都市空間計画区域
今日の1枚、お薦めレコード/20261027
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2026/10/27 (Tue) 09:50:45
MILES KANE /♪ DON'T FORGET WHO YOU ARE
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2026/10/27 (Tue) 09:51:45
MARCIA BALL /♪ COUNT THE DAYS
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2026/10/27 (Tue) 09:52:58
ZIGGY MARLEY /♪ TRUE TO MYSELF
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2026/10/27 (Tue) 09:53:57
THE O'JAYS /♪ LOVES ME LIKE A ROCK
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2026/10/27 (Tue) 09:55:02
JOHN NEMETH /♪ FUEL FOR YOUR FIRE
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2026/10/27 (Tue) 09:56:14
SHANIA TWAIN /♪ STRANGER THINGS
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2026/10/27 (Tue) 09:57:20
DAN FOGELBERG /♪ Old Tennessee
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2026/10/27 (Tue) 09:58:28
BOB SEGER & THE SILVER BULLET BAND /♪ UNDERSTANDING
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2026/10/27 (Tue) 10:01:18
AMOS LEE /♪ NO MORE DARKNESS,NO MORE LIGHT
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2026/10/27 (Tue) 10:02:15
SOMBR /♪ MY BODY ISN'T READY
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2026/10/27 (Tue) 10:04:58
RESTLESS HEART /♪ I'LL STILL BE LOVING YOU
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2026/10/27 (Tue) 10:06:01
VAN MORRISON /♪ THE PROPHET SPEAKS
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2026/10/27 (Tue) 10:06:57
PETER GABRIEL /♪ IN YOUR EYES
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2026/10/27 (Tue) 10:07:58
STEVE WINWOOD /♪ THERE'S A RIVER
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2026/10/27 (Tue) 10:09:01
DIONNE WARWICK /♪ I'LL NEVER LOVE THIS WAY AGAIN
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2026/10/26 (Mon) 17:37:13
MADNESS /♪ WINGS OF A DOVE
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2026/10/26 (Mon) 17:39:11
SANTANA FEAT.BUIKA /♪ BREAKING DOWN THE DOOR
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2026/10/26 (Mon) 17:40:19
SERGIO MENDES & BRASIL '66 /♪ LOOK AROUND
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2026/10/26 (Mon) 17:43:08
THE RONETTES /♪ DO I LOVE YOU?
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2026/10/26 (Mon) 17:44:15
MISS ABRAMS AND THE STRAWBERRY POINT 4TH GRADE CLASS /♪ This Time Of Life
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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261026 - ラジオの友 URL
2026/10/26 (Mon) 17:45:25
Miss Abrams And The Strawberry Point 4th Grade Class /♪ Mill Valley
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2026/10/26 (Mon) 17:46:28
LANGLEY SCHOOLS MUSIC PROJECT /♪ IN MY ROOM
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2026/10/26 (Mon) 17:49:22
BELLE & SEBASTIAN /♪ JONATHAN DAVID
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2026/10/26 (Mon) 17:52:00
GRACE & TONY /♪ HOLY HAND GRENADE
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2026/10/26 (Mon) 17:54:19
BILL WITHERS /♪ HELLO LIKE BEFORE
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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261026 - ラジオの友 URL
2026/10/26 (Mon) 17:55:16
BJ THOMAS WITH IVETE SANGALO /♪ THE GIRL FROM IPANEMA
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2026/10/26 (Mon) 17:56:07
MAURANE /♪ SUR UN PRELUDE DE BACH
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2026/10/26 (Mon) 17:57:01
JERRY BURNS /♪ CROSSING OVER
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2026/10/25 (Sun) 09:52:57
THE ROLLING STONES /♪ MR CHARM
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2026/10/25 (Sun) 09:57:23
THE ROLLING STONES /♪ GET OFF OF MY CLOUD
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2026/10/25 (Sun) 09:59:25
THE ROLLING STONES /♪ HANG FIRE
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2026/10/25 (Sun) 10:00:27
KISS/♪ Love 'Em And Leave 'Em
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2026/10/25 (Sun) 10:01:30
THE ROLLING STONES /♪ FINGERPRINT FILE
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2026/10/25 (Sun) 10:03:47
THE ROLLING STONES/♪ MIXED EMOTIONS
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2026/10/25 (Sun) 10:05:48
THE ROLLING STONES/♪ BROWN SUGAR
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2026/10/25 (Sun) 10:06:45
THE ROLLING STONES /♪ No Te Detengas (Don't Stop)
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2026/10/25 (Sun) 10:07:46
KISS /♪ I'M A LEGEND TONIGHT
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2026/10/25 (Sun) 10:09:52
THE ROLLING STONES /♪ JUST MY IMAGINATION
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2026/10/25 (Sun) 10:11:08
THE ROLLING STONES /♪ CAN YOU HEAR THE MUSIC
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2026/10/25 (Sun) 10:12:27
THE ROLLING STONES/♪ MOONLIGHT MILE
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今日の1枚、お薦めレコード/20261023 - ラジオの友 URL
2026/10/23 (Fri) 09:35:53
不思議ちゃん第28弾!
でわぁ、いってみよぉう!!
LILLIX /♪ WHAT I LIKE ABOUT YOU
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2026/10/23 (Fri) 09:36:55
THE TING TINGS /♪ SHUT UP AND LET ME GO
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2026/10/23 (Fri) 09:38:46
NOTD & VERONICA MAGGIO /♪ OCCHI D'AMORE
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2026/10/23 (Fri) 09:39:48
ROOM ELEVEN /♪ HEY HEY HEY!
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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261023 - ラジオの友 URL
2026/10/23 (Fri) 09:41:46
CARLY RAE JEPSEN /♪ ALMOST SAID IT
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2026/10/23 (Fri) 09:42:43
LAUREN DAIGLE /♪ KALEIDOSCOPE JESUS
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2026/10/23 (Fri) 09:44:51
TRANSVISION VAMP /♪ BAD VALENTINE
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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261023 - ラジオの友 URL
2026/10/23 (Fri) 09:46:54
BIRD & THE BEE /♪ POLITE DANCE SONG
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2026/10/23 (Fri) 09:49:53
PATRICK HIZON & EJEAN /♪ SWEATSHIRT
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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261023 - ラジオの友 URL
2026/10/23 (Fri) 09:53:35
YONLAPA /♪ COME BACK TO MINE
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2026/10/23 (Fri) 09:55:06
DELANEY BAILEY /♪ LOVE LETTER FROM THE SEA TO THE SHORE
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今日の1枚、お薦めレコード/20261022 - ラジオの友 URL
2026/10/22 (Thu) 12:39:23
◆◇◆其の七十九:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の奥州藤原氏
陸奥国(むつ/青森県・岩手県・宮城県・福島県)の安倍氏と出羽国(でわ/秋田県・山形県)の清原氏に代わって、この領国を平定するのは第1代奥州藤原氏の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)となる。
また、多賀城(たがじょう)の国府の源義家(みなもとよしいえ/朝廷)による蝦夷(えみし)征伐は功績だったが、朝廷は恩賞を与えず国府守を解任している。
この朝廷の仕打ちに対して源義家(みなもとよしいえ/朝廷)は、こう言い残している。
源義家…『我より7代目の子孫は、必ず天下を取れっ!』
源義家(みなもとよしいえ/朝廷)の7代後の子孫に下野国(栃木県)の足利家時(あしかがいえとき/鎌倉)が居り、室町幕府を創建した足利尊氏(あしかがたかうじ/鎌倉→室町)の祖父である。
また、足利家時(あしかがいえとき/鎌倉)は己が天下を取れなかった責任者として、3代目に遺言を残し切腹している。
足利家時…『我は先祖の意に報いる事が出来ず、その責務未達よりここにて自決するが、我より3代目は、先代の源義家(みなもとよしいえ/朝廷)の意向を実現してくれっ!』
その3代目が足利尊氏(あしかがたかうじ/鎌倉→室町)であり、弟の足利直義(あしかがただよし/鎌倉→室町)である。
陸奥国(むつのくに/岩手県)をはじめとした東北地方で最も名高い奥州藤原氏。
その奥州平泉を“仏教王国”に定めたのが第1代奥州藤原氏の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)である。
1091年に藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)は、多賀城(たがじょう)の国府守に就任していた源義家(みなもとよしいえ/朝廷)の助言により京都の平安京(へいあんきょう/京都)へ上洛し、朝廷に奥州名産の“金”と“馬”を献上した。
その時、神社仏閣が点在する京都の街並みを見学し、奥州平泉の都市構造の示唆(しさ)を得る。
陸奥国(むつのくに/岩手県)の平泉に戻った藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)は、1094年〜1096年の間に“新都平泉”を建造する。
藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)は“柳の御所”を建て、そこを奥州藤原氏の館(やかた)とする。
そして「後三年の役」(ごさんねんのえき)で命を助けてくれた村娘の阿具里(あぐり/村民→ 奥州藤原氏)を呼び寄せ、奥州藤原氏の館(やかた)の近くに小館(こだち)を建て、側室として住まわせる。
PRESS CLUB /♪ TO ALL THE ONES THAT I LOVE
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261022 - ラジオの友 URL
2026/10/22 (Thu) 12:40:33
◆◇◆其の八十:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の奥州藤原氏
第1代奥州藤原氏の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)は、阿具里(あぐり/村民→ 奥州藤原氏)との間に息子の藤原惟常(ふじわらこれつね/奥州藤原氏)をもうける。
また、藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)は平氏系の北の方(きたのかた/平氏→ 奥州藤原氏)を正室に迎え、息子で第2代奥州藤原氏となる藤原基衡(ふじわらもとひら/奥州藤原氏)をもうける。
その頃、平泉に旅で訪れていた天台宗(てんだいしゅう)の僧侶の自在坊蓮光(じざいぼうれんこう/僧侶)より、800年頃の東北地方での伝説の蝦夷(えみし)と呼ばれ河内国(大阪府)で死去した阿弖流為(あてるい/蝦夷)や、第50代天皇の桓武天皇(かんむてんのう/朝廷)に仕えた征夷大将軍の坂上田村麻呂(さかうえたむらまろ/公家)の話しを、藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)に言い聞かせた。
2人は意気投合し、友好関係を築く。
自在坊蓮光(じざいぼうれんこう/僧侶)は平泉の衣川近くの開山に、阿弖流為(あてるい/蝦夷)を弔うお寺として中尊寺(ちゅうそんじ)を建立(こんりゅう)するよう提案する。
此れにより1105年〜1126年にかけて奥州平泉に中尊寺(ちゅうそんじ)が築かれる。
1107年に大長寿院(だいちょうじゅいん)、1124年に金色堂(こんじきどう)が完成する。
これが東北地方の“仏乃国”(ほとけのくに)の始まりでもある。
1126年に中尊寺(ちゅうそんじ)が完成した時には、父親で第1代奥州藤原氏の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)、息子で第2代奥州藤原氏の藤原基衡(ふじわらもとひら/奥州藤原氏)、孫で第3代奥州藤原氏の藤原秀衡(ふじわらひでひら/奥州藤原氏)の親子孫の“奥州藤原氏三代”となっていた。
1128年に第1代の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)が死去する。
当然に第2代奥州藤原氏の藤原基衡(ふじわらもとひら/奥州藤原氏)が跡目を継ぐが、そこに小館(こだち)に住む側室の阿具里(あぐり/村民→ 奥州藤原氏)と息子の藤原惟常(ふじわらこれつね/奥州藤原氏)が不満を抱く。
藤原惟常(ふじわらこれつね/奥州藤原氏)は側室軍を率いて第2代奥州藤原氏の藤原基衡(ふじわらもとひら/奥州藤原氏)の正妻軍を攻撃するも反撃に遭い、母親の阿具里(あぐり/村民→ 奥州藤原氏)は死亡し、息子の藤原惟常(ふじわらこれつね/奥州藤原氏)は越後国(新潟県)まで逃亡する。
ただ、藤原基衡(ふじわらもとひら/奥州藤原氏)は、重鎮家臣の佐藤季春(さとうすえはる/奥州藤原氏)などと正妻軍を率いて越後国(新潟県)まで討伐に出向く。
佐藤季春(さとうすえはる/奥州藤原氏)とは、陸奥国(むつ/岩手県)の平泉で信夫庄の群司(しのぶのしょうのぐんじ)や大庄司(おおしょうじ)に就任した人物である。
佐藤季春…『お前ほどの身の程知らずは、この世に必要は無い!』
バサッ バサッバサッ
藤原惟常…『ギャ〜〜 やられた〜〜』
ゴロン
此処で藤原惟常(ふじわらこれつね/奥州藤原氏)は討死する。
FLYLEAF /♪ NEW HORIZONS
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261022 - ラジオの友 URL
2026/10/22 (Thu) 12:41:27
◆◇◆其の八十一:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の奥州藤原氏
1142年、京都の藤原房前(ふじわらふささき/公家)の系統の北家(ほっけ)でもある宗形師綱(むねかたもろつな/公家)が、陸奥国司(むつこくし)に就任する。
宗形師綱(むねかたもろつな/公家)は賄賂(わいろ)を含めた献上品を一切受取らない堅物(かたぶつ)で、奥州一帯の検知(土地測量)を実施し始めた。
朝廷に奉納する年貢が上がる事を恐れた藤原基衡(ふじわらもとひら/奥州藤原氏)は、家臣の佐藤季春(さとうすえはる/奥州藤原氏)に検知(土地測量)を止めさせるよう指示する。
ところが佐藤季春(さとうすえはる/奥州藤原氏)は、検知(土地測量)を実施する宗形師綱(むねかたもろつな/公家)やその家臣を攻撃してしまう。
その事により、朝廷に謀反(むほん)を起こした奥州藤原氏と捉えられ一大事となり、佐藤季春(さとうすえはる/奥州藤原氏)は責任を取って斬首される。
介錯人…『許してくなんしぇ。』(お許しください。)
バサッ バサッバサッ
佐藤季春…『ウムッ!』
ゴロン
ただ、陸奥国をはじめ東北地方での奥州藤原氏の影響力は絶大で、平安京(へいあんきょう/京都)の朝廷は“喧嘩両成敗”として宗形師綱(むねかたもろつな/公家)を解任する。
この時期に藤原基衡(ふじわらもとひら/奥州藤原氏)は、平泉の舞草(もうくさ)の村に毛越寺(もうつじ)を建立(こんりゅう)し、徐々に奥州平泉が“仏教王国”として容作(かたちづ)いていく。
PATTI ROTHBERG /♪ TREAT ME LIKE DIRT
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261022 - ラジオの友 URL
2026/10/22 (Thu) 12:42:25
◆◇◆其の八十二:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の奥州藤原氏
この時期に、京都の平安京(へいあんきょう/京都)の朝廷では、天皇と上皇の兄弟が2分し、源平藤(げんぺいとう)を巻き込み権力闘争が行われた。
これを1156年に起こった「保元の乱」(ほうげんのらん)と、これを1160年に起こった「平治の乱」(へいじのらん)である。
戦後処理として源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)は、伊豆国(静岡県)への流刑になる。
1159年に第2代奥州藤原氏の藤原基衡(ふじわらもとひら/奥州藤原氏)が死去し、第3代奥州藤原氏の藤原秀衡(ふじわらひでひら/奥州藤原氏)が跡目を継いだ。
藤原秀衡(ふじわらひでひら)は、蝦夷(えみし)の女性との間に長男の藤原国衡(ふじわらくにひら/奥州藤原氏)をもうける。
さらに陸奥国司(むつこくし)かつ鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)の藤原基通(ふじわらもとみち/公家)の娘を正室として迎入れ、次男となる第4代奥州藤原氏の藤原泰衡(ふじわらやすひら/奥州藤原氏)が生まれる。
また、別の側室とも三男の藤原忠衡(ふじわらただひら/奥州藤原氏)をもうける。
この奥州藤原氏3兄弟が滅亡へと追い込むとは、まだ、知る由(よし)もない。
義父の藤原基通(ふじわらもとみち/公家)は、「平治の乱」(へいじのらん)で源義朝(みなもとよしとも/朝廷→源氏)と共に反乱(クーデター)を起こした藤原信頼(ふじわらのぶより/公家)の弟で、平清盛(たいらきよもり/朝廷→平氏)の報復に戦々恐々としていた。
ただ、平清盛(たいらきよもり/朝廷→平氏)の報復は奥州平泉までは及ばず、逆に第3代奥州藤原氏の藤原秀衡(ふじわらひでひら/奥州藤原氏)の絶大な権力を利用するため鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)に任命する。
ANNE-MARIE /♪ DEPRESSED
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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261022 - ラジオの友 URL
2026/10/22 (Thu) 12:43:21
◆◇◆其の八十三:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の奥州藤原氏
藤原秀衡(ふじわらひでひら/奥州藤原氏)は、いずれ源氏が復活して“平氏討伐”を計(はか)る事を見越して、畿内(きない/関西)に居る牛若(うしわか)こと源義経(みなもとよしつね/源氏→藤原)に目を付けて、武将として見込みのある牛若(うしわか)こと源義経(みなもとよしつね/源氏→ 奥州藤原氏)を奥州平泉に呼び寄せる。
この道中に源義経(みなもとよしつね/源氏→ 奥州藤原氏)に賛同した者が集まり、奥州平泉まで同行する。
近江国(滋賀県)の比叡山にある天台宗(てんだいしゅう)の延暦寺(えんりゃくじ)の僧侶だった武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい/僧侶)。
