都市空間計画区域

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今日の1枚、お薦めレコード/20250702 - ラジオの友 URL

2025/07/02 (Wed) 07:08:41

AVERAGE WHITE BAND /♪ WORK TO DO

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2025/07/02 (Wed) 07:09:40

GRAHAM CENTRAL STATION /♪ IT AIN'T NOTHING BUT A WARNER BROTHERS PARTY

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2025/07/02 (Wed) 07:11:02

TOWER OF POWER /♪ YOU'RE SO WONDERFUL,SO MARVELOUS

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2025/07/02 (Wed) 07:11:58

WELDON IRVINE /♪ WE GETTIN' DOWN

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2025/07/02 (Wed) 07:12:57

FULL MOON /♪ THE HEAVY SCUFFLE'S ON

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2025/07/02 (Wed) 07:13:53

UNIVERSAL ROBOT BAND /♪ DANCE AND SHAKE YOUR TAMBOURINE

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2025/07/02 (Wed) 07:15:02

RUFUS /♪ YOU TURN ME ALL AROUND

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2025/07/02 (Wed) 07:15:56

THE WHISPERS /♪ MAKE IT WITH YOU

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2025/07/02 (Wed) 07:16:56

THE BONE SHAKERS /♪ THE ONE YOU RUN TO

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2025/07/02 (Wed) 07:18:09

LOU COURTNEY /♪ I DON'T NEED NOBODY ELSE

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2025/07/02 (Wed) 07:19:07

CURTIS MAYFIELD /♪ PEOPLE NEVER GIVE UP

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2025/07/02 (Wed) 07:20:12

BOBBI HUMPHREY /♪ THE GOOD LIFE

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2025/07/02 (Wed) 07:21:44

DONNY HATHAWAY /♪ LOVE,LOVE,LOVE

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2025/07/02 (Wed) 07:22:48

SURFACE /♪ CLOSER THAN FRIENDS

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2025/07/02 (Wed) 07:23:41

ALTON MCCLAIN & DESTINY /♪ HANG ON IN THERE BABY

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2025/07/02 (Wed) 07:24:35

MICHAEL JACKSON /♪ AIN'T NO SUNSHINE

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2025/07/02 (Wed) 07:25:32

SYREETA /♪ WHAT LOVE HAS JOINED TOGETHER

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2025/07/02 (Wed) 07:26:36

MANHATTANS /♪ GIRL OF MY DREAM

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2025/07/01 (Tue) 20:38:02

Dakota Fanning & Kristen Stewart /♪ CHERRY BOMB

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2025/07/01 (Tue) 20:39:45

The Runaways/♪ CHERRY BOMB

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2025/07/01 (Tue) 20:40:41

ELVIS PRESLEY /♪ HOUND DOG

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2025/07/01 (Tue) 20:41:48

JAMES TAYLOR /♪ HOUND DOG

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2025/07/01 (Tue) 20:42:55

CHICAGO /♪ QUESTIONS 67 AND 68

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2025/07/01 (Tue) 20:43:57

CHICAGO /♪ QUESTIONS 67 AND 68<Japanese VER.>

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2025/07/01 (Tue) 20:45:33

JAMIE CULLUM /♪ EVERLASTING LOVE

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2025/07/01 (Tue) 20:46:29

Love Affair/♪ EVERLASTING LOVE

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2025/07/01 (Tue) 20:47:25

Gloria Estefan/♪ EVERLASTING LOVE

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2025/07/01 (Tue) 20:48:18

Cherrelle, Alexander O'Neal /♪ Saturday Love

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2025/07/01 (Tue) 20:49:17

SWAY FEAT.LEMAR /♪ SATURDAY NIGHT HUSTLE

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2025/07/01 (Tue) 20:50:14

ROBIN S /♪ IT MUST BE LOVE

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2025/07/01 (Tue) 20:51:09

Alton McClain & Destiny/♪ IT MUST BE LOVE

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2025/07/01 (Tue) 20:52:06

GLADYS KNIGHT & THE PIPS /♪ THE LOOK OF LOVE

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2025/07/01 (Tue) 20:53:01

Dusty Springfield/♪ THE LOOK OF LOVE

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2025/07/01 (Tue) 20:53:58

Diana Krall/♪ THE LOOK OF LOVE

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2025/07/01 (Tue) 20:54:56

E-ROTIC /♪ THE WINNER TAKES IT ALL

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2025/07/01 (Tue) 20:55:54

ABBA/♪ THE WINNER TAKES IT ALL

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2025/06/28 (Sat) 17:53:31

◆◇◆其の五十五:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

現在の東京と300年余り前の江戸を見比べて、変わっていないのは江戸城(えどじょう)の跡地くらいだが、もう1つ当時の場所に佇(たたず)んでいる物がある。

それは神社仏閣である。

お寺や神社が造られたのは飛鳥時代から奈良時代に掛けてで、仏教の宗派が枝分かれした鎌倉仏教では鎌倉時代から室町時代に多くのお寺が日本各地に建立(こんりゅう)されている。

武蔵国(東京都)にも多くのお寺が建立(こんりゅう)されているが、当然だが江戸時代より前のお寺は江戸城(えどじょう)より北西方の台地に多く、南東方は芦原(あしはら)の湿地帯や海だった事が分かる。

今でも東京都心の北西方に住宅地が広がっているのはそうした名残で、不動産の鉄則で“地盤の弱い埋立地の住宅は買うなぁ!”がしっかりと守られている。

不動産による地積調査は当然に実施するが、地震による津波被害の観点からも、古(いにしえ)から学ぶ事を昔の人は実施している事がよく判る。

そう言った目線で現代の東京と、ほんの少し前の江戸を比較するのも勉強になる。

SHINEDOWN /♪ DIAMOND EYES(BOOM-LAY BOOM-LAY BOOM)

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2025/06/28 (Sat) 17:54:30

◆◇◆其の五十六:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

江戸城(えどじょう)の北方に王子村(おうじむら)がある。

現在は王子駅を中心に幾(いく)つもの鉄道が通り、東京都区部でも下町の風情を残して、北方を流れる隅田川や荒川を越えれば埼玉県川口市に入る。

そんな王子村(おうじむら)は江戸の中でも一大街区だった事が判る。

紀伊国(和歌山県)の熊野神社(くまのじんじゃ)に所縁(ゆかり)のある王子神社(おうじじんじゃ/王子権現)が、平安時代に創建され街が発展した。

京都の平安京から東北地方の“蝦夷討伐”(えみしとうばつ)に向かう八幡太郎(はちまんたろう)こと源義家(みなもとよしいえ/朝廷)が王子神社(おうじじんじゃ/王子権現)に立ち寄り参拝した事でも知られる。

畿内(きない/関西)の“熊野詣”(くまのもうで)では、紀伊国(和歌山県)の熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ/田辺)が未来を信仰し、熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ/新宮)が過去を信仰し、熊野那智大社(くまのなちたいしゃ/勝浦)が現在を信仰しており、三神社を巡り参拝するのが慣(ならわ)しである。

江戸時代では征夷大将軍3代目の徳川家光(とくがわいえみつ/徳川)により社殿が造営され、この頃に王子村(おうじむら)が発展したと思われる。

“暴れん坊将軍”と呼ばれる征夷大将軍8代目の徳川吉宗(とくがわよしむね/徳川)は、出身地が紀伊国(和歌山県)という事もあり熊野信仰が強く、王子神社(おうじじんじゃ/王子権現)に隣接して庭園を設けた飛鳥山(あすかやま)を寄進した。

SLIDER /♪ I WANNA GO

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2025/06/28 (Sat) 17:55:27

◆◇◆其の五十七:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

江戸の日本橋から京都の三条までを、信濃国(長野県)や美濃国(岐阜県)など日本列島の山岳地帯を通る中仙道(なかせんどう)。

そんな中仙道(なかせんどう)の最初の宿場町が板橋宿だが、その少し手前に巣鴨がある。

巣鴨と言えば、とげぬき地蔵こと地蔵菩薩で有名な高岩寺(こうがんじ/曹洞宗)と、“おばあちゃんの原宿”と呼ばれる巣鴨地蔵通商店街が有名である。

高岩寺(こうがんじ/曹洞宗)は湯島で建立(こんりゅう)されたが、1891年(明治24年)に現在の巣鴨に移転してきた。

江戸時代から巣鴨を鎮守するのは真性寺(しんしょうじ/真言宗)である。

しかも真性寺(しんしょうじ/真言宗)には六地蔵も安置されている。

この為、本来なら巣鴨の地蔵と言えば真性寺(しんしょうじ/真言宗)の六地蔵を指すのだが、それでも高岩寺(こうがんじ/曹洞宗)のとげぬき地蔵こと地蔵菩薩が全国的にも浸透している。

これはやはり“刺抜き”による病気治療の効果に他(ほか)ならない。

その昔、針子(はりこ)の女中が誤って針を飲み込んでしまい、喉に刺さった針の痛みから苦しんでいた。

そこで高岩寺(こうがんじ/曹洞宗)が発行する仏様が描かれた紙のお御影(みかげ)を飲んだら、そのお御影(みかげ)に針が刺さって口から出てきた。

針子(はりこ)の女中も苦痛から解放されて喜んだと言う。

これがとげぬき地蔵こと地蔵菩薩の効用である。

そりゃ、身体の彼方此方(あちらこちら)が痛いおばあちゃんが、とげぬき地蔵こと地蔵菩薩の御利益を期待して、お御影(みかげ)を買い求めて押し寄せるわぁな。

こうして“おばあちゃんの原宿”と呼ばれる巣鴨地蔵通商店街は今日も賑わっている。

SLASH FEAT. Myles Kennedy/♪ YOU'RE A LIE

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2025/06/28 (Sat) 17:56:23

◆◇◆其の五十八:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

戦国時代の末期、三河国(愛知県)の徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)を陰(かげ)で支えた外様(とざま)武将が2人いた。

1人は“徳川四天王”にも数えられる井伊直政(いいなおまさ/今川→徳川)で、井伊隊の武士は“赤備え”(あかぞなえ)で統一して“赤鬼”と恐れられた。

井伊氏は代々に渡り駿河国(静岡県)の“海道一の弓取り”(東海道で一番の武将)と呼ばれる今川義元(いまがわよしもと/今川)など今川氏に仕える家臣で、その息子の今川氏真(いまがわうじざね/今川→北条→徳川)が家督継承してから今川軍の内乱で井伊氏は追放され、徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)の家臣となり、近江国(滋賀県)の彦根藩の藩主に就任して井伊直政(いいなおまさ/今川→徳川)の息子の井伊直勝(いいなおかつ/徳川)も徳川家と江戸幕府に忠誠を誓った。

もう1人が近江国(滋賀県)の小谷城(おだにじょう/長浜)を拠点としていた浅井久政(あざいひさまさ/浅井)や息子の浅井長政(あざいながまさ/浅井)に仕えていた藤堂高虎(とうどうたかとら/浅井→織田→豊臣→徳川)である。

ところが浅井長政(あざいながまさ/浅井)の妻で“小牧山の美女”と呼ばれたお市の方(おいちのかた/織田→浅井)の兄上の織田信長(おだのぶなが/織田)から離反(りはん)して越前国(福井県)の朝倉氏に味方した事で、織田徳川軍に総攻撃された1570年に起こった「姉川の戦」(あねがわのたたかい)で浅井氏は弱体化する。

そして、1573年に再び総攻撃を受けて浅井久政(あざいひさまさ/浅井)や息子の浅井長政(あざいながまさ/浅井)は小谷城(おだにじょう/長浜)で自害して浅井氏は滅亡した。

これにより主君を失った藤堂高虎(とうどうたかとら/浅井→織田→豊臣→徳川)は牢人(無職侍)となり、彼方此方(あちらこちら)の武将に仕えるも長続きせず、豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)の弟の豊臣秀長(とよとみひでなが/織田→豊臣)に仕えて、ようやく自らの止まり木を定めた。

しかし、その主君の豊臣秀長(とよとみひでなが/織田→豊臣)が病死し、家督を引き継いだ養子の豊臣秀保(とよとみひでやす/豊臣)も早世してしまう。

再び牢人(無職侍)となった藤堂高虎(とうどうたかとら/浅井→織田→豊臣→徳川)は、徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)の誘いで徳川軍の武将に就任する。

以後、徳川家に仕えて日本各地の築城を任され、伊勢国(三重県)の伊勢津藩の初代藩主にも就任した。

そして、息子の藤堂高次(とうどうたかつぐ/豊臣→徳川)や、孫の藤堂高刑(とうどうたかのり/豊臣→徳川)も徳川家と江戸幕府に忠誠を誓った。

藤堂高虎(とうどうたかとら/浅井→織田→豊臣→徳川)は、徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)の信任が厚く最もお気に入りの1人である。

そんな徳川軍の外様(とざま)武将の井伊直政(いいなおまさ/今川→徳川)と藤堂高虎(とうどうたかとら/浅井→織田→豊臣→徳川)の運命の起点が、共に織田信長(おだのぶなが/織田)だった事が興味深い。

そんな藤堂家の屋敷が、巣鴨から駒込に掛けての広い用地で構えている。

本宅は江戸城(えどじょう)の北東方の秋葉原にあるのだが、巣鴨の屋敷はそこよりも遥かに広い敷地である。

中仙道(なかせんどう)の沿道と言う事もあり、江戸幕府としては巣鴨の藤堂家の屋敷を防御機能の拠点にしていた事が解る。

DANDY WARHOLS /♪ THIS IS THE TIDE

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2025/06/28 (Sat) 17:57:16

◆◇◆其の五十九:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

徳川軍の外様(とざま)武将の藤堂高虎(とうどうたかとら/浅井→織田→豊臣→徳川)は、徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)のお気に入りで、その後の藤堂家も神君(しんくん/徳川家康)と江戸幕府に忠義を貫(つらぬ)いた。

そんな藤堂家の屋敷は江戸城(えどじょう)の北東方の秋葉原に構えている。

隅田川沿いの浅草橋には、江戸前の料亭が集積する花街の柳橋がある。

神田川の河口には、地名となる柳橋が架かっている。

昭和期〜平成期に掛けては電気街として栄え、バブル崩壊後はアニメとアイドルの聖地に姿を変えた。

其(そ)れも此(こ)れも主君を7度も代えた藤堂高虎(とうどうたかとら/浅井→織田→豊臣→徳川)の意向が秋葉原に根付いている。

生き残る為に時代と共に変化していく戦国武将の世渡りを、藤堂家の屋敷があったこの秋葉原は教えてくれている。

COLLECTIVE SOUL /♪ GEL

◆ラジオの友◆

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2025/06/28 (Sat) 17:58:10

◆◇◆其の六十:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

東京都荒川区西日暮里の周辺は、上野の北方にある下町です。

そんな西日暮里だが、直ぐ近くに日暮里もある。

だが日暮里より西日暮里の方が有名な気がする。

これは西日暮里に道灌山(どうかんやま)が鎮座していたからだと思う。

道灌山(どうかんやま)の名称は諸説あるが、一番にしっくりくるのが太田道灌(おおたどうかん/扇谷)がお城を築いた事に由来(ゆらい)する説である。

室町時代に武蔵国(埼玉県)で生まれ育った太田道灌(おおたどうかん/扇谷)は、扇谷上杉氏(おうぎがやうえすぎし)の家宰(かさい)に就いていた父親の太田道真(おおたどうしん/扇谷)の後を継ぐ。

時代は正(まさ)に相模国(神奈川県)の鎌倉府にて、鎌倉公方(かまくらくぼう)の足利氏と家臣でもある関東管領(かんとうかんれい)の山内上杉氏(やまうちうえすぎし)が権力闘争を起こし、1455年〜1483年の28年間に渡り繰り広げた「享徳の乱」(きょうとくのらん)の最中(さなか)である。

そんな身内同士の争いに巻き込まれる京都の室町幕府と扇谷上杉氏(おうぎがやうえすぎし)。

その扇谷上杉氏(おうぎがやうえすぎし)の家臣だったのが家宰(かさい)の太田道灌(おおたどうかん/扇谷)である。

軍師としても名高い太田道灌(おおたどうかん/扇谷)の才能は紛争時には大いに発揮され、築城名人でもあり初代の江戸城(えどじょう)や武蔵国(埼玉県)の川越城(かわごえじょう)を手掛けている。

西日暮里の道灌山(どうかんやま)は荒川を越えれば武蔵国(埼玉県)の為に、太田道灌(おおたどうかん/扇谷)の名前を冠(かんむり)した説が一番にしっくりくる。

そんな優秀な太田道灌(おおたどうかん/扇谷)も、その能力の高さから謀反(むほん)の疑心暗鬼を持った主君の上杉定正(うえすぎさだまさ/扇谷)により、1486年に風呂場で暗殺される。

ただ、その主犯の上杉定正(うえすぎさだまさ/扇谷)も、1494年に亡き太田道灌(おおたどうかん/扇谷)の怨念により荒川で落馬して死去する。

この世でも、あの世でも、狙った獲物は必ず仕留めるのが武士の習性である。

太田道灌(おおたどうかん/扇谷)は、あの世に行っても軍略家である事が解る。

AGAINST ME! /♪ DON'T LOSE TOUCH

◆ラジオの友◆

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2025/06/28 (Sat) 17:59:04

◆◇◆其の六十一:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

東京都豊島区の池袋は、大都会の新宿や渋谷に比べてメジャーに成り切れないローカル色が豊かな街だ。

そんな池袋から東方には由緒(ゆいしょ)ある護国寺(ごこくじ/真言宗)が建立(こんりゅう)されている。

時は江戸時代の1681年に、征夷大将軍3代目の徳川家光(とくがわいえみつ/徳川)の側室で、「生類憐れみの令」でお馴染みの“犬公方”と呼ばれた征夷大将軍5代目の徳川綱吉(とくがわつなよし/徳川)の母親の、お玉(たま)こと桂昌院(けいしょういん/本庄→徳川)が護国寺(ごこくじ/真言宗)の建造に尽力した。

お玉(たま)こと桂昌院(けいしょういん/本庄→徳川)とは、京都の八百屋の娘で徳川家光(とくがわいえみつ/徳川)に見染(みそ)められ側室に入り、将軍となる徳川綱吉(とくがわつなよし/徳川)を産んだ事で、そのシンデレラストーリーから「玉の輿」(たまのこし)と言う言葉も誕生した。

とはフィクション(創作)で、お玉(たま)こと桂昌院(けいしょういん/本庄→徳川)の出生は京都の藤原氏北家(ほっけ)の五摂家(ごせっけ)でもある二条家に仕える武士の家系と言う。

江戸時代でも、現代でも、「玉の輿」(たまのこし)なんて、そんなうまい話しは転がってはいない。

江戸時代には既に護国寺(ごこくじ/真言宗)の表参道となる門前町が長く連なっている事が判る。

その表参道の入口に江戸川が流れており、現在は神田川に組み込まれているが、江戸川橋として名を残している。

その門前町には昭和期に活躍した政治家で第52代〜第54代内閣総理大臣の鳩山一郎(はとやまいちろう/弁護士→政治家)さんの立派な御殿がある。

神田川(江戸川)に沿って目白に向かうと、水戸徳川家と紀州徳川家の一橋徳川家と尾張徳川家の徳川御三家(とくがわごさんけ)の屋敷が建ち並んでいる。

明治期にはその一角に日本庭園を併設した屋敷の椿山荘(ちんざんそう)が設けられた。

この辺りに広大な公園や大学があるのは、江戸幕府の大名屋敷の名残りでもある。

あの第64代〜第65代内閣総理大臣の田中角栄(たなかかくえい/建築士→政治家)さんの目白御殿も此処(ここ)にあったが、2024年の正月に火事で全焼してしまった。

DREAM ON DREAMER /♪ SURRENDER

◆ラジオの友◆

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2025/06/28 (Sat) 17:59:58

◆◇◆其の六十二:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

護国寺(ごこくじ/真言宗)から少し西方にあるのが法明寺(ほうみょうじ/日蓮宗)です。

南方の飛地に鬼子母神堂(きしもじんどう)が設けられている。

平安時代の810年に建立(こんりゅう)され、

目白台にて鬼子母神(きしもじん)の像が発見された事が由来(ゆらい)とされる。

鬼子母神(きしもじん)とは500人の天子を持つ母親の神様で、人間の子供を拐(さら)って食し、栄養ある母乳を天子に飲ませて育てていた。

自らの子供を守る為には、母親は鬼にも成る母性本能を教えてくれている鬼子母神(きしもじん)です。

全世界の子供を持つ母親が、とても共感できる神様である。

今でも宇宙や地球の何処(どこ)かで鬼子母神(きしもじん)が、出来の悪い子供や大人が居ないか、虎視眈々(こしたんたん)と睨みを効かせています。

特にパワハラを得意とする大人は食感が良く渋みがあり、鬼子母神(きしもじん)は大の好物としています。

NEW MEDICINE /♪ RACE YOU TO THE BOTTOM

◆ラジオの友◆

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2025/06/28 (Sat) 18:00:59

◆◇◆其の六十三:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

日本で一番の乗降客数がある新宿。

そんな新宿だが、江戸時代も武蔵国(東京都)を経由して甲斐国(山梨県)に入る青梅街道やそのまま甲斐国(山梨県)まで繋がる甲州街道が通っていた為に、新宿御苑(しんじゅくぎょえん)や千駄ヶ谷(せんだがや)は町人街区が形成されている。

その合間や周辺に武家屋敷も点在しており、新宿の地名の通りに宿場町でもあり、当時も華やかだった事が解る。

特に紀州徳川家や田安徳川家の屋敷が目を惹(ひ)く。

新宿伊勢丹は町人の長屋が連なり、その真向かいに青梅街道と甲州街道が分岐する追分(おいわけ)がある。

代々木の周辺は畑が多く、現在の姿からは想像も出来ない。

超高層ビルが建ち並ぶ西新宿の新宿副都心は、元は浄水場があり、江戸時代は松平家の屋敷がある。

CUTE IS WHAT WE AIM FOR /♪ THERE'S A CLASS FOR THIS

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250628 - ラジオの友 URL

2025/06/28 (Sat) 18:01:54

◆◇◆其の六十四:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

原宿にある明治神宮は第122代天皇の明治天皇(めいじてんのう/朝廷)が崩御(ほうぎょ)した際に、1920年(大正9年)に創建された新しい神社である。

元旦三が日の初詣には日本で一番の人出がある明治神宮だが、建造されてからまだ100年余りで意外と歴史は浅い。

当然だが江戸時代に明治神宮は存在しておらず、その地には畑が広がっている。

天皇の象徴である“三種の神器”のうち、“八咫鏡”(やたのかがみ)は三重県の伊勢神宮に奉納され、“天叢雲剣”(あめのむらくものつるぎ)こと“都牟刈之大刀”(つむがりのたち)こと“草薙剣”(くさなぎのつるぎ)は愛知県の熱田神宮に奉納され、“八尺瓊勾玉”(やさかにのまがたま)も神宮繋がりで明治神宮と思いきや、実は江戸城(えどじょう)の跡地の皇居に保管されている。

明治神宮が無ければ、日本で一番のファッションタウンとして名高い表参道も無い。

現在は埋め立てられた渋谷川(古川)も、この頃には流れている。

武家屋敷と畑が混在しており、長閑(のどか)な風景が目に浮かぶ。

江戸時代の此(こ)の地には、表原宿も、裏原宿も必要としてない。

必要なのは畑から採れる新鮮な野菜だけだ。

表参道の南東方にある骨董通りに、高木主水(たかぎもんど)の大きな屋敷がある。

高木主水(たかぎもんど)とは、河内国(大阪府)の丹南藩(松原)の藩主に就いた高木正次(たかぎまさつぐ/徳川)の事です。

そんな高木正次(たかぎまさつぐ/徳川)の父親の高木清秀(たかぎきよひで/水野→織田→水野→織田→徳川)は、戦国時代に尾張国(愛知県)の知多半島にある緒川城(おがわじょう/東浦)や三河国(愛知県)の刈谷城(かりやじょう)の城主だった水野忠政(みずのただまさ/織田→今川→織田)に仕えていた。

要は於大の方(おだいのかた/水野→松平→水野)の父親で、徳川家康(とくがわいえやす/徳川)の祖父にあたる人物が主君である。

その後、尾張国(愛知県)の戦国大名の織田信秀(おだのぶひで/織田)に仕えたが、再び徳川家康(とくがわいえやす/徳川)の叔父の水野信元(みずののぶもと/今川→織田)に仕える。

しかし、“大うつけ”(大バカ者)の織田信長(おだのぶなが/織田)が尾張国(愛知県)の当主に就くと、再び高木清秀(たかぎきよひで/水野→織田→水野→織田→徳川)は織田軍に仕える。

その後、織田軍で活躍し武功を挙げていくが、1582年に起こった「本能寺の変」(ほんのうじのへん)で主君の織田信長(おだのぶなが/織田)が亡くなると、同盟国だった三河国(愛知県)の徳川家康(とくがわいえやす/徳川)に仕える。

高木清秀(たかぎきよひで/水野→織田→水野→織田→徳川)は、徳川軍でも活躍し武功を挙げて“徳川十六神将”(とくがわじゅうろくしんしょう)の一員となる。

その息子が高木主水(たかぎもんど)こと高木正次(たかぎまさつぐ/徳川)で、徳川家康(とくがわいえやす/徳川)にとって縁のある水野氏や織田氏を渡り歩いた高木氏は、江戸幕府でも重要な要職に就いていた。

そんな譜代(ふだい)大名の高木氏に対しての高待遇は、誰もが憧れる青山の一等地に屋敷を構える事だった。

THE SMASHING PUMPKINS /♪ FRAIL AND BEDAZZLED

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250628 - ラジオの友 URL

2025/06/28 (Sat) 18:02:47

◆◇◆其の六十五:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

日本で一番にギャルが集まる渋谷。

渋谷駅前の単なるスクランブル交差点も、インバウンド(訪日観光客)に取って観光名所になっている。

そんな渋谷だが、現在の地形でも判る通り、周囲の丘から降(くだ)った谷底になっている。

ただ、その地名は谷底ではなく、平安時代に渋谷氏が治めていた事に由来(ゆらい)する。

平安京の朝廷から“蝦夷討伐”(えみしとうばつ)の綸旨(りんじ)を受けた鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)の源頼義(みなもとよりよし/朝廷)と、その息子で八幡太郎(はちまんたろう)こと源義家(みなもとよしいえ/朝廷)が東国侵攻した際に、家臣で平氏の系統の渋谷氏も従軍して武功を挙げて、この地を領土として与えられた。

そこから600年余り経った江戸時代に、征夷大将軍3代目の徳川家光(とくがわいえみつ/徳川)の乳母だった斎藤福(さいとうふく)こと春日局(かすがのつぼね/明智→徳川)により、金王八幡宮(こんのうはちまんぐう/渋谷城)は庇護(ひご)を受けて造営されている。

斎藤福(さいとうふく)こと春日局(かすがのつぼね/明智→徳川)とは、明智光秀(あけちみつひで/織田→明智)の家臣だった斎藤利三(さいとうとしみつ/明智)の娘である。

1582年に起こった「本能寺の変」(ほんのうじのへん)にて織田信長(おだのぶなが/織田)を襲撃して討ち取るも、その10日余り後に直参家臣の豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)の「中国大返し」(ちゅうごくおおがえし)により明智光秀(あけちみつひで/織田→明智)は討ち取られ、斎藤利三(さいとうとしみつ/明智)は京都の六条河原で斬首され梟首(きょうしゅ)された。

この光景を娘の斎藤福(さいとうふく)こと春日局(かすがのつぼね/明智→徳川)は目の当たりにしている。

その後、斎藤福(さいとうふく)こと春日局(かすがのつぼね/明智→徳川)は幾多(いくた)の困難を乗り越えて、徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)の信任を得て徳川家光(とくがわいえみつ/徳川)の乳母となった。

江戸幕府でも能力を発揮して将軍後継者が事欠か無い様に、女性だらけの花園の大奥を設けた。

現在も過去も、この渋谷は女性が輝き飛躍する地なのかも知れない。

HIM /♪ THE KISS OF DAWN

◆ラジオの友◆

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2025/06/28 (Sat) 18:03:41

◆◇◆其の六十六:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

渋谷から表参道に向かう宮益坂(みやますざか)には、江戸時代には相模国(神奈川県)の山岳地帯までの大山街道(おおやまかいどう)の茶屋が並んでいたと言う。

この宮益坂(みやますざか)で思い出されるのが、バブル崩壊後の平成期に城南電機(じょうなんでんき)と言う家電屋があった。

時は不景気の真っ只中でディスカウントの時代に突入して、その城南電機(じょうなんでんき)の名物だった宮路社長も時代の波に乗り、家電だけでなく様々な商品を激安で提供していた。

メディアに度々(たびたび)に登場していた宮路社長の宣伝効果もあり、城南電機(じょうなんでんき)には絶えず人混みで溢れ返っていたが、1つ難点を言うと欲しい商品がほとんど無い事である。

結局、宮路社長も亡くなり城南電機(じょうなんでんき)も閉店したが、宮益坂(みやますざか)と言えば城南電機(じょうなんでんき)の店先でニコニコした宮路社長を思い浮かべる。

渋谷と言えば何と言っても東急VS西武である。

246号線の坂上には超高層ビルの東急電鉄の本社があるが、道玄坂や公園通り(パルコ通り)を中心に東急百貨店や109(イチマルキュウ)、東急ハンズが点在していた。

そこに割って入るかの様にセゾングループの渋谷西武百貨店のA館&B館、パルコやシード館、そしてロフトにクラブクワトロがあった。

現在は東急百貨店は再開発で閉店し、東急ハンズもホームセンターのカインズなどを手掛けるグループに譲渡した。

一方のセゾングループもバブル崩壊で空中分解して、其々(それぞれ)が新たなパートナーと共に歩んでいる。

そもそも東急電鉄の本丸の渋谷に、何故(なぜ)に池袋を本丸とするセゾングループが入り込んで来たのか?

