THE DOOR
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261026 - ラジオの友 URL
2026/10/26 (Mon) 17:40:19
SERGIO MENDES & BRASIL '66 /♪ LOOK AROUND
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261026 - ラジオの友 URL
2026/10/26 (Mon) 17:43:08
THE RONETTES /♪ DO I LOVE YOU?
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261026 - ラジオの友 URL
2026/10/26 (Mon) 17:44:15
MISS ABRAMS AND THE STRAWBERRY POINT 4TH GRADE CLASS /♪ This Time Of Life
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261026 - ラジオの友 URL
2026/10/26 (Mon) 17:45:25
Miss Abrams And The Strawberry Point 4th Grade Class /♪ Mill Valley
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261026 - ラジオの友 URL
2026/10/26 (Mon) 17:46:28
LANGLEY SCHOOLS MUSIC PROJECT /♪ IN MY ROOM
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261026 - ラジオの友 URL
2026/10/26 (Mon) 17:49:22
BELLE & SEBASTIAN /♪ JONATHAN DAVID
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261026 - ラジオの友 URL
2026/10/26 (Mon) 17:52:00
GRACE & TONY /♪ HOLY HAND GRENADE
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261026 - ラジオの友 URL
2026/10/26 (Mon) 17:54:19
BILL WITHERS /♪ HELLO LIKE BEFORE
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261026 - ラジオの友 URL
2026/10/26 (Mon) 17:55:16
BJ THOMAS WITH IVETE SANGALO /♪ THE GIRL FROM IPANEMA
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261026 - ラジオの友 URL
2026/10/26 (Mon) 17:56:07
MAURANE /♪ SUR UN PRELUDE DE BACH
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261026 - ラジオの友 URL
2026/10/26 (Mon) 17:57:01
JERRY BURNS /♪ CROSSING OVER
◆ラジオの友◆
今日の1枚、お薦めレコード/20261025 - ラジオの友 URL
2026/10/25 (Sun) 09:52:57
THE ROLLING STONES /♪ MR CHARM
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261025 - ラジオの友 URL
2026/10/25 (Sun) 09:57:23
THE ROLLING STONES /♪ GET OFF OF MY CLOUD
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261025 - ラジオの友 URL
2026/10/25 (Sun) 09:59:25
THE ROLLING STONES /♪ HANG FIRE
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261025 - ラジオの友 URL
2026/10/25 (Sun) 10:00:27
KISS/♪ Love 'Em And Leave 'Em
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261025 - ラジオの友 URL
2026/10/25 (Sun) 10:01:30
THE ROLLING STONES /♪ FINGERPRINT FILE
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261025 - ラジオの友 URL
2026/10/25 (Sun) 10:03:47
THE ROLLING STONES/♪ MIXED EMOTIONS
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261025 - ラジオの友 URL
2026/10/25 (Sun) 10:05:48
THE ROLLING STONES/♪ BROWN SUGAR
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261025 - ラジオの友 URL
2026/10/25 (Sun) 10:06:45
THE ROLLING STONES /♪ No Te Detengas (Don't Stop)
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261025 - ラジオの友 URL
2026/10/25 (Sun) 10:07:46
KISS /♪ I'M A LEGEND TONIGHT
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261025 - ラジオの友 URL
2026/10/25 (Sun) 10:09:52
THE ROLLING STONES /♪ JUST MY IMAGINATION
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261025 - ラジオの友 URL
2026/10/25 (Sun) 10:11:08
THE ROLLING STONES /♪ CAN YOU HEAR THE MUSIC
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261025 - ラジオの友 URL
2026/10/25 (Sun) 10:12:27
THE ROLLING STONES/♪ MOONLIGHT MILE
◆ラジオの友◆
今日の1枚、お薦めレコード/20261023 - ラジオの友 URL
2026/10/23 (Fri) 09:35:53
不思議ちゃん第28弾!
でわぁ、いってみよぉう!!
LILLIX /♪ WHAT I LIKE ABOUT YOU
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261023 - ラジオの友 URL
2026/10/23 (Fri) 09:36:55
THE TING TINGS /♪ SHUT UP AND LET ME GO
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261023 - ラジオの友 URL
2026/10/23 (Fri) 09:38:46
NOTD & VERONICA MAGGIO /♪ OCCHI D'AMORE
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261023 - ラジオの友 URL
2026/10/23 (Fri) 09:39:48
ROOM ELEVEN /♪ HEY HEY HEY!
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261023 - ラジオの友 URL
2026/10/23 (Fri) 09:41:46
CARLY RAE JEPSEN /♪ ALMOST SAID IT
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261023 - ラジオの友 URL
2026/10/23 (Fri) 09:42:43
LAUREN DAIGLE /♪ KALEIDOSCOPE JESUS
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261023 - ラジオの友 URL
2026/10/23 (Fri) 09:44:51
TRANSVISION VAMP /♪ BAD VALENTINE
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261023 - ラジオの友 URL
2026/10/23 (Fri) 09:46:54
BIRD & THE BEE /♪ POLITE DANCE SONG
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261023 - ラジオの友 URL
2026/10/23 (Fri) 09:49:53
PATRICK HIZON & EJEAN /♪ SWEATSHIRT
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261023 - ラジオの友 URL
2026/10/23 (Fri) 09:53:35
YONLAPA /♪ COME BACK TO MINE
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261023 - ラジオの友 URL
2026/10/23 (Fri) 09:55:06
DELANEY BAILEY /♪ LOVE LETTER FROM THE SEA TO THE SHORE
◆ラジオの友◆
今日の1枚、お薦めレコード/20261022 - ラジオの友 URL
2026/10/22 (Thu) 12:39:23
◆◇◆其の七十九:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の奥州藤原氏
陸奥国(むつ/青森県・岩手県・宮城県・福島県)の安倍氏と出羽国(でわ/秋田県・山形県)の清原氏に代わって、この領国を平定するのは第1代奥州藤原氏の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)となる。
また、多賀城(たがじょう)の国府の源義家(みなもとよしいえ/朝廷)による蝦夷(えみし)征伐は功績だったが、朝廷は恩賞を与えず国府守を解任している。
この朝廷の仕打ちに対して源義家(みなもとよしいえ/朝廷)は、こう言い残している。
源義家…『我より7代目の子孫は、必ず天下を取れっ!』
源義家(みなもとよしいえ/朝廷)の7代後の子孫に下野国(栃木県)の足利家時(あしかがいえとき/鎌倉)が居り、室町幕府を創建した足利尊氏(あしかがたかうじ/鎌倉→室町)の祖父である。
また、足利家時(あしかがいえとき/鎌倉)は己が天下を取れなかった責任者として、3代目に遺言を残し切腹している。
足利家時…『我は先祖の意に報いる事が出来ず、その責務未達よりここにて自決するが、我より3代目は、先代の源義家(みなもとよしいえ/朝廷)の意向を実現してくれっ!』
その3代目が足利尊氏(あしかがたかうじ/鎌倉→室町)であり、弟の足利直義(あしかがただよし/鎌倉→室町)である。
陸奥国(むつのくに/岩手県)をはじめとした東北地方で最も名高い奥州藤原氏。
その奥州平泉を“仏教王国”に定めたのが第1代奥州藤原氏の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)である。
1091年に藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)は、多賀城(たがじょう)の国府守に就任していた源義家(みなもとよしいえ/朝廷)の助言により京都の平安京(へいあんきょう/京都)へ上洛し、朝廷に奥州名産の“金”と“馬”を献上した。
その時、神社仏閣が点在する京都の街並みを見学し、奥州平泉の都市構造の示唆(しさ)を得る。
陸奥国(むつのくに/岩手県)の平泉に戻った藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)は、1094年〜1096年の間に“新都平泉”を建造する。
藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)は“柳の御所”を建て、そこを奥州藤原氏の館(やかた)とする。
そして「後三年の役」(ごさんねんのえき)で命を助けてくれた村娘の阿具里(あぐり/村民→ 奥州藤原氏)を呼び寄せ、奥州藤原氏の館(やかた)の近くに小館(こだち)を建て、側室として住まわせる。
PRESS CLUB /♪ TO ALL THE ONES THAT I LOVE
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261022 - ラジオの友 URL
2026/10/22 (Thu) 12:40:33
◆◇◆其の八十:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の奥州藤原氏
第1代奥州藤原氏の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)は、阿具里(あぐり/村民→ 奥州藤原氏)との間に息子の藤原惟常(ふじわらこれつね/奥州藤原氏)をもうける。
また、藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)は平氏系の北の方(きたのかた/平氏→ 奥州藤原氏)を正室に迎え、息子で第2代奥州藤原氏となる藤原基衡(ふじわらもとひら/奥州藤原氏)をもうける。
その頃、平泉に旅で訪れていた天台宗(てんだいしゅう)の僧侶の自在坊蓮光(じざいぼうれんこう/僧侶)より、800年頃の東北地方での伝説の蝦夷(えみし)と呼ばれ河内国(大阪府)で死去した阿弖流為(あてるい/蝦夷)や、第50代天皇の桓武天皇(かんむてんのう/朝廷)に仕えた征夷大将軍の坂上田村麻呂(さかうえたむらまろ/公家)の話しを、藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)に言い聞かせた。
2人は意気投合し、友好関係を築く。
自在坊蓮光(じざいぼうれんこう/僧侶)は平泉の衣川近くの開山に、阿弖流為(あてるい/蝦夷)を弔うお寺として中尊寺(ちゅうそんじ)を建立(こんりゅう)するよう提案する。
此れにより1105年〜1126年にかけて奥州平泉に中尊寺(ちゅうそんじ)が築かれる。
1107年に大長寿院(だいちょうじゅいん)、1124年に金色堂(こんじきどう)が完成する。
これが東北地方の“仏乃国”(ほとけのくに)の始まりでもある。
1126年に中尊寺(ちゅうそんじ)が完成した時には、父親で第1代奥州藤原氏の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)、息子で第2代奥州藤原氏の藤原基衡(ふじわらもとひら/奥州藤原氏)、孫で第3代奥州藤原氏の藤原秀衡(ふじわらひでひら/奥州藤原氏)の親子孫の“奥州藤原氏三代”となっていた。
1128年に第1代の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)が死去する。
当然に第2代奥州藤原氏の藤原基衡(ふじわらもとひら/奥州藤原氏)が跡目を継ぐが、そこに小館(こだち)に住む側室の阿具里(あぐり/村民→ 奥州藤原氏)と息子の藤原惟常(ふじわらこれつね/奥州藤原氏)が不満を抱く。
藤原惟常(ふじわらこれつね/奥州藤原氏)は側室軍を率いて第2代奥州藤原氏の藤原基衡(ふじわらもとひら/奥州藤原氏)の正妻軍を攻撃するも反撃に遭い、母親の阿具里(あぐり/村民→ 奥州藤原氏)は死亡し、息子の藤原惟常(ふじわらこれつね/奥州藤原氏)は越後国(新潟県)まで逃亡する。
ただ、藤原基衡(ふじわらもとひら/奥州藤原氏)は、重鎮家臣の佐藤季春(さとうすえはる/奥州藤原氏)などと正妻軍を率いて越後国(新潟県)まで討伐に出向く。
佐藤季春(さとうすえはる/奥州藤原氏)とは、陸奥国(むつ/岩手県)の平泉で信夫庄の群司(しのぶのしょうのぐんじ)や大庄司(おおしょうじ)に就任した人物である。
佐藤季春…『お前ほどの身の程知らずは、この世に必要は無い!』
バサッ バサッバサッ
藤原惟常…『ギャ〜〜 やられた〜〜』
ゴロン
此処で藤原惟常(ふじわらこれつね/奥州藤原氏)は討死する。
FLYLEAF /♪ NEW HORIZONS
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261022 - ラジオの友 URL
2026/10/22 (Thu) 12:41:27
◆◇◆其の八十一:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の奥州藤原氏
1142年、京都の藤原房前(ふじわらふささき/公家)の系統の北家(ほっけ)でもある宗形師綱(むねかたもろつな/公家)が、陸奥国司(むつこくし)に就任する。
宗形師綱(むねかたもろつな/公家)は賄賂(わいろ)を含めた献上品を一切受取らない堅物(かたぶつ)で、奥州一帯の検知(土地測量)を実施し始めた。
朝廷に奉納する年貢が上がる事を恐れた藤原基衡(ふじわらもとひら/奥州藤原氏)は、家臣の佐藤季春(さとうすえはる/奥州藤原氏)に検知(土地測量)を止めさせるよう指示する。
