都市空間計画区域

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◆絶滅危惧業界、これが日本のディスコだぁ!!◆ - ラジオの友 URL

2025/11/29 (Sat) 10:08:37

●福岡マハラジャ●(復活オープン)

福岡の大人の繁華街でもある中洲(なかす)で2007年に復活オープンした福岡マハラジャです。

那珂川(なかがわ)が流れる明治通沿いに建つ大型商業施設のゲイツビルの上層階に出店し、バブル期のマハラジャを手掛けていた内装業者が施工した事もあり、日本各地に復活オープンしたマハラジャの中では、最も当時に近い内装をしていました。

マネージャー(黒服)などもNOVA21のディスコで働いていた方が携わったのですが、ただ、営業的には恵まれず苦戦していたと聞きました。

時期的にリーマンショックの時ですからね。

結局、2009年に突然にクローズしました。

福岡の中洲(なかす)と言えば、ブロンズブラウンの建物にモスグリーンのアクセントが付いたホテルのイルパラッツォですね。

イタリア人建築家のアルドロッシがデザインし、1989年のバブル絶頂期に開業しました。

ホテルの飲食施設も様々な日本のインテリアデザイナーを起用して、商業店舗の革新的な取組みをしていました。

アメリカ人建築家のジョンジャーディがデザインし1996年に開業したキャナルシティ博多と共に、当時の内装業界では福岡のデザイン建築物は話題騒然でした。

それもこれも、大陸文化が色濃い福岡の地域色でしょうね。

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2025/11/29 (Sat) 13:13:58

●鹿児島マハラジャ●

鹿児島駅と西鹿児島駅(鹿児島中央駅)の中間に位置する繁華街の天文館(てんもんかん)で、1987年にオープンした鹿児島マハラジャです。

動画は九州地区で活躍していたBeBopCrew(ビーバップクルー)のダンスシーンですが、その後の映像では照明も明るくなりダンスフロアとDJブースの全体が映っており、当時のマハラジャが非常によく解ります。

ダンスフロアの床材は大理石で、店内の壁面は後期のマハラジャで使用されたマホガニー調の化粧板とアイボリー色の大理石が貼られています。

お立ち台もしっかりと映っていますね。

九州地区のマハラジャ(長崎、沖縄、福岡)は熊本マハラジャを除き、名古屋レジャー開発が運営していました。

初期の長崎マハラジャでは、当初は大阪レジャー開発が運営する予定だったみたいですが、理由は解りませんが名古屋に変更されました。

この鹿児島マハラジャがある天文館(てんもんかん)の名称の由来(ゆらい)は江戸時代後期まで遡(さかのぼ)ります。

1800年頃の薩摩国(鹿児島県)の薩摩藩の8代藩主だった島津重豪(しまづしげひで/徳川)が、この地域に天体観察する施設の明時館(めいじかん/天文館)を設けました。

薩摩領民は明時館(めいじかん/天文館)を星を観測する天文館(てんもんかん)と呼び、それが定着したと言います。

因みに島津重豪(しまづしげひで/徳川)の娘の近衛寔子(このえただこ)こと広大院(こうだいいん/薩摩→一橋→徳川)は、征夷大将軍11代目の徳川家斉(とくがわいえなり/一橋→徳川)の妻です。

この後に、島津重豪(しまづしげひで/薩摩)の孫の島津斉興(しまずなりおき/薩摩)が10代藩主目に就任し、“お由羅騒動”を引き起こす。

そして息子の島津斉彬(しまづなりあきら/江戸)が11代目藩主に就任し、その家臣だったのが西郷吉之助(さいごうきちのすけ)こと西郷隆盛(さいごうたかもり/薩摩)と大久保利通(おおくぼとしみち/薩摩)と有馬新七(ありましんしち/薩摩)などです。

しかし、島津斉彬(しまづなりあきら/江戸)が急死すると、弟の島津久光(しまずひさみつ/薩摩)の息子の島津忠義(しまずただよし/薩摩)が12代目藩主に就任し、この頃から島津久光(しまずひさみつ/薩摩)と西郷吉之助(さいごうきちのすけ)こと西郷隆盛(さいごうたかもり/薩摩)が対立する様になる。

