都市空間計画区域

168431
名前
件名
メッセージ
画像
メールアドレス
URL
編集/削除キー (半角英数字のみで4~8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

今日の1枚、お薦めレコード/20250627 - ラジオの友 URL

2025/06/27 (Fri) 05:47:59

◆◇◆其の三十七:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

1603年に征夷大将軍1代目に就任した徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)は、武蔵国(東京都)の江戸城(えどじょう)にて江戸幕府を開設した。

既に高齢に差し掛かっていた徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)に取って、懸念材料は後継者問題だった。

過去の幕府を参考にしても、鎌倉幕府の源氏は3代目で崩壊して、室町幕府は足利氏が15代目まで続いたとは言え征夷大将軍3代目の足利義満(あしかがよしみつ/室町)が絶頂期と診(み)ている。

末永く徳川家の江戸幕府が繁栄するには、征夷大将軍を中心とした勢力基盤が必要だった。

そこで徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)は、嫡流(ちゃくりゅう)の将軍家の他に、庶流(しょりゅう)の徳川御三家(とくがわごさんけ)を設ける。

常陸国(ひたち/茨城県)の水戸城(みとじょう)を拠点とした35万石の水戸徳川家。

尾張国(愛知県)の名古屋城(なごやじょう)を拠点とした62万石の尾張徳川家。

紀伊国(和歌山県)の和歌山城(わかやまじょう)を拠点とした56万石の紀州徳川家。

こう視ても、嫡流(ちゃくりゅう)の将軍家が途絶えたとしても、徳川御三家(とくがわごさんけ)の石高や勢力基盤から尾張徳川家より征夷大将軍が就任すると思われるが、実は1人も征夷大将軍に就いた人物はいない。

しかも“暴れん坊将軍”と呼ばれる征夷大将軍8代目の徳川吉宗(とくがわよしむね/徳川)からは、ほぼ紀州徳川家から征夷大将軍に就任している。

しかも徳川吉宗(とくがわよしむね/徳川)は、東照大権現(とうしょうだいごんげん)の徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)に倣(なら)って徳川御三卿(とくがわごさんきょう)の田安徳川家と一橋徳川家と清水徳川家を設けて、征夷大将軍の就任を紀州徳川家で独占した。

これが“暴れん坊将軍”と呼ばれる所以(ゆえん)である。

では、江戸幕府の中で尾張徳川家は影が薄かったのか?

そんな事はない。

ある意味、征夷大将軍を輩出(はいしゅつ)しなくとも、尾張徳川家の人材はそれなりに存在感を出している。

良くも悪くもだが。

GERARD KENNY /♪ D-D-D-DANCIN'

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250627 - ラジオの友 URL

2025/06/27 (Fri) 05:49:21

◆◇◆其の三十八:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

江戸城(えどじょう)の西方を守護する市ヶ谷の尾張徳川家の屋敷だが、そのまた西方に同規模の尾張徳川家の屋敷がある。

現在で言う新大久保駅から高田馬場駅の東方に掛けてだが、この屋敷跡地は早稲田大学などになっている。

1603年の江戸幕府の開設により、徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)の息子の徳川義直(とくがわよしなお/徳川→尾張)が尾張名古屋藩の1代目藩主に就任した。

その息子の徳川光友(とくがわみつとも/徳川)が2代目藩主となる。

そして、その息子の徳川綱誠(とくがわつなのぶ/尾張)が3代目藩主となるのだが、このお殿様の側室に入ったお福こと本寿院(ほんじゅいん/尾張)が江戸幕府を揺るがす程の女性だった。

お福こと本寿院(ほんじゅいん/尾張)は名古屋城下町の町人の娘と言われ、名古屋城(なごやじょう)の界隈では“絶世の美女”で名高く、3代目藩主の徳川綱誠(とくがわつなのぶ/尾張)に見初(みそ)められ側室に入った。

そして、後々の4代目藩主に就任する徳川吉通(とくがわよしみち/尾張)が誕生する。

そんな母親のお福こと本寿院(ほんじゅいん/尾張)は大の交尾(こうび)好きで、侍従(じじゅう)だろうが、家臣だろうが、傍(そば)に居る男性なら手当たり次第に交わったと古文書には記述されている。

過去の事で史実の正誤は解らないし、プライベートな事なので他人がとやかく言う権利は無いのだが、事実無根の噂(うわさ)だったとしても、江戸幕府と尾張徳川家としては品位に関わる。

その為に人目を避ける様に江戸の尾張徳川家の四谷御殿(紀尾井町)に幽閉した。

ただ、事はこれで収(おさ)まらず、今度は4代目藩主に就いた息子の徳川吉通(とくがわよしみち/尾張)が、1713年に母親が暮らす尾張徳川家の四谷御殿(紀尾井町)で毒殺された。

江戸幕府の次期将軍候補だった徳川吉通(とくがわよしみち/尾張)は、紀州徳川家の“暴れん坊将軍”と呼ばれる徳川吉宗(とくがわよしむね/徳川)が仕向けた間者(かんじゃ/スパイ)により暗殺されたと噂(うわさ)が立つ。

しかも、徳川吉通(とくがわよしみち/尾張)の息子で5代目藩主に就任した徳川五郎太(とくがわごろうた/尾張)も、1713年に3歳で早世した。

尾張徳川家の親子2代に渡り亡き者にする徳川吉宗(とくがわよしむね/徳川)が、“暴れん坊将軍”と呼ばれる所以(ゆえん)である。

そして3代目藩主の徳川綱誠(とくがわつなのぶ/尾張)の息子の徳川継友(とくがわつぐとも/尾張)が6代目藩主に就任した。

しかし、1731年に後継者不在のまま徳川継友(とくがわつぐとも/尾張)は病死する。

そこで登場したのが3代目藩主の徳川綱誠(とくがわつなのぶ/尾張)の息子で、尾張徳川家では一番に有名人である7代目藩主の徳川宗春(とくがわむねはる/尾張)である。

JOHN VALENTI /♪ I WON'T CHANGE

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250627 - ラジオの友 URL

2025/06/27 (Fri) 05:50:23

◆◇◆其の三十九:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

江戸から350kmほど離れた尾張国(愛知県)の尾張名古屋藩では、征夷大将軍8代目の徳川吉宗(とくがわよしむね/徳川)が遂行する“質素倹約”の「享保の改革」(きょうほうのかいかく)とは様子が違っていた。

金色に輝く鯱鉾(シャチホコ)が眩(まばゆ)い名古屋城(なごやじょう)には、尾張名古屋藩の7代目藩主で東海道で一番の傾奇者(かぶきもの/異端者)と呼ばれた徳川宗春(とくがわむねはる/徳川)が煙管(きせる)を吹かしていた。

そこに1人の年老いた家老が押し寄せる。

家老…『殿、わたしは悔しいで御座るよ!』

徳川宗春…『おやぁ、どうした爺(じい)、そんな哀しいお顔をして?』

フゥ〜〜 プッパァ〜

家老…『征夷大将軍8代目に襲名した徳川吉宗殿と紀州徳川家の事で御座るよっ!』

徳川宗春…『ほぉ、紀州の“梅干し将軍”が如何(いかが)したのか?』

家老…『今、江戸幕府に潜り込ませている間者(かんじゃ/スパイ)から報告があったのじゃが、殿の兄上でもある徳川吉通公と、その御子息の徳川五郎太公は如何(どう)やら、紀州徳川家に暗殺された痕跡が見受けられると申すのである。』

プハッ

徳川宗春…『なにぃ〜!? どう言う事じゃ!』

家老…『実は徳川吉通公が亡くなる前後に、数名の紀州徳川家の間者(かんじゃ/スパイ)が名古屋城下町をウロウロしていた目撃情報が入りましたのじゃ。』

徳川宗春…『兄者(あにじゃ)と御子息を殺(あや)めたのは、その紀州徳川家の間者(かんじゃ/スパイ)だと申すのか!?』

家老…『確たる証拠は御座らんが、その8年前の同時期にも紀州の和歌山城で徳川吉宗殿の父上と2人の兄上が亡くなり、棚から牡丹餅(ぼたもち)の如(ごと)く紀州藩(和歌山)の藩主に就任しておる。』

徳川宗春…『その後、徳川吉宗殿は棚から牡丹餅(ぼたもち)の如(ごと)く江戸幕府の征夷大将軍にも就任しておるな。』

家老…『決して偶然とは思えんのじゃ! その将軍後継者闘争で徳川吉通公と徳川五郎太公が殺(あや)められたと思うと、悔しゅ〜て、悔しゅ〜て、夜も眠れんのじゃ。』

徳川宗春…『それが事実としたら、徳川吉宗殿は本物の“暴れん坊将軍”ではないかっ!』

家老…『神君(しんくん/徳川家康)のお膝元の尾張徳川家も、紀州徳川家に舐められたものじゃ。』

徳川宗春…『おのれぇ〜 兄者(あにじゃ)の怨みを晴らしてやるっ!』

家老…『殿、いけませぬぞぉ、復習など! 仮にも相手は江戸幕府の征夷大将軍である。 謀反(むほん)を起こせば尾張名古屋藩の領地没収の改易(かいえき)どころか、尾張徳川家の“お家取潰し”は免れぬぞぉ。』

徳川宗春…『そんなぁ戯(たわ)けた事はせぬわぁ。 徳川吉宗殿の江戸幕府が「享保の改革」(きょうほうのかいかく)で質素倹約するなら、尾張名古屋はその逆目を行くまでよぉ!』

家老…『逆目とは、如何(いか)に?』

徳川宗春…『爺(じい)、忙しくなるぞっ! 鼓(つづみ)を持てぇ〜』

ポン ポンポンポンポン ポン

徳川宗春…『人間(じんかん)五十年、下天(げてん)のうちを比ぶれば、夢幻(ゆめまぼろし)の如くなり、一度(ひとたび)生(せい)を享(う)け、滅(めっ)せぬもののあるべきか。』(敦盛/あつもり)

家老…『お見事!』

徳川宗春…『平敦盛公、織田信長公も若くして散っておる、兄者(あにじゃ)の復習を果たせれば、この命、惜しい無い! 現生にしがみ付く見苦しい老人だけには成りとおないわぁい。』

SEAWIND /♪ HE LOVES YOU

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250627 - ラジオの友 URL

2025/06/27 (Fri) 05:51:22

◆◇◆其の四十:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

ここで一旦、整理しよう。

征夷大将軍8代目の徳川吉宗(とくがわよしむね/徳川)が、まだ紀伊国(和歌山県)の紀州藩(和歌山)の和歌山城(わかやまじょう)で生活を送っていた青年期の事である。

1698年、父親で2代目藩主だった徳川光貞(とくがわみつさだ/紀州)が、長男の徳川綱教(とくがわつなのり/紀州)へ3代目藩主を継承した。

ところが7年後の1705年7月に病により徳川綱教(とくがわつなのり/紀州)が死去する。

ここの死因には疑う余地は無い。

後継者の居なかった徳川綱教(とくがわつなのり/紀州)なので、4代目藩主として引き継いだのは次男の徳川頼職(とくがわよりもと/紀州)だった。

その年の1705年9月に、父親で2代目藩主だった徳川光貞(とくがわみつさだ/紀州)が78歳で亡くなる。

この時代の高齢を考えると長寿のため、ここの死因には疑う余地は無いが、あまりにも息子の死期に近い事が怪しさを醸し出している。

問題は1705年10月に4代目藩主の徳川頼職(とくがわよりもと/紀州)が、父親と兄を追う様に死去した事である。

立て続けに家族3人が同時期に亡くなるのは、不自然極まりない。

妻子の無かった徳川頼職(とくがわよりもと/紀州)なので、5代目藩主として就任したのは四男の徳川吉宗(とくがわよしむね/徳川)である。

ここで一番に恩恵に与(あずか)ったのが誰なのか?

CECILIO & KAPONO /♪ SOMEDAY

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250627 - ラジオの友 URL

2025/06/27 (Fri) 05:52:18

◆◇◆其の四十一:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

そして舞台は武蔵国(東京都)の江戸幕府に移り、征夷大将軍6代目の徳川家宣(とくがわいえのぶ/徳川)が病床に伏せ、医者からは生(お)い先短いと宣言される。

その為、徳川家宣(とくがわいえのぶ/徳川)と正室の近衛熙子(このえひろこ)こと天英院(てんえいいん/朝廷→徳川)は、考えに考え抜き次期将軍候補者を尾張徳川家で尾張名古屋藩の4代目藩主の徳川吉通(とくがわよしみち/尾張)を指名している。

その遺言を残して1712年に徳川家宣(とくがわいえのぶ/徳川)が50歳で亡くなる。

ところが、ここに旗本の新井白石(あらいはくせき/江戸)が猛反対して、徳川家宣(とくがわいえのぶ/徳川)の嫡男(ちゃくなん)でまだ4歳だった徳川家継(とくがわいえつぐ/徳川)を推薦する。

ここには徳川家宣(とくがわいえのぶ/徳川)の側室で、徳川家継(とくがわいえつぐ/徳川)の母親の勝田輝子(かつたてるこ)こと月光院(げっこういん/徳川)と、側用人(そばようにん)の間部詮房(まなべあきふさ/江戸)の意向が見え隠れする。

そんな時に尾張名古屋藩では、将軍候補者に名前が挙がっていた4代目藩主の徳川吉通(とくがわよしみち/尾張)が、1713年に尾張徳川家の江戸にある四谷御殿(紀尾井町)で、食事中に急に苦しみだし突然死してしまったのである。

さらに、尾張名古屋藩の5代目藩主を継承した息子で、まだ3歳の徳川五郎太(とくがわごろうた/尾張)もその2ヶ月後に早世している。

この時期、名古屋城下町では紀州徳川家の間者(かんじゃ/スパイ)が見受けられたと言う。

結局、徳川家宣(とくがわいえのぶ/徳川)と側室の勝田輝子(かつたてるこ)こと月光院(げっこういん/徳川)の息子の徳川家継(とくがわいえつぐ/徳川)が征夷大将軍7代目に即位(そくい)する。

ただ、この3年後の1716年に徳川家継(とくがわいえつぐ/徳川)は早世する。

この時の次期将軍候補者も、徳川家宣(とくがわいえのぶ/徳川)の正室で近衛熙子(このえひろこ)こと天英院(てんえいいん/朝廷→徳川)の後押しがあり、尾張名古屋藩の6代目藩主の徳川継友(とくがわつぐとも/尾張)と言われていた。

結果は、1716年に紀州徳川家で紀伊国(和歌山県)の紀州藩(和歌山)の5代目藩主に就任していた徳川吉宗(とくがわよしむね/徳川)が征夷大将軍8代目に即位(そくい)した。

ここで一番に恩恵に与(あずか)ったのが誰なのか?

ANTENA /♪ EASY STREET

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250627 - ラジオの友 URL

2025/06/27 (Fri) 05:53:25

◆◇◆其の四十二:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

もう一度、尾張徳川家についておさらいしよう。

江戸幕府を開設した征夷大将軍1代目の徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)が、江戸と京都の中間地点として東海道に設けた徳川御三家の尾張徳川家に、息子で尾張名古屋藩の1代目藩主の徳川義直(とくがわよしなお/徳川→尾張)を着任させた。

その息子で2代目藩主の徳川光友(とくがわみつとも/徳川)、その息子で3代目藩主の徳川綱誠(とくがわつなのぶ/尾張)。

3代目藩主の徳川綱誠(とくがわつなのぶ/尾張)と側室で“絶世の美女”と言われたお福こと本寿院(ほんじゅいん/尾張)の息子で4代目藩主の徳川吉通(とくがわよしみち/尾張)。

その息子で3歳で早世した5代目藩主の徳川五郎太(とくがわごろうた/尾張)。

続いて3代目藩主の徳川綱誠(とくがわつなのぶ/尾張)の息子で6代目藩主の徳川継友(とくがわつぐとも/尾張)と、7代目藩主の徳川宗春(とくがわむねはる/尾張)となる。

尾張名古屋藩を率いる元来の傾奇者(かぶきもの/異端者)と言われる徳川宗春(とくがわむねはる/尾張)は、名古屋城下町の都市整備に着手する。

街路には夜でも明るく照らす提灯(ちょうちん)で彩(いろど)り、1731年に名古屋城(なごやじょう)の南側にある歓楽街の大須周辺には芝居小屋や遊廓を誘致した。

江戸や大坂など倹約令で芝居小屋が次々と閉鎖される中で、名古屋の芝居小屋だけが繁盛して、歌舞伎や浄瑠璃の伝統芸が息づく。

この時の尾張国(愛知県)の様子では『名古屋の繁華(はんか)に京(きょう/興)が醒めた。』と言われ、“芸処(げいどころ)の尾張名古屋”として栄えた。

7代目藩主の徳川宗春(とくがわむねはる/尾張)は祭事も推進した。

“名古屋東照宮祭”(名古屋祭)や“名古屋祇園祭”が華々しく開催された。

この時期の盆踊りは50日間近くも踊り続けたと言う。

これら尾張名古屋藩の7代目藩主の徳川宗春(とくがわむねはる/尾張)の政策を「温地政要」(おんちせいよう)と呼ぶ。

徳川宗春…『行き過ぎたる倹約は、かえって領民を苦しめる事になる。』

徳川宗春…『行政が規制を増やせば、それだけ違反者も増えるだけ。』

これが徳川宗春(とくがわむねはる/尾張)の持論である。

ただ結局、尾張名古屋藩の財政悪化と名古屋城下町の治安悪化が目立ちはじめ、目に余る徳川宗春(とくがわむねはる/尾張)の奇行(きこう)は、重鎮家臣で御附家老(おつけがろう)の竹腰正武(たけのこしまさたけ/尾張)による調略と、征夷大将軍8代目の徳川吉宗(とくがわよしむね/徳川)による裁定で譴責処分(けんせきしょぶん)となった。

1739年に、それを言い渡したのは下総国(しもうさ/千葉県)の佐倉藩の藩主で老中の松平乗邑(まつだいらのりさと/江戸)だった。

これにて徳川宗春(とくがわむねはる/尾張)は尾張名古屋藩の7代目藩主を罷免(ひめん)される。

ただし、この尾張徳川家の徳川宗春(とくがわむねはる/尾張)の意思を引継いだ街がある。

それが現在の東京都新宿区の歌舞伎町である。

この歌舞伎町には、尾張徳川家の屋敷の多さに現れている。

徳川宗春(とくがわむねはる/尾張)は、名古屋の大須周辺に芝居小屋や遊廓を誘致して、日本最大級の歓楽街を整備した。

これにより歌舞伎や浄瑠璃の伝統芸能が発展する。

その文化が新宿の歌舞伎町に息づいている。

その1つが新宿コマ劇場の“北島三郎、豪華特別公演!”である。

チャ〜ラララララァ〜 チャ〜ラララララァ〜

ドンドコドンドン ドンドコドンドン

北島三郎…『♪男はぁ〜 祭りをぉ〜 そうさぁ 担いで生きてきたぁ〜』

徳川宗春…『♪祭りだぁ〜 祭りだぁ〜 祭りだぁ〜』(♪まつり)

KENI BURKE /♪ DAY

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250627 - ラジオの友 URL

2025/06/27 (Fri) 05:54:28

◆◇◆其の四十三:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

江戸時代では、畿内(きない/関西)の情勢は、どうだったのか?

国家政権が京都から江戸に移り、江戸幕府は“禁中並公家諸法度”(きんちゅうならびにくげしょはっと)を制定して、京都の皇族と公家の行動を厳しく監視した。

その京都から南西側に50kmほど離れた商都の大坂では、堂島(どうじま)を中心に市場が設けられ、全国からお米や産物が集まり取引されて旺盛(おうせい)な活気で沸いていた。

この時代の物流は海運が主流で、出羽国(でわ/山形県)の酒田の港から、日本海を西廻りで大坂に向かう“西廻航路”と、東廻りで津軽海峡を経て江戸に向かう“東廻航路”があった。

江戸に向かう廻船を“下り物”(くだりもの)と言われ、逆に江戸に向かえない物は、その語源から“下らない”(くだらない)となった。

日本中から産物を積んだ廻船が大坂の港に集まり、河岸には廻船問屋が軒を連ね“天下の台所”と呼ばれた。

そんな1650年代の大坂城下町には財力のある商人が台頭し、道頓堀には羽振りの良い大坂町人が闊歩(かっぽ)して、娯楽施設が次々と誕生した。

芝居小屋もその1つで、そこで浄瑠璃(じょうるり)や歌舞伎などが上演された。

大坂では、井原西鶴(いはらさいかく/作家)の“好色一代男”(こうしょくいちだいおとこ)や、近松門左衛門(ちかまつもんざえもん/作家)の“曾根崎心中”(そねざきしんじゅう)と“国性爺合戦”(こくせんやかっせん)の演目が一世風靡(いっせいふうび)した。

江戸をはじめ日本中に芸術や演芸が華開き、これを1688年〜1704年に謳歌(おうか)した「元禄文化」と言う。

江戸幕府では征夷大将軍5代目の徳川綱吉(とくがわつなよし/徳川)の頃である。

“見返り美人”で有名な浮世絵の祖と呼ばれる菱川師宣(ひしかわもろのぶ/浮世絵師)も、この頃に誕生している。

俳句を詠みながら奥州を旅した伊賀国(三重県)の阿拝(伊賀)で生まれた松尾芭蕉(まつおばしょう/俳人)は、“おくのほそ道”を残している。

松尾芭蕉…『此処(ここ)があの奥州藤原氏が活躍し、源義経(みなもとよしつね)が育った陸奥国(むつ/岩手県)の平泉か。』

ミィ〜〜ン ミィ〜ン ミィ〜ン ミィ〜ン ミィ〜〜ン

松尾芭蕉…『夏草や、兵(つわもの)どもが、夢の跡。』

ALEXANDER O'NEAL /♪ NEVER KNEW LOVE LIKE THIS

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250627 - ラジオの友 URL

2025/06/27 (Fri) 05:55:20

◆◇◆其の四十四:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

この頃は“日本三大都市”として、大坂、京都、江戸が目紛(めまぐる)しい発展を遂げていた。

大坂は堂島に蔵屋敷が建ち並ぶ“天下の台所”と呼ばれ、人口は38万人ほど居た。

京都は織物の西陣機業が栄え“王城(おうじょう)の地”と呼ばれ、人口は35万1000人ほど居た。

江戸は首都として全国から人が集まり“諸国の掃溜(はきだめ)”と呼ばれ、人口は1693年に35万人だったが、1721年には50万人に膨れ上がっていた。

江戸城下町は、全国から人と物が集まる一大都市に発展していた。

それに伴い多くの“産業”が生まれ、“文化”も開花していく。

そして“江戸文化”で忘れてはならないのが芝居である。

特に歌舞伎は江戸城下町の町人に人気を博(はく)し、あちこちに芝居小屋が建ち並んだ。

その代表格の“江戸三座”もこの頃に創設されている。

中村座は尾張国(愛知県)は中村の出身だった中村勘三郎(なかむらかんざぶろう/歌舞伎)が立ち上げ、屋号は柏屋(かしわや)と呼ばれた。

その弟子の中村清五郎(なかむらせいごろう/歌舞伎)は、役者だけでなく作家としての能力も発揮した役者兼作家である。

市村座は市村羽左衛門(いちむらうざえもん/歌舞伎)が立ち上げ、屋号は菊屋(きくや)や橘屋(たちばなや)と呼ばれた。

森田座(守田座)は森田勘弥(もりたかんや/歌舞伎)が立ち上げ、屋号は喜の字屋(きのじや)と呼ばれた。

そしてもう1つの芝居小屋を加えた“江戸四座”。

山村座は山村長太夫(やまむらちょうだゆう/歌舞伎)が立ち上げ、そこに人気役者の生島新五郎(いくしましんごろう/歌舞伎)が所属していた。

この山村座が、江戸の芝居小屋を揺るがす一大事件を引き起こす。

LUTHER VANDROSS /♪ COME BACK

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250627 - ラジオの友 URL

2025/06/27 (Fri) 05:56:20

◆◇◆其の四十五:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

“ぼくちゃん”の征夷大将軍7代目の徳川家継(とくがわいえつぐ/徳川)かつ母親の月光院(げっこういん/徳川)と親密な間柄(あいだがら)だったのが、江戸城(えどじょう)に設けられた大奥の御年寄(おとしより)の絵島(えじま)こと江島(えじま/江戸)だった。

特に“ぼくちゃん”の徳川家継(とくがわいえつぐ/徳川)は“美人なお姉さん”の江島(えじま/江戸)にえらく懐(なつ)いた。

その為、江戸幕府では江島(えじま/江戸)への信任も厚く、それなりの実権も握っていた。

そんなある正徳(しょうとく)の正月明け、江島(えじま/江戸)を筆頭に大奥の数人の女中が征夷大将軍6代目の徳川家宣(とくがわいえのぶ/徳川)のお墓参りに出掛けた。

その帰り、江戸幕府に出入りする“幕府御用達”(ばくふごようたし)の呉服屋の後藤編殿助(ごとうぬいのすけ/呉服師)の誘いで、木挽町(こびきちょう)にある山村座で歌舞伎を観覧する事となる。

権力闘争で憎悪(ぞうあく)が渦巻く江戸城内の窮屈(きゅうくつ)な生活から、ほんのひと時(とき)だけ“夢心地の世界”に解放される女性達。

目の前の舞台には、看板役者の生島新五郎(いくしましんごろう/歌舞伎)をはじめ、この世の者とは思えない程の妖艶な美男子がたち振る舞う。

これを観て、惹(ひ)かれない女性はいない。

女中…『はぁ〜 素敵ねぇ〜 あんな男性がお城に居たらなぁ〜』

江島…『本当ねぇ、おほぉほぉほ。』

女中…『よっ! 新五郎様、日本一!!』

後藤編殿助…『どうでしょう? この後、山村座の御厚意で歌舞伎の役者との宴会が設けられていますが?』

女中…『えっ〜!? 行きましょうよぉ〜 ねぇ〜 江島お姉さまぁ〜 行きましょうよぉ〜』

江島…『そうね、江戸城の門限にはまだ少し時間がありますからね。』

後藤編殿助…『では決まりですね。』

この判断が、大奥の御年寄(おとしより)の江島(えじま/江戸)だけでなく、山村座の山村長太夫(やまむらちょうだゆう/歌舞伎)や看板役者の生島新五郎(いくしましんごろう/歌舞伎)の人生まで大きく狂わす。

歌舞伎の役者と大奥の女中のこの世を忘れさせる華やかな宴(うたげ)は、美味いお酒の力を借りなくとも時間(とき)を忘れさせる。

盛大な宴会もたけなわに差し掛かり・・・

江島…『はっ! もうこんな時間、江戸城の門限がっ!』

腕のフランクミュラーの針は戌の刻(午後8時)を指している。

時既(ときすで)に遅し。

江戸城(えどじょう)の門限はとっくに過ぎている。

大急ぎで江戸城(えどじょう)まで帰るも大門は固く閉ざされ、大奥の女中の『開けろ!』と門番の『開けない!』の一悶着(ひともんちゃく)。

この大騒動が江戸城内に知れ渡り、江戸幕府の節度の無い「大奥醜態問題」(おおおくしゅうたいもんだい)として取り上げられる。

この裁き人として“鬼奉行”との異名を持つ目付(めつけ)の稲生正武(いのうまさたけ/江戸)が、当事者を拷問(ごうもん)までして『ある事ない事』を白状させた。

江戸幕府の処分としては、大奥の御年寄(おとしより)の江島(えじま/江戸)は死罪だったが、征夷大将軍7代目の徳川家継(とくがわいえつぐ/徳川)と母親の月光院(げっこういん/徳川)の減刑の嘆願により、信濃国(長野県)の高遠藩(たかとお/伊那)に流刑となった。

高遠藩(たかとお/伊那)とは征夷大将軍2代目の徳川秀忠(とくがわひでただ/徳川)の隠し子だった保科正之(ほしなまさゆき/徳川→会津)が育った地でもある。

一方、山村座の山村長太夫(やまむらちょうだゆう/歌舞伎)や看板役者の生島新五郎(いくしましんごろう/歌舞伎)は伊豆国(静岡県)の大島に流罪となり、当然に山村座は廃業させられた。