ところが佐藤季春(さとうすえはる/奥州藤原氏)は、検知(土地測量)を実施する宗形師綱(むねかたもろつな/公家)やその家臣を攻撃してしまう。
その事により、朝廷に謀反(むほん)を起こした奥州藤原氏と捉えられ一大事となり、佐藤季春(さとうすえはる/奥州藤原氏)は責任を取って斬首される。
介錯人…『許してくなんしぇ。』(お許しください。)
バサッ バサッバサッ
佐藤季春…『ウムッ!』
ゴロン
ただ、陸奥国をはじめ東北地方での奥州藤原氏の影響力は絶大で、平安京(へいあんきょう/京都)の朝廷は“喧嘩両成敗”として宗形師綱(むねかたもろつな/公家)を解任する。
この時期に藤原基衡(ふじわらもとひら/奥州藤原氏)は、平泉の舞草(もうくさ)の村に毛越寺(もうつじ)を建立(こんりゅう)し、徐々に奥州平泉が“仏教王国”として容作(かたちづ)いていく。
PATTI ROTHBERG /♪ TREAT ME LIKE DIRT
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261022 - ラジオの友 URL
2026/10/22 (Thu) 12:42:25
◆◇◆其の八十二:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の奥州藤原氏
この時期に、京都の平安京(へいあんきょう/京都)の朝廷では、天皇と上皇の兄弟が2分し、源平藤(げんぺいとう)を巻き込み権力闘争が行われた。
これを1156年に起こった「保元の乱」(ほうげんのらん)と、これを1160年に起こった「平治の乱」(へいじのらん)である。
戦後処理として源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)は、伊豆国(静岡県)への流刑になる。
1159年に第2代奥州藤原氏の藤原基衡(ふじわらもとひら/奥州藤原氏)が死去し、第3代奥州藤原氏の藤原秀衡(ふじわらひでひら/奥州藤原氏)が跡目を継いだ。
藤原秀衡(ふじわらひでひら)は、蝦夷(えみし)の女性との間に長男の藤原国衡(ふじわらくにひら/奥州藤原氏)をもうける。
さらに陸奥国司(むつこくし)かつ鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)の藤原基通(ふじわらもとみち/公家)の娘を正室として迎入れ、次男となる第4代奥州藤原氏の藤原泰衡(ふじわらやすひら/奥州藤原氏)が生まれる。
また、別の側室とも三男の藤原忠衡(ふじわらただひら/奥州藤原氏)をもうける。
この奥州藤原氏3兄弟が滅亡へと追い込むとは、まだ、知る由(よし)もない。
義父の藤原基通(ふじわらもとみち/公家)は、「平治の乱」(へいじのらん)で源義朝(みなもとよしとも/朝廷→源氏)と共に反乱(クーデター)を起こした藤原信頼(ふじわらのぶより/公家)の弟で、平清盛(たいらきよもり/朝廷→平氏)の報復に戦々恐々としていた。
ただ、平清盛(たいらきよもり/朝廷→平氏)の報復は奥州平泉までは及ばず、逆に第3代奥州藤原氏の藤原秀衡(ふじわらひでひら/奥州藤原氏)の絶大な権力を利用するため鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)に任命する。
ANNE-MARIE /♪ DEPRESSED
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261022 - ラジオの友 URL
2026/10/22 (Thu) 12:43:21
◆◇◆其の八十三:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の奥州藤原氏
藤原秀衡(ふじわらひでひら/奥州藤原氏)は、いずれ源氏が復活して“平氏討伐”を計(はか)る事を見越して、畿内(きない/関西)に居る牛若(うしわか)こと源義経(みなもとよしつね/源氏→藤原)に目を付けて、武将として見込みのある牛若(うしわか)こと源義経(みなもとよしつね/源氏→ 奥州藤原氏)を奥州平泉に呼び寄せる。
この道中に源義経(みなもとよしつね/源氏→ 奥州藤原氏)に賛同した者が集まり、奥州平泉まで同行する。
近江国(滋賀県)の比叡山にある天台宗(てんだいしゅう)の延暦寺(えんりゃくじ)の僧侶だった武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい/僧侶)。
源義朝(みなもとよしとも/朝廷→源氏)の家臣の鎌田政清(かまたまさきよ/源氏)の甥で鎌田政近(かまたまさちか/源氏)。
駿河国(静岡県)と相模国(神奈川県)の山賊だった伊勢義盛(いせよしもり/武士)。
常陸国(茨城県)は香取の常陸坊海尊(ひたちぼうかいそん/僧侶)。
源義経(みなもとよしつね/源氏→ 奥州藤原氏)の一行は、平泉に到着すると第3代奥州藤原氏の藤原秀衡(ふじわらひでひら/奥州藤原氏)に謁見(えっけん)し、そこで長男の藤原国衡(ふじわらくにひら/奥州藤原氏)、第4代奥州藤原氏となる次男の藤原泰衡(ふじわらやすひら/奥州藤原氏)、三男の藤原忠衡(ふじわらただひら/奥州藤原氏)の紹介を受ける。
長男の藤原国衡(ふじわらくにひら/奥州藤原氏)と三男の藤原忠衡(ふじわらただひら/奥州藤原氏)は源義経(みなもとよしつね/源氏→ 奥州藤原氏)に対して好意的だったが、次男の藤原泰衡(ふじわらやすひら/奥州藤原氏)は反感を剥(む)き出しにする。
奥州藤原氏の館(やかた)でもある“柳の御所”の北側に高館(たかだち)を設け、源義経(みなもとよしつね/源氏→ 奥州藤原氏)の住居とした。
源義経(みなもとよしつね/源氏→ 奥州藤原氏)は、奥州平泉に1174年〜1180年まで滞在し、この間に“騎馬”や“弓取”などの武術を学ぶ。
この東北地方の経験や鍛錬が、英俊豪傑(えいしゅんごうけつ)な武将としての能力を引き出している。
この頃、第3代奥州藤原氏の藤原秀衡(ふじわらひでひら/奥州藤原氏)は無量光院(むりょうこういん)を建立(こんりゅう)し、京都は宇治市に建つ“平等院鳳凰堂”を模した寺院を配置する。
これにより奥州平泉を中心とした東北地方の極楽浄土(天国)は具現化した事になる。
SABRINA CARPENTER /♪ OPPOSITE
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261022 - ラジオの友 URL
2026/10/22 (Thu) 12:44:53
◆◇◆其の八十四:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の奥州藤原氏
平安時代の末期、京都の平安京では平清盛(たいらきよもり/朝廷→平氏)が栄華(えいが)を極める。
平清盛(たいらきよもり/朝廷→平氏)は摂津国(兵庫県)に福原京(ふくはらきょう)を建造する。
それに反発する公家や武将も大勢いた。
その1人が伊豆国(静岡県)に流刑となった源義朝(みなもとよしとも/朝廷→源氏)の息子の源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)だった。
源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)は妻の北条政子(ほうじょうまさこ/鎌倉)の父親の北条時政(ほうじょうときまさ/鎌倉)の力を借りて決起する。
それに賛同したのが陸奥国(むつ/岩手県)の平泉に移住していた源義経(みなもとよしつね/源氏→ 奥州藤原氏)だが、ただ、時期早々として第3代奥州藤原氏の藤原秀衡(ふじわらひでひら/奥州藤原氏)は参戦する事に反対する。
1180年に源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)は、相模国(神奈川県)の鎌倉に地盤を固める。
そして、1180年〜1185年に起こった「源平合戦」(げんぺいかっせん)こと「治承寿永の乱」(じしょうじゅえいのらん)にて、源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)が率いる源氏軍と、平清盛(たいらきよもり/朝廷→平氏)が率いる平氏軍が交戦する。
此の合戦で源義経(みなもとよしつね/源氏→ 奥州藤原氏)に参戦した源氏軍は、1185年に起こった「壇ノ浦の戦」(だんのうらのたたかい)にて、長門国(山口県)の関門海峡で平氏軍は壊滅し、伊勢平氏の平清盛(たいらきよもり/朝廷→平氏)の系統である平家は滅亡した。
この功績に対して第77代天皇だった後白河法皇(ごしらかわほうおう/朝廷)は、源義経(みなもとよしつね/源氏→ 奥州藤原氏)に伊予国(愛媛県)の“伊予守”(いよのかみ)を与える。
これに対して相模国(神奈川県)は鎌倉で陣営を構える源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)は、源義経(みなもとよしつね/源氏→ 奥州藤原氏)が軍律を乱したとして御立腹を越えて、身震いするほど激怒する。
源義経(みなもとよしつね/源氏→ 奥州藤原氏)は、戦勝証の捕虜として平宗盛(たいらのむねもり/平氏)を従えて鎌倉に入ろうとするも、源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)に拒まれる。
さらに平宗盛(たいらのむねもり/平氏)を死罪にするよう命令し、源義経(みなもとよしつね/源氏→ 奥州藤原氏)は近江国(滋賀県)の篠原(しのはら)で斬首する。
それでも源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)は家臣に対して、源義経(みなもとよしつね/源氏→ 奥州藤原氏)を討伐するように命令を下す。
ここから源義経(みなもとよしつね)の“逃亡劇”が始まる。
平氏の滅亡により、1185年に源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)は、相模国(神奈川県)の鎌倉に鎌倉幕府を創設した。
これにより畿内(きない/関西)以外の東国での政権が初めて発足した。
第77代天皇だった後白河法皇(ごしらかわほうおう/朝廷)の崩御(ほうぎょ)に併せて、1192年に源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)が征夷大将軍1代目に就任する。
FRANK WALKER & SALEM ILESE /♪ ALL CRIED OUT
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261022 - ラジオの友 URL
2026/10/22 (Thu) 12:45:55
◆◇◆其の八十五:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の奥州藤原氏
源義経(みなもとよしつね/源氏→ 奥州藤原氏)、職業は武士。
正しかるべき正義も時(とき)として、盲(め)しいる事がある 。
彼は身に覚えのない謀反(むほん)の罪で死刑を宣告され、凱旋(がいせん)の途中で辛くも脱走した。
孤独と絶望の逃亡生活が始まる。
髪の色を変え、重労働に耐えながら、犯行現場から走り去った幕府の男を捜し求める。
彼は逃げる。
執拗(しつよう)な源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)の追跡を交(か)わしながら、“現在”を、“今夜”を、そして“明日”を生きるために。
源義経(みなもとよしつね/源氏→ 奥州藤原氏)、そう、彼は「逃亡者」(The Fugitive)である。
源義経(みなもとよしつね/源氏→ 奥州藤原氏)は、武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい/僧侶)や伊勢義盛(いせよしもり/武士)と共に陸奥国(むつ/岩手県)の平泉に落ち延びた。
第3代奥州藤原氏の藤原秀衡(ふじわらひでひら/奥州藤原氏)は、源義経(みなもとよしつね/源氏→ 奥州藤原氏)を匿(かくま)うも、第4代奥州藤原氏の藤原泰衡(ふじわらやすひら/奥州藤原氏)は、鎌倉幕府の源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)に差し出しよう嘆願(たんがん)する。
鎌倉幕府の源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)は、奥州藤原氏が源義経(みなもとよしつね/源氏→ 奥州藤原氏)を保護している事を掴む。
鎌倉幕府は陸奥国(むつ/岩手県)の奥州藤原氏に対して、上納品を京都の朝廷ではなく、鎌倉に直接納める様に指示を出し圧力を掛ける。
そんな最中(さなか)、1187年に第3代奥州藤原氏の藤原秀衡(ふじわらひでひら/奥州藤原氏)が死去する。
藤原秀衡…『兄弟3人が力を合わせて源義経(みなもとよしつね/源氏→ 奥州藤原氏)を守り抜くこと。』
これが遺言だった。
長男の藤原国衡(ふじわらくにひら/奥州藤原氏)と三男の藤原忠衡(ふじわらただひら/奥州藤原氏)は、父親の遺言を守る意志を固め、源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)の鎌倉幕府に対して攻防する奥州藤原軍を整える。
一方、次男となる第4代奥州藤原氏の藤原泰衡(ふじわらやすひら/奥州藤原氏)は、源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)の総攻撃に怯(おび)え、とうとう源義経(みなもとよしつね/源氏→ 奥州藤原氏)や武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい/僧侶)を暗殺してしまう。
藤原泰衡…『お前らは奥州藤原氏にとって疫病神で邪魔者なんじゃ〜!』
バサッ バサッバサッ
源義経…『ウグッ。』
ゴロン
武蔵坊弁慶…『ムムムッ。』
ゴロン
それでも源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)は鎌倉軍を率いて陸奥国(むつ/岩手県)の平泉を目指す。
SARA BAREILLES /♪ MANY THE MILES
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261022 - ラジオの友 URL
2026/10/22 (Thu) 12:46:57
◆◇◆其の八十六:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の奥州藤原氏
源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)は、当初から東北地方の肥沃な土地と金鉱山が目当てであったのは、第3代奥州藤原氏の藤原秀衡(ふじわらひでひら/奥州藤原氏)の時から危惧(きぐ)していた事である。
第4代奥州藤原氏で次男の藤原泰衡(ふじわらやすひら/奥州藤原氏)は、三男の藤原忠衡(ふじわらただひら/奥州藤原氏)を暗殺して責任を全てなすりつけて、源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)に許しを請(こ)う。
源頼朝…『名門家の奥州藤原氏たる者、武士たる恥ぞっ!』
こう言って源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)の鎌倉軍は北上する。
長男の藤原国衡(ふじわらくにひら/奥州藤原氏)は、奥州藤原軍を率いて陸奥国(宮城県)は多賀城(たがじょう)の南方で布陣し、源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)が率いる鎌倉軍に対して反撃するも討死する。
奥州平泉に侵攻した源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)の鎌倉軍に対して、第4代奥州藤原氏の藤原泰衡(ふじわらやすひら/奥州藤原氏)は“柳の御所”から逃亡する。
源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)は、“仏乃国”(ほとけのくに)と言われる“仏教王国”の奥州平泉の美しい街並みに感銘し、相模国(神奈川県)の鎌倉の市街地整備の参考にした。
これが鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)を中心とした門前街区である。
陸奥国の北部まで逃亡した第4代奥州藤原氏の藤原泰衡(ふじわらやすひら/奥州藤原氏)は、家臣の河田次郎(かわたじろう/奥州藤原氏)を頼るも裏切られて斬首される。
河田次郎…『お前は奥州藤原氏の恥晒(はじさら)しで、疫病神で邪魔者なんじゃ〜!』
バサッ バサッバサッ
藤原泰衡…『ギャ〜〜 やられた〜〜』
ゴロン
1189年、ここにて名門家と言われた奥州藤原氏が滅亡する。
河田次郎(かわたじろう/奥州藤原氏)は、第4代奥州藤原氏の藤原泰衡(ふじわらやすひら/奥州藤原氏)の首級(しきゅう)を持参して、奥州藤原氏の当主を討った褒美を貰いに源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)に伺うも・・・
源頼朝…『主君への謀反(むほん)は、斬首に値する。』
河田次郎(かわたじろう/奥州藤原氏)は褒美をもらうどころか、その場で斬首される。
この時、源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)は、父親の源義朝(みなもとよしとも/朝廷→源氏)が1160年に起こった「平治の乱」(へいじのらん)にて、逃亡先だった尾張国(愛知県)の知多半島の野間(のま)で家臣により裏切られ入浴中に討死したのを重ね合わせたのかも知れない。
これより武家政権となる源氏から北条氏までの鎌倉幕府が動き出す。
1689年の江戸時代、松尾芭蕉(まつおばしょう/俳人)が奥州平泉を訪れてた際に「奥の細道」(おくのほそみち)にて、こう俳句を詠む。
松尾芭蕉…『夏草や、兵(つわもの)どもが、夢のあと。』
MARIA JORDAN /♪ BETTER THAN NOTHING
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261022 - ラジオの友 URL
2026/10/22 (Thu) 12:48:02