そして明治維新を迎えて、1868年に起こった「戊辰戦争」(ぼしんせんそう)と、1877年に起こった「西南戦争」に入っていきます。

天文館(てんもんかん)にあった鹿児島マハラジャを振り返るだけで、これだけの鹿児島の歴史が紐解(ひもと)けます。

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2025/11/29 (Sat) 17:51:58

●金沢キング&クイーン●

金沢に流れる犀川(さいがわ)の岸辺に広がる繁華街の片町で、1988年にオープンした金沢キング&クイーンです。

NOVA21が運営する日本海側で唯一のキング&クイーンになり、北陸地方の地域一番店だったと思います。

動画の選曲は80年代中後期ですが、実際に撮影されたのは1995年前後ではないでしょうか?

この金沢キング&クイーンはNOVA21系ディスコの中でも少し特殊で、元々は1985年にオープンした金沢マハラジャでした。

地下1階にあった金沢マハラジャと、真上の1階のテナントを併せて改装し、金沢キング&クイーンとしてオープンしています。

しかもダンスフロアが上下層にあったそうです。

多分ですが、ダンスフロアが2箇所あるNOVA21系ディスコは、ここ金沢キング&クイーンだけだと思います。

そんな金沢キング&クイーンは入店した事はないのですが、エントランスまでは行きました。

仕事で金沢に行った時に、雨が降る夜に金沢キング&クイーンに行こうと思ったのですが、男1人で寂しい奴だったので、なんかエントランスを潜(くぐ)る気になれず、そのまま反転して帰ってきましたね。

今思うと、行けばよかったかなと後悔しています。

ほんと、『世の中、次は無い!』ですね。

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2025/11/29 (Sat) 21:04:25

●京都マハラジャ祇園●

京都の花街(かがい)でもある祇園。

その枢軸に鎮座する八坂神社(やさかじんじゃ)は、須佐之男命(スサノオ)と櫛名田比売(クシナダヒメ)が主祭神となり祇園を見守る。

そんな八坂神社(やさかじんじゃ)の真向かいに建つ祇園会館で、1986年にオープンしたのがマハラジャ祇園です。

マハラジャの中では一番に豪華な内装をしていた中期と言う事もあり、店内が広い大型ディスコと相まって、マハラジャ祇園は“東洋一のディスコ”と言われていました。

そんな豪華内装を感じる事ができないヒップホップダンスの動画ですが、ダンサーが踊る床面の円形模様は迫(せ)り上がるお立ち台でした。

この迫り上がりお立ち台の工事費だけで3000万円を掛けたそうです。

あのジュリアナ東京の経営陣が開店準備の時に、京都のマハラジャ祇園へ視察に訪れ、大型ディスコなどある程度のコンセプトを決定したと聞きましたね。

しかし、ディスコブームの終焉とバブル崩壊で、“東洋一のディスコ”と言われたマハラジャ祇園も1996年にクローズしました。

しかし、同じ祇園会館で2017年にマハラジャ祇園は復活オープンして、NOVA21時代の京都マハラジャグループを統括していた方が携わっていました。

残念ながら、こちらのマハラジャ祇園には行った事がありません。

営業時間が変則的で、大阪からは行く機会がなかったんですよね。

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2025/11/30 (Sun) 10:19:50

●大阪デッセジェニー●

大阪ミナミは難波駅前の千日前に建つなんばグランド花月(NGK/吉本会館)の地下層で、1987年にオープンした吉本興業が運営するデッセジェニーです。

新築工事中の当時は映画館にする予定で施工していましたが、第3次ディスコブームの影響でディスコ営業に変更しています。

その為に店内のフロアが雛壇状(ひなだんじょう)になっていました。

初期のマハラジャや日比谷ラジオシティを手掛けたディスコ設計の巨匠と言われた武藤豊彦さん(MD/武藤デザイン事務所)がデザインを担当しています。

有名な話なのであえて説明不要ですが、店名のデッセジェニーは、当時の吉本興業の社長だった林正之助(はやししょうのすけ)さんがお金にケチだった事を文字って、『銭(ぜに)でっせ!』を反転させてデッセジェニーと明石家さんまさんが名付けました。

友人がアルバイトの面接を受けて不採用になった事もあり、その友人からデッセジェニーの悪評を散々と聞かされ、イメージが悪くなり結局は行かず終(じま)いでした。

確かデッセジェニーのウエイターの採用基準が身長175cm以上で、友人は170cm程度だったと思います。

今の飲食業界で、こんな採用基準を設けている店舗はあるのでしょうか?