これを1714年に起こった「江島生島事件」(えじまいくしまじけん)と呼ぶ。

FIFTH AVENUE BAND /♪ LOOK WHO'S ON FIRE NOW

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250627 - ラジオの友 URL

2025/06/27 (Fri) 05:57:16

◆◇◆其の四十六:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

2000年代はインターネットとスマートフォンの進化や発展で、1990年代までと比べて情報と技術が100倍にも1000倍にも膨らんだ。

その恩恵は地球上の人類にも及ぼされ、知識と能力は格段に向上している。

それと同じ現象が300年前の1700年代にも起こっていた。

船の進化で航路が開拓され、世界中の情報と技術が海の向こうの大陸や島からもたらした。

知らない人達により、見た事のない物産や書物が運ばれ、聞いた事のない学問や物語が伝わってくる。

時代の“文化革命”である。

この頃は学問を志す者が多く現れ、江戸や大坂だけでなく日本全国に私塾が設立された。

地域の子供の教育の場として、お寺の寺子屋(てらこや)で“読み”、“書き”、“算盤”を学ぶ文化もできた。

征夷大将軍5代目の徳川綱吉(とくがわつなよし/徳川)の専属医だった荻生景明(おぎゅうかげあき/医師)の息子で、柳沢吉保(やなぎさわよしやす/江戸)の仕官を務めた荻生徂徠(おぎゅうそらい/儒学者)は、1709年に江戸城下町の茅場町に蘐園塾(けんえんじゅく)を開いた。

儒教経典の根幹の六経(りっけい)と言われる、書経(しょきょう)、詩経(しきょう)、易経(えききょう)、礼記(らいき)、春秋(しゅんじゅう)、楽経(がっけい)を基本とした教育を実施した。

門下生には服部南郭(はっとりなんかく/儒学者)がおり、後(のち)に不忍池に芙蕖館(ふきょかん)の私塾を開設した。

安藤東野(あんどうとうや/学者)や平野金華(ひらのきんか/学者)、そして太宰春台(だざいしゅんだい/学者)は変わり種で、あの尾張国(愛知県)の戦国武将の織田信秀(おだのぶひで/織田)と織田信長(おだのぶなが/織田)の親子に仕えた平手政秀(ひらてまさひで/織田)の子孫である。

丹波国(京都府)の桑田(亀岡)に生まれた思想家の石田梅岩(いしだばいがん/学者)は、訳あって隠棲者(いんせいしゃ)となった小栗了雲(おぐりりょううん/学者)を師匠に勉学に励み、1729年に自宅で私塾の梅岩塾(ばいがんじゅく)を開設した。

門下生には京都の坊(ぼん)だった手島堵庵(てじまとあん/学者)がいる。

ADRIAN GURVITZ /♪ SEVENTEEN

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250627 - ラジオの友 URL

2025/06/27 (Fri) 05:58:13

◆◇◆其の四十七:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

江戸城下町では画家で蘭学者の司馬江漢(しばこうかん/絵師)が、“人類皆兄弟”を唱え身分制度に反対した。

伊勢国(三重県)の多気の出身の野呂元丈(のろげんじょう/学者)は、蘭学を学び阿蘭陀博士(オランダマイスター)と呼ばれた。

遠江国(とおとうみ/静岡県)の敷知(ふち/浜松)の出身の賀茂真淵(かもまぶち/歌人)、伊賀国(三重県)の松坂の出身の本居宣長(もとおりのりなが/学者)、京都の出身の荷田春満(かだのあずままろ/学者)、出羽国(でわ/秋田県)の久保田(秋田)の出身の平田篤胤(ひらたあつたね/学者)は、奈良時代の712年に編集した“古事記”や720年に編集した“日本書紀”に基づく神話などの学問を取り入れた学習を推奨した“国学の四大人”(こくがくのしうし)と呼ばれる。

陸奥国(むつ/青森県)の弘前藩の藩士で絵師や歌人でもある建部綾足(たてべあやたり/俳人)も国学者で、美濃国(岐阜県)の大垣新田藩の藩士で歌人の加藤宇万伎(かとううまき/歌人)は大坂で上田秋成(うえだなりあき/俳人)に学ぶも国学の道を歩む。

荷田春満(かだのあずままろ/学者)の弟子が賀茂真淵(かもまぶち/歌人)、その弟子が平賀源内(ひらがげんない/発明家)となる。

1757年に国学論者の本居宣長(もとおりのりなが/学者)と、京都の出身で儒学や国学を専攻する堀景山(ほりけいざん/学者)は、大坂の木村蒹葭堂(きむらけんかどう/画家)の友人でもあった上田秋成(うえだなりあき/俳人)と、“日の神論争”による神話の現実有無で対立する。

1798年に本居宣長(もとおりのりなが/学者)は自邸でもある鈴屋(すずや)で、“古事記伝44巻”を編集して完成させる。

漢方医学と言われる李朱医学(りしゅいがく)も浸透し、京都の出身の名古屋玄医(なごやげんい/医師)は古方(こほう/漢方)の祖と言われ、後藤民山(ごとうこんざん/医師)や吉益東洞(よしますとうどう/医師)も古方(こほう/漢方)の医学に精通する。

讃岐国(香川県)の寒川郡(さんがわ)の出身の平賀源内(ひらがげんない/発明家)は、大坂や京都に出て学問などを学び、1756年に江戸に出て神田紺屋町に居を構える医学者の田村藍水(たむららんすい/医師)の門下生となる。

そこでは薬学など朝鮮人参を研究した。

その後、薬草栽培に積極的で医学の知識も豊富な讃岐国(香川県)の高松藩の5代目藩主だった松平頼恭(まつだいらよりたか/高松)に仕えるが、平賀源内(ひらがげんない/発明家)は蘭学に疎(うと)かったため解雇される。

再び江戸に出て中川淳庵(なかがわじゅんあん/医師)や杉田玄白(すぎたげんぱく/医師)などと出会い、交流を深めて蘭学を勉学する。

征夷大将軍9代目の徳川家重(とくがわいえしげ/徳川)の医師だった蘭学者の桂川甫三(かつらがわほさん/医師)、その息子の桂川甫周(かつらがわほしゅう/医師)、そして、蘭画を得意とする楠木雪渓(くすもとせっけい)こと宋紫岡(そうしこう/画家)からも影響を受ける。

平賀源内(ひらがげんない/発明家)は、薬学、医学、蘭学、俳句、画家、技術者として多彩な才能を発揮した。

その最も有名なのが壊れかけた“エレキテル”(静電気発生機)を修理して世を驚かせた事にある。

ただ1779年に仕事先の大名屋敷で惨殺事件を起こし、牢屋の伝馬町牢屋敷(てんまちょうろうやしき)に投獄されて獄中死した。

平賀源内…『♪江戸期に武士からぁ〜 技術者に変わるぅ〜』

平賀源内…『♪東海道を探していたぁ〜 汚れもないままにぃ〜』

平賀源内…『♪飾られた行きばのないぃ〜 押し寄せる人波にぃ〜』

平賀源内…『♪本当の学問教えてよぉ〜 壊れかけのエレキテルゥ〜』(♪壊れかけのRadio)

STUFF /♪ AS

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250627 - ラジオの友 URL

2025/06/27 (Fri) 05:59:08

◆◇◆其の四十八:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

若狭国(福井県)の小浜(おばま)の出身で蘭学者の杉田玄白(すぎたげんぱく/医師)、若狭国(福井県)の小浜藩で専属医の中川淳庵(なかがわじゅんあん/医師)、豊前国(ぶぜん/大分県)の中津藩で専属医の前野良沢(まえのりょうたく/医師)は、1771年に江戸幕府の許可を得て小塚原刑場(こづかっぱらけいじょう)にて、オランダから輸入した人体解剖を図解した“解体新書”を元に、吉原遊廓で亡くなった遊女の遺体で日本初の腑分(ふわけ)を実施した。

このオランダの高価な“解体新書”を購入できたのは、若狭国(福井県)の小浜藩の7代目藩主かつ京都所司代(きょうとしょしだい)の酒井忠用(さかいただもち/江戸)と、その家老だった岡新左衛門(おかしんざえもん/江戸)の理解と注力があったからこそである。

1774年に腑分(ふわけ)の実験により、オランダ語で解説されている“解体新書”は、豊前国(ぶぜん/大分県)の中津藩の専属医で蘭学者の前野良沢(まえのりょうたく/医師)や、豊前国(ぶぜん/長崎県)の長崎港の出島で通訳師として仕えていたオランダ語に精通した西善三郎(にしぜんざぶろう/通訳師)が和訳して、出羽国(でわ/秋田県)の秋田藩の武士の小田野直武(おだのなおたけ/武士→絵師)に“解体新書”の作画を依頼して、日本版の“解体新書”を発刊した。

江戸城(えどじょう)から北東側に位置する浅草に天文台があり、1795年にそこの天文方(てんもんがた)に就いてた天文学者の高橋至時(たかはしよしとき/天文学者)は、江戸幕府の依頼により蝦夷国(えぞ/北海道)の測量を実施している。

高橋至時(たかはしよしとき/天文学者)とは、伊能忠敬(いのうただたか/商人)の師匠で、“大日本沿海輿地全図”(だいにほんえんかいよちぜんず)を伊能忠敬(いのうただたか/商人)から引継いで完成させた高橋景保(たかはしかげやす/天文学者)の父親である。

そして、下総国(しもうさ/千葉県)の山辺(九十九里)の出身の伊能忠敬(いのうただたか/商人)は、師匠となる高橋至時(たかはしよしとき/天文学者)から天体、暦、測量を学び、50歳を過ぎてから日本全国を回り測量しながら日本列島の地図となる“大日本沿海輿地全図”(だいにほんえんかいよちぜんず)を製作する。

この時代で最も有名なの人物と言えば、相模国(神奈川県)の足柄(小田原)の出身で農業を営む二宮尊徳(にのみやそんとく/農家)である。

そう、どこの小学校にもある“薪(まき)を背負い読書しながら歩く少年”の二宮金次郎(にのみやきんじろう)の事です。

そんな勤勉な二宮尊徳(にのみやそんとく/農家)は、農地改革のパイオニア(先駆者)でもあった。

ISLEY,JASPER and ISLEY /♪ GIVING YOU BACK THE LOVE

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250627 - ラジオの友 URL

2025/06/27 (Fri) 06:00:08

◆◇◆其の四十九:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

1787年〜1837年までの50年間の長きに渡り征夷大将軍11代目の座に就いてた徳川家斉(とくがわいえなり/一橋→徳川)は、改革政治の“質素倹約”を実施していた老中首座の松平定信(まつだいらさだのぶ/田安→江戸)を1793年に罷免(ひめん)した。

その後は、タガが外れる様に“贅沢三昧”の華美な生活にのめり込んでいく。

俗に言う「大御所時代」(おおごしょじだい)と呼ばれる政権である。

その放蕩(ほうとう)が江戸城下町にも蔓延した。

ただ、その栄華から生まれた文化文明もある。

1750年頃には錦絵の美人画などを得意とする鈴木春信(すずきはるのぶ/浮世絵師)と、その作画を教えた旗本の大久保巨川(おおくぼきょせん/浮世絵師)や、銀座で煙草用品店の“京屋”(きょうや)を営み自らの作品も販売していた山東京伝(さんとうきょうでん/浮世絵師)などが、1688年〜1704年の「元禄文化」を継承する。

そして1804年〜1830年は江戸を中心に、浮世絵、俳句、黄表紙(きびょうし)などが流行し、現代でも人気の高い「化政文化」(かせいぶんか)が華開く。

化政(かせい)とは、元号の“文化”と“文政”の“文”だけを取り除いた名称である。

江戸城下町では、祭、花火、花見を楽しむ町民文化が浸透する。

MANHATTANS /♪ CLOUDY,WITH A CHANCE OF TEARS

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250627 - ラジオの友 URL

2025/06/27 (Fri) 06:01:06

◆◇◆其の五十:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

「化政文化」(かせいぶんか)の芸術家や文化人は数多い。

特に浮世絵や絵画など芸術品が世に広まった。

中国大陸の清で写生画や花鳥画を特徴とする南宗画の沈南蘋(しんなんびん/画家)の技法に影響を受けた絵師も多い。

江戸の出身の司馬江漢(しばこうかん/絵師)もその1人で、浮世絵から洋画、蘭学にまで精通した。

紀伊国(和歌山県)の出身の祇園南海(ぎおんなんかい/画家)は、日本文人画の祖と言われ、木下順庵(きのしたじゅんあん/儒学者)に学問を学ぶ。

大和国(奈良県)の柳沢藩(大和郡山)の藩士だった柳沢淇園(やなぎさわきえん/画家)や、京都の池大雅(いけのたいが/画家)は日本文人画の先駆者と言われる。

大坂の堀江で造酒屋を営んでいた木村蒹葭堂(きむらけんかどう/画家)は、池大雅(いけのたいが/画家)の弟子となり南宗画を学ぶ。

信濃国(長野県)の伊那(飯田)の出身の鈴木芙蓉(すずきふよう/画家)は、南宗画を取り入れた文人画で名を馳(は)せる。

京都の出身の伊藤若冲(いとうじゃくちゅう/画家)は、“動植綵絵”(どうしょくさいえ)を特徴とした鶏や象の絵画が有名。

丹波国(京都府)の穴太(あなお/亀岡)の出身の円山応挙(まるやまおうきょ/画家)は、“覗眼鏡箱”(カラクリ箱)で立体図を観るなど新しい試みにも挑戦し、“足のない幽霊”を初めて描いたと言われる。

KENNY ROGERS /♪ MORNING DESIRE

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250627 - ラジオの友 URL

2025/06/27 (Fri) 06:02:02

◆◇◆其の五十一:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

そして、江戸時代に最も人気があったのが、やはり浮世絵です。

現代でも数々の浮世絵が紹介され、当時の文化を魅了する芸術画とも言える。

大坂の岡田玉山(おかだぎょくさん/浮世絵師)は、葛飾北斎(かつしかほくさい/浮世絵師)や歌川国芳(うたがわくによし/浮世絵師)に影響を与えたと言われる。

その葛飾北斎(かつしかほくさい/浮世絵師)は、“富嶽三十六景”(ふがくさんじゅうろっけい)など多数の作品を残している。

“寛政三美人”や“ビードロを吹く女”が有名な喜多川歌麿(きたがわうたまろ/浮世絵師)。

江戸の出身の鳥居清長(とりいきよなが/浮世絵師)は“濱屋、川岸の涼み”を描いている。

現在でも人気が高い東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく/浮世絵師)の“奴江戸兵衛”は、最も江戸文化に触れる事ができる。

そして歌川派の祖でもある歌川豊春(うたがわとよはる/浮世絵師)は、その屋号の由来(ゆらい)が芝の宇田川町に居住していたためと言う。

弟子の歌川豊国(うたがわとよくに/浮世絵師)に続き、“東海道五十三次”などを描いた歌川広重(うたがわひろしげ/浮世絵師)に、“東都富士見三十六景”の歌川国芳(うたがわくによし/浮世絵師)と、優れた絵師を輩出している。

これら浮世絵や絵画が多くの人に行き渡ったのは、木版などの印刷技術の発展に他ならない。

複数の色彩を織り込む“多色摺絵”(たしょくすりえ)にて、働く人々を描いた色彩豊かな“大日本物産図会”(だいにほんぶっさんずえ)などが登場した。

これらは江戸の日本橋を拠点とする書物問屋の須原屋茂兵衛(すはらやもへえ/出版元)や、その暖簾分けとなる須原屋市兵衛(すはらやいちべえ/出版元)で数多くの錦絵が出版された。

馬喰町では西村屋与八(にしむらやよはち/出版元)が“永寿堂”(えいじゅどう)の屋号で浮世絵の版元を営み、大伝馬町では鶴屋喜右衛門(つるやきえもん/出版元)が地本問屋を営み錦絵の版元を手掛けた。

DONNY HATHAWAY /♪ I KNOW IT'S YOU

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250627 - ラジオの友 URL

2025/06/27 (Fri) 06:02:59

◆◇◆其の五十二:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

江戸時代には感性や知識に文学を織り込んだ和歌や俳句も多く詠まれる。

「化政文化」(かせいぶんか)を代表する信濃国(長野県)の柏原(かしわばら)の出身の小林一茶(こばやしいっさ/俳人)。

それに摂津国(大阪府)の毛馬(けま/都島)の出身で、その後に松尾芭蕉(まつおばしょう/俳人)に憧れて下総国(しもうさ/茨城県)の結城に移り住んだ与謝蕪村(よさぶそん/俳人)。

下野国(しもつけ/栃木県)の那須の出身の早野巴人(はやのはじん)こと夜半亭宋阿(やはんていそうあ/俳人)は、夜半亭(やはんてい)を江戸の日本橋本石町に構えて引き継ぎ、弟子の与謝蕪村(よさぶそん/俳人)、高井几董(たかいきとう/俳人)と続いた。

京都の高井几圭(たかいきけい/俳人)は、夜半亭宋阿(やはんていそうあ/俳人)の弟子となり、その息子の高井几董(たかいきとう/俳人)は与謝蕪村(よさぶそん/俳人)の弟子となった。

炭太祇(たんたいぎ/俳人)や黒柳召波(くろやなぎしょうは/俳人)も与謝蕪村(よさぶそん/俳人)の弟子となる。

京都の望月宋屋(もちづきそうおく/俳人)も夜半亭宋阿(やはんていそうあ/俳人)の影響を受けている。

越後国(新潟県)の出雲崎(三島)の出身で、“曹洞宗”(そうとうしゅう)の僧侶だった良寛(りょうかん/歌人)も、和歌だけでなく書家としての才能を残している。

尾張国(愛知県)の名古屋で薬問屋を営んでいた彭城百川(さかきひゃくせん/画家)は、松尾芭蕉(まつおばしょう/俳人)の弟子となり、丹後国(京都府)の宮津で“芭蕉像”を作成している。

大坂の出身の上田秋成(うえだなりあき/俳人)は、友人だった和歌や俳句にも精通していた木村蒹葭堂(きむらけんかどう/画家)から学び、そこから尾張国(愛知県)の名古屋の出身の加藤暁台(かとうきょうたい/俳人)や、志摩国(三重県)の答志(鳥羽)の出身の三浦樗良(みうらちょら/俳人)なども影響を受けている。

社会風刺や滑稽(こっけい)を織り込んだ和歌の狂歌では、“狂歌三大家”と呼ばれる御家人の大田南畝(おおたなんぽ/歌人)、唐衣橘洲(からごろもきっしゅう/歌人)、朱楽菅江(あけらかんこう/歌人)が有名で、戯作者(げさくしゃ)の平秩東作(へづつとうさく/歌人)も名を馳(は)せた。

平賀源内(ひらがげんない/発明家)の門下生の森羅万象(しんらまんぞう)こと森中良(もりしまちゅうりょう/歌人)も、狂歌師、戯作者(げさくしゃ)、蘭学者と多才ぶりを発揮している。

蔵前の札差(ふださし/貸金業)の夏目成美(なつめせいび/俳人)、大坂の飛脚問屋の安井大江丸(やすいおおえまる/俳人)など、本業の傍(かたわ)らで和歌を嗜(たしな)む人も多かった。

陸奥国(むつ/宮城県)の白石(しろいし)の出身の岩間乙二(いわまおつに/俳人)、陸奥国(むつ/宮城県)の仙台の出身の鈴木道彦(すずきみちひこ/俳人)、江戸は日本橋の絵師の建部巣兆(たけべそうちょう/俳人)なども和歌の世界で活躍している。

尾張国(愛知県)の東海道の宿場町でもある鳴海(なるみ)で造酒屋など商家を営んでいた下郷学海(しもさとがっかい/商人)は、1771年に池大雅(いけのたいが/画家)と与謝蕪村(よさぶそん/俳人)に“十便十宜図”(じゅうべんじゅうきず)の製作を依頼した。

この様に豪商などが芸術家や文化人を支援する仕組みも出来上がっていた。

BARRY MANILOW /♪ SOMEWHERE DOWN THE ROAD

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250627 - ラジオの友 URL

2025/06/27 (Fri) 06:04:03

◆◇◆其の五十三:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

木版などの印刷技術の発展により書物や黄表紙(きびょうし)が大量に生産され、江戸城下町の町人をはじめ日本全国で流行する。

吉原遊廓の門前町で書店を営む蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう/出版元)は、曲亭馬琴(きょくていばきん/作家)を見出した。

その曲亭馬琴(きょくていばきん/作家)は“南総里見八犬伝”(なんそうさとみはっけんでん)を執筆し、息子の滝沢宗伯(たきざわそうはく/医師)も創作活動を手伝う。

その対局の山東京伝(さんとうきょうでん/作家)は、松平定信(まつだいらさだのぶ/田安→江戸)が1787年に実施した「寛政の改革」(かんせいのかいかく)にて出版統制で処罰されるも、弟の山東京山(さんとうきょうざん/作家)が戯作者(げさくしゃ)として活躍する。

この頃は小説など戯作(げさく)が流行して、滝亭鯉丈(りゅうていりじょう/作家)、為永春水(ためながしゅんすい/作家)、唐来参和(とうらいさんわ/作家)、柳亭種彦(りゅうていたねひこ/作家)などの戯作者(げさくしゃ)が登場する。

浮世絵師で戯作者(げさくしゃ)の恋川春町(こいかわはるまち/作家)は、黄表紙(きびょうし)を開拓したとして知られる。

石川雅望(いしかわまさもち)こと宿屋飯盛(やどやのめしもり/作家)は、国学者や狂歌師の傍(かたわ)らで戯作(げさく)も執筆している。

戯作(げさく)の一種の滑稽本を手掛けた浮世絵師でもある式亭三馬(しきていさんば/作家)も活躍した。

駿河国(静岡県)の府中(静岡)の出身の十返舎一九(じっぺんしゃいっく/絵師)は、日本全国にファンがいるくらいの人気作家で、弥次さん喜多さんが登場する“東海道中膝栗毛”(とうかいどうちゅうひざくりげ)が大ブームとなる。

出羽国(でわ/秋田県)の久保田藩(秋田)の武士で作家でもある平沢常富(ひらさわつねとみ)こと朋誠堂喜三二(ほうせいどうきさんじ/作家)は“文武二道万石通”を執筆した。

越後国(新潟県)の魚沼の出身で商家を営んでいた鈴木牧之(すずきぼくし/作家)は“北越雪譜”(ほくえつせっぷ)を執筆した。

KENNY NOLAN /♪ I LIKE DREAMIN'

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250627 - ラジオの友 URL

2025/06/27 (Fri) 06:05:00

◆◇◆其の五十四:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

1650年頃の芝居小屋では、江戸三座と言れていた中村勘三郎(なかむらかんざぶろう/歌舞伎)の中村座、市村羽左衛門(いちむらうざえもん/歌舞伎)の市村座、森田勘弥(もりたかんや/歌舞伎)の森田座(守田座)が人気だった。

それが時代の移(うつ)ろいと共に、新しい芝居小屋が誕生する。

1800年前後の江戸三座と言われたのは都座、桐座、河原崎座である。

昔の江戸三座の興行が出来ない時の控櫓(ひかえやぐら)として、中村座は都座、市村座は桐座、森田座(守田座)は河原崎座を使用していた。

江戸文化では多くの芝居小屋や寄席が設けられ、そこを商いする者、そこで演じる者、その演目を構成する者など、多彩な人種が集まり成り立っている。

歌舞伎や狂言の脚本を手掛ける鶴屋南北(つるやなんぼく/作家)と、その息子の勝俵蔵(かつひょうぞう/作家)に、その弟子には直江屋重兵衛(なおえじゅうべえ/作家)が揃っていた。

大坂は道修町(どしょうまち)の出身の並木五瓶(なみきごへい/作家)は、江戸に出て歌舞伎や狂言の脚本を手掛けた。

芝居小屋で演じる歌舞伎役者の尾上松助(おのえまつすけ/歌舞伎)は、江戸城下町の町人に人気があった。

江戸は馬喰町の三笑亭可楽(さんしょうていからく/噺家)は最古の落語家と言われ、天狗連(てんぐれん/アマチュア)の頃には神社仏閣などで寄席を開いて披露していた。

この頃の人気の歌舞伎の演目は、盗賊5人の物語を演じる“白波五人男”(しらなみごにんおとこ)こと“青砥稿花紅彩画”(あおとぞうしはなのにしきえ)だった。

弁天小僧…『知らざぁ〜 言って聞かせやぁしょう!』

因(ちな)みに、この“白波五人男”(しらなみごにんおとこ)が150年の時を経て“秘密戦隊ゴレンジャー”などの戦隊モノに発展していく。

PEABO BRYSON /♪ IF EVER YOU'RE IN MY ARMS AGAIN

◆ラジオの友◆

■当サイトを閲覧するにあたり/20250626 - ラジオの友 URL

2025/06/26 (Thu) 21:13:17

閲覧者の義務として、このサイト内に掲載されている音楽の5曲以上をお好きなラジオ局にリクエストして下さい。

もし、リクエスト曲が掛かれば幸福度がアップします。

今日のラッキーソングはこれだっ!