◆◇◆其の八十七:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)
日本は元より、世界で最も有名な作家で歌人の紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)。
学生時代に歴史の教科書を開いた事のない浅学非才(せんがくひさい)な学生でも、紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)の名前くらいは知っている。
そんな誰もが知っている紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)の生涯を診てみよう。
山城国(京都府)の平安京(へいあんきょう/京都)にて、970年(不確実)に朝廷の役人に就いていた藤原為時(ふじわらためとき/公家)の娘として誕生した。
この時期の日本列島は、地震に飢饉、そして伝染病が蔓延する天災地変(てんさいちへん)に見舞われていた。
幼少期の紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)は、文学派で歌人の父親の藤原為時(ふじわらためとき/公家)が保有する書物を読み漁るのが日課で趣味でもあった。
ある日、父親の藤原為時(ふじわらためとき/公家)が、息子の藤原惟規(ふじわらのぶのり/公家)に漢文を直伝(じきでん)していた時の事、藤原惟規(ふじわらのぶのり/公家)には難しくて理解できなかった。
ところが、横で聞いていた姉の紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)は、直ぐに漢文を理解して解説できた。
こうして天賦(てんぶ)の英明果敢 (えいめいかかん)な紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)は、文学の才能を開花させる。
996年に父親の藤原為時(ふじわらためとき/公家)は、越前国(福井県)に国司に就任に就任した。
一家で越前国(福井県)に移住する事となり、近江国(滋賀県)と越前国(福井県)を結ぶ深坂古道(ふかさかこどう)にある深坂峠(ふかさかとうげ)を越える際に、塩津山(しおつやま)の深坂古道(ふかさかこどう)は草木が覆い茂り、荷物を運ぶ見窄(みすぼ)らしい格好の飛脚が、『いつ来ても深坂峠(ふかさかとうげ)を越えるのは難儀する。』と言う会話を聞いた。
此れに対して紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)は歌を詠んだ。
紫式部…『知りぬらむ、行き来(ゆきき)にならす塩津山(しおつやま)、世に経(ふ)る道は、辛(から)きものぞと。』⦅人足よ、お前達も人生の道は、この峠のように辛いと解ったであろう。⦆
尊大不遜(そんだいふそん)で不遜(ふそん)する傲慢(ごうまん)な紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)の内面的な性格を、よく表した歌である。
998年に紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)は、藤原房前(ふじわらふささき/公家)の北家(ほっけ)の系統で山城国(京都府)の国司じ就いていた藤原宣孝(ふじわらのぶたか/公家)と結婚する。
こうして紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)は、再び平安京(へいあんきょう/京都)での生活が始まる。
999年に藤原宣孝(ふじわらのぶたか/公家)と紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)の娘の藤原賢子(ふじわらかたいこ/歌人)が誕生する。
ただ、“一夫多妻”が慣例だった平安時代にて、夫婦生活は冷酷な処遇で、多くの女性と関係を持っていた藤原宣孝(ふじわらのぶたか/公家)は、紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)の屋敷に往訪(おうほう)する事は殆どなかった。
そんな紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)は、娘の藤原賢子(ふじわらかたいこ/歌人)を育児しながら寂しい日々が続いた。
此の時の経験が、“源氏物語”(げんじものがたり)の執筆の原動力となっている。
しかも、1001年に藤原宣孝(ふじわらのぶたか/公家)は死去する。
未亡人となった紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)は、現実逃避し空想の世界を楽しむ様に“源氏物語”(げんじものがたり)の執筆を始める。
1011年に父親の藤原為時(ふじわらためとき/公家)は、越後国(新潟県)の国司に就任した。
同年の1011年に越後国(新潟県)にて、弟の藤原惟規(ふじわらのぶのり/公家)が37歳で死去する。
家族の不幸の悲しみを乗り越えて紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)は、“源氏物語”(げんじものがたり)の執筆を継続して、出版する事になる。
KEVYN LETTAU /♪ ANOTHER SEASON
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261022 - ラジオの友 URL
2026/10/22 (Thu) 12:49:42
◆◇◆其の八十八:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)
この“源氏物語”(げんじものがたり)は、平安京(へいあんきょう/京都)の皇族や公家に購読され、瞬(またた)く間に流行の小説の地位を築く。
この“源氏物語”(げんじものがたり)を目にした朝廷の摂政で“望月の歌”(もちづきのうた)を詠んで有名になった藤原道長(ふじわらみちなが/公家)は、娘で第66代天皇の一条天皇(いちじょうてんのう/朝廷)の妻の藤原彰子(ふじわらしょうし/公家→朝廷)の女房(にょうぼう)に、才色兼備(さいしょくけんび)な紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)を抜擢した。
ただ、平安京(へいあんきょう/京都)の宮中に入った紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)は、他の女官の嫉妬から嫌味(いやみ)、僻(ひが)み、嫉(ねた)みの罵詈雑言(ばりぞうごん)の洗礼を受ける。
此れにより紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)は、直ぐに平安京(へいあんきょう/京都)の宮中から飛び出して、自宅の屋敷で引き篭もる様になる。
しかし、第66代天皇の一条天皇(いちじょうてんのう/朝廷)の妻の藤原彰子(ふじわらしょうし/公家→朝廷)の直々の切望(せつぼう)にて、紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)は女房(にょうぼう)に復帰する。
此の時は、自らの才能を隠して卑屈(ひくつ)のふりをした。
復帰した紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)に対して藤原道長(ふじわらみちなが/公家)は、第66代天皇の一条天皇(いちじょうてんのう/朝廷)と藤原彰子(ふじわらしょうし/公家→朝廷)の日常生活を記録した“紫式部日記”(むらさきしきぶにっき)の執筆を依頼した。
第66代天皇の一条天皇(いちじょうてんのう/朝廷)と藤原彰子(ふじわらしょうし/公家→朝廷)は、後々の第68代天皇の後一条天皇(ごいちじょうてんのう/朝廷)と第69代天皇の後朱雀天皇(ごすざくてんのう/朝廷)が誕生した。
紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)と藤原彰子(ふじわらしょうし/公家→朝廷)は、肝胆相照(かんたんあいて)らす知己(ちき)の紐帯(ちゅうたい)で結ばれていた。
1011年に長編小説の“源氏物語”(げんじものがたり)は、全54帖(じょう)にて完成した。
因みに第66代天皇の一条天皇(いちじょうてんのう/朝廷)の皇后である藤原定子(ふじわらていし/公家→朝廷)の女房(にょうぼう)として仕えた歌人で“枕草子”(まくらのそうし)を執筆した清少納言(せいしょうなごん/清原→朝廷→歌人)は、紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)との時期が異なり面識は無い。
ただ、清少納言(せいしょうなごん/清原→朝廷→歌人)の話題を聞いた紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)は、⦅漢字もろくに書けない愚昧(ぐまい)な鼠輩(そはい)である。⦆と、辛辣(しんらつ)な言葉で罵しり、書物に書き記している。
また、清少納言(せいしょうなごん/清原→朝廷→歌人)も、紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)の夫の藤原宣孝(ふじわらのぶたか/公家)を、⦅配慮軽率(はいりょけいそつ)な暗愚魯鈍(あんぐろどん)の輩(やから)である。⦆と、苛烈(かれつ)な言葉で罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせている。
そして、時は流れて紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)は、平安京(へいあんきょう/京都)の宮中から離れて行方知れずとなり、1016年(不明確)に死去したと言い伝えられている。
藤原宣孝(ふじわらのぶたか/公家)と紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)の娘で歌人の大弐三位(だいにのさんみ)こと藤原賢子(ふじわらかたいこ/歌人)は、母親譲りの英明果敢 (えいめいかかん)を兼ね備えた才能で、平安文化に作品と名を残している。
ERIN BOWMAN /♪ KEEP ME WARM
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261022 - ラジオの友 URL
2026/10/22 (Thu) 12:50:52
◆◇◆其の八十九:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●藤原氏の偉人を選出
飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代までの藤原氏を大まかに診てきた。
やはり藤原氏多過ぎ問題にて、誰がどの藤原氏なのか判別つかない事態に陥る。
特に平安時代では、歴史の概要の97%が藤原氏で占めている。
此処で1例として、藤原氏の記憶の仕方を明記しておく。
藤原氏の祖である藤原鎌足(ふじわらかまたり)こと中臣鎌足(なかとみかまたり/公家)は、飛鳥時代の600年頃でまだ家系がなく“飛六無し”を添えて覚える。
藤原四子(ふじわらしし)で南家(なんけ)の藤原武智麻呂(ふじわらむちまろ/公家)は、奈良時代の700年頃の南家の“奈七南”を添えて覚える。
“望月の歌”(もちづきのうた)を詠んだ藤原道長(ふじわらみちなが/公家)は、平安時代の1000年頃の北家(ほっけ)の“平千北”を添えて覚える。
鎌倉幕府の征夷大将軍4代目に就任した藤原氏北家(ほっけ)の五摂家(ごせっけ)に属する九条家の九条頼経(くじょうよりつね)こと藤原頼経(ふじわらよりつね/公家→鎌倉)は、鎌倉時代の1200年頃の北家(ほっけ)の“鎌二北”を添えて覚える。
こうすれば、何時(いつ)の時代に活躍していた藤原氏かが判明する。
また、平安時代以降に藤原氏は鳴りを潜めたが、家系として消滅はしていない。
鎌倉時代では、鎌倉幕府の征夷大将軍1代目の源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)と、征夷大将軍2代目の源頼家(みなもとよりいえ/鎌倉) と、征夷大将軍3代目の源実朝(みなもとさねとも/鎌倉)の源氏が継続した。
ところがその後に源氏が断絶し、鎌倉幕府の征夷大将軍が不在となり、執権3代目の北条泰時(ほうじょうやすとき/鎌倉)の尽力で、1226年に京都の朝廷から藤原氏北家(ほっけ)の五摂家(ごせっけ)に属する九条家の九条頼経(くじょうよりつね)こと藤原頼経(ふじわらよりつね/公家→鎌倉)が征夷大将軍4代目に就任した。
ただ、征夷大将軍4代目の九条頼経(くじょうよりつね)こと藤原頼経(ふじわらよりつね/公家→鎌倉)と執権4代目の北条経時(ほうじょうつねとき/鎌倉)は仲違いし、九条頼経(くじょうよりつね)こと藤原頼経(ふじわらよりつね/公家→鎌倉)は征夷大将軍から退任させられた。
1244年に、藤原頼経(ふじわらよりつね/公家→鎌倉)の息子の藤原頼嗣(ふじわらよりつぐ/鎌倉→公家)が征夷大将軍5代目に就任した。
1252年に、鎌倉幕府へ謀反の疑惑が浮上し、征夷大将軍5代目の藤原頼嗣(ふじわらよりつぐ/鎌倉→公家)は、征夷大将軍から退任させられた。
戦国時代では、1560年に起こった「小田原城の戦」(おだわらじょうのたたかい)にて、相模国(神奈川県)の小田原城(おだわらじょう)を拠点とする“相模の獅子”と呼ばれた伊勢北条氏3代目の北条氏康(ほうじょううじやす/伊勢北条)を、越後国(新潟県)の春日山城(かすがやまじょう/上越)を拠点とする“越後の龍”と呼ばれた長尾景虎(ながおかげとら)こと上杉謙信(うえすぎけんしん/長尾→上杉)が、京都の朝廷から関白の近衛前久(このえさきひさ/公家)と共に侵攻をしている。
近衛前久(このえさきひさ/公家)の近衛家(このえけ)とは、藤原氏北家(ほっけ)の五摂家(ごせっけ)の近衛家(このえけ)と一条家と九条家と鷹司家(たかつかさけ)と二条家から構成されている。
近衛前久(このえさきひさ/公家)の息子で左大臣に就任した近衛信尹(このえのぶただ/公家)は、織田信長(おだのぶなが/織田)や豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)と親交を深めた。
ただ1585年に、近衛前久(このえさきひさ/公家)は朝廷の関白への就任に際して、妻が織田信長(おだのぶなが/織田)の娘である現役の関白の二条昭実(にじょうあきざね/公家)と紛争した「関白相論」(かんぱくそうろん)を繰り広げた。
この「関白相論」(かんぱくそうろん)を仲裁したのが豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)で、この紛争を解決する為に、豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)が藤原氏の養子に入り自らが関白に就任してしまう。
昭和期では、日本の政府の第34代と第38代〜第39代内閣総理大臣に就いた近衛文麿(このえふみまろ/公卿→政治家)は、1941年12月に起こった「太平洋戦争」こと「大東亜戦争」にて、日本軍は敗戦し終戦後に1945年に自決した。
MARIA MCKEE /♪ LATE DECEMBER
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261022 - ラジオの友 URL
2026/10/22 (Thu) 12:52:47
◆◇◆其の九十:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●藤原氏の偉人を選出
因みに、藤原鎌足(ふじわらかまたり)こと中臣鎌足(なかとみかまたり/公家)から始まった藤原氏は、庶家(しょけ)には幾つもの氏姓(しせい)が存在する。
例えば、井戸を管理する藤原氏は藤井氏、田畑を管理する藤原氏は藤田氏、沢の近くに住む藤原氏は藤沢氏となる。
越後国(新潟県)の佐渡島を統治する藤原氏は佐藤氏、加賀国(石川県)を統治する藤原氏は加藤氏、斎場を担う藤原氏は斎藤氏、伊輩(いはい)を統括する藤原氏は伊藤氏、安房国(あわ/千葉県)に拠点とする藤原氏は安藤氏となる。
“藤”が着く氏姓(しせい)は、藤原鎌足(ふじわらかまたり)こと中臣鎌足(なかとみかまたり/公家)の末裔と思ってよい。
藤原鎌足(中臣鎌足)…『“藤”が着く氏姓(しせい)なんて、日本中にどんだけ居んねぇ〜〜ん!』
■藤原氏の偉大な偉人、十英傑(じゅうえいけつ)■
①:第1代奥州藤原氏の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)
平安時代にて、奥州藤原氏の祖となる藤原清経(ふじわらきよつね/奥州藤原氏)の息子で、陸奥国(むつ/岩手県)の平泉を拠点として、中尊寺(ちゅうそんじ)と金色堂(こんじきどう)を建立(こんりゅう)し、奥州を仏教王国に築いた。
②:紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)
平安時代にて、第66代天皇の一条天皇(いちじょうてんのう/朝廷)の中宮で藤原彰子(ふじわらしょうし/公家→朝廷)の女房(にょうぼう)に就任し、“源氏物語”(げんじものがたり)を執筆したが、性格は悲観的で否定的である。
③:藤原鎌足(ふじわらかまたり)こと中臣鎌足(なかとみかまたり/公家)
飛鳥時代にて、藤原氏の祖で、中大兄皇子(なかのおおえのみこ)こと第38代天皇の天智天皇(てんぢてんのう)と共に、645年に起こった「乙巳の変」(いっしのへん)と、645年に実施した「大化の改新」(たいかのかいしん)を実施した。
④:恵美押勝(えみおしかつ)こと藤原仲麻呂(ふじわらなかまろ/公家)
奈良時代にて、藤原氏南家(なんけ)の藤原武智麻呂(ふじわらむちまろ/公家)の息子で、第46代天皇の孝謙天皇(こうけんてんのう/女皇)および第48代天皇の称徳天皇(しょうとくてんのう/女皇)と弓削道鏡(ゆげどうきょう/僧侶)の恋人と対立し、764年に起こった「藤原仲麻呂の乱」(ふじわらのなかまろのらん)で討死した。
⑤:藤原純友(ふじわらすみとも/公家→海賊)