源義朝(みなもとよしとも/朝廷→源氏)の家臣の鎌田政清(かまたまさきよ/源氏)の甥で鎌田政近(かまたまさちか/源氏)。
駿河国(静岡県)と相模国(神奈川県)の山賊だった伊勢義盛(いせよしもり/武士)。
常陸国(茨城県)は香取の常陸坊海尊(ひたちぼうかいそん/僧侶)。
源義経(みなもとよしつね/源氏→ 奥州藤原氏)の一行は、平泉に到着すると第3代奥州藤原氏の藤原秀衡(ふじわらひでひら/奥州藤原氏)に謁見(えっけん)し、そこで長男の藤原国衡(ふじわらくにひら/奥州藤原氏)、第4代奥州藤原氏となる次男の藤原泰衡(ふじわらやすひら/奥州藤原氏)、三男の藤原忠衡(ふじわらただひら/奥州藤原氏)の紹介を受ける。
長男の藤原国衡(ふじわらくにひら/奥州藤原氏)と三男の藤原忠衡(ふじわらただひら/奥州藤原氏)は源義経(みなもとよしつね/源氏→ 奥州藤原氏)に対して好意的だったが、次男の藤原泰衡(ふじわらやすひら/奥州藤原氏)は反感を剥(む)き出しにする。
奥州藤原氏の館(やかた)でもある“柳の御所”の北側に高館(たかだち)を設け、源義経(みなもとよしつね/源氏→ 奥州藤原氏)の住居とした。
源義経(みなもとよしつね/源氏→ 奥州藤原氏)は、奥州平泉に1174年〜1180年まで滞在し、この間に“騎馬”や“弓取”などの武術を学ぶ。
この東北地方の経験や鍛錬が、英俊豪傑(えいしゅんごうけつ)な武将としての能力を引き出している。
この頃、第3代奥州藤原氏の藤原秀衡(ふじわらひでひら/奥州藤原氏)は無量光院(むりょうこういん)を建立(こんりゅう)し、京都は宇治市に建つ“平等院鳳凰堂”を模した寺院を配置する。
これにより奥州平泉を中心とした東北地方の極楽浄土(天国)は具現化した事になる。
SABRINA CARPENTER /♪ OPPOSITE
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261022 - ラジオの友 URL
2026/10/22 (Thu) 12:44:53
◆◇◆其の八十四:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の奥州藤原氏
平安時代の末期、京都の平安京では平清盛(たいらきよもり/朝廷→平氏)が栄華(えいが)を極める。
平清盛(たいらきよもり/朝廷→平氏)は摂津国(兵庫県)に福原京(ふくはらきょう)を建造する。
それに反発する公家や武将も大勢いた。
その1人が伊豆国(静岡県)に流刑となった源義朝(みなもとよしとも/朝廷→源氏)の息子の源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)だった。
源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)は妻の北条政子(ほうじょうまさこ/鎌倉)の父親の北条時政(ほうじょうときまさ/鎌倉)の力を借りて決起する。
それに賛同したのが陸奥国(むつ/岩手県)の平泉に移住していた源義経(みなもとよしつね/源氏→ 奥州藤原氏)だが、ただ、時期早々として第3代奥州藤原氏の藤原秀衡(ふじわらひでひら/奥州藤原氏)は参戦する事に反対する。
1180年に源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)は、相模国(神奈川県)の鎌倉に地盤を固める。
そして、1180年〜1185年に起こった「源平合戦」(げんぺいかっせん)こと「治承寿永の乱」(じしょうじゅえいのらん)にて、源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)が率いる源氏軍と、平清盛(たいらきよもり/朝廷→平氏)が率いる平氏軍が交戦する。
此の合戦で源義経(みなもとよしつね/源氏→ 奥州藤原氏)に参戦した源氏軍は、1185年に起こった「壇ノ浦の戦」(だんのうらのたたかい)にて、長門国(山口県)の関門海峡で平氏軍は壊滅し、伊勢平氏の平清盛(たいらきよもり/朝廷→平氏)の系統である平家は滅亡した。
この功績に対して第77代天皇だった後白河法皇(ごしらかわほうおう/朝廷)は、源義経(みなもとよしつね/源氏→ 奥州藤原氏)に伊予国(愛媛県)の“伊予守”(いよのかみ)を与える。
これに対して相模国(神奈川県)は鎌倉で陣営を構える源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)は、源義経(みなもとよしつね/源氏→ 奥州藤原氏)が軍律を乱したとして御立腹を越えて、身震いするほど激怒する。
源義経(みなもとよしつね/源氏→ 奥州藤原氏)は、戦勝証の捕虜として平宗盛(たいらのむねもり/平氏)を従えて鎌倉に入ろうとするも、源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)に拒まれる。
さらに平宗盛(たいらのむねもり/平氏)を死罪にするよう命令し、源義経(みなもとよしつね/源氏→ 奥州藤原氏)は近江国(滋賀県)の篠原(しのはら)で斬首する。
それでも源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)は家臣に対して、源義経(みなもとよしつね/源氏→ 奥州藤原氏)を討伐するように命令を下す。
ここから源義経(みなもとよしつね)の“逃亡劇”が始まる。
平氏の滅亡により、1185年に源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)は、相模国(神奈川県)の鎌倉に鎌倉幕府を創設した。
これにより畿内(きない/関西)以外の東国での政権が初めて発足した。
第77代天皇だった後白河法皇(ごしらかわほうおう/朝廷)の崩御(ほうぎょ)に併せて、1192年に源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)が征夷大将軍1代目に就任する。
FRANK WALKER & SALEM ILESE /♪ ALL CRIED OUT
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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261022 - ラジオの友 URL
2026/10/22 (Thu) 12:45:55
◆◇◆其の八十五:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の奥州藤原氏
源義経(みなもとよしつね/源氏→ 奥州藤原氏)、職業は武士。
正しかるべき正義も時(とき)として、盲(め)しいる事がある 。
彼は身に覚えのない謀反(むほん)の罪で死刑を宣告され、凱旋(がいせん)の途中で辛くも脱走した。
孤独と絶望の逃亡生活が始まる。
髪の色を変え、重労働に耐えながら、犯行現場から走り去った幕府の男を捜し求める。
彼は逃げる。
執拗(しつよう)な源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)の追跡を交(か)わしながら、“現在”を、“今夜”を、そして“明日”を生きるために。
源義経(みなもとよしつね/源氏→ 奥州藤原氏)、そう、彼は「逃亡者」(The Fugitive)である。
源義経(みなもとよしつね/源氏→ 奥州藤原氏)は、武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい/僧侶)や伊勢義盛(いせよしもり/武士)と共に陸奥国(むつ/岩手県)の平泉に落ち延びた。
第3代奥州藤原氏の藤原秀衡(ふじわらひでひら/奥州藤原氏)は、源義経(みなもとよしつね/源氏→ 奥州藤原氏)を匿(かくま)うも、第4代奥州藤原氏の藤原泰衡(ふじわらやすひら/奥州藤原氏)は、鎌倉幕府の源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)に差し出しよう嘆願(たんがん)する。
鎌倉幕府の源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)は、奥州藤原氏が源義経(みなもとよしつね/源氏→ 奥州藤原氏)を保護している事を掴む。
鎌倉幕府は陸奥国(むつ/岩手県)の奥州藤原氏に対して、上納品を京都の朝廷ではなく、鎌倉に直接納める様に指示を出し圧力を掛ける。
そんな最中(さなか)、1187年に第3代奥州藤原氏の藤原秀衡(ふじわらひでひら/奥州藤原氏)が死去する。
藤原秀衡…『兄弟3人が力を合わせて源義経(みなもとよしつね/源氏→ 奥州藤原氏)を守り抜くこと。』
これが遺言だった。
長男の藤原国衡(ふじわらくにひら/奥州藤原氏)と三男の藤原忠衡(ふじわらただひら/奥州藤原氏)は、父親の遺言を守る意志を固め、源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)の鎌倉幕府に対して攻防する奥州藤原軍を整える。
一方、次男となる第4代奥州藤原氏の藤原泰衡(ふじわらやすひら/奥州藤原氏)は、源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)の総攻撃に怯(おび)え、とうとう源義経(みなもとよしつね/源氏→ 奥州藤原氏)や武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい/僧侶)を暗殺してしまう。
藤原泰衡…『お前らは奥州藤原氏にとって疫病神で邪魔者なんじゃ〜!』
バサッ バサッバサッ
源義経…『ウグッ。』
ゴロン
武蔵坊弁慶…『ムムムッ。』
ゴロン
それでも源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)は鎌倉軍を率いて陸奥国(むつ/岩手県)の平泉を目指す。
SARA BAREILLES /♪ MANY THE MILES
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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261022 - ラジオの友 URL
2026/10/22 (Thu) 12:46:57
◆◇◆其の八十六:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の奥州藤原氏
源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)は、当初から東北地方の肥沃な土地と金鉱山が目当てであったのは、第3代奥州藤原氏の藤原秀衡(ふじわらひでひら/奥州藤原氏)の時から危惧(きぐ)していた事である。
第4代奥州藤原氏で次男の藤原泰衡(ふじわらやすひら/奥州藤原氏)は、三男の藤原忠衡(ふじわらただひら/奥州藤原氏)を暗殺して責任を全てなすりつけて、源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)に許しを請(こ)う。
源頼朝…『名門家の奥州藤原氏たる者、武士たる恥ぞっ!』
こう言って源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)の鎌倉軍は北上する。
長男の藤原国衡(ふじわらくにひら/奥州藤原氏)は、奥州藤原軍を率いて陸奥国(宮城県)は多賀城(たがじょう)の南方で布陣し、源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)が率いる鎌倉軍に対して反撃するも討死する。
奥州平泉に侵攻した源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)の鎌倉軍に対して、第4代奥州藤原氏の藤原泰衡(ふじわらやすひら/奥州藤原氏)は“柳の御所”から逃亡する。
源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)は、“仏乃国”(ほとけのくに)と言われる“仏教王国”の奥州平泉の美しい街並みに感銘し、相模国(神奈川県)の鎌倉の市街地整備の参考にした。
これが鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)を中心とした門前街区である。
陸奥国の北部まで逃亡した第4代奥州藤原氏の藤原泰衡(ふじわらやすひら/奥州藤原氏)は、家臣の河田次郎(かわたじろう/奥州藤原氏)を頼るも裏切られて斬首される。
河田次郎…『お前は奥州藤原氏の恥晒(はじさら)しで、疫病神で邪魔者なんじゃ〜!』
バサッ バサッバサッ
藤原泰衡…『ギャ〜〜 やられた〜〜』
ゴロン
1189年、ここにて名門家と言われた奥州藤原氏が滅亡する。
河田次郎(かわたじろう/奥州藤原氏)は、第4代奥州藤原氏の藤原泰衡(ふじわらやすひら/奥州藤原氏)の首級(しきゅう)を持参して、奥州藤原氏の当主を討った褒美を貰いに源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)に伺うも・・・
源頼朝…『主君への謀反(むほん)は、斬首に値する。』
河田次郎(かわたじろう/奥州藤原氏)は褒美をもらうどころか、その場で斬首される。
この時、源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)は、父親の源義朝(みなもとよしとも/朝廷→源氏)が1160年に起こった「平治の乱」(へいじのらん)にて、逃亡先だった尾張国(愛知県)の知多半島の野間(のま)で家臣により裏切られ入浴中に討死したのを重ね合わせたのかも知れない。
これより武家政権となる源氏から北条氏までの鎌倉幕府が動き出す。
1689年の江戸時代、松尾芭蕉(まつおばしょう/俳人)が奥州平泉を訪れてた際に「奥の細道」(おくのほそみち)にて、こう俳句を詠む。
松尾芭蕉…『夏草や、兵(つわもの)どもが、夢のあと。』
MARIA JORDAN /♪ BETTER THAN NOTHING
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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261022 - ラジオの友 URL
2026/10/22 (Thu) 12:48:02
◆◇◆其の八十七:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)
日本は元より、世界で最も有名な作家で歌人の紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)。
学生時代に歴史の教科書を開いた事のない浅学非才(せんがくひさい)な学生でも、紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)の名前くらいは知っている。
そんな誰もが知っている紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)の生涯を診てみよう。
山城国(京都府)の平安京(へいあんきょう/京都)にて、970年(不確実)に朝廷の役人に就いていた藤原為時(ふじわらためとき/公家)の娘として誕生した。
この時期の日本列島は、地震に飢饉、そして伝染病が蔓延する天災地変(てんさいちへん)に見舞われていた。
幼少期の紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)は、文学派で歌人の父親の藤原為時(ふじわらためとき/公家)が保有する書物を読み漁るのが日課で趣味でもあった。
ある日、父親の藤原為時(ふじわらためとき/公家)が、息子の藤原惟規(ふじわらのぶのり/公家)に漢文を直伝(じきでん)していた時の事、藤原惟規(ふじわらのぶのり/公家)には難しくて理解できなかった。
ところが、横で聞いていた姉の紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)は、直ぐに漢文を理解して解説できた。
こうして天賦(てんぶ)の英明果敢 (えいめいかかん)な紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)は、文学の才能を開花させる。
996年に父親の藤原為時(ふじわらためとき/公家)は、越前国(福井県)に国司に就任に就任した。
一家で越前国(福井県)に移住する事となり、近江国(滋賀県)と越前国(福井県)を結ぶ深坂古道(ふかさかこどう)にある深坂峠(ふかさかとうげ)を越える際に、塩津山(しおつやま)の深坂古道(ふかさかこどう)は草木が覆い茂り、荷物を運ぶ見窄(みすぼ)らしい格好の飛脚が、『いつ来ても深坂峠(ふかさかとうげ)を越えるのは難儀する。』と言う会話を聞いた。
此れに対して紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)は歌を詠んだ。
紫式部…『知りぬらむ、行き来(ゆきき)にならす塩津山(しおつやま)、世に経(ふ)る道は、辛(から)きものぞと。』⦅人足よ、お前達も人生の道は、この峠のように辛いと解ったであろう。⦆
尊大不遜(そんだいふそん)で不遜(ふそん)する傲慢(ごうまん)な紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)の内面的な性格を、よく表した歌である。
998年に紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)は、藤原房前(ふじわらふささき/公家)の北家(ほっけ)の系統で山城国(京都府)の国司じ就いていた藤原宣孝(ふじわらのぶたか/公家)と結婚する。
こうして紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)は、再び平安京(へいあんきょう/京都)での生活が始まる。
999年に藤原宣孝(ふじわらのぶたか/公家)と紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)の娘の藤原賢子(ふじわらかたいこ/歌人)が誕生する。
ただ、“一夫多妻”が慣例だった平安時代にて、夫婦生活は冷酷な処遇で、多くの女性と関係を持っていた藤原宣孝(ふじわらのぶたか/公家)は、紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)の屋敷に往訪(おうほう)する事は殆どなかった。
そんな紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)は、娘の藤原賢子(ふじわらかたいこ/歌人)を育児しながら寂しい日々が続いた。
此の時の経験が、“源氏物語”(げんじものがたり)の執筆の原動力となっている。
しかも、1001年に藤原宣孝(ふじわらのぶたか/公家)は死去する。
未亡人となった紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)は、現実逃避し空想の世界を楽しむ様に“源氏物語”(げんじものがたり)の執筆を始める。
1011年に父親の藤原為時(ふじわらためとき/公家)は、越後国(新潟県)の国司に就任した。
同年の1011年に越後国(新潟県)にて、弟の藤原惟規(ふじわらのぶのり/公家)が37歳で死去する。
家族の不幸の悲しみを乗り越えて紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)は、“源氏物語”(げんじものがたり)の執筆を継続して、出版する事になる。
KEVYN LETTAU /♪ ANOTHER SEASON
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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261022 - ラジオの友 URL
2026/10/22 (Thu) 12:49:42
◆◇◆其の八十八:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)
この“源氏物語”(げんじものがたり)は、平安京(へいあんきょう/京都)の皇族や公家に購読され、瞬(またた)く間に流行の小説の地位を築く。
この“源氏物語”(げんじものがたり)を目にした朝廷の摂政で“望月の歌”(もちづきのうた)を詠んで有名になった藤原道長(ふじわらみちなが/公家)は、娘で第66代天皇の一条天皇(いちじょうてんのう/朝廷)の妻の藤原彰子(ふじわらしょうし/公家→朝廷)の女房(にょうぼう)に、才色兼備(さいしょくけんび)な紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)を抜擢した。
ただ、平安京(へいあんきょう/京都)の宮中に入った紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)は、他の女官の嫉妬から嫌味(いやみ)、僻(ひが)み、嫉(ねた)みの罵詈雑言(ばりぞうごん)の洗礼を受ける。
此れにより紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)は、直ぐに平安京(へいあんきょう/京都)の宮中から飛び出して、自宅の屋敷で引き篭もる様になる。
しかし、第66代天皇の一条天皇(いちじょうてんのう/朝廷)の妻の藤原彰子(ふじわらしょうし/公家→朝廷)の直々の切望(せつぼう)にて、紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)は女房(にょうぼう)に復帰する。
此の時は、自らの才能を隠して卑屈(ひくつ)のふりをした。
復帰した紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)に対して藤原道長(ふじわらみちなが/公家)は、第66代天皇の一条天皇(いちじょうてんのう/朝廷)と藤原彰子(ふじわらしょうし/公家→朝廷)の日常生活を記録した“紫式部日記”(むらさきしきぶにっき)の執筆を依頼した。
第66代天皇の一条天皇(いちじょうてんのう/朝廷)と藤原彰子(ふじわらしょうし/公家→朝廷)は、後々の第68代天皇の後一条天皇(ごいちじょうてんのう/朝廷)と第69代天皇の後朱雀天皇(ごすざくてんのう/朝廷)が誕生した。
紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)と藤原彰子(ふじわらしょうし/公家→朝廷)は、肝胆相照(かんたんあいて)らす知己(ちき)の紐帯(ちゅうたい)で結ばれていた。
1011年に長編小説の“源氏物語”(げんじものがたり)は、全54帖(じょう)にて完成した。
因みに第66代天皇の一条天皇(いちじょうてんのう/朝廷)の皇后である藤原定子(ふじわらていし/公家→朝廷)の女房(にょうぼう)として仕えた歌人で“枕草子”(まくらのそうし)を執筆した清少納言(せいしょうなごん/清原→朝廷→歌人)は、紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)との時期が異なり面識は無い。
ただ、清少納言(せいしょうなごん/清原→朝廷→歌人)の話題を聞いた紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)は、⦅漢字もろくに書けない愚昧(ぐまい)な鼠輩(そはい)である。⦆と、辛辣(しんらつ)な言葉で罵しり、書物に書き記している。
また、清少納言(せいしょうなごん/清原→朝廷→歌人)も、紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)の夫の藤原宣孝(ふじわらのぶたか/公家)を、⦅配慮軽率(はいりょけいそつ)な暗愚魯鈍(あんぐろどん)の輩(やから)である。⦆と、苛烈(かれつ)な言葉で罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせている。
そして、時は流れて紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)は、平安京(へいあんきょう/京都)の宮中から離れて行方知れずとなり、1016年(不明確)に死去したと言い伝えられている。
藤原宣孝(ふじわらのぶたか/公家)と紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)の娘で歌人の大弐三位(だいにのさんみ)こと藤原賢子(ふじわらかたいこ/歌人)は、母親譲りの英明果敢 (えいめいかかん)を兼ね備えた才能で、平安文化に作品と名を残している。
ERIN BOWMAN /♪ KEEP ME WARM
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261022 - ラジオの友 URL
2026/10/22 (Thu) 12:50:52
◆◇◆其の八十九:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●藤原氏の偉人を選出
飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代までの藤原氏を大まかに診てきた。
やはり藤原氏多過ぎ問題にて、誰がどの藤原氏なのか判別つかない事態に陥る。
特に平安時代では、歴史の概要の97%が藤原氏で占めている。
此処で1例として、藤原氏の記憶の仕方を明記しておく。
藤原氏の祖である藤原鎌足(ふじわらかまたり)こと中臣鎌足(なかとみかまたり/公家)は、飛鳥時代の600年頃でまだ家系がなく“飛六無し”を添えて覚える。
藤原四子(ふじわらしし)で南家(なんけ)の藤原武智麻呂(ふじわらむちまろ/公家)は、奈良時代の700年頃の南家の“奈七南”を添えて覚える。
“望月の歌”(もちづきのうた)を詠んだ藤原道長(ふじわらみちなが/公家)は、平安時代の1000年頃の北家(ほっけ)の“平千北”を添えて覚える。
鎌倉幕府の征夷大将軍4代目に就任した藤原氏北家(ほっけ)の五摂家(ごせっけ)に属する九条家の九条頼経(くじょうよりつね)こと藤原頼経(ふじわらよりつね/公家→鎌倉)は、鎌倉時代の1200年頃の北家(ほっけ)の“鎌二北”を添えて覚える。
こうすれば、何時(いつ)の時代に活躍していた藤原氏かが判明する。
また、平安時代以降に藤原氏は鳴りを潜めたが、家系として消滅はしていない。
鎌倉時代では、鎌倉幕府の征夷大将軍1代目の源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)と、征夷大将軍2代目の源頼家(みなもとよりいえ/鎌倉) と、征夷大将軍3代目の源実朝(みなもとさねとも/鎌倉)の源氏が継続した。
ところがその後に源氏が断絶し、鎌倉幕府の征夷大将軍が不在となり、執権3代目の北条泰時(ほうじょうやすとき/鎌倉)の尽力で、1226年に京都の朝廷から藤原氏北家(ほっけ)の五摂家(ごせっけ)に属する九条家の九条頼経(くじょうよりつね)こと藤原頼経(ふじわらよりつね/公家→鎌倉)が征夷大将軍4代目に就任した。
ただ、征夷大将軍4代目の九条頼経(くじょうよりつね)こと藤原頼経(ふじわらよりつね/公家→鎌倉)と執権4代目の北条経時(ほうじょうつねとき/鎌倉)は仲違いし、九条頼経(くじょうよりつね)こと藤原頼経(ふじわらよりつね/公家→鎌倉)は征夷大将軍から退任させられた。