松島一夫 /♪おもろない節

◆ラジオの友◆

今日の1枚、お薦めレコード/20250624 - ラジオの友 URL

2025/06/24 (Tue) 06:38:38

◆◇◆其の十九:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

当時の江戸は印刷技術も発展して、江戸城下町の地図を多く残す事が出来ていた。

その恩恵が今でも伝わっており、数多くの古地図がインターネットにて掲載され、ご丁寧なサイトではPDFにより無料でダウンロードが出来る。

その為、比較的に安易に江戸城下町の古地図を入手する事が出来るので、現在の東京がどうやって移ろいできたのか探索するのも面白い。

また、江戸時代のまま、現在でも当時の姿で残っている箇所もある。

その一番が江戸城(えどじょう)の内堀やその石垣でしょう。

他にも探せばあるかも知れません。

では、江戸時代にタイムトリップ。

DEREK & THE DOMINOS /♪ LAYLA

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250624 - ラジオの友 URL

2025/06/24 (Tue) 06:41:11

◆◇◆其の二十:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

江戸幕府の役所に町奉行(まちぶぎょう)があります。

奉行所とは、『これにて一件落着!』の裁判所、『御用だっ!』の警察署、『お主(ぬし)も悪(わる)よのぉ〜』の役所を兼ねた幕府施設である。

江戸城(えどじょう)の東方には2ヶ所の奉行所があり、その1つが北町奉行所です。

この北町奉行所で有名なのが“遠山の金さん” こと遠山景元(とおやまかげもと/江戸)である。

遠山金四郎(とおやまきんしろう)こと遠山景元(とおやまかげもと/江戸)は、江戸幕府の旗本で大目付(おおめつけ)に就いていた。

征夷大将軍11代目の徳川家斉(とくがわいえなり/一橋→徳川)と征夷大将軍12代目の徳川家慶(とくがわいえよし/徳川)に仕えている。

1793年に江戸の屋敷で誕生し、父親の遠山景晋(とおやまかげくに/江戸)は、肥前国(長崎県)の長崎港で外国船の入港を監視する長崎奉行に就いていた。

この遠山氏は、美濃国(岐阜県)の恵那(えな)にある岩村城(いわむらじょう)の城主の遠山景前(とおやまかげさき/土岐→武田)の系統で、武田軍と織田徳川軍が交戦した際に巻き込まれて大きな痛手を受けた一族でもある。

その理由の1つが要所の岩村城(いわむらじょう)にあり、難攻不落の鉄壁の城と言われて、現在でも日本三大山城と言われる。

遠山景元…『やいやい、この桜吹雪が目に入らねぇか!』

このセリフで有名な“遠山の金さん” と言えば“桜吹雪”の彫物(刺青)がトレードマークだが、実際に遠山金四郎(とおやまきんしろう)こと遠山景元(とおやまかげもと/江戸)が彫物(刺青)を入れていたかは不明だそうです。

ただし、北町奉行所の役人になる前は、放浪の遊び人をしていた為に、その時に“手紙を咥(くわ)えた女の生首”の彫物(刺青)を入れていたと言われる。

NILSSON /♪ JUMP INTO THE FIRE

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250624 - ラジオの友 URL

2025/06/24 (Tue) 06:43:27

◆◇◆其の二十一:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

江戸幕府の北町奉行所の南方にあるのが南町奉行所です。

この南町奉行所で有名なのが“大岡越前守”(おおおかえちぜんのかみ)こと大岡忠相(おおおかただすけ/江戸)である。

大岡忠相(おおおかただすけ/江戸)は、江戸幕府の旗本で、三河国(愛知県)の西太平藩(岡崎)の藩主でもあった。

征夷大将軍5代目の徳川綱吉(とくがわつなよし/徳川)から征夷大将軍9代目の徳川家重(とくがわいえしげ/徳川)まで仕えている。

1677年に江戸の屋敷で誕生し、“暴れん坊将軍”で有名な征夷大将軍8代目の徳川吉宗(とくがわよしむね/徳川)が1716年に実施した「享保の改革」(きょうほうのかいかく)に尽力した。

征夷大将軍9代目の徳川家重(とくがわいえしげ/徳川)の側用人(そばようにん)で、武蔵国(埼玉県)の岩槻藩(いわつき)の藩主に就任した大岡忠光(おおおかただみつ/江戸)は親族である。

東照大権現(とうしょうだいごんげん)となり神君(しんくん/徳川家康)と呼ばれた徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)のお膝元の三河国(愛知県)の岡崎を領域とした大岡氏は、元は藤原氏の系統と言われて、戦国時代から三河国(愛知県)で松平氏(徳川氏)に仕えていたと言う。

因みに“大岡越前守”(おおおかえちぜんのかみ)と名乗っているが、これは官位の名称で、基本的に越前国(福井県)との関連性はない。

BOB DYLAN /♪ Most Likely You Go Your Way (And I'll Go Mine)

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250624 - ラジオの友 URL

2025/06/24 (Tue) 06:45:55

◆◇◆其の二十二:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

時代劇で最も人気があるのは“鬼平犯科帳”(おにへいはんかちょう)ではなかろうか。

これは実在した鬼平(おにへい)こと長谷川宣以(はせがわのぶため/江戸)を主人公に構成されたフィクションドラマである。

ただ、実際の鬼平(おにへい)こと長谷川宣以(はせがわのぶため/江戸)も、1745年に江戸の屋敷で誕生し、江戸幕府では旗本の火付盗賊改役(ひつけほうぞくあらためかた)に就いていた。

一時は京都にも居たが、また江戸に戻って来てた。

征夷大将軍11代目の徳川家斉(とくがわいえなり/一橋→徳川)の側近で江戸幕府の老中(ろうじゅう)だった松平定信(まつだいらさだのぶ/田安→江戸)に、鬼平(おにへい)こと長谷川宣以(はせがわのぶため/江戸)は仕える。

この時に与力(よりき)や同心(どうしん)のまとめ役となり、強盗や放火魔など重罪を取り締まる火付盗賊改役(ひつけほうぞくあらためかた)に就任した。

そんな上司である松平定信(まつだいらさだのぶ/田安→江戸)が実施した「寛政の改革」(かんせいのかいかく)では、貧民救済の為に1790年に江戸で増加している牢人(無職侍)や無宿(ホームレス)に、江戸城(えどじょう)の東方にある石川島に職業訓練施設の人足寄場(にんそくよせば)を設けて、手に職を付けさせ労働する様に促した。

この人足寄場(にんそくよせば)の設置に鬼平(おにへい)こと長谷川宣以(はせがわのぶため/江戸)は尽力している。

罪人や悪人を懲らしめるだけでなく、罪人や悪人に再びならない様に更生(こうせい)する事も考えていたのが解る。

鬼平(おにへい)こと長谷川宣以(はせがわのぶため/江戸)の屋敷は両国の南東方の菊川にあり、その後、その屋敷に北町奉行所の遠山金四郎(とおやまきんしろう)こと遠山景元(とおやまかげもと/江戸)も住んでいる。

“鬼平犯科帳”(おにへいはんかちょう)と“遠山の金さん” が、同じ屋敷で暮らしていたのが面白い。

DAN FOGELBERG /♪ SONGBIRD

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250624 - ラジオの友 URL

2025/06/24 (Tue) 06:47:56

◆◇◆其の二十三:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

江戸城下町の日本橋の北詰にある日本橋駿河町で越後屋(えちごや)を営んでいた三井高利(みついたかとし/商人)は、1622年に伊勢国(三重県)の松坂で誕生した。

この三井氏は平安時代の摂政や関白を歴任し、藤原一族の栄華を築いた藤原道長(ふじわらみちなが/公家)の系統で、その後の室町時代には近江国(滋賀県)に移り住み琵琶湖の南部を守護する六角氏(ろっかくうじ)に仕える。

そして、戦国時代には京都に上る織田信長(おだのぶなが/織田)が率いる織田軍により、1568年に起こった「上洛戦」(じょうらくせん)にて主君の六角氏(ろっかくうじ)が敗北し、三井氏は逃亡して伊勢国(三重県)の松坂に落ち着いた。

そこで三井氏は武士から商人となり、三井高利(みついたかとし/商人)の父親が越後守の官位だった為に屋号を越後屋(えちごや)とした。

時は江戸時代となり、三井高利(みついたかとし/商人)は伊勢国(三重県)の松坂から江戸城下町に移住して、日本橋駿河町で越後屋(えちごや)を開店させた。

当時の商(あきな)いの慣行(かんこう)は、ツケや掛けの後払いが当たり前で、商人は未収金や不渡りを恐れて売値を高めに設定していた。

しかし、越後屋(えちごや)は売値を低くして現金掛値なしにして、値段交渉をしない定価販売に踏み切り、その商品価値の解りやすさから呉服店を大繁盛させた。

ただし、この商売手法を取り入れたのは三井高利(みついたかとし/商人)ではなく、商家の出身だった母親と言われる。

その後、2人の息子を呉服店の店主に任せて、三井高平(みついたかひら/商人)は京都の京見世(きょうみせ)を担当し、三井高富(みついたかとみ/商人)は江戸見世(えどみせ)を担当した。

こうして最高級呉服と言われる京都の西陣織を、いち早く江戸や松坂で販売できる体制を整えて、三井家は先祖の藤原道長(ふじわらみちなが/公家)の如(ごと)く栄華を極めた。

その後、江戸城下町にて不動産業にも進出して、店舗を所有する大家(賃貸人)となり、店子(たなこ/賃借人)に商売をさせて賃料収入も得ていた。

それが現在の三越百貨店でもあり、三井不動産や三井物産をはじめとした三井財閥です。

そんな三越百貨店が、創業地でもある伊勢国(三重県)を冠(かんむり)した伊勢丹と合併したのは興味深い。

JOHN HIATT /♪ PIRATE RADIO

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250624 - ラジオの友 URL

2025/06/24 (Tue) 06:50:16

◆◇◆其の二十四:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

日本の財界を掌握(しょうあく)した三井家。

では、なぜ江戸城下町の日本橋で商(あきな)いをする商家の三井家が、日本最大級の財閥に成長できたのか?

それは素性(すじょう)が公卿(くぎょう/公家)だった事に尽きる。

三菱財閥の創業者でもある岩崎弥太郎(いわさきよたろう/土佐→実業家)は、土佐国(高知県)の土佐藩の藩士で武士だった事を考えると、格の違いが見える。

江戸城(えどじょう)の北方にある徳川家の菩提寺の傳通院(でんづういん/浄土宗)がある。

その辺りから飯田橋や九段下まで一帯に、明治期には三井家の屋敷があり、その1つに小石川三井家の屋敷があった。

太平洋戦争後に、そんな三井家の令嬢が第124代天皇の昭和天皇(しょうわてんのう/皇族)の御子(みこ/息子)と婚姻する話しが持ち上がる。

要は第125代天皇の平成天皇(へいせいてんのう/皇族)で、今は上皇(じょうこう)である。

現在から見れば、平成天皇(へいせいてんのう/皇族)の妻は正田美智子(しょうだみちこ/日清製粉→皇族)さんなので、三井家の令嬢が皇族に嫁ぐ事は無かった事は分かる。

正田美智子(しょうだみちこ/日清製粉→皇族)さんの実家は、小麦粉やパスタ麺を製造している日清製粉の創業家で、父親の正田英三郎(しょうだひでさぶろう/日清製粉)さんも社長だった。

平成天皇(へいせいてんのう/皇族)と正田美智子(しょうだみちこ/日清製粉→皇族)さんは1959年(昭和34年)に結婚している。

この婚姻は、三井グループが日清製粉グループに負けた瞬間である。

その後、三井家の令嬢は幸薄(さちうす)い人生を歩み、若くして病気で亡くなったと聞きます。

大人達の画策や政略で子供達の生涯を翻弄(ほんろう)する当たり前の時代。

ただ、そんな時代だとしても、その時流に乗る事は理由にもならないし、許される事ではない。

天照大御神(アマテラス)の愛娘の様に、純粋無垢(じゅんすいむく)の天真爛漫(てんしんらんまん)で、真っ白な清心で真っ直ぐに生涯を歩む子供達を、京都伏見の天女母神(てんにょぼじん)をはじめ多くの神様はいつも見守っています。

己(おのれ)の欲望や悪巧(わるだくみ)により子供達の歩む道を穢(けが)す者は、地球をひと蹴りで消滅させる事が出来る京都伏見の天女母神(てんにょぼじん)により重い天誅(てんちゅう)が必ず下ります。

その時は言い訳など聞かず、問答無用です。

地獄に堕(お)ちる程度じゃ、済みませんよ。

CROWDED HOUSE /♪ SOMETHING SO STRONG

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250624 - ラジオの友 URL

2025/06/24 (Tue) 06:52:31

◆◇◆其の二十五:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

徳川御三家(とくがわごさんけ)の水戸徳川家の屋敷があった後楽園を中心に、飯田橋や九段下まで一帯を明治期からは三井家が抑えていた。

そのご縁で三井グループではないが、オブサーバーとして名を連ねるトヨタ自動車の東京本社がこの地にある。

太平洋戦争の前後は、愛知県の地方企業だったトヨタ自動車が皇族や政界に大きく入り込めたのは、この三井財閥の尽力が大きい。

その一端が昭和期〜平成期に掛けて、皇族や政界の黒塗りの移動車にトヨタ自動車のセンチュリーが多いのが理由である。

令和期に入った現代でも、トヨタ自動車の東京本社から東京ドームの一帯を三井不動産を筆頭に再開発を計画している。

そんな誰もが認める日本を代表するトヨタ自動車だが、実は太平洋戦争で敗戦した直後の日本では、御多分に洩れずトヨタ自動車も倒産の危機に陥っていた。

それを救済したのが愛知県を地盤とした東海銀行(UFJ銀行→三菱UFJ銀行)である。

トヨタ自動車の永い社歴の中で、東海銀行(UFJ銀行→三菱UFJ銀行)はメインバンクとしての顔を持っている。

この東海地方を地盤とした幾(いく)つかの銀行が合併して誕生した東海銀行(UFJ銀行→三菱UFJ銀行)だが、その前身の1つが伊藤銀行で、現在のジェイフロントリテイリング(大丸松坂屋)でもある松坂屋もグループである。

戦国時代に織田信長(おだのぶなが/織田)の小姓(こしょう)として仕えていた伊藤蘭丸(いとうらんまる)こと伊藤祐道(いとうすけみち/織田)が、1582年に起こった「本能寺の変」(ほんのうじのへん)にて主君が亡くなり、これを機に武士を引退して、豊臣政権の時代に尾張国(愛知県)で“いとう呉服店”を始め、後々の松坂屋となる。

ここから解る通り、尾張国(愛知県)の東海銀行(UFJ銀行→三菱UFJ銀行)と三河国(愛知県)のトヨタ自動車の関係性は、尾張国(愛知県)の織田信長(おだのぶなが/織田)と三河国(愛知県)の徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)が1562年に締結した「清洲同盟」(きよすどうめい)の再現でもある。

この鉄の結束を感じるエピソードがある。

バブル崩壊で日本の企業が疲弊(ひへい)していた頃、政界では不良債権で苦しむ銀行の再編に動いていた。

その1つが、大阪が本社の三和銀行(UFJ銀行→三菱UFJ銀行)と名古屋が本社の東海銀行(UFJ銀行→三菱UFJ銀行)の合併である。

三和銀行(UFJ銀行→三菱UFJ銀行)とは、江戸時代に大坂の堂島をはじめとした商家の鴻池財閥が源流で、日本生命や大丸百貨店のメインバンクだった。

預金貸出金規模の大きさから三和銀行(UFJ銀行→三菱UFJ銀行)が主導権を握り、見劣りした東海銀行(UFJ銀行→三菱UFJ銀行)の役員や幹部などは社内リストラされ、降格したり退職する者が多く現れた。

商慣行も三和銀行(UFJ銀行→三菱UFJ銀行)の方法に統一した為に、愛知県をはじめ東海地方の東海銀行(UFJ銀行→三菱UFJ銀行)をメインバンクとしていたトヨタ自動車やグループ会社、取引会社の決済方法も変更させられて大混乱が起こる。

特にトヨタ自動車の孫会社以降や取引会社などが三和銀行(UFJ銀行→三菱UFJ銀行)の決済方法に反発して離反し、他銀行に寝返る事例が頻発(ひんぱつ)する。

事態を重く見たトヨタ自動車と政界は、更なる銀行再編として三菱銀行(東京三菱銀行→三菱UFJ銀行)と為替専門の東京銀行(東京三菱銀行→三菱UFJ銀行)を主体とし、三和銀行(UFJ銀行→三菱UFJ銀行)と東海銀行(UFJ銀行→三菱UFJ銀行)を吸収合併させるメガバンクを誕生させる構想を示す。

当の三菱銀行(東京三菱銀行→三菱UFJ銀行)も、トヨタ自動車との取引口座が欲しかったとの思惑もある。

これにより、今度は三和銀行(UFJ銀行→三菱UFJ銀行)の役員や幹部などは社内リストラされ、降格したり退職する者が多く現れた。

これが『倍返しだぁ!』の実態である。

ほんの5年から10年程度の時空を観て人生を歩むと、こう言う目に遭(あ)う。

歴史は単なる嗜好(しこう)や趣味では、無い!

歴史をキチンと理解して把握しなければ、正しい人生の道を歩む事は出来ない。

これもまた、歴史が教えてくれている。

そりゃ、織田信長(おだのぶなが/織田)や徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)を激怒させたら駄目(ダメ)だわなぁ〜

命がなんぼあっても足りへぇんでぇ〜!

BLONDIE /♪ MAN OVERBOARD

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250624 - ラジオの友 URL

2025/06/24 (Tue) 06:55:04

◆◇◆其の二十六:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

日本の政界や財界を掌握していた三井家は、日本橋から飯田橋の一帯を地盤としていたが、江戸城(えどじょう)の南方にも拠点を設けていた。

それが筑後国(福岡県)の島津家の屋敷を購入し、1913年(大正2年)にジョサイアコンドル(イギリス建築家)に設計を依頼して、迎賓館の綱町三井倶楽部(つなまちみついくらぶ)を建設した。

当時は日比谷の鹿鳴館(ろくめいかん)など、外国風の社交場となる迎賓館が多く建設されている。

迎賓館を今風に言えば、ディスコやクラブだろう。

確かにバブル崩壊後、湾岸エリアの田町に誕生したジュリアナ東京も、運営主体はイギリスに拠点を置くレジャー企業が監修し、店舗設計も外国人の女性デザイナーが手掛けていた。

綱町三井倶楽部(つなまちみついくらぶ)とジュリアナ東京は、正(まさ)に時空を超えて繋がっている。

こうして幕末後の明治期に入った頃は、御役目御免となった藩主や大名は武家屋敷を売却し、それを買い漁ったのが明治維新による特権を掴んだ新興勢力や三井家の様な大店(おおだな)です。

ただそれも、太平洋戦争で敗戦しアメリカ流の国家形成が実施されると、自分達で作った仲良しグループの貴族や華族などの特権階級は同じ憂(う)き目に遭う事となる。

JANIS IAN /♪ When You Love Someone

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250624 - ラジオの友 URL

2025/06/24 (Tue) 06:57:18

◆◇◆其の二十七:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

太平洋戦争で敗戦しアメリカ流の国家形成が実施され、1947年に日本国憲法が制定されると、自分達で作った仲良しグループの貴族や華族などの特権階級は廃止され、その上に国家から財産税の負担を求められた。

東京都心に広大な土地の屋敷を構えていた貴族や華族、それに臣籍降下(しんせきこうか)した皇族は税負担に耐えられなくなり、挙(こぞ)って所有する不動産の売却に出た。

この不動産を安値で買い支えたのが西武電鉄グループの創業者で政治家だった堤康次郎(つつみやすじろう/西武電鉄→政治家)さんである。

今なら政治家の特権を活かした不平等なインサイダー取引だが、当時は終戦直後の焼け野原の為に、目先の飯の種(めしのたね)の方が大切である。

品川から高輪の一帯や赤坂などの屋敷を購入した堤康次郎(つつみやすじろう/西武電鉄→政治家)さんは、その土地にホテル事業を展開して、皇族の土地が多かった事もありホテル名をプリンスホテルとした。

今でも存続している品川プリンスホテルや高輪プリンスホテルの敷地がやたら広いのは、この様な事情があるからです。

そんな堤康次郎(つつみやすじろう/西武電鉄→政治家)さんが創業した西武電鉄グループは、その後、非常に複雑な企業の膨張と事業の拡大をする。

滋賀県の農村で生まれ育った堤康次郎(つつみやすじろう/西武電鉄→政治家)さんは一夫多妻を採り入れ、多くの女性との間に多くの子供が誕生している。

そんな数多い子息の内、弟の堤義明(つつみよしあき/西武電鉄)さんが西武電鉄グループをはじめ不動産業の国土(こくど)やプリンスホテルを引き継いだ。

父親と相性が悪く仲違いしていた兄の堤清二(つつみせいじ/セゾン→作家)さんは西武百貨店など流通事業を引継ぎ、後々にセゾングループとした。

その傍(かたわら)で、辻井喬(つじいたかし)の名前で作家としても活躍している。

そして妹の堤邦子(つつみくにこ/西武電鉄→フランス)さんは、父親と大喧嘩をして単身でフランスに移住してしまう。

これが日本のファッション業界を大きく変える出来事となる。

現在でも憧れのファッションブランドの大半が、この堤邦子(つつみくにこ/西武電鉄→フランス)さんがフランスやイタリアから西武百貨店を通じて日本に紹介したものである。

昭和期〜平成期初旬にエルメスの販売権を持っていたのは西武百貨店で、日本全国の主要な西武百貨店にエルメスの店舗が入っていたのは、これが理由です。

他にクリスチャンディオールやルイヴィトン、ジョルジオアルマーニやイヴサンローランなども日本に根付かせている。

バブル期前後はファッションの西武(パルコ・無印良品)として名を馳せたのも、この堤邦子(つつみくにこ/西武電鉄→フランス)さんの功労があってこそである。

ラグジュアリーブランドを集めたセレクトショップの西武ピサ(S&D)が、プリンスホテルのショッピング街に入居していたのも、この繋がりからです。

ファッションだけでなく、プジョーシトロエンやサーブなどのヨーロッパ車を手掛けていた西武自動車販売や、OLD/NEW(オールドニュー)やCASA(カーサ)など飲食店を手掛けていたレストラン西武も、ヨーロッパの風を届けてくれていました。

令和の時代、現在の西武電鉄グループに、堤氏やセゾンと関わりがある組織や団体があるだろうか?

ALICIA KEYS FEAT.MALEAH JOI MOON /♪ KALEIDOSCOPE

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250624 - ラジオの友 URL

2025/06/24 (Tue) 06:59:26

◆◇◆其の二十八:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

江戸城(えどじょう)の外堀には、徳川御三家(とくがわごさんけ)の巨大な屋敷が配置されている。

常陸国(ひたち/茨城県)の水戸城(みとじょう)を拠点とする水戸徳川家は北方の水道橋で、現在は東京ドームや小石川後楽園となっている。

尾張国(愛知県)の名古屋城(なごやじょう)を拠点とする尾張徳川家は西方の市ヶ谷で、現在は防衛省の市ヶ谷駐屯所となっている。

紀伊国(和歌山県)の和歌山城(わかやまじょう)を拠点とする紀州徳川家は南西方の四ツ谷で、現在は赤坂御所となっている。

この徳川御三家(とくがわごさんけ)の広大な屋敷の立地は、武蔵野台地から東海道に掛けて敵陣が侵攻してきた場合の陣営の役目も担っていた。

1603年に開設された江戸幕府の当初は、摂津国(大阪府)の大坂城(おおさかじょう)では豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)の側室の淀君(よどぎみ/浅井→豊臣)と息子の豊臣秀頼(とよとみひでより/豊臣)が御健在で、豊臣家臣団の権力も誇示していた。

その後の1614年に起こった「大坂・冬の陣」と1615年に起こった「大坂・夏の陣」にて、大坂城(おおさかじょう)は炎上し豊臣家が滅亡した。

しかし、戦国乱世を知る外様(とざま)大名もまだまだ御健在で、徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)は信用信頼に置ける親藩(しんぱん)大名や譜代(ふだい)大名を各所に配置して監視の目を光らせていた。

徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)も、いつ寝首を掻(か)かれるやも知れん。

その不安材料がまだ残る江戸時代初期の名残が、水戸徳川家と尾張徳川家と紀州徳川家の広大な屋敷である。

この徳川御三家(とくがわごさんけ)の屋敷は幕末後も土地を切り売りする事なく、ある意味、ほぼ当時の敷地形状を保っている。

過去の遺物を全否定する東京にとって、これは奇跡と言ってよい。

GRACE JONES /♪ WILLIAMS BLOOD

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250624 - ラジオの友 URL

2025/06/24 (Tue) 07:01:38

◆◇◆其の二十九:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

江戸時代の末期、既に江戸幕府の組織構造は限界に近付き、統治不能に陥り権威も下降していた。

時代と世界が江戸幕府の体制に適合しなくなっており、そんな時は誰がどうしようと駄目(ダメ)なものは駄目(ダメ)で、立て直そうとすればする程、悪化の一途(いっと)を辿る。

解り易く言うと、自分の体型がLサイズなのに、Sサイズの服を着ようとする様なもので、強引に着れば当然にSサイズの服は破れる。

そんな時代に、近江国(滋賀県)の彦根藩の16代目藩主で大老に就いていた井伊直弼(いいなおすけ/江戸)が組織改革を実施して、江戸幕府に反発する地方の藩を粛清(しゅくせい)した。

その処罰の中で、長州藩の藩士で私塾の松下村塾(しょうかそんじゅく)の塾長だった吉田松陰(よしだしょういん/長州)や、越前国(福井県)の福井藩の16代目藩主で一橋派の松平慶永(まつだいらよしなが/江戸)の家臣だった橋本左内(はしもとさない/福井)が、伝馬町牢屋敷(てんまちょうろうやしき)で斬首された。

これを1858年に起こった「安政の大獄」(あんせいのたいごく)と呼ぶ。

多くの藩士や役人の恨みつらみを買った井伊直弼(いいなおすけ/江戸)は、江戸城(えどじょう)の桜田門(さくらだもん)に向かう途中に、水戸藩の藩士に襲撃を受けて死去する。

これを1860年に起こった「桜田門外の変」(さくらだもんがいのへん)と呼ぶ。

現在、この井伊直弼(いいなおすけ/江戸)の屋敷があった場所には、警視庁や財務省や国土交通省が集積する官庁街となっている。

その奥が、よく映像に登場する国会議事堂のアングルスポットとなる。

THE CORRS /♪ GOODBYE

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250624 - ラジオの友 URL

2025/06/24 (Tue) 07:04:29

◆◇◆其の三十:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

1860年に起こった「桜田門外の変」(さくらだもんがいのへん)で大混乱を起(き)した江戸幕府。

暗殺された井伊直弼(いいなおすけ/江戸)の後任に就いたのは、陸奥国(むつ/福島県)の磐城平藩(いわきたいらはん)の5代目藩主で老中首座の安藤信正(あんどうのぶまさ/江戸)である。

ところが前任者と同様に、江戸城(えどじょう)の坂下門(さかしたもん)に向かう途中に、水戸藩の藩士に襲撃された。

ただ、この時は安藤信正(あんどうのぶまさ/江戸)も逃亡し、背中に斬り傷を負っただけで命に別状はなかった。

これを1862年に起こった「坂下門外の変」(さかしたもんがいのへん)と呼ぶ。

この5年後の1867年に、京都の二条城(にじょうじょう)にて執り行われた征夷大将軍15代目の徳川慶喜(とくがわよしのぶ/徳川)による「大政奉還」(たいせいほうかん)を考えると、この時期に江戸幕府で就労していた役人はどんな気持ちで働いていたのだろう。

沈み行(ゆ)く大きな船に乗りながら、武士として船と同じく沈む覚悟をしていたのか、はたまた、沈む前に飛び降りて泳いで自分だけでも助かろうとしたのか。

2通りの考え方があると思う。

あなたはどっちだぁ?

OLIVIA NEWTON-JOHN /♪ SOMETHING BETTER TO DO

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250624 - ラジオの友 URL

2025/06/24 (Tue) 07:08:23

◆◇◆其の三十一:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

江戸城(えどじょう)の南西方に立地しているのが紀州徳川家の屋敷と尾張徳川家の屋敷と井伊家の屋敷で、徳川幕府の中でも重要中心武家の3家である。

特に近江国(滋賀県)の彦根藩の井伊家は、戦国時代から徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)に仕えた“赤鬼”と呼ばれた井伊直政(いいなおまさ/今川→徳川)の家系で、井伊隊の武士は朱色の甲冑(かっちゅう)を身にまとう“赤備え”(あかぞなえ)が有名である。

常に徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)の傍(かたわら)に井伊直政(いいなおまさ/今川→徳川)が着いていた事で、江戸幕府の開設が実現できたと言っても過言ではないくらいの功労者である。

その子孫が1860年に起こった「桜田門外の変」(さくらだもんがいのへん)で暗殺された井伊直弼(いいなおすけ/江戸)です。

そんな徳川家や江戸幕府に取って重要な武家を配置したこの地を、後々に紀州徳川家と尾張徳川家と井伊家の其々(それぞれ)の家号から紀尾井町(きおいちょう)と名付けられた。

時は流れ1868年に265年間も続いた江戸幕府も事実上に消滅して、時は明治期の日本新政府の時代に入った。

1869年には江戸幕府の残党も一掃した「戊辰戦争」(ぼしんせんそう)も終わり、明治維新により日本列島は新しい幕開けを予感していた。

ところが日本新政府の内部分裂により、鹿児島県に帰郷していた“維新の三傑”(いしんのさんけつ)と呼ばれる西郷吉之助(さいごうきちのすけ)こと西郷隆盛(さいごうたかもり/薩摩)が国家転覆を目論む首謀者として朝敵とされ、1877年に起こった「西南戦争」にて敗北し自決した。

これでようやく、明治維新により日本列島は新しい幕開けを期待した。

ところが日本新政府が1871年に実施した「廃藩置県」(はいはんちけん)などにより、日本各地の藩士から待遇や処遇の不満が膨張する。

この日本新政府の対応に憤懣(ふんまん)した石川県の加賀藩の藩士が、“元祖の内閣総理大臣”で“維新の三傑”(いしんのさんけつ)と呼ばれる大久保利通(おおくぼとしみち/薩摩)を紀尾井町(きおいちょう)の清水谷(しみずだに)にて暗殺した。

これを1878年に起こった「紀尾井坂の変」(きおいざかのへん)と呼ぶ。

この暗殺の地は、奇(く)しくも徳川家や江戸幕府に取って重要な武家を配置した紀州徳川家と尾張徳川家と井伊家の其々(それぞれ)の屋敷の跡地である。

徳川家や江戸幕府を壊滅させた“維新の三傑”(いしんのさんけつ)の大久保利通(おおくぼとしみち/薩摩)の最期(さいご)の地が紀尾井町(きおいちょう)です。

これは何を物語っているのか?

