都市空間計画区域
◆◇◆日本の絶滅危惧業界、これが昭和期(平成初期も有り)のディスコだぁ!!◆◇◆ - ラジオの友 URL
2025/11/26 (Wed) 10:52:53
●横浜マハラジャ/パート1●
横浜の関内にあるテナントビルの上層階で、1986年にオープンした横浜マハラジャの動画です。
多分ですが選曲や店内ポスターから推測すると、撮影時期は1989年頃かと思います。
ちょうど日本列島がバブルの絶頂期を迎えていた時代です。
夏祭りのイベントを開催していますが、スタッフが着ているサントリーモルツの法被(はっぴ)が、マハラジャを運営していたNOVA21と酒類飲料業のサントリーの関係性を物語っている。
NOVA21が運営する飲食店はサントリー系のお酒を格安仕入し、グラスも協賛品として無償提供されています。
カクテルの登竜門と言うべきカルーアミルクも、カルーアを使用できずサントリー系のモカを使用したモカミルクだった。
ウイスキーやブランデーも、サントリーが取引している酒類しか置いてませんでしたね。
タバコはJT(日本タバコ産業)の自動販売機が設置され、たまにイメージガールが来店して試供品が配布されました。
特にメンソール系のサムタイムを広告目的に、イメージカラーのペパーミントグリーンのコースターと灰皿とマッチが無償提供されてました。
バブル崩壊後は、マハラジャを運営していたNOVA21(賃借人)とテナントビルのオーナー(賃貸人)とで、権利金にまつわる問題が発生し、サントリーが保証をしていた為にトラブルになってましたね。
現在はサントリーも株式上場してませんが、当時はこうした飲食店への使途不明金が多過ぎて、上場基準に抵触する為にサントリーは非上場企業だと聞いた事があります。
その後、負債が膨大となり瀕死となったNOVA21は、経営再建の為にサントリーから人材派遣してテコ入れを図るも、メインバンクだった協和埼玉銀行(あさひ銀行→りそな銀行)が追加融資を断念して不良債権処理に回して、1996年頃にNOVA21は経営破綻してしまいました。
その後のNOVA21グループは解体されたものの、今では海外女性アーティストが来日したら必ず立ち寄る六本木のしゃぶ禅を主体として経営再建しましたね。
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2025/11/26 (Wed) 10:54:42
●横浜マハラジャ/パート2●
横浜マハラジャには一度だけ行った事がありますが、その時に横浜マハラジャと同色(ブルー)の名古屋マハラジャのルピー(飲食チケット)を使用したら、スタッフが気付いてえらい感動していたのを覚えている。
当時は勤務先の都合で横浜市に住んでいたので、スタッフには出身地が愛知県だと伝えて、名古屋のマハラジャやキング&クイーンによく行っていたと話した。
何かの縁と思い名古屋キング&クイーンのポンド(飲食チケット)をあげたら、その後のサービスが満点でしたね。
スタッフ…『名古屋すかぁ! キングすかぁ! 凄いっすねぇ!』
この言葉を連発されて、その後の少しの間、耳にこびり付いて離れなかった。
バブル期に日本列島を網羅したマハラジャも、1998年に最後まで頑張っていた横浜マハラジャがクローズして、一般的にはディスコのマハラジャはこの世から消滅した。
Re: ◆◇◆日本の絶滅危惧業界、これが昭和期(平成初期も有り)のディスコだぁ!!◆◇◆ - ラジオの友 URL
2025/11/26 (Wed) 10:56:05
●横浜マハラジャウエスト/パート1●
横浜マハラジャ(6&7階)と同じテナントビルで同年同月同日にオープンした横浜マハラジャウエスト(地下1階)です。
1991年にクローズし、その後はカラオケショーパブの2001年(弐阡壱年)に替わりました。
マハラジャの中では早くにクローズしているので、東京マハラジャイースト、富山マハラジャ、金沢マハラジャウエスト、和歌山マハラジャと並んで“幻のマハラジャ”と呼ばれています。
そう言う意味では、横浜マハラジャウエストの店内が映る貴重な動画です。
多分、アップ主は当時のスタッフだったのではないでしょうか?