平安時代にて、藤原房前(ふじわらふささき/公家)の北家(ほっけ)の藤原良範(ふじわらよしのり/公家)の息子で、伊予国(愛媛県)の国司(こくし)に就任するも、瀬戸内海の日振島(ひぶりじま/宇和島)を拠点とした海賊に転身し、940年に起こった「藤原純友の乱」(ふじわらすみとものらん)こと「承平天慶の乱」(じょうへいてんぎょうのらん)で、平安京(へいあんきょう/京都)の朝廷に謀反を実施した。
⑥:藤原冬嗣(ふじわらふゆつぐ/公家)
平安時代にて、藤原房前(ふじわらふささき/公家)の北家(ほっけ)の系統で、810年に起こった「薬子の変」(くすこのへん)にて、第52代天皇の嵯峨天皇(さがてんのう/朝廷)の蔵人頭(くろうどとう)に就任して、此れが要因となり藤原氏北家(ほっけ)が摂関政治を主導する様になる。
⑦:俵藤太(たわらとうた)こと藤原秀郷(ふじわらひでさと/公家)
平安時代にて、奥州藤原氏の先祖で、940年に起こった「平将門の乱」(たいらのまさかどのらん)こと「承平天慶の乱」(じょうへいてんぎょうのらん)にて、下総国(しもうさ/茨城県)に設けられら石井の王城(いわいのおうじょう/坂東)を拠点とした新皇(しんのう)の平将門(たいらまさかど/朝廷→下総)を討伐し、“天下一の弓取り名人”と呼ばれ、近江国(滋賀県)の琵琶湖近くで巨大百足(オオムカデ)を弓の矢で射止め、琵琶湖に住む竜王(りゅうおう)を助けた伝説がある。
⑧:藤原不比等(ふじわらふひと/公家)
飛鳥時代から奈良時代にて、藤原鎌足(ふじわらかまたり)こと中臣鎌足(なかとみかまたり)の息子で、朝廷の官僚に就いた公卿(くぎょう)で、701年に「大宝律令」(たいほうりつりょう)と720年に「日本書紀」(にほんしょき)を編纂(へんさん)した。
⑨:藤原良房(ふじわらよしふさ/公家)
平安時代にて、藤原房前(ふじわらふささき/公家)の北家(ほっけ)である藤原冬嗣(ふじわらふゆつぐ/公家)の息子で、藤原氏北家(ほっけ)による他氏排斥の一環で、866年に起こった「応天門の変」(おうてんもんのへん)にて、奸計(かんけい)を講じた首謀者とされている。
⑩:藤原道長(ふじわらみちなが/公家)
平安時代にて、藤原兼家(ふじわらかねいえ/公家)の息子で、第68代天皇の後一条天皇(ごいちじょうてんのう/朝廷)と第69代天皇の後朱雀天皇(ごすざくてんのう/朝廷)と第70代天皇の後冷泉天皇(ごれいぜいてんのう/朝廷)の祖父として、平安京(へいあんきょう/京都)の朝廷の摂政や関白に就任し、『この世をば、わが世とぞ思ふ望月(もちづき)の、欠けたる事もなしと思へば。』⦅この世の中は、まるで自分の為にある様なものだ。 満月の様に、何も欠けているものがない、完全に満ち足りた気持ちだ。⦆の“望月の歌”(もちづきのうた)を詠む。
ALICE PEACOCK /♪ BLISS
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261022 - ラジオの友 URL
2026/10/22 (Thu) 12:53:54
◆◇◆其の一:阿波国(徳島県)の徳島と尾張国(愛知県)の海部(あま)を紐帯(ちゅうたい) で結ぶ蜂須賀氏(はちすかうじ)◆◇◆
●四国新幹線と大気都比売命(オオゲツヒメ)
世界が認知する日本の産物と言えば“新幹線”である。
時速300kmで激走する新幹線を観ようと、インバウンド(訪日観光客)が兵庫県に設けられた山陽新幹線の姫路駅に往訪(おうほう)している。
1964年に東海道新幹線が開業し、1975年に山陽新幹線が福岡県の博多駅まで延伸した。
東日本にも1982年に東北新幹線と上越新幹線が開業し、ミニ新幹線として山形新幹線と秋田新幹線が在来線を活用して走行している。
その後も、1997年に北陸新幹線、2004年に九州新幹線、2016年に北海道新幹線、2022年に西九州新幹線と、日本列島を繋ぐ様に延伸された。
今後は、リニア中央新幹線、東九州新幹線、山陰新幹線、四国新幹線の開業が待たれる。
この中でも四国新幹線の期待が大きい。
人格高潔(じんかくこうけつ)な信仰深い日本人やインバウンド(訪日観光客)が、奈良時代の774年に讃岐国(香川県)で生誕した真言宗(しんごんしゅう)の宗祖の弘法大師(こうぼうだいし)こと空海(くうかい/真言宗)に、敬仰(けいぎょう)して朗唱(ろうしょう)する四国八十八ヶ所巡り(お遍路)を実施する為に、多くの信者が四国に往訪(おうほう)している。
この四国八十八ヶ所巡り(お遍路)を誰もが実施し、結願(けちがん)して満願成就(まんがんじょうじゅ)するには、四国新幹線での円滑な移動が欠かせない。
また、四国の東南部に位置する阿波国(徳島県)は、五穀豊穣の神様の大気都比売命(オオゲツヒメ)に所縁(ゆかり)のある地域である。
大気都比売命(オオゲツヒメ)は、頭から蚕(かいこ)、両目から稲、両耳から粟(あわ)、鼻から小豆(あずき)、お尻から大豆(だいず)、陰部から麦が誕生させた。
“食”は人間の根幹で、日本の食材は全て大気都比売命(オオゲツヒメ)が司っている。
もし、この日本列島で、四国新幹線をはじめ収支計画が負債や赤字を膨らませる事を理由に『新規新幹線不要論』を唱える等閑視(とうかんし)で愚昧(ぐまい)な鼠輩(そはい)の日本人が存在するなら、配慮軽率(はいりょけいそつ)な者とその一族は、大気都比売命(オオゲツヒメ)に負い目がある須佐之男命(スサノオ)に、剣で斬殺されて身体をバラバラにされる。
この地球、あの宇宙では、“新幹線”は神の領域で神聖なる遺産と認識してよい。
日本列島で生存する人間は、日々の食費を削ってでも、新幹線の維持修繕費を捻出(ねんしゅつ)する義務がある。
この強制規定に反論するなら、間違いなく阿傍羅刹(あぼうらせつ)が待ち構える地獄(じごく/下界)に堕とされるであろう。
MILO GREENE /♪ LONELY EYES
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261022 - ラジオの友 URL
2026/10/22 (Thu) 12:55:18
◆◇◆其の二:阿波国(徳島県)の徳島と尾張国(愛知県)の海部(あま)を紐帯(ちゅうたい) で結ぶ蜂須賀氏(はちすかうじ)◆◇◆
●阿波国(徳島県)の徳島城(とくしまじょう)
北部の瀬戸内海、東部の紀伊水道、南部の太平洋、西部の豊後水道(ぶんごすいどう)に囲まれた四国は、その名の通り讃岐国(香川県)と阿波国(徳島県)と伊予国(愛媛県)と土佐国(高知県)の4領国からなる。
四国の中央北部には、伊予国(愛媛県)から阿波国(徳島県)に掛けて断層の中央構造線が通っており、西部の九州から東部の関東まで1000km余りに延びている。
この四国の中央構造線の南北部に山岳地帯が連なり、谷には山から雨水が流れ出して大きな河川が出来て、その東部に位置する阿波国(徳島県)の徳島に広大な三角州の平地が形成された。
その三角州に徳島の市街地が設けられている。
この為に徳島の市街地は、多数の河川が入り組んでいる。
この河川を利用して、1585年に阿波国(徳島県)の徳島藩の領主に就任した蜂須賀家政(はちすかいえまさ/織田→豊臣→徳川)により、築城したのが徳島城(とくしまじょう)である。
徳島は元の地名は渭津(いすい)で、蜂須賀家政(はちすかいえまさ/織田→豊臣→徳川)が徳島城(とくしまじょう)と城下町を整備した時に改名された。
また、徳島の南部に位置する阿南(あなん)に築城された牛岐城(うしきじょう/阿南)も、蜂須賀家政(はちすかいえまさ/織田→豊臣→徳川)により富岡城(とみおかじょう)に改名されている。
徳島城(とくしまじょう)は、徳島を象徴する眉山(びざん)の東部の山に築かれた平山城(ひらやまじろ)で、北側に助任川(すけとうがわ)と南側に寺島川(てらしまがわ)が流れ、その北部には大きな河川の吉野川(よしのがわ)が流れている。
これら河川に囲まれた徳島城(とくしまじょう)は大小の島で構成され、其々(それぞれ)が曲輪の役割を果たし、橋が架けられ繋がっている。
城郭には正門となる鷲の門(わしのもん)から入城し、その周辺の三木郭(みきくるわ)には米蔵や倉庫が設けられていた。
大手門を入ると表御殿と奥御殿が建てられ、領主などは此処で生活していた。
其処から山に登ると、西三の丸には西御殿が建ち、西二の丸と本丸には櫓(やぐら)が設けられ、一段下がった東二の丸に天守閣が建てられた。
東二の丸に天守閣が設けられた理由は不明だが、城下町から威厳ある天守閣が観える様にしたと伝えられている。
徳島城(とくしまじょう)の竣工に伴い、蜂須賀家政(はちすかいえまさ/織田→豊臣→徳川)は城下町の町人に、無礼講の酒宴を催し踊り明かした事が、徳島名物の阿波踊りの起源と言われている。
WATERLILLIES /♪ SUNSHINE LIKE YOU
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261022 - ラジオの友 URL
2026/10/22 (Thu) 12:56:32
◆◇◆其の三:阿波国(徳島県)の徳島と尾張国(愛知県)の海部(あま)を紐帯(ちゅうたい) で結ぶ蜂須賀氏(はちすかうじ)◆◇◆
●蜂須賀小六(はちすかころく)こと蜂須賀正勝(はちすかまさかつ/斎藤→織田→豊臣)
数百年前の権門勢家(けんもんせいか)な名族(めいぞく)の子孫は、滅亡して途絶えている家系もあれば、この令和期まで継がれている家系もある。
その一族が御健在なのが蜂須賀氏(はちすかうじ)である。
蜂須賀氏(はちすかうじ)で最も功績を残したのが、蜂須賀小六(はちすかころく)こと蜂須賀正勝(はちすかまさかつ/斎藤→織田→豊臣)であろう。
尾張国(愛知県)の海部(あま)に建つ蜂須賀城(はちすかじょう/海部)の城主の蜂須賀正利(はちすかまさとし/斎藤→織田→斎藤)の息子として、1526年に蜂須賀小六(はちすかころく)こと蜂須賀正勝(はちすかまさかつ/斎藤→織田→豊臣)は誕生した。
父親の蜂須賀正利(はちすかまさとし/斎藤→織田→斎藤)は、美濃国(岐阜県)の斎藤氏の家臣で、木曽川と長良川と揖斐川の河口を拠点とした川並衆(かわなみしゅう)である。
1553年に蜂須賀小六(はちすかころく)こと蜂須賀正勝(はちすかまさかつ/斎藤→織田→豊臣)も、美濃国(岐阜県)の稲葉山城(いなばやまじょう/岐阜城)の城主で“蝮(マムシ)の道三”と呼ばれる長井規秀(ながいのりひで)こと斎藤道三(さいとうどうさん/土岐→斎藤)の家臣として仕えた。
ところが1556年に起こった「長良川の戦」(ながらがわのたたかい)にて、長井規秀(ながいのりひで)こと斎藤道三(さいとうどうさん/土岐→斎藤)は、息子の一色義龍(いっしきよしたつ)こと斎藤義龍(さいとうよしたつ/斎藤)の謀反により討死した。
此れにより蜂須賀小六(はちすかころく)こと蜂須賀正勝(はちすかまさかつ/斎藤→織田→豊臣)は、尾張国(愛知県)の織田伊勢守で岩倉城(いわくらじょう)の城主の織田信安(おだのぶやす/織田→斎藤→僧侶)の息子の織田信賢(おだのぶかた/織田→僧侶)の家臣として仕えた。
ところが1558年に起こった「浮野の戦」(うきののたたかい)にて、尾張国(愛知県)の織田大和守で清洲城(きよすじょう)の城主の織田信長(おだのぶなが/織田)と、犬山城(いぬやまじょう)の城主の織田信清(おだのぶきよ/織田→武田)の大和連合軍に侵攻を受けて、織田伊勢守で岩倉城(いわくらじょう)の城主の織田信安(おだのぶやす/織田→斎藤→僧侶)は追放される。
此れにより蜂須賀小六(はちすかころく)こと蜂須賀正勝(はちすかまさかつ/斎藤→織田→豊臣)は、尾張国(愛知県)の犬山城(いぬやまじょう)の城主の織田信清(おだのぶきよ/織田→武田)の家臣として仕えた。
ところが1562年に、領土配分で織田信長(おだのぶなが/織田)と織田信清(おだのぶきよ/織田→武田)が対立した。
織田信長(おだのぶなが/織田)が率いる織田軍信長隊の侵攻により犬山城(いぬやまじょう)は陥落し、織田信清(おだのぶきよ/織田→武田)は敗北し逃亡して、甲斐国(山梨県)の躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた/甲府)を拠点とする“甲斐の虎”と呼ばれた武田信玄(たけだしんげん/武田)の家臣として仕えた。
此れにより蜂須賀小六(はちすかころく)こと蜂須賀正勝(はちすかまさかつ/斎藤→織田→豊臣)は、尾張国(愛知県)の清洲城(きよすじょう)の城主の織田信長(おだのぶなが/織田)の家臣として仕えた。
此れには、織田信長(おだのぶなが/織田)の側室の生駒吉乃(いこまきつの/生駒→織田)の父親で、藤原氏北家(ほっけ)の生駒氏(いこまうじ)の系統の尾張国(愛知県)の小折城(こおりじょう/江南)の城主の生駒家宗(いこまいえむね/織田)と、蜂須賀小六(はちすかころく)こと蜂須賀正勝(はちすかまさかつ/斎藤→織田→豊臣)が同郷だった縁も影響している。
こうして織田信長(おだのぶなが/織田)は、豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)の陪臣(ばいしん)として蜂須賀小六(はちすかころく)こと蜂須賀正勝(はちすかまさかつ/斎藤→織田→豊臣)を仕えさせた。
BETH NIELSEN CHAPMAN /♪ FAIR ENOUGH
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261022 - ラジオの友 URL
2026/10/22 (Thu) 12:57:58
◆◇◆其の四:阿波国(徳島県)の徳島と尾張国(愛知県)の海部(あま)を紐帯(ちゅうたい) で結ぶ蜂須賀氏(はちすかうじ)◆◇◆
●蜂須賀小六(はちすかころく)こと蜂須賀正勝(はちすかまさかつ/斎藤→織田→豊臣)
此の後の蜂須賀小六(はちすかころく)こと蜂須賀正勝(はちすかまさかつ/斎藤→織田→豊臣)は、豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)の元で数々の武功(ぶこう)と功績を残した。
1567年に起こった「稲葉山城の戦」(いなばやまじょうのたたかい)に関連して、豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)と蜂須賀小六(はちすかころく)こと蜂須賀正勝(はちすかまさかつ/斎藤→織田→豊臣)などは、長良川を活用して山間部から木材を伐採し水運で運搬し、1566年に美濃国(岐阜県)の墨俣城(すのまたじょう/大垣)の一夜城(いちやじょう)を築き、その効果により一色龍興(いっしきたつおき)こと斎藤龍興(さいとうたつおき/斎藤)を美濃国(岐阜県)の稲葉山城(いなばやまじょう/岐阜城)から追放した。
1568年に起こった「上洛戦」(じょうらくせん)にて、征夷大将軍15代目の足利義昭(あしかがよしあき/室町)を擁護(ようご)して、京都の反対勢力を一掃する。
1570年に起こった「金ヶ崎の戦」(かねがさきのたたかい)にて、越前国(福井県)の一乗谷館(いちじょうだにやかた/福井)を拠点とする朝倉義景(あさくらよしかげ/朝倉)に侵攻した際に、織田信長(おだのぶなが/織田)の親族で同盟関係だった近江国(滋賀県)の小谷城(おだにじょう/長浜)の城主の浅井久政(あざいひさまさ/浅井)と息子の浅井長政(あざいながまさ/浅井)の寝返りにより、織田信長(おだのぶなが/織田)は「金ヶ崎の退き口」(かねがさきののきくち)を敢行して窮地を脱した。
1570年に起こった「姉川の戦」(あねがわのたたかい)にて、近江国(滋賀県)の小谷城(おだにじょう/長浜)の城主の浅井久政(あざいひさまさ/浅井)と息子の浅井長政(あざいながまさ/浅井)と、越前国(福井県)の一乗谷館(いちじょうだにやかた/福井)を拠点とする朝倉義景(あさくらよしかげ/朝倉)の浅井朝倉軍と、織田信長(おだのぶなが/織田)と徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)の織田徳川軍が交戦して、一気呵成(いっきかせい)の織田徳川軍は勝利し浅井朝倉軍は壊滅的な敗北した。
1576年に起こった「天王寺の戦」(てんのうじのたたかい)にて、摂津国(大阪府)の大坂本願寺(おおさかほんがんじ)こと石山本願寺(いしやまほんがんじ)の僧侶の顕如(けんにょ/僧侶)が率いる一向群集(いっこうぐんしゅう)と交戦し、蜂須賀小六(はちすかころく)こと蜂須賀正勝(はちすかまさかつ/斎藤→織田→豊臣)は一番槍を挙げている。
また、合戦以外でも蜂須賀小六(はちすかころく)こと蜂須賀正勝(はちすかまさかつ/斎藤→織田→豊臣)は、数々の構成を挙げている。
京都の二条御所(にじょうごしょ)が火災に見舞われた時に、蜂須賀小六(はちすかころく)こと蜂須賀正勝(はちすかまさかつ/斎藤→織田→豊臣)が鎮火に一役買い、居住していた征夷大将軍15代目の足利義昭(あしかがよしあき/室町)から褒美を下賜(かし)されている。
近江国(滋賀県)の安土城(あづちじょう/近江八幡)を築城する際には、丹羽長秀(にわながひで/織田→豊臣)の元で蜂須賀小六(はちすかころく)こと蜂須賀正勝(はちすかまさかつ/斎藤→織田→豊臣)は、石垣を建造する建築責任者に就いている。
1577年から「中国攻め」(ちゅうごくせめ)が開始され、豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)が率いる織田軍豊臣隊に、蜂須賀小六(はちすかころく)こと蜂須賀正勝(はちすかまさかつ/斎藤→織田→豊臣)と息子の蜂須賀家政(はちすかいえまさ/織田→豊臣→徳川)は従軍した。
この「中国攻め」(ちゅうごくせめ)にて、蜂須賀小六(はちすかころく)こと蜂須賀正勝(はちすかまさかつ/斎藤→織田→豊臣)は武功(ぶこう)と功績を挙げ、織田信長(おだのぶなが/織田)から“備前長船祐定”(びぜんおさふねすけさだ)の短刀を下賜(かし)され、播磨国(はりま/兵庫県)の龍野城(たつのじょう)の城主に任命された。
1582年に起こった「本能寺の変」(ほんのうじのへん)にて、“織田四天王”と呼ばれた明智光秀(あけちみつひで/斎藤→織田→明智)の謀反により、織田信長(おだのぶなが/織田)が横難横死(おうなんおうし)する。
豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)が率いる織田軍豊臣隊は、主君の仇打ちを実施すべく畿内(きない/関西)に帰還する為に、播磨国(兵庫県)の武将の黒田官兵衛(くろだかんべえ)こと黒田孝高(くろだよしたか/小寺→織田→豊臣→徳川)と蜂須賀小六(はちすかころく)こと蜂須賀正勝(はちすかまさかつ/斎藤→織田→豊臣)は、備後国(広島県)の福山の安国寺(あんこくじ/臨済宗)の僧侶で毛利氏の専属の交渉人に就いていた安国寺恵瓊(あんこくじえけい/武田→毛利→豊臣)と和平交渉に入る。