大阪ではマハラジャと並んで人気店となり、ジュリアナ東京のブーム時まで存続していましたが、1996年にクローズしています。

その後はゲームセンターになり、少しの期間だが中華レストランを経て、吉本興業の博物館になり、現在はどうなっているか知りません。

動画は吉本興業に所属する若手芸人で、90年代初期に人気を博(はく)した吉本印天然素材(よしもとじるしてんねんそざい)のダンスシーンですね。

この吉本印天然素材(よしもとじるしてんねんそざい)のダンサーでもある芸人の中で、一際(ひときわ)に上手なのがナインティナインの岡村隆史(おかむらたかし/相川)さんです。

それもそのはず、岡村隆史(おかむらたかし/相川)さんは少年時代にはBBOY(ブレイクダンス少年)で、大阪では有名なブレイクダンスチームのマシーン原田さんが率いるエンジェルダストブレイカーズに所属していました。

ただ私事ですが、2007年頃にこのブレイクダンスチームの会社とマンション取引で問題が起こり、あまり良いイメージがないんですよね。

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2025/11/30 (Sun) 11:24:59

●大阪カラパラ●(ディスコみたいなビアホール)

難波駅から東側に延びる南海通に建つスウィング吉本の地下1階にあったディスコみたいなビアホールのカラパラです。

動画は高い天井の店内でライティングの光を浴びながらのダンスシーンの為に、普通に観ればディスコの店内と思います。

しかし、どんな店舗デザインをしてようが、観る側がどう思おうが、カラパラはディスコではなくサントリーが運営するビアホールです。

そのカラクリは店舗設計をした内装業者にあります。

当時は著名な内装デザイナーと乃村工藝社(のむらこうげいしゃ)が組んでテーマパーク型レストランを展開していました。

その1つがカラパラで、ほぼバブル期ディスコの内装をしており、ディスコとの違いはDJブースが無いくらいです。

この乃村工藝社(のむらこうげいしゃ)は同じ手法でカラパラの他にも、道頓堀に架かる戎橋(ひっかけ橋)の北詰で、店内にメリーゴーランドのあるシルクドハーゲンダッツも手掛けています。

あと東京の渋谷などで中華料理屋を展開するソーホーズの店舗も手掛けており、世田谷区の用賀に青龍門WEST、大阪には2002年に進出して、USJ(ユニバーサルスタジオジャパン)の門前町にある商業施設の青龍門ユニバーサルシティと、千日前のなんばグランド花月(NGK/吉本会館)の地下層に青龍門なんば花月店(デッセジェニー跡地)をオープンさせています。

この3店舗には行きました。

青龍門WESTは、店内の壁面にパチンコが台が埋まり一定時間が来ると、フィーバーしてパチンコ台がチカチカと光っていましたね。

青龍門ユニバーサルシティは、店内に人力機関車が設置されたモノレールが敷いてあり、スタッフが人力機関車をこいで料理を運んでいました。

料理を待つお客さんの身からしたら、必死の顔をして人力機関車をこぐスタッフを見て、歩いて持ってきた方が早いと思いましたね。

青龍門なんば花月店は、時折、薄暗い店内で大きな蜘蛛(クモ)のオバケがシャンソンを歌っていました。

この3店舗に共通して言える事は、トイレの仕掛けです。

清王朝の衣装を着た大きな顔の中華民族が居座っていたり、口を開けていたり、機械仕掛けで動いていました。

ただ、テーマパーク型レストランは2年〜3年で飽きられる上に、出店する際の先行投資と、出店してからの設備更新費用が掛かる為に費用対効果が薄くリスクが高い上に、リニューアルを施さないと客足は遠のいていきます。