1244年に、藤原頼経(ふじわらよりつね/公家→鎌倉)の息子の藤原頼嗣(ふじわらよりつぐ/鎌倉→公家)が征夷大将軍5代目に就任した。
1252年に、鎌倉幕府へ謀反の疑惑が浮上し、征夷大将軍5代目の藤原頼嗣(ふじわらよりつぐ/鎌倉→公家)は、征夷大将軍から退任させられた。
戦国時代では、1560年に起こった「小田原城の戦」(おだわらじょうのたたかい)にて、相模国(神奈川県)の小田原城(おだわらじょう)を拠点とする“相模の獅子”と呼ばれた伊勢北条氏3代目の北条氏康(ほうじょううじやす/伊勢北条)を、越後国(新潟県)の春日山城(かすがやまじょう/上越)を拠点とする“越後の龍”と呼ばれた長尾景虎(ながおかげとら)こと上杉謙信(うえすぎけんしん/長尾→上杉)が、京都の朝廷から関白の近衛前久(このえさきひさ/公家)と共に侵攻をしている。
近衛前久(このえさきひさ/公家)の近衛家(このえけ)とは、藤原氏北家(ほっけ)の五摂家(ごせっけ)の近衛家(このえけ)と一条家と九条家と鷹司家(たかつかさけ)と二条家から構成されている。
近衛前久(このえさきひさ/公家)の息子で左大臣に就任した近衛信尹(このえのぶただ/公家)は、織田信長(おだのぶなが/織田)や豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)と親交を深めた。
ただ1585年に、近衛前久(このえさきひさ/公家)は朝廷の関白への就任に際して、妻が織田信長(おだのぶなが/織田)の娘である現役の関白の二条昭実(にじょうあきざね/公家)と紛争した「関白相論」(かんぱくそうろん)を繰り広げた。
この「関白相論」(かんぱくそうろん)を仲裁したのが豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)で、この紛争を解決する為に、豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)が藤原氏の養子に入り自らが関白に就任してしまう。
昭和期では、日本の政府の第34代と第38代〜第39代内閣総理大臣に就いた近衛文麿(このえふみまろ/公卿→政治家)は、1941年12月に起こった「太平洋戦争」こと「大東亜戦争」にて、日本軍は敗戦し終戦後に1945年に自決した。
MARIA MCKEE /♪ LATE DECEMBER
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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261022 - ラジオの友 URL
2026/10/22 (Thu) 12:52:47
◆◇◆其の九十:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●藤原氏の偉人を選出
因みに、藤原鎌足(ふじわらかまたり)こと中臣鎌足(なかとみかまたり/公家)から始まった藤原氏は、庶家(しょけ)には幾つもの氏姓(しせい)が存在する。
例えば、井戸を管理する藤原氏は藤井氏、田畑を管理する藤原氏は藤田氏、沢の近くに住む藤原氏は藤沢氏となる。
越後国(新潟県)の佐渡島を統治する藤原氏は佐藤氏、加賀国(石川県)を統治する藤原氏は加藤氏、斎場を担う藤原氏は斎藤氏、伊輩(いはい)を統括する藤原氏は伊藤氏、安房国(あわ/千葉県)に拠点とする藤原氏は安藤氏となる。
“藤”が着く氏姓(しせい)は、藤原鎌足(ふじわらかまたり)こと中臣鎌足(なかとみかまたり/公家)の末裔と思ってよい。
藤原鎌足(中臣鎌足)…『“藤”が着く氏姓(しせい)なんて、日本中にどんだけ居んねぇ〜〜ん!』
■藤原氏の偉大な偉人、十英傑(じゅうえいけつ)■
①:第1代奥州藤原氏の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)
平安時代にて、奥州藤原氏の祖となる藤原清経(ふじわらきよつね/奥州藤原氏)の息子で、陸奥国(むつ/岩手県)の平泉を拠点として、中尊寺(ちゅうそんじ)と金色堂(こんじきどう)を建立(こんりゅう)し、奥州を仏教王国に築いた。
②:紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)
平安時代にて、第66代天皇の一条天皇(いちじょうてんのう/朝廷)の中宮で藤原彰子(ふじわらしょうし/公家→朝廷)の女房(にょうぼう)に就任し、“源氏物語”(げんじものがたり)を執筆したが、性格は悲観的で否定的である。
③:藤原鎌足(ふじわらかまたり)こと中臣鎌足(なかとみかまたり/公家)
飛鳥時代にて、藤原氏の祖で、中大兄皇子(なかのおおえのみこ)こと第38代天皇の天智天皇(てんぢてんのう)と共に、645年に起こった「乙巳の変」(いっしのへん)と、645年に実施した「大化の改新」(たいかのかいしん)を実施した。
④:恵美押勝(えみおしかつ)こと藤原仲麻呂(ふじわらなかまろ/公家)
奈良時代にて、藤原氏南家(なんけ)の藤原武智麻呂(ふじわらむちまろ/公家)の息子で、第46代天皇の孝謙天皇(こうけんてんのう/女皇)および第48代天皇の称徳天皇(しょうとくてんのう/女皇)と弓削道鏡(ゆげどうきょう/僧侶)の恋人と対立し、764年に起こった「藤原仲麻呂の乱」(ふじわらのなかまろのらん)で討死した。
⑤:藤原純友(ふじわらすみとも/公家→海賊)
平安時代にて、藤原房前(ふじわらふささき/公家)の北家(ほっけ)の藤原良範(ふじわらよしのり/公家)の息子で、伊予国(愛媛県)の国司(こくし)に就任するも、瀬戸内海の日振島(ひぶりじま/宇和島)を拠点とした海賊に転身し、940年に起こった「藤原純友の乱」(ふじわらすみとものらん)こと「承平天慶の乱」(じょうへいてんぎょうのらん)で、平安京(へいあんきょう/京都)の朝廷に謀反を実施した。
⑥:藤原冬嗣(ふじわらふゆつぐ/公家)
平安時代にて、藤原房前(ふじわらふささき/公家)の北家(ほっけ)の系統で、810年に起こった「薬子の変」(くすこのへん)にて、第52代天皇の嵯峨天皇(さがてんのう/朝廷)の蔵人頭(くろうどとう)に就任して、此れが要因となり藤原氏北家(ほっけ)が摂関政治を主導する様になる。
⑦:俵藤太(たわらとうた)こと藤原秀郷(ふじわらひでさと/公家)
平安時代にて、奥州藤原氏の先祖で、940年に起こった「平将門の乱」(たいらのまさかどのらん)こと「承平天慶の乱」(じょうへいてんぎょうのらん)にて、下総国(しもうさ/茨城県)に設けられら石井の王城(いわいのおうじょう/坂東)を拠点とした新皇(しんのう)の平将門(たいらまさかど/朝廷→下総)を討伐し、“天下一の弓取り名人”と呼ばれ、近江国(滋賀県)の琵琶湖近くで巨大百足(オオムカデ)を弓の矢で射止め、琵琶湖に住む竜王(りゅうおう)を助けた伝説がある。
⑧:藤原不比等(ふじわらふひと/公家)
飛鳥時代から奈良時代にて、藤原鎌足(ふじわらかまたり)こと中臣鎌足(なかとみかまたり)の息子で、朝廷の官僚に就いた公卿(くぎょう)で、701年に「大宝律令」(たいほうりつりょう)と720年に「日本書紀」(にほんしょき)を編纂(へんさん)した。
⑨:藤原良房(ふじわらよしふさ/公家)
平安時代にて、藤原房前(ふじわらふささき/公家)の北家(ほっけ)である藤原冬嗣(ふじわらふゆつぐ/公家)の息子で、藤原氏北家(ほっけ)による他氏排斥の一環で、866年に起こった「応天門の変」(おうてんもんのへん)にて、奸計(かんけい)を講じた首謀者とされている。
⑩:藤原道長(ふじわらみちなが/公家)
平安時代にて、藤原兼家(ふじわらかねいえ/公家)の息子で、第68代天皇の後一条天皇(ごいちじょうてんのう/朝廷)と第69代天皇の後朱雀天皇(ごすざくてんのう/朝廷)と第70代天皇の後冷泉天皇(ごれいぜいてんのう/朝廷)の祖父として、平安京(へいあんきょう/京都)の朝廷の摂政や関白に就任し、『この世をば、わが世とぞ思ふ望月(もちづき)の、欠けたる事もなしと思へば。』⦅この世の中は、まるで自分の為にある様なものだ。 満月の様に、何も欠けているものがない、完全に満ち足りた気持ちだ。⦆の“望月の歌”(もちづきのうた)を詠む。
ALICE PEACOCK /♪ BLISS
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2026/10/22 (Thu) 12:55:18
WATERLILLIES /♪ SUNSHINE LIKE YOU
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2026/10/22 (Thu) 12:56:32
BETH NIELSEN CHAPMAN /♪ FAIR ENOUGH
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ELISHA LA'VERNE /♪ YOU ARE THE ONE
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LANA DEL REY /♪ DARK BUT JUST A GAME
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JULIEN BAKER /♪ DISTANT SOLAR SYSTEMS
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HUGEL, SNOOP DOGG /♪ H.O.U.S.E
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MAE MULLER & JODIE HARSH /♪ HALLUCINATION
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LADYTRON /♪ DESTROY EVERYTHING YOU TOUCH
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LOVERGROUND FEAT.BB SWAY /♪ MY LOVE IS TRUE
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ALAN WALKER & MEEK /♪ DANCING IN LOVE
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2026/10/21 (Wed) 13:12:36
ATC /♪ AROUND THE WORLD(LA LA LA LA LA)
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PROSPA & CLOONEE /♪ FREE YOUR MIND
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DJ QUIK /♪ AMERICA'Z MOST COMPLETE ARTIST
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2026/10/21 (Wed) 13:17:46
TRACIE SPENCER /♪ THIS TIME MAKE IT FUNKY
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2026/10/21 (Wed) 13:19:42
OLIVER HELDENS & ANABEL ENGLUND /♪ DEJA VU
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2026/10/20 (Tue) 20:32:31
◆◇◆其の六十一:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の藤原氏
また、上皇(じょうこう)が出家して僧侶となり法皇(ほうおう)と名乗るが、意味は変わりない。
院政(いんせい)の名称は、白河上皇(しらかわじょうこう/朝廷)が平安京(へいあんきょう/京都)に隣接した東方の白河院(しらかわいん)で政権運営を実施した事から名付けられた。
白河院(しらかわいん)の敷地内には六勝寺(ろくしょうじ)と呼ばれる6箇所の寺院が建立(こんりゅう)された。
1077年に建立された第72代天皇の白河天皇(しらかわてんのう/朝廷)と藤原師実(ふじわらもろざね/公家)が尽力(じんりょく)した法勝寺(ほっしょうじ/廃寺)である。
1102年に建立された第73代天皇の堀河天皇(ほりかわてんのう/朝廷)が尽力(じんりょく)した尊勝寺(そんしょうじ/廃寺)である。
1118年に建立された第74代天皇の鳥羽天皇(とばてんのう/朝廷)が尽力(じんりょく)した最勝寺(さいしょうじ/廃寺)である。
1128年に建立された第74代天皇の鳥羽天皇(とばてんのう/朝廷)の妻で中宮(ちゅうぐう)の藤原璋子(ふじわらしょうし/公家→朝廷)が尽力(じんりょく)した円勝寺(えんしょうじ/廃寺)である。
1139年に建立された第75代天皇の崇徳天皇(すとくてんのう/朝廷)が尽力(じんりょく)した成勝寺(じょうしょうじ/廃寺)である。
1149年に建立された第76代天皇の近衛天皇(このえてんのう/朝廷)が尽力(じんりょく)した延勝寺(えんしょうじ/廃寺)である。
平安京から離れて、七条(しちじょう)の東方に建つ法住寺殿 (ほうじゅうじどの)や伏見の桂川近くに建つ鳥羽離宮でも政権運営を実施された。
この法住寺殿 (ほうじゅうじどの)が、後々の1165年に、平清盛(たいらきよもり/朝廷→平氏)が第77代天皇だった後白河上皇(ごしらかわじょうこう/朝廷→天皇)の屋敷の敷地内に、近江国(滋賀県)の比叡山に建つ延暦寺(えんりゃくじ)が総本山の天台宗(てんだいしゅう)の寺院として蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)こと三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)を建立(こんりゅう)して寄進(きしん)した場所である。
TOTO /♪ ROCKMAKER
◆ラジオの友◆
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2026/10/20 (Tue) 20:33:23
◆◇◆其の六十二:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の藤原氏
次ぎに天皇継承の流れを見ていく。
1073年に、第71代天皇の後三条天皇(ごさんじょうてんのう/朝廷)が退位して、息子の第72代天皇の白河天皇(しらかわてんのう/朝廷)が皇位を譲位(じょうい)する。
この年に第71代天皇の後三条天皇(ごさんじょうてんのう/朝廷)は薨御(こうぎょ)する。
1087年に、第72代天皇の白河天皇(しらかわてんのう/朝廷)が退位して、息子の第73代天皇の堀河天皇(ほりかわてんのう/朝廷)が皇位を譲位(じょうい)する。
この時に白河上皇(しらかわじょうこう/朝廷)となるが、ただ、ここで藤原氏北家(ほっけ)の藤原師実(ふじわらもろざね/公家)が、第73代天皇の堀河天皇(ほりかわてんのう/朝廷)の祖父として外戚(がいせき)となった事により、再び摂関政治が始まる事になり、院政(いんせい)は始動するのはもう少し後である。
1096年に、白河上皇(しらかわじょうこう/朝廷)は愛娘の死により白河法皇(しらかわほうおう/朝廷)となる。
1099年に、摂関政権の関白に藤原忠実(ふじわらただざね/公家)が就任するが、政権運営の能力も実力も伴っていなかった為に、白河法皇(しらかわほうおう/朝廷)が実権を握り院政(いんせい)を本格的に開始させる。
白河院(しらかわいん)に居住する白河法皇(しらかわほうおう/朝廷)が政務の詔勅(しょうちょく)や勅命(ちょくめい)を朝廷などに発する事を院宣(いんぜん)と呼ぶ。
一方、この頃の藤原氏北家(ほっけ)の摂関政治は立場も弱まり、一応は存続していたが非常に影は薄くなっていた。
1099年に、摂関政権の関白に藤原忠実(ふじわらただざね/公家)が就任する。
ただ、政権運営の能力も実力も伴っていなかった為に失態を繰り返して、白河法皇(しらかわほうおう/朝廷)が実権を握り院政(いんせい)を本格的に開始させる要因にもなった。
関白が藤原忠実(ふじわらただざね/公家)のままだと摂関政治の運営に支障をきたす為に、息子で兄の藤原忠通(ふじわらただみち/公家→天皇)が家督と関白を引き継ぐ。
藤原忠実(ふじわらただざね/公家)もう1人の息子が居り、左大臣で弟の藤原頼長(ふじわらよりなが/公家→上皇)である。
ここで藤原氏北家(ほっけ)のお家芸でもある天皇の祖父となり外戚(がいせき)により、朝廷の摂関政権をより強固にする事を考える。
兄の藤原忠通(ふじわらただみち/公家→天皇)は、娘の藤原聖子(ふじわらせいし/公家→朝廷)を第75代天皇の崇徳天皇(すとくてんのう/朝廷)の妻で中宮(ちゅうぐう)に娶(めと)らせ、第76代天皇の近衛天皇(このえてんのう/朝廷)の養母に就かせた
弟の藤原頼長(ふじわらよりなが/公家→上皇)は、養女の藤原多子(ふじわらまさるこ/公家→朝廷)を第76代天皇の近衛天皇(このえてんのう/朝廷)の妻で皇后に娶(めと)らせ、後々に第78代天皇の二条天皇(にじょうてんのう/朝廷)の妻で皇后に娶(めと)らした為に、太皇太后(たいこうたいごう)の称号が与えられた。
因(ちな)みに藤原多子(ふじわらまさるこ/公家→朝廷)の父親の徳大寺公能(とくだいじきんよし/公家)は、藤原氏北家(ほっけ)の閑院流(かんいんりゅう)で七清華家(しちせいがけ)の徳大寺家の系統で、右大臣に就任していた。
七清華家(しちせいがけ)とは、三条家、西園寺家(さいおんじけ)、徳大寺家、久我家(こがけ)、花山院家(かさんのいんけ)、大炊御門家(おおいのみかどけ)、菊亭家(きくていけ)の事を指す名門家である。
WONDERGAP /♪ GIVE ME ONE LAST CHANCE
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261020 - ラジオの友 URL
2026/10/20 (Tue) 20:34:11
◆◇◆其の六十三:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の藤原氏
1107年に、第73代天皇の堀河天皇(ほりかわてんのう/朝廷)が崩御(ほうぎょ)して、息子の第74代天皇の鳥羽天皇(とばてんのう/朝廷)が皇位を即位(そくい)する。
1123年に、第74代天皇の鳥羽天皇(とばてんのう/朝廷)が退位して、息子の第75代天皇の崇徳天皇(すとくてんのう/朝廷)が皇位を譲位(じょうい)する。
これにより鳥羽上皇(とばじょうこう/朝廷)となるが、朝廷の実権はまだ白河法皇(しらかわほうおう/朝廷)が握ったままである。
更(さら)にここで平安京(へいあんきょう/京都)をはじめ、日本全国でのもっぱらの噂が、第75代天皇の崇徳天皇(すとくてんのう/朝廷)の父親は、第74代天皇の鳥羽天皇(とばてんのう/朝廷)ではなく、第72代天皇の白河天皇(しらかわてんのう/朝廷)こと白河法皇(しらかわほうおう/朝廷)ではなかったのかと疑われた。
鳥羽天皇(とばてんのう/朝廷)の妻で中宮(ちゅうぐう)で、第75代天皇の崇徳天皇(すとくてんのう/朝廷)の母親は藤原璋子(ふじわらしょうし/公家→朝廷)だが、幼い頃に白河天皇(しらかわてんのう/朝廷)の養子に入っている。
しかも義父の白河天皇(しらかわてんのう/朝廷)に寵愛(ちょうあい)を受けて育ち、それが男女の愛に変わり第75代天皇の崇徳天皇(すとくてんのう/朝廷)が誕生したと言われた。
この真偽は、後々の兄の崇徳上皇(すとくじょうこう/朝廷→上皇)と弟の後白河天皇(ごしらかわてんのう/朝廷→天皇)の兄弟対立を引き起こした1156年の「保元の乱」(ほうげんのらん)に繋がると見れば納得いく。
1129年に、白河法皇(しらかわほうおう/朝廷)が薨御(こうぎょ)する。
これにて鳥羽上皇(とばじょうこう/朝廷)が朝廷の実権を握り院政(いんせい)を引き継ぐ。
ここで鳥羽上皇(とばじょうこう/朝廷)は、第75代天皇の崇徳天皇(すとくてんのう/朝廷)に対して詭計(きけい)を仕掛ける。
先(ま)ず、鳥羽上皇(とばじょうこう/朝廷)と妻で皇后の藤原得子(ふじわらとくし/公家→朝廷)の息子で皇太子の躰仁親王(なりひとしんのう)を、嫌いな第75代天皇の崇徳天皇(すとくてんのう/朝廷)の養子に入れると言う。
この養子縁組には第75代天皇の崇徳天皇(すとくてんのう/朝廷)にも利点がある。
第75代天皇の崇徳天皇(すとくてんのう/朝廷)が皇太子の父親になれば、躰仁親王(なりひとしんのう)が天皇に就任した時に院政(いんせい)を引き継ぐ事ができる。
鳥羽上皇…『叔父子(おじこ)よぉ、わしぃの息子の躰仁親王(なりひとしんのう)を養子にせぇえへん?』
崇徳天皇…『義父よぉ、ええでぇ〜』
鳥羽上皇…『後から言った言わんになると面倒臭いから、一応は朝廷の書面で署名しとこうやぁ。』
崇徳天皇…『分かったわぁ〜 此処(ここ)に名前を書いて押印すればええんやぁなぁ〜』
鳥羽上皇…『そうやぁ、うひぃひぃひぃ〜』
この朝廷から出された養子縁組の詔勅(しょうちょく)には、“皇太子”(こうたいし)ではなく“皇太弟”(こうたいてい)と言う文字が書かれていた。
これは、“皇太子”(こうたいし)なら第75代天皇の崇徳天皇(すとくてんのう/朝廷)は義父となり、上皇(じょうこう)になった時に天皇の父親として朝廷の実権を握り院政(いんせい)を引き継ぐ事ができる。
しかし、“皇太弟”(こうたいてい)なら第75代天皇の崇徳天皇(すとくてんのう/朝廷)は兄の立場だから、上皇(じょうこう)になった時に天皇の兄として朝廷の実権を握り院政(いんせい)を引き継ぐ事ができない。
なんなら第75代天皇の崇徳天皇(すとくてんのう/朝廷)と躰仁親王(なりひとしんのう)は、母親が違う鳥羽上皇(とばじょうこう/朝廷)の息子だから異母兄弟であり、態々(わざわざ)大層に朝廷の詔勅(しょうちょく)で調印する必要などは全くなく、はっきり言って無意味で無駄である。
崇徳天皇…『クッソ〜 タヌキ親父に計られたぁ!』
FOALS /♪ LOOKING HIGH
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261020 - ラジオの友 URL
2026/10/20 (Tue) 20:35:03
◆◇◆其の六十四:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の藤原氏
1142年に、第75代天皇の崇徳天皇(すとくてんのう/朝廷)が退位して、第74代天皇の鳥羽天皇(とばてんのう/朝廷)こと鳥羽上皇(とばじょうこう/朝廷)の息子の第76代天皇の近衛天皇(このえてんのう/朝廷)が皇位を譲位(じょうい)する。
ただ此処(ここ)で、次期天皇の皇太子候補を誰にするのかと言う後継者問題が、鳥羽上皇(とばじょうこう/朝廷)かつ朝廷に出てきた。
第76代天皇の近衛天皇(このえてんのう/朝廷)はまだ3歳と幼く当然に嫡男(ちゃくなん)は存在していない。
しかし、鳥羽上皇(とばじょうこう/朝廷)としては、崇徳上皇(すとくじょうこう/朝廷→上皇)の嫡男(ちゃくなん)の重仁親王(しげひとしんのう/朝廷)だけには天皇の皇位継承をさせたくない。
そこで鳥羽上皇(とばじょうこう/朝廷)と妻で中宮(ちゅうぐう)の藤原璋子(ふじわらしょうし/公家→朝廷)の息子の雅仁親王(まさひとしんのう)を皇太子に就任させようとしたが、この雅仁親王(まさひとしんのう)は歌手に目覚めて今様(いまよう)と成り、鴨川の河川敷で歌ばかりを唄っていた。
そこで目を付けたのが雅仁親王(まさひとしんのう)の息子の守仁親王(もりひとしんのう)で、後々の第78代天皇の二条天皇(にじょうてんのう/朝廷)である。
ただ、皇太子に就く守仁親王(もりひとしんのう)の父親の雅仁親王(まさひとしんのう)が、天皇未経験では朝廷として体裁(ていさい)が悪い。
その為に雅仁親王(まさひとしんのう)は暫定(ざんてい)の天皇として就任する事が決まり、後々の第77代天皇の後白河天皇(ごしらかわてんのう/朝廷→天皇)となる。
1155年に、76代天皇の近衛天皇(このえてんのう/朝廷)が崩御(ほうぎょ)して、第74代天皇の鳥羽天皇(とばてんのう/朝廷)こと鳥羽上皇(とばじょうこう/朝廷)の息子の第77代天皇の後白河天皇(ごしらかわてんのう/朝廷→天皇)が皇位を即位(そくい)する。
これが崇徳上皇(すとくじょうこう/朝廷→上皇)の反乱を意思を固める決定打となる。
SHAKATAK /♪ DREAMTIME
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261020 - ラジオの友 URL
2026/10/20 (Tue) 20:35:54
◆◇◆其の六十五:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の藤原氏
平安京(へいあんきょう/京都)の朝廷を担っていた白河法皇(しらかわほうおう/朝廷)が、1129年に薨御(こうぎょ)する。
朝廷の実権は鳥羽上皇(とばじょうこう/朝廷)に移り、政権運営を担う院政(いんせい)を28年間に渡り司(つかさど)った。
鳥羽上皇(とばじょうこう/朝廷)は、息子の第75代天皇の崇徳天皇(すとくてんのう/朝廷)を退位させて、崇徳上皇(すとくじょうこう/朝廷→上皇)に就かせる。
1142年に、鳥羽上皇(とばじょうこう/朝廷)は、息子の第76代天皇の近衛天皇(このえてんのう/朝廷)が皇位を譲位(じょうい)し、自らは鳥羽法皇(とばほうおう/朝廷)に就いた。
ただ1155年に、第76代天皇の近衛天皇(このえてんのう/朝廷)が崩御(ほうぎょ)して、鳥羽法皇(とばほうおう/朝廷)の息子の第77代天皇の後白河天皇(ごしらかわてんのう/朝廷→天皇)が皇位を即位(そくい)した。
この皇位継承で父親の鳥羽法皇(とばほうおう/朝廷)かつ弟の第77代天皇の後白河天皇(ごしらかわてんのう/朝廷→天皇)と、兄の崇徳上皇(すとくじょうこう/朝廷→上皇)が対立していく。
1156年に鳥羽法皇(とばほうおう/朝廷)が薨御(こうぎょ)する。
これで目障りが居なくなった崇徳上皇(すとくじょうこう/朝廷→上皇)が行動に出る。
その頃の平安京(へいあんきょう/京都)の警備や防御を任されていた北面武士(ほくめんぶし)が源氏と平氏の系統だった。
元々は畿内(きない/関西)で“南都北嶺”(なんとほくれい)と呼ばれる寺院の僧兵が武装集団として組織化され、“南都”(なんと)にある法相宗(ほっそうしゅう)の興福寺(こうふくじ)に軍備された僧兵の奈良法師(ならほうし)や、“北嶺”(ほくれい)にある天台宗(てんだいしゅう)の延暦寺(えんりゃくじ)に軍備された僧兵の山法師(やまほうし)による無理難題で理不尽な要求を、北面武士(ほくめんぶし)が阻止する役目を担っていた。
その北面武士(ほくめんぶし)の源氏と平氏を利用したのが天皇家と藤原氏北家(ほっけ)である。
これが本格的な武士の台頭に繋(つな)がる。