織田軍豊臣隊と毛利軍の和睦が締結されると、豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)が率いる織田軍豊臣隊は、畿内(きない/関西)に帰還する「中国大返し」(ちゅうごくおおがえし)を敢行する。
山城国(京都府)の天王山(てんのうざん)の周辺にて、豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)が率いる織田軍豊臣隊と明智光秀(あけちみつひで/斎藤→織田→明智)が率いる明智軍は、交戦を繰り広げる。
この「山崎の戦」(やまざきのたたかい)にて、織田軍豊臣隊が勝利し、敗北した明智光秀(あけちみつひで/斎藤→織田→明智)は逃亡するも、山城国(京都府)の伏見にある小栗栖(おぐるす)の明智薮(あけちやぶ/六地蔵)で落武者狩りで死去した。
ELISHA LA'VERNE /♪ YOU ARE THE ONE
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261022 - ラジオの友 URL
2026/10/22 (Thu) 12:59:35
◆◇◆其の五:阿波国(徳島県)の徳島と尾張国(愛知県)の海部(あま)を紐帯(ちゅうたい) で結ぶ蜂須賀氏(はちすかうじ)◆◇◆
●蜂須賀小六(はちすかころく)こと蜂須賀正勝(はちすかまさかつ/斎藤→織田→豊臣)
1582年に開催された「清洲会議」(きよすかいぎ)を経て、織田氏の家督継承を巡り“鬼柴田”と呼ばれる柴田勝家(しばたかついえ/織田)と豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)が対立した。
1583年に起こった「賤ヶ岳の戦」(しずがたけのたたかい)にて、豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)が率いる豊臣軍は、柴田勝家(しばたかついえ/織田)が率いる柴田軍に勝利する。
1584年に起こった「小牧長久手の戦」(こまきながくてのたたかい)にて、豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)が率いる豊臣軍は、織田信長(おだのぶなが/織田)の次男の織田信雄(おだのぶかつ/織田→豊臣→徳川)と徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)が率いる織田徳川軍が交戦したが、豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)と織田信雄(おだのぶかつ/織田→豊臣→徳川)は和睦して終戦する。
1584年に、蜂須賀小六(はちすかころく)こと蜂須賀正勝(はちすかまさかつ/斎藤→織田→豊臣)の娘の糸姫(いとひめ/蜂須賀→黒田→ 蜂須賀)と、黒田官兵衛(くろだかんべえ)こと黒田孝高(くろだよしたか/小寺→織田→豊臣→徳川)の息子の黒田長政(くろだながまさ/豊臣→徳川)は結婚する。
1585年に起こった「紀州征伐」(きしゅうせいばつ)にて、豊臣政権に反発する紀伊国(和歌山県)の鉄砲集団の雑賀衆(さいかしゅう)の棟梁の雑賀孫一(さいかまごいち)や寺院を、豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)が率いる豊臣軍は鎮圧する。
1585年に起こった「四国攻め」(しこくぜめ)にて、豊臣政権に反発する土佐国(高知県)の武将の長宗我部元親(ちょうそかべもとちか/一条→ 長宗我部→豊臣)を、豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)が率いる豊臣軍は鎮圧する。
此れら合戦でも、蜂須賀小六(はちすかころく)こと蜂須賀正勝(はちすかまさかつ/斎藤→織田→豊臣)と息子の蜂須賀家政(はちすかいえまさ/織田→豊臣→徳川)は、従軍し武功(ぶこう)と功績を挙げている。
此れにより豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)は、蜂須賀小六(はちすかころく)こと蜂須賀正勝(はちすかまさかつ/斎藤→織田→豊臣)に対して阿波国(徳島県)の徳島藩の領主を任命する。
しかし、蜂須賀小六(はちすかころく)こと蜂須賀正勝(はちすかまさかつ/斎藤→織田→豊臣)は高齢を理由にし、息子の蜂須賀家政(はちすかいえまさ/織田→豊臣→徳川)に譲った。
1586年に蜂須賀小六(はちすかころく)こと蜂須賀正勝(はちすかまさかつ/斎藤→織田→豊臣)は死去する。
LANA DEL REY /♪ DARK BUT JUST A GAME
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261022 - ラジオの友 URL
2026/10/22 (Thu) 13:00:49
◆◇◆其の六:阿波国(徳島県)の徳島と尾張国(愛知県)の海部(あま)を紐帯(ちゅうたい) で結ぶ蜂須賀氏(はちすかうじ)◆◇◆
●蜂須賀家政(はちすかいえまさ/織田→豊臣→徳川)
蜂須賀小六(はちすかころく)こと蜂須賀正勝(はちすかまさかつ/斎藤→織田→豊臣)から家督継承した蜂須賀家政(はちすかいえまさ/織田→豊臣→徳川)は、1558年に尾張国(愛知県)の丹羽(にわ)に建つ宮後城(みやうしろじょう/江南)で誕生した。
成人の儀式にて、烏帽子親(えぼしおや)から烏帽子(えぼし)を被せられ、姓(かばね)が与えられる元服(げんぷく)を受けた蜂須賀家政(はちすかいえまさ/織田→豊臣→徳川)は、1570年に起こった「姉川の戦」(あねがわのたたかい)や1577年から開始された「中国攻め」(ちゅうごくせめ)にて、父親の蜂須賀小六(はちすかころく)こと蜂須賀正勝(はちすかまさかつ/斎藤→織田→豊臣)と共に従軍し、武功(ぶこう)と功績を挙げた。
1585年に阿波国(徳島県)の徳島藩の石高17万6000石の領主に就任し、阿波国(徳島県)の広大な三角州の平地にある小高い山に徳島城(とくしまじょう)を築城した。
蜂須賀家政(はちすかいえまさ/織田→豊臣→徳川)は城下町の整備にも尽力し、周辺の河川を活用した水運で交易を実施して、阿波国(徳島県)の領国は栄耀栄華(えいようえいが)を極めた。
徳島城(とくしまじょう)の竣工に伴い、蜂須賀家政(はちすかいえまさ/織田→豊臣→徳川)は城下町の町人に、無礼講の酒宴を催し踊り明かした事が、徳島名物の阿波踊りの起源と言われている。
1592年に起こった「文禄の役」(ぶんろくのえき)または“第4次朝鮮出兵”と、1596年に起こった「慶長の役」(けいちょうのえき)または“第5次朝鮮出兵”にて、“豊臣五奉行”の石田三成(いしだみつなり/豊臣)やキリシタン大名の小西行長(こにしゆきなが/商人→宇喜多→豊臣)と対立する。
1598年に山城国(京都府)の伏見城(ふしみじょう/京都)にて、豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)が死去する。
1599年に起こった「七将襲撃事件」(しちしょうしゅうげきじけん)にて、蜂須賀家政(はちすかいえまさ/織田→豊臣→徳川)は加藤清正(かとうきよまさ/豊臣→徳川)や黒田長政(くろだながまさ/豊臣→徳川)らと共に、石田三成(いしだみつなり/豊臣)の屋敷を襲撃する。
1600年に起こった「関ヶ原の戦」(せきがはらのたたかい)にて、蜂須賀家政(はちすかいえまさ/織田→豊臣→徳川)は豊臣氏に恩義がある為に、中立を保ち紀伊国(和歌山県)の高野山(こうやさん)に建つ真言宗(しんごんしゅう)の総本山の金剛峯寺(こんごうぶじ)に隠居した。
ただ、最終的には徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)が率いる東軍に加担している。
此の時期に蜂須賀家政(はちすかいえまさ/織田→豊臣→徳川)は、息子の蜂須賀至鎮(はちすかよししげ/徳川)に家督継承した。
因みに、蜂須賀小六(はちすかころく)こと蜂須賀正勝(はちすかまさかつ/斎藤→織田→豊臣)の娘の糸姫(いとひめ/蜂須賀→黒田→ 蜂須賀)は、豊臣氏と徳川氏が対立し始めた1600年に夫の黒田長政(くろだながまさ/豊臣→徳川)と離縁している。
その後に糸姫(いとひめ/蜂須賀→黒田→ 蜂須賀)は、阿波国(徳島県)の徳島城(とくしまじょう)に居住した。
1603年の武蔵国(東京都)の江戸城(えどじょう)にて、征夷大将軍1代目の徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)は江戸幕府の開設した。
1614年に起こった「大坂・冬の陣」にて、蜂須賀家政(はちすかいえまさ/織田→豊臣→徳川)は、豊臣軍に加担する様相を見せ、息子の蜂須賀至鎮(はちすかよししげ/徳川)や周囲の反対で断念した。
征夷大将軍3代目の徳川家光(とくがわいえみつ/徳川)が政権運営を担う時流(じりゅう)の1639年に、蜂須賀家政(はちすかいえまさ/織田→豊臣→徳川)は死去する。
●蜂須賀至鎮(はちすかよししげ/徳川)
蜂須賀家政(はちすかいえまさ/織田→豊臣→徳川)の息子の蜂須賀至鎮(はちすかよししげ/徳川)は1586年に誕生した。
1600年に起こった「関ヶ原の戦」(せきがはらのたたかい)にて、徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)が率いる東軍に従軍した。
此の時期に父親の蜂須賀家政(はちすかいえまさ/織田→豊臣→徳川)から、蜂須賀至鎮(はちすかよししげ/徳川)は家督継承し、阿波国(徳島県)の徳島藩の1代目藩主に就任した。
1614年に起こった「大坂・冬の陣」と1615年に起こった「大坂・夏の陣」では、徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)が率いる徳川軍に従軍し、武功(ぶこう)と功績を挙げた。
1615年に淡路国(兵庫県)を加増され石高25万7000石の藩主となる。
江戸時代には、徳島をはじめとした阿波国(徳島県)の新田開発や非常用食料の育成に尽力した。
徳島城(とくしまじょう)の北部を流れる吉野川(よしのがわ)を治水事業にて、氾濫しない様に改良している。
蜂須賀至鎮(はちすかよししげ/徳川)は、秀逸(しゅういつ)した人心掌握術で家臣を統括し、徳島城(とくしまじょう)の城下町の町人からも徳政(とくせい)を担った聖君(せいくん)として敬仰(けいぎょう)された。
1620年に蜂須賀至鎮(はちすかよししげ/徳川)は、父親の蜂須賀家政(はちすかいえまさ/織田→豊臣→徳川)より早く死去する。
JULIEN BAKER /♪ DISTANT SOLAR SYSTEMS
◆ラジオの友◆
今日の1枚、お薦めレコード/20261021 - ラジオの友 URL
2026/10/21 (Wed) 13:03:43
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261021 - ラジオの友 URL
2026/10/21 (Wed) 13:04:54
HUGEL, SNOOP DOGG /♪ H.O.U.S.E
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261021 - ラジオの友 URL
2026/10/21 (Wed) 13:08:40
MAE MULLER & JODIE HARSH /♪ HALLUCINATION
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261021 - ラジオの友 URL
2026/10/21 (Wed) 13:09:40
LADYTRON /♪ DESTROY EVERYTHING YOU TOUCH
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261021 - ラジオの友 URL
2026/10/21 (Wed) 13:10:37
LOVERGROUND FEAT.BB SWAY /♪ MY LOVE IS TRUE
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261021 - ラジオの友 URL
2026/10/21 (Wed) 13:11:34
ALAN WALKER & MEEK /♪ DANCING IN LOVE
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261021 - ラジオの友 URL
2026/10/21 (Wed) 13:12:36
ATC /♪ AROUND THE WORLD(LA LA LA LA LA)
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261021 - ラジオの友 URL
2026/10/21 (Wed) 13:14:49
PROSPA & CLOONEE /♪ FREE YOUR MIND
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261021 - ラジオの友 URL
2026/10/21 (Wed) 13:16:47
DJ QUIK /♪ AMERICA'Z MOST COMPLETE ARTIST
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261021 - ラジオの友 URL
2026/10/21 (Wed) 13:17:46
TRACIE SPENCER /♪ THIS TIME MAKE IT FUNKY
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261021 - ラジオの友 URL
2026/10/21 (Wed) 13:19:42
OLIVER HELDENS & ANABEL ENGLUND /♪ DEJA VU
◆ラジオの友◆
今日の1枚、お薦めレコード/20261020 - ラジオの友 URL
2026/10/20 (Tue) 20:32:31
◆◇◆其の六十一:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の藤原氏
また、上皇(じょうこう)が出家して僧侶となり法皇(ほうおう)と名乗るが、意味は変わりない。
院政(いんせい)の名称は、白河上皇(しらかわじょうこう/朝廷)が平安京(へいあんきょう/京都)に隣接した東方の白河院(しらかわいん)で政権運営を実施した事から名付けられた。
白河院(しらかわいん)の敷地内には六勝寺(ろくしょうじ)と呼ばれる6箇所の寺院が建立(こんりゅう)された。
1077年に建立された第72代天皇の白河天皇(しらかわてんのう/朝廷)と藤原師実(ふじわらもろざね/公家)が尽力(じんりょく)した法勝寺(ほっしょうじ/廃寺)である。
1102年に建立された第73代天皇の堀河天皇(ほりかわてんのう/朝廷)が尽力(じんりょく)した尊勝寺(そんしょうじ/廃寺)である。
1118年に建立された第74代天皇の鳥羽天皇(とばてんのう/朝廷)が尽力(じんりょく)した最勝寺(さいしょうじ/廃寺)である。
1128年に建立された第74代天皇の鳥羽天皇(とばてんのう/朝廷)の妻で中宮(ちゅうぐう)の藤原璋子(ふじわらしょうし/公家→朝廷)が尽力(じんりょく)した円勝寺(えんしょうじ/廃寺)である。
1139年に建立された第75代天皇の崇徳天皇(すとくてんのう/朝廷)が尽力(じんりょく)した成勝寺(じょうしょうじ/廃寺)である。
1149年に建立された第76代天皇の近衛天皇(このえてんのう/朝廷)が尽力(じんりょく)した延勝寺(えんしょうじ/廃寺)である。
平安京から離れて、七条(しちじょう)の東方に建つ法住寺殿 (ほうじゅうじどの)や伏見の桂川近くに建つ鳥羽離宮でも政権運営を実施された。
この法住寺殿 (ほうじゅうじどの)が、後々の1165年に、平清盛(たいらきよもり/朝廷→平氏)が第77代天皇だった後白河上皇(ごしらかわじょうこう/朝廷→天皇)の屋敷の敷地内に、近江国(滋賀県)の比叡山に建つ延暦寺(えんりゃくじ)が総本山の天台宗(てんだいしゅう)の寺院として蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)こと三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)を建立(こんりゅう)して寄進(きしん)した場所である。
TOTO /♪ ROCKMAKER
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261020 - ラジオの友 URL
2026/10/20 (Tue) 20:33:23
◆◇◆其の六十二:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の藤原氏
次ぎに天皇継承の流れを見ていく。
1073年に、第71代天皇の後三条天皇(ごさんじょうてんのう/朝廷)が退位して、息子の第72代天皇の白河天皇(しらかわてんのう/朝廷)が皇位を譲位(じょうい)する。
この年に第71代天皇の後三条天皇(ごさんじょうてんのう/朝廷)は薨御(こうぎょ)する。
1087年に、第72代天皇の白河天皇(しらかわてんのう/朝廷)が退位して、息子の第73代天皇の堀河天皇(ほりかわてんのう/朝廷)が皇位を譲位(じょうい)する。
この時に白河上皇(しらかわじょうこう/朝廷)となるが、ただ、ここで藤原氏北家(ほっけ)の藤原師実(ふじわらもろざね/公家)が、第73代天皇の堀河天皇(ほりかわてんのう/朝廷)の祖父として外戚(がいせき)となった事により、再び摂関政治が始まる事になり、院政(いんせい)は始動するのはもう少し後である。
1096年に、白河上皇(しらかわじょうこう/朝廷)は愛娘の死により白河法皇(しらかわほうおう/朝廷)となる。
1099年に、摂関政権の関白に藤原忠実(ふじわらただざね/公家)が就任するが、政権運営の能力も実力も伴っていなかった為に、白河法皇(しらかわほうおう/朝廷)が実権を握り院政(いんせい)を本格的に開始させる。
白河院(しらかわいん)に居住する白河法皇(しらかわほうおう/朝廷)が政務の詔勅(しょうちょく)や勅命(ちょくめい)を朝廷などに発する事を院宣(いんぜん)と呼ぶ。