そこから時は流れて昭和期に入ると、この広大な敷地は1964年に開催される東京オリンピックで多くのインバウンド(訪日観光客)を受け入れるホテルニューオータニと赤坂プリンスホテルの用地となった。

THE ROLLING STONES /♪ LADY JANE

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250624 - ラジオの友 URL

2025/06/24 (Tue) 07:11:13

◆◇◆其の三十二:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

江戸城(えどじょう)の東方には武家屋敷と商人町の日本橋を南北に隔てる内堀の川が流れていた。

ちょうど現在の東京駅の八重洲口(やえすぐち)前の道路辺りである。

その八重洲口(やえすぐち)と言う地名だが、これは外国人から名付けられたものです。

1600年の「関ヶ原の戦」(せきがはらのたたかい)の少し前の徳川家と豊臣家の関係が最高潮に悪化し、日本列島が緊張感に包まれた最悪の時期に、九州は豊後国(ぶんご/大分県)の国東半島(くにさきはんとう)にある臼杵(うすき)に寄港した1隻のオランダ船。

そこに乗員していたのがイギリス人で航海士のウィリアムアダムス(三浦按針/江戸)と、オランダ人で貿易商のヤンヨーステン(耶揚子/江戸)である。

そこから何(なん)やかんやあって、2人の異国人は征夷大将軍1代目の徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)に気に入られて、江戸幕府の貿易顧問に就任した。

ウィリアムアダムス(三浦按針/江戸)とヤンヨーステン(耶揚子/江戸)は武士の位(くらい)を授かり、江戸城(えどじょう)の東方に屋敷も与えられた。

それが現在の東京駅の八重洲口(やえすぐち)の辺りである。

ヤンヨーステン(耶揚子/江戸)が居住した屋敷跡地の地名を、ヤンキー漢字の手法で八重洲(やえす)と名付けた。

そこんとこ、世露死苦(ヨロシク)!

徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)の特にお気に入りとなったウィリアムアダムス(三浦按針/江戸)は、三浦半島の一画に領域も与えられ、日本人妻も娶(めと)り子供も誕生している。

“青い目の侍(サムライ)”である。

この“按針”(あんじん)と言う名前は、航海士に必要な羅針盤にちなんで名付けられた。

一方、そこから400年余り後に、日本からイギリスに渡った“黒い髪のホップアイドル”が居る。

現在は女優などで活躍する鈴木杏樹(すずきあんじゅ/女優)さんである。

ウィリアムアダムス(三浦按針/江戸)の“按針”(あんじん)に名前も似ている。

夏の鎌倉にて、日傘を差して着物を着た鈴木杏樹(すずきあんじゅ/女優)さんが、片手に持つのはお中元の“海苔の詰合セット”のイメージが日本では一般的であろう。

ところがである。

鈴木杏樹(すずきあんじゅ/女優)さんは1990年初旬に、あのカイリーミノーグやデッドオアアライヴなどが名を連ね、ハイエナジービートやユーロビートサウンドを特徴としたイギリスのPWL(ストックエイトキンウォーターマン)に所属して、ジャパニーズポップガールのKAKKO(カコ)してデビューしている。

正(まさ)に“青い目の侍(サムライ)”のウィリアムアダムス(三浦按針/江戸)に相通(あいつう)ずる“黒い髪のホップアイドル”の鈴木杏樹(すずきあんじゅ/女優)さんである。

現在でも鈴木杏樹(すずきあんじゅ/女優)さんは、ディスコのお立ち台に昇ってユーロビートを掛ければ、軽く3時間程度はノンストップで踊れると思います。

GILBERT O'SULLIVAN /♪ We Will

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250624 - ラジオの友 URL

2025/06/24 (Tue) 07:13:18

◆◇◆其の三十三:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

戦国時代末期、一番の衝撃的な出来事と言えば1582年に起こった「本能寺の変」(ほんのうじのへん)ではなかろうか。

天下統一をあと一歩まできた織田信長(おだのぶなが/織田)が、直参家臣の明智光秀(あけちみつひで/斎藤→織田→明智)に討って取られた事件である。

この時、織田信長(おだのぶなが/織田)の側近だった“黒人の侍(サムライ)”と呼ばれた弥助(やすけ/イエズス会→織田)が、京都の妙覚寺(みょうかくじ/日蓮宗)に滞在していた織田氏の後継者で嫡男(ちゃくなん)の織田信忠(おだのぶただ/織田)へ、明智光秀(あけちみつひで/斎藤→織田→明智)による謀反(むほん)の知らせに走った。

その後、明智光秀(あけちみつひで/斎藤→織田→明智)の大軍が妙覚寺(みょうかくじ/日蓮宗)や二条御所(にじょうごしょ)を包囲し、『もはや、これまでぇ!』と悟った織田信忠(おだのぶただ/織田)の側近の有楽如庵(うらくじょあん)こと織田長益(おだながます/織田→茶人)は、甥の織田信忠(おだのぶただ/織田)に切腹を薦める。

こうして織田信忠(おだのぶただ/織田)は自決したのだが、続いて切腹に挑んだ有楽如庵(うらくじょあん)こと織田長益(おだながます/織田→茶人)は、腹に突き刺す小刀のあまりにもの痛さに自決を断念した。

そして、そのまま京都から兄の織田信長(おだのぶなが/織田)が建てた近江国(滋賀県)の安土城(あづちじょう/近江八幡)に逃げ帰ったと言う。

ただその後、有楽如庵(うらくじょあん)こと織田長益(おだながます/織田→茶人)は、豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)や徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)に気に入られ、激変する時代の波を難(なん)なく渡り歩いている。

これは織田信長(おだのぶなが/織田)の弟だからではなく人間性の魅力で、誰の目から視(み)ても人畜無害(じんちくむがい)の性格をしていたのだろう。

戦国時代の最中(さなか)では、有楽如庵(うらくじょあん)こと織田長益(おだながます/織田→茶人)は、出陣する際に落馬し骨折して合戦に参加できなかったと言う。

その合戦の戦術も戦法も下手(へた)で、自他共に認める無能な武将であった。

ただその反面、茶の湯の世界では大いに能力を発揮して、田中与四郎(たなかよしろう)こと千利休(せんのりきゅう/茶人)は茶飲み友達である。

茶道の通名(とおりな)も当初は、武道の才能の無い自分を卑下(ひげ)して無楽如庵(むらくじょあん)だったが、『何も楽しい事が無いのは哀しい。』と言った豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)が“無”を“有”に変更させて有楽如庵(うらくじょあん)になった。

江戸幕府でも徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)から江戸城(えどじょう)の南東方の一等地に屋敷を与えられて、有楽如庵(うらくじょあん)こと織田長益(おだながます/織田→茶人)は茶道を嗜(たしな)みながら暮らしていたと言う。

その有楽如庵(うらくじょあん)こと織田長益(おだながます/織田→茶人)の屋敷があった場所が有楽町(ゆうらくちょう)と名付けられた。

もし、豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)が茶道の通名(とおりな)のアドバイスをしなかったら、この町も無楽町(むらくちょう)になっていました。

そして、あなたと私の合言葉は『無楽町(むらくちょう)で逢いましょう。』だった事でしょう。

DUSTY SPRINGFIELD AND DARYL HALL /♪ WHEREVER WOULD I BE?

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250624 - ラジオの友 URL

2025/06/24 (Tue) 07:15:26

◆◇◆其の三十四:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

戦国時代に徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)を支えた多くの三河国(愛知県)の武将がいる。

その内の1人が服部半蔵(はっとりはんぞう)こと服部正成(はっとりまさなり/徳川)である。

徳川軍では“徳川十六神将”(とくがわじゅうろくしんしょう)に数えられ、服部氏は誰もが知る伊賀国(三重県)の忍者集団だ。

“忍者ハットリくん”の先祖である。

服部半蔵(はっとりはんぞう)こと服部正成(はっとりまさなり/徳川)は徳川軍が飛躍する中で大いに貢献した。

徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)の命も救っている。

1582年に徳川軍の同盟だった織田信長(おだのぶなが/織田)が直参家臣の明智光秀(あけちみつひで/斎藤→織田→明智)に討ち取られた「本能寺の変」(ほんのうじのへん)では、徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)は織田信長(おだのぶなが/織田)の招きで近江国(滋賀県)の安土城(あづちじょう/近江八幡)を見学した後、和泉国(大阪府)の堺で商業都市について視察していた。

そこへ明智光秀(あけちみつひで/斎藤→織田→明智)の謀反(むほん)により、織田信長(おだのぶなが/織田)が死去した知らせが入る。

京都と堺は目と鼻の先。

次に明智軍に狙われるのは同盟軍の徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)である。

しかも徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)は視察団しか引き連れておらず、徳川軍の手勢は少ない。

そこで“徳川四天王”の本多忠勝(ほんだただかつ/徳川)を筆頭に、三河国(愛知県)の岡崎城(おかざきじょう)へ早急に引き返す事となった。

退陣経路は、和泉国(大阪府)の堺から河内国(大阪府)を経由して大和国(奈良県)へ行き、そこから険しい山岳地帯の伊賀国(三重県)を通り伊勢国(三重県)に抜けて、伊勢湾を船で渡り尾張国(愛知県)の知多半島に上陸して、三河国(愛知県)の岡崎城(おかざきじょう)へ帰還する計画だった。

この経路には既に徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)の首を狙う明智軍の武士が潜伏している。

無事に岡崎城(おかざきじょう)へ帰還する成功の確率は低い。

この時に活躍したのが伊賀国(三重県)の忍者集団である。

畿内(きない/関西)の山岳地帯を熟知している伊賀忍者は、明智軍に見つかる事なく安全な経路を案内して、徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)の御一行を無事に伊勢国(三重県)の湊に送り届けた。

服部半蔵(はっとりはんぞう)こと服部正成(はっとりまさなり/徳川)が、伊賀忍者の棟梁(とうりょう)の系統だった事で成し得た成果である。

これが有名な「伊賀越え」(いがごえ)です。

ただ戦国時代は、徳川軍の服部半蔵(はっとりはんぞう)こと服部正成(はっとりまさなり/徳川)にとり、良い事ばかりではなかった。

徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)の妻で今川義元(いまがわよしもと/今川)の姪でもある築山殿(つきやまどの/今川→徳川)と、その息子で徳川氏の後継者だった松平信康(まつだいらのぶやす/徳川)が、甲斐国(山梨県)の武田勝頼(たけだかつより/武田)が率いる武田軍と内通している疑惑が持ち上がった。

同盟軍の織田信長(おだのぶなが/織田)との関係悪化を危惧(きぐ)した徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)が家臣に命じて、1579年に遠江国(とおとうみ/静岡県)の佐鳴湖(さなるこ/浜松)付近で妻の築山殿(つきやまどの/今川→徳川)は斬殺された。

一方、遠江国(とおとうみ/静岡県)の二俣城(ふたまたじょう/浜松)に居た嫡男(ちゃくなん)の松平信康(まつだいらのぶやす/徳川)は切腹を命じられ、その介錯(かいしゃく)に服部半蔵(はっとりはんぞう)こと服部正成(はっとりまさなり/徳川)が指名される。

ヨチヨチ歩きの赤ん坊の時から松平信康(まつだいらのぶやす/徳川)に仕えていた服部半蔵(はっとりはんぞう)こと服部正成(はっとりまさなり/徳川)は、正(まさ)に父親の想いで我が子同然の松平信康(まつだいらのぶやす/徳川)を斬れる筈(はず)もない。

泣き叫ぶ服部半蔵(はっとりはんぞう)こと服部正成(はっとりまさなり/徳川)に代わり、見かねた別の者が切腹した松平信康(まつだいらのぶやす/徳川)を介錯(かいしゃく)した。

そんな人情に厚い伊賀忍者の服部半蔵(はっとりはんぞう)こと服部正成(はっとりまさなり/徳川)は、江戸幕府では江戸城(えどじょう)の要所でもある西方に屋敷を与えられた。

その地が後に半蔵門(はんぞうもん)と名付けられた。

そして営団地下鉄(東京メトロ)の半蔵門線(はんぞうもんせん)や半蔵門駅(はんぞうもんえき)として現代でも名が残っている。

因みにラベンダー色の半蔵門線(はんぞうもんせん)の電車内には、今でも一般乗客に混じって伊賀忍者が潜伏している為に、“痴漢”(チカン)などの悪事を働く悪人に対しては手裏剣(しゅりけん)で仕留(しと)められます。

石鹸(せっけん)の香りがする横の女性に対して、欲望を抑えられない殿方(とのがた)は気を付けましょう。

まだまだ長生きがしたければ、大人しくするのが一番です。

『ニンニン。』

NICK HEYWARD /♪ AUGUST IN THE MORNING

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250624 - ラジオの友 URL

2025/06/24 (Tue) 07:17:19

◆◇◆其の三十五:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

織田信長(おだのぶなが/織田)が“天下布武”を公言した美濃国(岐阜県)の岐阜城(ぎふじょう)と長良川のある岐阜と、飛騨国(岐阜県)の江戸幕府が直轄地として設けた高山陣屋(たかやまじんや)と飛騨山脈(北アルプス)のある高山。

その中間に位置する美濃国(岐阜県)の郡上八幡。

江戸時代には、郡上藩の藩主で奏者番(そうじゃばん)の金森頼錦(かなもりよりかね/江戸)は、自らの出世欲のために領国に厳しい年貢を課していた。

征夷大将軍8代目の徳川吉宗(とくがわよしむね/徳川)が「享保の改革」(きょうほうのかいかく)で採用した、お米の収穫高に限らず決まった年貢の免率を納める「定免制」(じょうめんせい)を導入し、過去数年の収穫高の平均値を年貢としていた。

この「定免制」(じょうめんせい)を郡上藩だけ取止めて「有毛検見法」(ありげけみほう)に切替えて、検見役人が農地を取調べて、その年のお米の収穫高で年貢を決めた。

江戸幕府の美濃郡代(みのぐんだい)の青木次郎九郎(あおきじろくろ/郡上)、勘定奉行(かんじょうぶぎょう)の大橋親義(おおはしちかよし/江戸)、郡上藩の家老の伊藤弥一郎(いとうやいちろう/郡上)により、「有毛検見法」(ありげけみほう)は“公儀御作法”(こうぎごさほう)として、郡上藩の藩主の金森頼錦(かなもりよりかね/江戸)への忖度(そんたく)も加味して実施を決定した。

これにより農民は反発し一揆を起こし、これが美濃国(岐阜県)の郡上から広範囲に拡大していった。

この時に農民代表者数名が美濃国(岐阜県)の郡上から400kmの道程(みちのり)を掛けて武蔵国(東京都)の江戸城まで駕籠訴(かごそ)しに行った。

これを“徳川四天王”の酒井忠次(さかいただつぐ/徳川)の末裔で、出羽国(でわ/山形県)の庄内藩の藩主で老中の酒井忠寄(さかいただより/江戸)が対応した。

事態を重く見た江戸幕府の裁定は、農民代表者数名は一揆の責任を取り斬首となったが、郡上藩の関係者も処分された。

郡上藩の藩主の金森頼錦(かなもりよりかね/江戸)は領地没収の改易(かいえき)となり、美濃郡代(みのぐんだい)の青木次郎九郎(あおきじろくろ/郡上)と勘定奉行(かんじょうぶぎょう)の大橋親義(おおはしちかよし/江戸)と郡上藩の家老の伊藤弥一郎(いとうやいちろう/郡上)は罷免(ひめん)された。

また、“大岡越前守”(おおおかえちぜんのかみ)と呼ばれる大岡忠相(おおおかただすけ/江戸)の親族でもあり、武蔵国(埼玉県)の岩槻藩(いわつき)の藩主で側用人の大岡忠光(おおおかただみつ/江戸)の進言により、江戸幕府の上層部も処分された。

三河国(愛知県)の挙母藩(ころも/豊田)の藩主で若年寄(わかどしより)の本多忠央(ほんだただなか/江戸)は領地没収の改易(かいえき)となり、駿河国(静岡県)の田中藩(藤枝)の藩主で老中の本多正珍(ほんだまさよし/江戸)と、大目付(おおめつけ)の曲淵英元(まがりぶちひでちか/江戸)は罷免(ひめん)された。

これを1754年に起こった「郡上一揆」と呼ぶ。

美濃国(岐阜県)の郡上藩は、丹後国(京都府)の宮津藩から領地移転の転封(てんぽう)により青山幸道(あおやまよしみち/江戸)が新しい藩主となった。

この一連の「郡上一揆」を教訓に、青山幸道(あおやまよしみち/江戸)は領民の融和に貢献するために「郡上踊り」を推奨した。

三十夜を踊り続ける「郡上踊り」、それが300年後の現代まで続いている。

同時期の江戸には、伊予国(愛媛県)出身で文明講談の開祖と言われる馬場文耕(ばばぶんこう/講釈師)が居た。

1754年に起こった「郡上一揆」の原因を作った郡上藩の藩主の金森頼錦(かなもりよりかね/江戸)を題材にした“金森騒動”を、日本橋榑正町(くれまさちょう)の商屋を借りて講釈していたところ、江戸幕府の町廻横目(まちまわりよこめ)に捕らえられた。

その後、“幕府羞恥罪”(ばくふしゅうちざい)により江戸市中を引回しとなり、千住にある小塚原刑場(こづかっぱらけいじょう)で斬首された。

1758年の秋の頃である。

そんな「郡上踊り」を伝承させた青山幸道(あおやまよしみち/江戸)の屋敷かどうかは判らないが、江戸城(えどじょう)の南西方に広大な敷地で青山大膳(あおやまだいぜん)の名称の屋敷が設けられている。

その北方には少し狭いが下野国(しもつけ/栃木県)の青山氏の屋敷もある。

三河国(愛知県)の額田(ぬかた)を拠点とした青山氏の系統で、徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)など松平氏に代々に渡り仕え、常陸国(ひたち/茨城県)の江戸崎藩(えどさき/稲敷)の藩主に就任した青山忠成(あおやまただなり/江戸)の屋敷があった事が青山の地名の由来(ゆらい)とされている。

この地域は言わずと知れた、お洒落の代名詞でもある青山の地です。

実際にファッションのブティックが集結しているのは表参道周辺なのだが、青山一丁目駅の周辺もお洒落な街並みが形成されている。

そんなお洒落と同居するのが東京都内でも最大級の青山霊園である。

この青山霊園、現代科学では説明の付かない出来事が色々と起こる事でも有名である。

まあ、そんな事を言い出したら、1923年(大正12年)の関東大震災や1945年(昭和20年)の太平洋戦争で、多くの死傷者を出し焼け野原となった東京一帯の全てが霊園みたいなものではある。

因みに青山忠成(あおやまただなり/江戸)の妻の父親は、1579年に遠江国(とおとうみ/静岡県)の二俣城(ふたまたじょう/浜松)にて、謀反(むほん)を疑われた徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)の嫡男(ちゃくなん)の松平信康(まつだいらのぶやす/徳川)が切腹する際に、介錯(かいしゃく)する筈だった服部半蔵(はっとりはんぞう)こと服部正成(はっとりまさなり/徳川)に代わり実行した人物である。

SAVAGE GARDEN /♪ TRULY MADLY DEEPLY

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250624 - ラジオの友 URL

2025/06/24 (Tue) 07:19:15

◆◇◆其の三十六:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

江戸幕府は将軍が政権を司るのではなく、側近の田沼意次(たぬまおきつぐ/江戸)が権力を掌握する“田沼時代”となる。

征夷大将軍10代目の徳川家治(とくがわいえはる/徳川)は幼い頃から、祖父の征夷大将軍8代目で愛馬の亘(わたる/愛馬)に跨(またが)り海岸沿いを水飛沫(みずしぶき)を上げながら颯爽(さっそう)と走ってくる“暴れん坊将軍”こと徳川吉宗(とくがわよしむね/徳川)に英才教育を施され、将軍となった暁月(あかつき)には、家臣任せではなく自分が政権を担える様に鍛えられた。

そのため徳川家治(とくがわいえはる/徳川)は当然に、今まで政権運営を実施してきた田沼意次(たぬまおきつぐ/江戸)から実権を取り上げて、自らが指揮する予定だったが・・・

ところが当の本人は政治に全く関心を示さず、側用人の田沼意次(たぬまおきつぐ/江戸)と老中の松平武元(まつだいらたけちか/江戸)の二人三脚で政治を任せ、自分は趣味の将棋に没頭した。

1779年に老中の松平武元(まつだいらたけちか/江戸)が死去すると、徳川家治(とくがわいえはる/徳川)は側用人の田沼意次(たぬまおきつぐ/江戸)に老中を任命する。

表の権力者の老中と裏の権力者の側用人を1人の人物が兼ねるのは江戸幕府の人事としては異例であり、その事からも分かる通り将軍ではなく“将棋指し”(しょうぎさし)としての徳川家治(とくがわいえはる/徳川→棋士)の心意気が読み取れる。

徳川家治…『♪吹け〜ば飛ぶよぅ〜な 将棋の駒に〜』

徳川家治…『♪懸け〜た命を 笑わば笑え〜』

徳川家治…『♪生ま〜れお江戸の 八百八町〜』

徳川家治…『♪月も知って〜る おいらぁ〜の意気地〜』(♪王将)

パチッ

徳川家治…『王手っ!』

その頃、“♪青葉城恋唄”で知られる陸奥(みちのく)の地は仙台。

“独眼竜政宗”で知られる戦国武将の伊達政宗(だてまさむね/伊達→豊臣→徳川)の末裔で、陸奥国(むつ/宮城県)の仙台藩の7代目藩主の伊達重村(だてしげむら/仙台)。

そして、“♪青年おはら節”で知られる雄大な桜島が構える薩摩。

後(のち)に征夷大将軍11代目となる徳川家斉(とくがわいえなり/徳川)の義父で、薩摩国(鹿児島県)の薩摩藩の8代目藩主の島津重豪(しまづしげひで/薩摩)。

この仙台藩の伊達重村(だてしげむら/仙台)は、薩摩藩の島津重豪(しまづしげひで/薩摩)に対して対抗意識が強く、江戸幕府に対して島津重豪(しまづしげひで/薩摩)と同格の官位を授ける様に要求している。

この官位獲得のため伊達重村(だてしげむら/仙台)は、幕閣(ばっかく)の重要人物に多額の賄賂を贈呈している。

そのメンバーをご紹介します。

先(ま)ずはやはりこの人、江戸幕府の権力者となった老中かつ側用人の田沼意次(たぬまおきつぐ/江戸)です。

それに縁故出世を果たした田沼意次(たぬまおきつぐ/江戸)の弟で、徳川御三卿の一橋家の家老に就任した田沼意誠(たぬまおきのぶ/江戸)。

続いて上野国(こうずけ/群馬県)の館林藩の藩主で老中や寺社奉行(じしゃぶぎょう)を歴任した松平武元(まつだいらたけちか/江戸)。

最後に江戸城の伏魔殿(ふくまでん)と言われる大奥で、老女や上臈御年寄(じゅうろうおとしより)を務めた高丘(たかおか/江戸)です。

まさに薩摩藩の島津重豪(しまづしげひで/薩摩)に対する仙台藩の伊達重村(だてしげむら/仙台)の執念は、東軍の伊達政宗(だてまさむね/伊達→豊臣→徳川)VS西軍の島津忠恒(しまずただつね/島津→豊臣→徳川)と言う1600年に起こった「関ヶ原の戦」(せきがはらのたたかい)の再来かと思わせる対抗心である。

一方、武蔵国(埼玉県)の川越藩と出羽国(でわ/山形県)の山形藩の藩主で老中を務めた秋元凉朝(あきもとすけとも/江戸)は、取巻きから“鼻薬を嗅いて”(賄賂)、私腹を肥やす田沼意次(たぬまおきつぐ/江戸)が許せなかった。

その為に、この2人には確執(かくしつ)があった。

征夷大将軍10代目の徳川家治(とくがわいえはる/徳川)や江戸幕府を上下左右に動かせる田沼意次(たぬまおきつぐ/江戸)は、気に食わない秋元凉朝(あきもとすけとも/江戸)を、1767年に武蔵国(埼玉県)の川越藩から出羽国(でわ/山形県)の山形藩へ領地移転の転封(てんぽう)を命じている。

これに反発した秋元凉朝(あきもとすけとも/江戸)は老中を辞任して隠居し、江戸の屋敷から出る事なく、養子の秋元永朝(あきもとつねとも/江戸)に山形藩の藩主を継承させた。

その後も武蔵国(埼玉県)の川越では秋元凉朝(あきもとすけとも/江戸)の影響力が強く、田沼意次(たぬまおきつぐ/江戸)は生涯に渡り、“小江戸”と言われる川越の地に手を出す事が出来なかった。

そんな時代を生きた伊達重村(だてしげむら/仙台)の屋敷かどうか判らないが、青山家の屋敷に隣接して伊達家の屋敷もある。

遠江国(とおとうみ/静岡県)の伊達家と記載されているが、家紋を見る限り系統としては伊達政宗(だてまさむね/伊達→豊臣→徳川)であろう。

征夷大将軍3代目の徳川家光(とくがわいえみつ/徳川)に“伊達のおやじ殿”と呼ばれ懐かれていた伊達政宗(だてまさむね/伊達→豊臣→徳川)だが、江戸城(えどじょう)の大手門や内堀の石垣などを仙台藩の自費で普請(ふしん)している。

そんな宮城県仙台市の英雄でもある“独眼竜政宗”と呼ばれる伊達政宗(だてまさむね/伊達→豊臣→徳川)だが、母親の義姫(よしひめ/最上→伊達)も大きく貢献している事も忘れてはならない。

BRUCE SPRINGSTEEN /♪ DRIVE ALL NIGHT

◆ラジオの友◆

今日の1枚、お薦めレコード/20250623 - ラジオの友 URL

2025/06/23 (Mon) 11:33:36

◆◇◆大人のジャズはよろしゅうおすぅなぁ〜◆◇◆

ELLA FITZGERALD /♪ LET'S DO IT (LET'S FALL IN LOVE)

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250623 - ラジオの友 URL

2025/06/23 (Mon) 11:34:41

JAMIE SHEW /♪ JUST SQUEEZE ME

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250623 - ラジオの友 URL

2025/06/23 (Mon) 11:35:42

NNENNA FREELON /♪ BLACK IRIS

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250623 - ラジオの友 URL

2025/06/23 (Mon) 11:36:44

CAILI O'DOHERTY /♪ TWO DEUCES

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250623 - ラジオの友 URL

2025/06/23 (Mon) 11:37:41

大林武司TBN Trio/♪ BLACK REBEL

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250623 - ラジオの友 URL

2025/06/23 (Mon) 11:38:38

LITTLE NORTH /♪ THIRD EYE

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250623 - ラジオの友 URL

2025/06/23 (Mon) 11:39:32

PATRICE RUSHEN /♪ PUTTERED BOPCOM

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250623 - ラジオの友 URL

2025/06/23 (Mon) 11:40:24

ELEONORA STRINO /♪ I GOT RHYTHM

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250623 - ラジオの友 URL

2025/06/23 (Mon) 11:41:17

JAKE LECKIE /♪ SANTA TERESA

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250623 - ラジオの友 URL

2025/06/23 (Mon) 11:42:28

DEZOLVE /♪ NIGHT OF MEGALOPOLIS

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250623 - ラジオの友 URL

2025/06/23 (Mon) 11:43:28

RODNEY JORDAN /♪ THE ART OF BLAKEY

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250623 - ラジオの友 URL

2025/06/23 (Mon) 11:44:24

EYAL VILNER BIG BAND /♪ DON'T YOU FEEL MY LEG

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250623 - ラジオの友 URL

2025/06/23 (Mon) 11:45:23

THE EMPRESS /♪ NICA'S DREAM

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250623 - ラジオの友 URL

2025/06/23 (Mon) 11:47:15

Boney James /♪ GOT IT GOIN' ON

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250623 - ラジオの友 URL

2025/06/23 (Mon) 11:48:11

AL FOSTER /♪ SONG FOR MONIQUE

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250623 - ラジオの友 URL

2025/06/23 (Mon) 11:49:03

BOB JAMES & DAVE KOZ /♪ SMILE

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250623 - ラジオの友 URL

2025/06/23 (Mon) 11:49:55

JEB PATTON QUARTET /♪ WHISPER NOT

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250623 - ラジオの友 URL

2025/06/23 (Mon) 11:50:45

NNENNA FREELON /♪ JOURNEY OF THE HEART

◆ラジオの友◆

今日の1枚、お薦めレコード/20250619 - ラジオの友 URL

2025/06/19 (Thu) 07:15:48

今夜も始まりました。

深夜ラジオの歌うテールライト(コックピットのドライバーへ)のお時間です。

こんな夜更けでも荷物を運ぶトラックのドライバーさん、ご苦労様です。

お互い眠い目を擦りながら頑張りましょう!

眠気覚ましの音楽をドンドンとお届けしてまいります。

では、最新ヒットナンバーをチェックイットアウト!