実際に青龍門なんば花月店は、数ヶ月でクローズしました。

そして青龍門を展開していた運営会社のソーホーズも2004年に経営破綻しましたね。

これは時代に関係なく、現代でも言える事です。

奇抜を狙った店名や商品は、長続きせず老舗(しにせ)になる事はありません。

逆に言えば、そんな奇抜な店舗を選択(チョイス)するお客さんの感性(センス)が問われているのかの知れません。

Re: ◆絶滅危惧業界、これが日本のディスコだぁ!!◆ - ラジオの友 URL

2025/11/30 (Sun) 13:21:14

●竹芝クラブ・ジ・アース●

東京は湾外沿いの竹芝で、1999年にオープンしたクラブ・ジ・アースです。

NOVA21の店舗開発を担っていた方が運営に携わっていました。

確か2005年前後に、1度しか行く事が出来ませんでした。

変な言い回しですが、それもそのはず、初めてクラブ・ジ・アースに行った日が、クローズだったからです。

本来のクラブ・ジ・アースはクラブの営業形態ですが、ラスト営業と言う事もあり、DJに新宿は歌舞伎町のディスコで活躍した“赤シャツDJ”と呼ばれていた松本みつぐ(レッドモンスター)さんが登場し、♪ブンブンダラーなどユーロビートやブラックソウルなどディスコミュージックを掛けていましたね。

良い想い出の『さよならジ・アース』でした。

Re: ◆絶滅危惧業界、これが日本のディスコだぁ!!◆ - ラジオの友 URL

2025/11/30 (Sun) 17:25:16

●横須賀レジーナ●

軍港として有名な神奈川県横須賀市にあったショッパーズプラザ横須賀に入居していたレジーナです。

横須賀と言えば江戸時代末期に、アメリカ軍人のマシューペリー(軍人)が黒船で航海し、相模国(神奈川県)の浦賀(横須賀)に現れた港町です。

そんな時代から軍事色が濃い横須賀に、ダイエーが運営するショッピングセンターのショッパーズプラザ横須賀が1991年のバブル崩壊直前に誕生しました。

そのスーパーマーケットのフロアに、高級ディスコのレジーナがテナントとして入居していた訳です。

近所にある大型スーパーマーケットを思い浮かべながら、動画を観て下さい。

お分かり頂けたでしょうか?

決して安っぽい店内ではなく、六本木のディスコと言われても疑う余地がないくらいの正道のディスコです。

ただ、オープン時がバブル崩壊直前とディスコブームの終焉を迎えていた事もあり、このレジーナは短命に終わったと思います。

1995年頃に仕事で横須賀に行った時に、ショッパーズプラザ横須賀にも立ち寄りましたが、この時点でレジーナは既(すで)にありませんでした。

この手のスーパーマーケット型ディスコは、なにも横須賀のレジーナだけではありません。

なんとNOVA21も御多分(ごたぶん)に洩れず、千葉県浦安市にあるショッパーズプラザ新浦安で、高級ディスコのロイヤルトンを1990年にオープンしています。

確かダイエーが運営する新神戸オリエンタルホテルの商業施設のOPA(オリエンタルパークアベニュー)に神戸キング&クイーンを出店した縁で、ダイエー系の商業施設に出店要請が来ていたと聞きました。

しかし、NOVA21とダイエーのビジネス戦略も、20歳前後の若者層には理解も共感もされる事なく、ロイヤルトンは1992年にクローズしました。

千葉県船橋市に建つららぽーと船橋ショッピングセンター(ダイエーと船橋そごう)にも、店名は忘れましたがディスコがありましたね。

また、中京工業地帯でもある三重県四日市にあった松坂屋にも、四日市キング&クイーンが1991年にオープンしました。

松坂屋のレストランフロアには、高級ディスコの真向かいに回転寿司店があり、その異様な光景が忘れられませんね。

この四日市キング&クイーンも時期的に苦戦しており、一時はランチタイムのバイキング営業(食べ放題)をしていました。

1996年までにはクローズしていたと思います。

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2025/12/01 (Mon) 10:44:01

●浦安ロイヤルトン●

千葉県浦安市にあるショッパーズプラザ新浦安のレストランフロアで、1990年にオープンした高級ディスコのロイヤルトンです。

1992年にクローズし短命だった事や、行った事ある人が少なく、“幻のロイヤルトン”と呼ばれています。

そういう意味では貴重な動画です。

TRFとEXILE(エグザイル)が同じダンスフロアで踊っていますね。

動画はテレビ番組の転用ですが、ダンスチームのZOO(DADA・LMD)が踊るダンスフロアからも豪華な内装が伺えます。

NOVA21は、元々は浦安マハラジャとしてオープンさせる予定でしたが、途中でニューコンセプトに変更して、工事が進行していたマハラジャの内装を壊して、新たにロイヤルトンの内装を施工したと聞きました。