一方、この頃の藤原氏北家(ほっけ)の摂関政治は立場も弱まり、一応は存続していたが非常に影は薄くなっていた。
1099年に、摂関政権の関白に藤原忠実(ふじわらただざね/公家)が就任する。
ただ、政権運営の能力も実力も伴っていなかった為に失態を繰り返して、白河法皇(しらかわほうおう/朝廷)が実権を握り院政(いんせい)を本格的に開始させる要因にもなった。
関白が藤原忠実(ふじわらただざね/公家)のままだと摂関政治の運営に支障をきたす為に、息子で兄の藤原忠通(ふじわらただみち/公家→天皇)が家督と関白を引き継ぐ。
藤原忠実(ふじわらただざね/公家)もう1人の息子が居り、左大臣で弟の藤原頼長(ふじわらよりなが/公家→上皇)である。
ここで藤原氏北家(ほっけ)のお家芸でもある天皇の祖父となり外戚(がいせき)により、朝廷の摂関政権をより強固にする事を考える。
兄の藤原忠通(ふじわらただみち/公家→天皇)は、娘の藤原聖子(ふじわらせいし/公家→朝廷)を第75代天皇の崇徳天皇(すとくてんのう/朝廷)の妻で中宮(ちゅうぐう)に娶(めと)らせ、第76代天皇の近衛天皇(このえてんのう/朝廷)の養母に就かせた
弟の藤原頼長(ふじわらよりなが/公家→上皇)は、養女の藤原多子(ふじわらまさるこ/公家→朝廷)を第76代天皇の近衛天皇(このえてんのう/朝廷)の妻で皇后に娶(めと)らせ、後々に第78代天皇の二条天皇(にじょうてんのう/朝廷)の妻で皇后に娶(めと)らした為に、太皇太后(たいこうたいごう)の称号が与えられた。
因(ちな)みに藤原多子(ふじわらまさるこ/公家→朝廷)の父親の徳大寺公能(とくだいじきんよし/公家)は、藤原氏北家(ほっけ)の閑院流(かんいんりゅう)で七清華家(しちせいがけ)の徳大寺家の系統で、右大臣に就任していた。
七清華家(しちせいがけ)とは、三条家、西園寺家(さいおんじけ)、徳大寺家、久我家(こがけ)、花山院家(かさんのいんけ)、大炊御門家(おおいのみかどけ)、菊亭家(きくていけ)の事を指す名門家である。
WONDERGAP /♪ GIVE ME ONE LAST CHANCE
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261020 - ラジオの友 URL
2026/10/20 (Tue) 20:34:11
◆◇◆其の六十三:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の藤原氏
1107年に、第73代天皇の堀河天皇(ほりかわてんのう/朝廷)が崩御(ほうぎょ)して、息子の第74代天皇の鳥羽天皇(とばてんのう/朝廷)が皇位を即位(そくい)する。
1123年に、第74代天皇の鳥羽天皇(とばてんのう/朝廷)が退位して、息子の第75代天皇の崇徳天皇(すとくてんのう/朝廷)が皇位を譲位(じょうい)する。
これにより鳥羽上皇(とばじょうこう/朝廷)となるが、朝廷の実権はまだ白河法皇(しらかわほうおう/朝廷)が握ったままである。
更(さら)にここで平安京(へいあんきょう/京都)をはじめ、日本全国でのもっぱらの噂が、第75代天皇の崇徳天皇(すとくてんのう/朝廷)の父親は、第74代天皇の鳥羽天皇(とばてんのう/朝廷)ではなく、第72代天皇の白河天皇(しらかわてんのう/朝廷)こと白河法皇(しらかわほうおう/朝廷)ではなかったのかと疑われた。
鳥羽天皇(とばてんのう/朝廷)の妻で中宮(ちゅうぐう)で、第75代天皇の崇徳天皇(すとくてんのう/朝廷)の母親は藤原璋子(ふじわらしょうし/公家→朝廷)だが、幼い頃に白河天皇(しらかわてんのう/朝廷)の養子に入っている。
しかも義父の白河天皇(しらかわてんのう/朝廷)に寵愛(ちょうあい)を受けて育ち、それが男女の愛に変わり第75代天皇の崇徳天皇(すとくてんのう/朝廷)が誕生したと言われた。
この真偽は、後々の兄の崇徳上皇(すとくじょうこう/朝廷→上皇)と弟の後白河天皇(ごしらかわてんのう/朝廷→天皇)の兄弟対立を引き起こした1156年の「保元の乱」(ほうげんのらん)に繋がると見れば納得いく。
1129年に、白河法皇(しらかわほうおう/朝廷)が薨御(こうぎょ)する。
これにて鳥羽上皇(とばじょうこう/朝廷)が朝廷の実権を握り院政(いんせい)を引き継ぐ。
ここで鳥羽上皇(とばじょうこう/朝廷)は、第75代天皇の崇徳天皇(すとくてんのう/朝廷)に対して詭計(きけい)を仕掛ける。
先(ま)ず、鳥羽上皇(とばじょうこう/朝廷)と妻で皇后の藤原得子(ふじわらとくし/公家→朝廷)の息子で皇太子の躰仁親王(なりひとしんのう)を、嫌いな第75代天皇の崇徳天皇(すとくてんのう/朝廷)の養子に入れると言う。
この養子縁組には第75代天皇の崇徳天皇(すとくてんのう/朝廷)にも利点がある。
第75代天皇の崇徳天皇(すとくてんのう/朝廷)が皇太子の父親になれば、躰仁親王(なりひとしんのう)が天皇に就任した時に院政(いんせい)を引き継ぐ事ができる。
鳥羽上皇…『叔父子(おじこ)よぉ、わしぃの息子の躰仁親王(なりひとしんのう)を養子にせぇえへん?』
崇徳天皇…『義父よぉ、ええでぇ〜』
鳥羽上皇…『後から言った言わんになると面倒臭いから、一応は朝廷の書面で署名しとこうやぁ。』
崇徳天皇…『分かったわぁ〜 此処(ここ)に名前を書いて押印すればええんやぁなぁ〜』
鳥羽上皇…『そうやぁ、うひぃひぃひぃ〜』
この朝廷から出された養子縁組の詔勅(しょうちょく)には、“皇太子”(こうたいし)ではなく“皇太弟”(こうたいてい)と言う文字が書かれていた。
これは、“皇太子”(こうたいし)なら第75代天皇の崇徳天皇(すとくてんのう/朝廷)は義父となり、上皇(じょうこう)になった時に天皇の父親として朝廷の実権を握り院政(いんせい)を引き継ぐ事ができる。
しかし、“皇太弟”(こうたいてい)なら第75代天皇の崇徳天皇(すとくてんのう/朝廷)は兄の立場だから、上皇(じょうこう)になった時に天皇の兄として朝廷の実権を握り院政(いんせい)を引き継ぐ事ができない。
なんなら第75代天皇の崇徳天皇(すとくてんのう/朝廷)と躰仁親王(なりひとしんのう)は、母親が違う鳥羽上皇(とばじょうこう/朝廷)の息子だから異母兄弟であり、態々(わざわざ)大層に朝廷の詔勅(しょうちょく)で調印する必要などは全くなく、はっきり言って無意味で無駄である。
崇徳天皇…『クッソ〜 タヌキ親父に計られたぁ!』
FOALS /♪ LOOKING HIGH
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261020 - ラジオの友 URL
2026/10/20 (Tue) 20:35:03
◆◇◆其の六十四:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の藤原氏
1142年に、第75代天皇の崇徳天皇(すとくてんのう/朝廷)が退位して、第74代天皇の鳥羽天皇(とばてんのう/朝廷)こと鳥羽上皇(とばじょうこう/朝廷)の息子の第76代天皇の近衛天皇(このえてんのう/朝廷)が皇位を譲位(じょうい)する。
ただ此処(ここ)で、次期天皇の皇太子候補を誰にするのかと言う後継者問題が、鳥羽上皇(とばじょうこう/朝廷)かつ朝廷に出てきた。
第76代天皇の近衛天皇(このえてんのう/朝廷)はまだ3歳と幼く当然に嫡男(ちゃくなん)は存在していない。
しかし、鳥羽上皇(とばじょうこう/朝廷)としては、崇徳上皇(すとくじょうこう/朝廷→上皇)の嫡男(ちゃくなん)の重仁親王(しげひとしんのう/朝廷)だけには天皇の皇位継承をさせたくない。
そこで鳥羽上皇(とばじょうこう/朝廷)と妻で中宮(ちゅうぐう)の藤原璋子(ふじわらしょうし/公家→朝廷)の息子の雅仁親王(まさひとしんのう)を皇太子に就任させようとしたが、この雅仁親王(まさひとしんのう)は歌手に目覚めて今様(いまよう)と成り、鴨川の河川敷で歌ばかりを唄っていた。
そこで目を付けたのが雅仁親王(まさひとしんのう)の息子の守仁親王(もりひとしんのう)で、後々の第78代天皇の二条天皇(にじょうてんのう/朝廷)である。
ただ、皇太子に就く守仁親王(もりひとしんのう)の父親の雅仁親王(まさひとしんのう)が、天皇未経験では朝廷として体裁(ていさい)が悪い。
その為に雅仁親王(まさひとしんのう)は暫定(ざんてい)の天皇として就任する事が決まり、後々の第77代天皇の後白河天皇(ごしらかわてんのう/朝廷→天皇)となる。
1155年に、76代天皇の近衛天皇(このえてんのう/朝廷)が崩御(ほうぎょ)して、第74代天皇の鳥羽天皇(とばてんのう/朝廷)こと鳥羽上皇(とばじょうこう/朝廷)の息子の第77代天皇の後白河天皇(ごしらかわてんのう/朝廷→天皇)が皇位を即位(そくい)する。
これが崇徳上皇(すとくじょうこう/朝廷→上皇)の反乱を意思を固める決定打となる。
SHAKATAK /♪ DREAMTIME
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261020 - ラジオの友 URL
2026/10/20 (Tue) 20:35:54
◆◇◆其の六十五:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の藤原氏
平安京(へいあんきょう/京都)の朝廷を担っていた白河法皇(しらかわほうおう/朝廷)が、1129年に薨御(こうぎょ)する。
朝廷の実権は鳥羽上皇(とばじょうこう/朝廷)に移り、政権運営を担う院政(いんせい)を28年間に渡り司(つかさど)った。
鳥羽上皇(とばじょうこう/朝廷)は、息子の第75代天皇の崇徳天皇(すとくてんのう/朝廷)を退位させて、崇徳上皇(すとくじょうこう/朝廷→上皇)に就かせる。
1142年に、鳥羽上皇(とばじょうこう/朝廷)は、息子の第76代天皇の近衛天皇(このえてんのう/朝廷)が皇位を譲位(じょうい)し、自らは鳥羽法皇(とばほうおう/朝廷)に就いた。
ただ1155年に、第76代天皇の近衛天皇(このえてんのう/朝廷)が崩御(ほうぎょ)して、鳥羽法皇(とばほうおう/朝廷)の息子の第77代天皇の後白河天皇(ごしらかわてんのう/朝廷→天皇)が皇位を即位(そくい)した。
この皇位継承で父親の鳥羽法皇(とばほうおう/朝廷)かつ弟の第77代天皇の後白河天皇(ごしらかわてんのう/朝廷→天皇)と、兄の崇徳上皇(すとくじょうこう/朝廷→上皇)が対立していく。
1156年に鳥羽法皇(とばほうおう/朝廷)が薨御(こうぎょ)する。
これで目障りが居なくなった崇徳上皇(すとくじょうこう/朝廷→上皇)が行動に出る。
その頃の平安京(へいあんきょう/京都)の警備や防御を任されていた北面武士(ほくめんぶし)が源氏と平氏の系統だった。
元々は畿内(きない/関西)で“南都北嶺”(なんとほくれい)と呼ばれる寺院の僧兵が武装集団として組織化され、“南都”(なんと)にある法相宗(ほっそうしゅう)の興福寺(こうふくじ)に軍備された僧兵の奈良法師(ならほうし)や、“北嶺”(ほくれい)にある天台宗(てんだいしゅう)の延暦寺(えんりゃくじ)に軍備された僧兵の山法師(やまほうし)による無理難題で理不尽な要求を、北面武士(ほくめんぶし)が阻止する役目を担っていた。
その北面武士(ほくめんぶし)の源氏と平氏を利用したのが天皇家と藤原氏北家(ほっけ)である。
これが本格的な武士の台頭に繋(つな)がる。
BLACKNUSS /♪ DISCO FANTASY
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261020 - ラジオの友 URL
2026/10/20 (Tue) 20:36:43
◆◇◆其の六十六:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の藤原氏
そして、京都の平安京(へいあんきょう/京都)の朝廷では、天皇と上皇の兄弟が仲違いし、源平藤(げんぺいとう)を巻き込み権力闘争が行われた。
では、親子兄弟親族の血族対立の構図です。
天皇軍は弟の第77代天皇の後白河天皇(ごしらかわてんのう/朝廷→天皇)で、第74代天皇の鳥羽天皇(とばてんのう/朝廷)の息子である。
摂関家は関白で兄の藤原忠通(ふじわらただみち/朝廷→天皇)で、藤原忠実(ふじわらただざね/公家)の息子で、娘の藤原聖子(ふじわらせいし/公家→朝廷)は、父親の第74代天皇の鳥羽天皇(とばてんのう/朝廷)と対立する第75代天皇の崇徳天皇(すとくてんのう/朝廷)の妻で中宮(ちゅうぐう)と、第74代天皇の鳥羽天皇(とばてんのう/朝廷)の息子の第76代天皇の近衛天皇(このえてんのう/朝廷)の養母となる。
平氏は甥の平清盛(たいらきよもり/朝廷→天皇→平氏)、伊勢平氏である平忠盛(たいらただもり/朝廷→平氏)の息子で、平正盛(たいらまさもり/朝廷)の孫である。
源氏は兄の源義朝(みなもとよしとも/朝廷→天皇→源氏)で、源為義(みなもとためよし/朝廷→上皇)の息子である。
上皇軍は兄の第75代天皇だった崇徳上皇(すとくじょうこう/朝廷→上皇)は、第74代天皇の鳥羽天皇(とばてんのう/朝廷)の息子だが、第72代天皇の白河天皇(しらかわてんのう/朝廷)の息子と言う噂もあり、これが要因で「保元の乱」(ほうげんのらん)が勃発したと言っても過言ではない。
摂関家は左大臣で弟の藤原頼長(ふじわらよりなが/朝廷→上皇)、藤原忠実(ふじわらただざね/公家)の息子で、養女の藤原多子(ふじわらまさるこ/公家→朝廷)は、父親が七清華家(しちせいがけ)の徳大寺公能(とくだいじきんよし/公家)で、第76代天皇の近衛天皇(このえてんのう/朝廷)の妻で皇后と、後々に第78代天皇の二条天皇(にじょうてんのう/朝廷)の妻で皇后となり、太皇太后(たいこうたいごう)の称号を与えられる。
平氏は叔父の平忠正(たいらただまさ/朝廷→上皇)で、平正盛(たいらまさもり/朝廷)の息子である。
源氏は父の源為義(みなもとためよし/朝廷→上皇)は、河内源氏の源義親(みなもとよしちか/朝廷)の息子で、八幡太郎(はちまんたろう)こと源義家(みなもとよしいえ/朝廷)の孫である。
弟の源為朝(みなもとためとも/朝廷→上皇)は、源為義(みなもとためよし/朝廷→上皇)の息子である。
崇徳上皇(すとくじょうこう/朝廷→上皇)の不穏な動きを察知した後白河天皇(ごしらかわてんのう/朝廷→天皇)は、烏丸御池から西方に入った自邸の高松殿(たかまつでん)に、関白の藤原忠通(ふじわらただみち/朝廷→天皇)、平氏の平清盛(たいらきよもり/朝廷→天皇→平氏)、源氏の源義朝(みなもとよしとも/朝廷→天皇→源氏)を招集して天皇軍を結成する。
一方、平安京(へいあんきょう/京都)の南方の鳥羽離宮(とばりきゅう)に建つ田中殿(たなかでん)で、崇徳上皇(すとくじょうこう/朝廷→上皇)は、左大臣の藤原頼長(ふじわらよりなが/朝廷→上皇)、平氏の平忠正(たいらただまさ/朝廷→上皇)、源氏の源為義(みなもとためよし/朝廷→上皇)と源為朝(みなもとためとも/朝廷→上皇)を招集して上皇軍を結成する。
THUNDERCAT AND TAME IMPALA /♪ NO MORE LIES
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261020 - ラジオの友 URL
2026/10/20 (Tue) 20:37:39
◆◇◆其の六十七:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の藤原氏
そして深夜の内に、上皇軍は平安京(へいあんきょう/京都)の東方の岡崎に建つ白河北殿(しらかわほくでん)に移動し、鳥羽法皇(とばほうおう/朝廷)の後継者は崇徳上皇(すとくじょうこう/朝廷→上皇)であると宣言する。
上皇軍の作戦は、敵陣が寝静まっている深夜の内に、夜襲を仕掛けて先手必勝の戦法を提案した。
源為義…『戦(いくさ)の慣しで、こう言う状況では夜襲が一番かと思います。』
崇徳上皇…『いや、そんな相手に対して卑怯(ひきょう)な事はできぬ。 正々堂々と晴天の下で戦いたい。』
源為義…『・・・』
一方の天皇軍の作戦も、敵陣が寝静まっている深夜の内に、夜襲を仕掛けて先手必勝の戦法を提案した。
源義朝…『戦(いくさ)の慣しで、こう言う状況では夜襲が一番かと思います。』
後白河天皇…『おお、卑怯(ひきょう)な夜襲であろうと勝てば官軍! 皆の者、その作戦で決行しようぞぉ!』
源義朝…『おっ〜! 勇敢な兵士は我(われ)に着いてまいれぇ!』
平清盛…『ゴメン、ちょっと用事を思い出したから、後から行くわぁ。』
そう言って平清盛(たいらきよもり/朝廷→天皇→平氏)が率いる天皇軍平氏隊だけは、南下して廻り道で天皇軍本隊と合流した。
この平清盛(たいらきよもり/朝廷→天皇→平氏)の行動は未(いま)だに不明である。
その間、総大将の源義朝(みなもとよしとも/朝廷→天皇→源氏)が率いる天皇軍本隊は、上皇軍が寝静まっている白河北殿(しらかわほくでん)に夜襲を仕掛けて火を放ち、闇夜の平安京を燃え盛る炎が煌々(こうこう)と夜空を照らした。
それを見た後白河天皇(ごしらかわてんのう/朝廷→天皇)は戦(いくさ)の勝利を確信する。
戦期間は20日程度で実戦は4時間程で終結し、天皇軍の勝利に終わる。
これを1156年に起こった「保元の乱」(ほうげんのらん)と呼ぶ。
戦後処理として、皇族の兄の崇徳上皇(すとくじょうこう/朝廷→上皇)は讃岐国(香川県)へ流刑にされた。
摂関家で弟の藤原頼長(ふじわらよりなが/朝廷→上皇)は死罪となる。
平氏で叔父の平忠正(たいらただまさ/朝廷→上皇)も死罪となる。
源氏で父の源為義(みなもとためよし/朝廷→上皇)と弟の源為朝(みなもとためとも/朝廷→上皇)は、平清盛(たいらきよもり/朝廷→天皇→平氏)の命令で兄の源義朝(みなもとよしとも/朝廷→天皇)により処刑された。
1164年に流刑地の讃岐国(香川県)で崇徳上皇(すとくじょうこう/朝廷→上皇)は薨御(こうぎょ)するも、後白河天皇(ごしらかわてんのう/朝廷→天皇)は朝廷として葬儀を催さなかった。
その為に崇徳上皇(すとくじょうこう/朝廷→上皇)は、身近な人達だけの身内葬儀(45万円パック)で済ました。
この後、平安京(へいあんきょう/京都)を取り巻く環境に変化が見られ始め、大火が起こったり、公家や武将や僧侶の謀反(むほん)や反逆があったりし、京都では葬儀を安く済まされた崇徳上皇(すとくじょうこう/朝廷→上皇)の祟りと噂された。
RAH BAND /♪ Sam The Samba Man
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261020 - ラジオの友 URL
2026/10/20 (Tue) 20:38:33