♪チューチュートレインがヒットしたダンスチームのZOO(DADA・LMD)のメンバーも、何人かスタッフとして働いていましたね。
所々で大阪マハラジャや豊橋キング&クイーンのDJをしていたタカリンさんが映っているのに驚いた。
そう言えばタカリンさんから、岐阜マハラジャのVIPルームでTRFの結成を決定した話しを聞きましたね。
♪バッドコミュニケーションを引っ提(さ)げて下積み時代のBzも、全国のマハラジャを巡業してライブイベントを開催してました。
日本の若手アーティストにとっても、音響機材や照明器具が整っているマハラジャは、ちょうどいい広さのライブ会場だったんじゃないかな。
Re: ◆◇◆日本の絶滅危惧業界、これが昭和期(平成初期も有り)のディスコだぁ!!◆◇◆ - ラジオの友 URL
2025/11/26 (Wed) 10:56:55
●横浜マハラジャウエスト/パート2●
メディアなどがバブル映像でジュリアナ東京の扇子フリフリを使用していますが、ジュリアナ東京が芝浦にオープンしたのは1991年で、しかもお立ち台の扇子フリフリが流行したのは1993年頃のバブル崩壊後です。
バブル期のイメージ操作として使用したい気持ちは解るが、公のメディアが堂々とフェイク(偽物)を流すのは如何(いかが)なものか?
日本政府の公認によるメディアのイメージ操作は、戦時中からの慣例でもあるが、バブル期どころか、現代でもフェイク(偽物)の情報操作は継続している。
まあ、それは別として、本物で本当のバブル期は、この横浜マハラジャウエストの動画に凝縮されています。
ワンレンボディコンの女性客は、ほとんどが10代後半〜20代前半で、今の同世代と比べても大人びている。
当時、世界的に流行したティエリーミュグレーやジョルジオアルマーニのスーツに似せた、日本ブランドのピンキー&ダイアンやJ&Rを着こなすのがディスコファッションの定番でした。
店内の装飾も、壁面建材にはミラー(鏡)と大理石が貼られ、アプローチやダンスフロアの床材も大理石です。
キラキラとゴールドに輝く真鍮(しんちゅう)がマハラジャの特色でしたね。
横浜マハラジャウエストは小箱ですが、それでも1億円以上の内装費は掛かっていると思います。
10代後半〜20代前半の客層に対して、数億円規模の店舗を設ける飲食業界。
これが正(まさ)にバブルです。
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2025/11/26 (Wed) 11:43:25
●舞浜エデンロック●
東京ディズニーランドのオフィシャルホテルで、1990年に開業した東京ベイホテル東急(東京ベイ舞浜ホテルクラブリゾート→ グランドニッコー東京ベイ舞浜)に入居していた舞浜エデンロックです。
NOVA21が運営しており、郷ひろみさんがプロデュースした事で話題を集めましたね。
パチンコ屋の123を展開する大阪の延田グループのイメージキャラクターにも郷ひろみさんは長いこと務め、昭和期には心斎橋筋にあったディスコのジュビレーションもプロデュースしていました。
動画ではソウルステップの講習会みたいな感じですが、営業中の舞浜エデンロックはハードコアテクノやパラパラ系ユーロビートが主体だったと思います。
ダンスチームのDADA・LMD(ZOO)のメンバーだった方が踊っていますが、元々は麻布十番のマハラジャのスタッフで、舞浜エデンロックのマネージャー(黒服)として転勤したと聞きました。
その昔に東京ディズニーランドへ彼女と行った時に、開業したばかりの東京ベイホテル東急(東京ベイ舞浜ホテルクラブリゾート→ グランドニッコー東京ベイ舞浜)に宿泊し、その晩にホテル周辺をウロウロと散歩して、舞浜エデンロックのエントランスまでは行ったのですが、彼女がディスコ嫌いで入店拒否されて、舞浜エデンロックに入る事なく帰ってきた思い出があります。
その後、東京のお洒落タウンの表参道も散策し、その時に青山キング&クイーンにも立ち寄りたかったのですが、そのディスコ嫌いな彼女に入店拒否され、結局は行けず終(しま)いになりました。
その数年後の1994年4月に、就職で東京に勤務したのですが、まだ舞浜エデンロックは営業しており行く機会はあったのですが、何せ住んでいた横浜から浦安まで遠かったので行かず終(しま)いでしたね。
ただ、青山キング&クイーンは仕事の勤務先が代々木公園だった事もあり、表参道を経由しており行く事は出来るはずでしたが、残念な事に1993年の年末にクローズしていました。
一方の舞浜エデンロックは、多分ですが1997年頃まで営業していたと思います。
これを教訓に、その時にしか出来ない人生の貴重な経験や体験を、阻害したり妨害したりする恋人や友人は、その瞬間から悪縁を断ち切る決断が重要と感じましたね。