これは当時の東急電鉄の社長で創業家の五島昇(ごとうのぼる/東急電鉄)さんと、西武電鉄の系統でセゾングループの社長の堤清二(つつみせいじ/セゾン→作家)さんの関係性にある。

五島昇(ごとうのぼる/東急電鉄)さんは、渋谷全体の街の発展の為に、堤清二(つつみせいじ/セゾン→作家)さんから要望があった西武百貨店の進出を承諾したと言う。

その親同士は神奈川県のリゾート開発を巡り“箱根戦争”を繰り広げ、西武電鉄の創業者で“ピストルの康次郎”と呼ばれた堤康次郎(つつみやすじろう/西武電鉄→政治家)さんと、東急電鉄の創業者で“強盗慶太”と呼ばれた五島慶太(ごとうけいた/東急電鉄→政治家)さんの大きな確執(かくしつ)があった。

しかし、時は流れ、もはや戦後ではない。

五島昇(ごとうのぼる/東急電鉄)さんから見れば、過去の西武電鉄との争い事よりも、新宿や池袋との都市間の競争の方が重要だったと思う。

その判断が今日(こんにち)までの渋谷の魅力と地位を形成し、そして、“渋谷系”と言う言葉を生み出し、日本全国に影響を及ぼすまでの街となった。

近年はIT(情報技術)企業が集積する街として渋谷は脚光を浴びているが、その根底は東急グループとセゾングループの共存共栄があってこそである。

SUEDE /♪ FILMSTAR

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250628 - ラジオの友 URL

2025/06/28 (Sat) 18:04:40

◆◇◆其の六十七:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

現在でもインディーズ系ファッションの聖地とされる代官山(だいかんやま)。

ヤングタウンの渋谷からも歩いて行ける距離で、代官山(だいかんやま)は人気が高い。

その地名だが、当然に江戸時代には代官の屋敷が建ち並んでいたと思いきや、世田ヶ谷(せたがや)の谷底や山があり、その周囲も畑しかない。

表参道と同様に、新鮮な野菜を育てるに適した立地だった事が解る。

山あり、谷あり、池ありで、景勝地(けいしょうち)すら感じる。

ただ、その面影は今や何処(どこ)にも無い。

交通事故で有名な鎗ヶ崎(やりがさき)の交差点も、そんな地形がもたらす副産物なのかも知れない。

DAVID LEE ROTH /♪ SHE'S MY MACHINE

◆ラジオの友◆

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2025/06/28 (Sat) 18:05:34

◆◇◆其の六十八:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

東急東横線で中目黒駅の次は祐天寺駅である。

駅名の通り祐天寺(ゆうてんじ/浄土宗)と言うお寺がある。

東方に駅前の商店街を通り過ぎた辺りに祐天寺(ゆうてんじ/浄土宗)は建っている。

1719年の江戸時代に建立(こんりゅう)された祐天寺(ゆうてんじ/浄土宗)は、鎌倉時代から室町時代に掛けて増加したお寺の中では比較的に新しいと言える。

この祐天寺(ゆうてんじ/浄土宗)が出来た理由も、徳川家の菩提寺(ぼだいじ)でもある増上寺(ぞうじょうじ/浄土宗)の住職だった祐天(ゆうてん/僧侶)が、1718年に死去した事に伴い弟子だった祐海(ゆうかい/僧侶)が師匠を弔う為に祐天寺(ゆうてんじ/浄土宗)を建立(こんりゅう)した。

そんな高貴な僧侶の祐天(ゆうてん/僧侶)は強力な霊能を持ち、呪術師(じゅじゅつし)としても名高かった。

陸奥国(むつ/福島県)の磐城(いわき)の出身の祐天(ゆうてん/僧侶)は、幼い頃から周囲に霊魂がウヨウヨしており、そんな成仏できない霊魂を極楽浄土(ごくらくじょうど)と呼ばれる黄泉の国(よみのくに/天国)に導いていたと言う。

そんな霊能力の高さを浄土宗(じょうどしゅう)に買われて、彼方此方(あちらこちら)のお寺を巡業していた。

下総国(しもうさ/茨城県)のお寺で修行をしていた祐天(ゆうてん/僧侶)は、近くにある河岸の累ヶ淵(かさねがふち)での過去の忌(い)まわしい話しを聞いた。

羽生村(はにゅうむら/常総市)に住む百姓の一家に助(すけ)と言う身体の不自由な娘が居た。

義父は養育に手間の掛かる助(すけ)を殺害して川に投げ捨てた。

その後、百姓の一家に娘が誕生し、累(るい)と名付けた。

ところが、この累(るい)は助(すけ)と同じ様に身体が不自由だった。

村人は亡くなった助(すけ)の怨念が累(るい)に取り憑(つ)いていると噂(うわさ)した。

そこから助(すけ)が殺害された河岸を、助(すけ)の身体に重ねて生まれてきた累(るい)から累ヶ淵(かさねがふち)と呼んだ。

時は流れ累(るい)は大人の女性となり、身体が不自由でも結婚してくれた男性が現れた。

しかし、その男性も次第に身体の不自由な累(るい)が疎(うと)ましく思い、累ヶ淵(かさねがふち)の河岸で殺害する。

その後、男性は別の女性と再婚して、娘が誕生し菊(きく)と名付けた。

ところが、その菊(きく)に累(るい)の霊魂が取り憑(つ)いて、菊(きく)の口を借りて男性が犯した累(るい)の殺害と、それ以前の父親が犯した助(すけ)の殺害を詳細に話した。

この話しを聞き付けた祐天(ゆうてん/僧侶)は、菊(きく)を除霊して、助(すけ)と累(るい)の霊魂を成仏させた。

うん、この怨念は当たり前である。

現生で身体や精神に障害を患っている人は神様の化身でもある。

そんな神様の化身を虐(いじ)めたり殺(あや)めれば、当然に同胞(どうほう)の神様から報復を受けて天誅(てんちゅう)が下る。

問答無用で地獄へ直行です。

祐天(ゆうてん/僧侶)により殺害された助(すけ)と累(るい)は成仏したが、一方、殺人犯の義父や男性は生涯を閉じると同時に、懲役50億年の地獄での生活が始まります。

これは現在進行形で、殺人まではいかなくとも虐(いじ)めなどパワハラ行為の心当たりのある人は覚悟しておいた方がよい。

そんな輩(やから)は、高貴な祐天(ゆうてん/僧侶)も救ってはくれません。

その輩(やから)の家族や仲間も同罪ですぞぉ!

NICKELBACK /♪ ROCKSTAR

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250628 - ラジオの友 URL

2025/06/28 (Sat) 18:06:26

◆◇◆其の六十九:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

東急東横線の不動前駅から北方にあるのが目黒不動尊(めぐろふどうそん)こと瀧泉寺(りゅうせんじ/天台宗)である。

平安時代に遣唐使として中国大陸の唐(とう)に渡り、仏教の修行を積んだ最澄(さいちょう/天台宗)が、近江国(滋賀県)の比叡山にて延暦寺(えんりゃくじ)を建立(こんりゅう)して天台宗(てんだいしゅう)を開教した。

そんな伝教大師(でんぎょうだいし)こと最澄(さいちょう/天台宗)の弟子が慈覚大師(じかくだいし)こと円仁(えんにん/僧侶)である。

慈覚大師(じかくだいし)こと円仁(えんにん/僧侶)は、下野国(しもつけ/栃木県)の藤原氏北家(ほっけ)の系統である壬生氏(みぶうじ)の出生で、後々に延暦寺(えんりゃくじ)の第3代目天台座主(てんだいざしゅ)に就任する。

そんな慈覚大師(じかくだいし)こと円仁(えんにん/僧侶)が、比叡山の延暦寺(えんりゃくじ)で修行している時に不思議な夢を視た。

夢枕に立っていたのは怖い顔をした神様で、『この地に蔓延(はびこ)る欲深い国賊(こくぞく)を懲(こ)らしめ、力の弱い民(たみ)の為に尽力する事である。』と御告(おつ)げがあった。

慈覚大師(じかくだいし)こと円仁(えんにん/僧侶)は目覚め、直ぐに夢に出てきた神様の姿を木彫した。

それが目黒不動明王(めぐろふどうみょうおう)となる。

そして、慈覚大師(じかくだいし)こと円仁(えんにん/僧侶)は目黒不動明王(めぐろふどうみょうおう)を抱えながら日本各地を巡業の旅を続けて、武蔵国(東京都)の目黒台地に着いた時に、仏具の獨鈷(とっこ)が投げ落ちた箇所から清水が湧き出て泉となった。

この泉を“獨鈷(とっこ)の泉”と名付けて、その地に瀧泉寺(りゅうせんじ/天台宗)を建立(こんりゅう)した。

そして目黒不動明王(めぐろふどうみょうおう)を御本尊(ごほんぞん)とした。

江戸時代の目黒不動尊(めぐろふどうそん)こと瀧泉寺(りゅうせんじ/天台宗)では、権之助坂(ごんのすけざか)や行人坂(ぎょうにんざか)などの門前町が栄えて江戸町人の行楽地となっていた。

薩摩国(鹿児島県)から移住した薩摩藩の人々が広めた薩摩芋(サツマイモ)や筍(タケノコ)や、店先にて包丁でトントンと切っていく目黒飴(めぐろあめ)が名物となる。

征夷大将軍3代目の徳川家光(とくがわいえみつ/徳川)が目黒台地まで鷹狩に来ると、その鷹が何処(どこ)かに飛び去り帰って来なかった。

付き人の家臣が目黒一帯を探し回り、目黒不動尊(めぐろふどうそん)こと瀧泉寺(りゅうせんじ/天台宗)に立ち寄り『鷹が無事に帰って来て下さい。』と祈願したところ、境内の“鷹居の松”に鷹が止まっていた。

これに感激した徳川家光(とくがわいえみつ/徳川)は、江戸幕府として目黒不動尊(めぐろふどうそん)こと瀧泉寺(りゅうせんじ/天台宗)を庇護(ひご)した。

しかも、その帰りに門前町の飯屋で焼きさんま定食を食した徳川家光(とくがわいえみつ/徳川)は、その美味しさに感動して『秋刀魚(さんま)は日本橋魚河岸(にほんばしうおがし)よりも目黒に限る!』⦅海手の魚よりも、山手の魚の方が美味しい。⦆と言わしめた。

これが落語の演目の“目黒のさんま”となり、その舞台は目黒不動尊(めぐろふどうそん)こと瀧泉寺(りゅうせんじ/天台宗)の門前町である。

COUNTING CROWS /♪ UNTITLED(LOVE SONG)

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250628 - ラジオの友 URL

2025/06/28 (Sat) 18:07:17

◆◇◆其の七十:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

東京都江東区の清澄白河(きよすみしらかわ)にある霊巌寺(れいがんじ/浄土宗)は、元は日本橋の辺りにあったのだが、1657年に起こった「振袖火事」こと「明暦の大火」(めいれきのたいか)でお寺が全焼した為に1658年に移転してきた。

この江戸城下町の大火災で、日本橋にあった霊巌寺(れいがんじ/浄土宗)に1万人近い江戸町人が避難したが、そのお寺も炎上してほとんどが焼死した。

10万人に及ぶ焼死体を安置する為に、隅田川の東岸に死体安置場が設けられた。

その後、征夷大将軍4代目の徳川家綱(とくがわいえつな/徳川)の威令(いれい)により、隅田川に両国橋が架けられ、死体安置場には回向院(えこういん/浄土宗)が建立(こんりゅう)された。

その両国の回向院(えこういん/浄土宗)の南方に霊巌寺(れいがんじ/浄土宗)が建立(こんりゅう)されている。

霊巌寺(れいがんじ/浄土宗)の西方には隅田川が流れ、北方に小名木川(おなぎがわ)、西方に大横川(おおよこがわ)、南方には仙台堀川(せんだいほりかわ)が流れる江戸湾に近い沿岸部である。

霊巌寺(れいがんじ/浄土宗)には、江戸時代末期の征夷大将軍11代目の徳川家斉(とくがわいえなり/一橋→徳川)にて、陸奥国(むつ/福島県)の白河藩の藩主で江戸幕府では老中に就任し「寛政の改革」(かんせいのかいかく)を実施した松平定信(まつだいらさだのぶ/田安→江戸)の墓陵がある。

FIVE FINGER DEATH PUNCH /♪ TIMES LIKE THESE

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250628 - ラジオの友 URL

2025/06/28 (Sat) 18:08:10

◆◇◆其の七十一:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

霊巌寺(れいがんじ/浄土宗)より南方の海沿いにあるのが深川不動堂(ふかがわふどうどう/成田山)こと永代寺(えいたいじ/真言宗)である。

江戸時代に歌舞伎の役者で成田屋の市川団十郎(いちかわだんじゅうろう/歌舞伎)が演じる“不動明王”(ふどうみょうおう)が好評を博し、富岡八幡宮(とみおかはちまんぐう)の別院だった永代寺(えいたいじ/真言宗)の境内で歌舞伎興行が催された。

これが深川不動堂(ふかがわふどうどう/成田山)の所以(ゆえん)である。

明治期の神仏分離(しんぶつぶんり)により永代寺(えいたいじ/真言宗)は廃寺となり、富岡八幡宮(とみおかはちまんぐう)と深川不動堂(ふかがわふどうどう/成田山)が存続した。

深川不動堂(ふかがわふどうどう/成田山)こと永代寺(えいたいじ/真言宗)には参拝者が多く、その門前町も大いに栄えた。

その名残が地下鉄の門前仲町駅である。

東方は平久川(へいきゅうがわ)、南方には大横川(おおよこがわ)が流れ、其処(そこ)から直ぐに江戸湾が開ける。

西方には隅田川が流れ、江戸時代に永代橋(えいたいばし)が架けられ、橋名は永代寺(えいたいじ/真言宗)が由来(ゆらい)となる。

その永代橋(えいたいばし)から深川不動堂(ふかがわふどうどう/成田山)こと永代寺(えいたいじ/真言宗)の間が門前町となり、多くの茶屋が軒を連ねた。

その茶屋でお客を相手にするのが辰巳芸者(たつみげいしゃ/深川)で、江戸の中でも“いなせ”(若男子)風情を効かせた意気(いき)が売りで、源氏名(げんじめい)も男性名を付けていた。

吉原遊郭など他の花街と違い、深川の辰巳芸者(たつみげいしゃ/深川)は『芸は売るが、色は売らない!』を座右の銘(ざゆうのめい)とし、羽織(はおり)姿の男気で接待する事で、気風(きっぷ)の良い江戸町人から一段の人気を博していた。

これが現代まで続く深川の辰巳芸者(たつみげいしゃ/深川)の伝統である。

RYAN ADAMS & THE CARDINALS /♪ MAGICK

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250628 - ラジオの友 URL

2025/06/28 (Sat) 18:09:02

◆◇◆其の七十二:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

2012年に完成し東京の新名所となった東京スカイツリー。

東京都墨田区押上に立地する下町で、高さ634mは武蔵野(むさし)に合わせたと言う。

江戸時代の武蔵国(東京都)では、隅田川を越えた押上周辺は江戸城下町には部類されず、小さな村が点在していた。

東京スカイツリーが建っている周囲も、幾つもの川が流れており、その水を取り込んだ田畑が広がっていた事が判る。

その地名の名残の舟曳(ふなびき)が、小さな舟が古川(ふるかわ)を流れていく光景を想い起こさせる。

東京スカイツリーの足元には業平(なりひら)と言う地名がある。

業平(なりひら)とは、800年中期の平安時代に存在した皇族で歌人の在原業平(ありわらなりひら/朝廷)の事を指し、その昔に業平天神社(なりひらてんじんしゃ)と言う神社があった事に由来(ゆらい)する。

平安京の朝廷では蔵人頭(くろうどのとう)に就いていた在原業平(ありわらなりひら/朝廷)には、兄に歌人で中納言の在原行平(ありわらゆきひら/朝廷)が居る。

その兄弟の父親が在原氏(ありわらうじ)の祖となる阿保親王(あぼしんのう/朝廷)で、祖父があの平安最大の謀反(むほん)となった810年に起こった「薬子の変」(くすこのへん)の当事者でもある第51代天皇の平城天皇(へいぜいてんのう/朝廷)である。

在原業平(ありわらなりひら/朝廷)は平安恋愛小説の「伊勢物語」の主人公とされ、当時の平安京では紫式部(むらさきしきぶ/公家→朝廷→歌人)の「源氏物語」など禁断の恋が流行していたのかも知れない。

もう1つ、兵庫県芦屋市にも業平橋(なりひらばし)があるが、この地名も在原業平(ありわらなりひら/朝廷)が由来(ゆらい)とされている。

LIVE /♪ SELLING THE DRAMA

◆ラジオの友◆

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2025/06/28 (Sat) 18:09:55

◆◇◆其の七十三:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

1935年〜2018年の83年間に渡り東京をはじめ坂東八州(ばんどうはっしゅう)の胃袋を支えてきた築地市場(つきじしじょう)。

その起源は1923年に起こった関東大震災にて、日本橋魚河岸(にほんばしうおがし)をはじめ各所の市場が崩壊して、食品流通組合の市場をまとめて整備した事に始まる。

そんな築地市場(つきじしじょう)も現在は役目を終えて、次なる再開発事業が動き出している。

では、江戸時代の築地はどうだったのか?

当然に市場は無く、江戸城(えどじょう)から商人町の銀座を挟んで大名屋敷が建ち並んでいる。

紀州徳川家の屋敷前に流れる川には、紀伊國橋(きのくにばし)が掛かっている。

浄土真宗(じょうどしんしゅう)の“浄土真宗本願寺派”となる西本願寺も既に建立(こんりゅう)されており、後々の築地本願寺となる。

歌舞伎の殿堂でもある歌舞伎座は、三河国(愛知県)の松平氏の時代から仕えて“徳川十六神将”(とくがわじゅうろくしんしょう)にも数えられる大久保氏の屋敷がある。

歌舞伎の芝居小屋も、元は日本橋界隈にあったが江戸幕府の御触(おふれ)により浅草に移転し、その後、再び銀座に返り咲いた歴史の花道がある。

歴史とは、その土地の地層の様に積み重なっている事がよく解る。

THE PICTUREBOOKS FEAT.LZZY HALE /♪ REBEL

◆ラジオの友◆

■当サイトを閲覧するにあたり/20250628 - ラジオの友 URL

2025/06/28 (Sat) 10:12:57

閲覧者の義務として、このサイト内に掲載されている音楽の5曲以上をお好きなラジオ局にリクエストして下さい。

もし、リクエスト曲が掛かれば幸福度がアップします。

今日のラッキーソングはこれだっ!

しばたはつみ/♪ 夜はドラマチック

◆ラジオの友◆

大阪が“いしん”を掛けたリアルドラマ「セックス&ザ・オオサカ」 - 万博おじさん

2024/12/26 (Thu) 18:19:27

わんばんこ。

私が広報の“岸和田ヤリチン大使”でおまぁ!

“大阪関西万博”のコンセプトでもある“命”。

この“命”も“セックス”をやらなきゃ実りまぁへぇんでぇ〜

“命”=“セックス”でっせぇ!

この辺りを、嫁はぁんと一緒に“いしん”を掛けてアピールしたいと思ってまぁんねぇん。

ちなみにわいの嫁はぁん、20代の時のあだ名が“パン子”ですねぇん。

誰とでも寝てパンパンするから言うてぇ、“パン子”って呼ばれてましたわぁ。

そんな相手の1人がわいですねぇんけどなぁ。

今では子宝に恵まれて、6人も居てけますわぁ。

“岸和田ヤリチン大使”も少子化防止に貢献してまっしゃろぉ!

Re: 大阪が“いしん”を掛けたリアルドラマ「セックス&ザ・オオサカ」 - 万博おじさん

2024/12/26 (Thu) 21:25:52

わんばんこ。

私が広報の“岸和田ヤリチン大使”でおまぁ!

大阪のダンディーな男の為の“三大プレイスポット”と言えば、大阪市西成区の“飛田新地”(とびたしんち)、大阪市西区の“松島新地”(まつしましんち)、大阪市生野区の“今里新地”(いまざとしんち)である。

それに加えて小規模になるが、大阪府守口市の“滝井新地”(たきいしんち)や大阪府和泉市の“信太山新地”(しのだやましんち)も有名です。

“岸和田ヤリチン大使”としては、生まれも育ちも岸和田なので、近隣の“信太山新地”(しのだやましんち)が馴染み深いですが、それでも北を目指して“飛田新地”(とびたしんち)まで遠征に行く事もしばしば!

ただここは、2025年の“大阪関西万博”の開催に向けて、大阪名物の“ひっかけ”(ナンパ)に注目して頂きたい。

お金を支払ってプレイを簡単に楽しむのでは無く、“ひっかけ”(ナンパ)でプレイを出来るか出来ないかのスリルを味わう喜び。

そう、その行為こそが“エクスタシー”である。

東京都新宿区の歌舞伎町では、国策に“いしん”を掛けた国会議員が、“議員バッチ”と“札束”(お金)をチラつかせて、なんと、まだ毛も生え揃(そろ)わない女子中学1年生にお金を渡してプレイを強要したと言う。

清純な乙女を鷲掴(わしずか)みにして桃の様なお尻(ピーチヒップ)に、臭(くさ)くて醜(みに)い親父の腐ったバナナ(ダーティーバナナ)をぶち込んで腰をズッコバッコと動かし、底なしの欲望を満たしていた。

この事からも、“お金”と“セックス”を結びつけては面白味や醍醐味が無くなる。

“お金”≠“セックス”である!

では、“岸和田ヤリチン大使”より“大阪関西万博”が開催される大阪で、“いしん”を掛けてお金の掛からない“ひっかけ”(ナンパ)とプレイをご紹介していこう。

Re: 大阪が“いしん”を掛けたリアルドラマ「セックス&ザ・オオサカ」 - 万博おじさん

2024/12/26 (Thu) 23:15:27

わんばんこ。

私が広報の“岸和田ヤリチン大使”でおまぁ!

2025年の“大阪関西万博”の開催が待ち遠しい、今日この頃。

この“万博”と言うキーワードは、正(まさ)に1970年に開催された“大阪万博”に凝縮されていると思う。

日本は60年代から続いた高度経済成長期から脱却し、70年代は文化や文明の進化や発展の為に“希望”と“未来”が輝いていた。

当時、20代だった会社の上司から、幾度(いくど)となく1970年の“大阪万博”について聞かされた。

ただ、その話しの内容は、会場内のパビリオンや展示物ではなく、そこに勤める国内外の若くて綺麗なコンパニオンについてだ。

よく、仕事終わりのコンパニオンを“ひっかけ”(ナンパ)ては、部屋に連れ込んで“スモークパーティー”を開催していたと言う。

今だったら法令違反だが、当時は“葉っぱ”(スモーク)は禁止されていなかったのだろう。

コンパニオンも和洋交互に連れ込んでは“お酒”(アルコール)と“葉っぱ”(スモーク)で撹乱(かくらん)し、それでキメると想像を絶するエクスタシーが得られると言う。

その話しをする上司の口癖は、『これこそ俺の神木(しんぼく)で親睦(しんぼく)を深める国際交流やぁでぇ!』だった。

そんな男の“希望”と“未来”に満ちた“大阪万博”が2025年に再来する。

コンパニオンだけでも、綺麗どころがわんさか来(き)よぉるでぇ!

ここは一発、“岸和田ヤリチン大使”の名に掛けて、大阪名物の“ひっかけ”(ナンパ)でお近付きになるしかあらへぇん。

“いしん”を掛けた決め台詞(せりふ)はこうやぁ!

『“大阪関西万博”で“命”の大切さを学んだ後は、僕のお家(うち)で“命”の製造工程を学ばぁへぇん?』

Re: 大阪が“いしん”を掛けたリアルドラマ「セックス&ザ・オオサカ」 - 万博おじさん

2024/12/27 (Fri) 01:16:10

わんばんこ。

私が広報の“岸和田ヤリチン大使”でおまぁ!

ステレオタイプのアホォなテレビ局が「ザ・大阪」と言って紹介するのが、道頓堀川に掛かる通称“ひっかけ橋”(ナンパ橋)の戎橋(えびすばし)。

あんな所に生粋(きっすい)の大阪人なんか居(お)れへぇん言(い)うねぇん!

インバウンド(訪日観光客)か和歌山や奈良から出てきた高校生しか居(お)れへぇんわぁ。

ほんまもん(本物)の大阪人が見たかったら、大阪市旭区の千林商店街(せんばやししょうてんがい)に行かなあかんわぁ。

一(いち)十(じゅう)百(ひゃく)千(せん)の千林(せんばやし)、千林商店街(せんばやししょうてんがい)やぁ!

千林商店街(せんばやししょうてんがい)とは、地下鉄の千林大宮駅と京阪電鉄の千林駅をつなぐアーケードのある商店街である。

あのスーパーマーケットのダイエーこと大(ダイ)阪栄(エー)商店の発祥の地でも有名だ。

この近くには大阪府守口市の“滝井新地”(たきいしんち)がある。

歩いて5分程度だろうか。

ただ、ここは“岸和田ヤリチン大使”として、“いしん”を掛けて“ひっかけ”(ナンパ)で勝負したい。

この千林商店街(せんばやししょうてんがい)は、大阪で一番の“お達者くらぶ”である。

右見ても、左見ても、婆さんしか居ない。

これで決まりだ!

今日のターゲットは60代〜70代の独り身の婆さんだ。

商店街をウロウロと買い物をしているところを見れば、ご近所の人に違いない。

そんな婆さんに目星を付けてアタックする。

決め台詞(セリフ)はこうだ。

『そこのお饅頭屋さんで大福を買ったんですけど、多くて1人で食べ切れないから、一緒に食べませんか?』

これで断る婆さんは、まず居ない。

そして婆さんの家に呼ばれる。

先(ま)ずは爺さんの仏壇に線香を上げて手を合わせる。

その後、熱いお茶と甘い大福を嗜(たしな)み、日常会話を楽しむ。

そんな弾む会話には、時折(ときおり)、色っぽいキーワードを散りばめる。

そうすると婆さんは立ち上がり、窓のカーテンを閉めてその気だ。

薄暗い部屋の中で、婆さんの服を脱ぐ音だけが聞こえる。

婆さんの肉体は、例えるなら旬を過ぎたミカンの様だ。

ただ、萎(しお)れたミカンだからといって、一皮剥(ひとかわむ)けば果汁が滴(したた)り落ちる。

男を求める女に、年齢は関係ない!

婆さんも久々の極楽浄土(天国)を味わった事であろう。

こうして色々なバリエーションを楽しんで男を磨くわけだ。

その後、再び千林商店街(せんばやししょうてんがい)に行く事があったので、婆さんの家を訪ねると様子がおかしい。

近所の人に尋(たず)ねると、先日に亡くなったと言う。

確かに、『死んじゃう、死んじゃう!』とは言っていたが、本当に死んじゃうとは思わなかった。

あの時の大福と共に、“冥土の土産”(めいどのみやげ)を持たせてあげたのかも知れない。

Re: 大阪が“いしん”を掛けたリアルドラマ「セックス&ザ・オオサカ」 - 万博おじさん

2024/12/27 (Fri) 13:44:01

わんばんこ。

私が広報の“岸和田ヤリチン大使”でおまぁ!