1曲目のリクエストは、あのフォークの神様、ボブディランの♪天国への扉です。

さぁ、この曲よ、天国のビリー・ザ・キッドに届けぇ〜

レッツゴーミュージック!

BOB DYLAN /♪ KNOCKIN' ON HEAVEN'S DOOR

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250619 - ラジオの友 URL

2025/06/19 (Thu) 07:17:32

では、次のリクエストは、エリッククラプトンの♪天国への扉です。

レッツゴーミュージック!

ERIC CLAPTON /♪ KNOCKIN' ON HEAVEN'S DOOR

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250619 - ラジオの友 URL

2025/06/19 (Thu) 07:18:47

では、次のリクエストは、ベイビーフェイスの♪天国への扉です。

レッツゴーミュージック!

BABYFACE /♪ KNOCKIN' ON HEAVEN'S DOOR

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250619 - ラジオの友 URL

2025/06/19 (Thu) 07:19:56

では、次のリクエストは、ロジャーウォーターズの♪天国への扉です。

レッツゴーミュージック!

ROGER WATERS /♪ KNOCKIN' ON HEAVEN'S DOOR

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250619 - ラジオの友 URL

2025/06/19 (Thu) 07:21:22

次のリクエストは、ガンズ&ローゼズの♪天国への扉です。

これが最後の曲になります。

では、また来週、お会いしましょう。

シィーユーネクストウィーク、バァ〜イ!

Guns N' Roses /♪ KNOCKIN' ON HEAVEN'S DOOR

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250619 - ラジオの友 URL

2025/06/19 (Thu) 07:24:12

ガンズ&ローゼズの♪スウィートチャイルドオブマイン。

スラッシュが奏でるイントロリフのギターソロが何とも言えないが、当人曰(いわ)く、適当に弾いたと語っている。

ああでもない、こうでもないと、企画や計画に沿って大人数で進める事業や作品で、名作が生まれないのと同じで、良い物は偶発的に誕生するのかも知れない。

Guns N' Roses/♪ SWEET CHILD OF MINE

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250619 - ラジオの友 URL

2025/06/19 (Thu) 07:26:19

カントリー調で歌うシェリルクロウの♪スウィートチャイルドオブマイン。

シェリルちゃんは、この曲でグラミー賞を受賞しました。

SHERYL CROW /♪ SWEET CHILD OF MINE

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250619 - ラジオの友 URL

2025/06/19 (Thu) 07:27:17

ロッドスチュワートと共同制作したジェフベックの♪ピープルゲットレディ。

JEFF BECK /♪ PEOPLE GET READY

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250619 - ラジオの友 URL

2025/06/19 (Thu) 07:28:21

ジェフベックと共同制作したロッドスチュワートの♪ピープルゲットレディ。

Rod Stewart/♪ PEOPLE GET READY

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250619 - ラジオの友 URL

2025/06/19 (Thu) 07:29:18

元ネタのインプレッションズの♪ピープルゲットレディ。

The Impressions /♪ People Get Ready

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250619 - ラジオの友 URL

2025/06/19 (Thu) 07:30:23

ソウル調モータウン風のスティーヴィーワンダーの♪ゴールデンレディ。

STEVIE WONDER /♪ GOLDEN LADY

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250619 - ラジオの友 URL

2025/06/19 (Thu) 07:31:19

ラテン調ボサノバ風のホセフェリシアーノの♪ゴールデンレディ。

JOSE FELICIANO /♪ GOLDEN LADY

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250619 - ラジオの友 URL

2025/06/19 (Thu) 07:32:16

サイケデリック調に歌うドアーズの♪ライトマイファイヤー。

ハートに火を着けちゃうぞぉ!

もっと焦がしてぇ〜!

The Doors/♪ LIGHT MY FIRE

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250619 - ラジオの友 URL

2025/06/19 (Thu) 07:33:19

カントリー調に歌うホセフェリシアーノの♪ライトマイファイヤー。

火にハートを着けちゃうぞぉ!

熱っ、熱っ〜!

JOSE FELICIANO /♪ LIGHT MY FIRE

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250619 - ラジオの友 URL

2025/06/19 (Thu) 07:34:17

クリーデンスクリアウォーターリバイバル(CCC)の♪ミッドナイトスペシャル。

カントリーバンドの大御所がカバーしたブルース調カントリー。

C.C.R.(CREEDENCE CLEARWATER REVIVAL) /♪ MIDNIGHT SPECIAL

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250619 - ラジオの友 URL

2025/06/19 (Thu) 07:35:22

レッドベリーの♪ミッドナイトスペシャル。

哀愁が漂う懐かしきもあり、哀しきもあるブルース調カントリー。

歌はいつでも人間が何をしたのか、歴史の残酷さを教えてくれる。

LEADBELLY /♪ MIDNIGHT SPECIAL

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250619 - ラジオの友 URL

2025/06/19 (Thu) 07:36:32

ミュージックビデオが印象的なボブディランの♪サブタレニアンホームシックブルースです。

Bob Dylan /♪Subterranean Homesick Blues



◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250619 - ラジオの友 URL

2025/06/19 (Thu) 07:37:43

そのミュージックビデオを“ウィアードアル”ヤンコビックがパロディーにした曲名も♪ボブ。

ボブディランに対してのリスペクト感が満載です。

"Weird Al" Yankovic /♪ Bob

◆ラジオの友◆

今日の1枚、お薦めレコード/20250618 - ラジオの友 URL

2025/06/18 (Wed) 18:41:51

◆◇◆其の一:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

2025年、世界的な大都市でもある日本の首都の東京。

首都圏の人口規模は日本の3割超を占め、今なお人勢が流れ込み膨張し続ける巨大都市である。

山手線の内側には止まる事の知らない再開発が繰り返され、超高層ビルが乱立し、数年単位で景観が瞬(またた)く間に変化して、その様相(ようそう)は都市部に住んでいる者でさえ躊躇(ちゅうちょ)している。

では、そんな東京はいつの頃から誕生して今に至っているのか?

この定義には諸説あるが、一般的には徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)が1603年に江戸幕府を開設したのが東京の始まりとされる。

それ以前の京都や奈良の畿内(きない/関西)に代わって、400年以上も日本の中心として東京は現在まで君臨している。

その元となる都市構造は、武蔵国(東京都)の江戸城(えどじょう)を中心とした城下町である。

江戸城下町を基本に400年以上も掛けて進化と発展してきた東京。

逆に言えば、現在の東京に建ち並ぶビルや道路を観察すれば、古(いにしえ)の江戸城下町に突き当たる事もできる。

それでは現在の東京が江戸時代では、どうだったのか見てみよう。

TORI AMOS /♪ PROFESSIONAL WIDOW

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250618 - ラジオの友 URL

2025/06/18 (Wed) 18:47:39

◆◇◆其の二:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

江戸城下町と言っても、征夷大将軍1代目の徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)が1603年に江戸幕府を開設してから、征夷大将軍15代目の徳川慶喜(とくがわよしのぶ/徳川)が1867年に「大政奉還」(たいせいほうかん)するまでの265年間では大きく異なる。

江戸時代後期の江戸城下町を参考に鉄道駅が落とし込まれた地図を参考に見てみようと思う。

先(ま)ずは皇居となっている江戸城(えどじょう)だが、御殿を中心に松平家や一橋家の大きな屋敷が多い事が解る。

日比谷公園も本多家や京極家などの武家屋敷が建ち並んでいる。

現在も残るお堀や日本橋川だが、埋立てられた銀座から日本橋のお堀が道路になっている。

祖父の徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)が大好きだった征夷大将軍3代目の徳川家光(とくがわいえみつ/徳川)が、1636年に豪華絢爛な天守閣を再築した。

その江戸城(えどじょう)の天守閣だが、「振袖火事」と呼ばれる1657年に起こった「明暦の大火」(めいれきのたいか)で焼失し、既に合戦の時代ではない事と、江戸幕府の財政難から再建されなかった。

江戸城(えどじょう)は江戸城下町の威厳の役割を果たしていたが、征夷大将軍4代目の徳川家綱(とくがわいえつな/徳川)の時代の「明暦の大火」(めいれきのたいか)で炎上して、その時の重鎮家臣だった保科正之(ほしなまさゆき/徳川→会津)の判断で、不要な天守閣より江戸城下町の復興が先決とされ再建は見送られた。

BEADY BELLE FEAT.INDIA.ARIE /♪ SELF-FULFILLING

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250618 - ラジオの友 URL

2025/06/18 (Wed) 18:52:08

◆◇◆其の三:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

平安時代に常陸国(ひたち/茨城県)や下総国(しもうさ/東京都・千葉県・茨城県)を統治していた平将門(たいらまさかど/朝廷→常陸)だが、京都の朝廷から敵視され第61代天皇の朱雀天皇(すざくてんのう/朝廷)の綸旨(りんじ)にて東国討伐命令が下る。

それに対して平将門(たいらまさかど/朝廷→常陸)は、京都の朝廷に反乱を起こして坂東八州(ばんどうはっしゅう)を統括して新国家を樹立した。

しかし、朝廷軍と交戦した940年に起こった「平将門の乱」(たいらのまさかどのらん)こと「承平天慶の乱」(じょうへいてんぎょうのらん)にて、平将門(たいらまさかど/朝廷→常陸)は敗北して斬首される。

平将門(たいらまさかど/朝廷→常陸)の首級(しゅきゅう)は京都の七条河原に梟首(きょうしゅ)された。

ところが鬼の形相(ぎょうそう)となった平将門(たいらまさかど/朝廷→常陸)の首級(しゅきゅう)は、自らの身体を求めて京都から東国へ飛んで行ったと言う。

そして450kmくらい飛んだ辺りで力尽き、平将門(たいらまさかど/朝廷→常陸)の首級(しゅきゅう)はポトリと落ちた。

その場所が武蔵国(東京都)の日比谷入江(ひびやいりえ)の辺りだったと言う。

現在は皇居の東方真向かいの東京都千代田区大手町に“元祖武将の神様”として平将門(たいらまさかど/朝廷→常陸)の首塚が祀られているが、その立地を江戸城下町に落とし込むと酒井家の屋敷が建っている。

元々の首塚はもう少し東方の日本橋辺りだったらしいが、何年かの内に大手町に落ち着いた。

天皇家の朝敵とされた平将門(たいらまさかど/朝廷→常陸)が、現在は江戸城(えどじょう)の跡地の天皇家の禁中(きんちゅう)でもある皇居の真向かいを陣取っているのが興味深い。

BRANDY CLARK /♪ LOVE CAN GO TO HELL

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250618 - ラジオの友 URL

2025/06/18 (Wed) 18:56:20

◆◇◆其の四:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

征夷大将軍1代目の徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)にも“元祖武将の神様”として崇められた平将門(たいらまさかど/朝廷→常陸)は、江戸城(えどじょう)の鬼門を守護するため北東方に神田明神(かんだみょうじん)の祭神として祀られている。

江戸城下町の神田明神(かんだみょうじん)は神田川沿いまでの広範囲に及んでいる。

1687年に「生類憐れみの令」を発布した“犬公方”と呼ばれた征夷大将軍5代目の徳川綱吉(とくがわつなよし/徳川)が、神田明神(かんだみょうじん)の敷地内に、中国大陸の魯(ろ)で生まれ育った儒学者の孔子(こうし/学者)を祀る孔子廟(こうしびょう)を設けて、江戸幕府の侍従(じじゅう)などに儒教を学ばせた湯島聖堂(ゆしませいどう)がある。

御茶ノ水の南方は細分化された敷地の武家屋敷が密集しているので、与力(よりき)や同心(どうしん)が住んでいたのかも知れない。

MARIA MENA /♪ YOUR GLASSES

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250618 - ラジオの友 URL

2025/06/18 (Wed) 19:02:55

◆◇◆其の五:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

征夷大将軍1代目の徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)は、もし嫡流(ちゃくりゅう)の徳川家に将軍候補の嫡男(ちゃくなん)が途絶えた場合の為に、皇室の世襲親王家に倣(なら)って庶流(しょりゅう)の徳川御三家(とくがわごさんけ)を設けた。

常陸国(ひたち/茨城県)の水戸城(みとじょう)を拠点とした水戸徳川家で、石高は35万石あった。

尾張国(愛知県)の名古屋城(なごやじょう)を拠点とした尾張徳川家で、石高は62万石あった。

紀伊国(和歌山県)の和歌山城(わかやまじょう)を拠点とした紀州徳川家で、石高は56万石あった。

265年余りの江戸幕府で、庶流(しょりゅう)の徳川御三家(とくがわごさんけ)から征夷大将軍を輩出したのは、“暴れん坊将軍”でお馴染みの征夷大将軍8代目の徳川吉宗(とくがわよしむね/徳川)からで、更に徳川御三卿(とくがわごさんきょう)の田安徳川家と一橋徳川家と清水徳川家を設けて紀州徳川家がほぼ独占した。

徳川御三家(とくがわごさんけ)を見ても一際(ひときわ)、影の薄い水戸徳川家だが、征夷大将軍4代目の徳川家綱(とくがわいえつな/徳川)から征夷大将軍5代目の徳川綱吉(とくがわつなよし/徳川)の時代に掛けては、“水戸黄門”でお馴染みの常盤水戸藩の2代目藩主の徳川光圀(とくがわみつくに/徳川→水戸)が、時代劇のお陰で断トツで有名になる。

その後、江戸幕府の最後に大きな花火を打ち上げたのも水戸徳川家である。

幕末の時代、常盤水戸藩の9代目藩主で一橋派だった徳川斉昭(とくがわなりあき/徳川)が江戸幕府とは別の組織で権力を掌握し、その息子の徳川慶喜(とくがわよしのぶ/徳川)が、征夷大将軍14代目の徳川家茂(とくがわいえもち/徳川)の養子に入り、江戸幕府で最後となる征夷大将軍15代目に就任し、1867年に京都の二条城(にじょうじょう)にて「大政奉還」(たいせいほうかん)を実施して朝廷に政権を返上した。

そんな水戸徳川家の屋敷が水道橋から後楽園の一帯にあった。

現在で言うと東京ドームが建っている辺りである。

常陸国(ひたち/茨城県)の水戸と言えば、9代目藩主の徳川斉昭(とくがわなりあき/徳川)が造園を指示した日本三大庭園の偕楽園(かいらくえん)が名所となっているが、ここ江戸の水戸徳川家の屋敷にも小石川後楽園(こいしかわこうらくえん)が造園された。

常陸国(ひたち/茨城県)の領民が、如何(いか)に日本庭園が大好きなのが判る。

TAMIA /♪ OFFICIALLY MISSING YOU

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250618 - ラジオの友 URL

2025/06/18 (Wed) 19:10:38

◆◇◆其の六:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

武蔵国(東京都)の江戸城(えどじょう)を中心とした江戸城下町。

その北方には徳川家の菩提寺の傳通院(でんづういん/浄土宗)が建立(こんりゅう)されている。

このお寺は徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)の母親の於大の方(おだいのかた/水野→松平→水野)が、1602年に山城国(京都府)の伏見城(ふしみじょう/京都)にて死去した際、於大の方(おだいのかた/水野→松平→水野)の遺言により江戸で埋葬された墓陵でもある。

母親の於大の方(おだいのかた/水野→松平→水野)は、息子の徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)が武蔵国(東京都)で江戸幕府を開設する事を1年前に知っていたかの様だ。

これが母親の能力と言われる、言葉では説明付かない母性本能である。

於大の方(おだいのかた/水野→松平→水野)の父親は尾張国(愛知県)の知多半島を統治する戦国武将の水野忠政(みずのただまさ/織田→今川→織田)で、尾張国(愛知県)の緒川城(おがわじょう/東浦)と三河国(愛知県)の刈谷城(かりやじょう)の城主でもある。

当時は尾張国(愛知県)の北部を統治していた守護代の織田信秀(おだのぶひで/織田)や、駿河国(静岡県)の守護代だった“海道一の弓取り”(東海道で一番の武将)と呼ばれた今川義元(いまがわよしもと/今川)と、提携したり破棄したりと、水野氏は敵味方を戦況によって替えていた。

その息子で於大の方(おだいのかた/水野→松平→水野)の兄の水野信元(みずののぶもと/今川→織田)が、尾張国(愛知県)の“大うつけ”(大バカ者)と呼ばれた織田信長(おだのぶなが/織田)を支持した事により、1554年に起こった「村木砦の戦」(むらきとりでのたたかい)や1560年に起こった「桶狭間の戦」(おけはざまのたたかい)にて、今川軍を討ち破り戦国時代の流れを変えた。

その織田信長(おだのぶなが/織田)も、於大の方(おだいのかた/水野→松平→水野)を本当の母親だと想い慕(した)い、最期(さいご)まで頭が上がらなかったと言う。

これが1562年に締結した織田氏と徳川氏の鉄の結束となる「清洲同盟」(きよすどうめい)に繋がっている。

於大の方(おだいのかた/水野→松平→水野)の実家でもある水野家の菩提寺は、愛知県東浦町にある宇宙山(うちゅうざん)の乾坤院(けんこんいん/曹洞宗)で、その隣地には於大公園(おだいこうえん)が設けられている。

当然、この東浦町のマスコットキャラクターは“おだいちゃん”だ。

因みに知多半島を主とした尾張国(愛知県)の地には、曹洞宗(そうとうしゅう)のお寺が多く存在しており、もしかしたら守護大名の斯波氏(しばうじ)に仕えていた守護代の織田氏は越前国(福井県)が出身で、その曹洞宗(そうとうしゅう)の総本山は越前国(福井県)の永平寺(えいへいじ)なので、地域的な関係があるのかも知れない。

傳通院(でんづういん/浄土宗)の東方に阿部家の大きな屋敷がある。

誰の御殿かは解らないが、武蔵国(埼玉県)の岩槻藩(さいたま)の藩主や大坂城代に就いた阿部正次(あべまさつぐ/徳川→江戸)や、その息子で六人衆や老中(ろうじゅう)に就いた阿部重次(あべしげつぐ/江戸)、もしくは従兄弟で六人衆や老中(ろうじゅう)に就いた阿部忠秋(あべただあき/江戸)の家系の屋敷の可能性はある。

どちらにせよ、江戸幕府で重鎮家臣に就いていた阿部家の屋敷には違いない。

CHAPPELL ROAN /♪ GOOD LUCK, BABE!

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250618 - ラジオの友 URL

2025/06/18 (Wed) 19:17:11

◆◇◆其の七:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

皇居の北東方に位置する上野公園。

ここには征夷大将軍3代目の徳川家光(とくがわいえみつ/徳川)により1625年に、江戸城(えどじょう)の鬼門を守護する寛永寺(かんえいじ/天台宗)が建立(こんりゅう)された。

その243年後の1868年に起こった「戊辰戦争」(ぼしんせんそう)にて、慶応4年3月に起こった「江戸城無血開城」に反発した幕府軍が篭城し、慶応4年5月に起こった「上野戦争」の激戦地となったのが寛永寺(かんえいじ/天台宗)の境内である。

その上野の寛永寺(かんえいじ/天台宗)で謹慎している徳川慶喜(とくがわよしのぶ/徳川)を護衛したのが彰義隊(しょうぎたい)である。

2000人ほど所属する彰義隊(しょうぎたい)の隊長には渋沢成一郎(しぶさわせいいちろう/彰義隊)、副隊長には天野八郎(あまのはちろう/江戸)が就任していた。

渋沢成一郎(しぶさわせいいちろう/彰義隊)とは、武蔵国(埼玉県)の血洗島村(深谷)の出身の豪農で、渋沢栄一(しぶさわえいいち/実業家)の従兄弟にあたる。

江戸幕府の勝海舟(かつかいしゅう/江戸)と日本新政府の西郷隆盛(さいごうたかもり/薩摩)は、彰義隊(しょうぎたい)に対して解散する様に要求していた。

これにより隊長の渋沢成一郎(しぶさわせいいちろう/彰義隊)と彰義隊(しょうぎたい)の1000人余りが解散に応じた。

一方、副隊長の天野八郎(あまのはちろう/江戸)と残りの彰義隊(しょうぎたい)は寛永寺(かんえいじ)に篭城して抗戦する構えである。

ここで維新軍は、幕末の維新闘争派で長州藩に仕えていた周防国(すおう/山口県)の吉敷郡(湯田温泉)の出身で軍師の大村益次郎(おおむらますじろう/学者)が指揮を取ることになった。

寛永寺(かんえいじ/天台宗)の敷地の東西南北に2000人を3軍に分けて布陣させ、北西南側に軍隊を配置して、東側だけは彰義隊(しょうぎたい)が逃走できる様に開けておいた。

維新軍は最新鋭武器のアームストロング砲などで猛攻撃し、彰義隊(しょうぎたい)は大量殺戮された。

副隊長の天野八郎(あまのはちろう/江戸)も討死した。

なんとか生き延びた彰義隊(しょうぎたい)の残党は、東側から逃走して合戦の幕は閉じる。

不忍池(しのばずのいけ)の水は、斬殺された彰義隊(しょうぎたい)に属し血を流した武士の亡骸(なきがら)で赤く染まったと言う。

この江戸幕府の彰義隊(しょうぎたい)を大量虐殺して維新軍が勝利した記念として、上野公園に西郷隆盛(さいごうたかもり/薩摩)の銅像が創建された。

その寛永寺(かんえいじ/天台宗)の西方には加州の大きな屋敷があるが、これは加賀国(石川県)の前田家の御殿である。

隣接する徳川御三家(とくがわごさんけ)でもある水戸徳川家の屋敷よりも大きい。

江戸時代に外様(とざま)大名で、これだけ広い屋敷を構えるのも珍しい。

それもこれも加賀国(石川県)の百万石の礎(いしずえ)を築いた“ツッパリの利家”と呼ばれた前田利家(まえだとしいえ/織田→豊臣)あっての話しで、織田信長(おだのぶなが/織田)に仕えて尾張国(愛知県)の傾奇者(かぶきもの/異端者)と呼ばれ、織田軍では数々の武功を挙げた人物である。

その前田利家(まえだとしいえ/織田→豊臣)の子孫とあらば、徳川家も無碍(むげ)に扱う事は出来ないだろう。

現在は前田家の屋敷と水戸徳川家の屋敷を併せた一帯が東京大学の敷地になっている。

あの東京大学で有名な赤門は、加賀国(石川県)の前田家の屋敷が構えていた御門である。

“ツッパリの利家”と呼ばれた前田利家(まえだとしいえ/織田→豊臣)と、日本屈指の高学歴の東京大学が結び付いている事が興味深い。

MARIA MONTELL /♪ LAD SKYERNE FORSVINDE

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250618 - ラジオの友 URL

2025/06/18 (Wed) 19:21:12

◆◇◆其の八:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

東京でインバウンド(訪日観光客)に一番に人気があるのが浅草(あさくさ)ではないだろうか?

江戸風情がどこ彼処(かしこ)に感じられる和文化が根付く下町である。

その浅草(あさくさ)の代名詞が雷門でお馴染みの浅草寺(せんそうじ/天台宗)です。

飛鳥時代の628年に建立(こんりゅう)された日本でも最古級のお寺と言う。

この頃は、ようやく仏教がインドからシルクロードを伝り中国大陸や朝鮮半島に浸透して、海を渡り日本に伝来した時代でもあります。

だから、その当時は天台宗(てんだいしゅう)は開教されてないので、建立(こんりゅう)した時は純粋な仏教だったと思われる。

浅草(あさくさ)と言えば隅田川と吾妻橋(あづまばし)だが、当然に江戸時代には架かってなく、その代わりに大川橋が架かっている。

江戸の職人さんは、あの幅広い隅田川に木造橋をよく建築できたと感心する。

田原町には浄土真宗(じょうどしんしゅう)の“真宗大谷派”の東本願寺(ひがしほんがんじ)が建立(こんりゅう)されていますね。

CHYNNA PHILLIPS /♪ I LIVE FOR YOU

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250618 - ラジオの友 URL

2025/06/18 (Wed) 19:26:49

◆◇◆其の九:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

浅草寺(せんそうじ/天台宗)の北方にあるのが、江戸時代の娯楽の殿堂、快楽の境地でもある吉原遊廓(よしわらゆうかく)である。

吉原遊廓(よしわらゆうかく)の街区面積は、幅員が355mで奥行が266mの9万4430㎡(2万8565坪/東京ドーム2個分)もあります。

周囲には田んぼや畑が多い事が分かる。

広大な敷地を囲む“御歯黒溝”(おはぐろどぶ)は、働く遊女(ゆうじょ)が逃げれない様に設けていました。

吉原遊廓(よしわらゆうかく)に来訪するには“日本堤”を通り、遊女(ゆうじょ)との別れを惜しむ“見返り柳”が出迎える“衣紋坂”(えもんざか)、そこからくの字に曲がった“五十間道”(ごじっけんみち/90m)を進むと、“極楽天上”の大門(おおもん)を潜(くぐ)り、たんまりと実った“桃色楽園”に辿(たど)り着きます。

吉原遊廓(よしわらゆうかく)の区画割は、田の字の様に無数の置屋(おきや)や揚屋(あげや)が建ち並び、中央に仲の町の大通りが1本通り、そこに京町、江戸町、伏見町などの所在地を示しています。

江戸時代の遊廓で働く遊女(ゆうじょ)には“番付け”の格付けがありました。

最高位から花魁(おいらん)、太夫(たゆう)、新造(しんぞう)、局見世(つぼねみせ)や安女郎(やすじょろう)、禿(かむろ)です。

そして呼出し(よびだし)、昼三(ちゅうさん)、付廻し(つけまわし)、振袖新造(ふりそでしんぞう)などの格付けもあります。

吉原遊廓(よしわらゆうかく)の郭外ではお金の無い人向けに、提重(さげじゅう)、夜鷹(よたか)が安銭で請け負っています。

この遊女(ゆうじょ)の中には、梅毒などの性病で吉原遊廓(よしわらゆうかく)から追い出された女性も多く含まれていました。

男色の陰間(かげま)は上野の近くの湯島天神(ゆしまてんじん)の界隈に区画が設けられ、衆道(しゅどう)も採り入れて、まだ舞台に立てない歌舞伎の若い役者が、己の心身を女性に徹する為に、敢(あ)えて男性を相手にしていた“芸文化”も発展させています。

LEIGH JONES /♪ COLD IN L.A.