BLACKNUSS /♪ DISCO FANTASY
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261020 - ラジオの友 URL
2026/10/20 (Tue) 20:36:43
◆◇◆其の六十六:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の藤原氏
そして、京都の平安京(へいあんきょう/京都)の朝廷では、天皇と上皇の兄弟が仲違いし、源平藤(げんぺいとう)を巻き込み権力闘争が行われた。
では、親子兄弟親族の血族対立の構図です。
天皇軍は弟の第77代天皇の後白河天皇(ごしらかわてんのう/朝廷→天皇)で、第74代天皇の鳥羽天皇(とばてんのう/朝廷)の息子である。
摂関家は関白で兄の藤原忠通(ふじわらただみち/朝廷→天皇)で、藤原忠実(ふじわらただざね/公家)の息子で、娘の藤原聖子(ふじわらせいし/公家→朝廷)は、父親の第74代天皇の鳥羽天皇(とばてんのう/朝廷)と対立する第75代天皇の崇徳天皇(すとくてんのう/朝廷)の妻で中宮(ちゅうぐう)と、第74代天皇の鳥羽天皇(とばてんのう/朝廷)の息子の第76代天皇の近衛天皇(このえてんのう/朝廷)の養母となる。
平氏は甥の平清盛(たいらきよもり/朝廷→天皇→平氏)、伊勢平氏である平忠盛(たいらただもり/朝廷→平氏)の息子で、平正盛(たいらまさもり/朝廷)の孫である。
源氏は兄の源義朝(みなもとよしとも/朝廷→天皇→源氏)で、源為義(みなもとためよし/朝廷→上皇)の息子である。
上皇軍は兄の第75代天皇だった崇徳上皇(すとくじょうこう/朝廷→上皇)は、第74代天皇の鳥羽天皇(とばてんのう/朝廷)の息子だが、第72代天皇の白河天皇(しらかわてんのう/朝廷)の息子と言う噂もあり、これが要因で「保元の乱」(ほうげんのらん)が勃発したと言っても過言ではない。
摂関家は左大臣で弟の藤原頼長(ふじわらよりなが/朝廷→上皇)、藤原忠実(ふじわらただざね/公家)の息子で、養女の藤原多子(ふじわらまさるこ/公家→朝廷)は、父親が七清華家(しちせいがけ)の徳大寺公能(とくだいじきんよし/公家)で、第76代天皇の近衛天皇(このえてんのう/朝廷)の妻で皇后と、後々に第78代天皇の二条天皇(にじょうてんのう/朝廷)の妻で皇后となり、太皇太后(たいこうたいごう)の称号を与えられる。
平氏は叔父の平忠正(たいらただまさ/朝廷→上皇)で、平正盛(たいらまさもり/朝廷)の息子である。
源氏は父の源為義(みなもとためよし/朝廷→上皇)は、河内源氏の源義親(みなもとよしちか/朝廷)の息子で、八幡太郎(はちまんたろう)こと源義家(みなもとよしいえ/朝廷)の孫である。
弟の源為朝(みなもとためとも/朝廷→上皇)は、源為義(みなもとためよし/朝廷→上皇)の息子である。
崇徳上皇(すとくじょうこう/朝廷→上皇)の不穏な動きを察知した後白河天皇(ごしらかわてんのう/朝廷→天皇)は、烏丸御池から西方に入った自邸の高松殿(たかまつでん)に、関白の藤原忠通(ふじわらただみち/朝廷→天皇)、平氏の平清盛(たいらきよもり/朝廷→天皇→平氏)、源氏の源義朝(みなもとよしとも/朝廷→天皇→源氏)を招集して天皇軍を結成する。
一方、平安京(へいあんきょう/京都)の南方の鳥羽離宮(とばりきゅう)に建つ田中殿(たなかでん)で、崇徳上皇(すとくじょうこう/朝廷→上皇)は、左大臣の藤原頼長(ふじわらよりなが/朝廷→上皇)、平氏の平忠正(たいらただまさ/朝廷→上皇)、源氏の源為義(みなもとためよし/朝廷→上皇)と源為朝(みなもとためとも/朝廷→上皇)を招集して上皇軍を結成する。
THUNDERCAT AND TAME IMPALA /♪ NO MORE LIES
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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261020 - ラジオの友 URL
2026/10/20 (Tue) 20:37:39
◆◇◆其の六十七:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の藤原氏
そして深夜の内に、上皇軍は平安京(へいあんきょう/京都)の東方の岡崎に建つ白河北殿(しらかわほくでん)に移動し、鳥羽法皇(とばほうおう/朝廷)の後継者は崇徳上皇(すとくじょうこう/朝廷→上皇)であると宣言する。
上皇軍の作戦は、敵陣が寝静まっている深夜の内に、夜襲を仕掛けて先手必勝の戦法を提案した。
源為義…『戦(いくさ)の慣しで、こう言う状況では夜襲が一番かと思います。』
崇徳上皇…『いや、そんな相手に対して卑怯(ひきょう)な事はできぬ。 正々堂々と晴天の下で戦いたい。』
源為義…『・・・』
一方の天皇軍の作戦も、敵陣が寝静まっている深夜の内に、夜襲を仕掛けて先手必勝の戦法を提案した。
源義朝…『戦(いくさ)の慣しで、こう言う状況では夜襲が一番かと思います。』
後白河天皇…『おお、卑怯(ひきょう)な夜襲であろうと勝てば官軍! 皆の者、その作戦で決行しようぞぉ!』
源義朝…『おっ〜! 勇敢な兵士は我(われ)に着いてまいれぇ!』
平清盛…『ゴメン、ちょっと用事を思い出したから、後から行くわぁ。』
そう言って平清盛(たいらきよもり/朝廷→天皇→平氏)が率いる天皇軍平氏隊だけは、南下して廻り道で天皇軍本隊と合流した。
この平清盛(たいらきよもり/朝廷→天皇→平氏)の行動は未(いま)だに不明である。
その間、総大将の源義朝(みなもとよしとも/朝廷→天皇→源氏)が率いる天皇軍本隊は、上皇軍が寝静まっている白河北殿(しらかわほくでん)に夜襲を仕掛けて火を放ち、闇夜の平安京を燃え盛る炎が煌々(こうこう)と夜空を照らした。
それを見た後白河天皇(ごしらかわてんのう/朝廷→天皇)は戦(いくさ)の勝利を確信する。
戦期間は20日程度で実戦は4時間程で終結し、天皇軍の勝利に終わる。
これを1156年に起こった「保元の乱」(ほうげんのらん)と呼ぶ。
戦後処理として、皇族の兄の崇徳上皇(すとくじょうこう/朝廷→上皇)は讃岐国(香川県)へ流刑にされた。
摂関家で弟の藤原頼長(ふじわらよりなが/朝廷→上皇)は死罪となる。
平氏で叔父の平忠正(たいらただまさ/朝廷→上皇)も死罪となる。
源氏で父の源為義(みなもとためよし/朝廷→上皇)と弟の源為朝(みなもとためとも/朝廷→上皇)は、平清盛(たいらきよもり/朝廷→天皇→平氏)の命令で兄の源義朝(みなもとよしとも/朝廷→天皇)により処刑された。
1164年に流刑地の讃岐国(香川県)で崇徳上皇(すとくじょうこう/朝廷→上皇)は薨御(こうぎょ)するも、後白河天皇(ごしらかわてんのう/朝廷→天皇)は朝廷として葬儀を催さなかった。
その為に崇徳上皇(すとくじょうこう/朝廷→上皇)は、身近な人達だけの身内葬儀(45万円パック)で済ました。
この後、平安京(へいあんきょう/京都)を取り巻く環境に変化が見られ始め、大火が起こったり、公家や武将や僧侶の謀反(むほん)や反逆があったりし、京都では葬儀を安く済まされた崇徳上皇(すとくじょうこう/朝廷→上皇)の祟りと噂された。
RAH BAND /♪ Sam The Samba Man
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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261020 - ラジオの友 URL
2026/10/20 (Tue) 20:38:33
◆◇◆其の六十八:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の藤原氏
「保元の乱」(ほうげんのらん)で勝利した第77代天皇はの後白河天皇(ごしらかわてんのう/朝廷→天皇)は、歌手に目覚めて今様(いまよう)が本職の暫定の天皇だった為に、1158年に息子の第78代天皇の二条天皇(にじょうてんのう/朝廷)に皇位を譲位(じょうい)して、後白河上皇(ごしらかわじょうこう/朝廷)に就く。
その後、後白河上皇(ごしらかわじょうこう/朝廷)と共に平清盛(たいらきよもり/朝廷→天皇→平氏)と藤原信西(ふじわらしんぜい/朝廷→天皇→平氏)が政権を主導する。
藤原信西(ふじわらしんぜい/朝廷→天皇→平氏)とは、藤原武智麻呂(ふじわらむちまろ/公家)の南家(なんけ)の系統で、少納言や僧侶を務めた。
藤原信西(ふじわらしんぜい/朝廷→天皇→平氏)の妻は藤原朝子(ふじわらちょうし/公家)で、第77代天皇の後白河天皇(ごしらかわてんのう/朝廷→天皇)の乳母を務めている。
藤原信西(ふじわらしんぜい/朝廷→天皇→平氏)は非常に優秀で、藤原氏南家(なんけ)だが鳥羽上皇(とばじょうこう/朝廷)に気に入られて朝廷では高い位に就いた。
ある時、鳥羽上皇(とばじょうこう/朝廷)の一門が、大和国(奈良県)の東大寺は正倉院(しょうそういん)で開催される恒例の“正倉院展”を観覧する為に行幸(ぎょうこう)に出掛けた。
鳥羽上皇…『なんじゃこりゃ? 薄汚い壺(つぼ)はぁ?』
側近…『う〜〜ん さぁ〜 痰壺(たんつぼ)ですかねぇ〜』
藤原信西…『それは古代中国の遊戯具で、矢を投げて壺に入れる遊びの投壺(とうこ)です。』
鳥羽上皇…『ほほぉ〜 投壺(とうこ)かぁ! でぇ、そんな遊びの何処が楽しいのだ?』
藤原信西…『全く面白く無い遊びだから、日本で浸透しなかったのです。』
この藤原信西(ふじわらしんぜい/朝廷→天皇→平氏)の藤原氏南家(なんけ)と、勝利した後白河天皇(ごしらかわてんのう/朝廷→天皇)の思惑(おもわく)により「平治の乱」(へいじのらん)へと発展していく。
STUFF /♪ SUBWAY
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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261020 - ラジオの友 URL
2026/10/20 (Tue) 20:39:25
◆◇◆其の六十九:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の藤原氏
院政(いんせい)が始まる前は、藤原氏北家(ほっけ)が摂関政治で実権を握り、そこに仕えていたのが源氏だった。
一方、天皇家による院政(いんせい)が始まり朝廷の実権を握ると、白河院(しらかわいん)など上皇(じょうこう)の御所を警備や護衛をしたのが平氏だった。
勝てば官軍の後白河上皇(ごしらかわじょうこう/朝廷)にしてみれば、藤原氏南家(なんけ)の藤原信西(ふじわらしんぜい/朝廷→天皇→平氏)や平氏の平清盛(たいらきよもり/朝廷→天皇→平氏)を寵愛(ちょうあい)するのが人情である。
特に後白河上皇(ごしらかわじょうこう/朝廷)と藤原信西(ふじわらしんぜい/朝廷→天皇→平氏)は、藤原朝子(ふじわらちょうし/公家)を介した乳繋(ちちつな)がりの乳兄弟でもある。
しかも平清盛(たいらきよもり/朝廷→天皇→平氏)が率いる天皇軍平氏隊は、戦(いくさ)に遅れて参戦したのに、大活躍して勝利に導いた総大将の源義朝(みなもとよしとも/朝廷→天皇→源氏)よりも恩賞が多く官位も昇格している。
この裏には、平清盛(たいらきよもり/朝廷→天皇→平氏)が、戦勝祝いに第77代天皇の後白河天皇(ごしらかわてんのう/朝廷→天皇)と藤原信西(ふじわらしんぜい/朝廷→天皇→平氏)などを招待して、木屋町にて祝宴で接待していた事が影響している。
これらにより、藤原氏北家(ほっけ)の藤原忠通(ふじわらただみち/朝廷→天皇)や源氏の源義朝(みなもとよしとも/朝廷→天皇→源氏)は朝廷では冷遇された。
この平清盛(たいらきよもり/朝廷→天皇→平氏)と藤原信西(ふじわらしんぜい/朝廷→天皇→平氏)の傲慢(ごうまん)さに不満を持ったのが、武功の過小評価で冷遇された源義朝(みなもとよしとも/朝廷→天皇→源氏)と、藤原氏北家(ほっけ)の自尊心を傷付けられた藤原信頼(ふじわらのぶより/朝廷→天皇→源氏)で、平清盛(たいらきよもり/朝廷→天皇)と藤原信西(ふじわらしんぜい/朝廷→天皇→平氏)に対して1159年に反乱を起こす。
藤原信頼(ふじわらのぶより/朝廷→天皇→源氏)とは、藤原房前(ふじわらふささき/公家)の北家(ほっけ)の系統で、第77代天皇の後白河天皇(ごしらかわてんのう/朝廷→天皇)の寵愛(ちょうあい)を受けて中納言を務めた。
ある時、藤原信頼(ふじわらのぶより/朝廷→天皇→源氏)は、平氏の拠点である鴨川沿いに六条周辺の六波羅(ろくはら)に潜り込ませた間者(かんじゃ/スパイ)から、ある情報を得て源氏の源義朝(みなもとよしとも/朝廷→天皇→源氏)に伝達した。
藤原信頼…『平清盛(たいらきよもり/朝廷→天皇→平氏)が少ない手勢で“熊野詣”(くまのもうで)に出掛けたらしいぃでぇ、紀伊国(和歌山県)の南端まで行くから、少なくとも2週間は帰って来(け)えへぇんやろ。』
源義朝…『よっしゃ! 憎っくき藤原信西(ふじわらしんぜい/朝廷→天皇→平氏)を討つには今が好機やぁ!』
藤原信頼…『せやぁ、せやぁ、憎っくき藤原氏南家(なんけ)を討つでぇ〜 今こそ藤原氏北家(ほっけ)の力を見せたぁんでぇ〜』
源義朝…『あのぉ〜 すみませんが、その力の抜ける様な関西弁を止めてもらえますか? 兵士の士気が下がりますので。』
GERRY RAFFERTY /♪ RIGHT DOWN THE LINE
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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261020 - ラジオの友 URL
2026/10/20 (Tue) 20:40:24
◆◇◆其の七十:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の藤原氏
藤原信頼(ふじわらのぶより/朝廷→天皇→源氏)と源義朝(みなもとよしとも/朝廷→天皇→源氏)は源氏軍を結成して、烏丸御池の交差点の南東方に建つ後白河上皇(ごしらかわじょうこう/朝廷)の御所だった東三条殿(ひがしさんじょうどの)に進軍する。
源氏軍はその寝殿造(しんでんづくり)の屋敷に居た皇室の侍従(じじゅう)や女官であろうと片っ端から首を刎(は)ねた。
後白河上皇(ごしらかわじょうこう/朝廷)は牛車に揺られて内裏(だいり)に逃げ込む。
そして、藤原信頼(ふじわらのぶより/朝廷→天皇→源氏)と源義朝(みなもとよしとも/朝廷→天皇→源氏)の目的は、ただ1つ!
藤原信西(ふじわらしんぜい/朝廷→天皇→平氏)を斬首して晒し首(さらしくび)にする事だった。
ところが、6500㎡(1966坪)はある東三条殿(ひがしさんじょうどの)の何処(どこ)を探しても藤原信西(ふじわらしんぜい/朝廷→天皇→平氏)が見つからない。
そしたら日本庭園に不自然な盛土(もりど)がある。
そこを源氏軍の武士が掘ったら、何と泥塗(どろま)れの藤原信西(ふじわらしんぜい/朝廷→天皇→平氏)が出てきた。
こうして源氏軍に拘束された藤原信西(ふじわらしんぜい/朝廷→天皇→平氏)は、藤原氏北家(ほっけ)の藤原信頼(ふじわらのぶより/朝廷→天皇→源氏)と源氏の源義朝(みなもとよしとも/朝廷→天皇→源氏)の目的通りに、藤原氏南家(なんけ)の藤原信西(ふじわらしんぜい/朝廷→天皇→平氏)は斬首されて鴨川の河原で晒し首(さらしくび)となった。
源氏軍もここまでで終わっておけば良かったが、藤原信頼(ふじわらのぶより/朝廷→天皇→源氏)と源義朝(みなもとよしとも/朝廷→天皇→源氏)は、更(さら)に後白河上皇(ごしらかわじょうこう/朝廷)と第78代天皇の二条天皇(にじょうてんのう/朝廷)を拘束して大内裏(だいだいり)で監禁してしまう。
此処(ここ)で紀伊国(和歌山県)の“熊野詣”(くまのもうで)へ参拝しに行っていた平清盛(たいらきよもり/朝廷→天皇→平氏)が戻って来て、早速、平氏の拠点である六条周辺の六波羅(ろくはら)で平氏軍を結成して応戦する。
平清盛(たいらきよもり/朝廷→天皇→平氏)は戦略を2段構えで実行する。
先(ま)ずは大内裏(だいだいり)で監禁されている後白河上皇(ごしらかわじょうこう/朝廷)と第78代天皇の二条天皇(にじょうてんのう/朝廷)する。
続いて藤原信頼(ふじわらのぶより/朝廷→天皇→源氏)と源義朝(みなもとよしとも/朝廷→天皇→源氏)が率いる源氏軍に反撃する。
そこで源氏軍が布陣する陣営に間者(かんじゃ/スパイ)を送り込み、難易で高度な皇族救出作戦を実行する。
その皇族救出作戦とは、源氏軍に監禁され牢獄に入れられている後白河上皇(ごしらかわじょうこう/朝廷)と第78代天皇の二条天皇(にじょうてんのう/朝廷)に、間者(かんじゃ/スパイ)が女性用の衣類を渡して、それを着た2人は女性のふりをして外出し大内裏(だいだいり)から脱出する。
これが見事に成功した。
後白河上皇(ごしらかわじょうこう/朝廷)は、金閣寺と太秦の中間に建つ真言宗(しんごんしゅう)のお寺の仁和寺(にんなじ/御室)に身を寄せた。
第78代天皇の二条天皇(にじょうてんのう/朝廷)は、平清盛(たいらきよもり/朝廷→天皇→平氏)が布陣する六波羅(ろくはら)の屋敷に匿(かくま)われた。
QUINCY JONES & JAMES INGRAM /♪ ONE HUNDRED WAYS
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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261020 - ラジオの友 URL
2026/10/20 (Tue) 20:41:18
◆◇◆其の七十一:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の藤原氏
此処(ここ)で平清盛(たいらきよもり/朝廷→天皇→平氏)が率いる平氏軍は、第2段目の作戦に出る。
後白河上皇(ごしらかわじょうこう/朝廷)と第78代天皇の二条天皇(にじょうてんのう/朝廷)が脱出した事により、戦況不利と考えて源氏軍では逃げ出す武士も多くいた。
藤原氏北家(ほっけ)の藤原信頼(ふじわらのぶより/朝廷→天皇→源氏)と源氏の源義朝(みなもとよしとも/朝廷→天皇→源氏)、それに援軍として参戦した清和源氏の系統の源頼政(みなもとよりまさ/朝廷→源氏→平氏→源氏)が布陣する大内裏(だいだいり)の守備や防御は見るからに手薄となっている。
そんな隙を突いた平清盛(たいらきよもり/朝廷→天皇→平氏)が六波羅(ろくはら)にて指揮する平氏軍は、叔父である平頼盛(たいらよりもり/朝廷→平氏)が率いる平氏軍1号隊と、息子の平重盛(たいらしげもり/平氏)が率いる平氏軍2号隊を出陣させた。
平頼盛(たいらよりもり/朝廷→平氏)とは、平忠盛(たいらただもり/朝廷→平氏)と藤原氏北家(ほっけ)の系統の池禅尼(いけのぜんに/藤原→平氏)の息子である。
先(ま)ず、源氏軍の陣営の大内裏(だいだいり)を東方から平氏軍1号隊と平氏軍2号隊が攻め込み、源氏軍が東方の防御に人勢を集中させている隙に、大内裏(だいだいり)の西方から別働隊の平氏軍3号隊が突入して源氏軍を挟み討ちにした。
この攻撃により源氏軍の多くの兵士は逃亡し、大内裏(だいだいり)に残った兵士も平氏軍により斬殺された。
藤原信頼(ふじわらのぶより/朝廷→天皇→源氏)と源義朝(みなもとよしとも/朝廷→天皇→源氏)と源頼政(みなもとよりまさ/朝廷→源氏→平氏→源氏)らは20人余りの少ない手勢で逃亡し、そのまま平清盛(たいらきよもり/朝廷→天皇→平氏)が布陣する六波羅(ろくはら)に奇襲を仕掛ける。
これが源氏と平氏の因縁の対決となる「六条河原の源平合戦」の始まりである。
しかし、六波羅(ろくはら)は平氏の本拠地で多くの平氏方の武士が住んでおり、多勢に無勢で源氏軍の敗北は明らかな上に、此処(ここ)で源頼政(みなもとよりまさ/朝廷→源氏→平氏→源氏)が平氏軍に寝返り、源氏軍は致命傷となり敗北する。
源義朝(みなもとよしとも/朝廷→天皇→源氏)は逃亡して、尾張国(愛知県)の知多半島まで辿(たど)り着く。
藤原信頼(ふじわらのぶより/朝廷→天皇→源氏)は、御室(おむろ)に建つ仁和寺(にんなじ/御室)に居住する後白河上皇(ごしらかわじょうこう/朝廷)を訪問して、恩赦(おんしゃ)を求めて命乞いをするが認められず、六条河原に連行されて斬首された。
この藤原氏北家(ほっけ)の藤原信頼(ふじわらのぶより/朝廷→天皇→源氏)と源氏の源義朝(みなもとよしとも/朝廷→天皇→源氏)の反乱は失敗した。
平氏軍の藤原信西(ふじわらしんぜい/朝廷→天皇→平氏)は討死し、源氏軍の藤原信頼(ふじわらのぶより/朝廷→天皇→源氏)は斬首され、源義朝(みなもとよしとも/朝廷→天皇→源氏)は敗走し尾張国(愛知県)の知多半島の野間(のま)まで逃亡するも、ここで味方に裏切られ入浴中に討死する。
これを1160年に起こった「平治の乱」(へいじのらん)と呼ぶ。
戦後処理として平清盛(たいらきよもり/朝廷→天皇→平氏)は、源義朝(みなもとよしとも/朝廷→天皇→源氏)の息子でまだ子供だった源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)を斬首にする予定だったが、継母の池禅尼(いけのぜんに/藤原→平氏)に嘆願(たんがん)され伊豆国(静岡県)への流刑になる。
池禅尼(いけのぜんに/藤原→平氏)とは、平清盛(たいらきよもり/朝廷→平氏)の父親の平忠盛(たいらただもり/朝廷)の正妻で、藤原氏の北家(ほっけ)の系統。
平清盛(たいらきよもり/朝廷→天皇→平氏)のこの判断が大きな過ちになるとは、まだ、知る由(よし)もない。
そして時は流れて、源氏と平氏が抗争する1180年〜1185年に起こった「源平合戦」(げんぺいかっせん)こと「治承寿永の乱」(じしょうじゅえいのらん)にて、伊勢平氏である平清盛(たいらきよもり/朝廷→平氏)の系統の平家は敗北し滅亡した。
その後に相模国(神奈川県)の鎌倉にて、1192年に征夷大将軍1代目の源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)が大倉御所(おおくらごしょ)で鎌倉幕府を開設した。
此処から武家政権が始まり、朝廷の摂関政治による藤原氏も鳴りを潜めた。
ANTENA /♪ NAUGHTY NAUGHTY
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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261020 - ラジオの友 URL
2026/10/20 (Tue) 20:42:09
◆◇◆其の七十二:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の奥州藤原氏
古代の日本は九州から近畿へと文明文化が流れ、朝廷や武家などが誕生し、日本の骨格を形成していった。
ただ近畿より東側、特に関東から東の東北地方は未開の地であり、西日本では蝦夷(えみし)と呼ばれ、朝廷がある畿内(きない/関西)とは別の独立国家が形成されていた。
そのため奈良時代の朝廷は、九州は筑前国(福岡県)の太宰府(だざいふ)、近畿は大和国(奈良県)の平城京(へいじょうきょう/奈良)、東北は陸奥国(むつ/宮城県)の多賀城(たがじょう)の政所(まんどころ)を配置して日本列島を統治していた。
これらは“日本三大史跡”と言われる。
この陸奥(みちのく)で724年に築かれた多賀城(たがじょう)は創建1300年の節目を迎える。
京都に平安京が置かれた平安時代の多賀城(たがじょう)では、藤原氏南家の系統で国府の役人の藤原登任(ふじわらなりとう/公家)や、その後、京都から参った河内源氏の系統で鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)の源頼義(みなもとよりよし/朝廷)が拠点としていた。
そのもっと昔の神武天皇の“神武東征”や朝廷から権限を与えられる征夷大将軍とは、この東北地方の東国の蝦夷(えみし)を征伐する意味がある。
そして幾多の動乱があり、東北地方は陸奥国(むつ/青森県、岩手県、宮城県、福島県)と出羽国(でわ/秋田県、山形県)に分けられた。
今でも陸奥(みちのく)、奥州(おうしゅう)、奥の細道(おくのほそみち)などと呼ばれ、人々が簡単に入る事の許されない日本の神秘的な奥街道を想像させてくれる。
そんな東北地方での人の営みは、陸奥国(むつ/青森県、岩手県、宮城県、福島県)は安倍氏、出羽国(でわ/秋田県、山形県)では清原氏が土地を治めていた。
そして東北人として忘れてならないのが、そう、奥州藤原氏である。
藤原氏と言えば中臣鎌足(なかとみかまたり/公家)こと藤原鎌足(ふじわらかまたり)が源流だが、奥州藤原氏は先祖の俵藤太(たわらとうた)こと藤原秀郷(ふじわらひでさと/公家)で“天下一の弓取り名人”と言われた系統で、近江国(滋賀県)の琵琶湖近くで巨大百足(オオムカデ)を弓矢で射止め、琵琶湖に住む竜王(りゅうおう)を助けた伝説がある。
その後の平安時代には、陸奥国(岩手県)に拠点を移していた。
奥州藤原氏の源流は、藤原清経(ふじわらきよつね/奥州藤原氏)から、第1代奥州藤原氏の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)、第2代奥州藤原氏の藤原基衡(ふじわらもとひら/奥州藤原氏)、第3代奥州藤原氏の藤原秀衡(ふじわらひでひら/奥州藤原氏)、第4代奥州藤原氏の藤原泰衡(ふじわらやすひら/奥州藤原氏)と続き、ここで滅亡してしまう。
滅亡の原因は、鎌倉時代に征夷大将軍1代目となった源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)が、謀反人で異母弟の源義経(みなもとよしつね/源氏→ 奥州藤原氏)を匿(かくま)った事を口実に、奥州藤原氏の領土の奥州平泉の肥沃な土地を侵略する事にあったと言う。
奥州平泉は、豊富な金鉱山(きんこうざん)があり、立派で丈夫な馬が育ち、広大な田畑が広がり、美しい寺院と都市街区が形成されていた。
源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)の祖先の代から目を付けていた土地でもある。
その奥州平泉には第1代奥州藤原氏の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)が中尊寺(ちゅうそんじ)を建造し金色堂(こんじきどう)などが配置された。
第2代奥州藤原氏の藤原基衡(ふじわらもとひら/奥州藤原氏)が毛越寺(もうつじ)を建造した。
第3代奥州藤原氏の藤原秀衡(ふじわらひでひら/奥州藤原氏)が無量光院(むりょうこういん)を建造し、山城国(京都府)は宇治(うじ)に建つ平等院鳳凰堂を模した寺院があったとされる。
藤原道長(ふじわらみちなが/公家)の別荘として、藤原頼通(ふじわらよりみち/公家)が寺院として手掛けた山城国(京都府)の平等院鳳凰堂。
中臣鎌足(なかとみかまたり/公家)こと藤原鎌足(ふじわらかまたり)の息子の藤原不比等(ふじわらふひと/公家)など、藤原氏ゆかりの菩提寺(ぼだいじ)でもある大和国(奈良県)の法相宗(ほっそうしゅう)の総本山の興福寺(こうふくじ)である。
藤原氏は“仏教文化”に造詣(ぞうけい)が深く興隆(こうりゅう)や繁栄に貢献し、その後、奈良や京都を中心にお寺が日本全国に広まっていく。