日頃の日課が子供が寝静まった夜に、嫁はぁんの“パン子”と晩酌をしながら、お互いの異性関係の話しを聞いて楽しむ。

狩猟民族の“岸和田ヤリチン大使”として、最近はインターネットのSNSなどの発展で街中の“ひっかけ”(ナンパ)は、不審がられ上手くいかない事をよく愚痴(グチ)ると、酩酊(めいてい)状態の嫁はぁんは『酒が不味(まず)くなる!』と怒鳴(どな)る。

安定的な成果を出す農耕民族の嫁はぁんは常に男性が傍(かたわ)らに居り、その1つがパート先の父親ほど歳(とし)の離れた現場責任者と長い事お付き合いしている。

年輪を重ねたおじさんのネチッこい攻め方が、嫁はぁんの肌に合うらしい。

お互い結婚している為に、“いしん”を掛け割り切って向き合い、相性が良いと嫁はぁんは笑う。

そして最近、パート先にアルバイトの若い大学生が入ったらしく、嫁はぁんはその男の子にも手を付けた。

男の子は独り暮らしをしており、嫁はぁんは部屋の掃除や食事を作りにちょくちょく通っているそうだ。

家庭の味の肉ジャガを食べさせて、その後は“いしん”を掛けて大人の女を味を食べさせている。

そんな若い時から“お口のモンスター”と呼ばれる嫁はぁんに仕込まれたら、その青年は同い年の女の子とお付き合い出来へぇん様になるでぇ!

ある日、同じ職場でもある2人のボーイフレンドと、デート日が重なってしまったらしい。

何方(どちら)かを断るのも気が引ける為に、嫁はぁんは2人と同時にデートする事にした。

デートする部屋で鉢合わせた2人は驚いた様だが、それも直(す)ぐに打ち解けて3人で大いに楽しんだと言う。

その後、スーパーマーケットで買い物をして、ご帰宅したら直(す)ぐに晩御飯の支度をする嫁はぁん。

何事も無かった様子でシレッとした顔で、子供に晩御飯を食べさせている。

“岸和田ヤリチン大使”は、そこに女性の優しさと強(したた)かさを感じる。

ジェンダーな世の中だから、夫婦間もフリースタイルが心地良い。

Re: 大阪が“いしん”を掛けたリアルドラマ「セックス&ザ・オオサカ」 - 万博おじさん

2024/12/28 (Sat) 16:40:19

わんばんこ。

私が広報の“岸和田ヤリチン大使”でおまぁ!

“いしん”を掛けた“岸和田ヤリチン大使”として、その名に恥じぬ様いつでもプレイできるようにビンビンモードである。

仕事で大きなミスをして相手に謝罪している時も、ズボンの中身は常にビンビンだ。

嫁はぁんの“パン子”も子供が学校でイタズラして呼び出され、担任の男性教師に頭を下げて謝ってはいるが、目線の先は股間に向いており、完全に標的を“ ロックオン”している。

こんな感じの嫁はぁんのスカートの中は、常に湿っぽく湿度120%である。

こんな大阪のごく普通の夫婦は、家庭円満である。

私の頭の中は“ひっかけ”(ナンパ)の事で充満している。

いつでもどこでも“ひっかけ”(ナンパ)できる様に、口説き文句を考えて頭脳の引出しにストックしておく。

その声を掛ける時に気を付ける事がある。

女性は人目を気にするので、極力、人通りが少ない場所で声を掛ける。

さらに必然的に声を掛けたのではなく、偶然性を装う必要がある。

『あたし、“ひっかけ”(ナンパ)でホイホイ着いて行く“尻軽女”とは違うのよ!』

女性に、絶対にこう思わせてはならない!

スタンダードな“ひっかけ”(ナンパ)は、観光客を装(よそお)い道を聞く振りが一番良い。

岸和田ヤリチン大使…『スミマセ〜ン、ワタシ、旅行デェ大阪ニィ来マシタ。 通天閣ハァドコニィアリマスカァ?』

女性…『あっ、通天閣は難波から南に行った新世界にありますよぉ。』

岸和田ヤリチン大使…『アリガトォウ、ゴザイマァ〜ス。』

女性…『何処(どこ)の国からいらしたんですかぁ?』

岸和田ヤリチン大使…『岸和田デェ〜ス。』

女性…『岸和田って、大阪やぁんけぇ!』

それにもう1つ大切なのは、“ひっかけ”(ナンパ)が成功した後に利用するホテルの場所である。

ここは“ひっかけ”(ナンパ)した女性をスマートにエスコートしなければならない。

そこで、大阪市内のホテル街を北側から順に見ていこう。

▼十三(じゅうそう)なら南西一帯。

夜の街と言うイメージが強い十三(じゅうそう)で“ひっかけ”(ナンパ)をすると、その女性はキャバクラのホステスかヤクザの女が多いので、気を付けなければならない。

できれば十三駅の東側に連なるアーケード商店街がいい。

ただ、女性の年齢層はかなり高めである。

たまに若い女性の自称ユーチューバーが興味本位で撮影しているので、その辺りがターゲットになる。

岸和田ヤリチン大使…『姉ちゃん、なに撮影してぇんのぉ?』

女性…『あっ、昭和の雰囲気が漂う十三(じゅうそう)をユーチューブで紹介しようと思いまして。』

岸和田ヤリチン大使…『昭和の十三(じゅうそう)かぁいなぁ、おっちゃん、その時代の十三(じゅうそう)詳しいから案内したろぉかぁ?』

女性…『えっ!? いいんですか? 宜しくお願いします。』

岸和田ヤリチン大使…『ここがあのCMで有名な雁亭(がんてい)があった場所やぁ、知らんけぇ雁亭(がんてい)? 十三駅の西側は“しょんべん横丁”言うて飲み屋街やったんけど、火災で消失してもうたわぁ。』

女性…『へぇ〜 そうなんですかぁ〜』

岸和田ヤリチン大使…『交差点を渡った先の歓楽街には、大小のキャバレーが軒を連ねてたんやぁでぇ。 その奥地が“愛する男と女の楽園”って言う天国みたいな所やぁねん。 姉ちゃん、そこ行きたいかぁ?』

女性…『是非(ぜひ)、連れてって下さい。』

▼梅田なら兎我野(とがの)一帯。

大阪で一番の繁華街でもある梅田なら女性も多く居る為に、“ひっかけ”(ナンパ)がやりたい放題である。

がっ、それに比例して人も多いので、人目があり声を掛け難(にく)い。

それでも人流のエアスポットはある。

地下街では、梅田北側の阪急三番街、梅田南西側のホワイティうめだの“いずみの広場”、ここなら直ぐ地上に出れば兎我野(とがの)のホテル街で便利である。

梅田南側のディアモール大阪や第3ビルなどの地下街も場所によれば人が少ない。

梅田西側のハービス地下道も“ひっかけ”(ナンパ)の穴場である。

ただ、やはり人の多さは西日本で一番の為に、地方など多方面から来てる女性や仕事中の女性も多く、“ひっかけ”(ナンパ)のターゲットを選定するのは難しい。

▼難波の湊町(みなとまち)一帯と日本橋(にっぽんばし)の北東一帯。

このミナミでは、間違っても通称“ひっかけ橋”(ナンパ橋)の戎橋(えびすばし)や心斎橋筋商店街で声を掛けてはならない。

確かに女性は多いが、十三(じゅうそう)同様にどんな人物が混じっているか分からないからだ!

無難なのが、やはり地下街である。

心斎橋のクリスタ長堀や難波のなんばウォーク(虹の街)は、意外にも人が少なく大阪で一番の“ひっかけ”(ナンパ)しやすいホットスポットである。

しかもなんばウォーク(虹の街)は、西側の地上に出れば湊町(みなとまち)のホテル街、東側の地上に出れば日本橋(にっぽんばし)のホテル街と直結しており、ダイレクトインできる。

クリスタ長堀も地上に出て、西側ならアメリカ村をブラブラしながら湊町(みなとまち)のホテル街、東側なら島之内(しまのうち)のアジア街をブラブラしながら日本橋(にっぽんばし)のホテル街に行くと楽しさが増す。

変わり種で言えば本町の船場センタービルがある。

ここは衣料品の問屋が集積しており、一般人も購入できるお店もある。

その為に女性が1人でブラブラと買い物を楽しんでいる姿も見掛けるが、ただ、年齢層はかなり高めである。

しかも、“ひっかけ”(ナンパ)に成功しても、本町から難波まで地下鉄で移動しなければならず、あまりスマートとは言えない。

船場センタービルの問題点は、ここにある。

近隣にホテル街が無い事だぁ!

繁栄する都市の必須条件の第69条に、ホテル街の併設と条文に明記されている。

これは日本全国、どの都市にも当てはまる。

ホテル街を蔑(ないがし)ろにする都市に残された道は、“衰退”のみである。

次回は他のエリアをご紹介いたします。

Re: 大阪が“いしん”を掛けたリアルドラマ「セックス&ザ・オオサカ」 - 万博おじさん

2024/12/28 (Sat) 17:19:51

わんばんこ。

私が広報の“岸和田ヤリチン大使”でおまぁ!

では、前回の続きで大阪市内の“ひっかけ”(ナンパ)のスポットとホテル街を、“いしん”を掛けて紹介していきます。

▼京橋の北西一帯と桜ノ宮(さくらのみや)の南一帯。

ここは全国的にも一番に有名なホテル街です。

ただ、“ひっかけ”(ナンパ)のスポットが少なく、京橋なら京阪モールか半地下の京橋コムズガーデンがある。

昔はダイエー京橋店で買い物をしている主婦をターゲットにしたマニアックスポットだったが、残念ながら閉店してしまった。

間違っても京橋駅の北東一帯にあるアーケード商店街での“ひっかけ”(ナンパ)は御法度(ごはっと)である。

理由は、行けば分かる。

京橋には歩いて行ける距離に大阪城があるので、ここで1人で旅行を楽しむ観光客の女性を“ひっかけ”(ナンパ)するのも良い。

そのまま大阪案内と称して、桜で有名な大川をブラブラしながら桜ノ宮(さくらのみや)のホテル街に行く事がスマートであろう。

また、この辺りは大阪府庁などが集積する官公庁街なので、夕方の6時頃に仕事の疲れと嫌味(いやみ)な上司のストレスを抱えた女性職員に、優しく声を掛けるのも1つである。

岸和田ヤリチン大使…『どうしたの? そんな疲れた顔をして。 綺麗なお顔が台無しだよ!』

女性…『えっ!? あたし、そんな酷(ひど)い顔をしていますか?』

岸和田ヤリチン大使…『よかったら、僕に全てを打ち明けてくれないかな?』

女性…『貴方(あなた)に、何処(どこ)へでも着いて行くわぁ。』

人間の心理を突いた“ひっかけ”(ナンパ)は、ほぼ上手くいく。

▼上本町の北西一帯と谷町九丁目の西一帯

この上本町エリアのホテル街は大阪では有名である。

由緒(ゆいしょ)あるお寺の周辺に、ホテルが無数に乱立している。

ただ、“ひっかけ”(ナンパ)のスポットが少ない。

上本町ハイハイタウンくらいしか思い浮かばない。

そこで視点を変えて、寺町(てらまち)に注目する。

お寺にはお墓も併設されている。

そこで、旦那に先立たれた未亡人をターゲットにする。

女性…『あなたはどうして、あたしを置いて逝(い)ってしまったの? とても哀(かな)しいわぁ。』

岸和田ヤリチン大使…『その気持ち、十分に分かります。 実は僕も先日、妻が急に・・・ ウウウウッ〜』

女性…『あらっ!? 貴方(あなた)も奥さんをぉ!?』

岸和田ヤリチン大使…『男1人となった僕の切実な話しを聞いてくれますか?』

女性…『お可愛(かわい)そうに、あたしに出来る事があったら、何でも言ってちょうだいね。』

▼天王寺の北一帯と阿倍野の南一帯

大阪のターミナル駅でもあるJRと地下鉄の天王寺駅、近鉄なら大阪阿部野橋駅、共に近隣にホテル街が整備されている。

ここは天王寺ミオやあべのフープ、それにキューズモールなど若年層の商業施設が多く建ち並ぶ為に、必然的にターゲットもヤング層になる。

ただ、この“ひっかけ”(ナンパ)スポットで気を付けなければならないのが、若い子は“お金”を要求してくる比率が高い事である。

それは、もう“犯罪行為”だ。

近年でもアホォな有名人が、これらのハニートラップに引っ掛かり、酷(ひど)い目に遭(あ)っている。

これは何もアホォな有名人だけでは、無い!

一般人も同じ目に遭う可能性は高い。

特に阿倍野エリアは未成年の女子高生や女子中学生も多いので注意が必要だ。

それらリスクを勘案すると“ひっかけ”(ナンパ)のスポットは、根性の捻(ね)じ曲がったアホォな女の子が来そうにないエリアに限定される。

阿倍野西側ならあべのルシアスかアポロビル、阿倍野東側なら近鉄百貨店ウイング館の2階。

天王寺駅に直結した天王寺ミオ、それにあべの地下街(あべちか)。

変わり種で天王寺動物園もある。

1人で動物観察する女性が猿(サル)の交尾(こうび)を目撃して、触発(しょくはつ)されムラムラ来たところを、すかさず声を掛ける。

女性…『あらっ!? あの猿(サル)ったら、なんて激しいの!』

岸和田ヤリチン大使…『僕もあの猿(サル)に負けないくらいの腰さばきが自慢なんですよぉ! 試してみませんか?』

カクカク カクカク

その時、女性に高速なグラインドを見せ付ける。

女性…『貴方(あなた)にお供にします。』

ここまでは大阪市内の有名な“ひっかけ”(ナンパ)のスポットと、その後に利用するホテル街である。

次回は大阪府内にエリアを拡大して紹介します。

Re: 大阪が“いしん”を掛けたリアルドラマ「セックス&ザ・オオサカ」 - 万博おじさん

2024/12/28 (Sat) 20:17:41

わんばんこ。

私が広報の“岸和田ヤリチン大使”でおまぁ!

今度は大阪府内に広げると幾(いく)つかのホテル街が点在する。

そんな大阪府内の“ひっかけ”(ナンパ)のスポットとホテル街を、“いしん”を掛けて紹介していきます。

ただし、車での利用を目的としたホテルが多い為に、“ひっかけ”(ナンパ)のスポットはほぼ皆無である。

近場の大型ショッピングモールで“ひっかけ”(ナンパ)して、ドライブしながら行くパターンを想定している。

▼名神高速道路の豊中インターから大阪国際空港(伊丹空港)に掛けての空港線沿い

大阪市西淀川区の御幣島(みてじま)や加島(かしま)、または大阪市淀川区の十三(じゅうそう)から北上して大阪国際空港(伊丹空港)に向かうと、名神高速道路の豊中インター辺りから大阪国際空港(伊丹空港)までの間に、大阪府内では有名なホテル街が出現する。

ただ、“ひっかけ”(ナンパ)のスポットとなると、それほど多くはない。

伊丹のイオンモール伊丹かイオンモール伊丹昆陽(こや)がある。

意表を突いて尼崎のつかしん(西武百貨店跡地)と言うバブル期の遺産も存在する。

まあ、車で移動すれば広域にスポットは拡大できるが。

千里中央の商業施設や箕面のキューズモールも手堅いスポットだ。

変わり種では川西能勢口駅の川西阪急百貨店や、宝塚駅から続く“花のみち”で宝塚歌劇団を観賞に来たヅカファンを“ひっかけ”(ナンパ)するのも有りかも知れない。

岸和田ヤリチン大使…『♪すみれの花〜 咲くころぉ〜 初めて君を〜 知りぬぅ〜 君を想い〜 日ごと夜ごとぉ〜 悩みしあの日のこぉ〜ろ〜』(♪すみれの花、咲く頃)

ヅカファン…『イヤァ〜ン。』

岸和田ヤリチン大使…『♪私は薔薇(バラ)の定めに生まれた〜 華やかに激しく生きろと生まれた〜 薔薇(バラ)は薔薇(バラ)は 気高(けだか)く咲いて〜 薔薇(バラ)は薔薇(バラ)は美しく散るぅ〜』(♪薔薇は美しく散る)

ヅカファン…『アハァ〜ン。』

岸和田ヤリチン大使…『♪宝塚〜 わが宝塚〜 清く正しく美しく〜 栄(は)えある歴史〜 ここにあり〜 おお宝塚〜 花ある伝統〜 高らかに〜 いざ讃えつつ〜 歌いつつ〜 輝ける道〜 一筋に〜』(♪宝塚歌劇団の団歌)

ヅカファン…『ア〜ン ポ〜ン タァ〜ン。』

▼摂津から門真に掛けての中央環状線(中環)沿い

このエリアはホテル街と言うよりも、中央環状線(中環)沿いに数kmの間隔を空けてホテルが建っている。

近隣には巨大なショッピングモールも多く、吹田市のららぽーとエキスポシティ(エキスポランド跡地)やイオンモール大日(三洋電機本社工場跡地)がある。

最近ではららぽーと門真(パナソニック工場跡地)が開業した。

それ以外でも元マイカル茨木のイオンモール茨木(日本たばこ産業工場跡地)など数多くの商業施設がある。

また、大学も多く点在している為に、好奇心の旺盛(おうせい)な女子大生を“ひっかけ”(ナンパ)のターゲットにすると良い。

岸和田ヤリチン大使…『世界におけるSDGs(エスディジーズ)活動の矛盾と、政府が推奨する“優良緑地確保計画認定制度”の矛盾を突き止めて、都市部のグリーン化を促進するくらいなら、初めから大自然が残る地方を活用する方が有効だと言う効果を示す為に、君の優秀な才能がどうしても必要なんだ。』

女子大生…『凄く壮大(そうだい)な実証実験なんですね。 こんなあたしで良ければお手伝い致します。』

岸和田ヤリチン大使…『ありがとう。 では先(ま)ず、都市の郊外における愛する男女が集(つど)うホテルの立地条件から調査しよう!』

女子大生…『はい、分かりましたわぁ、先生。』

▼東大阪から奈良に向かう阪奈道路

大阪から奈良に向かう生駒山の山道となる阪奈道路沿いにはホテルが点在し、特に東大阪側の山の麓(ふもと)に多い。

生駒山の山頂から大阪平野の夜景を観に行く口実で、ドライブに誘って行くのが定番である。

女性…『綺麗な夜景ねぇ。』

岸和田ヤリチン大使…『そうだね。 でも夜景の美しさよりも、君の美しさの方が勝っているよぉ。』

女性…『まぁ、お上手ねぇ。』

この台詞(セルフ)を聞いて嫌な気分になる女性は、まず居ない。

美しい夜景と甘い言葉に酔いしれて浪漫(ロマン)に浸る女性を、スマートにホテルインする。

ただ、間違ってもホテル代をケチって、山の暗闇に紛(まぎ)れて“カーセックス”に励(はげ)むのは御法度(ごはっと)である。

こう言う女心の分からないトンチキ野郎(マヌケ男)は、けっこう多い。

▼東大阪の長田一帯

大阪の大動脈でもある中央環状線(中環)と中央大通の交差点から北西側に面して複数のホテルが建ち並ぶ。

近隣には倉庫や会社もある為に大型トラックが行き交っているので、車をヘラヘラ運転してホテルを物色(ぶっしょく)していれば、トラックの運ちゃんにクラクションを鳴らされるので注意が必要である。

近隣には大小の商業施設が多い。

イオンモール鶴見緑地が最も有名だが、フレスポ東大阪やフレスポ長田も穴場かも知れない。

逆に近鉄奈良線の布施駅から八戸ノ里駅に掛けて大学が多くあるので、女子大生をターゲットにするのも良いかも知れないが、はっきり言ってこの辺りの東大阪は、声を掛け難(にく)い雰囲気が漂っている。

行けば分かるが、バリバリの大阪下町である。

▼堺から泉佐野に掛けての26号線(第二阪和道路)沿い。

大阪市から南下し大和川を越えて、堺市から高架道路を走り石津川を越えた辺りはから続く26号線(第二阪和道路)沿いのロードサイドに延々と建つホテル。

ここは堺市から泉佐野市までの広範囲になる為に、その地域ごとで利用するホテルも変わってくる。

堺市なら石津川より北側の臨海部の海岸通り、高石市や泉大津市もポツリとあるが、やはりメインは忠岡町(ただおかちょう)の大津川沿いにあるホテル街である。

ある意味、この忠岡町(ただおかちょう)のホテル街は26号線(第二阪和道路)の目印にもなっている。

そこから我が町の岸和田市、貝塚市、泉佐野市へと続き関西国際空港(関空)が見えてくる。

このエリアに住む女性の特徴は、昔、暴走族に所属していた元ヤンキー娘が多い事である。

一見、近寄り難(がた)い怖そうな雰囲気だが、その実(じつ)は気さくでフレンドリーな女性が多い。

表裏のある陰湿(いんしつ)な都会娘とは違い、田舎の風情がまだ残る地域で育った元ヤンキー娘は、情けに厚くサバサバしている。

“ひっかけ”(ナンパ)の目的をしっかりと伝えれば、元ヤンキー娘も期待以上に応えてくれる。

岸和田ヤリチン大使…『お姉さん、昔は“やんちゃ”しとったやろぉ? なんか妖艶(ようえん)な香りがしてぇんでぇ。』

元ヤンキー娘…『そんなこと無いでぇ、至(いた)って普通やぁでぇ。』

岸和田ヤリチン大使…『若い頃は、よぉ〜モテたやろぉ。』

元ヤンキー娘…『そんなこと無いでぇ、至(いた)って普通やぁでぇ。』

岸和田ヤリチン大使…『最近はどうなぁん? 男まわりはぁ潤(うるお)っとるんかぁいなぁ? 何なら俺が潤(うるお)わしたぁんでぇ。』

元ヤンキー娘…『なぁんやい、目的はそれかいなぁ。 それならそうと早よぉ言いやぁ! まわりくどいんはぁ時間の無駄やぁでぇ。 ほなぁ、忠岡(ただおか)に行こかぁ。』

岸和田ヤリチン大使…『よっしゃ、ほなぁ行こぉ、お姉さんの車で乗せてってやぁ。』

元ヤンキー娘…『車、無いんかぁ〜〜い!』

こんな会話の遣(や)り取りなら良いが、ただ、嘘(ウソ)を吐(つ)いて騙(だま)す様な事をすれば恐ろしい事態に発展する。

プレイしたさに嘘(ウソ)吐(つ)いてバレれば、このエリアの女性は“だんじり祭り”の威勢など比べものにならない位(くらい)の怒涛(どとう)で、手足と肋骨(あばら)を圧(へ)し折られるのは覚悟しておいた方がよい。

これら大阪一帯の“ひっかけ”(ナンパ)のスポットとホテル街を紹介してきた。

どこで“ひっかけ”(ナンパ)をして、どこのホテルを利用するのも、男のテクニックとセンスに掛かっている。

ただし、女性の同意無しのプレイは御法度(ごはっと)である。

これは日本神話から始まる伊耶那岐神(イザナギ)と伊耶那美神(イザナミ)の神聖な男女の営(いと)みを穢(けが)す行為と受け止めてられる。

天神は天津神(あまつのかみ)で高天原(たかまがはら/天界)の神様。

天津神(あまつのかみ)を祀る天社(あまつやしろ)で定める高天原(たかまがはら/天界)での大罪の天津罪(あまつのつみ)。

地祇(ちじ)は国津神(くにつのかみ)で葦原中国(あしはらのなかつくに/地上界)の神様。

国津神(くにつのかみ)を祀る国社(くにつやしろ)で定める、葦原中国(あしはらのなかつくに/地上界)での大罪の国津罪(くにつのつみ)。

その両者が集う“天神地祇”(てんじんちぎ)により、女性の同意無しにプレイした者、かつ連座責任(れんざせきにん)として、その祖父母、両親、子供、孫、親族など全ての先祖子孫、知人友人、関係者は、天津罪(あまつのつみ)および国津罪(くにつのつみ)の双方の大罪により問答無用で地獄(じごく/下界)に落ちる事となる。

特に抵抗できない未成年者(子供)への暴行は、京都の天女母神(てんにょぼじん)とその手下(てした)が最強の残忍な鬼となり、想像を絶する拷問(ごうもん)を永遠に与え続けるだろう。

これらルールを踏まえて、2025年の“大阪関西万博”に来た際は、是非(ぜひ)、大阪で“ひっかけ”(ナンパ)をしつつされつつ、夜の営(いとな)みを楽しんでもらいたい。

Re: 大阪が“いしん”を掛けたリアルドラマ「セックス&ザ・オオサカ」 - 万博おじさん

2024/12/30 (Mon) 01:59:59

わんばんこ。

私が広報の“岸和田ヤリチン大使”でおまぁ!

私の仕事は布団の訪問販売です。

軽ワゴンに布団一式を積んで、各家庭を回って布団の良さを紹介して気に入ってもらえれば販売する。

この布団訪問販売、一番に売上を上げる地域は、兵庫県の西宮市、芦屋市、神戸市東灘区と灘区の“阪神間エリア”と呼ばれる関西では有名な高級住宅地である。

大阪から“阪神間エリア”まで布団一式を積んだ軽ワゴンを走らせて、高級住宅地のお宅を1軒1軒と訪問していく。

ピンポ〜ン ピンポ〜ン

貞淑な奥様…『はい、どちら様で御座いましょ?』

岸和田ヤリチン大使…『こんにちわ、お天道(てんと)サンサン、いつもニコニコ、“寝具のサンフラワーサークル”と申します。 兵庫県庁の“方”(ほう)から、お布団にダニが寄生しているか衛生調査に来ました。』

貞淑な奥様…『あらぁ、そんな事、回覧板に書いてませんでしたわね。』

岸和田ヤリチン大使…『はい、増え続けるインバウンド(訪日観光客)と共に、海外から外来種のダニが広がり、緊急事態の調査となります。』

貞淑な奥様…『ご苦労様です。 ではオートロックを解除しますので、勝手口よりお入り下さい。』

裏の勝手口からお宅にお邪魔して、貞淑(ていしゅく)な奥様に豪華なベッドのある寝室に案内される。

貞淑な奥様…『うち、大丈夫かしら?』

岸和田ヤリチン大使…『では、このダニ感知機器でお布団を調査させて頂きます。』

キュイ〜〜ン キュイ〜〜ン ピッピッ ピッピッ

岸和田ヤリチン大使…『あっ、大丈夫ですね。 ダニは発見されませんでした。』

貞淑な奥様…『あぁ良かったわ、どうもありがとねぇ。』

岸和田ヤリチン大使…『昔から言うじゃないですか、清楚(せいそ)で美しい奥様にはダニは付かないって。』

貞淑な奥様…『あらぁお上手ね。 居間でお茶をご用意しますのでどうぞぉ。』

岸和田ヤリチン大使…『それではお言葉に甘えて。』

大きく広いリビングでフカフカのソファーに座りお茶を頂きながら、奥様と雑談を交える。

貞淑な奥様…『お仕事、大変ねぇ〜 この辺りを回っているの?』

岸和田ヤリチン大使…『あっ、はい、軽ワゴンに布団一式を積んで、あちこちのお宅を訪問しています。 あっ、そうだっ! 奥様もウチの布団を試してみませんか?』

貞淑な奥様…『えっ!? 今、お布団を買う予定はありませんけどぉ、いいのかしら?』

岸和田ヤリチン大使…『あっ、大丈夫です。 最新の布団による無料お試し体験キャンペーン中なのでぇ。』

そう言って軽ワゴンから布団一式をお宅に持ち込み、立派な床の間のある和室に敷布団、シーツ、不毛布団を敷いた。

岸和田ヤリチン大使…『では奥様、そのままの格好で結構ですので、この布団でお休みになって下さい。』

そう言われて貞淑(ていしゅく)な奥様は布団に潜り込む。

貞淑な奥様…『うん、フカフカして温かく気持ちが良いですわねぇ。』

岸和田ヤリチン大使…『そうでしょ、特にお勧めなのが防水加工したシーツです。 どんなに大量の水を溢(こぼ)しても、下の敷布団に水が浸透しません。』

貞淑な奥様…『あらぁ、そうなんですか?』

岸和田ヤリチン大使…『ちなみに奥様は、よくシーツを濡(ぬ)らす方ですか?』

貞淑な奥様…『イヤァねぇ〜 最近、そんな事はしてないわぁよぉ。』

岸和田ヤリチン大使…『いやぁ残念ですねぇ〜 この防水加工シーツの効果を麗(うるわ)しき奥様に、ぜひ、知って頂きたいですねぇ〜』

貞淑な奥様…『わたくし、どうすればいいのかしらぁ?』

岸和田ヤリチン大使…『私に全てお任せ下さい。』

貞淑な奥様…『あぁ、いきなりそんなぁ・・・』

この辺りの奥様は、経済的余裕があり暇を持て余(あま)し、旬を過ぎた熟(じゅく)れた果実も持て余(あま)している。

その果実に息を吹き掛けるだけで滴(したた)り落ちる果汁が、何を期待しているかを物語っている。

そして数時間後・・・

岸和田ヤリチン大使…『ねぇ、奥様の大量に噴き出した秘液でも、下の敷布団に浸水していないでしょ。 後はこの万能タオルで濡(ぬ)れた防水加工シーツをササッと拭いて終わりです。』

貞淑な奥様…『イヤァん、そんなこと言わないでぇ。』

岸和田ヤリチン大使…『どうです、この防水加工シーツだけでも如何(いかが)ですか?』

貞淑な奥様…『そうねぇ〜 色違いで2セット頂けます。』

岸和田ヤリチン大使…『毎度、ありがとうございます。』

この調子で“阪神間エリア”の高級住宅地に住む貞淑(ていしゅく)な奥様を相手に、順調に売上を伸ばしていく。

勤め先の“寝具のサンフラワーサークル”では、私の事を“ゴッドフィンガー”(神の指)と呼んでいる。

今日も“阪神間エリア”にある何処(どこ)かのお宅で、“岸和田ヤリチン大使”の“いしん”を掛けた営業トークとフィンガーテクニックで、貞淑(ていしゅく)な奥様が勢いよく潮(しお)を吹いている。

Re: 大阪が“いしん”を掛けたリアルドラマ「セックス&ザ・オオサカ」 - 万博おじさん

2025/01/08 (Wed) 22:14:10

わんばんこ。

私が広報の“岸和田ヤリチン大使”でおまぁ!