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250618 - ラジオの友 URL

2025/06/18 (Wed) 19:31:37

◆◇◆其の十:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

吉原遊廓(よしわらゆうかく)の北方にあるのが、江戸時代の最大級の処刑場と言われた小塚原刑場(こづかっぱらけいじょう)です。

小塚原刑場(こづかっぱらけいじょう)は、犯罪を犯した罪人だけでなく、身元不明の亡骸(なきがら)も埋葬しています。

特に吉原遊廓(よしわらゆうかく)が近い事もあり、亡くなった遊女(ゆうじょ)の亡骸(なきがら)を多く引き取っていたそうです。

小塚原刑場(こづかっぱらけいじょう)の北方に隅田川が流れており、この様な刑場(けいじょう)は大きな河川や海が近くにある事が多く、水辺は遺体処理に適している事が伺えます。

京都の鴨川の三条河原や六条河原、それに大坂の千日刑場(せんにちけいば)や三軒家刑場(さんげんやけいば)なども同じ理由です。

この様な人の生死に関わる地域で発展したのが、京都の四条河原では歌舞伎、大坂の道頓堀では寄席などの大衆芸能です。

曲亭馬琴(きょくていばきん/作家)を見出した浮世絵や黄表紙(きびょうし)などを出版していた蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう/出版元)も、生まれも育ちも吉原遊廓(よしわらゆうかく)の門前町です。

こうして見ると、人の嫌がる様な穢(けが)らわしいと言われる地域で生涯を揉(も)まれると、人並み以上の輝きを放つ事例でもある。

綺麗事しか言わないお頭(つむ)の弱いアホォな人種が、如何(いか)に人生の輝きを放つ事が不可能なのかがよく判る。

LEIGH JONES /♪ THE WORDS YOU NEVER SAY

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250618 - ラジオの友 URL

2025/06/18 (Wed) 19:36:43

◆◇◆其の十一:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

現在の東京都は江戸時代には武蔵国(東京都)に属していた。

その武蔵国(東京都・神奈川県・埼玉県)と下総国(しもうさ/東京都・千葉県・茨城県)は隅田川で隔てている。

その隅田川に架かるのが両国橋である。

武蔵国(東京都・神奈川県・埼玉県)と下総国(しもうさ/東京都・千葉県・茨城県)の2領国を結ぶので両国橋である。

ただ、この領国の領域の線引きも曖昧(あいまい)なところがあり、見識によっては下総国(しもうさ/東京都・千葉県・茨城県)に東京都は入っていない事もある。

お相撲さんで有名な両国だが、当時は江戸幕府の倉庫が建ち並んでいた。

これも運搬に便利な水運が主体の江戸時代の背景が見て取れる。

江戸幕府の御米蔵でもある浅草御蔵地と本所御蔵地が隅田川の左右岸辺に設けられている。

そんな両国橋の東詰には回向院(えこういん/浄土宗)と言うお寺があり、ここが日本でお相撲を発展させた地です。

これが現在でも両国に国技館が設けられ、相撲部屋が多い理由でもあります。

その国技館の敷地が、元は本所御蔵地の土地です。

SISSEL KYRKJEBO /♪ BREAKING UP IS HARD TO DO

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250618 - ラジオの友 URL

2025/06/18 (Wed) 19:46:32

◆◇◆其の十二:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

日本史最大の誹謗中傷事件でもある忠臣蔵(ちゅうしんぐら)。

「生類憐れみの令」でお馴染みの“犬公方”と呼ばれた征夷大将軍5代目の徳川綱吉(とくがわつなよし/徳川)の時期の出来事です。

1701年に京都の朝廷から皇族の勅使(ちょくし)を江戸城(えどじょう)に招聘(しょうへい)して宴会を開催していた時に、浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)こと浅野長矩(あさのながのり/赤穂→江戸)が吉良上野介(きらこうずけのすけ)こと吉良義央(きらよしなか/江戸)を斬り付ける「松之廊下刃傷事件」(まつのろうかにんじょうじけん)が起こった。

徳川綱吉(とくがわつなよし/徳川)は、自分の母親のお玉(たま)こと桂昌院(けいしょういん/本庄→徳川)の官位に付いて朝廷に嘆願する意図もあった宴会の最中(さなか)に起こった不祥事である。

面目を潰された徳川綱吉(とくがわつなよし/徳川)は、即刻に浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)こと浅野長矩(あさのながのり/赤穂→江戸)を斬首を命じた。

お玉(たま)こと桂昌院(けいしょういん/本庄→徳川)は徳川家光(とくがわいえみつ/徳川)の側室で、京都の八百屋の娘と言われ、この身分の違いの婚姻から玉の輿(たまのこし)と言う言葉が生まれた。

この皇室との宴会では、江戸幕府として吉良上野介(きらこうずけのすけ)こと吉良義央(きらよしなか/江戸)は饗応指南役(きょうおうしなんやく)と言う総監督に就ており、浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)こと浅野長矩(あさのながのり/赤穂→江戸)は勅使饗応役(ちょくしきょうおうやく)の
と言う会計係に就いていた。

現代風に言えば、丸の内に本社がある大手企業の役員が吉良上野介(きらこうずけのすけ)こと吉良義央(きらよしなか/江戸)で、その会社の経理課に属しているのが浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)こと浅野長矩(あさのながのり/赤穂→江戸)である。

常識的に考えても大企業の役員と平社員に接点など見当たらない。

播磨国(はりま/兵庫県)の赤穂藩では藩主を失い、領地没収の改易(かいえき)の憂(う)き目に遭い、赤穂藩士も路頭に迷う牢人(無職侍)となった。

1702年に、赤穂藩の家老(かろう)だった大石内蔵助(おおいしくらのすけ)こと大石良雄(おおいしよしお/赤穂)が首謀者となり、赤穂浪士四十七士を引き連れて、両国の吉良邸(きらてい)を襲撃した「吉良邸討入」(きらていうちいり)が起こる。

現代風に言えば、世の中の上人に対して嫉妬心(しっとしん)や憎悪心(ぞうおしん)から、下人が因縁(いんねん)や難癖(なんくせ)を付けて集団でリンチして殺害するのと同じである。

この行為を日本では、300年近くに渡り美徳と教えてきた。

彼方(あちら)が良くて、此方(こちら)が悪く、彼方(あちら)が間違っていて、此方(こちら)が正しいなどの二者択一(にしゃたくいつ)ではなく、これが地球上に在する本来の人間の素性(すじょう)である事がよく判る。

そりゃ、いつまで経っても駄目(ダメ)だわなぁ〜

映像の向こう側で戦争をしている人間も、映像のこちら側で戦争を観ている人間も、そんなに大(たい)して差は無い。

BETH NIELSEN CHAPMAN /♪ LIFE HOLDS ON

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250618 - ラジオの友 URL

2025/06/18 (Wed) 19:51:03

◆◇◆其の十三:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

1702年の「吉良邸討入」(きらていうちいり)で、初槍の間重次郎(はざまじゅうじろう)こと間光興(はざまみつおき/赤穂)や二番太刀の武林唯七(たけばやしただしち)こと武林隆重(たけばやしたかしげ/赤穂)により、家主の吉良上野介(きらこうずけのすけ)こと吉良義央(きらよしなか/江戸)が斬首された。

赤穂藩の家老(かろう)だった大石内蔵助(おおいしくらのすけ)こと大石良雄(おおいしよしお/赤穂)をはじめ赤穂浪士四十六士は、その吉良上野介(きらこうずけのすけ)こと吉良義央(きらよしなか/江戸)の首級(しゅきゅう)を持参して、両国の吉良邸(きらてい)から高輪(たかなわ)の泉岳寺(えいせんじ/曹洞宗)まで移動して、浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)こと浅野長矩(あさのながのり/赤穂→江戸)の墓前に仇討(あだう)ちの報告をした。

この吉良上野介(きらこうずけのすけ)こと吉良義央(きらよしなか/江戸)の斬殺にえらく感動したのが征夷大将軍5代目の徳川綱吉(とくがわつなよし/徳川)である。

結局、赤穂浪士四十六士の罪状は、主君に忠誠を誓う侍魂(サムライたましい)として、武士の情けで斬首では無く切腹を命じた。

人間の歴史は、正論ではなく愉快な劇場型で成り立っている事がよく解る。

現代の動画サイトと同じで、人の興味を引き面白ければそれで良い。

ただし、人間界では許容範囲でも、神様の天界では厳格に処される事もお忘れなく。

BETH NIELSEN CHAPMAN /♪ THE MOMENT YOU WERE MINE

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250618 - ラジオの友 URL

2025/06/18 (Wed) 19:59:53

◆◇◆其の十四:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

江戸への主な街道で、太平洋側を進み京都まで繋がる東海道。

現代でも新幹線や高速道路など、東京と大阪を結ぶ日本屈指の大動脈である。

そんな江戸の日本橋を起点とする東海道の最初の宿場町は品川宿(しながわしゅく)である。

東京都港区と品川区に跨(またが)る品川宿(しながわしゅく)は、大変に賑わった街と言われています。

この品川には、征夷大将軍3代目の徳川家光(とくがわいえみつ/徳川)により東海寺(とうかいじ/臨済宗)が建立(こんりゅう)された。

東海寺(とうかいじ/臨済宗)の住職に、但馬国(たじま/兵庫県)の豊岡の僧侶だった沢庵宗彭(たくあんそうほう/僧侶)を招聘(しょうへい)する程の力の入れようです。

江戸幕府と朝廷が対立した1627年の紫衣事件(しえじけん)にて、朝廷側に立って猛抗議したのが沢庵宗彭(たくあんそうほう/僧侶)である。

その時に発明されたのがお漬物の沢庵(たくあん)です。

その東海寺(とうかいじ/臨済宗)の北方にある御殿山(ごてんやま)は、室町時代に扇谷上杉氏(おうぎがやうえすぎし)の家宰(かさい)に就いていた太田道灌(おおたどうかん/扇谷)が屋敷(御殿)を築いた場所で、実は江戸城(えどじょう)もこの御殿山(ごてんやま)だったと言われている。

BETH NIELSEN CHAPMAN /♪ CHILD AGAIN

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250618 - ラジオの友 URL

2025/06/18 (Wed) 20:07:03

◆◇◆其の十五:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

現在でも東京のシンボルと言えば東京タワーである。

どんなに超高層ビルが周囲を埋め尽くしても、伝統と威厳を保つ東京タワーが異彩を放っている。

その東京タワーの足元に建っているのが徳川家の菩提寺でもある増上寺(ぞうじょうじ/浄土宗)である。

近江国(滋賀県)の延暦寺(えんりゃくじ)が総本山の天台宗(てんだいしゅう)を宗派とする徳川家は、伝教大師(でんぎょうだいし)こと最澄(さいちょう/天台宗)の教えを信仰している。

山城国(京都府)の知恩院(ちおんいん)が総本山の浄土宗(じょうどしゅう)でもある増上寺(ぞうじょうじ/浄土宗)を徳川家の菩提寺に指定するのは珍しく、法然(ほうねん/浄土宗)が唱える念仏の『南無阿弥陀仏』に有り難みを感じての事でしょう。

そんな増上寺(ぞうじょうじ/浄土宗)の南方に一際目立つ有馬家の屋敷があり、有馬玄蕃(ありまげんば)と記載されている。

有馬氏と言えば、江戸幕府では丹波国(京都府)の福知山藩と筑後国(福岡県)の久留米藩の藩主に就任し、肥前国(長崎県)の武将の有馬豊氏(ありまとようじ/豊臣→徳川)が思い浮かぶ。

“暴れん坊将軍”で有名な征夷大将軍8代目の徳川吉宗(とくがわよしむね/徳川)の直参家臣で、紀伊国(和歌山県)の和歌山城(わかやまじょう)から仕えていた旗本で御用取次(ごようとりつぎ)の有馬氏倫(ありまうじのり/紀州→江戸)も居る。

後に伊勢国(三重県)の伊勢西条藩(いせにしじょうはん/鈴鹿)の藩主に就任している。

その斜め下に筑後国(福岡県)の島津家と記載されているが、薩摩国(鹿児島県)の島津家の屋敷は高輪に建っていたので近くではある。

この島津家の屋敷が幕末の舞台となり、“明治維新”(めいじいしん)を引き起こす。

征夷大将軍11代目の徳川家斉(とくがわいえなり/一橋→徳川)の義父でもある薩摩国(鹿児島県)の薩摩藩の藩主だったのが島津重豪(しまづしげひで/徳川)です。

その妻が因幡国(いなば/鳥取県)と伯耆国(ほうき/鳥取県)の鳥取藩の池田氏から嫁いできた弥姫(いよひめ/因幡→薩摩)で、島津斉彬(しまづなりあきら/江戸)の母親である。

そして江戸町人の大工の娘で高輪薩摩藩屋敷の奉公をしていたお由羅(おゆら/町人→島津)が側室に入り、シャーマン(呪術師)により“お由羅騒動”と呼ぶ呪詛(じゅそ)で薩摩藩を翻弄(ほんろう)させて、息子の島津久光(しまずひさみつ/薩摩)を藩主に就任させようと画策する。

その後、島津重豪(しまづしげひで/薩摩)の孫の島津斉興(しまずなりおき/薩摩)が10代目藩主に就任した。

そして、徳川御三卿(とくがわごさんきょう)の一橋派の島津斉彬(しまづなりあきら/江戸)が11代目藩主に就任し、その直参家臣が“維新の三傑”(いしんのさんけつ)と呼ばれる西郷吉之助(さいごうきちのすけ)こと西郷隆盛(さいごうたかもり/薩摩)と大久保利通(おおくぼとしみち/薩摩)である。

結局、島津久光(しまずひさみつ/薩摩)は藩主に就任しないが、息子の島津忠義(しまずただよし/薩摩)が12代目藩主に就任した。

この島津久光(しまずひさみつ/薩摩)と西郷吉之助(さいごうきちのすけ)こと西郷隆盛(さいごうたかもり/薩摩)の相性が悪く仲違いしている。

その理由の1つが、西郷吉之助(さいごうきちのすけ)こと西郷隆盛(さいごうたかもり/薩摩)の絶対君主の島津斉彬(しまづなりあきら/江戸)を、シャーマン(呪術師)のお由羅(おゆら/町人→島津)が詛い(とごい)で呪い亡き者にしたからと言われる。

また関連性は無いと思うが、1862年に起こった「第1次寺田屋事件」こと「薩摩藩志士粛清事件」(さつまはんししゅくせいじけん)にて征伐された薩摩藩士で薩摩倒幕部隊だった有馬新七(ありましんしち/薩摩)も有馬家だったのも興味深い。

それに徳川家の庶流(しょりゅう)となる松平家の大きな屋敷が目立つ。

MELISSA MANCHESTER /♪ MIDNIGHT BLUE

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250618 - ラジオの友 URL

2025/06/18 (Wed) 20:10:58

◆◇◆其の十六:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

時は安土桃山期の豊臣政権にて、最後まで豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)に抵抗して相模国(神奈川県)の小田原城(おだわらじょう)に篭城する伊勢北条氏4代目の北条氏政(ほうじょううじまさ/伊勢北条)と伊勢北条氏5代目の北条氏直(ほうじょううじなお/伊勢北条)であった。

伊勢北条軍の重鎮家臣による小田原評定(おだわらひょうじょう)も虚しく、豊臣軍の天才軍師と言われる黒田官兵衛(くろだかんべえ)こと黒田孝高(くろだよしたか/小寺→織田→豊臣→徳川)の交渉術で伊勢北条氏5代目の北条氏直(ほうじょううじなお/伊勢北条)は降伏する。

これを1590年に起こった「小田原征伐」(おだわらせいばつ)と呼ぶ。

勝利した豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)は、伊勢北条氏が統治していた東国一帯の領地を、徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)に対して三河国(愛知県)から領地移転の転封(てんぽう)を命じる。

その時に入ったの武蔵国(東京都)の江戸城(えどじょう)が、周囲は江戸湾の海と芦原(あしはら)の湿地帯で、人も住まない不毛の土地だった。

そんな不利的な状況下でも徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)は、家臣に命じて神田山を掘削して芦原(あしはら)の湿地帯を埋立て、江戸一帯の埋立地を完成させた。

その後、征夷大将軍3代目の徳川家光(とくがわいえみつ/徳川)の息子の徳川綱重(とくがわつなしげ/徳川)が、この埋立地に屋敷を構えて御浜御殿(おまはごてん)とした。

それが江戸湾に迫(せ)り出した浜離宮(はまりきゅう)である。

幕末の1868年に起こった「戊辰戦争」(ぼしんせんそう)にて、「鳥羽伏見の戦」に敗北した幕府軍の総大将だった征夷大将軍15代目の徳川慶喜(とくがわよしのぶ/徳川)が、摂津国(大阪府)の大坂城(おおさかじょう)から密(ひそ)かに逃亡して、船で海を渡り到着したのが江戸湾の御浜御殿(おまはごてん)である。

この御浜御殿(おまはごてん)で待っていたのは江戸幕府の海軍卿(かいぐんきょう)や陸軍総裁に就いていた勝海舟(かつかいしゅう/江戸)で、不甲斐ない徳川慶喜(とくがわよしのぶ/徳川)をこっぴどく叱ったと言う。

現在、新橋から汐留に掛けては超高層ビルが建ち並ぶが、その立地は元は松平家の屋敷があり、その後、日本初の鉄道駅となった新橋駅が設けられ、広大な敷地に貨物ターミナルがあった。

其(そ)れも此(こ)れも、少し前までは海の中だった事がよく判る。

LAUREN CHRISTY /♪ STEEP

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250618 - ラジオの友 URL

2025/06/18 (Wed) 20:15:02

◆◇◆其の十七:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

“暴れん坊将軍”で名高い征夷大将軍8代目の徳川吉宗(とくがわよしむね/徳川)の孫で、征夷大将軍11代目の徳川家斉(とくがわいえなり/一橋→徳川)に仕えた松平定信(まつだいらさだのぶ/田安→江戸)が、江戸幕府の老中に就任して1787年に実施した「寛政の改革」(かんせいのかいかく)は、江戸幕府の三大改革の1つとして有名です。

残りの2つは、祖父の徳川吉宗(とくがわよしむね/徳川)が1716年に実施した「享保の改革」(きょうほうのかいかく)と、遠江国(とおとうみ/静岡県)の浜松藩の藩主で老中に就いていた水野忠邦(みずのただくに/江戸)が1841年に実施した「天保の改革」(てんぽうのかいかく)です。

もう1つオマケとして、備後国(広島県)の福山藩の7代目藩主で老中首座に就いていた阿部正弘(あべまさひろ/江戸)が1853年に実施した「安政の改革」(あんせいのかいかく)もあります。

そんな松平定信(まつだいらさだのぶ/田安→江戸)が実施した「寛政の改革」(かんせいのかいかく)の項目に貧民救済があり、1790年に江戸で増加している牢人(無職侍)や無宿(ホームレス)に、江戸城(えどじょう)の東方にある石川島に職業訓練施設の人足寄場(にんそくよせば)を設けて、手に職を付けさせ労働する様に促した。

これには1782年から1788年までに起こった「天明の大飢饉」(てんめいのだいききん)や、1786年に江戸で大洪水が発生し、お米や食糧の不足から江戸や大坂などで商家や問屋が打壊しに遭ったり、全国的な一揆が多発した事を受けて、江戸幕府はこれら打壊しや一揆に参加している人が牢人(無職侍)や無宿(ホームレス)が多い事に着目した。

1787年に起こった「江戸大打壊し」で江戸城下町は壊滅的な打撃を受けていた。

その為、江戸に貧民が増えると打壊しや一揆も増加すると結論付ける。

こうした事情から石川島の埋立地に牢人(無職侍)や無宿(ホームレス)を集約して、職業訓練施設の人足寄場(にんそくよせば)を設置した。

現在では“もんじゃ焼き”で有名な佃島(つくだじま)や、その後に埋立拡張して晴海埠頭となり、2020年プラスワンの東京オリンピックの選手村だった高層マンション群の晴海フラッグが建っており、令和の時代でも人が寄せ集まる人気エリアの人足寄場(にんそくよせば)に成長しているのが興味深い。

VALERIE CARTER /♪ COWBOY ANGEL

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250618 - ラジオの友 URL

2025/06/18 (Wed) 20:21:15

◆◇◆其の十八:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

武蔵国(東京都)の江戸城(えどじょう)より東方に位置する日本橋界隈に、罪人を牢獄する伝馬町牢屋敷(てんまちょうろうやしき)が設けられた。

伝馬町牢屋敷(てんまちょうろうやしき)の敷地面積は8850㎡(2677坪)もあり、東京都中央区にある三越日本橋本店の敷地面積が8490㎡(2568坪)なので、大規模百貨店と同規模と思えば解り易い。

この伝馬町牢屋敷(てんまちょうろうやしき)にて、江戸幕府の大老の井伊直弼(いいなおすけ/江戸)による威令(いれい)により、1858年に起こった「安政の大獄」(あんせいのたいごく)で長門国(山口県)の長州藩の藩士で私塾の松下村塾(しょうかそんじゅく)の塾長だった吉田松陰(よしだしょういん/長州)が処刑されました。

また、讃岐国(香川県)の寒川郡(さんがわ)の出身で“エレキテル”(静電気発生機)を修復して普及させた平賀源内(ひらがげんない/発明家)は、奇行により人を殺(あや)めて伝馬町牢屋敷(てんまちょうろうやしき)に投獄され、この獄中で最期(さいご)を迎えている。

東京都心部の割に下町風情が残る日本橋界隈だが、江戸時代にまで遡って観ると意外な事実が判明する事もある。

現在では人気スポットの場所も、400年前には斬首する刑場(けいじょう)だったり、反乱の戦地で多くの兵士や町人が犠牲となった地域だったりと、無残な血で染めらた凄惨(せいさん)な土地かも知れません。

マンションの一室で自害した故人による霊よりも、地域全体に蔓延(まんえん)している怨霊や悪霊の方がよっぽど怖いのだが。

現在の宅地建物取引業法では、契約前の重要事項説明にて告知義務があるのは、個人の住宅レベルの話しのみで、地域全体については説明義務はありません。

肝試しで行く廃墟に漂(ただよ)う浮遊霊なんかより、遊びや仕事で頻繁(ひんぱん)に行く都市部に蔓延(はびこ)る怨霊や悪霊の方がタチが悪い。

なんせ死神に取り憑かれたら、地獄行きが決定しますからね。

因みに画像下部に広がる黒い影は、撮影時にはありませんでした。

黒い影よぉ、東京の地に出(い)でよぉ!

HALFLIVES /♪ VILLAIN

◆ラジオの友◆

今日の1枚、お薦めレコード/20250616 - ラジオの友 URL

2025/06/16 (Mon) 23:04:14

本日はパブディスコの“行方不明/YUKUEFUMEI”にご来店いただき、誠に有難う御座います。

当店ではアメリカやヨーロッパからの最新ヒットナンバーをお届けしております。

新鮮な音楽でディスコ空間を包んで参りますので、是非、ダンスフロアで踊って日頃のストレスを発散させて下さい。

今宵もお付き合いの方、どうぞよろしくぅ〜!

T99 /♪ Nocturne

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250616 - ラジオの友 URL

2025/06/16 (Mon) 23:06:13

さあ、出だしから軽快なナンバーをお届けします。

JB(ジェームスブラウン)の様に、レッツ、ダンス、ダンス、ダァ〜ンス!

ジェームスブラウン(JB)は、死にましぇ〜〜ん!

L.A. Style /♪ James Brown Is Dead

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250616 - ラジオの友 URL

2025/06/16 (Mon) 23:07:17

永年、ダンスシーンを盛り上げてきたトゥーアンリミテッド。

2025年もトゥーアンリミテッドは不滅でぇ〜す!

ノンノン、ノンノ、ノンノン、ノンノ、でぇグルーブしよぉ〜!

2 Unlimited /♪ No Limit

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250616 - ラジオの友 URL

2025/06/16 (Mon) 23:08:23

娯楽の殿堂、快楽の境地!

山陰地方のダンスシーンを引っ張ってきたパブディスコ“行方不明/YUKUEFUMEI”。

あなたもダンス、わたしもダンス!

ディスコに来たら踊らな損(そん)、損(そん)。

Energizer /♪ Touch The Energy

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250616 - ラジオの友 URL

2025/06/16 (Mon) 23:09:32

ソファ席でピーチツリーフィズを飲んでる女の子。

トイレ前で嫌がる女性をナンパする男の子。

みんなダンスフロアに出て踊ろう〜!

Starr Gazer /♪ Are U Wake Up ?

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250616 - ラジオの友 URL

2025/06/16 (Mon) 23:10:46

この鳥取県の小京都と言われる倉吉市で、永年に渡り営業しておりますパブディスコ“行方不明/YUKUEFUMEI”。

倉吉の皆様に愛されて50年。

サラリーマンは会社帰りに、学生さんは学校帰りに、ご友人をお誘い合わせの上、是非、またのご来店をスタッフ一同お待ち申し上げます。

また、姉妹店のカラオケ喫茶“捜索願/SOSAKUNEGAI”もご贔屓に宜しくお願い致します。

割烹着姿の女将が、楽しいトークで盛り上げてくれます。

喉(ノド)自慢の方は、歌声道場でホステスさんと対抗する事もできます。

是非、そちらのご参加もお待ちしております。

49ers /♪ touch me

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250616 - ラジオの友 URL

2025/06/16 (Mon) 23:11:40

さあ、ダンスフロアも暖まってきたところで、ノリノリのダンスナンバーの♪ミスターヴェインをお届けします。

ちなみにミスタービーンじゃないよぉ!

Culture Beat /♪ Mr. Vain

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250616 - ラジオの友 URL

2025/06/16 (Mon) 23:12:50

パブディスコ“行方不明/YUKUEFUMEI”の毎週金曜日は、伝説のイベント“Tバックナイト”を開催しております。

Tバックの女性は入店料が100円となります。

また、お立ち台で一番に輝いている女性には、1日1名様限定で当店オリジナル扇子(せんす)をプレゼント致します。

セクシーでカラフルなTバックを履いて殿方(とのがた)をノックアウトしよぉ〜う!

Cappella /♪ Move On Baby

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250616 - ラジオの友 URL

2025/06/16 (Mon) 23:13:47

さあさあ、ダンスフロアも盛り上がってきました。

夜は長いから最新のダンスチューンが、まだまだ続くよぉ〜

Pink Stanly Ford /♪ A New Style Baby

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250616 - ラジオの友 URL

2025/06/16 (Mon) 23:14:45

フウ、フウ、フウ、フウ〜〜

ハァイ、ハァイ、ハァイ、ハァイ〜〜

フウ、フウ、フウ、フウ〜〜

ハァイ、ハァイ、ハァイ、ハァイ〜〜

2 The Core /♪ Have A Nice Day

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250616 - ラジオの友 URL

2025/06/16 (Mon) 23:15:41

こちらDJよりインフォメーションが御座います。

パブディスコ“行方不明/YUKUEFUMEI”では、来週よりスタッフによる“フンドシナイト”を開催致します。

カラフルで様々なフンドシを着用したスタッフによるパフォーマンスやサービスをお楽しみ頂けます。

フンドシ一丁で御来店いただいたお客様には、なんと入店料を100円とさせて頂くます。

フンドシ姿に自信のある方は、是非、ご参加下さい。

Cubic 22 /♪ Night In Motion

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250616 - ラジオの友 URL

2025/06/16 (Mon) 23:16:53

今夜も中盤に差し掛かりました。

まだ踊り足りない人は、ダンスフロアではっちゃけて下さぁ〜い。

レディーゴー!

Love Decade /♪ So Real

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250616 - ラジオの友 URL

2025/06/16 (Mon) 23:17:53

それぇ、それぇ、それぇ、それぇ〜

よぉ〜〜 はぁ、はぁ〜〜い!

それぇ、それぇ、それぇ、それぇ〜

よぉ〜〜 はぁ、はぁ〜〜い!

Hyena /♪ Bach Is Back

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250616 - ラジオの友 URL

2025/06/16 (Mon) 23:18:49

ボンバー、ボンバー

ボンバー、ボンバー

ボンバー、ボンバー

ボンバー、ボンバー

ハァ〜イ!

Chimo Bayo /♪ Bombas

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250616 - ラジオの友 URL

2025/06/16 (Mon) 23:19:43

さあ、ダンスフロアも大盛り上がり!

お気に入りの曲に出会ったら、フェイスブックやインスタグラムに投稿してバズらせよぉ〜

お客様に負けない様にDJ陣も、ラストまでアクセル全開でダンスナンバーをお届けしまぁ〜す!

The curse /♪ All Systems Are Go

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250616 - ラジオの友 URL

2025/06/16 (Mon) 23:20:55

今夜、お届け出来る曲も、残りわずかとなってきました。

でも、まだまだ眠らせないよぉ!

踊って、踊って、踊りまくれぇ〜!

STARR GAZER(Maximizor Feat. Kam + Paula)/♪ I Like It (Give It To Me)

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250616 - ラジオの友 URL

2025/06/16 (Mon) 23:21:57

ワンツースリー、コンタァクト!

アーチィター、コンタァクト!

オーヴィーユー、コンタァクト!

フォーミワァー、コンタァクト!

ワンツースリー、コンタァクト!

アーチィター、コンタァクト!

オーヴィーユー、コンタァクト!

フォーミワァー、コンタァクト!

Nuvo Riche /♪ Contact

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250616 - ラジオの友 URL

2025/06/16 (Mon) 23:22:53

バァウバァウワァ、バァウバァウワァ、バァウバァウワァ、バァウバァウワァ!

バァウバァウワァ、バァウバァウワァ、バァウバァウワァ、バァウバァウワァ!

L.A. style /♪ balloony

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250616 - ラジオの友 URL

2025/06/16 (Mon) 23:23:50

ミッドナイトダンスもラストソングになりました。

最後の最後まで思う存分、楽しんで下さぁ〜い!

ダンス、ダンス、ダァ〜〜ンス!

Praga Khan Feat. Jade 4 U /♪ Injected With A Poison

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250616 - ラジオの友 URL

2025/06/16 (Mon) 23:24:43

お名残おしゅう御座いますが、こちらを持ちましてお別れの曲とさせて頂きます。

素敵な夜を有難う。

またのご来店、スタッフ一同お待ち申しております。

シィ〜ユゥ〜アゲイン、バァ〜〜イ!