Re: ◆◇◆日本の絶滅危惧業界、これが昭和期(平成初期も有り)のディスコだぁ!!◆◇◆ - ラジオの友 URL
2025/11/26 (Wed) 13:16:14
●名古屋マハラジャウエスト●
1986年に名古屋の栄にオープンした名古屋マハラジャウエストです。
この動画は1995年頃に発売されたパラパラダンスのビデオかと思います。
実は1992年〜1993年の1年半近く、後期の名古屋マハラジャウエストでアルバイトしていました。
ちょうどNOVA21がしゃぶしゃぶ食べ放題のしゃらら亭を展開させている時でした。
18時〜21時まではしゃぶしゃぶ食べ放題で、その後にディスコ営業する二毛作戦略を推進してました。
VIPルームでインタビューを受ける数人のスタッフは、みんな知った馴染みの方々で、ナビゲーターを務める女性(きしめんダンサーズ)も知った方でしたね。
1993年頃に店内をリニューアル工事を実施して、マハラジャのロゴも変更されましたが、これがスタッフやお客さんからかなり酷評されました。
日本列島にナショナルチェーンを展開したNOVA21グループのマハラジャやキング&クイーンが次々とクローズしていく時でしたね。
名古屋もマハラジャイーストとマハラジャ本店が1993年にクローズして、大人をターゲットとした名古屋キング&クイーンと、パラパラを主体とした若者層の名古屋マハラジャウエストの2店舗になり、1994年4月から就職で東京に行く事によりアルバイトを辞めました。
その後の名古屋マハラジャウエストが、このビデオ映像に映っていますが、ただ、経営母体のNOVA21の経営難により、1996年頃に名古屋レジャー開発の部長が独立して名古屋マハラジャウエストを引継ぎ改装し、トロピカルビーチをコンセプトにしたクラブのラグーン(?)としてオープンさせたと聞きました。
しかし、そのラグーン(?)も長続きせず、名古屋キング&クイーンと共に1996年の年末頃に消えていきましたね。
ただし、名古屋地区のマハラジャを経営していた名古屋レジャー開発は、1997年にジェイプロジェクトとして再出発し、現在でも東海地区を中心とした飲食店を展開しています。
ただ、ディスコ(J・MAXや愛知万博の期間限定クラブは別)には手を出していませんが。
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2025/11/26 (Wed) 14:06:49
●仙台マハラジャ●
ディスコのマハラジャは、1982年に大阪の1号店を皮切(かわき)りに、京都、名古屋、熊本、そして1984年に5号店として仙台にオープンしました。
次いで札幌で、マハラジャの代名詞とも言うべき東京の麻布十番は1984年の年末に7号店としてオープンしました。
マハラジャの初期店は、ディスコ設計の巨匠と言われた武藤豊彦さん(MD/武藤デザイン事務所)がデザインしていました。
六本木のエリアや日比谷のラジオシティなども手掛けています。
当初のマハラジャは大人のディスコをコンセプトにして、客単価を向上させる営業努力をしてました。
昭和期のディスコと言えば若者層やヤンキー(不良)が主な客層で、10代後半〜20代前半の若者層では、2000円前後の低い客単価しか売上が取れません。
NOVA21のマハラジャはそんな常識を覆す様に、『夢・華・錯覚。』をコンセプトに豪華な店舗を用意し、25歳以上を主な客層にして、VIPループなども設けて客単価を高める事に尽力していました。
しかし、本部のNOVA21が店舗や営業マニュアルなどハードを用意しても、それを運営する人材などのソフトが追い付かない状態だった。
NOVA21の首脳陣の経営方針を理解できず、女にモテたい一心で派手な水商売に傾斜していき、結局はマハラジャも客単価の低いヤンキーディスコと何ら変わりない状態に陥った。
そんな時の1989年に芝浦のゴールドや大阪のゲネシスがオープンし、日本にブラックミュージックを主体としたクラブブームが巻き起こる。
ただ、当時はバブル経済に支えられて、店舗の売上や利益が低くても、さほど問題が表面化する事は無かったが、1991年のバブル崩壊が始まると、マハラジャをはじめとしたディスコ業界の事態は一変する。
ディスコが赤字店舗でも、グループ全体の経費として扱っていた運営会社は、本体の売上減少に見回れ、真っ先にお金を生まない税金対策のディスコがクローズに追い込まれていった。
これにより1992年から年々とマハラジャなどのディスコがクローズしていき、1998年に日本からディスコ(六本木のヴェルファーレはイベントスペース扱い)は完全に消滅した。
その後も懐古的にディスコは誕生するも、本格的に日本で再び定着したのは2015年頃ではないでしょうか?