男は浮気をする。

これは正解である。

女は浮気はしない。

それは正解でもあり、間違いでもある。

女は目の前の男に、いつも真剣に向き合うから、それは浮気ではなく誰とでも本気である。

例えるなら、回転寿司を想像すると解りやすい。

店内に広がるレーンを上をお寿司がクルクル回り、マグロ、イカ、タコ、ハマチと流れてくる。

男は、本命のマグロに本気で狙いを定め素早く皿を取り、お寿司を口に放り込む。

続いて来たイカやタコはマグロほど本気ではないが、浮ついた心で皿を取り、とりあえずお寿司を口に放り込む。

ハマチも捨て難いがマグロほど本気ではない為に、少々、心此処(こころここ)に在らずで寿司を口に放り込む。

どんなに浮気したネタを食べようと、シメはやっぱり本気のマグロだ。

一方、女はどうなのか?

先(ま)ずマグロが来たら本気にアタックし、素早く皿を取り、間髪入れずに口に頬張(ほおば)る。

次のイカも同様に本気にアタックし、素早く皿を取り、間髪入れずに口に頬張(ほおば)る。

その次からのタコやハマチへの本気度も同じである。

要は、男はネタによって気持ちの濃淡を切り替えているが、女は全てのネタが本気モードである。

当然、この場合のネタと言うのは“男女”(異性)の事である。

だから女は浮気しないし、たとえ旦那や彼氏と別の男性とベッドを共にしても、浮気を認めない。

それは本気だからである。

『うちの清純な奥さんは、絶対に浮気などするはずがない。』

こう思っている殿方も多いだろう。

女性は、玄関を1歩外に出たら別人になるから、ノーテンキな旦那や彼氏は意識改革が必要だ。

では、女性が女を磨くには、どうしたらいいか?

それはもう、男の数をこなすしかない。

現在、20代〜30代の女性が、もし旦那や彼氏が40代〜50代の熟女にハマって骨抜きにされたら、取り返す自信はあるだろうか?

結局、最後に男を惹きつけるのはテクニックである。

恋愛も工業も、技術に優る武器は無い!

女性も若いうちから早めに男の数をこなして、技術を磨く努力が必要だ。

それが将来、大いに役に立つ。

スナックのママが70代〜80代でも若くて元気なのは、それが証拠だからである。

若い時分から男に鍛えられ、また、男を鍛え上げてきた百戦錬磨の夜の蝶(チョウ)。

老け込むことも、認知症も彼女達には無縁である。

この事からも、人生の役に立たないアホォな恋愛ドラマや映画を見過ぎて、“男性へ一途な私”に酔っている女性は、老後に気を付けた方がよい。

更年期障害から精神疾患を患い、そしてそのまま認知症への流れが視えている。

こう言うのは堅い考え方の“真面目な女性”ほど陥りやすい。

Re: 大阪が“いしん”を掛けたリアルドラマ「セックス&ザ・オオサカ」 - 万博おじさん

2025/04/03 (Thu) 14:06:40

わんばんこ。

私が広報の“岸和田ヤリチン大使”でおまぁ!

2024年やったと思いますが、東京都新宿区の歌舞伎町で、国策に“いしん”を掛けた国会議員が、“議員バッチ”と“札束”(お金)をチラつかせて、まだ毛も生え揃(そろ)わない女子中学1年生にお金を渡してプレイを強要していた話しがありましゃろ。

清純な乙女を鷲掴(わしずか)みにして、桃の様なお尻(ピーチヒップ)に、臭(くさ)くて醜(みに)い親父の腐ったバナナ(ダーティーバナナ)をぶち込んで腰をズッコバッコと動かし、底なしの欲望を満たしてはった未成年性交事件ですわぁ。

この未成年性交事件に対して、その肉棒に“いしん”を掛けた国会議員が属していた政党の幹部は、誰1人として責任を取ってませんやろぉ。

日本国民は憤(いきどお)りを感じてるかもしれへぇんが、ただなぁ、大阪をはじめとした関西では、10代の性交は当たり前ですねぇん。

せぇやから、“いしん”を掛けた政党の幹部も、こう思った筈(はず)やわぁ。

政党幹部…『何がアカンのぉ?』

更(さら)に言うとなぁ、“いしん”が込められた家庭円満なファミリーは、父親(義父)は娘の“除膜式”を、母親(義母)は息子の“筆下ろし”を、「大人への儀式」として執り行う大阪のファミリーも中にはおまぁすねぇん。

この事を鑑(かんが)みたらなぁ、歌舞伎町の“いしん”を掛けた未成年性交事件も、大阪では当たり前過ぎて事件にもなりまへぇんねぇん。

近年、大阪では子供を優遇した政策を打ち出してまっしゃろ。

これは大人が色眼鏡で子供を見ている節(ふし)もありまぁんねぇん。

早くに大人を受け入れる身体に仕込んで、いつでも滞りのない性交ができる様にしてますねぇん。

せやからなぁ、“岸和田ヤリチン大使”としては“大阪関西万博”が開催される大阪湾を埋立てた人工島の大阪市此花区の夢洲(ゆめしま)をなぁ、西日本最大級と言われた“新町遊郭”(しんまちゆうかく)を再興させる事を夢見てまぁんねぇん!

ちょうど総合型リゾート地(IR)のカジノも誘致しまっしゃろ。

都市で最も人間の欲望を満たしてくれるな施設の“呑む”(お酒)、“打つ”(博打)、“買う”(遊女)の3条件は揃える必要がありまっせぇ!

これぞぉ世界に示す「オオサカ・セックス・アイランド」(大阪乱欲楽園島)でぇせぇ!

Re: 大阪が“いしん”を掛けたリアルドラマ「セックス&ザ・オオサカ」 - 万博おじさん

2025/04/03 (Thu) 14:10:25

わんばんこ。

私が広報の“岸和田ヤリチン大使”でおまぁ!

大阪市此花区の夢洲(ゆめしま)こと「オオサカ・セックス・アイランド」(大阪乱欲楽園島)に設ける“夢洲遊郭”(ゆめしまゆうかく)。

紳士の社交場、快楽の神秘となる「オオサカ・セックス・アイランド」(大阪乱欲楽園島)には、“いしん”を掛けた人間の欲望を満たしてくれる“呑む”(お酒)、“打つ”(博打)、“買う”(遊女)の娯楽の殿堂、悦楽の境地が揃ってまっせぇ!

その“夢洲遊郭”(ゆめしまゆうかく)で働く遊女も大募集せなぁ、あきまへぇんなぁ〜

昨今、この人口減少と少子高齢化で人手不足が否めないが、ただ、前例で財務省が管轄する東京都の税務署に務める女性職員も、副業で風俗店に勤めて身体と技術で納税者(殿方)にご奉仕してまっしゃろ。

国際観光都市・大阪に協力してくれる“いしん”を掛けた自治体の女性職員も多いと思うわぁ。

また、2025年に開催される“大阪関西万博”で働くコンパニオンの女性や来場してくれた子供達も、将来的に“夢洲遊郭”(ゆめしまゆうかく)の働き手として期待できまっせぇ。

先(ま)ず、広大な埋立地の夢洲(ゆめしま)に、敷地面積は江戸の“吉原遊廓”と同規模の9万㎡(2万7000坪/東京ドーム2個)余りで、建物の構造や意匠(デザイン)はインバウンド(訪日観光客)にも人気の高い純和風の木造建築物としますぅねぇん。

一応は働く遊女(ゆうじょ)が逃げれない様に、広大な敷地を囲む“御歯黒溝”(おはぐろどぶ)も設けますわなぁ。

“夢洲遊郭”(ゆめしまゆうかく)に来訪するには“日本堤”を通り、遊女(ゆうじょ)との別れを惜しむ“見返り柳”が出迎える“衣紋坂”(えもんざか)、そこからくの字に曲がった“五十間道”(ごじっけんみち/90m)を進むと、“極楽天上”の大門(おおもん)を潜(くぐ)り、たんまりと実った“桃色楽園”に辿り着く様にしまっせぇ。

“夢洲遊郭”(ゆめしまゆうかく)の区画割は、田の字の様に無数の置屋(おきや)や揚屋(あげや)が建ち並び、中央に仲の町の大通りが1本通り、そこに京町、江戸町、伏見町などの所在地を示しますぅ。

江戸時代の遊廓で働く遊女(ゆうじょ)と同様に、“番付け”も付けますねぇん。

最高位から花魁(おいらん)、太夫(たゆう)、新造(しんぞう)、局見世(つぼねみせ)や安女郎(やすじょろう)、禿(かむろ)。

そして呼出し(よびだし)、昼三(ちゅうさん)、付廻し(つけまわし)、振袖新造(ふりそでしんぞう)などの格付けもありまぁ。

“夢洲遊郭”(ゆめしまゆうかく)の郭外ではカジノに負けたお金の無い人向けに、提重(さげじゅう)、夜鷹(よたか)が安銭で請け負いますぅわなぁ。

男色の陰間(かげま)の区画も設けましてぇなぁ、衆道(しゅどう)も採り入れて、まだ舞台に立てない歌舞伎の若い役者が、己の心身を女性に徹する為に、敢(あ)えて男性を相手にしていた“芸文化”も発展させますぅねぇん。

遊女の衣装は勿論(もちろん)和着物で、江戸時代の伝統と仕来(しきた)りと作法と雰囲気を大切にしまっせぇ。

この“いしん”を掛けた“夢洲遊郭”(ゆめしまゆうかく)に、総合型リゾート地(IR)のカジノと飲み屋の歓楽街を併せ持てば、“呑む”(お酒)、“打つ”(博打)、“買う”(遊女)を満喫できる天下で一番の「オオサカ・セックス・アイランド」(大阪乱欲楽園島)になる事は間違いおまへぇんなぁ〜

Re: 大阪が“いしん”を掛けたリアルドラマ「セックス&ザ・オオサカ」 - 万博おじさん

2025/04/08 (Tue) 01:18:40

わんばんこ。

私が広報の“岸和田ヤリチン大使”でおまぁ!

今日は岸和田(キシワダ)にある行きつけのスナックでの、やり取りをご紹介させて頂きまっせぇ!

ではぁ、レッツゴーストーリー!

岸和田ヤリチン大使…『オX子ちゅう女子(おなご)知りまへぇんかぁ〜? 1年前に勤めてはった?』

スナックのママ…『オX子ねぇ〜 知りまへぇんなぁ〜』

岸和田ヤリチン大使…『髪の長い、ごっついエエ女子(おなご)ですねぇん。』

スナックのママ…『髪の長い女子(おなご)はぁんでっか? 此処(ここ)にはぎょ〜さん居てますぅさかいなぁ〜』

岸和田ヤリチン大使…『なぁ〜 思い出しておくぅんなはぁれぇ〜』

スナックのママ…『あんた、あの子のなぁんだんねぇん?』

スナックのホステス…『港(ミナト)のオX子 岸和田(キシワダ) 貝塚(カイヅカ)〜』

スナックのママ…『確か、半年前に辞めた筈(はず)でぇせぇ。』

岸和田ヤリチン大使…『何でですぅのぉん?』

スナックのママ…『ソソちゃんのお客を取ったって、そりゃ〜もぉ〜 えらい騒ぎですわぁ。』

岸和田ヤリチン大使…『ええっ〜!?』

スナックのママ…『そんな子に見えまへぇんでしたけどぉなぁ〜』

岸和田ヤリチン大使…『せやろぉ。』

スナックのママ…『まぁ〜 仁義、欠(か)いてもぉうたら、居てられまっかいなぁ。』

岸和田ヤリチン大使…『うんうん。』

スナックのママ…『あんた、あの子のなぁんだんねぇん?』

スナックのホステス…『港(ミナト)のオX子 岸和田(キシワダ) 貝塚(カイヅカ)〜』

スナックのママ…『あ〜あぁ〜 道頓堀から来た食べ頃の子でっしゃろ!』

岸和田ヤリチン大使…『そぉ〜そぉ〜 河内音頭(かわちおんど)の上手な子ですわぁ〜』

スナックのママ…『それやったら、3ヶ月前まで居てまぁしたわぁ』

岸和田ヤリチン大使…『えっ!?』

スナックのママ…『拾ろぉ〜てきた仔猫と一緒に逃げてしもぉ〜たんだぁす。』

岸和田ヤリチン大使…『何処(どこ)行ったか、知りまへぇんかぁ〜?』

スナックのママ…『知らんなぁ〜』

岸和田ヤリチン大使…『そんな事、言わんとぉ、教えておくんなぁはれぇ!』

スナックのママ…『知らん、ちゅ〜のにぃ!』

岸和田ヤリチン大使…『ほんまぁ、頼ぉんますぅ〜』

スナックのママ…『あんた、あの子のなぁんだんねぇん?』

スナックのホステス…『港(ミナト)のオX子 岸和田(キシワダ) 貝塚(カイヅカ)〜』

スナックのママ…『岸和田(キシワダ)がぁ好き、言うてぇましたなぁ〜』

岸和田ヤリチン大使…『わたしぃにも言うてぇました。』

スナックのママ…『あんまり物言わん、大人しい子でしたわぁ〜 喉(のど)が痛かったんでぇしゃろ。 しかし、外人相手じゃ、むぅ、むぅ、酷(むご)いでぇんなぁ〜』

岸和田ヤリチン大使…『なんか置いていきまぁへぇんなんだかぁ?』

スナックのママ…『何もおまっかいなぁ〜 借金残したまま、どっかぁ行ってしもぉ〜たんだぁす。』

岸和田ヤリチン大使…『あぁ〜 さよぉかぁ〜』

スナックのママ…『さっぱり、ワヤァですわぁ〜』

岸和田ヤリチン大使…『はぁ〜』

スナックのママ…『あんた、あの子のなぁんだんねぇん?』

スナックのホステス…『港(ミナト)のオX子 岸和田(キシワダ) 貝塚(カイヅカ)〜』

スナックのママ…『遅かったなぁ〜 たった今まで、其処(そこ)に居てたぁのにぃ。』

岸和田ヤリチン大使…『なにぃ〜!? どぉ、どぉ、どこぉやぁ!?』

スナックのママ…『其処(そこ)でぇんがぁな! 其処(そこ)の隅(すみ)のボックスでぇんがぁな!』

岸和田ヤリチン大使…『なぁ、何でぇ、出て行ってしもぉうたんだぁ!?』

スナックのママ…『客に太ぉ〜い注射、打たれた言うてねぇ、泣いて店を飛び出してしもぉうたぁんだすぅ。』

岸和田ヤリチン大使…『どいつぅやぁ、わしぃのオX子、いてぇこぉましたぁんわぁ!』

スナックのママ…『知りまへぇんがなぁ〜 わてぇもぉ〜』

岸和田ヤリチン大使…『ううぅ〜』

スナックのママ…『あんた、あの子に、惚れてなはぁんなぁ?』

スナックのホステス…『港(ミナト)のオX子 岸和田(キシワダ) 貝塚(カイヅカ)〜』

スナックのホステス…『港(ミナト)のオX子 岸和田(キシワダ) 貝塚(カイヅカ)〜』

Re: 大阪が“いしん”を掛けたリアルドラマ「セックス&ザ・オオサカ」 - 万博おじさん

2025/06/27 (Fri) 19:13:57

わんばんこ。

私が広報の“岸和田ヤリチン大使”でおまぁ!

今日は近所の駅前にある行き付けの赤提灯の居酒屋で、馴染み客で60代の源さんについて話しをさせてもらいますわぁ〜

口数少ない源さんについて、飲んでも自分の事は喋らぁへんさかいに、詳しい事はあまり分かってまへぇんねん。

それでも何とか素性(すじょう)を聞き出して、源さんは若い頃から仕事も長続きせぇへんと直ぐに辞めて、現在は近所の工場(こうば)で倉庫整理の仕事をしてますねぇん。

ヘタレのわてぇが言うのも何だが、どうやら離婚を2度ほど経験している単身のアカンタレという事は分かってまんねぇん。

そんな口数少ない源さんから、数少ないオモロい話しを聞かせてもろいましたんやぁ。

それは数ヶ月前、60歳を超えた源さんは体調が悪く、仕事を2日ほど休んで自宅のアパートで寝ていた時やった。

小さな工場(こうば)で働いている源さんは、従業員も皆んな家族の様な職場で、心配した女性の事務員がアパートまで見舞いに来た。

その女性の事務員は40代の未婚らしく、体型がお相撲さんの関取並みで、軽く100kgを超えている。

高校を卒業してから、その工場(こうば)で働き、社長ですら気を使い言う事を聞くお局(つぼね)事務員だ。

性格も男勝(おとこまさ)りのオラァオラァ系で豪快だと言う。

お局(つぼね)事務員はアポイントも無く、いきなり男世帯(おとこじょたい)の部屋に上がり込んできた。

その時に持参したお見舞いの品が、油ギトギトの唐揚げとコロッケで、常識的に考えて体調の悪い病人に差し出す気遣いのある品物ではない。

しかも、よく冷えた缶ビールと缶酎ハイも添えてある。

お局事務員…『源さん、どなぁいしたんやぁ? 酒の飲み過ぎちゃうんかぁ?』

源さん…『ちょっと身体がダルゥてなぁ〜 わしぃも年やしぃ、心身共にガタが来とるわぁ〜』

お局事務員…『なにぃ頼よぉんない事を吐(ぬ)かしとぉんねぇん! 景気付けにビールでも飲みなぁはれぇ。』

源さん…『いっ、いやぁ、わしぃ、病気やしぃ、医者にもアルコールは禁止されダメェやぁねん。』

そんな源さんの返答を聞いてか聞かずか、お局(つぼね)事務員は勝手に自分が持ってきたビールを飲み、唐揚げとコロッケをガツガツと食べ始めた。

そしてお局(つぼね)事務員は、源さんの部屋をキョロキョロする。

お局事務員…『なんやぁ、汚い部屋やなぁ〜 掃除してぇんのかぁ? なんかぁ臭いでぇ〜!』

源さん…『年寄りの男の独り暮らしさかぁい、掃除はあまりしてまぁへんなぁ。 あんまり部屋を見んといてぇ〜なぁ〜』

お局事務員…『なんか変な物(もん)でも有るんやろぉ! なんやぁ、このテレビの横に積んであるDVDはぁ!?』

源さん…『あっ! それは見んとぉいてぇ!』

お局事務員…『んっ!? なになに、“JKの狂った果実”に“JKの湿った果実”って、なんやぁねぇんコレェ〜!?』

源さん…『いやぁ〜 そのぉ〜 男の独り暮らしやぁさかいにぃ〜。』

お局事務員…『ちょっとこのDVD、酒のネタに観てみようやぁ。』

お局(つぼね)事務員はそう言うと、源さんのコレクションである“JKの果実シリーズ”をセットして観始めた。

ガチャ ポチッ

お局事務員…『何がJKやぁねん! 40過ぎたババァ〜がセーラー服を着て、どうするねぇん! しかもモザイク無しの裏DVDかぁいなぁ!』

源さん…『いやぁ〜 海外のインターネット通販で買(こ)うたら、そんなんが届いてぇん。 せやぁけどヤル事は同じやしぃ、ええかなぁ〜思うてぇまんねぇん。』

お局事務員…『えらい使い込んだ果実やなぁ〜 真っ黒で爛(ただ)れてるやぁんけぇ〜! こんなJK、居るかぁいなぁ!』

そんなこんなでアパートの1室で、裏DVD鑑賞をする40代のお局(つぼね)事務員と60代の源さんだった。

そんな時に源さんがモゾモゾし始めた。

お局事務員…『んっ!? 源さん、どなぁいしたん?』

源さん…『いっ、いやぁ、なんかぁ“JKの果実シリーズ”を観てたら、ムズムズしてぇきてぇん。』

お局事務員…『なんやぁ源さん、年甲斐(としがい)もなく、興奮(こうふん)しとぉんのかぁいな!? ちょっと見せてみい!』

源さん…『えっ!? そぉ、それはアカンやぁろ! アカンでぇ〜!』

お局事務員…『ええから見せてみい〜!』

そう言うと、お局(つぼね)事務員は源さんのズボンとパンツを強引に下ろし、剥(は)ぎ取った。

お局事務員…『うわぁ、源さん、年(とし)の割に立派な物(ブツ)を持ってますやぁん。』

源さん…『いっ、いやぁ、そんなに見られたら、恥ずかしいやぁん! 頼むからズボンとパンツを返してくれぇへんか?』

お局事務員…『いやぁいやぁ、源さん、こうして欲しいんやぁろ!』

そう言うと、お局(つぼね)事務員は源さんの物(ブツ)を口に咥(くわ)えた。

カポォ

源さん…『ちょ、ちょっと、ああぁ〜〜 ウッ!』

ドピュ

お局事務員…『うわぁ、源さん、早いなぁ〜 高校生かぁいなぁ!』

源さん…『いっ、いやぁ、久しぶりやぁさかいにぃ〜 つい・・・』

お局事務員…『今度は私の番やぁでぇ! 私も久しぶりやさかいにぃ、源さん、しっかりと頼むわぁ〜』

そう言うと、スカートとパンツを脱いだお局(つぼね)事務員は、仰向(あおむ)けに寝る源さんの顔面に100kg超の身体を持つ腰を押し付けた。

源さんの目の前にあるのは、JKの果実とは程遠い、売れ残りの半切りの白菜(ハクサイ)である。

源さん…『うわぁ、くっ、苦しい、助けてくれぇ〜!』

あまりにもの圧迫で呼吸困難を起こす源さんである。

お局事務員…『ほらぁ源さん、しっかり舐(な)めてやぁ〜』

源さん…『ううっ、うっ、レロレロ、レロレロ、ううっ〜』

ブッ、ブッブッ〜〜〜ブッ!

源さん…『クサッ、クッサァ〜〜!』

お局事務員…『あらぁ、ゴメンなさい。 久しぶりなんで、力が入ってもぉうたわぁ!』

今度はお局(つぼね)事務員は半切りの白菜(ハクサイ)に、源さんの物(ブツ)を要求してきた。

その半切りの白菜(ハクサイ)の奥地は、お手入れ無しのジャングルの様相(ようそう)である。

お局事務員…『ちょっと源さん、そこ違うって、どこに入れてんねぇん!』

源さん…『いっ、いやぁ、密林(みつりん)でよく分からへぇんし、ここかいなぁ〜』

お局事務員…『せぇやから、違うって、そこはぁ!』

こんな男女の遣(や)り取りを続けた60代の源さんと40代のお局(つぼね)事務員であった。

その後、何事も無かったかの様に、源さんとお局(つぼね)事務員は同じ職場で働いていると言う。

この話しを赤提灯の居酒屋で源さんから聞かされても、色っぽさを微塵(みじん)にも感じさせず、最後まで笑い通しだった。

それは年季(ねんき)の入った60代の源さんが成(な)せる年(とし)の功(こう)であろう。

今日の1枚、お薦めレコード/20250627 - ラジオの友 URL

2025/06/27 (Fri) 05:47:59

◆◇◆其の三十七:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

1603年に征夷大将軍1代目に就任した徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)は、武蔵国(東京都)の江戸城(えどじょう)にて江戸幕府を開設した。

既に高齢に差し掛かっていた徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)に取って、懸念材料は後継者問題だった。

過去の幕府を参考にしても、鎌倉幕府の源氏は3代目で崩壊して、室町幕府は足利氏が15代目まで続いたとは言え征夷大将軍3代目の足利義満(あしかがよしみつ/室町)が絶頂期と診(み)ている。

末永く徳川家の江戸幕府が繁栄するには、征夷大将軍を中心とした勢力基盤が必要だった。

そこで徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)は、嫡流(ちゃくりゅう)の将軍家の他に、庶流(しょりゅう)の徳川御三家(とくがわごさんけ)を設ける。

常陸国(ひたち/茨城県)の水戸城(みとじょう)を拠点とした35万石の水戸徳川家。

尾張国(愛知県)の名古屋城(なごやじょう)を拠点とした62万石の尾張徳川家。

紀伊国(和歌山県)の和歌山城(わかやまじょう)を拠点とした56万石の紀州徳川家。

こう視ても、嫡流(ちゃくりゅう)の将軍家が途絶えたとしても、徳川御三家(とくがわごさんけ)の石高や勢力基盤から尾張徳川家より征夷大将軍が就任すると思われるが、実は1人も征夷大将軍に就いた人物はいない。

しかも“暴れん坊将軍”と呼ばれる征夷大将軍8代目の徳川吉宗(とくがわよしむね/徳川)からは、ほぼ紀州徳川家から征夷大将軍に就任している。

しかも徳川吉宗(とくがわよしむね/徳川)は、東照大権現(とうしょうだいごんげん)の徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)に倣(なら)って徳川御三卿(とくがわごさんきょう)の田安徳川家と一橋徳川家と清水徳川家を設けて、征夷大将軍の就任を紀州徳川家で独占した。

これが“暴れん坊将軍”と呼ばれる所以(ゆえん)である。

では、江戸幕府の中で尾張徳川家は影が薄かったのか?