これらからも、奥州平泉は“仏教王国”の真髄(しんずい)とも言えよう。
Teri Moise /♪ LES POÈMES DE MICHELLE
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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261020 - ラジオの友 URL
2026/10/20 (Tue) 20:42:59
◆◇◆其の七十三:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の奥州藤原氏
710年、飛鳥時代から奈良時代に移行し、大和国(奈良県)に平城京(へいじょうきょう/奈良)が築かれ、この陸奥(みちのく)で724年に築かれた多賀城(たがじょう)。
多賀城(たがじょう)と言えば京都に平安京(へいあんきょう/京都)が置かれた平安時代の「前九年の役」(ぜんくねんのえき)が思い出される。
国府の役人の藤原登任(ふじわらなりとう/公家)や、その後、京都から参った鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)の源頼義(みなもとよりよし/朝廷)が多賀城(たがじょう)を拠点とする。
この地には大百足(オオムカデ)退治で名を馳せた藤原秀郷(ふじわらひでさと/公家)の子孫でもある藤原清経(ふじわらきよつね/奥州藤原氏)や、平永衡(たいらながひら/常陸平氏)などの豪族が力を強めていた。
それとは別に朝廷の力の及ばない蝦夷(えみし)と言われる豪族が領地を支配し、陸奥国(むつ/青森県、岩手県、宮城県、福島県)は安倍頼良(あべよりよし/陸奥安倍)の一族、出羽国(でわ/秋田県、山形県)は清原武則(きよはらたけきよ/出羽清原)の一族が治める。
多賀城(たがじょう)を拠点とする国府の藤原登任(ふじわらなりとう/公家)は、藤原清経(ふじわらきよつね/奥州藤原氏)と平永衡(たいらながひら/常陸平氏)を敵対させて力を弱めようと考えていた。
藤原登任(ふじわらなりとう/公家)は平永衡(たいらながひら/常陸平氏)に加担して藤原清経(ふじわらきよつね/奥州藤原氏)を追い込もうとするも、藤原清経(ふじわらきよつね/奥州藤原氏)は蝦夷(えみし)の豪族である安倍頼良(あべよりよし/陸奥安倍)の娘の阿古女(あこめ/陸奥安倍→ 奥州藤原氏→ 出羽清原)と結婚する。
その息子が第1代奥州藤原氏となる藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)である。
国府の藤原登任(ふじわらなりとう/公家)は“蝦夷討伐”(えみしとうばつ)を掲げ、安倍頼良(あべよりよし/陸奥安倍)を攻撃する。
陸奥国(むつ/宮城県)の大崎に位置する鬼首(おにこうべ)で、藤原登任(ふじわらなりとう/公家)が率いる朝廷軍と安倍頼良(あべよりよし/陸奥安倍)が率いる安倍軍は交戦し、安倍軍が勝利する。
SHERIFF /♪ WHEN I'M WITH YOU
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261020 - ラジオの友 URL
2026/10/20 (Tue) 20:43:49
◆◇◆其の七十四:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の奥州藤原氏
藤原登任(ふじわらなりとう/公家)は京都の平安京(へいあんきょう/京都)に逃亡し朝廷に泣きつく。
朝廷は“陸奥平定”のため源頼義(みなもとよりよし/朝廷)を鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)として多賀城(たがじょう)に送り込む。
多賀城(たがじょう)を拠点に源頼義(みなもとよりよし)は息子の源義家(みなもとよしいえ/朝廷)と共に朝廷軍を率いて大軍勢で、安倍頼良(あべよりよし/陸奥安倍)の安倍軍を攻撃する。
それでも安倍頼良(あべよりよし/陸奥安倍)は、息子の安倍貞任(あべさだとう/陸奥安倍)と安倍宗任(あべむねとう/陸奥安倍)と共に安倍軍を率いて反撃し勝利する。
雪国での戦(いくさ)に慣れていない源頼義(みなもとよりよし)は、出羽国(でわ/秋田県、山形県)の清原武則(きよはらたけきよ/出羽清原)に援軍を依頼する。
一方、朝廷の官人でもある藤原清経(ふじわらきよつね/奥州藤原氏)は、親族となった義父でもある安倍頼良(あべよりよし/陸奥安倍)に味方する。
これにより「安倍・藤原VS源・清原」の構図となる。
その間、安倍頼良(あべよりよし/陸奥安倍)は、陸奥国(むつ/青森県)の津軽半島の宇曽利(うそり)に行く途中、安倍氏一族の裏切りに遭(あ)い討死する。
出羽国(でわ/山形県)から陸奥国(むつ/宮城県)に流れる北上川(きたかみがわ)の一帯で両軍による死闘が繰り広げられ、源清原軍が勝利し、安倍藤原軍が敗れる。
これにより、藤原清経(ふじわらきよつね/奥州藤原氏)は斬首された。
安倍貞任(あべさだとう/陸奥安倍)は戦死する。
安倍宗任(あべむねとう/陸奥安倍)は九州に流刑となる。
ここにて陸奥国(むつ/青森県、岩手県、宮城県、福島県)の蝦夷(えみし)で豪族だった安倍氏は消滅する。
これを1051年に起こった「前九年の役」(ぜんくねんのえき)と呼ぶ。
ALESSI /♪ AS FAR AS I'M CONCERNED
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261020 - ラジオの友 URL
2026/10/20 (Tue) 20:44:42
◆◇◆其の七十五:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の奥州藤原氏
1051年に起こった「前九年の役」(ぜんくねんのえき)で藤原清経(ふじわらきよつね/奥州藤原氏)は斬首された後、愛妻の阿古女(あこめ/陸奥安倍→ 奥州藤原氏→ 出羽清原)と息子の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)は、当主を討った敵陣の清原武則(きよはらたけきよ/出羽清原)に引き取られる。
しかも、藤原清経(ふじわらきよつね/奥州藤原氏)が斬首される時、愛妻の阿古女(あこめ/陸奥安倍→ 奥州藤原氏→ 出羽清原)と息子の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)の目の前で実施された。
清原武則(きよはらたけきよ/出羽清原)は、息子の清原武貞(きよはらたけさだ/出羽清原)に阿古女(あこめ/陸奥安倍→ 奥州藤原氏→ 出羽清原)を嫁がせ、藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)はその息子となった。
清原武貞(きよはらたけさだ/出羽清原)には前妻との間に、息子の清原真衡(きよはらさねひら/出羽清原)が居た。
その後、清原武貞(きよはらたけさだ/出羽清原)と阿古女(あこめ/陸奥安倍→ 奥州藤原氏→ 出羽清原)の間に息子が産まれ、清原家衡(きよはらいえひら/出羽清原)と名付けられた。
年齢順から見ると、長男の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)、次男の清原真衡(きよはらさねひら/出羽清原)、三男の清原家衡(きよはらいえひら/出羽清原)となる。
義父の清原武貞(きよはらたけさだ/出羽清原)は敵大将の子の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)ではあったが、我が子と隔たりなく愛情と教育を注いだ。
ただ、この歪(いびつ)な兄弟関係が後に「後三年の役」(ごさんねんのえき)に発展していく。
清原武貞(きよはらたけさだ/出羽清原)と阿古女(あこめ/陸奥安倍→ 奥州藤原氏→ 出羽清原)が亡くなり、清原氏の後継者は次男の清原真衡(きよはらさねひら/出羽清原)が継ぎ鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)に就任する。
長男の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)は、元は安倍氏の領土だった江刺郡(岩手県)一帯を領土として豊田館を構える。
この待遇に三男の清原家衡(きよはらいえひら/出羽清原)は嫉妬する。
次男の清原真衡(きよはらさねひら/出羽清原)は子宝に恵まれず、常陸国(ひたち/茨城県)や陸奥国(むつ/福島県)を地盤とする磐城(いわき)平氏の海道成衡(かいどうなりひら/磐城平氏→出羽清原)を養子に迎入れる。
海道成衡(かいどうなりひら/磐城平氏→出羽清原)は、常陸国(茨城県)に居た源頼義(みなもとよりよし/朝廷)の娘と婚姻し、源義家(みなもとよしいえ/朝廷)と親戚縁者となる。
源義家(みなもとよしいえ/朝廷)は、父親の跡目を引継ぐ形で多賀城(たがじょう)の国府となる。
その時に源義家(みなもとよしいえ/朝廷)は、清原氏の長男となった藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)と親交を深めて良好な関係を築く。
CECILIO & KAPONO /♪ SUMMER LADY
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261020 - ラジオの友 URL
2026/10/20 (Tue) 20:45:40
◆◇◆其の七十六:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の奥州藤原氏
その後、清原氏一族の重鎮家臣だった吉彦秀武(きみこひでたけ/出羽清原)が、当主で次男の清原真衡(きよはらさねひら/出羽清原)と抗争となる。
吉彦秀武(きみこひでたけ/出羽清原)は三男の清原家衡(きよはらいえひら/出羽清原)と同盟し、さらに長男の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)を援軍に付けて、次男の清原真衡(きよはらさねひら/出羽清原)と対立する。
鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)でもある次男の清原真衡(きよはらさねひら/出羽清原)は、親族でもある多賀城(たがじょう)の国府の源義家(みなもとよしいえ/朝廷)に援軍を要請する。
清原真衡(きよはらさねひら/出羽清原)の清原本家軍と吉彦秀武(きみこひでたけ/出羽清原)の清原分家軍が対峙する。
両軍は交戦するも、戦(いくさ)に乗る気でない長男の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)と国府の源義家(みなもとよしいえ/朝廷)により、和睦(わぼく)の時期を見て手打ちとなる。
次男の清原真衡(きよはらさねひら/出羽清原)は戦争責任として吉彦秀武(きみこひでたけ/出羽清原)の斬首を条件に出すも、長男の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)は戦死した家臣の清原重光(きよはらしげみつ/出羽清原)の首級(しゅきゅう)を差出し決着を図った。
清原真衡…『戦争責任として吉彦秀武(きみこひでたけ/出羽清原)の首級(しゅきゅう)を差し出せぇ!』
これに対して清原分家軍の陣営。
吉彦秀武…『わしぃの介錯(かいしゃく)して首を持って行ってくれ。』
藤原清衡…『いや、戦地に転がっていた清原重光(きよはらしげみつ/出羽清原)の首級(しゅきゅう)を代わりに持って行こう。』
こちらは清原本家軍の陣営。
藤原清衡…『戦争首謀者の首級(しゅきゅう)で御座います。』
源義家…『うむ、これにて一件落着。』
清原真衡…『ちょっと待てぇ〜〜い、これ、誰の首やぁねん!』
PETER MCCANN /♪ ROAD TO LOVE
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261020 - ラジオの友 URL
2026/10/20 (Tue) 20:46:31
◆◇◆其の七十七:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の奥州藤原氏
国府の源義家(みなもとよしいえ/朝廷)はこの条件に納得するも、次男の清原真衡(きよはらさねひら/出羽清原)は納得せず再度、抗争の準備に取り掛かる。
その最中(さなか)に次男の清原真衡(きよはらさねひら/出羽清原)は原因不明で死去する。
その跡目を継いだ息子の海道成衡(かいどうなりひら/磐城平氏→出羽清原)は、謀反(むほん)を起こした次男の清原真衡(きよはらさねひら/出羽清原)の反逆罪の相続人として、国府かつ叔父の源義家(みなもとよしいえ/朝廷)により身分剥奪と領地没収の改易(かいえき)となる。
それにより国府の源義家(みなもとよしいえ/朝廷)は、次男の清原真衡(きよはらさねひら/出羽清原)の領土を、長男の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)と三男の清原家衡(きよはらいえひら/出羽清原)で二分する形で引継がせる。
これに反発したのが三男の清原家衡(きよはらいえひら/出羽清原)で、全ての領土は清原氏直系の自分が引継ぐと主張する。
すぐさま三男の清原家衡(きよはらいえひら/出羽清原)は清原軍を率いて長男の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)の江刺郡(岩手県)にある豊田館を攻撃し、長男の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)は何とか逃げ出すも、妻子や多くの家臣が焼死する。
負傷した長男の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)はある村まで逃げのび、そこで村娘の阿具里(あぐり/村民→ 奥州藤原氏)に助け出される。
この阿具里(あぐり/村民→ 奥州藤原氏)は、後に長男の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)の側室となるが、奥州藤原氏の火種となる事を現時点では知る由(よし)もない。
GINO VANNELLI /♪ POWERFUL PEOPLE
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261020 - ラジオの友 URL
2026/10/20 (Tue) 20:47:20
◆◇◆其の七十八:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の奥州藤原氏
一連の事変に対する報復(ほうふく)に出る長男の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)は、援軍の国府の源義家(みなもとよしいえ/朝廷)と共に、三男の清原家衡(きよはらいえひら/出羽清原)の討伐に向かう。
三男の清原家衡(きよはらいえひら/出羽清原)は叔父の清原武衡(きよはらたけひら/出羽清原)と同盟し迎え撃つ。
これにより「藤原源軍VS清原軍」の構図となる。
藤原源軍は衣川(岩手県)周辺に布陣し対戦に出た。
ただ、雪国の戦(いくさ)に慣れた上、村民を使った奇襲を得意とした清原軍が優勢だった。
しかし藤原源軍には、京都から源義家(みなもとよしいえ/朝廷)の弟の源義光(みなもとよしみつ/朝廷)が大軍を率いて駆けつけ、さらに清原氏一族の重鎮家臣だった吉彦秀武(きみこひでたけ/出羽清原)も味方に付いたため反撃に出る。
羽後(うご/秋田県)の横手の清原家衡(きよはらいえひら/出羽清原)と叔父の清原武衡(きよはらたけひら/出羽清原)が率いる清原軍の陣営の金沢柵(かねざわさく)に、長男の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)と源義家(みなもとよしいえ/朝廷)が率いる藤原源軍は進軍した。
此処で源義家(みなもとよしいえ/朝廷)は、頭上を整然と飛んでいた雁の群れが、突然列を乱して四方に飛び散るのを目撃する。
源義家(みなもとよしいえ/朝廷)は、草原に清原軍の伏兵が潜んでいる事を察知する。
其処で藤原源軍は草原に向けて弓の矢を射り、清原軍の伏兵を壊滅させる。
此れは、紀元前500年の中国大陸にて活躍した軍師の孫子(そんし/軍事家)による、『雁の群れが乱れるのは、下に伏兵がいる証である。』に基づく兵法である。
その後に戦況が不利となり、追い込められた三男の清原家衡(きよはらいえひら/出羽清原)は、叔父の清原武衡(きよはらたけひら/出羽清原)に責任をなすりつけ仲違(なかたが)いをする。
清原家衡…『叔父さんが戦(いくさ)の素人で無能だから、戦況が悪化したんだっ!』
清原武衡…『なぁ、なんやかてぇ、清原氏のボンクラ息子のクセに、なら、お前が大将軍となって前戦で戦ってみろっ!』
清原家衡…『望むどころだっ! 皆の者、大将軍のわしぃに着いて来いっ!』
陣営から威勢よく飛び出した三男の清原家衡(きよはらいえひら/出羽清原)に、藤原源軍から1本の矢が飛んできて・・・
ヒューーー ブスッリ
清原家衡…『ギャ〜〜 やられた〜〜』
バタン
清原武衡…『ここまでアホォやったとは・・・』
その後、清原軍は一気に崩壊し三男の清原家衡(きよはらいえひら/出羽清原)は討死する。
ここにて出羽国(でわ/秋田県、岩手県)の蝦夷(えみし)で豪族だった清原氏が消滅する。
これを1083年に起こった「後三年の役」(ごさんねんのえき)と呼ぶ。
Boz Scaggs /♪ Look What You've Done To Me
◆ラジオの友◆
今日の1枚、お薦めレコード/20261019 - ラジオの友 URL
2026/10/19 (Mon) 17:09:36
LL COOL J FEAT.FREEWAY /♪ WHAT YOU WANT
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261019 - ラジオの友 URL
2026/10/19 (Mon) 17:10:30
HEAVY D & THE BOYZ /♪ ON THE DANCE FLOOR
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261019 - ラジオの友 URL
2026/10/19 (Mon) 17:11:23
Marky Mark And The Funky Bunch /♪ The Last Song On Side B
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261019 - ラジオの友 URL
2026/10/19 (Mon) 17:12:13
THA MEXAKINZ /♪ PHONKIE MELODIA
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261019 - ラジオの友 URL
2026/10/19 (Mon) 17:13:04
HEAVY D & THE BOYZ /♪ GYRLZ,THEY LOVE ME
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261019 - ラジオの友 URL
2026/10/19 (Mon) 17:13:55
MC SOLAAR /♪ L'HISTOIRE DE L'ART
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261019 - ラジオの友 URL
2026/10/19 (Mon) 17:14:47
BOOGIE DOWN PRODUCTIONS /♪ I'M STILL #1
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261019 - ラジオの友 URL
2026/10/19 (Mon) 17:24:22
40 GLOCC FEAT.E-40,SNOOP DOGG,TOO $HORT AND XZIBIT /♪ WELCOME TO CALIFORNIA
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261019 - ラジオの友 URL
2026/10/19 (Mon) 17:25:15
DAS EFX /♪ MICROPHONE MASTER
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261019 - ラジオの友 URL
2026/10/19 (Mon) 17:26:08
MC SOLAAR /♪ MATIERE GRASSE CONTRE MATIERE GRISE
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261019 - ラジオの友 URL
2026/10/19 (Mon) 17:27:04
MARKY MARK & THE FUNKY BUNCH /♪ LOUNGIN' (FEATURING DONNIE D)
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261019 - ラジオの友 URL
2026/10/19 (Mon) 17:28:00
JAY-Z /♪ ALL AROUND THE WORLD
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261019 - ラジオの友 URL
2026/10/19 (Mon) 17:29:44
ELISHA LA'VERNE /♪ I'M NOT DREAMING
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261019 - ラジオの友 URL
2026/10/19 (Mon) 17:30:39
KELLY PRICE /♪ HOW DOES IT FEEL
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261019 - ラジオの友 URL
2026/10/19 (Mon) 17:31:40
AVANT /♪ DON'T SAY NO,JUST SAY YES
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261019 - ラジオの友 URL
2026/10/19 (Mon) 17:32:40
ROBERT GLASPER FEAT.GREGORY PORTER + LEDIS /♪ IT DON'T MATTER
◆ラジオの友◆
今日の1枚、お薦めレコード/20261016 - ラジオの友 URL
2026/10/16 (Fri) 08:22:06
◆◇◆其の四十三:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の藤原氏
1016年に、第67代天皇の三条天皇(さんじょうてんのう/朝廷)は、第66代天皇の一条天皇(いちじょうてんのう/朝廷)の息子で敦成親王(あつひらしんのう)こと第68代天皇の後一条天皇(ごいちじょうてんのう/朝廷)に皇位を譲位(じょうい)する。
その後の1017年に、第67代天皇だった三条上皇(さんじょうじょうこう/朝廷)が薨御(こうぎょ)した。
1028年に、藤原頼通(ふじわらよりみち/公家)の父親の藤原道長(ふじわらみちなが/公家)も卒去(そっきょ)する。
それからの1036年に、病弱だった第68代天皇の後一条天皇(ごいちじょうてんのう/朝廷)が崩御(ほうぎょ)して、弟の敦良親王(あつながしんのう)こと第69代天皇の後朱雀天皇(ごすざくてんのう/朝廷)が皇位を即位(そくい)する。
この頃になると関白となった藤原頼通(ふじわらよりみち/公家)の、藤原氏北家(ほっけ)および摂関政治の後継者問題が浮上してくる。
そこで第66代天皇の一条天皇(いちじょうてんのう/朝廷)と藤原定子(ふじわらていし/公家→朝廷)の息子である敦康親王(あつやすしんのう/朝廷)の娘の藤原嫄子(ふじわらげんし/朝廷→公家)を、藤原頼通(ふじわらよりみち/公家)の養子に迎え入れる。
次に藤原嫄子(ふじわらげんし/朝廷→公家)を、第69代天皇の後朱雀天皇(ごすざくてんのう/朝廷)の妻として中宮(ちゅうぐう)に入れる。
誰がどう見ても、愛の欠片(かけら)も無い完全完璧な“政略結婚”である。
ただ、残念な事に中宮(ちゅうぐう)となった藤原嫄子(ふじわらげんし/朝廷→公家)は早世してしまう。
その傍(かたわら)で、何やら胡散臭い動きをする者が2人ほど現れる。
藤原道長(ふじわらみちなが/公家)の息子で、藤原頼通(ふじわらよりみち/公家)の兄弟でもある右大臣に就いた藤原頼宗(ふじわらよりむね/公家)と、後々の関白に就いた藤原教通(ふじわらのりみち/公家)である。
藤原頼宗(ふじわらよりむね/公家)は娘の藤原延子(ふじわらえんし/公家→朝廷)を、第69代天皇の後朱雀天皇(ごすざくてんのう/朝廷)の愛妾(あいしょう)として女御(にょうご)に入れる。
藤原教通(ふじわらのりみち/公家)は娘の藤原生子(ふじわらせいし/公家→朝廷)を、第69代天皇の後朱雀天皇(ごすざくてんのう/朝廷)の愛妾(あいしょう)として女御(にょうご)に入れる。
これで藤原氏北家(ほっけ)の権力闘争と没落要因の役者は揃った。
THE DOOBIE BROTHERS/♪ Disciple
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261016 - ラジオの友 URL
2026/10/16 (Fri) 08:22:59
◆◇◆其の四十四:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の藤原氏
1045年に、第69代天皇の後朱雀天皇(ごすざくてんのう/朝廷)が病気で崩御(ほうぎょ)して、息子の親仁親王(ちかひとしんのう)こと第70代天皇の後冷泉天皇(ごれいぜいてんのう/朝廷)が皇位を即位(そくい)する。
この時点で藤原氏北家(ほっけ)から皇室に入った娘達に、まだ後継者となる子供は誕生していなかった。
しかも、第69代天皇の後朱雀天皇(ごすざくてんのう/朝廷)の息子で尊仁親王(たかひとしんのう)が皇太子に即位(そくい)する。
尊仁親王(たかひとしんのう)の母親は、第67代天皇の三条天皇(さんじょうてんのう/朝廷)の娘である禎子内親王(ていしないしんのう/朝廷)で、第69代天皇の後朱雀天皇(ごすざくてんのう/朝廷)の妻で皇后に就いた貴顕(きけん)な家柄(いえがら)である。
生まれも育ちも不純物(ふじゅんぶつ)無しの高尚(こうしょう)な皇族なので、とても藤原氏北家(ほっけ)では太刀打(たちう)ちできない。
このまま摂関政治を実施するとなると、尊仁親王(たかひとしんのう)の祖父である第67代天皇だった三条上皇(さんじょうじょうこう/朝廷)が摂政か関白に就任する事になるが、ただ、この時は既(すで)に薨御(こうぎょ)している。
ただし、それでもこのままだと、藤原氏北家(ほっけ)に摂関政治の権威を握る権利は、無い!