◆◇◆其の六十八:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の藤原氏
「保元の乱」(ほうげんのらん)で勝利した第77代天皇はの後白河天皇(ごしらかわてんのう/朝廷→天皇)は、歌手に目覚めて今様(いまよう)が本職の暫定の天皇だった為に、1158年に息子の第78代天皇の二条天皇(にじょうてんのう/朝廷)に皇位を譲位(じょうい)して、後白河上皇(ごしらかわじょうこう/朝廷)に就く。
その後、後白河上皇(ごしらかわじょうこう/朝廷)と共に平清盛(たいらきよもり/朝廷→天皇→平氏)と藤原信西(ふじわらしんぜい/朝廷→天皇→平氏)が政権を主導する。
藤原信西(ふじわらしんぜい/朝廷→天皇→平氏)とは、藤原武智麻呂(ふじわらむちまろ/公家)の南家(なんけ)の系統で、少納言や僧侶を務めた。
藤原信西(ふじわらしんぜい/朝廷→天皇→平氏)の妻は藤原朝子(ふじわらちょうし/公家)で、第77代天皇の後白河天皇(ごしらかわてんのう/朝廷→天皇)の乳母を務めている。
藤原信西(ふじわらしんぜい/朝廷→天皇→平氏)は非常に優秀で、藤原氏南家(なんけ)だが鳥羽上皇(とばじょうこう/朝廷)に気に入られて朝廷では高い位に就いた。
ある時、鳥羽上皇(とばじょうこう/朝廷)の一門が、大和国(奈良県)の東大寺は正倉院(しょうそういん)で開催される恒例の“正倉院展”を観覧する為に行幸(ぎょうこう)に出掛けた。
鳥羽上皇…『なんじゃこりゃ? 薄汚い壺(つぼ)はぁ?』
側近…『う〜〜ん さぁ〜 痰壺(たんつぼ)ですかねぇ〜』
藤原信西…『それは古代中国の遊戯具で、矢を投げて壺に入れる遊びの投壺(とうこ)です。』
鳥羽上皇…『ほほぉ〜 投壺(とうこ)かぁ! でぇ、そんな遊びの何処が楽しいのだ?』
藤原信西…『全く面白く無い遊びだから、日本で浸透しなかったのです。』
この藤原信西(ふじわらしんぜい/朝廷→天皇→平氏)の藤原氏南家(なんけ)と、勝利した後白河天皇(ごしらかわてんのう/朝廷→天皇)の思惑(おもわく)により「平治の乱」(へいじのらん)へと発展していく。
STUFF /♪ SUBWAY
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261020 - ラジオの友 URL
2026/10/20 (Tue) 20:39:25
◆◇◆其の六十九:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の藤原氏
院政(いんせい)が始まる前は、藤原氏北家(ほっけ)が摂関政治で実権を握り、そこに仕えていたのが源氏だった。
一方、天皇家による院政(いんせい)が始まり朝廷の実権を握ると、白河院(しらかわいん)など上皇(じょうこう)の御所を警備や護衛をしたのが平氏だった。
勝てば官軍の後白河上皇(ごしらかわじょうこう/朝廷)にしてみれば、藤原氏南家(なんけ)の藤原信西(ふじわらしんぜい/朝廷→天皇→平氏)や平氏の平清盛(たいらきよもり/朝廷→天皇→平氏)を寵愛(ちょうあい)するのが人情である。
特に後白河上皇(ごしらかわじょうこう/朝廷)と藤原信西(ふじわらしんぜい/朝廷→天皇→平氏)は、藤原朝子(ふじわらちょうし/公家)を介した乳繋(ちちつな)がりの乳兄弟でもある。
しかも平清盛(たいらきよもり/朝廷→天皇→平氏)が率いる天皇軍平氏隊は、戦(いくさ)に遅れて参戦したのに、大活躍して勝利に導いた総大将の源義朝(みなもとよしとも/朝廷→天皇→源氏)よりも恩賞が多く官位も昇格している。
この裏には、平清盛(たいらきよもり/朝廷→天皇→平氏)が、戦勝祝いに第77代天皇の後白河天皇(ごしらかわてんのう/朝廷→天皇)と藤原信西(ふじわらしんぜい/朝廷→天皇→平氏)などを招待して、木屋町にて祝宴で接待していた事が影響している。
これらにより、藤原氏北家(ほっけ)の藤原忠通(ふじわらただみち/朝廷→天皇)や源氏の源義朝(みなもとよしとも/朝廷→天皇→源氏)は朝廷では冷遇された。
この平清盛(たいらきよもり/朝廷→天皇→平氏)と藤原信西(ふじわらしんぜい/朝廷→天皇→平氏)の傲慢(ごうまん)さに不満を持ったのが、武功の過小評価で冷遇された源義朝(みなもとよしとも/朝廷→天皇→源氏)と、藤原氏北家(ほっけ)の自尊心を傷付けられた藤原信頼(ふじわらのぶより/朝廷→天皇→源氏)で、平清盛(たいらきよもり/朝廷→天皇)と藤原信西(ふじわらしんぜい/朝廷→天皇→平氏)に対して1159年に反乱を起こす。
藤原信頼(ふじわらのぶより/朝廷→天皇→源氏)とは、藤原房前(ふじわらふささき/公家)の北家(ほっけ)の系統で、第77代天皇の後白河天皇(ごしらかわてんのう/朝廷→天皇)の寵愛(ちょうあい)を受けて中納言を務めた。
ある時、藤原信頼(ふじわらのぶより/朝廷→天皇→源氏)は、平氏の拠点である鴨川沿いに六条周辺の六波羅(ろくはら)に潜り込ませた間者(かんじゃ/スパイ)から、ある情報を得て源氏の源義朝(みなもとよしとも/朝廷→天皇→源氏)に伝達した。
藤原信頼…『平清盛(たいらきよもり/朝廷→天皇→平氏)が少ない手勢で“熊野詣”(くまのもうで)に出掛けたらしいぃでぇ、紀伊国(和歌山県)の南端まで行くから、少なくとも2週間は帰って来(け)えへぇんやろ。』
源義朝…『よっしゃ! 憎っくき藤原信西(ふじわらしんぜい/朝廷→天皇→平氏)を討つには今が好機やぁ!』
藤原信頼…『せやぁ、せやぁ、憎っくき藤原氏南家(なんけ)を討つでぇ〜 今こそ藤原氏北家(ほっけ)の力を見せたぁんでぇ〜』
源義朝…『あのぉ〜 すみませんが、その力の抜ける様な関西弁を止めてもらえますか? 兵士の士気が下がりますので。』
GERRY RAFFERTY /♪ RIGHT DOWN THE LINE
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261020 - ラジオの友 URL
2026/10/20 (Tue) 20:40:24
◆◇◆其の七十:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の藤原氏
藤原信頼(ふじわらのぶより/朝廷→天皇→源氏)と源義朝(みなもとよしとも/朝廷→天皇→源氏)は源氏軍を結成して、烏丸御池の交差点の南東方に建つ後白河上皇(ごしらかわじょうこう/朝廷)の御所だった東三条殿(ひがしさんじょうどの)に進軍する。
源氏軍はその寝殿造(しんでんづくり)の屋敷に居た皇室の侍従(じじゅう)や女官であろうと片っ端から首を刎(は)ねた。
後白河上皇(ごしらかわじょうこう/朝廷)は牛車に揺られて内裏(だいり)に逃げ込む。
そして、藤原信頼(ふじわらのぶより/朝廷→天皇→源氏)と源義朝(みなもとよしとも/朝廷→天皇→源氏)の目的は、ただ1つ!
藤原信西(ふじわらしんぜい/朝廷→天皇→平氏)を斬首して晒し首(さらしくび)にする事だった。
ところが、6500㎡(1966坪)はある東三条殿(ひがしさんじょうどの)の何処(どこ)を探しても藤原信西(ふじわらしんぜい/朝廷→天皇→平氏)が見つからない。
そしたら日本庭園に不自然な盛土(もりど)がある。
そこを源氏軍の武士が掘ったら、何と泥塗(どろま)れの藤原信西(ふじわらしんぜい/朝廷→天皇→平氏)が出てきた。
こうして源氏軍に拘束された藤原信西(ふじわらしんぜい/朝廷→天皇→平氏)は、藤原氏北家(ほっけ)の藤原信頼(ふじわらのぶより/朝廷→天皇→源氏)と源氏の源義朝(みなもとよしとも/朝廷→天皇→源氏)の目的通りに、藤原氏南家(なんけ)の藤原信西(ふじわらしんぜい/朝廷→天皇→平氏)は斬首されて鴨川の河原で晒し首(さらしくび)となった。
源氏軍もここまでで終わっておけば良かったが、藤原信頼(ふじわらのぶより/朝廷→天皇→源氏)と源義朝(みなもとよしとも/朝廷→天皇→源氏)は、更(さら)に後白河上皇(ごしらかわじょうこう/朝廷)と第78代天皇の二条天皇(にじょうてんのう/朝廷)を拘束して大内裏(だいだいり)で監禁してしまう。
此処(ここ)で紀伊国(和歌山県)の“熊野詣”(くまのもうで)へ参拝しに行っていた平清盛(たいらきよもり/朝廷→天皇→平氏)が戻って来て、早速、平氏の拠点である六条周辺の六波羅(ろくはら)で平氏軍を結成して応戦する。
平清盛(たいらきよもり/朝廷→天皇→平氏)は戦略を2段構えで実行する。
先(ま)ずは大内裏(だいだいり)で監禁されている後白河上皇(ごしらかわじょうこう/朝廷)と第78代天皇の二条天皇(にじょうてんのう/朝廷)する。
続いて藤原信頼(ふじわらのぶより/朝廷→天皇→源氏)と源義朝(みなもとよしとも/朝廷→天皇→源氏)が率いる源氏軍に反撃する。
そこで源氏軍が布陣する陣営に間者(かんじゃ/スパイ)を送り込み、難易で高度な皇族救出作戦を実行する。
その皇族救出作戦とは、源氏軍に監禁され牢獄に入れられている後白河上皇(ごしらかわじょうこう/朝廷)と第78代天皇の二条天皇(にじょうてんのう/朝廷)に、間者(かんじゃ/スパイ)が女性用の衣類を渡して、それを着た2人は女性のふりをして外出し大内裏(だいだいり)から脱出する。
これが見事に成功した。
後白河上皇(ごしらかわじょうこう/朝廷)は、金閣寺と太秦の中間に建つ真言宗(しんごんしゅう)のお寺の仁和寺(にんなじ/御室)に身を寄せた。
第78代天皇の二条天皇(にじょうてんのう/朝廷)は、平清盛(たいらきよもり/朝廷→天皇→平氏)が布陣する六波羅(ろくはら)の屋敷に匿(かくま)われた。
QUINCY JONES & JAMES INGRAM /♪ ONE HUNDRED WAYS
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261020 - ラジオの友 URL
2026/10/20 (Tue) 20:41:18
◆◇◆其の七十一:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の藤原氏
此処(ここ)で平清盛(たいらきよもり/朝廷→天皇→平氏)が率いる平氏軍は、第2段目の作戦に出る。
後白河上皇(ごしらかわじょうこう/朝廷)と第78代天皇の二条天皇(にじょうてんのう/朝廷)が脱出した事により、戦況不利と考えて源氏軍では逃げ出す武士も多くいた。
藤原氏北家(ほっけ)の藤原信頼(ふじわらのぶより/朝廷→天皇→源氏)と源氏の源義朝(みなもとよしとも/朝廷→天皇→源氏)、それに援軍として参戦した清和源氏の系統の源頼政(みなもとよりまさ/朝廷→源氏→平氏→源氏)が布陣する大内裏(だいだいり)の守備や防御は見るからに手薄となっている。
そんな隙を突いた平清盛(たいらきよもり/朝廷→天皇→平氏)が六波羅(ろくはら)にて指揮する平氏軍は、叔父である平頼盛(たいらよりもり/朝廷→平氏)が率いる平氏軍1号隊と、息子の平重盛(たいらしげもり/平氏)が率いる平氏軍2号隊を出陣させた。
平頼盛(たいらよりもり/朝廷→平氏)とは、平忠盛(たいらただもり/朝廷→平氏)と藤原氏北家(ほっけ)の系統の池禅尼(いけのぜんに/藤原→平氏)の息子である。
先(ま)ず、源氏軍の陣営の大内裏(だいだいり)を東方から平氏軍1号隊と平氏軍2号隊が攻め込み、源氏軍が東方の防御に人勢を集中させている隙に、大内裏(だいだいり)の西方から別働隊の平氏軍3号隊が突入して源氏軍を挟み討ちにした。
この攻撃により源氏軍の多くの兵士は逃亡し、大内裏(だいだいり)に残った兵士も平氏軍により斬殺された。
藤原信頼(ふじわらのぶより/朝廷→天皇→源氏)と源義朝(みなもとよしとも/朝廷→天皇→源氏)と源頼政(みなもとよりまさ/朝廷→源氏→平氏→源氏)らは20人余りの少ない手勢で逃亡し、そのまま平清盛(たいらきよもり/朝廷→天皇→平氏)が布陣する六波羅(ろくはら)に奇襲を仕掛ける。
これが源氏と平氏の因縁の対決となる「六条河原の源平合戦」の始まりである。
しかし、六波羅(ろくはら)は平氏の本拠地で多くの平氏方の武士が住んでおり、多勢に無勢で源氏軍の敗北は明らかな上に、此処(ここ)で源頼政(みなもとよりまさ/朝廷→源氏→平氏→源氏)が平氏軍に寝返り、源氏軍は致命傷となり敗北する。
源義朝(みなもとよしとも/朝廷→天皇→源氏)は逃亡して、尾張国(愛知県)の知多半島まで辿(たど)り着く。
藤原信頼(ふじわらのぶより/朝廷→天皇→源氏)は、御室(おむろ)に建つ仁和寺(にんなじ/御室)に居住する後白河上皇(ごしらかわじょうこう/朝廷)を訪問して、恩赦(おんしゃ)を求めて命乞いをするが認められず、六条河原に連行されて斬首された。
この藤原氏北家(ほっけ)の藤原信頼(ふじわらのぶより/朝廷→天皇→源氏)と源氏の源義朝(みなもとよしとも/朝廷→天皇→源氏)の反乱は失敗した。
平氏軍の藤原信西(ふじわらしんぜい/朝廷→天皇→平氏)は討死し、源氏軍の藤原信頼(ふじわらのぶより/朝廷→天皇→源氏)は斬首され、源義朝(みなもとよしとも/朝廷→天皇→源氏)は敗走し尾張国(愛知県)の知多半島の野間(のま)まで逃亡するも、ここで味方に裏切られ入浴中に討死する。
これを1160年に起こった「平治の乱」(へいじのらん)と呼ぶ。
戦後処理として平清盛(たいらきよもり/朝廷→天皇→平氏)は、源義朝(みなもとよしとも/朝廷→天皇→源氏)の息子でまだ子供だった源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)を斬首にする予定だったが、継母の池禅尼(いけのぜんに/藤原→平氏)に嘆願(たんがん)され伊豆国(静岡県)への流刑になる。
池禅尼(いけのぜんに/藤原→平氏)とは、平清盛(たいらきよもり/朝廷→平氏)の父親の平忠盛(たいらただもり/朝廷)の正妻で、藤原氏の北家(ほっけ)の系統。
平清盛(たいらきよもり/朝廷→天皇→平氏)のこの判断が大きな過ちになるとは、まだ、知る由(よし)もない。
そして時は流れて、源氏と平氏が抗争する1180年〜1185年に起こった「源平合戦」(げんぺいかっせん)こと「治承寿永の乱」(じしょうじゅえいのらん)にて、伊勢平氏である平清盛(たいらきよもり/朝廷→平氏)の系統の平家は敗北し滅亡した。
その後に相模国(神奈川県)の鎌倉にて、1192年に征夷大将軍1代目の源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)が大倉御所(おおくらごしょ)で鎌倉幕府を開設した。
此処から武家政権が始まり、朝廷の摂関政治による藤原氏も鳴りを潜めた。
ANTENA /♪ NAUGHTY NAUGHTY
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261020 - ラジオの友 URL
2026/10/20 (Tue) 20:42:09
◆◇◆其の七十二:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の奥州藤原氏
古代の日本は九州から近畿へと文明文化が流れ、朝廷や武家などが誕生し、日本の骨格を形成していった。
ただ近畿より東側、特に関東から東の東北地方は未開の地であり、西日本では蝦夷(えみし)と呼ばれ、朝廷がある畿内(きない/関西)とは別の独立国家が形成されていた。
そのため奈良時代の朝廷は、九州は筑前国(福岡県)の太宰府(だざいふ)、近畿は大和国(奈良県)の平城京(へいじょうきょう/奈良)、東北は陸奥国(むつ/宮城県)の多賀城(たがじょう)の政所(まんどころ)を配置して日本列島を統治していた。
これらは“日本三大史跡”と言われる。
この陸奥(みちのく)で724年に築かれた多賀城(たがじょう)は創建1300年の節目を迎える。
京都に平安京が置かれた平安時代の多賀城(たがじょう)では、藤原氏南家の系統で国府の役人の藤原登任(ふじわらなりとう/公家)や、その後、京都から参った河内源氏の系統で鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)の源頼義(みなもとよりよし/朝廷)が拠点としていた。
そのもっと昔の神武天皇の“神武東征”や朝廷から権限を与えられる征夷大将軍とは、この東北地方の東国の蝦夷(えみし)を征伐する意味がある。
そして幾多の動乱があり、東北地方は陸奥国(むつ/青森県、岩手県、宮城県、福島県)と出羽国(でわ/秋田県、山形県)に分けられた。
今でも陸奥(みちのく)、奥州(おうしゅう)、奥の細道(おくのほそみち)などと呼ばれ、人々が簡単に入る事の許されない日本の神秘的な奥街道を想像させてくれる。
そんな東北地方での人の営みは、陸奥国(むつ/青森県、岩手県、宮城県、福島県)は安倍氏、出羽国(でわ/秋田県、山形県)では清原氏が土地を治めていた。
そして東北人として忘れてならないのが、そう、奥州藤原氏である。
藤原氏と言えば中臣鎌足(なかとみかまたり/公家)こと藤原鎌足(ふじわらかまたり)が源流だが、奥州藤原氏は先祖の俵藤太(たわらとうた)こと藤原秀郷(ふじわらひでさと/公家)で“天下一の弓取り名人”と言われた系統で、近江国(滋賀県)の琵琶湖近くで巨大百足(オオムカデ)を弓矢で射止め、琵琶湖に住む竜王(りゅうおう)を助けた伝説がある。
その後の平安時代には、陸奥国(岩手県)に拠点を移していた。
奥州藤原氏の源流は、藤原清経(ふじわらきよつね/奥州藤原氏)から、第1代奥州藤原氏の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)、第2代奥州藤原氏の藤原基衡(ふじわらもとひら/奥州藤原氏)、第3代奥州藤原氏の藤原秀衡(ふじわらひでひら/奥州藤原氏)、第4代奥州藤原氏の藤原泰衡(ふじわらやすひら/奥州藤原氏)と続き、ここで滅亡してしまう。
滅亡の原因は、鎌倉時代に征夷大将軍1代目となった源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)が、謀反人で異母弟の源義経(みなもとよしつね/源氏→ 奥州藤原氏)を匿(かくま)った事を口実に、奥州藤原氏の領土の奥州平泉の肥沃な土地を侵略する事にあったと言う。
奥州平泉は、豊富な金鉱山(きんこうざん)があり、立派で丈夫な馬が育ち、広大な田畑が広がり、美しい寺院と都市街区が形成されていた。
源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)の祖先の代から目を付けていた土地でもある。
その奥州平泉には第1代奥州藤原氏の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)が中尊寺(ちゅうそんじ)を建造し金色堂(こんじきどう)などが配置された。