そんな事はない。

ある意味、征夷大将軍を輩出(はいしゅつ)しなくとも、尾張徳川家の人材はそれなりに存在感を出している。

良くも悪くもだが。

GERARD KENNY /♪ D-D-D-DANCIN'

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250627 - ラジオの友 URL

2025/06/27 (Fri) 05:49:21

◆◇◆其の三十八:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

江戸城(えどじょう)の西方を守護する市ヶ谷の尾張徳川家の屋敷だが、そのまた西方に同規模の尾張徳川家の屋敷がある。

現在で言う新大久保駅から高田馬場駅の東方に掛けてだが、この屋敷跡地は早稲田大学などになっている。

1603年の江戸幕府の開設により、徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)の息子の徳川義直(とくがわよしなお/徳川→尾張)が尾張名古屋藩の1代目藩主に就任した。

その息子の徳川光友(とくがわみつとも/徳川)が2代目藩主となる。

そして、その息子の徳川綱誠(とくがわつなのぶ/尾張)が3代目藩主となるのだが、このお殿様の側室に入ったお福こと本寿院(ほんじゅいん/尾張)が江戸幕府を揺るがす程の女性だった。

お福こと本寿院(ほんじゅいん/尾張)は名古屋城下町の町人の娘と言われ、名古屋城(なごやじょう)の界隈では“絶世の美女”で名高く、3代目藩主の徳川綱誠(とくがわつなのぶ/尾張)に見初(みそ)められ側室に入った。

そして、後々の4代目藩主に就任する徳川吉通(とくがわよしみち/尾張)が誕生する。

そんな母親のお福こと本寿院(ほんじゅいん/尾張)は大の交尾(こうび)好きで、侍従(じじゅう)だろうが、家臣だろうが、傍(そば)に居る男性なら手当たり次第に交わったと古文書には記述されている。

過去の事で史実の正誤は解らないし、プライベートな事なので他人がとやかく言う権利は無いのだが、事実無根の噂(うわさ)だったとしても、江戸幕府と尾張徳川家としては品位に関わる。

その為に人目を避ける様に江戸の尾張徳川家の四谷御殿(紀尾井町)に幽閉した。

ただ、事はこれで収(おさ)まらず、今度は4代目藩主に就いた息子の徳川吉通(とくがわよしみち/尾張)が、1713年に母親が暮らす尾張徳川家の四谷御殿(紀尾井町)で毒殺された。

江戸幕府の次期将軍候補だった徳川吉通(とくがわよしみち/尾張)は、紀州徳川家の“暴れん坊将軍”と呼ばれる徳川吉宗(とくがわよしむね/徳川)が仕向けた間者(かんじゃ/スパイ)により暗殺されたと噂(うわさ)が立つ。

しかも、徳川吉通(とくがわよしみち/尾張)の息子で5代目藩主に就任した徳川五郎太(とくがわごろうた/尾張)も、1713年に3歳で早世した。

尾張徳川家の親子2代に渡り亡き者にする徳川吉宗(とくがわよしむね/徳川)が、“暴れん坊将軍”と呼ばれる所以(ゆえん)である。

そして3代目藩主の徳川綱誠(とくがわつなのぶ/尾張)の息子の徳川継友(とくがわつぐとも/尾張)が6代目藩主に就任した。

しかし、1731年に後継者不在のまま徳川継友(とくがわつぐとも/尾張)は病死する。

そこで登場したのが3代目藩主の徳川綱誠(とくがわつなのぶ/尾張)の息子で、尾張徳川家では一番に有名人である7代目藩主の徳川宗春(とくがわむねはる/尾張)である。

JOHN VALENTI /♪ I WON'T CHANGE

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250627 - ラジオの友 URL

2025/06/27 (Fri) 05:50:23

◆◇◆其の三十九:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

江戸から350kmほど離れた尾張国(愛知県)の尾張名古屋藩では、征夷大将軍8代目の徳川吉宗(とくがわよしむね/徳川)が遂行する“質素倹約”の「享保の改革」(きょうほうのかいかく)とは様子が違っていた。

金色に輝く鯱鉾(シャチホコ)が眩(まばゆ)い名古屋城(なごやじょう)には、尾張名古屋藩の7代目藩主で東海道で一番の傾奇者(かぶきもの/異端者)と呼ばれた徳川宗春(とくがわむねはる/徳川)が煙管(きせる)を吹かしていた。

そこに1人の年老いた家老が押し寄せる。

家老…『殿、わたしは悔しいで御座るよ!』

徳川宗春…『おやぁ、どうした爺(じい)、そんな哀しいお顔をして?』

フゥ〜〜 プッパァ〜

家老…『征夷大将軍8代目に襲名した徳川吉宗殿と紀州徳川家の事で御座るよっ!』

徳川宗春…『ほぉ、紀州の“梅干し将軍”が如何(いかが)したのか?』

家老…『今、江戸幕府に潜り込ませている間者(かんじゃ/スパイ)から報告があったのじゃが、殿の兄上でもある徳川吉通公と、その御子息の徳川五郎太公は如何(どう)やら、紀州徳川家に暗殺された痕跡が見受けられると申すのである。』

プハッ

徳川宗春…『なにぃ〜!? どう言う事じゃ!』

家老…『実は徳川吉通公が亡くなる前後に、数名の紀州徳川家の間者(かんじゃ/スパイ)が名古屋城下町をウロウロしていた目撃情報が入りましたのじゃ。』

徳川宗春…『兄者(あにじゃ)と御子息を殺(あや)めたのは、その紀州徳川家の間者(かんじゃ/スパイ)だと申すのか!?』

家老…『確たる証拠は御座らんが、その8年前の同時期にも紀州の和歌山城で徳川吉宗殿の父上と2人の兄上が亡くなり、棚から牡丹餅(ぼたもち)の如(ごと)く紀州藩(和歌山)の藩主に就任しておる。』

徳川宗春…『その後、徳川吉宗殿は棚から牡丹餅(ぼたもち)の如(ごと)く江戸幕府の征夷大将軍にも就任しておるな。』

家老…『決して偶然とは思えんのじゃ! その将軍後継者闘争で徳川吉通公と徳川五郎太公が殺(あや)められたと思うと、悔しゅ〜て、悔しゅ〜て、夜も眠れんのじゃ。』

徳川宗春…『それが事実としたら、徳川吉宗殿は本物の“暴れん坊将軍”ではないかっ!』

家老…『神君(しんくん/徳川家康)のお膝元の尾張徳川家も、紀州徳川家に舐められたものじゃ。』

徳川宗春…『おのれぇ〜 兄者(あにじゃ)の怨みを晴らしてやるっ!』

家老…『殿、いけませぬぞぉ、復習など! 仮にも相手は江戸幕府の征夷大将軍である。 謀反(むほん)を起こせば尾張名古屋藩の領地没収の改易(かいえき)どころか、尾張徳川家の“お家取潰し”は免れぬぞぉ。』

徳川宗春…『そんなぁ戯(たわ)けた事はせぬわぁ。 徳川吉宗殿の江戸幕府が「享保の改革」(きょうほうのかいかく)で質素倹約するなら、尾張名古屋はその逆目を行くまでよぉ!』

家老…『逆目とは、如何(いか)に?』

徳川宗春…『爺(じい)、忙しくなるぞっ! 鼓(つづみ)を持てぇ〜』

ポン ポンポンポンポン ポン

徳川宗春…『人間(じんかん)五十年、下天(げてん)のうちを比ぶれば、夢幻(ゆめまぼろし)の如くなり、一度(ひとたび)生(せい)を享(う)け、滅(めっ)せぬもののあるべきか。』(敦盛/あつもり)

家老…『お見事!』

徳川宗春…『平敦盛公、織田信長公も若くして散っておる、兄者(あにじゃ)の復習を果たせれば、この命、惜しい無い! 現生にしがみ付く見苦しい老人だけには成りとおないわぁい。』

SEAWIND /♪ HE LOVES YOU

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250627 - ラジオの友 URL

2025/06/27 (Fri) 05:51:22

◆◇◆其の四十:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

ここで一旦、整理しよう。

征夷大将軍8代目の徳川吉宗(とくがわよしむね/徳川)が、まだ紀伊国(和歌山県)の紀州藩(和歌山)の和歌山城(わかやまじょう)で生活を送っていた青年期の事である。

1698年、父親で2代目藩主だった徳川光貞(とくがわみつさだ/紀州)が、長男の徳川綱教(とくがわつなのり/紀州)へ3代目藩主を継承した。

ところが7年後の1705年7月に病により徳川綱教(とくがわつなのり/紀州)が死去する。

ここの死因には疑う余地は無い。

後継者の居なかった徳川綱教(とくがわつなのり/紀州)なので、4代目藩主として引き継いだのは次男の徳川頼職(とくがわよりもと/紀州)だった。

その年の1705年9月に、父親で2代目藩主だった徳川光貞(とくがわみつさだ/紀州)が78歳で亡くなる。

この時代の高齢を考えると長寿のため、ここの死因には疑う余地は無いが、あまりにも息子の死期に近い事が怪しさを醸し出している。

問題は1705年10月に4代目藩主の徳川頼職(とくがわよりもと/紀州)が、父親と兄を追う様に死去した事である。

立て続けに家族3人が同時期に亡くなるのは、不自然極まりない。

妻子の無かった徳川頼職(とくがわよりもと/紀州)なので、5代目藩主として就任したのは四男の徳川吉宗(とくがわよしむね/徳川)である。

ここで一番に恩恵に与(あずか)ったのが誰なのか?

CECILIO & KAPONO /♪ SOMEDAY

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250627 - ラジオの友 URL

2025/06/27 (Fri) 05:52:18

◆◇◆其の四十一:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

そして舞台は武蔵国(東京都)の江戸幕府に移り、征夷大将軍6代目の徳川家宣(とくがわいえのぶ/徳川)が病床に伏せ、医者からは生(お)い先短いと宣言される。

その為、徳川家宣(とくがわいえのぶ/徳川)と正室の近衛熙子(このえひろこ)こと天英院(てんえいいん/朝廷→徳川)は、考えに考え抜き次期将軍候補者を尾張徳川家で尾張名古屋藩の4代目藩主の徳川吉通(とくがわよしみち/尾張)を指名している。

その遺言を残して1712年に徳川家宣(とくがわいえのぶ/徳川)が50歳で亡くなる。

ところが、ここに旗本の新井白石(あらいはくせき/江戸)が猛反対して、徳川家宣(とくがわいえのぶ/徳川)の嫡男(ちゃくなん)でまだ4歳だった徳川家継(とくがわいえつぐ/徳川)を推薦する。

ここには徳川家宣(とくがわいえのぶ/徳川)の側室で、徳川家継(とくがわいえつぐ/徳川)の母親の勝田輝子(かつたてるこ)こと月光院(げっこういん/徳川)と、側用人(そばようにん)の間部詮房(まなべあきふさ/江戸)の意向が見え隠れする。

そんな時に尾張名古屋藩では、将軍候補者に名前が挙がっていた4代目藩主の徳川吉通(とくがわよしみち/尾張)が、1713年に尾張徳川家の江戸にある四谷御殿(紀尾井町)で、食事中に急に苦しみだし突然死してしまったのである。

さらに、尾張名古屋藩の5代目藩主を継承した息子で、まだ3歳の徳川五郎太(とくがわごろうた/尾張)もその2ヶ月後に早世している。

この時期、名古屋城下町では紀州徳川家の間者(かんじゃ/スパイ)が見受けられたと言う。

結局、徳川家宣(とくがわいえのぶ/徳川)と側室の勝田輝子(かつたてるこ)こと月光院(げっこういん/徳川)の息子の徳川家継(とくがわいえつぐ/徳川)が征夷大将軍7代目に即位(そくい)する。

ただ、この3年後の1716年に徳川家継(とくがわいえつぐ/徳川)は早世する。

この時の次期将軍候補者も、徳川家宣(とくがわいえのぶ/徳川)の正室で近衛熙子(このえひろこ)こと天英院(てんえいいん/朝廷→徳川)の後押しがあり、尾張名古屋藩の6代目藩主の徳川継友(とくがわつぐとも/尾張)と言われていた。

結果は、1716年に紀州徳川家で紀伊国(和歌山県)の紀州藩(和歌山)の5代目藩主に就任していた徳川吉宗(とくがわよしむね/徳川)が征夷大将軍8代目に即位(そくい)した。

ここで一番に恩恵に与(あずか)ったのが誰なのか?

ANTENA /♪ EASY STREET

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250627 - ラジオの友 URL

2025/06/27 (Fri) 05:53:25

◆◇◆其の四十二:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

もう一度、尾張徳川家についておさらいしよう。

江戸幕府を開設した征夷大将軍1代目の徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)が、江戸と京都の中間地点として東海道に設けた徳川御三家の尾張徳川家に、息子で尾張名古屋藩の1代目藩主の徳川義直(とくがわよしなお/徳川→尾張)を着任させた。

その息子で2代目藩主の徳川光友(とくがわみつとも/徳川)、その息子で3代目藩主の徳川綱誠(とくがわつなのぶ/尾張)。

3代目藩主の徳川綱誠(とくがわつなのぶ/尾張)と側室で“絶世の美女”と言われたお福こと本寿院(ほんじゅいん/尾張)の息子で4代目藩主の徳川吉通(とくがわよしみち/尾張)。

その息子で3歳で早世した5代目藩主の徳川五郎太(とくがわごろうた/尾張)。

続いて3代目藩主の徳川綱誠(とくがわつなのぶ/尾張)の息子で6代目藩主の徳川継友(とくがわつぐとも/尾張)と、7代目藩主の徳川宗春(とくがわむねはる/尾張)となる。

尾張名古屋藩を率いる元来の傾奇者(かぶきもの/異端者)と言われる徳川宗春(とくがわむねはる/尾張)は、名古屋城下町の都市整備に着手する。

街路には夜でも明るく照らす提灯(ちょうちん)で彩(いろど)り、1731年に名古屋城(なごやじょう)の南側にある歓楽街の大須周辺には芝居小屋や遊廓を誘致した。

江戸や大坂など倹約令で芝居小屋が次々と閉鎖される中で、名古屋の芝居小屋だけが繁盛して、歌舞伎や浄瑠璃の伝統芸が息づく。

この時の尾張国(愛知県)の様子では『名古屋の繁華(はんか)に京(きょう/興)が醒めた。』と言われ、“芸処(げいどころ)の尾張名古屋”として栄えた。

7代目藩主の徳川宗春(とくがわむねはる/尾張)は祭事も推進した。

“名古屋東照宮祭”(名古屋祭)や“名古屋祇園祭”が華々しく開催された。

この時期の盆踊りは50日間近くも踊り続けたと言う。

これら尾張名古屋藩の7代目藩主の徳川宗春(とくがわむねはる/尾張)の政策を「温地政要」(おんちせいよう)と呼ぶ。

徳川宗春…『行き過ぎたる倹約は、かえって領民を苦しめる事になる。』

徳川宗春…『行政が規制を増やせば、それだけ違反者も増えるだけ。』

これが徳川宗春(とくがわむねはる/尾張)の持論である。

ただ結局、尾張名古屋藩の財政悪化と名古屋城下町の治安悪化が目立ちはじめ、目に余る徳川宗春(とくがわむねはる/尾張)の奇行(きこう)は、重鎮家臣で御附家老(おつけがろう)の竹腰正武(たけのこしまさたけ/尾張)による調略と、征夷大将軍8代目の徳川吉宗(とくがわよしむね/徳川)による裁定で譴責処分(けんせきしょぶん)となった。

1739年に、それを言い渡したのは下総国(しもうさ/千葉県)の佐倉藩の藩主で老中の松平乗邑(まつだいらのりさと/江戸)だった。

これにて徳川宗春(とくがわむねはる/尾張)は尾張名古屋藩の7代目藩主を罷免(ひめん)される。

ただし、この尾張徳川家の徳川宗春(とくがわむねはる/尾張)の意思を引継いだ街がある。

それが現在の東京都新宿区の歌舞伎町である。

この歌舞伎町には、尾張徳川家の屋敷の多さに現れている。

徳川宗春(とくがわむねはる/尾張)は、名古屋の大須周辺に芝居小屋や遊廓を誘致して、日本最大級の歓楽街を整備した。

これにより歌舞伎や浄瑠璃の伝統芸能が発展する。

その文化が新宿の歌舞伎町に息づいている。

その1つが新宿コマ劇場の“北島三郎、豪華特別公演!”である。

チャ〜ラララララァ〜 チャ〜ラララララァ〜

ドンドコドンドン ドンドコドンドン

北島三郎…『♪男はぁ〜 祭りをぉ〜 そうさぁ 担いで生きてきたぁ〜』

徳川宗春…『♪祭りだぁ〜 祭りだぁ〜 祭りだぁ〜』(♪まつり)

KENI BURKE /♪ DAY

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250627 - ラジオの友 URL

2025/06/27 (Fri) 05:54:28

◆◇◆其の四十三:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

江戸時代では、畿内(きない/関西)の情勢は、どうだったのか?

国家政権が京都から江戸に移り、江戸幕府は“禁中並公家諸法度”(きんちゅうならびにくげしょはっと)を制定して、京都の皇族と公家の行動を厳しく監視した。

その京都から南西側に50kmほど離れた商都の大坂では、堂島(どうじま)を中心に市場が設けられ、全国からお米や産物が集まり取引されて旺盛(おうせい)な活気で沸いていた。

この時代の物流は海運が主流で、出羽国(でわ/山形県)の酒田の港から、日本海を西廻りで大坂に向かう“西廻航路”と、東廻りで津軽海峡を経て江戸に向かう“東廻航路”があった。

江戸に向かう廻船を“下り物”(くだりもの)と言われ、逆に江戸に向かえない物は、その語源から“下らない”(くだらない)となった。

日本中から産物を積んだ廻船が大坂の港に集まり、河岸には廻船問屋が軒を連ね“天下の台所”と呼ばれた。

そんな1650年代の大坂城下町には財力のある商人が台頭し、道頓堀には羽振りの良い大坂町人が闊歩(かっぽ)して、娯楽施設が次々と誕生した。

芝居小屋もその1つで、そこで浄瑠璃(じょうるり)や歌舞伎などが上演された。

大坂では、井原西鶴(いはらさいかく/作家)の“好色一代男”(こうしょくいちだいおとこ)や、近松門左衛門(ちかまつもんざえもん/作家)の“曾根崎心中”(そねざきしんじゅう)と“国性爺合戦”(こくせんやかっせん)の演目が一世風靡(いっせいふうび)した。

江戸をはじめ日本中に芸術や演芸が華開き、これを1688年〜1704年に謳歌(おうか)した「元禄文化」と言う。

江戸幕府では征夷大将軍5代目の徳川綱吉(とくがわつなよし/徳川)の頃である。

“見返り美人”で有名な浮世絵の祖と呼ばれる菱川師宣(ひしかわもろのぶ/浮世絵師)も、この頃に誕生している。

俳句を詠みながら奥州を旅した伊賀国(三重県)の阿拝(伊賀)で生まれた松尾芭蕉(まつおばしょう/俳人)は、“おくのほそ道”を残している。

松尾芭蕉…『此処(ここ)があの奥州藤原氏が活躍し、源義経(みなもとよしつね)が育った陸奥国(むつ/岩手県)の平泉か。』

ミィ〜〜ン ミィ〜ン ミィ〜ン ミィ〜ン ミィ〜〜ン

松尾芭蕉…『夏草や、兵(つわもの)どもが、夢の跡。』

ALEXANDER O'NEAL /♪ NEVER KNEW LOVE LIKE THIS

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250627 - ラジオの友 URL

2025/06/27 (Fri) 05:55:20

◆◇◆其の四十四:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

この頃は“日本三大都市”として、大坂、京都、江戸が目紛(めまぐる)しい発展を遂げていた。

大坂は堂島に蔵屋敷が建ち並ぶ“天下の台所”と呼ばれ、人口は38万人ほど居た。

京都は織物の西陣機業が栄え“王城(おうじょう)の地”と呼ばれ、人口は35万1000人ほど居た。

江戸は首都として全国から人が集まり“諸国の掃溜(はきだめ)”と呼ばれ、人口は1693年に35万人だったが、1721年には50万人に膨れ上がっていた。

江戸城下町は、全国から人と物が集まる一大都市に発展していた。

それに伴い多くの“産業”が生まれ、“文化”も開花していく。

そして“江戸文化”で忘れてはならないのが芝居である。

特に歌舞伎は江戸城下町の町人に人気を博(はく)し、あちこちに芝居小屋が建ち並んだ。

その代表格の“江戸三座”もこの頃に創設されている。

中村座は尾張国(愛知県)は中村の出身だった中村勘三郎(なかむらかんざぶろう/歌舞伎)が立ち上げ、屋号は柏屋(かしわや)と呼ばれた。

その弟子の中村清五郎(なかむらせいごろう/歌舞伎)は、役者だけでなく作家としての能力も発揮した役者兼作家である。

市村座は市村羽左衛門(いちむらうざえもん/歌舞伎)が立ち上げ、屋号は菊屋(きくや)や橘屋(たちばなや)と呼ばれた。

森田座(守田座)は森田勘弥(もりたかんや/歌舞伎)が立ち上げ、屋号は喜の字屋(きのじや)と呼ばれた。

そしてもう1つの芝居小屋を加えた“江戸四座”。

山村座は山村長太夫(やまむらちょうだゆう/歌舞伎)が立ち上げ、そこに人気役者の生島新五郎(いくしましんごろう/歌舞伎)が所属していた。

この山村座が、江戸の芝居小屋を揺るがす一大事件を引き起こす。

LUTHER VANDROSS /♪ COME BACK

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250627 - ラジオの友 URL

2025/06/27 (Fri) 05:56:20

◆◇◆其の四十五:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

“ぼくちゃん”の征夷大将軍7代目の徳川家継(とくがわいえつぐ/徳川)かつ母親の月光院(げっこういん/徳川)と親密な間柄(あいだがら)だったのが、江戸城(えどじょう)に設けられた大奥の御年寄(おとしより)の絵島(えじま)こと江島(えじま/江戸)だった。

特に“ぼくちゃん”の徳川家継(とくがわいえつぐ/徳川)は“美人なお姉さん”の江島(えじま/江戸)にえらく懐(なつ)いた。

その為、江戸幕府では江島(えじま/江戸)への信任も厚く、それなりの実権も握っていた。

そんなある正徳(しょうとく)の正月明け、江島(えじま/江戸)を筆頭に大奥の数人の女中が征夷大将軍6代目の徳川家宣(とくがわいえのぶ/徳川)のお墓参りに出掛けた。

その帰り、江戸幕府に出入りする“幕府御用達”(ばくふごようたし)の呉服屋の後藤編殿助(ごとうぬいのすけ/呉服師)の誘いで、木挽町(こびきちょう)にある山村座で歌舞伎を観覧する事となる。

権力闘争で憎悪(ぞうあく)が渦巻く江戸城内の窮屈(きゅうくつ)な生活から、ほんのひと時(とき)だけ“夢心地の世界”に解放される女性達。

目の前の舞台には、看板役者の生島新五郎(いくしましんごろう/歌舞伎)をはじめ、この世の者とは思えない程の妖艶な美男子がたち振る舞う。

これを観て、惹(ひ)かれない女性はいない。

女中…『はぁ〜 素敵ねぇ〜 あんな男性がお城に居たらなぁ〜』

江島…『本当ねぇ、おほぉほぉほ。』

女中…『よっ! 新五郎様、日本一!!』

後藤編殿助…『どうでしょう? この後、山村座の御厚意で歌舞伎の役者との宴会が設けられていますが?』

女中…『えっ〜!? 行きましょうよぉ〜 ねぇ〜 江島お姉さまぁ〜 行きましょうよぉ〜』

江島…『そうね、江戸城の門限にはまだ少し時間がありますからね。』

後藤編殿助…『では決まりですね。』

この判断が、大奥の御年寄(おとしより)の江島(えじま/江戸)だけでなく、山村座の山村長太夫(やまむらちょうだゆう/歌舞伎)や看板役者の生島新五郎(いくしましんごろう/歌舞伎)の人生まで大きく狂わす。

歌舞伎の役者と大奥の女中のこの世を忘れさせる華やかな宴(うたげ)は、美味いお酒の力を借りなくとも時間(とき)を忘れさせる。

盛大な宴会もたけなわに差し掛かり・・・

江島…『はっ! もうこんな時間、江戸城の門限がっ!』

腕のフランクミュラーの針は戌の刻(午後8時)を指している。

時既(ときすで)に遅し。

江戸城(えどじょう)の門限はとっくに過ぎている。

大急ぎで江戸城(えどじょう)まで帰るも大門は固く閉ざされ、大奥の女中の『開けろ!』と門番の『開けない!』の一悶着(ひともんちゃく)。

この大騒動が江戸城内に知れ渡り、江戸幕府の節度の無い「大奥醜態問題」(おおおくしゅうたいもんだい)として取り上げられる。

この裁き人として“鬼奉行”との異名を持つ目付(めつけ)の稲生正武(いのうまさたけ/江戸)が、当事者を拷問(ごうもん)までして『ある事ない事』を白状させた。

江戸幕府の処分としては、大奥の御年寄(おとしより)の江島(えじま/江戸)は死罪だったが、征夷大将軍7代目の徳川家継(とくがわいえつぐ/徳川)と母親の月光院(げっこういん/徳川)の減刑の嘆願により、信濃国(長野県)の高遠藩(たかとお/伊那)に流刑となった。

高遠藩(たかとお/伊那)とは征夷大将軍2代目の徳川秀忠(とくがわひでただ/徳川)の隠し子だった保科正之(ほしなまさゆき/徳川→会津)が育った地でもある。

一方、山村座の山村長太夫(やまむらちょうだゆう/歌舞伎)や看板役者の生島新五郎(いくしましんごろう/歌舞伎)は伊豆国(静岡県)の大島に流罪となり、当然に山村座は廃業させられた。

これを1714年に起こった「江島生島事件」(えじまいくしまじけん)と呼ぶ。

FIFTH AVENUE BAND /♪ LOOK WHO'S ON FIRE NOW

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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250627 - ラジオの友 URL

2025/06/27 (Fri) 05:57:16

◆◇◆其の四十六:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

2000年代はインターネットとスマートフォンの進化や発展で、1990年代までと比べて情報と技術が100倍にも1000倍にも膨らんだ。

その恩恵は地球上の人類にも及ぼされ、知識と能力は格段に向上している。

それと同じ現象が300年前の1700年代にも起こっていた。

船の進化で航路が開拓され、世界中の情報と技術が海の向こうの大陸や島からもたらした。

知らない人達により、見た事のない物産や書物が運ばれ、聞いた事のない学問や物語が伝わってくる。

時代の“文化革命”である。

この頃は学問を志す者が多く現れ、江戸や大坂だけでなく日本全国に私塾が設立された。

地域の子供の教育の場として、お寺の寺子屋(てらこや)で“読み”、“書き”、“算盤”を学ぶ文化もできた。

征夷大将軍5代目の徳川綱吉(とくがわつなよし/徳川)の専属医だった荻生景明(おぎゅうかげあき/医師)の息子で、柳沢吉保(やなぎさわよしやす/江戸)の仕官を務めた荻生徂徠(おぎゅうそらい/儒学者)は、1709年に江戸城下町の茅場町に蘐園塾(けんえんじゅく)を開いた。

儒教経典の根幹の六経(りっけい)と言われる、書経(しょきょう)、詩経(しきょう)、易経(えききょう)、礼記(らいき)、春秋(しゅんじゅう)、楽経(がっけい)を基本とした教育を実施した。

門下生には服部南郭(はっとりなんかく/儒学者)がおり、後(のち)に不忍池に芙蕖館(ふきょかん)の私塾を開設した。

安藤東野(あんどうとうや/学者)や平野金華(ひらのきんか/学者)、そして太宰春台(だざいしゅんだい/学者)は変わり種で、あの尾張国(愛知県)の戦国武将の織田信秀(おだのぶひで/織田)と織田信長(おだのぶなが/織田)の親子に仕えた平手政秀(ひらてまさひで/織田)の子孫である。

丹波国(京都府)の桑田(亀岡)に生まれた思想家の石田梅岩(いしだばいがん/学者)は、訳あって隠棲者(いんせいしゃ)となった小栗了雲(おぐりりょううん/学者)を師匠に勉学に励み、1729年に自宅で私塾の梅岩塾(ばいがんじゅく)を開設した。

門下生には京都の坊(ぼん)だった手島堵庵(てじまとあん/学者)がいる。

ADRIAN GURVITZ /♪ SEVENTEEN

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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250627 - ラジオの友 URL

2025/06/27 (Fri) 05:58:13

◆◇◆其の四十七:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

江戸城下町では画家で蘭学者の司馬江漢(しばこうかん/絵師)が、“人類皆兄弟”を唱え身分制度に反対した。

伊勢国(三重県)の多気の出身の野呂元丈(のろげんじょう/学者)は、蘭学を学び阿蘭陀博士(オランダマイスター)と呼ばれた。

遠江国(とおとうみ/静岡県)の敷知(ふち/浜松)の出身の賀茂真淵(かもまぶち/歌人)、伊賀国(三重県)の松坂の出身の本居宣長(もとおりのりなが/学者)、京都の出身の荷田春満(かだのあずままろ/学者)、出羽国(でわ/秋田県)の久保田(秋田)の出身の平田篤胤(ひらたあつたね/学者)は、奈良時代の712年に編集した“古事記”や720年に編集した“日本書紀”に基づく神話などの学問を取り入れた学習を推奨した“国学の四大人”(こくがくのしうし)と呼ばれる。