ダンスフロアの天井でクルクル回っている照明器具は、多分ですがロイヤルトンがクローズした後に、名古屋キング&クイーンに移設されたと思います。

ある日、名古屋キング&クイーンに行った時に、この照明器具が増設されている事に気付き、色々な動作をして『面白いな。』と思い、ずっと眺めていた記憶がある。

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2025/12/01 (Mon) 12:24:29

●東京マハラジャ麻布十番●

言わずと知れた東京マハラジャ麻布十番で、日本全国にマハラジャの基盤を築いたディスコです。

動画はテレビ番組内の、ダンスチームのZOO(DADA・LMD)が結成が決定した時だったと思います。

ZOO(DADA・LMD)のダンサーでは、ブレイクダンスブラザーズで兄のクレイジーAさんと弟のナオヤさんのダンスが好きだった。

マハラジャ麻布十番は六本木から遠く離れた、当時は地下鉄の駅も無い麻布十番で1984年にオープンし、陸の孤島と言われた麻布十番での立地に、NOVA21の首脳陣でも反対意見が多かったと聞きました。

それを決定付けたのが熊本マハラジャで、大阪、京都、名古屋、熊本、仙台、札幌の順番でオープンしていたマハラジャの初期店は、基本的に延床面積が330㎡(100坪)前後の小型ディスコが多く、そんな中でも熊本マハラジャは500㎡(151坪)程度の広さがあったそうです。

東京マハラジャも六本木でこの広さのテナントを探したのですが、時はバブル突入期の為に延床面積に見合う賃料が高揚しており、そこで立地を妥協(だきょう)して麻布十番に決定したと言います。

基本的にディスコは居酒屋やコンビニとは違い、そこに行く目的でお客さんが来るので、多少の立地の悪さでも、魅力ある店舗をオペレーションすれば、必ずお客さんは着いてくると言う信念がNOVA21にはありました。

それが見事に当たり、麻布十番と言う希少性やディスコの特別感から、オープンから連日に長蛇の列ができたそうです。

しかも時はサタデーナイトフィーバーの影響を受けた第2次ディスコブームが去り、カフェバーブームが到来しており、ディスコ業界は氷河期を迎えていました。

そんな時代の苦境と奇跡から、ここに“キングオブディスコのマハラジャ”が確立されました。

マハラジャ麻布十番は2層の合計500㎡(151坪)程度で構成され、1階がフロントとアプローチとレストランフロアと展示場(BMWハルトゲを展示しており、後期は客席へ改装)で、階段を上がり2階がダンスフロアと客席とVIPルームとバーカウンターとトイレがありました。

動画ではダンスフロアとバーカウンターが映っています。

日本で一番に有名人が来店したディスコではないでしょうか?

Re: ◆絶滅危惧業界、これが日本のディスコだぁ!!◆ - ラジオの友 URL

2025/12/01 (Mon) 12:48:30

●名古屋クラッシュ●

名古屋の繁華街でもある栄で、1991年にオープンしたクラッシュです。

朝5時まで営業していたディスコ&カフェバーのマハラジャバー(ラジャコート跡地)がクローズした跡地を改装してオープンしています。

上階にはマハラジャウエストがありました。

動画はテレビ番組の名古屋ロケで、東京から新幹線で来たZOO(DADA・LMD)のダンサーを、名古屋駅まで迎えに行ったのはキング&クイーンのスタッフでした。

その動画のダンスシーンで、東京マハラジャ麻布十番のマネージャー(黒服)だったリュウさんと女性ダンサーのユキさんが一緒に踊っていますが、この後にあんな事になるとは・・・

このクラッシュですが、昔にアルバイトしたディスコの先輩からオープニングスタッフに誘われていたのですが、当時は学生のアルバイトではあるが、本格的なカクテルを提供するバーテンダーを目指していたので、丁重にお断りしました。

ただ、その後の直ぐにバブル崩壊が始まり、クラッシュも1年前後でクローズしました。

その理由として、ディスコブームの終焉により集客で苦戦していた事もあるが、それ以上に運営が東京の不動産会社で、税金対策でオープンさせたディスコだった事が大きかったでしょう。

正にバブル景気と共にクラッシュしたディスコでした。

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