第2代奥州藤原氏の藤原基衡(ふじわらもとひら/奥州藤原氏)が毛越寺(もうつじ)を建造した。
第3代奥州藤原氏の藤原秀衡(ふじわらひでひら/奥州藤原氏)が無量光院(むりょうこういん)を建造し、山城国(京都府)は宇治(うじ)に建つ平等院鳳凰堂を模した寺院があったとされる。
藤原道長(ふじわらみちなが/公家)の別荘として、藤原頼通(ふじわらよりみち/公家)が寺院として手掛けた山城国(京都府)の平等院鳳凰堂。
中臣鎌足(なかとみかまたり/公家)こと藤原鎌足(ふじわらかまたり)の息子の藤原不比等(ふじわらふひと/公家)など、藤原氏ゆかりの菩提寺(ぼだいじ)でもある大和国(奈良県)の法相宗(ほっそうしゅう)の総本山の興福寺(こうふくじ)である。
藤原氏は“仏教文化”に造詣(ぞうけい)が深く興隆(こうりゅう)や繁栄に貢献し、その後、奈良や京都を中心にお寺が日本全国に広まっていく。
これらからも、奥州平泉は“仏教王国”の真髄(しんずい)とも言えよう。
Teri Moise /♪ LES POÈMES DE MICHELLE
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261020 - ラジオの友 URL
2026/10/20 (Tue) 20:42:59
◆◇◆其の七十三:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の奥州藤原氏
710年、飛鳥時代から奈良時代に移行し、大和国(奈良県)に平城京(へいじょうきょう/奈良)が築かれ、この陸奥(みちのく)で724年に築かれた多賀城(たがじょう)。
多賀城(たがじょう)と言えば京都に平安京(へいあんきょう/京都)が置かれた平安時代の「前九年の役」(ぜんくねんのえき)が思い出される。
国府の役人の藤原登任(ふじわらなりとう/公家)や、その後、京都から参った鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)の源頼義(みなもとよりよし/朝廷)が多賀城(たがじょう)を拠点とする。
この地には大百足(オオムカデ)退治で名を馳せた藤原秀郷(ふじわらひでさと/公家)の子孫でもある藤原清経(ふじわらきよつね/奥州藤原氏)や、平永衡(たいらながひら/常陸平氏)などの豪族が力を強めていた。
それとは別に朝廷の力の及ばない蝦夷(えみし)と言われる豪族が領地を支配し、陸奥国(むつ/青森県、岩手県、宮城県、福島県)は安倍頼良(あべよりよし/陸奥安倍)の一族、出羽国(でわ/秋田県、山形県)は清原武則(きよはらたけきよ/出羽清原)の一族が治める。
多賀城(たがじょう)を拠点とする国府の藤原登任(ふじわらなりとう/公家)は、藤原清経(ふじわらきよつね/奥州藤原氏)と平永衡(たいらながひら/常陸平氏)を敵対させて力を弱めようと考えていた。
藤原登任(ふじわらなりとう/公家)は平永衡(たいらながひら/常陸平氏)に加担して藤原清経(ふじわらきよつね/奥州藤原氏)を追い込もうとするも、藤原清経(ふじわらきよつね/奥州藤原氏)は蝦夷(えみし)の豪族である安倍頼良(あべよりよし/陸奥安倍)の娘の阿古女(あこめ/陸奥安倍→ 奥州藤原氏→ 出羽清原)と結婚する。
その息子が第1代奥州藤原氏となる藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)である。
国府の藤原登任(ふじわらなりとう/公家)は“蝦夷討伐”(えみしとうばつ)を掲げ、安倍頼良(あべよりよし/陸奥安倍)を攻撃する。
陸奥国(むつ/宮城県)の大崎に位置する鬼首(おにこうべ)で、藤原登任(ふじわらなりとう/公家)が率いる朝廷軍と安倍頼良(あべよりよし/陸奥安倍)が率いる安倍軍は交戦し、安倍軍が勝利する。
SHERIFF /♪ WHEN I'M WITH YOU
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261020 - ラジオの友 URL
2026/10/20 (Tue) 20:43:49
◆◇◆其の七十四:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の奥州藤原氏
藤原登任(ふじわらなりとう/公家)は京都の平安京(へいあんきょう/京都)に逃亡し朝廷に泣きつく。
朝廷は“陸奥平定”のため源頼義(みなもとよりよし/朝廷)を鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)として多賀城(たがじょう)に送り込む。
多賀城(たがじょう)を拠点に源頼義(みなもとよりよし)は息子の源義家(みなもとよしいえ/朝廷)と共に朝廷軍を率いて大軍勢で、安倍頼良(あべよりよし/陸奥安倍)の安倍軍を攻撃する。
それでも安倍頼良(あべよりよし/陸奥安倍)は、息子の安倍貞任(あべさだとう/陸奥安倍)と安倍宗任(あべむねとう/陸奥安倍)と共に安倍軍を率いて反撃し勝利する。
雪国での戦(いくさ)に慣れていない源頼義(みなもとよりよし)は、出羽国(でわ/秋田県、山形県)の清原武則(きよはらたけきよ/出羽清原)に援軍を依頼する。
一方、朝廷の官人でもある藤原清経(ふじわらきよつね/奥州藤原氏)は、親族となった義父でもある安倍頼良(あべよりよし/陸奥安倍)に味方する。
これにより「安倍・藤原VS源・清原」の構図となる。
その間、安倍頼良(あべよりよし/陸奥安倍)は、陸奥国(むつ/青森県)の津軽半島の宇曽利(うそり)に行く途中、安倍氏一族の裏切りに遭(あ)い討死する。
出羽国(でわ/山形県)から陸奥国(むつ/宮城県)に流れる北上川(きたかみがわ)の一帯で両軍による死闘が繰り広げられ、源清原軍が勝利し、安倍藤原軍が敗れる。
これにより、藤原清経(ふじわらきよつね/奥州藤原氏)は斬首された。
安倍貞任(あべさだとう/陸奥安倍)は戦死する。
安倍宗任(あべむねとう/陸奥安倍)は九州に流刑となる。
ここにて陸奥国(むつ/青森県、岩手県、宮城県、福島県)の蝦夷(えみし)で豪族だった安倍氏は消滅する。
これを1051年に起こった「前九年の役」(ぜんくねんのえき)と呼ぶ。
ALESSI /♪ AS FAR AS I'M CONCERNED
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261020 - ラジオの友 URL
2026/10/20 (Tue) 20:44:42
◆◇◆其の七十五:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の奥州藤原氏
1051年に起こった「前九年の役」(ぜんくねんのえき)で藤原清経(ふじわらきよつね/奥州藤原氏)は斬首された後、愛妻の阿古女(あこめ/陸奥安倍→ 奥州藤原氏→ 出羽清原)と息子の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)は、当主を討った敵陣の清原武則(きよはらたけきよ/出羽清原)に引き取られる。
しかも、藤原清経(ふじわらきよつね/奥州藤原氏)が斬首される時、愛妻の阿古女(あこめ/陸奥安倍→ 奥州藤原氏→ 出羽清原)と息子の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)の目の前で実施された。
清原武則(きよはらたけきよ/出羽清原)は、息子の清原武貞(きよはらたけさだ/出羽清原)に阿古女(あこめ/陸奥安倍→ 奥州藤原氏→ 出羽清原)を嫁がせ、藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)はその息子となった。
清原武貞(きよはらたけさだ/出羽清原)には前妻との間に、息子の清原真衡(きよはらさねひら/出羽清原)が居た。
その後、清原武貞(きよはらたけさだ/出羽清原)と阿古女(あこめ/陸奥安倍→ 奥州藤原氏→ 出羽清原)の間に息子が産まれ、清原家衡(きよはらいえひら/出羽清原)と名付けられた。
年齢順から見ると、長男の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)、次男の清原真衡(きよはらさねひら/出羽清原)、三男の清原家衡(きよはらいえひら/出羽清原)となる。
義父の清原武貞(きよはらたけさだ/出羽清原)は敵大将の子の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)ではあったが、我が子と隔たりなく愛情と教育を注いだ。
ただ、この歪(いびつ)な兄弟関係が後に「後三年の役」(ごさんねんのえき)に発展していく。
清原武貞(きよはらたけさだ/出羽清原)と阿古女(あこめ/陸奥安倍→ 奥州藤原氏→ 出羽清原)が亡くなり、清原氏の後継者は次男の清原真衡(きよはらさねひら/出羽清原)が継ぎ鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)に就任する。
長男の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)は、元は安倍氏の領土だった江刺郡(岩手県)一帯を領土として豊田館を構える。
この待遇に三男の清原家衡(きよはらいえひら/出羽清原)は嫉妬する。
次男の清原真衡(きよはらさねひら/出羽清原)は子宝に恵まれず、常陸国(ひたち/茨城県)や陸奥国(むつ/福島県)を地盤とする磐城(いわき)平氏の海道成衡(かいどうなりひら/磐城平氏→出羽清原)を養子に迎入れる。
海道成衡(かいどうなりひら/磐城平氏→出羽清原)は、常陸国(茨城県)に居た源頼義(みなもとよりよし/朝廷)の娘と婚姻し、源義家(みなもとよしいえ/朝廷)と親戚縁者となる。
源義家(みなもとよしいえ/朝廷)は、父親の跡目を引継ぐ形で多賀城(たがじょう)の国府となる。
その時に源義家(みなもとよしいえ/朝廷)は、清原氏の長男となった藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)と親交を深めて良好な関係を築く。
CECILIO & KAPONO /♪ SUMMER LADY
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261020 - ラジオの友 URL
2026/10/20 (Tue) 20:45:40
◆◇◆其の七十六:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の奥州藤原氏
その後、清原氏一族の重鎮家臣だった吉彦秀武(きみこひでたけ/出羽清原)が、当主で次男の清原真衡(きよはらさねひら/出羽清原)と抗争となる。
吉彦秀武(きみこひでたけ/出羽清原)は三男の清原家衡(きよはらいえひら/出羽清原)と同盟し、さらに長男の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)を援軍に付けて、次男の清原真衡(きよはらさねひら/出羽清原)と対立する。
鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)でもある次男の清原真衡(きよはらさねひら/出羽清原)は、親族でもある多賀城(たがじょう)の国府の源義家(みなもとよしいえ/朝廷)に援軍を要請する。
清原真衡(きよはらさねひら/出羽清原)の清原本家軍と吉彦秀武(きみこひでたけ/出羽清原)の清原分家軍が対峙する。
両軍は交戦するも、戦(いくさ)に乗る気でない長男の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)と国府の源義家(みなもとよしいえ/朝廷)により、和睦(わぼく)の時期を見て手打ちとなる。
次男の清原真衡(きよはらさねひら/出羽清原)は戦争責任として吉彦秀武(きみこひでたけ/出羽清原)の斬首を条件に出すも、長男の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)は戦死した家臣の清原重光(きよはらしげみつ/出羽清原)の首級(しゅきゅう)を差出し決着を図った。
清原真衡…『戦争責任として吉彦秀武(きみこひでたけ/出羽清原)の首級(しゅきゅう)を差し出せぇ!』
これに対して清原分家軍の陣営。
吉彦秀武…『わしぃの介錯(かいしゃく)して首を持って行ってくれ。』
藤原清衡…『いや、戦地に転がっていた清原重光(きよはらしげみつ/出羽清原)の首級(しゅきゅう)を代わりに持って行こう。』
こちらは清原本家軍の陣営。
藤原清衡…『戦争首謀者の首級(しゅきゅう)で御座います。』
源義家…『うむ、これにて一件落着。』
清原真衡…『ちょっと待てぇ〜〜い、これ、誰の首やぁねん!』
PETER MCCANN /♪ ROAD TO LOVE
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261020 - ラジオの友 URL
2026/10/20 (Tue) 20:46:31
◆◇◆其の七十七:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の奥州藤原氏
国府の源義家(みなもとよしいえ/朝廷)はこの条件に納得するも、次男の清原真衡(きよはらさねひら/出羽清原)は納得せず再度、抗争の準備に取り掛かる。
その最中(さなか)に次男の清原真衡(きよはらさねひら/出羽清原)は原因不明で死去する。
その跡目を継いだ息子の海道成衡(かいどうなりひら/磐城平氏→出羽清原)は、謀反(むほん)を起こした次男の清原真衡(きよはらさねひら/出羽清原)の反逆罪の相続人として、国府かつ叔父の源義家(みなもとよしいえ/朝廷)により身分剥奪と領地没収の改易(かいえき)となる。
それにより国府の源義家(みなもとよしいえ/朝廷)は、次男の清原真衡(きよはらさねひら/出羽清原)の領土を、長男の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)と三男の清原家衡(きよはらいえひら/出羽清原)で二分する形で引継がせる。
これに反発したのが三男の清原家衡(きよはらいえひら/出羽清原)で、全ての領土は清原氏直系の自分が引継ぐと主張する。
すぐさま三男の清原家衡(きよはらいえひら/出羽清原)は清原軍を率いて長男の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)の江刺郡(岩手県)にある豊田館を攻撃し、長男の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)は何とか逃げ出すも、妻子や多くの家臣が焼死する。
負傷した長男の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)はある村まで逃げのび、そこで村娘の阿具里(あぐり/村民→ 奥州藤原氏)に助け出される。
この阿具里(あぐり/村民→ 奥州藤原氏)は、後に長男の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)の側室となるが、奥州藤原氏の火種となる事を現時点では知る由(よし)もない。
GINO VANNELLI /♪ POWERFUL PEOPLE
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261020 - ラジオの友 URL
2026/10/20 (Tue) 20:47:20
◆◇◆其の七十八:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の奥州藤原氏
一連の事変に対する報復(ほうふく)に出る長男の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)は、援軍の国府の源義家(みなもとよしいえ/朝廷)と共に、三男の清原家衡(きよはらいえひら/出羽清原)の討伐に向かう。
三男の清原家衡(きよはらいえひら/出羽清原)は叔父の清原武衡(きよはらたけひら/出羽清原)と同盟し迎え撃つ。
これにより「藤原源軍VS清原軍」の構図となる。
藤原源軍は衣川(岩手県)周辺に布陣し対戦に出た。
ただ、雪国の戦(いくさ)に慣れた上、村民を使った奇襲を得意とした清原軍が優勢だった。
しかし藤原源軍には、京都から源義家(みなもとよしいえ/朝廷)の弟の源義光(みなもとよしみつ/朝廷)が大軍を率いて駆けつけ、さらに清原氏一族の重鎮家臣だった吉彦秀武(きみこひでたけ/出羽清原)も味方に付いたため反撃に出る。
羽後(うご/秋田県)の横手の清原家衡(きよはらいえひら/出羽清原)と叔父の清原武衡(きよはらたけひら/出羽清原)が率いる清原軍の陣営の金沢柵(かねざわさく)に、長男の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)と源義家(みなもとよしいえ/朝廷)が率いる藤原源軍は進軍した。
此処で源義家(みなもとよしいえ/朝廷)は、頭上を整然と飛んでいた雁の群れが、突然列を乱して四方に飛び散るのを目撃する。
源義家(みなもとよしいえ/朝廷)は、草原に清原軍の伏兵が潜んでいる事を察知する。
其処で藤原源軍は草原に向けて弓の矢を射り、清原軍の伏兵を壊滅させる。
此れは、紀元前500年の中国大陸にて活躍した軍師の孫子(そんし/軍事家)による、『雁の群れが乱れるのは、下に伏兵がいる証である。』に基づく兵法である。
その後に戦況が不利となり、追い込められた三男の清原家衡(きよはらいえひら/出羽清原)は、叔父の清原武衡(きよはらたけひら/出羽清原)に責任をなすりつけ仲違(なかたが)いをする。
清原家衡…『叔父さんが戦(いくさ)の素人で無能だから、戦況が悪化したんだっ!』
清原武衡…『なぁ、なんやかてぇ、清原氏のボンクラ息子のクセに、なら、お前が大将軍となって前戦で戦ってみろっ!』
清原家衡…『望むどころだっ! 皆の者、大将軍のわしぃに着いて来いっ!』
陣営から威勢よく飛び出した三男の清原家衡(きよはらいえひら/出羽清原)に、藤原源軍から1本の矢が飛んできて・・・
ヒューーー ブスッリ
清原家衡…『ギャ〜〜 やられた〜〜』
バタン
清原武衡…『ここまでアホォやったとは・・・』
その後、清原軍は一気に崩壊し三男の清原家衡(きよはらいえひら/出羽清原)は討死する。
ここにて出羽国(でわ/秋田県、岩手県)の蝦夷(えみし)で豪族だった清原氏が消滅する。
これを1083年に起こった「後三年の役」(ごさんねんのえき)と呼ぶ。
Boz Scaggs /♪ Look What You've Done To Me
◆ラジオの友◆