マハラジャも東京の六本木と大阪の南船場にオープンし、既にバブル期のマハラジャより長い期間も営業している。
その理由の1つとして、30年の時を経て当時のお客様が60代前後の高齢層となり、生活にも余裕がある為に1万円前後の高い客単価が見込める。
しかも高齢層はリピート率も高く、他の飲食店に目移りせず定期的に通ってくれる。
一方でここに来て、日本のナイトシーンを牽引してきたクラブが衰退している。
理由の1つは、客単価の低い若年層がターゲットにある。
さらにインターネットによるSNS文化が嗜好(しこう)の分散化を生み出し、爆音の中で薄暗い空間でみんなと一体になる事に興味を示さなくなっているのも要因と思われる。
今のクラブ業界が、あの時のディスコ業界と同じ道を辿(たど)ってます。
栄枯盛衰(えいこせいすい)は世の常、歴史は繰り返す。
Re: ◆◇◆日本の絶滅危惧業界、これが昭和期(平成初期も有り)のディスコだぁ!!◆◇◆ - ラジオの友 URL
2025/11/27 (Thu) 13:09:48
●仙台キング&クイーン●
仙台には一度しか行った事ない上に、在来線から東北新幹線への乗り換えで仙台駅での滞在時間は1時間程度だった事もあり、ほぼ未開の地です。
そんな仙台の繁華街にある商店街の“ぶらんど〜む一番町”のテナントビル(3〜4階)にあった仙台キング&クイーンは、後期の1990年にオープンしました。
パラパラから推測すると、映像は1995年頃(?)の仙台キング&クイーンかと思われ、ダンスフロアの2層吹き抜けは開放感がある。
東北地方の大都市でもある仙台は、NOVA21は早くから店舗展開しており、国分町のジジックやサハラをはじめ、サパークラブの最後の20セントやカラオケパブのポパイ&オリーブ、そしてマハラジャやカフェバー&ディスコのラジャコートなどもありました。
そんなマハラジャも、国分町にて初代のマハラジャから北側に1筋上がったテナントビルで2017年に復活オープンしたが、2020年にクローズしている。
インターネット全盛時代の恩恵で、オープン時の動画などを拝見したが、店内の内装や雰囲気を察するに、マハラジャである理由が何処(どこ)にも見当たらなかった。
当時はコロナウイルスが蔓延した時期と重なるが、その伝染病が無かったとしても短命に終わるオーラは出ている。(1度だけ行った名古屋に復活オープンしたマハラジャも同じ理由。)
そんな短命だった仙台マハラジャよりも、その真向かいに建つテナントビルのグランパレビルに興味がそそられる。
先ず、ビル壁面に掲げられるグランパレの大きなロゴ看板!
昭和のキャバレーみたいなロゴが、お洒落と言う言葉以外に見つからない。
Re: ◆◇◆日本の絶滅危惧業界、これが昭和期(平成初期も有り)のディスコだぁ!!◆◇◆ - ラジオの友 URL
2025/11/27 (Thu) 14:08:28
●仙台ラ・レジオン/パート1●
仙台駅北部を通る広瀬通沿いで、商店街の“ぶらんど〜む一番町”の入口に建つイオン系商業施設の仙台フォーラスは、建物の耐震構造上の問題で閉館した。
仙台市民や宮城県民などの待合せ場所としての名所だった仙台フォーラスの地下2階には、大型ディスコのラ・レジオンも入居していた。
マハラジャ系ディスコの仙台キング&クイーンとは、“ぶらんど〜む一番町”の商店街を対峙して店舗を構えており、この2店は仙台の2大ディスコだったと思われる。
1988年のバブル絶頂期にオープンしたラ・レジオンの動画がありました。
ダンスフロアのライティングを中心に撮影されてますが、天井に隙間無く埋め尽くされた過剰な照明器具が、バブル期のディスコを象徴していますね。
DJブースの音響設備を含めた照明器具などのダンスフロアの工事費だけで、1億円以上は掛かっていると思われます。
色鮮やかなライティングに、回転したり上下左右に動く照明器具。
ディスコに行くと必ず、そこの照明器具の動作を30分以上は観察していたライティングフェチだった自分には、たまらない映像です。