そこで藤原氏北家(ほっけ)のお抱えの博学な学者や知識人が京都評定(きょうとひょうじょう)を開催して連日連夜で話合い、そこで合意された妙案を実行した。
それは皇太子の象徴となる“壺切御剣”(つぼきりのみつるぎ)を、尊仁親王(たかひとしんのう)に譲渡しないと言う奇策だった。
此処(ここ)でちょっと、皇室の“三種の神器”と“壺切御剣”(つぼきりのみつるぎ)の耳寄りなお話し。
日本神話の古代から天皇が皇位に就く際の儀式がある。
その天皇の象徴が“三種の神器”であり、これは日本人なら誰でも知っている。
“八尺瓊勾玉”(やさかにのまがたま)は日向国(ひむか/宮崎県)で創造され、現在は東京都千代田区の皇居に保管されている。
“八咫鏡”(やたのかがみ)も日向国(ひむか/宮崎県)で創造され、現在は三重県伊勢市の伊勢神宮に保管されている。
“草薙剣”(くさなぎのつるぎ)は出雲国(島根県)で八岐大蛇(ヤマタノオロチ)から採取され、“天叢雲剣”(あめのむらくものつるぎ)や“都牟刈之大刀”(つむがりのたち)とも呼ばれ、現在は愛知県名古屋市熱田区の熱田神宮に保管されている。
そして天皇が皇位に就任した儀式を、“剣璽承継の儀”(けんじしょうけいのぎ)と呼ぶ。
これは、天皇である事を宣明する国家儀式で、その時に天皇に“三種の神器”の内の“草薙剣”(くさなぎのつるぎ)こと“天叢雲剣”(あめのむらくものつるぎ)と“八尺瓊勾玉”(やさかにのまがたま)を譲渡する。
次に次期天皇となる皇太子が就任した儀式を、“立太子の礼”(りったいしのれい)と呼ぶ。
天皇が皇太子である事を宣明する国家儀式で、その時に皇太子に“壺切御剣”(つぼきりのみつるぎ)を譲渡する。
Don Henley /♪ DIRTY LAUNDRY
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261016 - ラジオの友 URL
2026/10/16 (Fri) 08:23:52
◆◇◆其の四十五:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の藤原氏
皇太子に即位(そくい)した尊仁親王(たかひとしんのう)は、いくら待っても“壺切御剣”(つぼきりのみつるぎ)を手にする事は無かった。
そんな時間だけが悪戯(イタズラ)に過ぎて行く。
1068年に、第70代天皇の後冷泉天皇(ごれいぜいてんのう/朝廷)が崩御(ほうぎょ)して、第69代天皇の後朱雀天皇(ごすざくてんのう/朝廷)の息子で皇太子の尊仁親王(たかひとしんのう)こと第71代天皇の後三条天皇(ごさんじょうてんのう/朝廷)が皇位を即位(そくい)する。
これにより“三種の神器”の“八尺瓊勾玉”(やさかにのまがたま)と“八咫鏡”(やたのかがみ)と“草薙剣”(くさなぎのつるぎ)を譲渡された第71代天皇の後三条天皇(ごさんじょうてんのう/朝廷)が、名実共に日本の天皇に就任した。
藤原氏北家(ほっけ)の皇太子の尊仁親王(たかひとしんのう)に“壺切御剣”(つぼきりのみつるぎ)を譲渡しないと言う奇策は何だったのか?
日本の歴史では、未だに謎である。
藤原氏北家(ほっけ)が伝統として実施してきた権力統制の崩壊寸前の窮地に追い込まれた藤原頼通(ふじわらよりみち/公家)は、現実逃避して仏教にのめり込む様になる。
父親の藤原道長(ふじわらみちなが/公家)が別荘として使用していた山城国(京都府)の宇治に建つ平等院(びょうどういん)を、建物の改築や増築をして、1053年に10円玉でお馴染みの鳳凰堂(ほうおうどう)を建築して寺院とした。
この平等院(びょうどういん)の歴史は、第52代天皇の嵯峨天皇(さがてんのう/朝廷)の息子で紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)が執筆した“源氏物語”(げんじものがたり)の主人公の光源氏(ひかるげんじ/朝廷)のモデルと言われる源融(みなもととおる/公家)の別荘として建築された。
それを第56代天皇の清和天皇(せいわてんのう/朝廷)の息子の第57代天皇の陽成天皇(ようぜいてんのう/朝廷)が譲渡された。
それを第58代天皇の光孝天皇(こうこうてんのう/朝廷)の息子の第59代天皇の宇多天皇(うだてんのう/朝廷)が譲渡された。
それを第60代天皇の醍醐天皇(だいごてんのう/朝廷)の息子の第61代天皇の朱雀天皇(すざくてんのう/朝廷)が譲渡され宇治院(うじいん)とした。
それを第59代天皇の宇多天皇(うだてんのう/朝廷)の孫の源重信(みなもとしげのぶ/朝廷)が譲渡された。
それを998年に藤原氏北家(ほっけ)の栄華の象徴でもある藤原道長(ふじわらみちなが/公家)が譲渡された。
父親の藤原道長(ふじわらみちなが/公家)から平等院(びょうどういん)を引き継いだ藤原頼通(ふじわらよりみち/公家)は、仏教の開祖であるインドの御釈迦様(仏陀)が説いた、この世には善人が居なくなり、悪人だけが生き残り世紀末を迎えると言う末法思想(まっぽうしそう)により、黄泉の国(よみのくに/天国)と言われる極楽浄土(ごくらくじょうど)を具現化したのが鳳凰堂(ほうおうどう)を建立(こんりゅう)した。
これらの事からも、天界や宇宙の常識や基準で計ると、如何(いか)に藤原氏北家(ほっけ)は最後の最後で、藤原頼通(ふじわらよりみち/公家)と言う謹厳実直(きんげんじっちょく)の聖人(せいじん)を輩出した事がよく解る。
Tom Johnston/♪ Savannah Nights
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261016 - ラジオの友 URL
2026/10/16 (Fri) 08:24:45
◆◇◆其の四十六:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の藤原氏
940年に起こった「平将門の乱」(たいらのまさかどのらん)以降、平氏が権力と財力を強めて、平将門(たいらまさかど/朝廷→常陸)の家系の平忠常(たいらただつね/房総平氏)が、下総国(しもうさ/東京都・千葉県・茨城県)と上総国(かずさ/千葉県)と安房国(あわ/千葉県)で、朝廷の国司(こくし)に対する反乱を起こした。
これに対応する為に平安京(へいあんきょう/京都)の朝廷は、河内源氏の武将で藤原道長(ふじわらみちなが/公家)に仕える“道長四天王”と呼ばれる源頼信(みなもとよりのぶ/朝廷)と、息子で後に東国の鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)に就任する源頼義(みなもとよりよし/朝廷)の朝廷軍を派遣した。
平忠常(たいらただつね/房総平氏)が率いる千葉軍は対抗するも、朝廷軍に敗北し伊勢国(三重県)に逃亡し、東国はそのまま源氏が居座り勢力基盤を築いた。
これを1028年に起こった「平忠常の乱」(たいらただつねのらん)と呼ぶ。
日本の歴史は、飛鳥時代、奈良時代、平安時代へ、そして鎌倉時代を飛び越え、室町時代に渡り、近畿圏を中心とした山城国(京都府)、大和国(奈良県)、河内国(大阪府)、和泉国(大阪府)、摂津国(大阪府・兵庫県)の畿内(きない/関西)で1000年近く育まれてきた。
奈良や京都には「朝しか仕事をしない」が信念の朝廷が置かれ、大王や天皇が主軸となる政治が執り行われ、日本列島には畿内(きない/関西)を要とした主要街道の七道(しちどう)が整備される。
東北地方の東山道(とうさんどう)、北陸地方の北陸道、中部地方の東海道、西日本の日本海側に山陰道、瀬戸内海側に山陽道、四国の南海道、九州の西海道(さいかいどう)が主な街道となる。
この畿内(きない/関西)の5つの領国と日本列島に整備された7つの街道で五畿七道(ごきしちどう)と呼ぶ。
これらを見ても解る通り、この時はまだ、蝦夷国(えぞ/北海道)や東北地方は未整備で、朝廷も統治できていない状態だった。
710年、飛鳥時代から奈良時代に移行し、大和国(奈良県)に平城京(へいじょうきょう/奈良)が築かれ、この陸奥(みちのく)で724年に築かれた陸奥国(むつ/宮城県)の多賀城(たがじょう)である。
奈良時代の朝廷は、九州は筑前国(福岡県)の太宰府(だざいふ)、近畿は大和国(奈良県)の平城京(へいじょうきょう/奈良)、東北は陸奥国(むつ/宮城県)の多賀城(たがじょう)の政所(まんどころ)を配置して日本列島を統治していた。
これらは“日本三大史跡”と言われる。
Eagles /♪ LYIN' EYES
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261016 - ラジオの友 URL
2026/10/16 (Fri) 08:25:35
◆◇◆其の四十七:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の藤原氏
藤原氏南家の系統で国府の役人の藤原登任(ふじわらなりとう/公家)や、その後、京都から参った鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)の源頼義(みなもとよりよし/朝廷)が多賀城(たがじょう)を拠点とする。
この地には大百足(オオムカデ)退治で名を馳せた藤原秀郷(ふじわらひでさと/公家)の子孫でもある藤原清経(ふじわらきよつね/奥州藤原氏)や、平永衡(たいらながひら/常陸平氏)などの豪族が力を強めていた。
それとは別に朝廷の力の及ばない蝦夷(えみし)と言われる豪族が領地を支配し、陸奥国(むつ/青森県、岩手県、宮城県、福島県)は安倍頼良(あべよりよし/陸奥安倍)の一族、出羽国(でわ/秋田県、山形県)は清原武則(きよはらたけきよ/出羽清原)の一族が治める。
多賀城(たがじょう)を拠点とする国府の藤原登任(ふじわらなりとう/公家)は、藤原清経(ふじわらきよつね/奥州藤原氏)と平永衡(たいらながひら/常陸平氏)を敵対させて力を弱めようと考えていた。
藤原登任(ふじわらなりとう/公家)は平永衡(たいらながひら/常陸平氏)に加担して藤原清経(ふじわらきよつね/奥州藤原氏)を追い込もうとするも、藤原清経(ふじわらきよつね/奥州藤原氏)は蝦夷(えみし)の豪族である安倍頼良(あべよりよし/陸奥安倍)の娘の阿古女(あこめ/陸奥安倍→ 奥州藤原氏→ 出羽清原)と結婚する。
その息子が第1代奥州藤原氏となる藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)である。
国府の藤原登任(ふじわらなりとう/公家)は“蝦夷討伐”(えみしとうばつ)を掲げ、安倍頼良(あべよりよし/陸奥安倍)を攻撃する。
現在の宮城県大崎市にある鬼首(おにこうべ)で、藤原登任(ふじわらなりとう/公家)が率いる朝廷軍と安倍頼良(あべよりよし/陸奥安倍)が率いる安倍軍は交戦し、安倍軍が勝利する。
藤原登任(ふじわらなりとう/公家)は、京都の平安京(へいあんきょう/京都)に逃亡し朝廷に泣きつく。
朝廷は“陸奥平定”のため源頼義(みなもとよりよし/朝廷)を、鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)として多賀城(たがじょう)に送り込む。
多賀城(たがじょう)を拠点に源頼義(みなもとよりよし)は、息子の源義家(みなもとよしいえ/朝廷)と共に朝廷軍を率いて大軍勢で、安倍頼良(あべよりよし/陸奥安倍)の安倍軍を攻撃する。
それでも安倍頼良(あべよりよし/陸奥安倍)は、息子の安倍貞任(あべさだとう/陸奥安倍)と安倍宗任(あべむねとう/陸奥安倍)と共に安倍軍を率いて反撃し勝利する。
雪国での戦(いくさ)に苦戦した源頼義(みなもとよりよし)は、出羽国(でわ/秋田県、山形県)の清原武則(きよはらたけきよ/出羽清原)に援軍を依頼する。
一方、朝廷の官人でもある藤原清経(ふじわらきよつね/奥州藤原氏)は、親族となった義父でもある安倍頼良(あべよりよし/陸奥安倍)に味方する。
これにより「安倍・藤原VS源・清原」の構図となる。
その間、安倍頼良(あべよりよし/陸奥安倍)は津軽半島の宇曽利(うそり)に行く途中、安倍氏一族の裏切りに遭(あ)い討死する。
岩手県から宮城県に流れる北上川(きたかみがわ)の一帯で両軍による死闘が繰り広げられ、源清原軍が勝利し、安倍藤原軍が敗れる。
これにより、藤原清経(ふじわらきよつね/奥州藤原氏)は斬首、安倍貞任(あべさだとう/陸奥安倍)は戦死、安倍宗任(あべむねとう/陸奥安倍)は九州に流刑となる。
ここにて陸奥国(むつ/青森県、岩手県、宮城県、福島県)の蝦夷(えみし)で豪族だった安倍氏は消滅する。
これを1051年に起こった「前九年の役」(ぜんくねんのえき)と呼ぶ。
THE DOOBIE BROTHERS /♪ LITTLE DARLING (I NEED YOU)
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261016 - ラジオの友 URL
2026/10/16 (Fri) 08:26:28
◆◇◆其の四十八:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の藤原氏
平安京(へいあんきょう/京都)の朝廷では、新しく開墾(かいこん)した土地を貴族や寺院などの領地を荘園(そうえん)と呼び、その土地で農民が耕した農作物は貴族や寺院などに納めていた。
第71代天皇の後三条天皇(ごさんじょうてんのう/朝廷)は、この貴族や寺院などが徴収している農作物を朝廷に納める様に政策変更する為に、藤原道長(ふじわらみちなが/公家)の息子で関白の藤原教通(ふじわらのりみち/公家)に勅命(ちょくめい)を発布した。
第71代天皇の後三条天皇(ごさんじょうてんのう/朝廷)は、今までの藤原氏が政権運営を担う摂関政治を、天皇が直接に政権運営を担う親政(しんせい)に変更していき、これにより藤原氏の勢力が衰えていく。
1073年に第71代天皇の後三条天皇(ごさんじょうてんのう/朝廷)が崩御(ほうぎょ)し、第72代天皇の白河天皇(しらかわてんのう/朝廷)が皇位を即位(そくい)した。
この頃は、朝廷の公家や官人も藤原氏に対して不満が増しており、天皇が上皇となって朝廷の政権運営を担う院政(いんせい)となる。
第72代天皇の白河天皇(しらかわてんのう/朝廷)は、皇位を第73代天皇の堀河天皇(ほりかわてんのう/朝廷)に譲位(じょうい)して白河上皇(しらかわじょうこう/朝廷)となり朝廷の運営を担う院政(いんせい)を司(つかさど)った。
白河上皇(しらかわじょうこう/朝廷)は“天下三不如意”(てんかさんふにょい)を嘆(なげ)いた。
白河上皇…『いつも増水する“賀茂川の水”、サイコロの目を出す“雙六の賽”(すごろくのさい)、近江国(滋賀県)の比叡山(ひえいざん)に建つ延暦寺(えんりゃくじ)の天台宗(てんだいしゅう)に仕える僧兵の“山法師”は、朕(ちん)の思いのままにならぬ。』
一方、東北地方では戦乱が未(いま)だに燻(くすぶ)っていた。
1051年に起こった「前九年の役」(ぜんくねんのえき)で藤原清経(ふじわらきよつね/奥州藤原氏)は斬首された後、愛妻の阿古女(あこめ/陸奥安倍→ 奥州藤原氏→ 出羽清原)と息子の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)は、当主を討った敵陣の清原武則(きよはらたけきよ/出羽清原)に引き取られる。
しかも、藤原清経(ふじわらきよつね/奥州藤原氏)が斬首される時、愛妻の阿古女(あこめ/陸奥安倍→ 奥州藤原氏→ 出羽清原)と息子の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)の目の前で実施された。
清原武則(きよはらたけきよ/出羽清原)は、息子の清原武貞(きよはらたけさだ/出羽清原)に阿古女(あこめ/陸奥安倍→ 奥州藤原氏→ 出羽清原)を嫁がせ、藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)はその息子となった。
清原武貞(きよはらたけさだ/出羽清原)には前妻との間に、息子の清原真衡(きよはらさねひら/出羽清原)が居た。
その後、清原武貞(きよはらたけさだ/出羽清原)と阿古女(あこめ/陸奥安倍→ 奥州藤原氏→ 出羽清原)の間に息子が産まれ、清原家衡(きよはらいえひら/出羽清原)と名付けられた。
年齢順から見ると、長男の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)、次男の清原真衡(きよはらさねひら/出羽清原)、三男の清原家衡(きよはらいえひら/出羽清原)となる。
義父の清原武貞(きよはらたけさだ/出羽清原)は敵大将の子の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)ではあったが、我が子と隔たりなく愛情と教育を注いだ。
ただ、この歪(いびつ)な兄弟関係が後に「後三年の役」(ごさんねんのえき)に発展していく。
Michael McDonald /♪ IF THAT'S WHAT IT TAKES
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261016 - ラジオの友 URL
2026/10/16 (Fri) 08:27:15
◆◇◆其の四十九:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の藤原氏
清原武貞(きよはらたけさだ/出羽清原)と阿古女(あこめ/陸奥安倍→ 奥州藤原氏→ 出羽清原)が亡くなり、清原氏の後継者は次男の清原真衡(きよはらさねひら/出羽清原)が継ぎ鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)に就任する。
長男の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)は、元は安倍氏の領土だった江刺郡(岩手県)一帯を領土として豊田館を構える。
この待遇に三男の清原家衡(きよはらいえひら/出羽清原)は嫉妬する。
次男の清原真衡(きよはらさねひら/出羽清原)は子宝に恵まれず、常陸国(ひたち/茨城県)や陸奥国(むつ/福島県)を地盤とする磐城(いわき)平氏の海道成衡(かいどうなりひら/磐城平氏→出羽清原)を養子に迎入れる。
海道成衡(かいどうなりひら/磐城平氏→出羽清原)は常陸国(茨城県)に居た源頼義(みなもとよりよし/朝廷)の娘と婚姻し、源義家(みなもとよしいえ/朝廷)と親戚縁者となる。
源義家(みなもとよしいえ/朝廷)は父親の跡目を引継ぐ形で多賀城(たがじょう)の国府となる。
その時に源義家(みなもとよしいえ/朝廷)は、清原氏の長男となった藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)と親交を深めて良好な関係を築く。
その後、清原氏一族の重鎮家臣だった吉彦秀武(きみこひでたけ/出羽清原)が、当主で次男の清原真衡(きよはらさねひら/出羽清原)と抗争となる。
吉彦秀武(きみこひでたけ/出羽清原)は三男の清原家衡(きよはらいえひら/出羽清原)と同盟し、さらに長男の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)を援軍に付けて、次男の清原真衡(きよはらさねひら/出羽清原)と対立する。
鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)でもある次男の清原真衡(きよはらさねひら/出羽清原)は、親族でもある多賀城(たがじょう)の国府の源義家(みなもとよしいえ/朝廷)に援軍を要請する。