安室奈美恵/♪ ALL FOR YOU

◆ラジオの友◆

今日の1枚、お薦めレコード/20250614 - ラジオの友 URL

2025/06/14 (Sat) 16:13:23

不思議ちゃん第16弾!

でわぁ、いってみよぉう!!

MARTIN SOLVEIG FEAT.DRAGONETTE /♪ HELLO

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250614 - ラジオの友 URL

2025/06/14 (Sat) 16:14:18

RIHWA /♪ HIDEY-HO!

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250614 - ラジオの友 URL

2025/06/14 (Sat) 16:15:13

PHOEBE GREEN /♪ JUST A GAME

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250614 - ラジオの友 URL

2025/06/14 (Sat) 16:16:14

CHERYL /♪ UNDER THE SUN

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250614 - ラジオの友 URL

2025/06/14 (Sat) 16:17:07

Laila /♪ HEAVEN

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250614 - ラジオの友 URL

2025/06/14 (Sat) 16:17:59

HAIM /♪ RELATIONSHIPS

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250614 - ラジオの友 URL

2025/06/14 (Sat) 16:18:56

GRIFF /♪ VERTIGO

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250614 - ラジオの友 URL

2025/06/14 (Sat) 16:19:50

POLLY SCATTERGOOD /♪ PLEASE DON'T TOUCH

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250614 - ラジオの友 URL

2025/06/14 (Sat) 16:20:42

TINK & SUMMER WALKER /♪ SONGS ABOUT U

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250614 - ラジオの友 URL

2025/06/14 (Sat) 16:21:38

BELLA POARCH /♪ SWEET DELUSION

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250614 - ラジオの友 URL

2025/06/14 (Sat) 16:22:33

R3HAB & AMY SHARK /♪ SWAY MY WAY

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250614 - ラジオの友 URL

2025/06/14 (Sat) 16:23:30

GABRIELLE APLIN /♪ PANIC CORD

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250614 - ラジオの友 URL

2025/06/14 (Sat) 16:24:21

TEGAN & SARA /♪ CALL IT OFF

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250614 - ラジオの友 URL

2025/06/14 (Sat) 16:25:11

KELSEA BALLERINI /♪ SORRY MOM

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250614 - ラジオの友 URL

2025/06/14 (Sat) 16:26:02

PHOEBE BRIDGERS /♪ IF WE MAKE IT THROUGH DECEMBER

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250614 - ラジオの友 URL

2025/06/14 (Sat) 16:26:59

AGNES OBEL /♪ DORIAN

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250614 - ラジオの友 URL

2025/06/14 (Sat) 16:27:50

CLAIRO /♪ NOMAD

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250614 - ラジオの友 URL

2025/06/14 (Sat) 16:28:40

MARIA MENA /♪ TAKE YOU WITH ME

◆ラジオの友◆

今日の1枚、お薦めレコード/20250611 - ラジオの友 URL

2025/06/11 (Wed) 08:57:57

THE BRIAN SETZER ORCHESTRA /♪ THIS CAT'S ON A HOT TIN ROOF

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250611 - ラジオの友 URL

2025/06/11 (Wed) 08:59:08

THE LOVIN' SPOONFUL /♪ DO YOU BELIEVE IN MAGIC?

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250611 - ラジオの友 URL

2025/06/11 (Wed) 09:00:19

BO DONALDSON & THE HEYWOODS /♪ WHO DO YOU THINK YOU ARE

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250611 - ラジオの友 URL

2025/06/11 (Wed) 09:01:14

Bo Donaldson & The Heywoods /♪ BILLY,DON'T BE A HERO

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250611 - ラジオの友 URL

2025/06/11 (Wed) 09:02:22

DEAD END KIDS /♪ ALL MY LOVE ALWAYS

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250611 - ラジオの友 URL

2025/06/11 (Wed) 09:03:23

LITTLE FEAT /♪ COLD,COLD,COLD

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250611 - ラジオの友 URL

2025/06/11 (Wed) 09:04:24

THE LOVIN' SPOONFUL /♪ DAYDREAM

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250611 - ラジオの友 URL

2025/06/11 (Wed) 09:05:20

RASPBERRIES /♪ I SAW THE LIGHT

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250611 - ラジオの友 URL

2025/06/11 (Wed) 09:06:13

MERCY /♪ LOVE(CAN MAKE YOU HAPPY)

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250611 - ラジオの友 URL

2025/06/11 (Wed) 09:07:09

GRAND FUNK RAILROAD /♪ SO YOU WON'T HAVE TO DIE

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250611 - ラジオの友 URL

2025/06/11 (Wed) 09:08:00

GRATEFUL DEAD /♪ DIRE WOLF

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250611 - ラジオの友 URL

2025/06/11 (Wed) 09:08:59

JAMES TAYLOR /♪ IT'S GROWING

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250611 - ラジオの友 URL

2025/06/11 (Wed) 09:09:50

PHANTOM LIMB /♪ DRAW THE LINE

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250611 - ラジオの友 URL

2025/06/11 (Wed) 09:10:44

MOTT THE HOOPLE /♪ BALLAD OF MOTT THE HOOPLE

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250611 - ラジオの友 URL

2025/06/11 (Wed) 09:11:44

ALZO /♪ YOU KNOW ME,I KNOW YOU

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250611 - ラジオの友 URL

2025/06/11 (Wed) 09:12:34

ERIC KAZ /♪ CRY LIKE A RAINSTORM

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250611 - ラジオの友 URL

2025/06/11 (Wed) 09:13:31

YO LA TENGO /♪ I'LL BE AROUND

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250611 - ラジオの友 URL

2025/06/11 (Wed) 09:14:30

STEVIE RAY VAUGHAN & DOUBLE TROUBLE /♪ LENNY

◆ラジオの友◆

■インバウンド(訪日観光客)解禁で、もう一度考える民泊殺人事件 - 民泊促進協会

2023/06/02 (Fri) 12:04:50

以下の記事は2018年6月13日に記述したものである。

▼ ▼ ▼

「「2018年2月16日の深夜0時頃、大阪市東成区中道の民泊施設で訪日アメリカ人が日本人女性を殺害した。

さらに女性の身体をバラバラに切り刻み損傷させ、関西地域に遺体一部を運びだし遺棄した。

一番の問題は殺人。

これは日本人であれ、外国人であれ、他人の人生を奪う最低最悪な愚行だ。

では、なぜ日本人女性は大阪東部の住宅街で殺されなければならなかったのか。

一つにはSNSなどの交流サイトによって、何の地縁人脈もない他人同士が一瞬にして出会う事だろう。

優しい言葉に警戒心が薄れ、会ってみたいと思わせる罠が隠れている事もある。

困っている人を装い善意につけ込み極悪非道な行為に走る事もある。

人を信じられない恐ろしい世の中だ。

そして会う場所。

これはお互いの都合がつく場所であればどこでもいいわけだが、今回、利用されたのが違法民泊施設。

これは殺人鬼にとって身分を明かさず不審に思われる事のなく利用できる格好の場所だったに違いない。

これから殺されるとは思いもせずに日本人女性は兵庫県三田市から電車に乗ってやって来たのだろう。

アメリカ住まいの殺人鬼が、どのようにして大阪でもマイナーな下町の東成区の民泊施設を選ぶ事ができたのか。

ここは木密地域(木造住宅密集地域)と言われる場所で、地元のお年寄りが道端で井戸端会議をし、学校の行き帰りに小学生が通学路として歩き、車でも通りにくい狭い路地だらけの町。

大阪に住んでいる人でもあまり馴染みのない場所だ。

これも便利なインターネットのおかげだ。

殺人鬼は違法民泊施設を掲載している民泊仲介サイトを利用して物件を選定していたのだ。

現実の世界、もしもあの時にああしていればよかったはあとの祭りだが、仮にもし民泊仲介サイトが合法民泊施設のみを掲載し、利用者の身分証明を照合するシステムにしていたのなら、日本人女性は殺されずに済んだかもしれない。

合法民泊施設だからと言って犯罪が起こらないとは限らない。

ただ、無秩序無防備な違法民泊施設より、犯罪を未然に防ぐ手立てのシステムを組んだ合法民泊施設の方が犯罪に遭う確率は格段に低くなるだろう。

この民泊殺人事件の加害者はアメリカ人殺人鬼、そして結果的に殺人に手を貸した違法民泊施設事業者、さらに違法民泊施設を掲載し続けていた民泊仲介サイトの・・・

おっと、企業名を言うところだった。

表ざたになっていない民泊仲介サイト企業も売上(お金)のための犯罪幇助と言わざるを得ない。

言うなれば、ブレーキのない車を販売し、事故が起こっても運転手の責任であって販売した我々には責任はないと言っているようなものだ。

本来、自ら名乗り出て謝罪すべきだろう。

国際交流のため活動していた将来有望な日本人女性の命を30年余りで終わらせた罪の意識を感じてほしい。」」

▲ ▲ ▲

2023年6月時点、コロナウイルス対策が終焉し、海外からのインバウンド(訪日観光客)がドット押し寄せて来る。

ほとんどのインバウンド(訪日観光客)は心から日本と言う国を楽しみたい善良な人達だろう。

ただ、その中に悪事を働く者も紛れている可能性がある。

2018年2月16日の事件の様に。

これら悲劇を繰り返されない為にも、民泊促進協会では2月16日を“民泊を考える日”に制定しました。

Re: ■インバウンド(訪日観光客)解禁で、もう一度考える民泊殺人事件 - 民泊促進協会

2023/06/25 (Sun) 03:21:19

民泊仲介会社は寄付する前にやる事がある。

それと、大阪府と大阪市の自治体や在阪メディアによる当時の報道規制により、民泊仲介会社の社名を隠蔽し公表しなかった事は、人1人の命を軽んじた行為として、京都伏見の天女母神は今でも怒りを忘れてはいませんよ。

インバウンド(訪日観光客)景気や東京オリンピック開催の莫大な利益に目が眩んで、若い女性の命を奪った事件を蔑ろ(ないがしろ)にした天の罪は大きい。

事実と異なるのもフェイクニュースだけど、事実を正確に伝えないのもフェイクニュースである。

Re: ■インバウンド(訪日観光客)解禁で、もう一度考える民泊殺人事件 - 民泊促進協会

2024/01/24 (Wed) 07:20:38

天界の神様、地獄の大魔王様、民泊促進協会よりお願いが御座います。

2025年に開催される“大阪関西万博”を、是非、成功に導いて下さい。

“大阪関西万博”が開催されれば、世界各国からインバウンド(訪日観光客)が押し寄せ、それが日本全国に行き渡り、日本に巨万の富がもたらされます。

経済産業デジタル協会のAIによる試算では、“大阪関西万博”開催期間中による“経済効果”は、大阪府を除く46都道府県に各3000億円で総計13兆8000億円になります。

これは控えめに見積った金額のため、大阪府を含めれば実際はこれの3倍の41兆4000億円を想定しています。

“大阪関西万博”開催による、これだけの“経済効果”があれば、2024年1月1日に北陸地方で発生した“能登半島地震”の被災復興費用に最低30兆円は回せます。

“能登半島地震”による災害で被災した北陸地方のためにも、万博開催に関わる全ての関係者は“大阪関西万博”を必ず成功させ、41兆4000億円と言う“経済効果”を出すため、“命”と“魂”を掛けてこの試算を死守する意気込みで御座います。

絶対にあり得ませんが、万が一、万が一にも“経済効果”の41兆4000億円に1円でも足りなければ、民泊促進協会を除く、万博関係機関、日本銀行、大阪府&大阪市の自治体、関西財界、在阪メディア、大阪府民、大阪市民の全ての関係者を、“煮るなり”、“焼くなり”、“地獄に落とすなり”、何なりとご自由にして下さい。

関西地方には有能な人材が揃っておりますので、万が一、億が一にも御座いませんが。

『絶対に負けへん、負けへん、う〜ん、負けへん! 41兆4000億円を稼ぎ出すだけの“夢舞台”を創る自信があるからっ!』

この意気込みで御座います。

では、大船(おおぶね)に乗った気分で、2025年を楽しみにしております。

Re: ■インバウンド(訪日観光客)解禁で、もう一度考える民泊殺人事件 - 民泊促進協会 URL

2024/02/16 (Fri) 00:30:33

2023年、実質的に新型コロナウイルス対策が終焉し、各々が病原菌対策する“自己責任”となった。

日本には世界各国からインバウンド(訪日観光客)が押し寄せている。

そして関西で一番の観光名所の大阪城にも、その優美な天守閣に惚れ惚れする事でしょう。

多くのインバウンド(訪日観光客)が民泊施設を利用するだろう。

当たり前の様で、当たり前でない景色。

2月16日は民泊業界や民泊利用者にとって忘れてはならない日である。

“民泊を考える日”。

2018年に大阪城にほど近い大阪市東成区中道で、何故あの忌まわしい“違法民泊バラバラ事件”が起こったのか?

性悪説(せいあくせつ)で見れば、「人多く集まる所に犯罪あり」である。

これは過去の歴史を振り返っても、否定のしようがない。

この様な悪質事件に対しても、各々が犯罪対策の意識を高めて“自己責任”のもとで行動しなければならないのか?

大阪と言う土地は、昔からこの様な異様な事件が多い。

2011年8月14日、大阪市天王寺区味原本町の分譲マンションで、そこに住む男性が奥さんと息子を殺害し、遺体をバラバラにして数個の一斗缶に詰め込み、自宅近くの東高津公園周辺に遺棄した。

“大阪一斗缶バラバラ事件”である。

この地は、近鉄上本町駅から徒歩すぐで住環境の良好な人気エリアでもあり、大阪城の南側であの真田幸村(真田信繁)で有名となった真田山も近くにある。

こんな平和な街で、何故、あの様な悍(おぞま)しい事件が起こったのか?

また、上本町駅から西側に坂を下がった日本橋での事件。

1983年12月24日に発覚した“三重県バラバラ事件”では、大阪ミナミで働くホステスさんが男性に殺害され、三重県の伊賀上野に頭部と手首が無い状態で遺体をバラバラされ遺棄された。

犯人は大阪の“黒門市場”で犯行用備品を購入して、大阪市内のアパートで犯行に及んだ。

犯人の男性は、ホステスさんの同棲相手だったと言う。

さらに大阪城周辺の地域を深掘りすると、様々な出来事が見えてくる。

1945年8月14日の“終戦宣言”の前日。

大阪城の周辺にある軍事工場と京橋駅が空襲に遭い300人以上の人々が亡くなっている。

あと1日、“終戦宣言”が早ければ、どう言う結果だったのだろうか。

大阪城の周辺にある大阪ビジネスパークやJRと地下鉄の車両基地は元々は軍需工場で、最も狙われるエリアだった。

だから周辺地域では、それまでにも空襲があり多く人々が亡くなったいる。

今でも不発弾が地中から見つかるのは、その証(あかし)でもある。

1603年に徳川家康が江戸幕府を開き、その後、265年もの長い間は主だった戦争は無かった。

大阪も“天下の台所”として一大都市を形成し、都心部に多くの人々が住む様になる。

「人多ければ悪人多し」なのか。

大阪の日本橋から西に行った千日前は、その時代から“刑場”(けいじょう)が設けられた。

“千日デパート火災事故”があった周辺である。

大阪城から北側の野江にも“刑場”(けいじょう)は設けられ、ちょうど“薬害エイズ事件”で問題となった血液を取り扱ったミドリ十字の会社が近くにあった周辺である。

大阪の土地には“魑魅魍魎”(ちみもうりょう)が住んでいるのかと思うくらい、悪事が密接している。

オカルトマニアなら、“永住の地”に選びたいところだろう。

この“奇怪な惨事”は、1614年に起こった“大坂の陣”が糸を引いている。

徳川軍に包囲された豊臣軍の大阪城は炎上。

豊臣軍と徳川軍の数万人もの兵士が討死し、大阪城の周囲には戦死者が積み上げられている。

さらに豊臣軍の武将や家来は、大阪城周辺で首を討ち取られ、無数の屍(しかばね)が放置されていたと言う。

無念の血で穢(けが)れた土地は、永遠に安らぐ事は無い。

今でも多くの“悪霊”や“怨霊”が大阪市中を徘徊している。

大阪市街地で浮かれた気分で羽目を外せば、これらの“魑魅魍魎”(ちみもうりょう)に目を付けられ、地獄へ引き摺り込まれる事もある。

過去の事件の様に。

『そんな事、知りませんでした。』

大丈夫です。

最後に知る事ができるから。

Re: ■インバウンド(訪日観光客)解禁で、もう一度考える民泊殺人事件 - 民泊促進協会 URL

2024/03/17 (Sun) 11:29:34

■山陰新幹線の早期開業を実現へ!

敦賀駅(福井県)から博多駅(福岡県)まで、日本海側の“山陰新幹線”の早期開業を実現へ!

若狭国(福井県)、丹後国(京都府)、但馬国(兵庫県)、因幡国(鳥取県)、伯耆国(鳥取県)、出雲国(島根県)、石見国(島根県)、長門国(山口県)、そして豊前国(福岡県)から筑前国(福岡県)へ。

日本中の800万(やおよろず)もの神様に、毎年の神有月(10月)、出雲大社に参るため“山陰新幹線”で楽々で快適に移動してもらおう!

天照大御神(アマテラス)、月読命(ツクヨミ)、須佐之男命(スサノオ)、大気都比売命(オオゲツヒメ)、倭建御子(ヤマトタケルノミコ)、そして八岐大蛇(ヤマタノオロチ)、は“新幹線”が大好きです♪。

Re: ■インバウンド(訪日観光客)解禁で、もう一度考える民泊殺人事件 - 民泊促進協会

2024/04/01 (Mon) 02:07:43

●日本で一番に盛り上がるイベントと言えば何か?

1月のお正月、2月のバレンタイン、12月のクリスマス。

どれも不正解である。

現代の日本人が最も愛して止まないのは、10月の“ハロウィン”である。

秋口に入ると街中ではオレンジ色のカボチャオバケが彩(いろど)られ、「どんなコスプレで“ハロウィンパーティー”に参戦するか」と、今か今かと心待ちにする若者が急増する。

この日だけは“オバケ”に取り憑かれる事に“喜び”と“快感”を覚える。

1年で1回限りの“地獄の祭典”。

ただ、この大阪での街中は、毎日が賑やかな“ハロウィンパーティー”の様なものである。

日本人の心を掴んで離さない、正に“エブリハロウィン”。

大阪市中には“ハロウィン”を体感できる“跡所”と、その地にまつわる“時事”がいくつもある。

それらをぜひ、大阪に来て体感して頂きたい。

●まず、巡ってもらいたいのは“大阪七墓”(おおさかななはか)である。

江戸時代に身元の分からない遺体を“無縁仏”として埋葬された。

[一]梅田墓地
大阪市北区のJR大阪駅北側での再開発地区でもある“グランフロント大阪”や“グラングリーン大阪”の一帯。

工事中に多数のガイコツ(髑髏/しゃれこうべ)が発掘される。

ルシアンペラフィネの“スカル”の服を着ていけば、より街にマッチする。

公園の“グリーン”よりも、墓地の“グレー”のイメージの方がピッタリである。

ここに来れば、建ち並ぶ超高層ビルも“墓石”に見えてくる。

[二]南浜墓地
大阪市北区豊崎町から中崎町あたりにあった墓地。

古い家が建ち並ぶ昔ながらの下町風情が残り、現在も一部の墓地は存続している。

現在では周辺にタワーマンションが多く建設されている。

[三]葭原墓地(よしわらぼち)
大阪市北区の天神橋筋六丁目駅の一帯。

近くには大きな墓地と火葬場がある。

跡地では、1970年に発生した“天六ガス爆発事故”により80人近くの人々が亡くなっている。

そこから南側に行った“扇町公園”は明治時代に“大阪監獄”(おおさかかんごく)があり、刑場(けいば)も併設されていたと言う。

その扇町公園に隣接する関西テレビの役員のご子息が、2019年に千里山の交番に押入りお巡りさんを襲撃し拳銃を奪う“強盗殺人未遂事件”を起こしている。

関西テレビとは、2020年に女子プロレスラーが自害した原因となったテレビ番組を制作したフジテレビの系列局である。

[四]蒲生墓地(がもうぼち)
大阪市都島区のJR京橋駅から東側に行った一帯で、現在も一部の墓地は存続している。

1945年8年14日の“終戦宣言”の前日に、大阪城の周辺にある軍事工場と京橋駅が“大阪大空襲”に遭い300人以上の人々が亡くなっている。

ここから北西側に行くと、2000年に発生した“雪印集団食中毒事件”の大阪工場があった。

これが主因で雪印乳業は事実上の倒産に追い込まれる。

そこからさらに北側に行くと“大阪拘置所”(おおさかこうちしょ)があり、刑場(けいば)も併設されている。

葭原墓地(よしわらぼち)から大川を越えた東側にあたる。

[五]小橋墓地(おばせぼち)
大阪市天王寺区の近鉄上本町駅から北側に行った一帯で、跡地は東高津公園(ひがしこうづこうえん)になっている。

2011年8月14日に大阪市天王寺区味原本町の分譲マンションに住む男性が奥さんと息子を殺害し、遺体をバラバラにして数個の一斗缶に詰め込み、自宅近くの東高津公園(ひがしこうづこうえん)周辺に遺棄した“大阪一斗缶バラバラ事件”が、正にこの場所である。

[六]千日墓地
大阪市中央区の千日前の一帯で、刑場(けいば)も併設されていた。

大阪では最も有名な“オカルトスポット”である。

100人以上の人々が亡くなった“千日デパート火災事故”があった周辺である。

この火災により建築物の防火に対する基準が強化された。

千日前の北側には神戸のホテルで暗殺されたヤクザの親分の事務所があった。

[七]飛田墓地(とびたぼち)
通天閣の南側に行った大阪市西成区の動物園前駅の一帯で、刑場(けいば)も併設されていた。

西側に行くと日雇い労働者の街として有名な“あいりん地区”があり、何度となく暴動が起こっているが、最も印象深いのが1990年の“西成暴動”ではないだろうか。

南側に行くと暗黙の花街でもある“飛田新地”(とびたしんち)があり、昔ながらの街並みと夜の妖艶なネオンが雰囲気を醸し出している。

揚屋(あげや)に「入る、入らない」は別にして、大阪では成人すると必ず見学にいくスポットとなっている。

●次は刑場(けいば)で、討首など罪人を処刑する場所で、余程(よほど)の悪党の討首は晒場(さらしば)に持って行く事もある。

[一]千日刑場
千日墓地に併設されていた。

[二]鳶田刑場(とびたけいば)
飛田墓地(とびたぼち)に併設されていた。

[三]野江刑場
蒲生墓地(がもうぼち)から北側に行った大阪市都島区の一帯。

1980年代の“薬害エイズ事件”で問題となった血液を取り扱ったミドリ十字の会社が近くにあった周辺である。

[四]三軒家刑場(さんげんやけいば)
大阪ドームから南側に行った大阪市大正区の木津川の一帯。

当時はこの一帯が海沿いだった事もあり、遺体処理に便利なため、千日刑場も含めて適地だったと思う。

●さらに最も悪党な罪人の討首を見せしめるため、高札場(こうさつば)に併設して晒場(さらしば)もあった。

[一]高麗橋(こうらいばし)
大阪市中央区の土佐堀通の南側の東横堀川に掛かる橋。

江戸時代の1837年に勃発した“大塩平八郎の乱”にて、この一帯を含めて大坂の市中はほとんどが焼失する。

その主因となった“東町奉行所”が、ここより東側の大坂城前にあった。

[二]日本橋(にっぽんばし)
大阪市中央区の堺筋と千日前通の交差点付近の道頓堀川に掛かる橋。

1983年12月24日に発覚した“三重県バラバラ事件”で、大阪ミナミで働くホステスさんが男性に殺害され、三重県の伊賀上野に頭部と手首が無い状態で遺体をバラバラされ遺棄された。

犯人が殺害用備品を購入したのが、日本橋(にっぽんばし)の南側にある“黒門市場”。

●こうして見ると墓地や刑場(けいば)は、遺体処理に適した川や海に隣接して建っている事が多い。

大阪市は昔から“水の都”や“八百八橋”(はっぴゃくやばし)と言われ、“水”と関わりの深い都市である。

大阪市中に無数の“怨霊”や“悪霊”、それに“魑魅魍魎”(ちみもうりょう)が漂う理由も理解できる。

正に“ハロウィンファン”の皆さんは、大阪を旅先に選べば毎日の様に素敵な体感ができる。

2025年に開催される“大阪関西万博”とセットで、これらの跡所にも巡って欲しい。

日本人、いや、世界の人々に、ぜひ大阪に来てもらい、数ある“パワーダウンスポット”を堪能してもらいたい。

『ウェルカム トゥー “エブリハロウィン”オオサカ!』

Re: ■インバウンド(訪日観光客)解禁で、もう一度考える民泊殺人事件 - 民泊促進協会 URL

2024/05/03 (Fri) 21:31:10

《海に沈んだ路面電車》

昭和の時代まで駆け抜けた名古屋市内の“路面電車”。

廃線から50年近く経った令和の時代に、何と海底から当時の“路面電車”が発見されたと言う。

ドキュメンタリーの内容は、まさに“夢”と“浪漫”を諦めずに追い求めた結集とも言える。

海に沈む“路面電車”を観た時、“スタジオジブリ”のアニメ映画「千と千尋の神隠し」に登場する海の上を走る“電車”を想い描いた。

渥美半島の海に沈む“路面電車”と、「千と千尋の神隠し」の海の上を走る“電車”。

何か相通じるものがある。

しかも、渥美半島は愛知県、近年オープンした“ジブリパーク”も愛知県。

これは“偶然”ではない。

何か意味のある“必然”である。

ドキュメンタリーでは、撮影に参加した若者が自費でボロボロの“路面電車”を購入して、少しずつ修繕している内容も含まれている。

『これである!』

以前、“ジブリパーク”のある愛知県長久手市の市長が、『最寄駅の愛地球博記念公園駅の周辺には何もなく寂しい。』と語っていた。

ならば駅前に、このボロボロの“路面電車”を展示させてあげたらどうか?

現在の保管置場からの運搬費用は愛知県が負担し、設置場所の費用も無料。

ただし、ボロボロの“路面電車”の「修繕費用」や「保全計画」には、愛知県は一切の手と口を出さず、所有者の若者の計画に基づいて実施する。

ボロボロの“路面電車”の状態から完成に近づくまで5年、10年掛かるのかは分からないが、その過程も含めて“ジブリパーク”の来園者(リピーター)などは楽しむ。

また、“スタジオジブリ”に依頼して、海底で見つかった“路面電車”のドキュメンタリーの内容を15分くらいのアニメで制作してもらう。

ボロボロの“路面電車”の展示場に街頭テレビ(モニター)を設置して放映すると、お互いの内容がより深みを増してくる。

特に“路面電車”を探しに海に出て行く船の名前が「ぽん助」も、何か“ジブリ”らしさを醸し出し“偶然”とは思えない。

ドキュメンタリーアニメの最後は、海底で“路面電車”を発見し大仕事を終えた人達が、船の「ぽん助」で港に帰って行く。

アングルは海底に沈む木枠だけになった“路面電車”。

その“路面電車”が元の姿を取り戻し、海底を線路がドンドンと伸びて行く。

“路面電車”は真ん中の丸いライトを点灯させ、ゆっくりとゴトゴト動き出す。

アングルは車内に移り、魚や海藻が行き交い、“路面電車”がゴトゴトと進むにつれ吊り革が揺れる。

その吊り革が1つだけ無い箇所があるところを見せて“おわり”。

面白いと思うのだが。

Re: ■インバウンド(訪日観光客)解禁で、もう一度考える民泊殺人事件 - 民泊促進協会

2024/06/21 (Fri) 06:17:16

2023年の新型コロナウイルス対策の終焉により、「和文化」を体感しようと再び世界各国からインバウンド(訪日観光客)が大量に日本へ押し寄せている。

いったい、この“日本の魅力”は何処(どこ)にあるのか?

インターネット環境が整備された事で、日本から輸出される自動車や工業機械だけでなく、クオリティーの高いアニメや音楽などが手軽に情報収集できる様になった事も一因であろう。

では、期待を込めて日本に来るインバウンド(訪日観光客)に対して、日本の“文化”や“歴史”をきちんと正確に説明できる日本人が、果たして何人いるだろうか?