陸奥国(むつ/青森県)の弘前藩の藩士で絵師や歌人でもある建部綾足(たてべあやたり/俳人)も国学者で、美濃国(岐阜県)の大垣新田藩の藩士で歌人の加藤宇万伎(かとううまき/歌人)は大坂で上田秋成(うえだなりあき/俳人)に学ぶも国学の道を歩む。

荷田春満(かだのあずままろ/学者)の弟子が賀茂真淵(かもまぶち/歌人)、その弟子が平賀源内(ひらがげんない/発明家)となる。

1757年に国学論者の本居宣長(もとおりのりなが/学者)と、京都の出身で儒学や国学を専攻する堀景山(ほりけいざん/学者)は、大坂の木村蒹葭堂(きむらけんかどう/画家)の友人でもあった上田秋成(うえだなりあき/俳人)と、“日の神論争”による神話の現実有無で対立する。

1798年に本居宣長(もとおりのりなが/学者)は自邸でもある鈴屋(すずや)で、“古事記伝44巻”を編集して完成させる。

漢方医学と言われる李朱医学(りしゅいがく)も浸透し、京都の出身の名古屋玄医(なごやげんい/医師)は古方(こほう/漢方)の祖と言われ、後藤民山(ごとうこんざん/医師)や吉益東洞(よしますとうどう/医師)も古方(こほう/漢方)の医学に精通する。

讃岐国(香川県)の寒川郡(さんがわ)の出身の平賀源内(ひらがげんない/発明家)は、大坂や京都に出て学問などを学び、1756年に江戸に出て神田紺屋町に居を構える医学者の田村藍水(たむららんすい/医師)の門下生となる。

そこでは薬学など朝鮮人参を研究した。

その後、薬草栽培に積極的で医学の知識も豊富な讃岐国(香川県)の高松藩の5代目藩主だった松平頼恭(まつだいらよりたか/高松)に仕えるが、平賀源内(ひらがげんない/発明家)は蘭学に疎(うと)かったため解雇される。

再び江戸に出て中川淳庵(なかがわじゅんあん/医師)や杉田玄白(すぎたげんぱく/医師)などと出会い、交流を深めて蘭学を勉学する。

征夷大将軍9代目の徳川家重(とくがわいえしげ/徳川)の医師だった蘭学者の桂川甫三(かつらがわほさん/医師)、その息子の桂川甫周(かつらがわほしゅう/医師)、そして、蘭画を得意とする楠木雪渓(くすもとせっけい)こと宋紫岡(そうしこう/画家)からも影響を受ける。

平賀源内(ひらがげんない/発明家)は、薬学、医学、蘭学、俳句、画家、技術者として多彩な才能を発揮した。

その最も有名なのが壊れかけた“エレキテル”(静電気発生機)を修理して世を驚かせた事にある。

ただ1779年に仕事先の大名屋敷で惨殺事件を起こし、牢屋の伝馬町牢屋敷(てんまちょうろうやしき)に投獄されて獄中死した。

平賀源内…『♪江戸期に武士からぁ〜 技術者に変わるぅ〜』

平賀源内…『♪東海道を探していたぁ〜 汚れもないままにぃ〜』

平賀源内…『♪飾られた行きばのないぃ〜 押し寄せる人波にぃ〜』

平賀源内…『♪本当の学問教えてよぉ〜 壊れかけのエレキテルゥ〜』(♪壊れかけのRadio)

STUFF /♪ AS

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250627 - ラジオの友 URL

2025/06/27 (Fri) 05:59:08

◆◇◆其の四十八:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

若狭国(福井県)の小浜(おばま)の出身で蘭学者の杉田玄白(すぎたげんぱく/医師)、若狭国(福井県)の小浜藩で専属医の中川淳庵(なかがわじゅんあん/医師)、豊前国(ぶぜん/大分県)の中津藩で専属医の前野良沢(まえのりょうたく/医師)は、1771年に江戸幕府の許可を得て小塚原刑場(こづかっぱらけいじょう)にて、オランダから輸入した人体解剖を図解した“解体新書”を元に、吉原遊廓で亡くなった遊女の遺体で日本初の腑分(ふわけ)を実施した。

このオランダの高価な“解体新書”を購入できたのは、若狭国(福井県)の小浜藩の7代目藩主かつ京都所司代(きょうとしょしだい)の酒井忠用(さかいただもち/江戸)と、その家老だった岡新左衛門(おかしんざえもん/江戸)の理解と注力があったからこそである。

1774年に腑分(ふわけ)の実験により、オランダ語で解説されている“解体新書”は、豊前国(ぶぜん/大分県)の中津藩の専属医で蘭学者の前野良沢(まえのりょうたく/医師)や、豊前国(ぶぜん/長崎県)の長崎港の出島で通訳師として仕えていたオランダ語に精通した西善三郎(にしぜんざぶろう/通訳師)が和訳して、出羽国(でわ/秋田県)の秋田藩の武士の小田野直武(おだのなおたけ/武士→絵師)に“解体新書”の作画を依頼して、日本版の“解体新書”を発刊した。

江戸城(えどじょう)から北東側に位置する浅草に天文台があり、1795年にそこの天文方(てんもんがた)に就いてた天文学者の高橋至時(たかはしよしとき/天文学者)は、江戸幕府の依頼により蝦夷国(えぞ/北海道)の測量を実施している。

高橋至時(たかはしよしとき/天文学者)とは、伊能忠敬(いのうただたか/商人)の師匠で、“大日本沿海輿地全図”(だいにほんえんかいよちぜんず)を伊能忠敬(いのうただたか/商人)から引継いで完成させた高橋景保(たかはしかげやす/天文学者)の父親である。

そして、下総国(しもうさ/千葉県)の山辺(九十九里)の出身の伊能忠敬(いのうただたか/商人)は、師匠となる高橋至時(たかはしよしとき/天文学者)から天体、暦、測量を学び、50歳を過ぎてから日本全国を回り測量しながら日本列島の地図となる“大日本沿海輿地全図”(だいにほんえんかいよちぜんず)を製作する。

この時代で最も有名なの人物と言えば、相模国(神奈川県)の足柄(小田原)の出身で農業を営む二宮尊徳(にのみやそんとく/農家)である。

そう、どこの小学校にもある“薪(まき)を背負い読書しながら歩く少年”の二宮金次郎(にのみやきんじろう)の事です。

そんな勤勉な二宮尊徳(にのみやそんとく/農家)は、農地改革のパイオニア(先駆者)でもあった。

ISLEY,JASPER and ISLEY /♪ GIVING YOU BACK THE LOVE

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250627 - ラジオの友 URL

2025/06/27 (Fri) 06:00:08

◆◇◆其の四十九:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

1787年〜1837年までの50年間の長きに渡り征夷大将軍11代目の座に就いてた徳川家斉(とくがわいえなり/一橋→徳川)は、改革政治の“質素倹約”を実施していた老中首座の松平定信(まつだいらさだのぶ/田安→江戸)を1793年に罷免(ひめん)した。

その後は、タガが外れる様に“贅沢三昧”の華美な生活にのめり込んでいく。

俗に言う「大御所時代」(おおごしょじだい)と呼ばれる政権である。

その放蕩(ほうとう)が江戸城下町にも蔓延した。

ただ、その栄華から生まれた文化文明もある。

1750年頃には錦絵の美人画などを得意とする鈴木春信(すずきはるのぶ/浮世絵師)と、その作画を教えた旗本の大久保巨川(おおくぼきょせん/浮世絵師)や、銀座で煙草用品店の“京屋”(きょうや)を営み自らの作品も販売していた山東京伝(さんとうきょうでん/浮世絵師)などが、1688年〜1704年の「元禄文化」を継承する。

そして1804年〜1830年は江戸を中心に、浮世絵、俳句、黄表紙(きびょうし)などが流行し、現代でも人気の高い「化政文化」(かせいぶんか)が華開く。

化政(かせい)とは、元号の“文化”と“文政”の“文”だけを取り除いた名称である。

江戸城下町では、祭、花火、花見を楽しむ町民文化が浸透する。

MANHATTANS /♪ CLOUDY,WITH A CHANCE OF TEARS

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250627 - ラジオの友 URL

2025/06/27 (Fri) 06:01:06

◆◇◆其の五十:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

「化政文化」(かせいぶんか)の芸術家や文化人は数多い。

特に浮世絵や絵画など芸術品が世に広まった。

中国大陸の清で写生画や花鳥画を特徴とする南宗画の沈南蘋(しんなんびん/画家)の技法に影響を受けた絵師も多い。

江戸の出身の司馬江漢(しばこうかん/絵師)もその1人で、浮世絵から洋画、蘭学にまで精通した。

紀伊国(和歌山県)の出身の祇園南海(ぎおんなんかい/画家)は、日本文人画の祖と言われ、木下順庵(きのしたじゅんあん/儒学者)に学問を学ぶ。

大和国(奈良県)の柳沢藩(大和郡山)の藩士だった柳沢淇園(やなぎさわきえん/画家)や、京都の池大雅(いけのたいが/画家)は日本文人画の先駆者と言われる。

大坂の堀江で造酒屋を営んでいた木村蒹葭堂(きむらけんかどう/画家)は、池大雅(いけのたいが/画家)の弟子となり南宗画を学ぶ。

信濃国(長野県)の伊那(飯田)の出身の鈴木芙蓉(すずきふよう/画家)は、南宗画を取り入れた文人画で名を馳(は)せる。

京都の出身の伊藤若冲(いとうじゃくちゅう/画家)は、“動植綵絵”(どうしょくさいえ)を特徴とした鶏や象の絵画が有名。

丹波国(京都府)の穴太(あなお/亀岡)の出身の円山応挙(まるやまおうきょ/画家)は、“覗眼鏡箱”(カラクリ箱)で立体図を観るなど新しい試みにも挑戦し、“足のない幽霊”を初めて描いたと言われる。

KENNY ROGERS /♪ MORNING DESIRE

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250627 - ラジオの友 URL

2025/06/27 (Fri) 06:02:02

◆◇◆其の五十一:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

そして、江戸時代に最も人気があったのが、やはり浮世絵です。

現代でも数々の浮世絵が紹介され、当時の文化を魅了する芸術画とも言える。

大坂の岡田玉山(おかだぎょくさん/浮世絵師)は、葛飾北斎(かつしかほくさい/浮世絵師)や歌川国芳(うたがわくによし/浮世絵師)に影響を与えたと言われる。

その葛飾北斎(かつしかほくさい/浮世絵師)は、“富嶽三十六景”(ふがくさんじゅうろっけい)など多数の作品を残している。

“寛政三美人”や“ビードロを吹く女”が有名な喜多川歌麿(きたがわうたまろ/浮世絵師)。

江戸の出身の鳥居清長(とりいきよなが/浮世絵師)は“濱屋、川岸の涼み”を描いている。

現在でも人気が高い東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく/浮世絵師)の“奴江戸兵衛”は、最も江戸文化に触れる事ができる。

そして歌川派の祖でもある歌川豊春(うたがわとよはる/浮世絵師)は、その屋号の由来(ゆらい)が芝の宇田川町に居住していたためと言う。

弟子の歌川豊国(うたがわとよくに/浮世絵師)に続き、“東海道五十三次”などを描いた歌川広重(うたがわひろしげ/浮世絵師)に、“東都富士見三十六景”の歌川国芳(うたがわくによし/浮世絵師)と、優れた絵師を輩出している。

これら浮世絵や絵画が多くの人に行き渡ったのは、木版などの印刷技術の発展に他ならない。

複数の色彩を織り込む“多色摺絵”(たしょくすりえ)にて、働く人々を描いた色彩豊かな“大日本物産図会”(だいにほんぶっさんずえ)などが登場した。

これらは江戸の日本橋を拠点とする書物問屋の須原屋茂兵衛(すはらやもへえ/出版元)や、その暖簾分けとなる須原屋市兵衛(すはらやいちべえ/出版元)で数多くの錦絵が出版された。

馬喰町では西村屋与八(にしむらやよはち/出版元)が“永寿堂”(えいじゅどう)の屋号で浮世絵の版元を営み、大伝馬町では鶴屋喜右衛門(つるやきえもん/出版元)が地本問屋を営み錦絵の版元を手掛けた。

DONNY HATHAWAY /♪ I KNOW IT'S YOU

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250627 - ラジオの友 URL

2025/06/27 (Fri) 06:02:59

◆◇◆其の五十二:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

江戸時代には感性や知識に文学を織り込んだ和歌や俳句も多く詠まれる。

「化政文化」(かせいぶんか)を代表する信濃国(長野県)の柏原(かしわばら)の出身の小林一茶(こばやしいっさ/俳人)。

それに摂津国(大阪府)の毛馬(けま/都島)の出身で、その後に松尾芭蕉(まつおばしょう/俳人)に憧れて下総国(しもうさ/茨城県)の結城に移り住んだ与謝蕪村(よさぶそん/俳人)。

下野国(しもつけ/栃木県)の那須の出身の早野巴人(はやのはじん)こと夜半亭宋阿(やはんていそうあ/俳人)は、夜半亭(やはんてい)を江戸の日本橋本石町に構えて引き継ぎ、弟子の与謝蕪村(よさぶそん/俳人)、高井几董(たかいきとう/俳人)と続いた。

京都の高井几圭(たかいきけい/俳人)は、夜半亭宋阿(やはんていそうあ/俳人)の弟子となり、その息子の高井几董(たかいきとう/俳人)は与謝蕪村(よさぶそん/俳人)の弟子となった。

炭太祇(たんたいぎ/俳人)や黒柳召波(くろやなぎしょうは/俳人)も与謝蕪村(よさぶそん/俳人)の弟子となる。

京都の望月宋屋(もちづきそうおく/俳人)も夜半亭宋阿(やはんていそうあ/俳人)の影響を受けている。

越後国(新潟県)の出雲崎(三島)の出身で、“曹洞宗”(そうとうしゅう)の僧侶だった良寛(りょうかん/歌人)も、和歌だけでなく書家としての才能を残している。

尾張国(愛知県)の名古屋で薬問屋を営んでいた彭城百川(さかきひゃくせん/画家)は、松尾芭蕉(まつおばしょう/俳人)の弟子となり、丹後国(京都府)の宮津で“芭蕉像”を作成している。

大坂の出身の上田秋成(うえだなりあき/俳人)は、友人だった和歌や俳句にも精通していた木村蒹葭堂(きむらけんかどう/画家)から学び、そこから尾張国(愛知県)の名古屋の出身の加藤暁台(かとうきょうたい/俳人)や、志摩国(三重県)の答志(鳥羽)の出身の三浦樗良(みうらちょら/俳人)なども影響を受けている。

社会風刺や滑稽(こっけい)を織り込んだ和歌の狂歌では、“狂歌三大家”と呼ばれる御家人の大田南畝(おおたなんぽ/歌人)、唐衣橘洲(からごろもきっしゅう/歌人)、朱楽菅江(あけらかんこう/歌人)が有名で、戯作者(げさくしゃ)の平秩東作(へづつとうさく/歌人)も名を馳(は)せた。

平賀源内(ひらがげんない/発明家)の門下生の森羅万象(しんらまんぞう)こと森中良(もりしまちゅうりょう/歌人)も、狂歌師、戯作者(げさくしゃ)、蘭学者と多才ぶりを発揮している。

蔵前の札差(ふださし/貸金業)の夏目成美(なつめせいび/俳人)、大坂の飛脚問屋の安井大江丸(やすいおおえまる/俳人)など、本業の傍(かたわ)らで和歌を嗜(たしな)む人も多かった。

陸奥国(むつ/宮城県)の白石(しろいし)の出身の岩間乙二(いわまおつに/俳人)、陸奥国(むつ/宮城県)の仙台の出身の鈴木道彦(すずきみちひこ/俳人)、江戸は日本橋の絵師の建部巣兆(たけべそうちょう/俳人)なども和歌の世界で活躍している。

尾張国(愛知県)の東海道の宿場町でもある鳴海(なるみ)で造酒屋など商家を営んでいた下郷学海(しもさとがっかい/商人)は、1771年に池大雅(いけのたいが/画家)と与謝蕪村(よさぶそん/俳人)に“十便十宜図”(じゅうべんじゅうきず)の製作を依頼した。

この様に豪商などが芸術家や文化人を支援する仕組みも出来上がっていた。

BARRY MANILOW /♪ SOMEWHERE DOWN THE ROAD

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250627 - ラジオの友 URL

2025/06/27 (Fri) 06:04:03

◆◇◆其の五十三:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

木版などの印刷技術の発展により書物や黄表紙(きびょうし)が大量に生産され、江戸城下町の町人をはじめ日本全国で流行する。

吉原遊廓の門前町で書店を営む蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう/出版元)は、曲亭馬琴(きょくていばきん/作家)を見出した。

その曲亭馬琴(きょくていばきん/作家)は“南総里見八犬伝”(なんそうさとみはっけんでん)を執筆し、息子の滝沢宗伯(たきざわそうはく/医師)も創作活動を手伝う。

その対局の山東京伝(さんとうきょうでん/作家)は、松平定信(まつだいらさだのぶ/田安→江戸)が1787年に実施した「寛政の改革」(かんせいのかいかく)にて出版統制で処罰されるも、弟の山東京山(さんとうきょうざん/作家)が戯作者(げさくしゃ)として活躍する。

この頃は小説など戯作(げさく)が流行して、滝亭鯉丈(りゅうていりじょう/作家)、為永春水(ためながしゅんすい/作家)、唐来参和(とうらいさんわ/作家)、柳亭種彦(りゅうていたねひこ/作家)などの戯作者(げさくしゃ)が登場する。

浮世絵師で戯作者(げさくしゃ)の恋川春町(こいかわはるまち/作家)は、黄表紙(きびょうし)を開拓したとして知られる。

石川雅望(いしかわまさもち)こと宿屋飯盛(やどやのめしもり/作家)は、国学者や狂歌師の傍(かたわ)らで戯作(げさく)も執筆している。

戯作(げさく)の一種の滑稽本を手掛けた浮世絵師でもある式亭三馬(しきていさんば/作家)も活躍した。

駿河国(静岡県)の府中(静岡)の出身の十返舎一九(じっぺんしゃいっく/絵師)は、日本全国にファンがいるくらいの人気作家で、弥次さん喜多さんが登場する“東海道中膝栗毛”(とうかいどうちゅうひざくりげ)が大ブームとなる。

出羽国(でわ/秋田県)の久保田藩(秋田)の武士で作家でもある平沢常富(ひらさわつねとみ)こと朋誠堂喜三二(ほうせいどうきさんじ/作家)は“文武二道万石通”を執筆した。

越後国(新潟県)の魚沼の出身で商家を営んでいた鈴木牧之(すずきぼくし/作家)は“北越雪譜”(ほくえつせっぷ)を執筆した。

KENNY NOLAN /♪ I LIKE DREAMIN'

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250627 - ラジオの友 URL

2025/06/27 (Fri) 06:05:00

◆◇◆其の五十四:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

1650年頃の芝居小屋では、江戸三座と言れていた中村勘三郎(なかむらかんざぶろう/歌舞伎)の中村座、市村羽左衛門(いちむらうざえもん/歌舞伎)の市村座、森田勘弥(もりたかんや/歌舞伎)の森田座(守田座)が人気だった。

それが時代の移(うつ)ろいと共に、新しい芝居小屋が誕生する。

1800年前後の江戸三座と言われたのは都座、桐座、河原崎座である。

昔の江戸三座の興行が出来ない時の控櫓(ひかえやぐら)として、中村座は都座、市村座は桐座、森田座(守田座)は河原崎座を使用していた。

江戸文化では多くの芝居小屋や寄席が設けられ、そこを商いする者、そこで演じる者、その演目を構成する者など、多彩な人種が集まり成り立っている。

歌舞伎や狂言の脚本を手掛ける鶴屋南北(つるやなんぼく/作家)と、その息子の勝俵蔵(かつひょうぞう/作家)に、その弟子には直江屋重兵衛(なおえじゅうべえ/作家)が揃っていた。

大坂は道修町(どしょうまち)の出身の並木五瓶(なみきごへい/作家)は、江戸に出て歌舞伎や狂言の脚本を手掛けた。

芝居小屋で演じる歌舞伎役者の尾上松助(おのえまつすけ/歌舞伎)は、江戸城下町の町人に人気があった。

江戸は馬喰町の三笑亭可楽(さんしょうていからく/噺家)は最古の落語家と言われ、天狗連(てんぐれん/アマチュア)の頃には神社仏閣などで寄席を開いて披露していた。

この頃の人気の歌舞伎の演目は、盗賊5人の物語を演じる“白波五人男”(しらなみごにんおとこ)こと“青砥稿花紅彩画”(あおとぞうしはなのにしきえ)だった。

弁天小僧…『知らざぁ〜 言って聞かせやぁしょう!』

因(ちな)みに、この“白波五人男”(しらなみごにんおとこ)が150年の時を経て“秘密戦隊ゴレンジャー”などの戦隊モノに発展していく。

PEABO BRYSON /♪ IF EVER YOU'RE IN MY ARMS AGAIN

◆ラジオの友◆

■当サイトを閲覧するにあたり/20250626 - ラジオの友 URL

2025/06/26 (Thu) 21:13:17

閲覧者の義務として、このサイト内に掲載されている音楽の5曲以上をお好きなラジオ局にリクエストして下さい。

もし、リクエスト曲が掛かれば幸福度がアップします。

今日のラッキーソングはこれだっ!

松島一夫 /♪おもろない節

◆ラジオの友◆

今日の1枚、お薦めレコード/20250624 - ラジオの友 URL

2025/06/24 (Tue) 06:38:38

◆◇◆其の十九:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

当時の江戸は印刷技術も発展して、江戸城下町の地図を多く残す事が出来ていた。

その恩恵が今でも伝わっており、数多くの古地図がインターネットにて掲載され、ご丁寧なサイトではPDFにより無料でダウンロードが出来る。

その為、比較的に安易に江戸城下町の古地図を入手する事が出来るので、現在の東京がどうやって移ろいできたのか探索するのも面白い。

また、江戸時代のまま、現在でも当時の姿で残っている箇所もある。

その一番が江戸城(えどじょう)の内堀やその石垣でしょう。

他にも探せばあるかも知れません。

では、江戸時代にタイムトリップ。

DEREK & THE DOMINOS /♪ LAYLA

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250624 - ラジオの友 URL

2025/06/24 (Tue) 06:41:11

◆◇◆其の二十:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

江戸幕府の役所に町奉行(まちぶぎょう)があります。

奉行所とは、『これにて一件落着!』の裁判所、『御用だっ!』の警察署、『お主(ぬし)も悪(わる)よのぉ〜』の役所を兼ねた幕府施設である。

江戸城(えどじょう)の東方には2ヶ所の奉行所があり、その1つが北町奉行所です。

この北町奉行所で有名なのが“遠山の金さん” こと遠山景元(とおやまかげもと/江戸)である。

遠山金四郎(とおやまきんしろう)こと遠山景元(とおやまかげもと/江戸)は、江戸幕府の旗本で大目付(おおめつけ)に就いていた。

征夷大将軍11代目の徳川家斉(とくがわいえなり/一橋→徳川)と征夷大将軍12代目の徳川家慶(とくがわいえよし/徳川)に仕えている。

1793年に江戸の屋敷で誕生し、父親の遠山景晋(とおやまかげくに/江戸)は、肥前国(長崎県)の長崎港で外国船の入港を監視する長崎奉行に就いていた。

この遠山氏は、美濃国(岐阜県)の恵那(えな)にある岩村城(いわむらじょう)の城主の遠山景前(とおやまかげさき/土岐→武田)の系統で、武田軍と織田徳川軍が交戦した際に巻き込まれて大きな痛手を受けた一族でもある。

その理由の1つが要所の岩村城(いわむらじょう)にあり、難攻不落の鉄壁の城と言われて、現在でも日本三大山城と言われる。

遠山景元…『やいやい、この桜吹雪が目に入らねぇか!』

このセリフで有名な“遠山の金さん” と言えば“桜吹雪”の彫物(刺青)がトレードマークだが、実際に遠山金四郎(とおやまきんしろう)こと遠山景元(とおやまかげもと/江戸)が彫物(刺青)を入れていたかは不明だそうです。

ただし、北町奉行所の役人になる前は、放浪の遊び人をしていた為に、その時に“手紙を咥(くわ)えた女の生首”の彫物(刺青)を入れていたと言われる。

NILSSON /♪ JUMP INTO THE FIRE

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2025/06/24 (Tue) 06:43:27

◆◇◆其の二十一:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

江戸幕府の北町奉行所の南方にあるのが南町奉行所です。

この南町奉行所で有名なのが“大岡越前守”(おおおかえちぜんのかみ)こと大岡忠相(おおおかただすけ/江戸)である。

大岡忠相(おおおかただすけ/江戸)は、江戸幕府の旗本で、三河国(愛知県)の西太平藩(岡崎)の藩主でもあった。

征夷大将軍5代目の徳川綱吉(とくがわつなよし/徳川)から征夷大将軍9代目の徳川家重(とくがわいえしげ/徳川)まで仕えている。

1677年に江戸の屋敷で誕生し、“暴れん坊将軍”で有名な征夷大将軍8代目の徳川吉宗(とくがわよしむね/徳川)が1716年に実施した「享保の改革」(きょうほうのかいかく)に尽力した。

征夷大将軍9代目の徳川家重(とくがわいえしげ/徳川)の側用人(そばようにん)で、武蔵国(埼玉県)の岩槻藩(いわつき)の藩主に就任した大岡忠光(おおおかただみつ/江戸)は親族である。

東照大権現(とうしょうだいごんげん)となり神君(しんくん/徳川家康)と呼ばれた徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)のお膝元の三河国(愛知県)の岡崎を領域とした大岡氏は、元は藤原氏の系統と言われて、戦国時代から三河国(愛知県)で松平氏(徳川氏)に仕えていたと言う。

因みに“大岡越前守”(おおおかえちぜんのかみ)と名乗っているが、これは官位の名称で、基本的に越前国(福井県)との関連性はない。

BOB DYLAN /♪ Most Likely You Go Your Way (And I'll Go Mine)

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2025/06/24 (Tue) 06:45:55

◆◇◆其の二十二:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

時代劇で最も人気があるのは“鬼平犯科帳”(おにへいはんかちょう)ではなかろうか。

これは実在した鬼平(おにへい)こと長谷川宣以(はせがわのぶため/江戸)を主人公に構成されたフィクションドラマである。

ただ、実際の鬼平(おにへい)こと長谷川宣以(はせがわのぶため/江戸)も、1745年に江戸の屋敷で誕生し、江戸幕府では旗本の火付盗賊改役(ひつけほうぞくあらためかた)に就いていた。

一時は京都にも居たが、また江戸に戻って来てた。

征夷大将軍11代目の徳川家斉(とくがわいえなり/一橋→徳川)の側近で江戸幕府の老中(ろうじゅう)だった松平定信(まつだいらさだのぶ/田安→江戸)に、鬼平(おにへい)こと長谷川宣以(はせがわのぶため/江戸)は仕える。

この時に与力(よりき)や同心(どうしん)のまとめ役となり、強盗や放火魔など重罪を取り締まる火付盗賊改役(ひつけほうぞくあらためかた)に就任した。

そんな上司である松平定信(まつだいらさだのぶ/田安→江戸)が実施した「寛政の改革」(かんせいのかいかく)では、貧民救済の為に1790年に江戸で増加している牢人(無職侍)や無宿(ホームレス)に、江戸城(えどじょう)の東方にある石川島に職業訓練施設の人足寄場(にんそくよせば)を設けて、手に職を付けさせ労働する様に促した。

この人足寄場(にんそくよせば)の設置に鬼平(おにへい)こと長谷川宣以(はせがわのぶため/江戸)は尽力している。

罪人や悪人を懲らしめるだけでなく、罪人や悪人に再びならない様に更生(こうせい)する事も考えていたのが解る。

鬼平(おにへい)こと長谷川宣以(はせがわのぶため/江戸)の屋敷は両国の南東方の菊川にあり、その後、その屋敷に北町奉行所の遠山金四郎(とおやまきんしろう)こと遠山景元(とおやまかげもと/江戸)も住んでいる。

“鬼平犯科帳”(おにへいはんかちょう)と“遠山の金さん” が、同じ屋敷で暮らしていたのが面白い。

DAN FOGELBERG /♪ SONGBIRD

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250624 - ラジオの友 URL

2025/06/24 (Tue) 06:47:56

◆◇◆其の二十三:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

江戸城下町の日本橋の北詰にある日本橋駿河町で越後屋(えちごや)を営んでいた三井高利(みついたかとし/商人)は、1622年に伊勢国(三重県)の松坂で誕生した。

この三井氏は平安時代の摂政や関白を歴任し、藤原一族の栄華を築いた藤原道長(ふじわらみちなが/公家)の系統で、その後の室町時代には近江国(滋賀県)に移り住み琵琶湖の南部を守護する六角氏(ろっかくうじ)に仕える。

そして、戦国時代には京都に上る織田信長(おだのぶなが/織田)が率いる織田軍により、1568年に起こった「上洛戦」(じょうらくせん)にて主君の六角氏(ろっかくうじ)が敗北し、三井氏は逃亡して伊勢国(三重県)の松坂に落ち着いた。

そこで三井氏は武士から商人となり、三井高利(みついたかとし/商人)の父親が越後守の官位だった為に屋号を越後屋(えちごや)とした。

時は江戸時代となり、三井高利(みついたかとし/商人)は伊勢国(三重県)の松坂から江戸城下町に移住して、日本橋駿河町で越後屋(えちごや)を開店させた。

当時の商(あきな)いの慣行(かんこう)は、ツケや掛けの後払いが当たり前で、商人は未収金や不渡りを恐れて売値を高めに設定していた。

しかし、越後屋(えちごや)は売値を低くして現金掛値なしにして、値段交渉をしない定価販売に踏み切り、その商品価値の解りやすさから呉服店を大繁盛させた。

ただし、この商売手法を取り入れたのは三井高利(みついたかとし/商人)ではなく、商家の出身だった母親と言われる。

その後、2人の息子を呉服店の店主に任せて、三井高平(みついたかひら/商人)は京都の京見世(きょうみせ)を担当し、三井高富(みついたかとみ/商人)は江戸見世(えどみせ)を担当した。

こうして最高級呉服と言われる京都の西陣織を、いち早く江戸や松坂で販売できる体制を整えて、三井家は先祖の藤原道長(ふじわらみちなが/公家)の如(ごと)く栄華を極めた。

その後、江戸城下町にて不動産業にも進出して、店舗を所有する大家(賃貸人)となり、店子(たなこ/賃借人)に商売をさせて賃料収入も得ていた。

それが現在の三越百貨店でもあり、三井不動産や三井物産をはじめとした三井財閥です。

そんな三越百貨店が、創業地でもある伊勢国(三重県)を冠(かんむり)した伊勢丹と合併したのは興味深い。

JOHN HIATT /♪ PIRATE RADIO

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250624 - ラジオの友 URL

2025/06/24 (Tue) 06:50:16

◆◇◆其の二十四:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

日本の財界を掌握(しょうあく)した三井家。

では、なぜ江戸城下町の日本橋で商(あきな)いをする商家の三井家が、日本最大級の財閥に成長できたのか?