八幡太郎(はちまんたろう)こと源義家(みなもとよしいえ/朝廷)の戦(いくさ)の強さは、合戦後に武士を剛勇の座と臆病な座を分けて振り分けた“剛臆の座”(ごうおくのざ)に秘められている。
臆病な座に座(す)りたくない武士団は、鼓舞(こぶ)して勇猛果敢に戦い、敵陣を圧倒したと言う。
清原真衡(きよはらさねひら/出羽清原)の清原本家軍と吉彦秀武(きみこひでたけ/出羽清原)の清原分家軍が対峙する。
両軍は交戦するも、戦(いくさ)に乗る気でない長男の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)と国府の源義家(みなもとよしいえ/朝廷)により、和睦(わぼく)の時期を見て手打ちとなる。
次男の清原真衡(きよはらさねひら/出羽清原)は戦争責任として吉彦秀武(きみこひでたけ/出羽清原)の斬首を条件に出すも、長男の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)は戦死した家臣の清原重光(きよはらしげみつ/出羽清原)の首級(しゅきゅう)を差出し決着を図った。
清原真衡…『戦争責任として吉彦秀武(きみこひでたけ/出羽清原)の首級(しゅきゅう)を差し出せぇ!』
これに対して清原分家軍の陣営。
吉彦秀武…『わしぃを介錯(かいしゃく)して首を持って行ってくれ。』
藤原清衡…『いや、戦地に転がっていた清原重光(きよはらしげみつ/出羽清原)の首級(しゅきゅう)を代わりに持って行こう。』
こちらは清原本家軍の陣営。
藤原清衡…『戦争首謀者の首級(しゅきゅう)で御座います。』
源義家…『うむ、これにて一件落着。』
清原真衡…『ちょっと待てぇ〜〜い! これ、誰の首やぁねん!』
Jackson Browne /♪ SOMEBODY'S BABY
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261016 - ラジオの友 URL
2026/10/16 (Fri) 08:28:11
◆◇◆其の五十:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の藤原氏
国府の源義家(みなもとよしいえ/朝廷)はこの条件に納得するも、次男の清原真衡(きよはらさねひら/出羽清原)は納得せず再度、抗争の準備に取り掛かる。
その最中(さなか)に次男の清原真衡(きよはらさねひら/出羽清原)は原因不明で死去する。
その跡目を継いだ息子の海道成衡(かいどうなりひら/磐城平氏→出羽清原)は、謀反(むほん)を起こした次男の清原真衡(きよはらさねひら/出羽清原)の反逆罪の相続人として、国府かつ叔父の源義家(みなもとよしいえ/朝廷)により身分剥奪と領地没収の改易(かいえき)となる。
それにより国府の源義家(みなもとよしいえ/朝廷)は、次男の清原真衡(きよはらさねひら/出羽清原)の領土を、長男の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)と三男の清原家衡(きよはらいえひら/出羽清原)で二分する形で引継がせる。
これに反発したのが三男の清原家衡(きよはらいえひら/出羽清原)で、全ての領土は清原氏直系の自分が引継ぐと主張する。
すぐさま三男の清原家衡(きよはらいえひら/出羽清原)は清原軍を率いて長男の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)の江刺郡(岩手県)にある豊田館を攻撃し、長男の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)は何とか逃げ出すも、妻子や多くの家臣が焼死する。
負傷した長男の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)はある村まで逃げのび、そこで村娘に助け出される。
長男の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)は援軍の国府の源義家(みなもとよしいえ/朝廷)と共に、三男の清原家衡(きよはらいえひら/出羽清原)の討伐に向かう。
三男の清原家衡(きよはらいえひら/出羽清原)は叔父の清原武衡(きよはらたけひら/出羽清原)と同盟し迎え撃つ。
これにより「藤原源軍VS清原軍」の構図となる。
藤原源軍は衣川(岩手県)周辺に布陣し対戦に出た。
ただ、雪国の戦(いくさ)に慣れた上、村民を使った奇襲を得意とした清原軍が優勢だった。
しかし藤原源軍には、京都から源義家(みなもとよしいえ/朝廷)の弟の源義光(みなもとよしみつ/朝廷)が大軍を率いて駆けつけ、さらに清原氏一族の重鎮家臣だった吉彦秀武(きみこひでたけ/出羽清原)も味方に付いたため反撃に出る。
この合戦で、出羽国(でわ/秋田県)の金沢柵(かねざわさく/横手)に篭城(ろうじょう)した三男の清原家衡(きよはらいえひら/出羽清原)は叔父の清原武衡(きよはらたけひら/出羽清原)が率いる清原軍に対して、藤原源軍の八幡太郎(はちまんたろう)こと源義家(みなもとよしいえ/朝廷)が日本史上初となる“兵糧攻め”(ひょうろうぜめ)を実施した。
追い込められた三男の清原家衡(きよはらいえひら/出羽清原)は、叔父の清原武衡(きよはらたけひら/出羽清原)に責任をなすりつけ仲違(なかたが)いをする。
清原家衡…『叔父さんが戦(いくさ)の素人で無能だから、戦況が悪化したんだっ!』
清原武衡…『なぁ、なんやかてぇ、清原氏のボンクラ息子のクセに、なら、お前が大将軍となって前戦で戦ってみろっ!』
清原家衡…『望むどころだっ! 皆の者、大将軍のわしぃに着いて来いっ!』
陣営から威勢よく飛び出した三男の清原家衡(きよはらいえひら/出羽清原)に、藤原源軍から1本の矢が飛んできて・・・
ヒューーー ブスッリ
清原家衡…『ギャ〜〜 やられた〜〜』
バタン
清原武衡…『ここまでアホォやったとは・・・』
その後、清原軍は一気に崩壊し三男の清原家衡(きよはらいえひら/出羽清原)は討死する。
ここにて出羽国(でわ/秋田県、岩手県)の蝦夷(えみし)で豪族だった清原氏が消滅する。
これを1083年に起こった「後三年の役」(ごさんねんのえき)と呼ぶ。
Eagles /♪ ONE OF THESE NIGHTS
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261016 - ラジオの友 URL
2026/10/16 (Fri) 08:29:05
◆◇◆其の五十一:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の藤原氏
この後、白河上皇(しらかわじょうこう/朝廷)は、東北平定の合戦で功績を挙げた源頼義(みなもとよりよし/朝廷)の息子で多賀城(たがじょう)の国府(こくふ)に就いていた八幡太郎(はちまんたろう)こと源義家(みなもとよしいえ/朝廷)に対して恩賞(おんしょう)を与えず、さらに国府守を解任している。
白河上皇…『東北地方の戦(いくさ)は、清原氏の親族の権力闘争で、朝廷とは関わりはない。 其方(そなた)への褒美(ほうび)はありません。』
源義家…『ええっ!? では、家臣や兵士に対する論功行賞(ろんこうこうしょう)の武功(ぶこう)に対する恩賞(おんしょう)をどの様に与えたらいいのですか?』
白河上皇…『そんな事は朕(ちん)の知らぬ事よぉ。』
こうした平安京(へいあんきょう/京都)の朝廷の冷遇により、八幡太郎(はちまんたろう)こと源義家(みなもとよしいえ/朝廷)は私財を取り崩して家臣や兵士に恩賞(おんしょう)を与えた。
この朝廷の仕打ちに対して八幡太郎(はちまんたろう)こと源義家(みなもとよしいえ/朝廷)は、こう言い残している。
源義家…『この恨みはらさでおくべきかっ! 我より7代目の子孫は、必ず天下を取れっ!』
八幡太郎(はちまんたろう)こと源義家(みなもとよしいえ/朝廷)の7代後の子孫に下野国(しもつけ/栃木県)の足利家時(あしかがいえとき/鎌倉)が居り、室町幕府を創建した足利尊氏(あしかがたかうじ)の祖父である。
また、足利家時(あしかがいえとき/鎌倉)は己が天下を取れなかったため、3代目に遺言を残し切腹している。
足利家時…『我は先祖の意に報いる事が出来ず、その責務未達よりここにて自決するが、我より3代目は、先代の源義家(みなもとよしいえ/朝廷)の意向を実現してくれっ!』
足利家時(あしかがいえとき/鎌倉)の息子の足利貞氏(あしかがさだうじ/鎌倉)と藤原氏の系統の上杉清子(うえすぎきよこ/藤原→上杉→足利)の間に息子が誕生した。
その3代目の息子が室町幕府を創設した足利尊氏(あしかがたかうじ/鎌倉→室町)であり、弟の足利直義(あしかがただよし/鎌倉→室町)である。
また上野国(こうずけ/群馬県)では鎌倉幕府を滅亡させた新田義貞(にったよしさだ/鎌倉→朝廷)や、その弟で朝廷に仕えた新田義助(にったよしすけ/鎌倉→朝廷)が、同じく八幡太郎(はちまんたろう)こと源義家(みなもとよしいえ/朝廷)の子孫である。
ただ、鎌倉幕府の創設者の源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)も総合的にみた源氏の棟梁の為に、一応は源氏が既(すで)に天下を取っている事は間違いない。
THE DOOBIE BROTHERS /♪ NEED A LADY
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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261016 - ラジオの友 URL
2026/10/16 (Fri) 08:29:57
◆◇◆其の五十二:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の藤原氏
これらから、源氏が関東地方や東北地方で勢力基盤を築く要因となった。
その東北地方で勢力基盤を築いたのが奥州藤原氏である。
藤原氏と言えば中臣鎌足(なかとみかまたり/公家)こと藤原鎌足(ふじわらかまたり)が源流だが、奥州藤原氏は先祖の俵藤太(たわらとうた)こと藤原秀郷(ふじわらひでさと/公家)で“天下一の弓取り名人”と言われた系統で、近江国(滋賀県)の琵琶湖近くで巨大百足(オオムカデ)を弓矢で射止め、琵琶湖に住む竜王(りゅうおう)を助けた伝説がある。
その後の平安時代には、陸奥国(岩手県)に拠点を移していた。
奥州藤原氏の源流は、藤原清経(ふじわらきよつね/奥州藤原氏)から、第1代奥州藤原氏の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)、第2代奥州藤原氏の藤原基衡(ふじわらもとひら/奥州藤原氏)、第3代奥州藤原氏の藤原秀衡(ふじわらひでひら/奥州藤原氏)、第4代奥州藤原氏の藤原泰衡(ふじわらやすひら/奥州藤原氏)と続き、ここで滅亡してしまう。
原因は鎌倉時代に征夷大将軍1代目となった源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)が、謀反人で異母弟の源義経(みなもとよしつね/源氏→ 奥州藤原氏)を匿(かくま)った事を口実に、奥州藤原氏の領土の奥州平泉の肥沃な土地を侵略する事にあったと言う。
奥州平泉は、豊富な金鉱山(きんこうざん)があり、立派で丈夫な馬が育ち、広大な田畑が広がり、美しい寺院と都市街区が形成されていた。
鎌倉幕府の源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)の祖先の代から目を付けていた土地でもある。
その奥州平泉には第1代奥州藤原氏の藤原清衡(ふじわらきよひら/奥州藤原氏→ 出羽清原)は、中尊寺(ちゅうそんじ)を建造し金色堂(こんじきどう)などが配置された。
第2代奥州藤原氏の藤原基衡(ふじわらもとひら/奥州藤原氏)は、毛越寺(もうつじ)を建造した。
第3代奥州藤原氏の藤原秀衡(ふじわらひでひら/奥州藤原氏)は、無量光院(むりょうこういん)を建造し、京都は宇治に建つ平等院鳳凰堂を模した寺院があったとされる。
藤原道長(ふじわらみちなが/公家)の別荘として、藤原頼通(ふじわらよりみち/公家)が寺院として手掛けた山城国(京都府)の平等院鳳凰堂である。
中臣鎌足(なかとみかまたり/公家)こと藤原鎌足(ふじわらかまたり)の息子の藤原不比等(ふじわらふひと/公家)など、藤原氏ゆかりの菩提寺(ぼだいじ)でもある大和国(奈良県)の法相宗(ほっそうしゅう)の総本山の興福寺(こうふくじ)である。
東北地方は七道(しちどう)の奥にある道の奥、すなわち陸奥(みちのく)、奥州、奥の細道などと呼ばれ、人々が簡単に入る事の許されない日本の神秘的な奥街道を想像させてくれる。
藤原氏は“仏教文化”に造詣(ぞうけい)が深く興隆(こうりゅう)や繁栄に貢献し、その後、奈良や京都を中心にお寺が日本全国に広まっていく。
これらからも、奥州平泉は“仏教王国”の真髄(しんずい)とも言えよう。
Jackson Browne /♪ EVERYWHERE I GO
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261016 - ラジオの友 URL
2026/10/16 (Fri) 08:30:50
◆◇◆其の五十三:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の藤原氏
白河上皇(しらかわじょうこう/朝廷)は、愛娘の死により白河法皇(しらかわほうおう/朝廷)となる。
地方では寺院などの領地として新しく開墾した土地の荘園(そうえん)が拡大し、権力と財力のある寺院は僧侶を畑仕事が無い時に、武術を学ばせて僧兵に仕立て上げて武装軍隊を組成していた。
この寺院の武装装備に危機感を抱いた平安京の山城政権では、白河法皇(しらかわほうおう/朝廷)と朝廷の協議の上に、八幡太郎(はちまんたろう)こと源義家(みなもとよしいえ/朝廷)を京都の平安京(へいあんきょう/京都)に呼び戻す。
八幡太郎(はちまんたろう)こと源義家(みなもとよしいえ/朝廷)は、武装勢力となった寺院に対して圧力を強める。
一方、九州では乱暴者の源義親(みなもとよしちか/朝廷→対馬)が、肥前国(長崎県)の海域に浮かぶ対馬(つしま)の島々の守護を就いていた時に、九州一帯で略奪を繰り返していた。
朝廷は略奪罪や窃盗罪などで源義親(みなもとよしちか/朝廷→対馬)を讃岐国(香川県)への流罪を命じたが、源義親(みなもとよしちか/朝廷→対馬)はそれを無視して出雲国(島根県)に逃亡して、そこでも悪事を働いていた。
要は根っからの悪人である。
そこで朝廷は父親の八幡太郎(はちまんたろう)こと源義家(みなもとよしいえ/朝廷)に対して、“親権保護責任”として息子の源義親(みなもとよしちか/朝廷→対馬)を征伐する様に命じるも、父親の八幡太郎(はちまんたろう)こと源義家(みなもとよしいえ/朝廷)は出陣する前に亡くなってしまう。
仕方ないので、朝廷は代わりに平正盛(たいらまさもり/朝廷)に源義親(みなもとよしちか/朝廷→対馬)を征伐するよう依頼し、平正盛(たいらまさもり)は桃太郎侍(ももたろうざむらい)として悪党を始末する。
平正盛…『1つ、人の世生き血をすすり、2つ、不埒(ふらち)な悪行三昧、3つ、醜(みにく)い浮世の鬼を退治てくれよう!』
バサッ バサッバサッ
源義親…『ギャ〜〜 やられた〜〜』
ゴロン
源義親(みなもとよしちか/朝廷→対馬)の首級(しゅきゅう)は朝廷に献上され、褒美(ほうび)をたんまりと頂戴した平正盛(たいらまさもり/朝廷)はこの後、大出世を果たしていく。
ちなみに平正盛(たいらまさもり/朝廷)は平清盛(たいらきよもり/朝廷)の祖父にあたる。
ただ、源義親(みなもとよしちか/朝廷→対馬)は実は斬首されておらず、生きている噂が平安京(へいあんきょう/京都)に駆け巡っていたが、その真相は定かではない。
1107年に73代天皇の堀河天皇(ほりかわてんのう/朝廷)が崩御(ほうぎょ)し、第74代天皇の鳥羽天皇(とばてんのう/朝廷)が皇位を即位(そくい)した。
1113年に、山城国(京都府)の東山に建つ清水寺(きよみずでら)が打ち壊しに遭う事件が勃発し、これは近江国(滋賀県)の天台宗(てんだいしゅう)は延暦寺(えんりゃくじ)の僧兵と大和国(奈良県)の法相宗(ほっそうしゅう)は興福寺(こうふくじ)の僧兵の争いに端を発する。
天台宗(てんだいしゅう)は、近江国(滋賀県)の延暦寺(えんりゃくじ)が総本山で、宗祖は伝教大師(でんぎょうだいし)こと最澄(さいちょう/天台宗)、中国大陸の唐(とう)から伝来した日本での仏教の祖。
法相宗(ほっそうしゅう)は、大和国(奈良県)の興福寺(こうふくじ)や薬師寺(やくしじ)が総本山で、宗祖は道昭(どうしょう/法相宗)、三蔵法師(さんぞうほうし)こと玄奘(げんじょう/法相)の『般若心経』や“教え”を汲(く)む。
白河法皇(しらかわほうおう/朝廷)と朝廷の協議の上に、伊豆国(静岡県)守護を務める武将の源光国(みなもとみつくに/朝廷)に天台宗(てんだいしゅう)の延暦寺(えんりゃくじ)を、平正盛(たいらまさもり/朝廷)に法相宗(ほっそうしゅう)の興福寺(こうふくじ)を討伐する様に勅命(ちょくめい)を発布する。
1123年に第74代天皇の鳥羽天皇(とばてんのう/朝廷)は、皇位を第75代天皇の崇徳天皇(すとくてんのう/朝廷)に譲位(じょうい)して鳥羽上皇(とばじょうこう/朝廷)となり山城政権の運営を担う院政(いんせい)を28年間に渡り司(つかさど)った。
平安時代から鎌倉時代に代わる中で、政権運営にも変革が見られた。
それは公家から武士が実権を握る様になる。
藤原氏や橘氏(たちばなうじ)から、源氏や平氏の時代になり、戦国時代に入ると武家政権は絶頂に達する。
THE DOOBIE BROTHERS /♪ YOU'RE MADE THAT WAY
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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261016 - ラジオの友 URL
2026/10/16 (Fri) 08:31:41
◆◇◆其の五十四:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の藤原氏
藤原氏北家(ほっけ)の権威崩壊の鐘が鳴り始めた1068年に、第70代天皇の後冷泉天皇(ごれいぜいてんのう/朝廷)が崩御(ほうぎょ)して、第69代天皇の後朱雀天皇(ごすざくてんのう/朝廷)の息子で皇太子の尊仁親王(たかひとしんのう)こと第71代天皇の後三条天皇(ごさんじょうてんのう/朝廷)が皇位を即位(そくい)する。
この第71代天皇の後三条天皇(ごさんじょうてんのう/朝廷)は、摂関政治の主導権を握り続けてきた藤原氏北家(ほっけ)とは無縁の為に、平安京の朝廷では様々な政策を打ち出す。
先(ま)ずは土地と納税の見直しである。
日本の土地と領民は公地公民(こうちこうみん)により天皇の管轄下に置かれていた。
ただ、中央政権の朝廷から目の届かない地方では、その地域の寺院や豪族が雑木林を開墾(かいこん)して、農地に造成して所有する荘園(しょうえん)となっていた。
この荘園(しょうえん)が日本各地で造成され、寺院や豪族の土地所有権が増加する一方で、天皇の公領(こうりょう)が減少し続けて、更(さら)に荘園(しょうえん)の副作用で納税額も減少していた。
しかも、荘園(しょうえん)を所有する寺院や豪族は、時の権力者でもある藤原道長(ふじわらみちなが/公家)など朝廷で実権を握る公家に、荘園(しょうえん)の所有権を贈与(ぞうよ)していた。
荘園(しょうえん)の贈与(ぞうよ)と言うよりも、現代で言う信託(しんたく)に近い。
脱税の仕組みはこうだっ!