現在、その足を着けている土地には、幾多(いくた)の“文化”や“歴史”が隠されている。

例えば、3000年近い日本の長い歴史を、時代を追って説明できるだろうか?

竪穴式住居や貝塚などが盛んに増えていった「縄文時代」。

お米を効率的に作りだす稲作文化の発展や邪馬台国があった卑弥呼(ひみこ)の居た「弥生時代」。

王権制が確立して海外から文化や技術が入って来た「古墳時代」。

そして政治の中心が畿内に移り聖徳太子がウロウロしていた「飛鳥時代」。

朝廷と藤原氏により奈良を拠点とした都造りをした「奈良時代」。

雅な文化が華やいだ京都の「平安時代」。

源氏と北条氏により武家政権が確立した「鎌倉時代」。

足利氏による政権交代が行われた「室町時代」。

下克上(げこくじょう)により各国の武将が台頭した「戦国時代」。

戦(いくさ)による国取合戦の終焉を迎えた「江戸時代」。

そして、あれっ?

そこからの明治、大正、昭和、平成、令和は「何時代」?

これらは日本独自の元号なだけで、時代名ではない。

そう言えば、「明治維新」以降の時代名を歴史の時間で習った記憶が無い。

では、今すぐに時代名を確定する必要がある。

なんせ、インバウンド(訪日観光客)に質問されたらAI(人工知能)より先に答えなければならない。

外国人…『江戸時代ノ後、今ノ時代ハナニデスカ?』

日本人…『え〜と、え〜と、明治? う〜ん、昭和か平成か令和か?』

答えられなければ、インバウンド(訪日観光客)は“ガッカリ”して国に帰ってしまう。

その為、明治から令和に掛けての150年近くを、日本で起こった過去と時事を照らし併せて最適な時代名を考案します。

明治は海外各国に対する開国に始まり、近代産業が輸入され、日本の風景も自然を解体して鉄とコンクリートにドンドンと代わっていき、大正に入る前後から殺傷能力の高い武器を大量生産して近隣他国への領土拡大を目指す。

まさに地球レベルで共存して生きる事よりも、身近な個人が便利な道具でいかに裕福になれるかを競った“文明開花”である。

そこからの昭和では、多少の環境と国民の犠牲を払った太平洋戦争を経験して、日本国土を焼け野原と化して裸一貫から再出発し、手先の器用さを武器に得意な“ものづくり”で“高度経済成長”を迎え、自然豊かな山々を切り拓き、美しい海を埋め立て、世界が認める近代化の日本を形成した。

平成からはバブル崩壊や自然災害を経験するも、“不屈の精神”で困難に立ち向かう日本人はまだまだ健在です。

そんな過去と時事を総合判断して、やはりこの時代の象徴は、街も物も豊かになった“ものづくり”の日本を映し出す“高度経済成長”ではなかろうか?

原風景が残る自然を解体して、高層ビルや高速道路などを建設し、大変便利な暮らしを手にしてきた。

ちょうどこの時代の人達を、作家で経済学者の堺屋太一さんが「団根の世代」(だんこんのせだい)と命名している。

それにあやかって、この150年近くを男性社会が築き上げた意味を込め、“団”を“男”に掛けて「男根時代」(だんこんじだい)に決定しました。

「男根時代」(だんこんじだい)。

なんて良い響きなんだろう。

これでインバウンド(訪日観光客)に質問されても直ぐに返答できますね。

外国人…『江戸時代ノ後、今ノ時代ハナニデスカ?』

日本人…『江戸時代の後の、明治から令和までは男根時代(だんこんじだい)でぇ〜す!』

Re: ■インバウンド(訪日観光客)解禁で、もう一度考える民泊殺人事件 - 民泊促進協会

2024/07/14 (Sun) 14:01:01

『異国情緒あふれる港町、神戸(KOBE)。』

1990年代までの神戸は、関西をはじめ全国から人が押し寄せる日本屈指の観光地だった。

山手に沿って建ち並ぶ洋館の「異人館」。

海手に開ける海岸とポートタワーが建つ「メリケン波止場」。

歴史が積み重なった重厚感ある建築物が集積する「居留地」(きょりゅうち)。

中国大陸から渡ってきた華僑(かきょう)により形成された中華街の「南京町」。

こう見返しても、“昭和の旅行ガイドブック”には見栄えの良いエリアが神戸には数多くある。

いわゆる“昭和のお洒落”である。

そのため、インターネットが世界をつないだ2000年に入った頃から、この神戸の地位は下落の一途を辿(たど)る。

当然である。

“昭和の感覚”のまま都市計画を進めれば、情報過多な時代には見向きもされなくなる。

それに世界中から押し寄せるインバウンド(訪日観光客)が求める「和文化」が、この神戸には何処(どこ)にも無い。

1970年代から日本人観光客などに『お洒落』や『神戸モダン』など言われチヤホヤされた結果である。

しかも、アメリカやヨーロッパのインバウンド(訪日観光客)にしてみれば、神戸にあるのは「自国の文化」でもある。

わざわざ見に行く“価値”など、無い!

日本人がイタリアのミラノに行って、“クルクル寿司”で食事をする様なものだ。

では、神戸はこのまま何もせず、京都や大阪を指を咥(くわ)えて見ているだけなのか。

そんな事はない。

神戸をはじめ、この兵庫県には素晴らしい観光スポットが数多く存在している。

何も観光地は華やかな場所だけではない。

「負の遺産」も観光スポットに成り得る。

例えば「戦争遺産」だ。

1940年前後の神戸などの臨海部は軍事工場が多く、空襲の標的にされた。

当時の光景を偲(しの)べるのがジブリ映画の“火垂るの墓”である。

多くの子供達が餓え死する三ノ宮駅や、幼い兄妹が必死になって生きた住処(すみか)の穴があった西宮市の苦楽園駅から夙川を渡った東部にあるニテコ池。

空から爆弾の落ちてこない現代では、到底に考えられない“惨状”である。

“命の重み”など更半紙(わらばんし)1枚より軽かったであろう日本新政府の“軍事政策”の数々。

そう言う事を思い返しながら、神戸から西宮を探索するのも“人生の肥やし”になる。

戦後の日本で、神戸が最も脚光を浴びたのが1981年に開催された「神戸ポートアイランド博覧会」(ポートピア81)の頃である。

神戸市の北部に広がる山岳地帯を切り拓き、大量に出る土砂を神戸港に投棄して人工島を造築する。

それにより出来たのがポートアイランドと六甲アイランドである。

その切り拓いた山々には西神ニュータウンや鈴蘭台ニュータウンの大規模住宅地が造成された。

海手と山手の双方に人を呼び込み、三宮を中心に人工島とニュータウンが一大形成する大神戸が誕生した。

しかも、事業主体の神戸市には“巨額の利益”がもたらされ、「神戸株式会社」と言う異名を名乗った。

ただ、この“成功体験”が大きな“代償”を生む。

「日本誕生の神」である伊耶那岐神(イザナギ)と伊耶那美神(イザナミ)の“神生み”により、自然の神として誕生した“海の神”の大綿津見神(オホワタツミノカミ)と“山の神”の大山津見神(オオヤマツミノカミ)。

この“海の神”の大綿津見神(オホワタツミノカミ)が司る神戸港の海に大量の土砂を投棄し人工島を造築し、“山の神”の大山津見神(オオヤマツミノカミ)が司る神戸北部の山岳地帯を切り拓いてニュータウンを造成した。

この神に対する“冒涜”(ぼうとく)は、“海の神”の大綿津見神(オホワタツミノカミ)と“山の神”の大山津見神(オオヤマツミノカミ)だけでなく、その嫡流(ちゃくりゅう)の源泉でもある伊耶那岐神(イザナギ)と伊耶那美神(イザナミ)も大いに怒らせる事となる。

これにより多くの祟り神(タタリカミ)が兵庫県下に解き放たれています。

それが、この後から起こる大きな“代償”へとつながっていく。

そして1995年に起こった「阪神大震災」である。

中心地の三宮から元町に掛けてビルが倒壊し、国道43号線の頭上を走る阪神高速はなぎ倒され、古い商店街が残る長田周辺は焼け野原になった。

現在は、震災の面影はほとんど残っていないが、それに伴った復興事業を見て回るのもいい。

その象徴が、JRと地下鉄の新長田駅周辺に広がる新街区である。

低層階に商業施設、高層階に分譲マンションなどが入居する「アスタ棟」の数々。

ある意味、“異様”である。

その“異様”の意味を知りたい方は、是非、新長田まで足を運んでもらいたい。

震災の爪痕がまだ残る1997年に起こったのが「神戸連続児童殺傷事件」で、“少年法”を再考するきっかけにもなった。

事件は地下鉄の名谷駅(みょうだにえき)近くで、事件直後の中学校周辺では、上空にヘリが飛び交い、地域には規制線が張られ、大人数の警察官が巡回し、あの時の西神ニュータウンは“異様”な空気が漂っていた。

現在でも“未成年犯罪”は発生しているが、『他人の人生を奪う』ことの愚かさは、子供だけでなく、大人も理解する必要がある。

世紀が変わり、ミレニアムが過ぎ去った2005年に起こった「JR線尼崎脱線事故」は、現実の事故とは思えない“惨状”だった。

場所はJRの尼崎駅と塚口駅の間の鉄道沿線に建つ分譲マンション。

事故当時に、この分譲マンションに勤務していた管理員に話しを聞いた事がある。

『朝の清掃を終えて管理事務所に戻ったらなぁ、どぉえらい音がして、建物が大きく揺れたんやぁ!』

『こりゃ、また阪神大地震が来たかぁと思い、慌てて外に飛び出してぇん。』

『ただなぁ、周り見渡しても、地震の痕跡がありぃしまへぇんやろぉ。』

『ならなぁ外は、なんやぁガソリン臭い言うかぁ、オイルの匂いが充満しとったわぁ。』

『でっ、駐車場の方を見に行ったら、ご覧の有り様やぁ!』

『最初、現状を理解するのに時間が掛かったわなぁ〜 電車がマンションに突っ込むなんて、夢にも思いませんやぁろぉ。』

『少し時間が経ってから我に返って、こりゃ、えらいこっちゃと思ったわぁ。』

自動車事故に比べ、頻繁(ひんぱん)に起こる事のない列車事故。

それ故(ゆえ)に、一度(ひとたび)起これば大惨事に発展する。

あの当時、近畿圏の通勤電車では先頭車両に乗車する人が激減したが、1年も経たずに普段通りに戻っていた。

人間の“学習能力”を象徴している。

照り付ける太陽、夏の暑い日、2008年7月に神戸市灘区を流れる都賀川(とががわ)の水路に整備された遊歩道で遊んでいた数十名の子供が、川の水源となる六甲山でゲリラ豪雨により、鉄砲水が突然に下流に押し寄せて遊んでいた子供が流されていった。

10人近くは助かったが、保護者も含めて5人の命が奪われた。

この「都賀川水難事故」を受けて山から海に流れる神戸市の地形が仇(あだ)となり、川の内に子供が水遊びできる遊歩道などを整備した自治体の管理能力の無さの責任を問う声も挙がっていた。

ただ、河川の中に入れる様に整備しなくても、子供と言う生き物は水の中に入って遊ぶものである。

それは、誰にも止められない。

だから、神様が何時(いつ)も見守ってくれている。

ただ今回は、その神様が・・・

尼崎の電車事故現場から南下した長洲公園近くの分譲マンションで、2012年に起こった「尼崎監禁変死事件」も衝撃的だった。

場所は阪神電鉄の杭瀬駅(くいせえき)の近く。

女ボスによる“支配統治”により複数人の大人達がマインドコントロールされて、抵抗すれば亡き者にする。

第三者から見れば『そんな事は普通、起こらないだろ!』と思うが、当人達にすればそれが“常識”であり“現実”だったのかも知れない。

事件現場となった分譲マンションでは、最上階の住戸のルーフバルコニーに目隠し用の壁が設けられていたのが“異様”だった。

身近な人こそ、厳選する必要がある。

『独り寂しい』からと言って、手当たり次第に知人を増やすと、いつ何時(なんどき)、この様な事件に巻き込まれるかも知れないので、注意が必要である。

そして、“厳選人事の極み”が2024年の「兵庫県職員抹殺事件」である。

事件要因となった場所は地下鉄の県庁前駅もしくはJRの元町駅近くの山手幹線沿いの兵庫県庁で、兵庫県警察本部も近くにある。

『不都合な人間は、消す!』

戦国時代から400年以上の時を経ているが、その時は当たり前だった“影の軍団”の様な組織が現存していた事に驚く。

因(ちな)みに「尼崎監禁変死事件」の主犯の女ボスは、この兵庫県警察本部の留置所で消されている。

兵庫県の“影の軍団”にしてみれば、たとえアメリカの前大統領でも抹殺するのは“朝飯前”です。

「兵庫県職員抹殺事件」の被害者は西播磨県民局の職員という事もあり、その場所はJRの相生駅(あいおいえき)か西栗栖駅(にしくりすえき)が最寄駅となる。

ただ、20m以上は歩かされるが、“怒り”を堪(こら)えて訪問しよう!

更半紙(わらばんし)1枚より軽い“命の重み”を、兵庫県を巡って感じてみては如何(いかが)ですか?

Re: ■インバウンド(訪日観光客)解禁で、もう一度考える民泊殺人事件 - 民泊促進協会 URL

2024/10/07 (Mon) 18:57:57

▼以下は、2020東京五輪が開催される前の2019年2月に記述したものです。

この後、2019年12月頃に中国で発症したコロナウイルスが感染拡大して2020東京五輪は延期し、2021年に無観客開催となった。

2022年2月にはロシア戦争の勃発、さらに2022年7月に日本の元首相が暗殺される前代未聞の事件が発生した。

これらが果たして偶然だったのか?

それこそ“神のみぞ知る”である。

▼観光立国を目指す日本で、とんでもない実態が明らかになりました。

原風景が残る地方の自然に対し、東京など数百億円規模の都市開発ビジネスによる破壊行為が行われている。

都市開発で地表からえぐり出された土砂を、神が住むと言われる日本の山々に投棄していると言う。

当然に開発業者もこの実態は把握しているはずです。

東京など首都圏の開発ラッシュを進めビジネスとして収益を拡大できれば、地方に残された自然や環境の美しさや素晴らしさはどうなろうと関係はないという事でしょうか。

しかもこれら行為は森林法など法規制が無いため違法ではないと言う。

法令遵守の範囲内で金儲けのためなら何をやってもよい。

大人の事情や法の盲点か。

これがこの世の事実であり実態でもある。

山の神々が住むと言い伝えられる神秘乃国・日本を期待して世界中から訪れる外国人観光客がとてもがっかりする出来事でしょう。

日本の聖地とも言うべき伊勢神宮や熊野古道にほど近い三重県の山々。

都市開発の関係者は神をも恐れぬと言うのか。

祟りだろうか、呪われようが、罰(バチ)が当たろうが関係ない。

己の子孫が不幸に見舞われ破滅しようとも、今さえよければよい、自分達さえよければそれでいい。

まぁ、そういう生き方もあるのかもしれない。

まさに、その建造物に集う人々が、悪霊にとり憑かれ、地獄に引きずり落とす意図がある。

人としてこの世で生きているうちから、地獄に落ちることが判明しているとは・・・

恐ろしい。

▼東京の残土、三重の山へ、建設ラッシュ過疎地に流入

三重県南部の紀北町の山林に東京五輪を控えて開発が続く東京都心のビル建設現場などで生じた大量の建設残土が投棄され、景観悪化や崩落の危険が生じている。

建設残土は産業廃棄物と異なり明確な規制ができなき中、過疎地の安い山林が残土ビジネスの標的となっている。

事態の深刻化を受け三重県が投棄規制する条例制定に動きだした。

世界遺産熊野古道が通る霊場紀伊山地の裾野にむき出しの土砂が20m近い高さまで急角度で積まれている。

土砂は東京港などから紀北町の長島港や尾鷲市の尾鷲港に船で運ばれ、近隣の山林が残土の投棄場所となっている。

東京郊外に捨てに行くより運搬コストが安く済むのが理由。

過疎や高齢化で林業が衰退し、山林価格は下がり続ける一方、山林の地権者にとっては収入が見込めるため残土投棄場となっている。

残土運搬船は2012年頃から三重県などの港に入港し、運搬埋立する紀北町の土砂は下記の都市開発によるもの。

①赤坂プレスセンターの保安施設工事
②横浜環状南線のトンネル工事
③大手町の超高層ビルの開発
④豊洲の超高層ビルの開発
⑤東京都の高級マンション・戸建て住宅などの開発
⑥神奈川県の高級マンション・戸建て住宅などの開発

紀北町や尾鷲市では残土の山が巨大化した2018年頃から、町民から不安の声が相次ぎ、大雨で残土が崩落し水路を塞ぐ被害も多数発生している。

残土ビジネスの背景には、有害物質を含まない土砂の積上げを規制する法令が無い事にある。

1ha超の山林開発には森林法で一定制限が可能だが、残土への対処が目的ではない。

開発許可を取得すれば土砂投棄をいくらでもでき違法にはならない。

廃棄物問題ネットワーク三重の弁護士は、残土投棄する際の届出を出し、積上げる角度や高さを制限する条例が各都府県にはあるが、三重は残土処理制限が無いため無法地帯となっていると言う。

三重県では、残土の搬入や積上げを規制する条例検討を表明するが、条例の厳しさは各自治体により差があり、条例がある大阪府でも2014年に残土崩落事故が発生している。

三重県の自治体では、本来は国の責任で全国一律に規制する必要があり、町を都市の残土捨て場にされる事は耐えられないとしている。

【中日新聞:2019年2月11日】

Re: ■インバウンド(訪日観光客)解禁で、もう一度考える民泊殺人事件 - 民泊促進協会

2024/12/29 (Sun) 19:26:51

♪変わらないも それは 俺たちへの殺意〜 君は“大阪違法民泊バラバラ殺人鬼”〜

日本では、2018年に施行した“住宅宿泊事業法”に基づいた合法民泊施設を利用しましょう。

Re: ■インバウンド(訪日観光客)解禁で、もう一度考える民泊殺人事件 - 民泊促進協会

2025/02/16 (Sun) 00:30:55

2月16日は民泊業界や民泊利用者にとって忘れてはならない日である。

“民泊を考える日”。

2018年に大阪城にほど近い大阪市東成区中道で、何故(なぜ)あの忌(い)まわしい“違法民泊バラバラ事件”が起こったのか?

被害者の女性は、“いしん”を掛けて情報隠蔽(いんぺい)した者達に葬られたと言っても過言では、無い!

♪さあぁ〜 皆で殺(や)りましょ。

♪貴女(あなた)と君と僕。

♪グサグサ ブスブス ギコギコ バラバラ。

♪皆で殺(や)りましょ。

これじゃ、困るんですよね。

Re: ■インバウンド(訪日観光客)解禁で、もう一度考える民泊殺人事件 - 民泊促進協会

2025/03/23 (Sun) 22:58:44

2025年、大阪バラバライヤー開幕。

猟奇的な犯罪が増えている大阪の街。

けっして1人で家に居ないで下さい。

次なるターゲットは、あなたかも知れない。

また、人肉と人骨は行政指定ゴミ袋に入れて、大阪市の指定日と指定場所に遺棄しましょう。

さもなくば不法投棄として処罰される恐れがあります。

Re: ■インバウンド(訪日観光客)解禁で、もう一度考える民泊殺人事件 - 民泊促進協会

2025/06/09 (Mon) 23:32:23

◆◇◆賃貸マンションと民泊◆◇◆

●民泊事業の拡大

近年、インバウンド(訪日観光客)の更なる増加で宿泊施設が逼迫(ひっぱく)している。

都市部では、20年前までは5000円前後で宿泊できたビジネスホテルですら1万円を超えている

そこで登場したのが民間の賃貸住宅などを利用した民泊施設である。

民泊と言う言葉は2015年頃から使用され始めた新しい言葉だが、観光地の京都では同じ形態のサービスはそれ以前から実施されていた。

しかも、京都市街地にある分譲マンションで民泊事業を行なっていた為に、“ゴミ出し”や“騒音”などで他の居住者とのトラブルが絶えなかった。

これが京都市の自治体が民泊に対して厳しい態度を取る理由である。

逆に大阪府や大阪市の自治体は民泊に対して寛大な姿勢を見せていた。

国家戦略特区を利用して民泊の規制緩和を始めて実施したのが大阪府である。

更に2018年6月15日に住宅宿泊事業法が施行し、日本全体で法律に基づく宿泊施設なら民泊が可能となる。

この住宅宿泊事業法に一番に飛び付いたのが大阪市である。

ところがである。

大阪の民泊施設の事業者や観光客は7割近くが中華系民族と言う事情もあり、民泊施設となったマンションの環境が目に見える形で悪化した。

その対象は、不法な“ゴミ出し”の対処は環境局が担い、夜中の“騒音”は所轄の警察署が管轄し、自治体の現場の担当者が疲弊した。

これが民泊施設が上手く行かなかった理由である。

更に大阪市東成区中道の違法民泊施設で、アメリカから来た青年による日本人女性の身体をバラバラにする事件も勃発した。

その後の2019年の年末に、中国大陸からコロナウイルスが世界中に拡散され、人の移動制限され日本をはじめ観光客が激減し、2023年頃までマスク必須の生活が日常化した。

これらが民泊施設に大打撃を与えた。

2020年の東京オリンピックと2025年の大阪関西万博を2大イベントを控え、政府の肝入りで船出した民泊事業だが、最先から出鼻を挫(くじ)かれた。

それが今でも尾を引いている。

とは言うものの、海外との行き来が解禁された事に伴い、コロナパンデミック以前に増して日本にはインバウンド(訪日観光客)が押し寄せている。

こんな事情から民泊施設も水面化では拡大していると言える。

●再び民泊問題が浮上

日本にインバウンド(訪日観光客)が増加して民泊施設が旺盛するのは良い事だが、その裏側には“ゴミ出し”や“騒音”の問題が起こり、東京や大阪の都市部では賃貸マンションから民泊施設に変更する事案が多発している。

これにより以前からの賃借人(居住者)を追い出す悪質行為も見られ、その手口は“月額賃料の大幅増額”や“建物施設の不利用”などである。

インターネットニュースでは、東京都板橋区の中華系民族が所有者となった賃貸マンションで、1Kの住戸の月額賃料が7万円代から19万円代に大幅増額した通知書が賃借人(居住者)に配布された。

数字だけ見れば従来から2.7倍の月額賃料である。

1Kの専有面積は25㎡程度なので、㎡単価に直すと2800円から7600円になった事を意味する。

これを近傍類似(きんぼうるいじ)の賃貸マンションと比較すれば相場感が解ってくる。

近年に起こっているお米10kgの価格高騰に近い。

常識的に考えて賃貸人(大家)の横暴と思うが、ただ、日本の民法では賃貸借契約などの契約行為は、賃貸人(大家)と賃借人(居住者)の合意により成立する為に、この2.7倍となった月額賃料19万円を賃借人(居住者)が支払う意思を示せば契約は成立する。

賃貸住宅に関わる日本の法律は、民法、借地借家法、宅地建物取引事業法などで構成されている。

要はこれら法律に抵触しなければ、賃貸人(大家)と賃借人(居住者)の民事の問題となる。

ただ現実的に月額賃料19万円を素直に支払う賃借人(居住者)は皆無であろう。

どうして賃貸マンションの賃貸人(大家)は、こんな無謀な賃料増額を実施したのか?

それがインバウンド(訪日観光客)の増加と、民泊事業の収益力の高さである。

賃貸マンションの住戸を1ヶ月の賃料7万円で貸出すより、民泊施設として1日の宿泊料2万円で貸出せば、1ヶ月の稼働率20日としても月額40万円の収益を産む。

ざっと5.7倍である。

管理手間賃や租税公課などの諸経費を考慮しても旨味はある。

●賃借人(居住者)の対処法

では賃借人(居住者)は、この事態を受け入れて泣き寝入りしなければならないのか?

これもまた日本の法律が絡み、賃貸借契約において入居後の月額賃料は、賃貸人(大家)と賃借人(居住者)の合意が基本となる。

要は月額賃料を値上げするのも、値下げするのも、双方の合意により成立する。

賃貸人(大家)の発行する月額賃料についての合意書に、賃借人(居住者)が同意して署名押印すれば新賃料となる。

では、賃借人(居住者)が新賃料の額を不服の場合はどうしたら良いのか?

そのまま処理を放置すれば賃借人(居住者)の賃料滞納となり、それこそ賃貸人(大家)から立退請求できる口実を作る事となる。

賃借人(居住者)は従来の旧賃料を支払う意思はあるが、賃貸人(大家)は新賃料でなければ受取拒否をする。

そんな時は、賃貸マンションが立地する所轄の法務局(供託所)に、賃借人(居住者)は旧賃料を供託すれば滞納と見なされず、滞納による利子の遅延損害金も発生しない。

これが賃借人(居住者)の基本的な対処法である。

●賃貸人(大家)の義務

賃貸住宅の賃貸人(大家)と賃借人(居住者)では、当然に賃貸人(大家)の方が立場が強い。

その為に日本では法律や条例により、様々な資格要件が課せられている。

賃貸住宅での賃料の要素には、賃借人(居住者)は賃貸人(大家)に対して月額賃料を支払う債務を負っているのと同時に、賃貸人(大家)は賃借人(居住者)に対して適切な居住を提供する債務を負っている。

例えば、賃料マンションの附属施設が一定期間に渡り使用できなければ、月額賃料に見合わない居住を与えられたとして、賃借人(居住者)は賃料の減額請求をする事ができる。

要はエレベーターや水道などが利用できなければ、債務不履行として賃料減額請求の対象となる。

次に中華系民族などの海外に住む賃貸人(大家)に対しては、日本に在住する賃貸マンションを管理する代理人を置く必要がある。

この代理人が賃貸人(大家)と同等の権利を持つ事になる。

更に2021年6月15日より賃貸住宅管理業務適正化法が施行され、賃貸住宅を管理する業者に当たっては、管理戸数により所轄行政に登録しなければならない。

また、民泊事業を運営する場合も、住宅宿泊事業法に基づき所轄行政に登録する必要がある。

これらの法律や条例を理解し遵守した上で、日本では賃貸住宅事業を経営する資格が与えられる。

要は不動産運営の知能と資質があるかどうかである。

●民泊事業の現状

法律や条例を前面にして賃貸住宅事業や民泊事業を取り締まっても、年々増加するインバウンド(訪日観光客)や、高騰する不動産価格や物価高に対して、施設を所有する賃貸人(大家)の言い分もある。

賃貸住宅であれ、民泊施設であれ、良好な環境と適正なサービスで提供するのが基本だが、それは収益あって成り立つ話で慈善事業では無い。

賃貸住宅より民泊施設の方が収益力が高ければ、経済観点からも用途変更は当たり前である。

ここに来ての問題は、都市部で生活するリスクの高さが浮き彫りになっているだけである。

これら問題は、郊外都市や地方では見当たらない。

ほぼ、東京都区部と大阪市内の特有問題である。

利便性から都市部に居住する意味も解るが、それは40代くらいの現役世代までである。

以前、大阪市中央区の賃貸マンションが民泊施設へ用途変更する際に、長年に渡り居住する70代の高齢者が追い出される問題をインターネットニュースで取り上げていたが、先(ま)ず、その年齢で都心部に居住する意味合いが判らない。

郊外都市や地方の公営賃貸住宅なら低額賃料で空き部屋もあるし、周辺に買い物施設と医療機関があれば十分の様な気がする。

高齢になっても働きたいのなら、それ相応の仕事もあるだろう。

意固地に都市部にしがみ付く理由を、冷静になって考えるのも必要ではないのか?

賃貸人(大家)が加害者で、賃借人(居住者)が被害者と言う構図は、日本の経済観点からも、人口構成からも、成り立ち難い問題となっている。

年々に増加する日本の空き家を含めて民泊施設として利用する事は、経済活性化に取って良い事ではある。

ただ、神州と呼ばれる日本列島の土地は八百万神(ヤオヨロズノカミ)が各々に統治しており、それら神様からお預かりしている土地で悪事を働けば、日本人であれ、外国人であれ、国籍に関係なく必ずや天誅(てんちゅう)が下る事になる。

国賊(こくぞく)に対して50億年に渡る地獄での懲役は、ちょっとやそっとの苦痛では無いですよ。


Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.