それは素性(すじょう)が公卿(くぎょう/公家)だった事に尽きる。

三菱財閥の創業者でもある岩崎弥太郎(いわさきよたろう/土佐→実業家)は、土佐国(高知県)の土佐藩の藩士で武士だった事を考えると、格の違いが見える。

江戸城(えどじょう)の北方にある徳川家の菩提寺の傳通院(でんづういん/浄土宗)がある。

その辺りから飯田橋や九段下まで一帯に、明治期には三井家の屋敷があり、その1つに小石川三井家の屋敷があった。

太平洋戦争後に、そんな三井家の令嬢が第124代天皇の昭和天皇(しょうわてんのう/皇族)の御子(みこ/息子)と婚姻する話しが持ち上がる。

要は第125代天皇の平成天皇(へいせいてんのう/皇族)で、今は上皇(じょうこう)である。

現在から見れば、平成天皇(へいせいてんのう/皇族)の妻は正田美智子(しょうだみちこ/日清製粉→皇族)さんなので、三井家の令嬢が皇族に嫁ぐ事は無かった事は分かる。

正田美智子(しょうだみちこ/日清製粉→皇族)さんの実家は、小麦粉やパスタ麺を製造している日清製粉の創業家で、父親の正田英三郎(しょうだひでさぶろう/日清製粉)さんも社長だった。

平成天皇(へいせいてんのう/皇族)と正田美智子(しょうだみちこ/日清製粉→皇族)さんは1959年(昭和34年)に結婚している。

この婚姻は、三井グループが日清製粉グループに負けた瞬間である。

その後、三井家の令嬢は幸薄(さちうす)い人生を歩み、若くして病気で亡くなったと聞きます。

大人達の画策や政略で子供達の生涯を翻弄(ほんろう)する当たり前の時代。

ただ、そんな時代だとしても、その時流に乗る事は理由にもならないし、許される事ではない。

天照大御神(アマテラス)の愛娘の様に、純粋無垢(じゅんすいむく)の天真爛漫(てんしんらんまん)で、真っ白な清心で真っ直ぐに生涯を歩む子供達を、京都伏見の天女母神(てんにょぼじん)をはじめ多くの神様はいつも見守っています。

己(おのれ)の欲望や悪巧(わるだくみ)により子供達の歩む道を穢(けが)す者は、地球をひと蹴りで消滅させる事が出来る京都伏見の天女母神(てんにょぼじん)により重い天誅(てんちゅう)が必ず下ります。

その時は言い訳など聞かず、問答無用です。

地獄に堕(お)ちる程度じゃ、済みませんよ。

CROWDED HOUSE /♪ SOMETHING SO STRONG

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250624 - ラジオの友 URL

2025/06/24 (Tue) 06:52:31

◆◇◆其の二十五:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

徳川御三家(とくがわごさんけ)の水戸徳川家の屋敷があった後楽園を中心に、飯田橋や九段下まで一帯を明治期からは三井家が抑えていた。

そのご縁で三井グループではないが、オブサーバーとして名を連ねるトヨタ自動車の東京本社がこの地にある。

太平洋戦争の前後は、愛知県の地方企業だったトヨタ自動車が皇族や政界に大きく入り込めたのは、この三井財閥の尽力が大きい。

その一端が昭和期〜平成期に掛けて、皇族や政界の黒塗りの移動車にトヨタ自動車のセンチュリーが多いのが理由である。

令和期に入った現代でも、トヨタ自動車の東京本社から東京ドームの一帯を三井不動産を筆頭に再開発を計画している。

そんな誰もが認める日本を代表するトヨタ自動車だが、実は太平洋戦争で敗戦した直後の日本では、御多分に洩れずトヨタ自動車も倒産の危機に陥っていた。

それを救済したのが愛知県を地盤とした東海銀行(UFJ銀行→三菱UFJ銀行)である。

トヨタ自動車の永い社歴の中で、東海銀行(UFJ銀行→三菱UFJ銀行)はメインバンクとしての顔を持っている。

この東海地方を地盤とした幾(いく)つかの銀行が合併して誕生した東海銀行(UFJ銀行→三菱UFJ銀行)だが、その前身の1つが伊藤銀行で、現在のジェイフロントリテイリング(大丸松坂屋)でもある松坂屋もグループである。

戦国時代に織田信長(おだのぶなが/織田)の小姓(こしょう)として仕えていた伊藤蘭丸(いとうらんまる)こと伊藤祐道(いとうすけみち/織田)が、1582年に起こった「本能寺の変」(ほんのうじのへん)にて主君が亡くなり、これを機に武士を引退して、豊臣政権の時代に尾張国(愛知県)で“いとう呉服店”を始め、後々の松坂屋となる。

ここから解る通り、尾張国(愛知県)の東海銀行(UFJ銀行→三菱UFJ銀行)と三河国(愛知県)のトヨタ自動車の関係性は、尾張国(愛知県)の織田信長(おだのぶなが/織田)と三河国(愛知県)の徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)が1562年に締結した「清洲同盟」(きよすどうめい)の再現でもある。

この鉄の結束を感じるエピソードがある。

バブル崩壊で日本の企業が疲弊(ひへい)していた頃、政界では不良債権で苦しむ銀行の再編に動いていた。

その1つが、大阪が本社の三和銀行(UFJ銀行→三菱UFJ銀行)と名古屋が本社の東海銀行(UFJ銀行→三菱UFJ銀行)の合併である。

三和銀行(UFJ銀行→三菱UFJ銀行)とは、江戸時代に大坂の堂島をはじめとした商家の鴻池財閥が源流で、日本生命や大丸百貨店のメインバンクだった。

預金貸出金規模の大きさから三和銀行(UFJ銀行→三菱UFJ銀行)が主導権を握り、見劣りした東海銀行(UFJ銀行→三菱UFJ銀行)の役員や幹部などは社内リストラされ、降格したり退職する者が多く現れた。

商慣行も三和銀行(UFJ銀行→三菱UFJ銀行)の方法に統一した為に、愛知県をはじめ東海地方の東海銀行(UFJ銀行→三菱UFJ銀行)をメインバンクとしていたトヨタ自動車やグループ会社、取引会社の決済方法も変更させられて大混乱が起こる。

特にトヨタ自動車の孫会社以降や取引会社などが三和銀行(UFJ銀行→三菱UFJ銀行)の決済方法に反発して離反し、他銀行に寝返る事例が頻発(ひんぱつ)する。

事態を重く見たトヨタ自動車と政界は、更なる銀行再編として三菱銀行(東京三菱銀行→三菱UFJ銀行)と為替専門の東京銀行(東京三菱銀行→三菱UFJ銀行)を主体とし、三和銀行(UFJ銀行→三菱UFJ銀行)と東海銀行(UFJ銀行→三菱UFJ銀行)を吸収合併させるメガバンクを誕生させる構想を示す。

当の三菱銀行(東京三菱銀行→三菱UFJ銀行)も、トヨタ自動車との取引口座が欲しかったとの思惑もある。

これにより、今度は三和銀行(UFJ銀行→三菱UFJ銀行)の役員や幹部などは社内リストラされ、降格したり退職する者が多く現れた。

これが『倍返しだぁ!』の実態である。

ほんの5年から10年程度の時空を観て人生を歩むと、こう言う目に遭(あ)う。

歴史は単なる嗜好(しこう)や趣味では、無い!

歴史をキチンと理解して把握しなければ、正しい人生の道を歩む事は出来ない。

これもまた、歴史が教えてくれている。

そりゃ、織田信長(おだのぶなが/織田)や徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)を激怒させたら駄目(ダメ)だわなぁ〜

命がなんぼあっても足りへぇんでぇ〜!

BLONDIE /♪ MAN OVERBOARD

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250624 - ラジオの友 URL

2025/06/24 (Tue) 06:55:04

◆◇◆其の二十六:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

日本の政界や財界を掌握していた三井家は、日本橋から飯田橋の一帯を地盤としていたが、江戸城(えどじょう)の南方にも拠点を設けていた。

それが筑後国(福岡県)の島津家の屋敷を購入し、1913年(大正2年)にジョサイアコンドル(イギリス建築家)に設計を依頼して、迎賓館の綱町三井倶楽部(つなまちみついくらぶ)を建設した。

当時は日比谷の鹿鳴館(ろくめいかん)など、外国風の社交場となる迎賓館が多く建設されている。

迎賓館を今風に言えば、ディスコやクラブだろう。

確かにバブル崩壊後、湾岸エリアの田町に誕生したジュリアナ東京も、運営主体はイギリスに拠点を置くレジャー企業が監修し、店舗設計も外国人の女性デザイナーが手掛けていた。

綱町三井倶楽部(つなまちみついくらぶ)とジュリアナ東京は、正(まさ)に時空を超えて繋がっている。

こうして幕末後の明治期に入った頃は、御役目御免となった藩主や大名は武家屋敷を売却し、それを買い漁ったのが明治維新による特権を掴んだ新興勢力や三井家の様な大店(おおだな)です。

ただそれも、太平洋戦争で敗戦しアメリカ流の国家形成が実施されると、自分達で作った仲良しグループの貴族や華族などの特権階級は同じ憂(う)き目に遭う事となる。

JANIS IAN /♪ When You Love Someone

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250624 - ラジオの友 URL

2025/06/24 (Tue) 06:57:18

◆◇◆其の二十七:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

太平洋戦争で敗戦しアメリカ流の国家形成が実施され、1947年に日本国憲法が制定されると、自分達で作った仲良しグループの貴族や華族などの特権階級は廃止され、その上に国家から財産税の負担を求められた。

東京都心に広大な土地の屋敷を構えていた貴族や華族、それに臣籍降下(しんせきこうか)した皇族は税負担に耐えられなくなり、挙(こぞ)って所有する不動産の売却に出た。

この不動産を安値で買い支えたのが西武電鉄グループの創業者で政治家だった堤康次郎(つつみやすじろう/西武電鉄→政治家)さんである。

今なら政治家の特権を活かした不平等なインサイダー取引だが、当時は終戦直後の焼け野原の為に、目先の飯の種(めしのたね)の方が大切である。

品川から高輪の一帯や赤坂などの屋敷を購入した堤康次郎(つつみやすじろう/西武電鉄→政治家)さんは、その土地にホテル事業を展開して、皇族の土地が多かった事もありホテル名をプリンスホテルとした。

今でも存続している品川プリンスホテルや高輪プリンスホテルの敷地がやたら広いのは、この様な事情があるからです。

そんな堤康次郎(つつみやすじろう/西武電鉄→政治家)さんが創業した西武電鉄グループは、その後、非常に複雑な企業の膨張と事業の拡大をする。

滋賀県の農村で生まれ育った堤康次郎(つつみやすじろう/西武電鉄→政治家)さんは一夫多妻を採り入れ、多くの女性との間に多くの子供が誕生している。

そんな数多い子息の内、弟の堤義明(つつみよしあき/西武電鉄)さんが西武電鉄グループをはじめ不動産業の国土(こくど)やプリンスホテルを引き継いだ。

父親と相性が悪く仲違いしていた兄の堤清二(つつみせいじ/セゾン→作家)さんは西武百貨店など流通事業を引継ぎ、後々にセゾングループとした。

その傍(かたわら)で、辻井喬(つじいたかし)の名前で作家としても活躍している。

そして妹の堤邦子(つつみくにこ/西武電鉄→フランス)さんは、父親と大喧嘩をして単身でフランスに移住してしまう。

これが日本のファッション業界を大きく変える出来事となる。

現在でも憧れのファッションブランドの大半が、この堤邦子(つつみくにこ/西武電鉄→フランス)さんがフランスやイタリアから西武百貨店を通じて日本に紹介したものである。

昭和期〜平成期初旬にエルメスの販売権を持っていたのは西武百貨店で、日本全国の主要な西武百貨店にエルメスの店舗が入っていたのは、これが理由です。

他にクリスチャンディオールやルイヴィトン、ジョルジオアルマーニやイヴサンローランなども日本に根付かせている。

バブル期前後はファッションの西武(パルコ・無印良品)として名を馳せたのも、この堤邦子(つつみくにこ/西武電鉄→フランス)さんの功労があってこそである。

ラグジュアリーブランドを集めたセレクトショップの西武ピサ(S&D)が、プリンスホテルのショッピング街に入居していたのも、この繋がりからです。

ファッションだけでなく、プジョーシトロエンやサーブなどのヨーロッパ車を手掛けていた西武自動車販売や、OLD/NEW(オールドニュー)やCASA(カーサ)など飲食店を手掛けていたレストラン西武も、ヨーロッパの風を届けてくれていました。

令和の時代、現在の西武電鉄グループに、堤氏やセゾンと関わりがある組織や団体があるだろうか?

ALICIA KEYS FEAT.MALEAH JOI MOON /♪ KALEIDOSCOPE

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250624 - ラジオの友 URL

2025/06/24 (Tue) 06:59:26

◆◇◆其の二十八:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

江戸城(えどじょう)の外堀には、徳川御三家(とくがわごさんけ)の巨大な屋敷が配置されている。

常陸国(ひたち/茨城県)の水戸城(みとじょう)を拠点とする水戸徳川家は北方の水道橋で、現在は東京ドームや小石川後楽園となっている。

尾張国(愛知県)の名古屋城(なごやじょう)を拠点とする尾張徳川家は西方の市ヶ谷で、現在は防衛省の市ヶ谷駐屯所となっている。

紀伊国(和歌山県)の和歌山城(わかやまじょう)を拠点とする紀州徳川家は南西方の四ツ谷で、現在は赤坂御所となっている。

この徳川御三家(とくがわごさんけ)の広大な屋敷の立地は、武蔵野台地から東海道に掛けて敵陣が侵攻してきた場合の陣営の役目も担っていた。

1603年に開設された江戸幕府の当初は、摂津国(大阪府)の大坂城(おおさかじょう)では豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)の側室の淀君(よどぎみ/浅井→豊臣)と息子の豊臣秀頼(とよとみひでより/豊臣)が御健在で、豊臣家臣団の権力も誇示していた。

その後の1614年に起こった「大坂・冬の陣」と1615年に起こった「大坂・夏の陣」にて、大坂城(おおさかじょう)は炎上し豊臣家が滅亡した。

しかし、戦国乱世を知る外様(とざま)大名もまだまだ御健在で、徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)は信用信頼に置ける親藩(しんぱん)大名や譜代(ふだい)大名を各所に配置して監視の目を光らせていた。

徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)も、いつ寝首を掻(か)かれるやも知れん。

その不安材料がまだ残る江戸時代初期の名残が、水戸徳川家と尾張徳川家と紀州徳川家の広大な屋敷である。

この徳川御三家(とくがわごさんけ)の屋敷は幕末後も土地を切り売りする事なく、ある意味、ほぼ当時の敷地形状を保っている。

過去の遺物を全否定する東京にとって、これは奇跡と言ってよい。

GRACE JONES /♪ WILLIAMS BLOOD

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250624 - ラジオの友 URL

2025/06/24 (Tue) 07:01:38

◆◇◆其の二十九:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

江戸時代の末期、既に江戸幕府の組織構造は限界に近付き、統治不能に陥り権威も下降していた。

時代と世界が江戸幕府の体制に適合しなくなっており、そんな時は誰がどうしようと駄目(ダメ)なものは駄目(ダメ)で、立て直そうとすればする程、悪化の一途(いっと)を辿る。

解り易く言うと、自分の体型がLサイズなのに、Sサイズの服を着ようとする様なもので、強引に着れば当然にSサイズの服は破れる。

そんな時代に、近江国(滋賀県)の彦根藩の16代目藩主で大老に就いていた井伊直弼(いいなおすけ/江戸)が組織改革を実施して、江戸幕府に反発する地方の藩を粛清(しゅくせい)した。

その処罰の中で、長州藩の藩士で私塾の松下村塾(しょうかそんじゅく)の塾長だった吉田松陰(よしだしょういん/長州)や、越前国(福井県)の福井藩の16代目藩主で一橋派の松平慶永(まつだいらよしなが/江戸)の家臣だった橋本左内(はしもとさない/福井)が、伝馬町牢屋敷(てんまちょうろうやしき)で斬首された。

これを1858年に起こった「安政の大獄」(あんせいのたいごく)と呼ぶ。

多くの藩士や役人の恨みつらみを買った井伊直弼(いいなおすけ/江戸)は、江戸城(えどじょう)の桜田門(さくらだもん)に向かう途中に、水戸藩の藩士に襲撃を受けて死去する。

これを1860年に起こった「桜田門外の変」(さくらだもんがいのへん)と呼ぶ。

現在、この井伊直弼(いいなおすけ/江戸)の屋敷があった場所には、警視庁や財務省や国土交通省が集積する官庁街となっている。

その奥が、よく映像に登場する国会議事堂のアングルスポットとなる。

THE CORRS /♪ GOODBYE

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250624 - ラジオの友 URL

2025/06/24 (Tue) 07:04:29

◆◇◆其の三十:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

1860年に起こった「桜田門外の変」(さくらだもんがいのへん)で大混乱を起(き)した江戸幕府。

暗殺された井伊直弼(いいなおすけ/江戸)の後任に就いたのは、陸奥国(むつ/福島県)の磐城平藩(いわきたいらはん)の5代目藩主で老中首座の安藤信正(あんどうのぶまさ/江戸)である。

ところが前任者と同様に、江戸城(えどじょう)の坂下門(さかしたもん)に向かう途中に、水戸藩の藩士に襲撃された。

ただ、この時は安藤信正(あんどうのぶまさ/江戸)も逃亡し、背中に斬り傷を負っただけで命に別状はなかった。

これを1862年に起こった「坂下門外の変」(さかしたもんがいのへん)と呼ぶ。

この5年後の1867年に、京都の二条城(にじょうじょう)にて執り行われた征夷大将軍15代目の徳川慶喜(とくがわよしのぶ/徳川)による「大政奉還」(たいせいほうかん)を考えると、この時期に江戸幕府で就労していた役人はどんな気持ちで働いていたのだろう。

沈み行(ゆ)く大きな船に乗りながら、武士として船と同じく沈む覚悟をしていたのか、はたまた、沈む前に飛び降りて泳いで自分だけでも助かろうとしたのか。

2通りの考え方があると思う。

あなたはどっちだぁ?

OLIVIA NEWTON-JOHN /♪ SOMETHING BETTER TO DO

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250624 - ラジオの友 URL

2025/06/24 (Tue) 07:08:23

◆◇◆其の三十一:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

江戸城(えどじょう)の南西方に立地しているのが紀州徳川家の屋敷と尾張徳川家の屋敷と井伊家の屋敷で、徳川幕府の中でも重要中心武家の3家である。

特に近江国(滋賀県)の彦根藩の井伊家は、戦国時代から徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)に仕えた“赤鬼”と呼ばれた井伊直政(いいなおまさ/今川→徳川)の家系で、井伊隊の武士は朱色の甲冑(かっちゅう)を身にまとう“赤備え”(あかぞなえ)が有名である。

常に徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)の傍(かたわら)に井伊直政(いいなおまさ/今川→徳川)が着いていた事で、江戸幕府の開設が実現できたと言っても過言ではないくらいの功労者である。

その子孫が1860年に起こった「桜田門外の変」(さくらだもんがいのへん)で暗殺された井伊直弼(いいなおすけ/江戸)です。

そんな徳川家や江戸幕府に取って重要な武家を配置したこの地を、後々に紀州徳川家と尾張徳川家と井伊家の其々(それぞれ)の家号から紀尾井町(きおいちょう)と名付けられた。

時は流れ1868年に265年間も続いた江戸幕府も事実上に消滅して、時は明治期の日本新政府の時代に入った。

1869年には江戸幕府の残党も一掃した「戊辰戦争」(ぼしんせんそう)も終わり、明治維新により日本列島は新しい幕開けを予感していた。

ところが日本新政府の内部分裂により、鹿児島県に帰郷していた“維新の三傑”(いしんのさんけつ)と呼ばれる西郷吉之助(さいごうきちのすけ)こと西郷隆盛(さいごうたかもり/薩摩)が国家転覆を目論む首謀者として朝敵とされ、1877年に起こった「西南戦争」にて敗北し自決した。

これでようやく、明治維新により日本列島は新しい幕開けを期待した。

ところが日本新政府が1871年に実施した「廃藩置県」(はいはんちけん)などにより、日本各地の藩士から待遇や処遇の不満が膨張する。

この日本新政府の対応に憤懣(ふんまん)した石川県の加賀藩の藩士が、“元祖の内閣総理大臣”で“維新の三傑”(いしんのさんけつ)と呼ばれる大久保利通(おおくぼとしみち/薩摩)を紀尾井町(きおいちょう)の清水谷(しみずだに)にて暗殺した。

これを1878年に起こった「紀尾井坂の変」(きおいざかのへん)と呼ぶ。

この暗殺の地は、奇(く)しくも徳川家や江戸幕府に取って重要な武家を配置した紀州徳川家と尾張徳川家と井伊家の其々(それぞれ)の屋敷の跡地である。

徳川家や江戸幕府を壊滅させた“維新の三傑”(いしんのさんけつ)の大久保利通(おおくぼとしみち/薩摩)の最期(さいご)の地が紀尾井町(きおいちょう)です。

これは何を物語っているのか?

そこから時は流れて昭和期に入ると、この広大な敷地は1964年に開催される東京オリンピックで多くのインバウンド(訪日観光客)を受け入れるホテルニューオータニと赤坂プリンスホテルの用地となった。

THE ROLLING STONES /♪ LADY JANE

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250624 - ラジオの友 URL

2025/06/24 (Tue) 07:11:13

◆◇◆其の三十二:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

江戸城(えどじょう)の東方には武家屋敷と商人町の日本橋を南北に隔てる内堀の川が流れていた。

ちょうど現在の東京駅の八重洲口(やえすぐち)前の道路辺りである。

その八重洲口(やえすぐち)と言う地名だが、これは外国人から名付けられたものです。

1600年の「関ヶ原の戦」(せきがはらのたたかい)の少し前の徳川家と豊臣家の関係が最高潮に悪化し、日本列島が緊張感に包まれた最悪の時期に、九州は豊後国(ぶんご/大分県)の国東半島(くにさきはんとう)にある臼杵(うすき)に寄港した1隻のオランダ船。

そこに乗員していたのがイギリス人で航海士のウィリアムアダムス(三浦按針/江戸)と、オランダ人で貿易商のヤンヨーステン(耶揚子/江戸)である。

そこから何(なん)やかんやあって、2人の異国人は征夷大将軍1代目の徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)に気に入られて、江戸幕府の貿易顧問に就任した。

ウィリアムアダムス(三浦按針/江戸)とヤンヨーステン(耶揚子/江戸)は武士の位(くらい)を授かり、江戸城(えどじょう)の東方に屋敷も与えられた。

それが現在の東京駅の八重洲口(やえすぐち)の辺りである。

ヤンヨーステン(耶揚子/江戸)が居住した屋敷跡地の地名を、ヤンキー漢字の手法で八重洲(やえす)と名付けた。

そこんとこ、世露死苦(ヨロシク)!

徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)の特にお気に入りとなったウィリアムアダムス(三浦按針/江戸)は、三浦半島の一画に領域も与えられ、日本人妻も娶(めと)り子供も誕生している。

“青い目の侍(サムライ)”である。

この“按針”(あんじん)と言う名前は、航海士に必要な羅針盤にちなんで名付けられた。

一方、そこから400年余り後に、日本からイギリスに渡った“黒い髪のホップアイドル”が居る。

現在は女優などで活躍する鈴木杏樹(すずきあんじゅ/女優)さんである。

ウィリアムアダムス(三浦按針/江戸)の“按針”(あんじん)に名前も似ている。

夏の鎌倉にて、日傘を差して着物を着た鈴木杏樹(すずきあんじゅ/女優)さんが、片手に持つのはお中元の“海苔の詰合セット”のイメージが日本では一般的であろう。

ところがである。

鈴木杏樹(すずきあんじゅ/女優)さんは1990年初旬に、あのカイリーミノーグやデッドオアアライヴなどが名を連ね、ハイエナジービートやユーロビートサウンドを特徴としたイギリスのPWL(ストックエイトキンウォーターマン)に所属して、ジャパニーズポップガールのKAKKO(カコ)してデビューしている。

正(まさ)に“青い目の侍(サムライ)”のウィリアムアダムス(三浦按針/江戸)に相通(あいつう)ずる“黒い髪のホップアイドル”の鈴木杏樹(すずきあんじゅ/女優)さんである。

現在でも鈴木杏樹(すずきあんじゅ/女優)さんは、ディスコのお立ち台に昇ってユーロビートを掛ければ、軽く3時間程度はノンストップで踊れると思います。

GILBERT O'SULLIVAN /♪ We Will

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250624 - ラジオの友 URL

2025/06/24 (Tue) 07:13:18

◆◇◆其の三十三:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

戦国時代末期、一番の衝撃的な出来事と言えば1582年に起こった「本能寺の変」(ほんのうじのへん)ではなかろうか。

天下統一をあと一歩まできた織田信長(おだのぶなが/織田)が、直参家臣の明智光秀(あけちみつひで/斎藤→織田→明智)に討って取られた事件である。

この時、織田信長(おだのぶなが/織田)の側近だった“黒人の侍(サムライ)”と呼ばれた弥助(やすけ/イエズス会→織田)が、京都の妙覚寺(みょうかくじ/日蓮宗)に滞在していた織田氏の後継者で嫡男(ちゃくなん)の織田信忠(おだのぶただ/織田)へ、明智光秀(あけちみつひで/斎藤→織田→明智)による謀反(むほん)の知らせに走った。

その後、明智光秀(あけちみつひで/斎藤→織田→明智)の大軍が妙覚寺(みょうかくじ/日蓮宗)や二条御所(にじょうごしょ)を包囲し、『もはや、これまでぇ!』と悟った織田信忠(おだのぶただ/織田)の側近の有楽如庵(うらくじょあん)こと織田長益(おだながます/織田→茶人)は、甥の織田信忠(おだのぶただ/織田)に切腹を薦める。

こうして織田信忠(おだのぶただ/織田)は自決したのだが、続いて切腹に挑んだ有楽如庵(うらくじょあん)こと織田長益(おだながます/織田→茶人)は、腹に突き刺す小刀のあまりにもの痛さに自決を断念した。

そして、そのまま京都から兄の織田信長(おだのぶなが/織田)が建てた近江国(滋賀県)の安土城(あづちじょう/近江八幡)に逃げ帰ったと言う。

ただその後、有楽如庵(うらくじょあん)こと織田長益(おだながます/織田→茶人)は、豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)や徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)に気に入られ、激変する時代の波を難(なん)なく渡り歩いている。

これは織田信長(おだのぶなが/織田)の弟だからではなく人間性の魅力で、誰の目から視(み)ても人畜無害(じんちくむがい)の性格をしていたのだろう。

戦国時代の最中(さなか)では、有楽如庵(うらくじょあん)こと織田長益(おだながます/織田→茶人)は、出陣する際に落馬し骨折して合戦に参加できなかったと言う。

その合戦の戦術も戦法も下手(へた)で、自他共に認める無能な武将であった。

ただその反面、茶の湯の世界では大いに能力を発揮して、田中与四郎(たなかよしろう)こと千利休(せんのりきゅう/茶人)は茶飲み友達である。

茶道の通名(とおりな)も当初は、武道の才能の無い自分を卑下(ひげ)して無楽如庵(むらくじょあん)だったが、『何も楽しい事が無いのは哀しい。』と言った豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)が“無”を“有”に変更させて有楽如庵(うらくじょあん)になった。

江戸幕府でも徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)から江戸城(えどじょう)の南東方の一等地に屋敷を与えられて、有楽如庵(うらくじょあん)こと織田長益(おだながます/織田→茶人)は茶道を嗜(たしな)みながら暮らしていたと言う。

その有楽如庵(うらくじょあん)こと織田長益(おだながます/織田→茶人)の屋敷があった場所が有楽町(ゆうらくちょう)と名付けられた。

もし、豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)が茶道の通名(とおりな)のアドバイスをしなかったら、この町も無楽町(むらくちょう)になっていました。

そして、あなたと私の合言葉は『無楽町(むらくちょう)で逢いましょう。』だった事でしょう。

DUSTY SPRINGFIELD AND DARYL HALL /♪ WHEREVER WOULD I BE?

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250624 - ラジオの友 URL

2025/06/24 (Tue) 07:15:26

◆◇◆其の三十四:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

戦国時代に徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)を支えた多くの三河国(愛知県)の武将がいる。

その内の1人が服部半蔵(はっとりはんぞう)こと服部正成(はっとりまさなり/徳川)である。

徳川軍では“徳川十六神将”(とくがわじゅうろくしんしょう)に数えられ、服部氏は誰もが知る伊賀国(三重県)の忍者集団だ。

“忍者ハットリくん”の先祖である。

服部半蔵(はっとりはんぞう)こと服部正成(はっとりまさなり/徳川)は徳川軍が飛躍する中で大いに貢献した。

徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)の命も救っている。

1582年に徳川軍の同盟だった織田信長(おだのぶなが/織田)が直参家臣の明智光秀(あけちみつひで/斎藤→織田→明智)に討ち取られた「本能寺の変」(ほんのうじのへん)では、徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)は織田信長(おだのぶなが/織田)の招きで近江国(滋賀県)の安土城(あづちじょう/近江八幡)を見学した後、和泉国(大阪府)の堺で商業都市について視察していた。

そこへ明智光秀(あけちみつひで/斎藤→織田→明智)の謀反(むほん)により、織田信長(おだのぶなが/織田)が死去した知らせが入る。

京都と堺は目と鼻の先。

次に明智軍に狙われるのは同盟軍の徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)である。

しかも徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)は視察団しか引き連れておらず、徳川軍の手勢は少ない。

そこで“徳川四天王”の本多忠勝(ほんだただかつ/徳川)を筆頭に、三河国(愛知県)の岡崎城(おかざきじょう)へ早急に引き返す事となった。

退陣経路は、和泉国(大阪府)の堺から河内国(大阪府)を経由して大和国(奈良県)へ行き、そこから険しい山岳地帯の伊賀国(三重県)を通り伊勢国(三重県)に抜けて、伊勢湾を船で渡り尾張国(愛知県)の知多半島に上陸して、三河国(愛知県)の岡崎城(おかざきじょう)へ帰還する計画だった。

この経路には既に徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)の首を狙う明智軍の武士が潜伏している。

無事に岡崎城(おかざきじょう)へ帰還する成功の確率は低い。

この時に活躍したのが伊賀国(三重県)の忍者集団である。

畿内(きない/関西)の山岳地帯を熟知している伊賀忍者は、明智軍に見つかる事なく安全な経路を案内して、徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)の御一行を無事に伊勢国(三重県)の湊に送り届けた。

服部半蔵(はっとりはんぞう)こと服部正成(はっとりまさなり/徳川)が、伊賀忍者の棟梁(とうりょう)の系統だった事で成し得た成果である。

これが有名な「伊賀越え」(いがごえ)です。

ただ戦国時代は、徳川軍の服部半蔵(はっとりはんぞう)こと服部正成(はっとりまさなり/徳川)にとり、良い事ばかりではなかった。

徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)の妻で今川義元(いまがわよしもと/今川)の姪でもある築山殿(つきやまどの/今川→徳川)と、その息子で徳川氏の後継者だった松平信康(まつだいらのぶやす/徳川)が、甲斐国(山梨県)の武田勝頼(たけだかつより/武田)が率いる武田軍と内通している疑惑が持ち上がった。

同盟軍の織田信長(おだのぶなが/織田)との関係悪化を危惧(きぐ)した徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)が家臣に命じて、1579年に遠江国(とおとうみ/静岡県)の佐鳴湖(さなるこ/浜松)付近で妻の築山殿(つきやまどの/今川→徳川)は斬殺された。

一方、遠江国(とおとうみ/静岡県)の二俣城(ふたまたじょう/浜松)に居た嫡男(ちゃくなん)の松平信康(まつだいらのぶやす/徳川)は切腹を命じられ、その介錯(かいしゃく)に服部半蔵(はっとりはんぞう)こと服部正成(はっとりまさなり/徳川)が指名される。

ヨチヨチ歩きの赤ん坊の時から松平信康(まつだいらのぶやす/徳川)に仕えていた服部半蔵(はっとりはんぞう)こと服部正成(はっとりまさなり/徳川)は、正(まさ)に父親の想いで我が子同然の松平信康(まつだいらのぶやす/徳川)を斬れる筈(はず)もない。

泣き叫ぶ服部半蔵(はっとりはんぞう)こと服部正成(はっとりまさなり/徳川)に代わり、見かねた別の者が切腹した松平信康(まつだいらのぶやす/徳川)を介錯(かいしゃく)した。

そんな人情に厚い伊賀忍者の服部半蔵(はっとりはんぞう)こと服部正成(はっとりまさなり/徳川)は、江戸幕府では江戸城(えどじょう)の要所でもある西方に屋敷を与えられた。

その地が後に半蔵門(はんぞうもん)と名付けられた。

そして営団地下鉄(東京メトロ)の半蔵門線(はんぞうもんせん)や半蔵門駅(はんぞうもんえき)として現代でも名が残っている。

因みにラベンダー色の半蔵門線(はんぞうもんせん)の電車内には、今でも一般乗客に混じって伊賀忍者が潜伏している為に、“痴漢”(チカン)などの悪事を働く悪人に対しては手裏剣(しゅりけん)で仕留(しと)められます。

石鹸(せっけん)の香りがする横の女性に対して、欲望を抑えられない殿方(とのがた)は気を付けましょう。

まだまだ長生きがしたければ、大人しくするのが一番です。

『ニンニン。』

NICK HEYWARD /♪ AUGUST IN THE MORNING

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250624 - ラジオの友 URL

2025/06/24 (Tue) 07:17:19

◆◇◆其の三十五:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

織田信長(おだのぶなが/織田)が“天下布武”を公言した美濃国(岐阜県)の岐阜城(ぎふじょう)と長良川のある岐阜と、飛騨国(岐阜県)の江戸幕府が直轄地として設けた高山陣屋(たかやまじんや)と飛騨山脈(北アルプス)のある高山。

その中間に位置する美濃国(岐阜県)の郡上八幡。

江戸時代には、郡上藩の藩主で奏者番(そうじゃばん)の金森頼錦(かなもりよりかね/江戸)は、自らの出世欲のために領国に厳しい年貢を課していた。

征夷大将軍8代目の徳川吉宗(とくがわよしむね/徳川)が「享保の改革」(きょうほうのかいかく)で採用した、お米の収穫高に限らず決まった年貢の免率を納める「定免制」(じょうめんせい)を導入し、過去数年の収穫高の平均値を年貢としていた。

この「定免制」(じょうめんせい)を郡上藩だけ取止めて「有毛検見法」(ありげけみほう)に切替えて、検見役人が農地を取調べて、その年のお米の収穫高で年貢を決めた。

江戸幕府の美濃郡代(みのぐんだい)の青木次郎九郎(あおきじろくろ/郡上)、勘定奉行(かんじょうぶぎょう)の大橋親義(おおはしちかよし/江戸)、郡上藩の家老の伊藤弥一郎(いとうやいちろう/郡上)により、「有毛検見法」(ありげけみほう)は“公儀御作法”(こうぎごさほう)として、郡上藩の藩主の金森頼錦(かなもりよりかね/江戸)への忖度(そんたく)も加味して実施を決定した。

これにより農民は反発し一揆を起こし、これが美濃国(岐阜県)の郡上から広範囲に拡大していった。

この時に農民代表者数名が美濃国(岐阜県)の郡上から400kmの道程(みちのり)を掛けて武蔵国(東京都)の江戸城まで駕籠訴(かごそ)しに行った。

これを“徳川四天王”の酒井忠次(さかいただつぐ/徳川)の末裔で、出羽国(でわ/山形県)の庄内藩の藩主で老中の酒井忠寄(さかいただより/江戸)が対応した。

事態を重く見た江戸幕府の裁定は、農民代表者数名は一揆の責任を取り斬首となったが、郡上藩の関係者も処分された。

郡上藩の藩主の金森頼錦(かなもりよりかね/江戸)は領地没収の改易(かいえき)となり、美濃郡代(みのぐんだい)の青木次郎九郎(あおきじろくろ/郡上)と勘定奉行(かんじょうぶぎょう)の大橋親義(おおはしちかよし/江戸)と郡上藩の家老の伊藤弥一郎(いとうやいちろう/郡上)は罷免(ひめん)された。

また、“大岡越前守”(おおおかえちぜんのかみ)と呼ばれる大岡忠相(おおおかただすけ/江戸)の親族でもあり、武蔵国(埼玉県)の岩槻藩(いわつき)の藩主で側用人の大岡忠光(おおおかただみつ/江戸)の進言により、江戸幕府の上層部も処分された。

三河国(愛知県)の挙母藩(ころも/豊田)の藩主で若年寄(わかどしより)の本多忠央(ほんだただなか/江戸)は領地没収の改易(かいえき)となり、駿河国(静岡県)の田中藩(藤枝)の藩主で老中の本多正珍(ほんだまさよし/江戸)と、大目付(おおめつけ)の曲淵英元(まがりぶちひでちか/江戸)は罷免(ひめん)された。

これを1754年に起こった「郡上一揆」と呼ぶ。

美濃国(岐阜県)の郡上藩は、丹後国(京都府)の宮津藩から領地移転の転封(てんぽう)により青山幸道(あおやまよしみち/江戸)が新しい藩主となった。

この一連の「郡上一揆」を教訓に、青山幸道(あおやまよしみち/江戸)は領民の融和に貢献するために「郡上踊り」を推奨した。

三十夜を踊り続ける「郡上踊り」、それが300年後の現代まで続いている。

同時期の江戸には、伊予国(愛媛県)出身で文明講談の開祖と言われる馬場文耕(ばばぶんこう/講釈師)が居た。

1754年に起こった「郡上一揆」の原因を作った郡上藩の藩主の金森頼錦(かなもりよりかね/江戸)を題材にした“金森騒動”を、日本橋榑正町(くれまさちょう)の商屋を借りて講釈していたところ、江戸幕府の町廻横目(まちまわりよこめ)に捕らえられた。

その後、“幕府羞恥罪”(ばくふしゅうちざい)により江戸市中を引回しとなり、千住にある小塚原刑場(こづかっぱらけいじょう)で斬首された。

1758年の秋の頃である。

そんな「郡上踊り」を伝承させた青山幸道(あおやまよしみち/江戸)の屋敷かどうかは判らないが、江戸城(えどじょう)の南西方に広大な敷地で青山大膳(あおやまだいぜん)の名称の屋敷が設けられている。

その北方には少し狭いが下野国(しもつけ/栃木県)の青山氏の屋敷もある。

三河国(愛知県)の額田(ぬかた)を拠点とした青山氏の系統で、徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)など松平氏に代々に渡り仕え、常陸国(ひたち/茨城県)の江戸崎藩(えどさき/稲敷)の藩主に就任した青山忠成(あおやまただなり/江戸)の屋敷があった事が青山の地名の由来(ゆらい)とされている。

この地域は言わずと知れた、お洒落の代名詞でもある青山の地です。

実際にファッションのブティックが集結しているのは表参道周辺なのだが、青山一丁目駅の周辺もお洒落な街並みが形成されている。

そんなお洒落と同居するのが東京都内でも最大級の青山霊園である。

この青山霊園、現代科学では説明の付かない出来事が色々と起こる事でも有名である。

まあ、そんな事を言い出したら、1923年(大正12年)の関東大震災や1945年(昭和20年)の太平洋戦争で、多くの死傷者を出し焼け野原となった東京一帯の全てが霊園みたいなものではある。

因みに青山忠成(あおやまただなり/江戸)の妻の父親は、1579年に遠江国(とおとうみ/静岡県)の二俣城(ふたまたじょう/浜松)にて、謀反(むほん)を疑われた徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)の嫡男(ちゃくなん)の松平信康(まつだいらのぶやす/徳川)が切腹する際に、介錯(かいしゃく)する筈だった服部半蔵(はっとりはんぞう)こと服部正成(はっとりまさなり/徳川)に代わり実行した人物である。

SAVAGE GARDEN /♪ TRULY MADLY DEEPLY

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20250624 - ラジオの友 URL

2025/06/24 (Tue) 07:19:15

◆◇◆其の三十六:お江戸の探訪で御座る◆◇◆

江戸幕府は将軍が政権を司るのではなく、側近の田沼意次(たぬまおきつぐ/江戸)が権力を掌握する“田沼時代”となる。

征夷大将軍10代目の徳川家治(とくがわいえはる/徳川)は幼い頃から、祖父の征夷大将軍8代目で愛馬の亘(わたる/愛馬)に跨(またが)り海岸沿いを水飛沫(みずしぶき)を上げながら颯爽(さっそう)と走ってくる“暴れん坊将軍”こと徳川吉宗(とくがわよしむね/徳川)に英才教育を施され、将軍となった暁月(あかつき)には、家臣任せではなく自分が政権を担える様に鍛えられた。

そのため徳川家治(とくがわいえはる/徳川)は当然に、今まで政権運営を実施してきた田沼意次(たぬまおきつぐ/江戸)から実権を取り上げて、自らが指揮する予定だったが・・・

ところが当の本人は政治に全く関心を示さず、側用人の田沼意次(たぬまおきつぐ/江戸)と老中の松平武元(まつだいらたけちか/江戸)の二人三脚で政治を任せ、自分は趣味の将棋に没頭した。

1779年に老中の松平武元(まつだいらたけちか/江戸)が死去すると、徳川家治(とくがわいえはる/徳川)は側用人の田沼意次(たぬまおきつぐ/江戸)に老中を任命する。

表の権力者の老中と裏の権力者の側用人を1人の人物が兼ねるのは江戸幕府の人事としては異例であり、その事からも分かる通り将軍ではなく“将棋指し”(しょうぎさし)としての徳川家治(とくがわいえはる/徳川→棋士)の心意気が読み取れる。

徳川家治…『♪吹け〜ば飛ぶよぅ〜な 将棋の駒に〜』

徳川家治…『♪懸け〜た命を 笑わば笑え〜』

徳川家治…『♪生ま〜れお江戸の 八百八町〜』

徳川家治…『♪月も知って〜る おいらぁ〜の意気地〜』(♪王将)

パチッ

徳川家治…『王手っ!』

その頃、“♪青葉城恋唄”で知られる陸奥(みちのく)の地は仙台。

“独眼竜政宗”で知られる戦国武将の伊達政宗(だてまさむね/伊達→豊臣→徳川)の末裔で、陸奥国(むつ/宮城県)の仙台藩の7代目藩主の伊達重村(だてしげむら/仙台)。

そして、“♪青年おはら節”で知られる雄大な桜島が構える薩摩。

後(のち)に征夷大将軍11代目となる徳川家斉(とくがわいえなり/徳川)の義父で、薩摩国(鹿児島県)の薩摩藩の8代目藩主の島津重豪(しまづしげひで/薩摩)。

この仙台藩の伊達重村(だてしげむら/仙台)は、薩摩藩の島津重豪(しまづしげひで/薩摩)に対して対抗意識が強く、江戸幕府に対して島津重豪(しまづしげひで/薩摩)と同格の官位を授ける様に要求している。

この官位獲得のため伊達重村(だてしげむら/仙台)は、幕閣(ばっかく)の重要人物に多額の賄賂を贈呈している。

そのメンバーをご紹介します。

先(ま)ずはやはりこの人、江戸幕府の権力者となった老中かつ側用人の田沼意次(たぬまおきつぐ/江戸)です。

それに縁故出世を果たした田沼意次(たぬまおきつぐ/江戸)の弟で、徳川御三卿の一橋家の家老に就任した田沼意誠(たぬまおきのぶ/江戸)。

続いて上野国(こうずけ/群馬県)の館林藩の藩主で老中や寺社奉行(じしゃぶぎょう)を歴任した松平武元(まつだいらたけちか/江戸)。

最後に江戸城の伏魔殿(ふくまでん)と言われる大奥で、老女や上臈御年寄(じゅうろうおとしより)を務めた高丘(たかおか/江戸)です。

まさに薩摩藩の島津重豪(しまづしげひで/薩摩)に対する仙台藩の伊達重村(だてしげむら/仙台)の執念は、東軍の伊達政宗(だてまさむね/伊達→豊臣→徳川)VS西軍の島津忠恒(しまずただつね/島津→豊臣→徳川)と言う1600年に起こった「関ヶ原の戦」(せきがはらのたたかい)の再来かと思わせる対抗心である。

一方、武蔵国(埼玉県)の川越藩と出羽国(でわ/山形県)の山形藩の藩主で老中を務めた秋元凉朝(あきもとすけとも/江戸)は、取巻きから“鼻薬を嗅いて”(賄賂)、私腹を肥やす田沼意次(たぬまおきつぐ/江戸)が許せなかった。

その為に、この2人には確執(かくしつ)があった。

征夷大将軍10代目の徳川家治(とくがわいえはる/徳川)や江戸幕府を上下左右に動かせる田沼意次(たぬまおきつぐ/江戸)は、気に食わない秋元凉朝(あきもとすけとも/江戸)を、1767年に武蔵国(埼玉県)の川越藩から出羽国(でわ/山形県)の山形藩へ領地移転の転封(てんぽう)を命じている。

これに反発した秋元凉朝(あきもとすけとも/江戸)は老中を辞任して隠居し、江戸の屋敷から出る事なく、養子の秋元永朝(あきもとつねとも/江戸)に山形藩の藩主を継承させた。

その後も武蔵国(埼玉県)の川越では秋元凉朝(あきもとすけとも/江戸)の影響力が強く、田沼意次(たぬまおきつぐ/江戸)は生涯に渡り、“小江戸”と言われる川越の地に手を出す事が出来なかった。

そんな時代を生きた伊達重村(だてしげむら/仙台)の屋敷かどうか判らないが、青山家の屋敷に隣接して伊達家の屋敷もある。

遠江国(とおとうみ/静岡県)の伊達家と記載されているが、家紋を見る限り系統としては伊達政宗(だてまさむね/伊達→豊臣→徳川)であろう。

征夷大将軍3代目の徳川家光(とくがわいえみつ/徳川)に“伊達のおやじ殿”と呼ばれ懐かれていた伊達政宗(だてまさむね/伊達→豊臣→徳川)だが、江戸城(えどじょう)の大手門や内堀の石垣などを仙台藩の自費で普請(ふしん)している。

そんな宮城県仙台市の英雄でもある“独眼竜政宗”と呼ばれる伊達政宗(だてまさむね/伊達→豊臣→徳川)だが、母親の義姫(よしひめ/最上→伊達)も大きく貢献している事も忘れてはならない。

BRUCE SPRINGSTEEN /♪ DRIVE ALL NIGHT

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2025/06/23 (Mon) 11:33:36

◆◇◆大人のジャズはよろしゅうおすぅなぁ〜◆◇◆

ELLA FITZGERALD /♪ LET'S DO IT (LET'S FALL IN LOVE)

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2025/06/23 (Mon) 11:34:41

JAMIE SHEW /♪ JUST SQUEEZE ME

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2025/06/23 (Mon) 11:35:42

NNENNA FREELON /♪ BLACK IRIS

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2025/06/23 (Mon) 11:36:44

CAILI O'DOHERTY /♪ TWO DEUCES

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2025/06/23 (Mon) 11:37:41

大林武司TBN Trio/♪ BLACK REBEL

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2025/06/23 (Mon) 11:38:38

LITTLE NORTH /♪ THIRD EYE

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2025/06/23 (Mon) 11:39:32

PATRICE RUSHEN /♪ PUTTERED BOPCOM

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2025/06/23 (Mon) 11:40:24

ELEONORA STRINO /♪ I GOT RHYTHM

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2025/06/23 (Mon) 11:41:17

JAKE LECKIE /♪ SANTA TERESA

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2025/06/23 (Mon) 11:42:28

DEZOLVE /♪ NIGHT OF MEGALOPOLIS

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2025/06/23 (Mon) 11:43:28

RODNEY JORDAN /♪ THE ART OF BLAKEY

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2025/06/23 (Mon) 11:44:24

EYAL VILNER BIG BAND /♪ DON'T YOU FEEL MY LEG

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2025/06/23 (Mon) 11:45:23

THE EMPRESS /♪ NICA'S DREAM

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2025/06/23 (Mon) 11:47:15

Boney James /♪ GOT IT GOIN' ON

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2025/06/23 (Mon) 11:48:11

AL FOSTER /♪ SONG FOR MONIQUE

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2025/06/23 (Mon) 11:49:03

BOB JAMES & DAVE KOZ /♪ SMILE

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2025/06/23 (Mon) 11:49:55

JEB PATTON QUARTET /♪ WHISPER NOT

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2025/06/23 (Mon) 11:50:45

NNENNA FREELON /♪ JOURNEY OF THE HEART

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2025/06/19 (Thu) 07:15:48

今夜も始まりました。

深夜ラジオの歌うテールライト(コックピットのドライバーへ)のお時間です。

こんな夜更けでも荷物を運ぶトラックのドライバーさん、ご苦労様です。

お互い眠い目を擦りながら頑張りましょう!

眠気覚ましの音楽をドンドンとお届けしてまいります。

では、最新ヒットナンバーをチェックイットアウト!

1曲目のリクエストは、あのフォークの神様、ボブディランの♪天国への扉です。

さぁ、この曲よ、天国のビリー・ザ・キッドに届けぇ〜

レッツゴーミュージック!

BOB DYLAN /♪ KNOCKIN' ON HEAVEN'S DOOR

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2025/06/19 (Thu) 07:17:32

では、次のリクエストは、エリッククラプトンの♪天国への扉です。

レッツゴーミュージック!

ERIC CLAPTON /♪ KNOCKIN' ON HEAVEN'S DOOR

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2025/06/19 (Thu) 07:18:47

では、次のリクエストは、ベイビーフェイスの♪天国への扉です。

レッツゴーミュージック!

BABYFACE /♪ KNOCKIN' ON HEAVEN'S DOOR

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2025/06/19 (Thu) 07:19:56

では、次のリクエストは、ロジャーウォーターズの♪天国への扉です。

レッツゴーミュージック!

ROGER WATERS /♪ KNOCKIN' ON HEAVEN'S DOOR

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2025/06/19 (Thu) 07:21:22

次のリクエストは、ガンズ&ローゼズの♪天国への扉です。

これが最後の曲になります。

では、また来週、お会いしましょう。

シィーユーネクストウィーク、バァ〜イ!

Guns N' Roses /♪ KNOCKIN' ON HEAVEN'S DOOR

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2025/06/19 (Thu) 07:24:12

ガンズ&ローゼズの♪スウィートチャイルドオブマイン。

スラッシュが奏でるイントロリフのギターソロが何とも言えないが、当人曰(いわ)く、適当に弾いたと語っている。

ああでもない、こうでもないと、企画や計画に沿って大人数で進める事業や作品で、名作が生まれないのと同じで、良い物は偶発的に誕生するのかも知れない。

Guns N' Roses/♪ SWEET CHILD OF MINE

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2025/06/19 (Thu) 07:26:19

カントリー調で歌うシェリルクロウの♪スウィートチャイルドオブマイン。

シェリルちゃんは、この曲でグラミー賞を受賞しました。

SHERYL CROW /♪ SWEET CHILD OF MINE

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2025/06/19 (Thu) 07:27:17

ロッドスチュワートと共同制作したジェフベックの♪ピープルゲットレディ。

JEFF BECK /♪ PEOPLE GET READY

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2025/06/19 (Thu) 07:28:21

ジェフベックと共同制作したロッドスチュワートの♪ピープルゲットレディ。

Rod Stewart/♪ PEOPLE GET READY

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2025/06/19 (Thu) 07:29:18

元ネタのインプレッションズの♪ピープルゲットレディ。

The Impressions /♪ People Get Ready

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2025/06/19 (Thu) 07:30:23

ソウル調モータウン風のスティーヴィーワンダーの♪ゴールデンレディ。

STEVIE WONDER /♪ GOLDEN LADY

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2025/06/19 (Thu) 07:31:19

ラテン調ボサノバ風のホセフェリシアーノの♪ゴールデンレディ。

JOSE FELICIANO /♪ GOLDEN LADY

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2025/06/19 (Thu) 07:32:16

サイケデリック調に歌うドアーズの♪ライトマイファイヤー。

ハートに火を着けちゃうぞぉ!

もっと焦がしてぇ〜!

The Doors/♪ LIGHT MY FIRE

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2025/06/19 (Thu) 07:33:19

カントリー調に歌うホセフェリシアーノの♪ライトマイファイヤー。

火にハートを着けちゃうぞぉ!

熱っ、熱っ〜!

JOSE FELICIANO /♪ LIGHT MY FIRE

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2025/06/19 (Thu) 07:34:17

クリーデンスクリアウォーターリバイバル(CCC)の♪ミッドナイトスペシャル。

カントリーバンドの大御所がカバーしたブルース調カントリー。

C.C.R.(CREEDENCE CLEARWATER REVIVAL) /♪ MIDNIGHT SPECIAL

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2025/06/19 (Thu) 07:35:22

レッドベリーの♪ミッドナイトスペシャル。

哀愁が漂う懐かしきもあり、哀しきもあるブルース調カントリー。

歌はいつでも人間が何をしたのか、歴史の残酷さを教えてくれる。

LEADBELLY /♪ MIDNIGHT SPECIAL

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2025/06/19 (Thu) 07:36:32

ミュージックビデオが印象的なボブディランの♪サブタレニアンホームシックブルースです。

Bob Dylan /♪Subterranean Homesick Blues



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2025/06/19 (Thu) 07:37:43

そのミュージックビデオを“ウィアードアル”ヤンコビックがパロディーにした曲名も♪ボブ。

ボブディランに対してのリスペクト感が満載です。

"Weird Al" Yankovic /♪ Bob

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