先(ま)ず、荘園(しょうえん)を所有する寺院や豪族は、所有権の名義を藤原道長(ふじわらみちなが/公家)に移転して変更する。
ただ、実質の荘園(しょうえん)の収益は寺院や豪族のままである。
その代わりに、藤原道長(ふじわらみちなが/公家)には信託権として名義使用料を支払う。
この荘園(しょうえん)に、朝廷の役人(税務員)が査察に来て納税通知を出しても、所有権の名義人が藤原道長(ふじわらみちなが/公家)だったら、納税通知の督促状を送達し難(にく)い。
こうして脱税の御触(おふれ)が発行されないまま、寺院や豪族と藤原道長(ふじわらみちなが/公家)は、紐帯(ちゅうたい)の関係となる。
一方、獅子身中の虫(しししんちゅうのむし)の愚昧(ぐまい)が蔓延(はびこ)り、公領(こうりょう)と納税の減少となる天皇と朝廷である。
此処(ここ)に楔(くさび)を打ったのが、藤原氏北家(ほっけ)の既得権益と何のしがらみも無い第71代天皇の後三条天皇(ごさんじょうてんのう/朝廷)だった。
それは1069年に実施した「延久の荘園整理令」(えんきゅうのしょうえんせいりれい)の勅命(ちょくめい)である。
具体的な内容は、日本全国の荘園(しょうえん)を検地(けんち)して、調査により敷地面積や登記簿などに不備が有れば、所有権は抹消されて公領(こうりょう)に所有権移転登記して公地に戻していった。
また、日本の公地は天皇の管轄下ではあるが、土地の所有権は取得できない為に、朝廷による脱法行為で上皇ならば土地の所有権は取得できると解釈して、皇室の土地を拡大させていった。
Don Henley /♪ THE END OF INNOCENCE
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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261016 - ラジオの友 URL
2026/10/16 (Fri) 08:32:32
◆◇◆其の五十五:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の藤原氏
そんな第71代天皇の後三条天皇(ごさんじょうてんのう/朝廷)にも、世代交代の時期が迫ってきた。
皇太子は息子の貞仁親王(さだひとしんのう)が就任して、後々の第72代天皇の白河天皇(しらかわてんのう/朝廷)となる。
ただ、もう1人の息子が居り実仁親王(さねひとしんのう/朝廷)で、父親の後三条天皇(ごさんじょうてんのう/朝廷)はどちらかと言うと、この実仁親王(さねひとしんのう/朝廷)が可愛かった。
その為に後々は実仁親王(さねひとしんのう/朝廷)に、天皇の皇位を就いて欲しいと願っていた。
1073年に、第71代天皇の後三条天皇(ごさんじょうてんのう/朝廷)は、息子で貞仁親王(さだひとしんのう)こと第72代天皇の白河天皇(しらかわてんのう/朝廷)に皇位を譲位(じょうい)する。
そして、もう1人の息子の実仁親王(さねひとしんのう/朝廷)を皇太子に就任させる。
息子の天皇と皇太子を補佐する父親の第71代天皇の後三条上皇(ごさんじょうじょうこう/朝廷)として、元祖の院政(いんせい)を始める。
しかし、同年の1073年に、第71代天皇の後三条上皇(ごさんじょうじょうこう/朝廷)は薨御(こうぎょ)して、院政(いんせい)の政治体制は幻(まぼろし)に終わる。
此処(ここ)で問題となるのが、第72代天皇の白河天皇(しらかわてんのう/朝廷)の弟の実仁親王(さねひとしんのう/朝廷)が、次期天皇候補の皇太子に就いていた事である。
第72代天皇の白河天皇(しらかわてんのう/朝廷)としては、息子の善仁親王(たるひとしんのう)に皇太子に就いて次期天皇になってもらいたいと願っていた。
その願いが通じたのか、弟で皇太子の実仁親王(さねひとしんのう/朝廷)が、病気で薨去(こうきょ)したのである。
そこで間髪入(かんぱつい)れずに第72代天皇の白河天皇(しらかわてんのう/朝廷)は動いた。
Michael McDonald /♪ I GOTTA TRY
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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261016 - ラジオの友 URL
2026/10/16 (Fri) 08:33:24
◆◇◆其の五十六:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の藤原氏
1087年に息子の善仁親王(たるひとしんのう)を皇太子に即位(そくい)させて、そのまま第72代天皇の白河天皇(しらかわてんのう/朝廷)は、善仁親王(たるひとしんのう)こと第73代天皇の堀河天皇(ほりかわてんのう/朝廷)を皇位に譲位(じょうい)する。
これにて白河上皇(しらかわじょうこう/朝廷)に就き、朝廷の政権運営の実権を握るつもりだった。
しかし、この皇位人事で得をする者が現れた。
それは低迷していた藤原氏北家(ほっけ)である。
白河上皇(しらかわじょうこう/朝廷)の妻は、中宮(ちゅうぐう)の藤原賢子(ふじわらけんし/公家→朝廷)で、その息子が第73代天皇の堀河天皇(ほりかわてんのう/朝廷)である。
藤原賢子(ふじわらけんし/公家→朝廷)とは、源顕房(みなもとあきふさ/朝廷)の娘で、藤原師実(ふじわらもろざね/公家)の養子に入っていた。
これにより藤原師実(ふじわらもろざね/公家)が、第73代天皇の堀河天皇(ほりかわてんのう/朝廷)の祖父で外戚(がいせき)となり、再び藤原氏北家(ほっけ)による摂関政治が始まる事になる。
藤原師実(ふじわらもろざね/公家)とは、藤原教通(ふじわらのりみち/公家)の息子だが、子供のできない正室で愛妻の隆姫女王(たかひめじょおう/朝廷→公家)に配慮して養子に出されており、家督継承者として呼び戻され、更(さら)に藤原賢子(ふじわらけんし/公家→朝廷)の義父となった。
次に藤原師実(ふじわらもろざね/公家)の息子の藤原師通(ふじわらもろみち/公家)が、藤原氏北家(ほっけ)および摂関政治の権力を引き継いだが、その直(す)ぐ後に死去してしまう。
続いて藤原師通(ふじわらもろみち/公家)の息子の藤原忠実(ふじわらただざね/公家)が、藤原氏北家(ほっけ)および摂関政治の権力を引き継いだが、急な家督継承だった為に能力も実力も伴っていなかった。
結局、第73代天皇の堀河天皇(ほりかわてんのう/朝廷)と関白の藤原忠実(ふじわらただざね/公家)が司(つかさど)る朝廷の政権運営は、白河上皇(しらかわじょうこう/朝廷)が実権を握り院政(いんせい)を本格的に開始させる。
これにより藤原氏北家(ほっけ)の権威は完全に失墜(しっつい)して、院政(いんせい)の時代に入り、そして朝廷が利用した武士の時代へと代わっていく。
蝋燭(ロウソク)が消える寸前に炎を増して燃え盛る“最後の灯火(ともしび)”とは、よく例えたものである。
院政(いんせい)の名称は、白河上皇(しらかわじょうこう/朝廷)が平安京(へいあんきょう/京都)に隣接した東方の白河院(しらかわいん)で政権運営を実施した事から名付けられた。
Glenn Frey/♪ SOUL SEARCHING
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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261016 - ラジオの友 URL
2026/10/16 (Fri) 08:34:13
◆◇◆其の五十七:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の藤原氏
第72代天皇の白河天皇(しらかわてんのう/朝廷)は、近江国(滋賀県)の大津に建つ天台宗(てんだいしゅう)の園城寺(おんじょうじ)こと三井寺(みいでら)に御願い事に出向く。
園城寺(おんじょうじ)こと三井寺(みいでら)は、飛鳥時代の「大化の改新」の中大兄皇子(なかのおおえのみこ)こと第38代天皇の天智天皇(てんぢてんのう)と、「壬申の乱」の大海人皇子(おおあまのみこ)こと第40代天皇の天武天皇(てんむてんのう)と、その妻の鸕野讃良(うののさらら)こと第41代天皇の持統天皇(じとうてんのう/女皇)に所縁(ゆかり)のある寺院でもある。
この園城寺(おんじょうじ)こと三井寺(みいでら)の住職だった頼豪(らいごう/僧侶)に、第72代天皇の白河天皇(しらかわてんのう/朝廷)は御子息誕生を懇願(こんがん)した。
園城寺(おんじょうじ)こと三井寺(みいでら)の頼豪(らいごう/僧侶)の祈祷の効果で、第72代天皇の白河天皇(しらかわてんのう/朝廷)と妻の藤原賢子(ふじわらけんし/公家→朝廷)の間には敦文親王(あつふみしんのう/朝廷)が誕生した。
第72代天皇の白河天皇(しらかわてんのう/朝廷)は、頼豪(らいごう/僧侶)に対して所望(しょもう)を叶えると伝えた。
頼豪(らいごう/僧侶)は、園城寺(おんじょうじ)こと三井寺(みいでら)に戒律を授ける場所の戒壇(かいだん)を設けて欲しいと切望(せつぼう)した。
こうして第72代天皇の白河天皇(しらかわてんのう/朝廷)は、頼豪(らいごう/僧侶)への御礼として園城寺(おんじょうじ)こと三井寺(みいでら)に戒律を授ける場所の戒壇(かいだん)を設ける為に、近江国(滋賀県)の比叡山に建つ天台宗(てんだいしゅう)の延暦寺(えんりゃくじ)に相談に行く。
ところが延暦寺(えんりゃくじ)の対応は、同じ天台宗(てんだいしゅう)の園城寺(おんじょうじ)こと三井寺(みいでら)に、律宗(りっしゅう)の教えの戒律学を日本に広めた中国大陸の唐(とう)の高貴な僧侶の鑑真和上(がんじんわじょう)こと鑑真(がんじん/律宗)、それに御釈迦様(仏陀)や最澄(さいちょう/天台宗)の聖域でもある戒壇(かいだん)を安易(あんい)に設ける事はできないと言われ反対される。
ただでさえ延暦寺(えんりゃくじ)に戒壇(かいだん)を設けた際に、大和国(奈良県)の南都六宗(なんとろくしゅう)に猛反発を喰(く)らった経緯(いきさつ)がある天台宗(てんだいしゅう)である。
困った第72代天皇の白河天皇(しらかわてんのう/朝廷)は、そのまま延暦寺(えんりゃくじ)の返答を頼豪(らいごう/僧侶)に告げる。
こうして怒り狂った頼豪(らいごう/僧侶)は、園城寺(おんじょうじ)こと三井寺(みいでら)で断食の修行に入り、1084年に命尽(いのちつ)きたところで怨霊の鉄鼠(てっそ/妖怪)に化けた。
鉄鼠(てっそ/妖怪)となった頼豪(らいごう/僧侶)は、先(ま)ずは比叡山の延暦寺(えんりゃくじ)に行って、大切な経典やお経を嚙(かじ)り破いて捨てた。
次に平安京(へいあんきょう/京都)に往訪(おうほう)し、第72代天皇の白河天皇(しらかわてんのう/朝廷)の息子の敦文親王(あつふみしんのう/朝廷)を、呪詛(じゅそ)を操り呪い祟って命を奪い去った。
藤原賢子…『あんたぁ大変、敦文(あつふみ)が布団の中で死んでるわぁ! それに顔の上にはこんなモノが置いてあったのぉ。』
⦅ねずみ小僧、参上!⦆
白河天皇…『なぁ、なんやぁこれはぁ!? 先日、断食修行して亡くなった三井寺(みいでら)の頼豪(らいごう/僧侶)の怨念に違いない!』
これにより第72代天皇の白河天皇(しらかわてんのう/朝廷)は、近江国(滋賀県)の比叡山に建つ天台宗(てんだいしゅう)の延暦寺(えんりゃくじ)の高貴な僧侶に御相談しに行く。
早速、高貴な僧侶が祈祷を始めると、第72代天皇の白河天皇(しらかわてんのう/朝廷)へ妻の藤原賢子(ふじわらけんし/公家→朝廷)から伝達が入った。
藤原賢子…『あんたぁ、また赤ちゃんが出来たみたい!』
白河天皇…『おおっ! でかしたぞぉ!』
此れにより第72代天皇の白河天皇(しらかわてんのう/朝廷)は、こう思った。
白河天皇…『こんな事だったら、最初から延暦寺(えんりゃくじ)に相談すればよかった。』
その後、第72代天皇の白河天皇(しらかわてんのう/朝廷)と妻の藤原賢子(ふじわらけんし/公家→朝廷)の間に誕生したのが善仁親王(たるひとしんのう)で、後々の第73代天皇の堀河天皇(ほりかわてんのう/朝廷)となる。
Patrick Simmons/♪ Why You Givin' Up
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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261016 - ラジオの友 URL
2026/10/16 (Fri) 08:35:05
◆◇◆其の五十八:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の藤原氏
飛鳥時代と奈良時代にから続いてきた黎明期の仏教は、平安時代のこの頃には成熟期に入り、仏教の開祖であるインドの御釈迦様(仏陀)や中国大陸の隋(ずい)で生まれた三蔵法師(さんぞうほうし)こと玄奘(げんじょう/法相)の教えなど、どこ吹く風である。
ある意味、寺院の僧兵が武士よりも早く武装集団として組織化された。
そんな僧兵を、畿内(きない/関西)では“南都北嶺”(なんとほくれい)と呼ばれる。
“南都”(なんと)とは、大和国(奈良県)にある法相宗(ほっそうしゅう)の興福寺(こうふくじ)の事で、そこに配備された僧兵を奈良法師(ならほうし)と呼んだ。
藤原氏の氏神(うじがみ)でもある春日大社(かすがたいしゃ)の御神木(ごしんぼく)を持ち出して、仏教や寺院の要求や立場を朝廷を突き付ける。
藤原氏が多く務める朝廷では、どんな理不尽な要求も飲まざる得ない。
一方、“北嶺”(ほくれい)とは、近江国(滋賀県)にある天台宗(てんだいしゅう)の延暦寺(えんりゃくじ)の事で、そこに配備された僧兵を山法師(やまほうし)と呼んだ。
大津にある日吉神社(ひよしじんじゃ/坂本)の御神輿(おみこし/しんよ)を担いで練り歩き、仏教や寺院の要求や立場を朝廷を突き付ける。
出雲国(島根県)に建つ出雲大社の主祀で大穴牟遅神(オオナムチ)こと大国主(オオクニヌシ)と、山の地主神や農業の治水を司る神の大山咋神(オオヤマクイノカミ)を祀(まつ)る日吉神社(ひよしじんじゃ/坂本)の御神輿(おみこし/しんよ)を前にすれば、日本神話から継承される天皇家では、どんな理不尽な要求も飲まざる得ない。
特に延暦寺(えんりゃくじ)には、武器を持った多くの僧兵が配備されていた。
その中に源義経(みなもとよしつね/鎌倉→藤原)に仕える武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい/僧侶)も所属していた。
因(ちな)みに夢を打(ぶ)ち壊す様な事を申し上げますと、源義経(みなもとよしつね/鎌倉→藤原)と武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい/僧侶)が生きた平安時代末期には、京都の鴨川に五条大橋(国道1号線)はまだ架かっていなかった。
1571年に“天下統一”を目前にした尾張国(愛知県)の戦国武将である織田信長(おだのぶなが/織田)が、明智光秀(あけちみつひで/織田→明智)などに命じて天台宗(てんだいしゅう)の延暦寺(えんりゃくじ)に居た僧侶や僧兵、女性や子供まで撫斬り(なでぎり/根切り)した「比叡山焼き討ち」は、この平安時代から続く宗教や寺院の事情が重なっている。
此れにより日本の歴史で、織田信長(おだのぶなが/織田)は“残虐”(ざんぎゃく)や“残忍”(ざんにん)と言う曲学阿世(きょくがくあせのと)を植え付けたが、それは浅学非才(せんがくひさい)な者が認識する歴史の一編(いっぺん)でしかない。
第72代天皇の白河天皇(しらかわてんのう/朝廷)が後々に白河上皇(しらかわじょうこう/朝廷)に就いた時の逸話(いつわ)がある。
第72代天皇の白河上皇(しらかわじょうこう/朝廷)は、“天下三不如意”(てんかさんふにょい)を嘆(なげ)いた。
白河上皇…『いつも増水する“賀茂川の水”、サイコロの目を出す“雙六の賽”(すごろくのさい)、近江国(滋賀県)の比叡山(ひえいざん)に建つ延暦寺(えんりゃくじ)の天台宗(てんだいしゅう)に仕える僧兵の“山法師”は、朕(ちん)の思いのままにならぬ。』
それ位に、神様や仏様を前面に打ち出した宗教団体の僧兵は悪逆無道(あくぎゃくむどう)であった逸話(いつわ)である。
Eagles /♪ HOLE IN THE WORLD
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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261016 - ラジオの友 URL
2026/10/16 (Fri) 08:35:56
◆◇◆其の五十九:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の藤原氏
平安京(へいあんきょう/京都)の治安が悪くなると、人々は山城国(京都府)の宇治に建立(こんりゅう)された平等院(びょうどういん)の鳳凰堂(ほうおうどう)で教えられる、仏教の開祖であるインドの御釈迦様(仏陀)が説いた、この世には善人が居なくなり、悪人だけが生き残り世紀末を迎えると言う末法思想(まっぽうしそう)を信じる様になり、黄泉の国(よみのくに/天国)と言われる極楽浄土(ごくらくじょうど)に受け入れてもらう事を願う様になる。
そこから紀伊国(和歌山県)の南部を巡る“熊野詣”(くまのもうで)が大流行する。
熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ/田辺)は未来の信仰し祈願する。
熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ/新宮)は過去の信仰し祈願する。
熊野那智大社(くまのなちたいしゃ/勝浦)は現在の信仰し祈願する。
この熊野三社に祀られるのが“導きの神様”の八咫烏(ヤタガラス)である。
八咫烏(ヤタガラス)とは、本来の姿は葛城国造(かずらきのくにのみやつこ)の先祖の賀茂建角身命(カモタケツヌミノミコト)であり賀茂氏の祖となる。
第1代天皇の神武天皇(じんむてんのう)となる神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレヒコ)と神武東征団(じんむとうせいだん)を、紀伊国(和歌山県)から大和国(奈良県)の橿原(かしはら)まで案内した。
八咫烏(ヤタガラス)は3本脚の烏で、3本は天・地・人を表し、宇陀(うだ)の八咫烏神社(やたがらすじんじゃ)と上賀茂神社と下鴨神社の祭祀となり、“勝利に導く神様”として日本サッカー協会のマークでも有名となった。
これにより平安京(へいあんきょう/京都)の近郊に住む京町人や、畿内(きない/関西)周辺の町人などが挙(こぞ)って八咫烏(ヤタガラス)に導かれ、京都の平安京(へいあんきょう/京都)からの通り道は熊野街道(くまのかいどう)として整備して発展し、行列の様に引っ切りなしに人々が通るから“蟻の熊野詣”(ありのくまのもうで)と呼ばれた。
その熊野街道(くまのかいどう)には王子(おうじ)と呼ばれる神社が幾(いく)つも創建され、その神社の多さから“九十九王子”(くじゅうくおうじ)と名付けられた。
この“熊野詣”(くまのもうで)には、町人だけでなく皇族や公家なども八咫烏(ヤタガラス)によって導かれた。
御利益があると知れば当然に、平安京(へいあんきょう/京都)で院政(いんせい)を司(つかさど)る上皇も導かれ、白河上皇(しらかわじょうこう/朝廷)は9回、鳥羽上皇(とばじょうこう/朝廷)は21回、後白河上皇(ごしらかわじょうこう/朝廷)は34回も行幸(ぎょうこう)に出掛けている。
Glenn Frey/♪ TRUE LOVE
◆ラジオの友◆
Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20261016 - ラジオの友 URL
2026/10/16 (Fri) 08:36:49
◆◇◆其の六十:飛鳥時代〜奈良時代〜平安時代、一番の偉人を決定する藤原氏選手権◆◇◆
●平安時代の藤原氏
平安京(へいあんきょう/京都)の朝廷では藤原氏北家(ほっけ)の摂関政治が崩壊して、その後の院政(いんせい)とは、どのように始まったのか?
院政(いんせい)が始まる前の朝廷では、天皇が政権運営を司(つかさど)り、天皇の代わりに政治を司(つかさど)る摂政(せっしょう)と天皇の政治を補佐する関白(かんぱく)が代わりに政権運営を実施する摂関政治となる。
摂関政権に就けるのは藤原氏北家(ほっけ)の天皇の母親方の祖父が就く外戚(がいせき)が基本である。
現代で言うと、摂政(せっしょう)は依頼者の代理権を持つ弁護士などの代理人、関白(かんぱく)は依頼者の代理権を持たない請負者や受託者と思っていい。
ただ、平安時代の摂関政治では摂政(せっしょう)であろうと関白(かんぱく)であろうと、権限範囲の線引きはされておらず、何方(どちら)でもよい曖昧な役職である。
何方(どちら)であろうと、要は藤原氏北家(ほっけ)である。
そんな朝廷の決定事項を日本各地の地方に伝達して、そこの国司(こくし)に統治させる。
この政権の流れを残したまま、天皇を退位した上皇(じょうこう)が朝廷の上に就いて実権を統治したのが院政(いんせい)である。
朝廷とは別の院庁を設けて、そこで政権の政策(案)を作成して、その政策(案)を上皇(じょうこう)が勅許(ちょきょ)したら、院宣(いんぜん)を出して政策(案)を院近臣(いんのきんしん)が朝廷に指示する。
ただし、退位した天皇は上皇(じょうこう)となるが、誰でも院政(いんせい)に就ける訳ではない。
倭国(日本)で天皇に就任できるのはたった1人だが、その天皇が退位して上皇(じょうこう)に就けば、その上皇(じょうこう)が薨御(こうぎょ)するまで、次の上皇(じょうこう)も就任して増加していく。
ただ、院政(いんせい)で政権運営を担うのは1人の上皇(じょうこう)だけである。
その為に院政(いんせい)の上皇(じょうこう)を“治天の君”(ちてんのきみ)と呼ぶ。
その院政(いんせい)の実権を握ったのが、1087年の第72代天皇だった白河上皇(しらかわじょうこう/朝廷)、1129年の第74代天皇だった鳥羽上皇(とばじょうこう/朝廷)、1158年の第77代天皇だった後白河上皇(ごしらかわじょうこう/朝廷→天皇)である。
解り易い様に簡単な皇位継承の流れを見よう。
1073年に第72代天皇の白河天皇(しらかわてんのう/朝廷)が就任する。
1087年に第73代天皇の堀河天皇(ほりかわてんのう/朝廷)が就任する。
これで白河上皇(しらかわじょうこう/朝廷)は“治天の君”(ちてんのきみ)となり院政(いんせい)を始める。
1107年に第73代天皇の堀河天皇(ほりかわてんのう/朝廷)が崩御(ほうぎょ)する。
1107年に第74代天皇の鳥羽天皇(とばてんのう/朝廷)が就任する。
院政(いんせい)の“治天の君”(ちてんのきみ)は白河上皇(しらかわじょうこう/朝廷)のままである。
1123年に第75代天皇の崇徳天皇(すとくてんのう/朝廷)が就任する。
これで鳥羽上皇(とばじょうこう/朝廷)となるが、院政(いんせい)の“治天の君”(ちてんのきみ)は白河上皇(しらかわじょうこう/朝廷)のままである。
1129年に白河上皇(しらかわじょうこう/朝廷)が薨御(こうぎょ)し、鳥羽上皇(とばじょうこう/朝廷)が“治天の君”(ちてんのきみ)となり院政(いんせい)を始める。
1142年に第76代天皇の近衛天皇(このえてんのう/朝廷)が就任する。
これで崇徳上皇(すとくじょうこう/朝廷)となるが、院政(いんせい)の“治天の君”(ちてんのきみ)は鳥羽上皇(とばじょうこう/朝廷)のままである。
1155年に第76代天皇の近衛天皇(このえてんのう/朝廷)が崩御(ほうぎょ)する。
1155年に第77代天皇の後白河天皇(ごしらかわてんのう/朝廷→天皇)が就任する。
院政(いんせい)の“治天の君”(ちてんのきみ)は、鳥羽上皇(とばじょうこう/朝廷)のままである。
1156年に鳥羽上皇(とばじょうこう/朝廷)が薨御(こうぎょ)する。
1156年に「保元の乱」(ほうげんのらん)が起こり、一時、院政(いんせい)の“治天の君”(ちてんのきみ)は不在となる。
1158年に第78代天皇の二条天皇(にじょうてんのう/朝廷)が就任する。
これで後白河上皇(ごしらかわじょうこう/朝廷)は“治天の君”(ちてんのきみ)となり院政(いんせい)を始める。
1160年に「平治の乱」(へいじのらん)が起こる。
1192年に後白河上皇(ごしらかわじょうこう/朝廷)が薨御(こうぎょ)する。
この後から征夷大将軍1代目に就任した源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)により、相模国(神奈川県)にて武家政権が担う鎌倉幕府となる。
Eagles /♪ DESPERADO
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2026/10/15 (Thu) 15:36:40
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