都市空間計画区域

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今日の1枚、お薦めレコード/20251003 - ラジオの友

2025/10/03 (Fri) 09:28:11

◆◇◆其の百十四:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

その頃のヨーロッパでは、1943年にドイツ軍の快進撃が止まり劣勢に反転し、同盟国のイタリアも無条件降伏したいた。

「第二次世界大戦」の勝利を確信した連合国のアメリカとイギリスと中華民国は、1943年にエジプトのカイロで首脳会談を開催した。

そして「カイロ会談」では、日本が無条件降伏するまで連合国は攻撃を続ける事が確認され“カイロ宣言”が発表された。

その直後に、そのままイランのテヘランで連合国のアメリカとイギリスとソビエトの首脳会談を開催した。

アメリカのルーズベルト(軍人→第32代アメリカ大統領)、イギリスのチャーチル(軍人→イギリス首相)、ソビエトのスターリン(ソビエト書記長)が参加し、「テヘラン会談」にて現状のドイツ軍に対しての戦術を決定した。

ソビエトのスターリン(ソビエト書記長)は、ドイツ軍が侵攻する東部戦線にてソビエト軍の負担が大きい為に、イギリス軍とアメリカ軍が西部戦線でドイツ軍を挟み撃ちにする戦法を要求した。

こうしてイギリスのチャーチル(軍人→イギリス首相)とアメリカのルーズベルト(軍人→第32代アメリカ大統領)は承諾して、西部戦線の戦術を策定した。

それが「ノルマンディー上陸作戦」である。

1944年6月にアメリカ軍とイギリス軍の連合軍は、フランスの北部に位置するノルマンディーにて、空軍のパラシュート部隊と陸軍の地上部隊による奇襲を敢行(かんこう)する「ノルマンディー上陸作戦」を実施した。

この奇襲攻撃によりフランスを占領下に置いていたドイツ軍は撤退する。

その間にもドイツではロケット弾のV1とV2を開発し、イギリスのロンドンに撃ち込み、市街地では甚大な被害が出る。

一方で、アメリカ軍とイギリス軍は膨大な軍事力にて、ドイツ全土に無差別攻撃を仕掛ける。

1944年8月にアメリカ軍とイギリス軍の連合軍はフランスのパリまで侵攻し、市街地での交戦でドイツ軍は敗北して降伏した。

これにより4年間余りに渡るドイツ占領下からフランスは解かれ「パリ開放」となる。

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20251003 - ラジオの友

2025/10/03 (Fri) 09:28:53

◆◇◆其の百十五:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

1945年2月に、ロシア大陸の西部にあるクリミア半島のヤルタに建つリヴァディア宮殿にて、「第二次世界大戦」の戦争処置について、世界情勢を決定付ける会合が開催された。

アメリカからは大統領のルーズベルト(軍人→第32代アメリカ大統領)、イギリスからは首相のチャーチル(イギリス軍人→首相)、ソビエトからは書記長のスターリン(ソビエト書記長)の3人が会合した「ヤルタ会談」である。

この時期はドイツ軍の敗北はほぼ確定しており、後は日本への軍事制裁を取り決めるだけだった。

東アジアの極東密約では、アメリカのルーズベルト(軍人→第32代アメリカ大統領)はソビエトのスターリン(ソビエト書記長)を別室に呼び寄せ、イギリスのチャーチル(イギリス軍人→首相)を抜きに秘密会談を催した。

議題は「太平洋戦争」での日本への対応と極東問題である。

戦争は長引くにつれて日本軍の戦況は不利となるが、それでも日本軍の執拗(しつよう)な抵抗にアメリカ軍は手を焼いていた。

アメリカは、戦争被害を最小限に抑えて、日本を早期に降伏させるには、日ソ中立条約を締結していたソビエトを「太平洋戦争」に参戦させる事だった。

ソビエトのスターリン(ソビエト書記長)は、アメリカのルーズベルト(軍人→第32代アメリカ大統領)の目的と弱味を見抜いており、ソビエト軍が「太平洋戦争」に参戦する条件を提示した。

日本の占領下だったサハリン南部と千島列島(クリル列島)をソビエトへ割譲し、中国大陸では満州国の一部領土と満州鉄道の権益をソビエトに移行する事を要求した。

会談当初は、アメリカのルーズベルト(軍人→第32代アメリカ大統領)もこれを承認した。

しかし、この決議に最も影響を及ぼす中華民国の蒋介石(しょうかいせき/国民党)には、この時点では報告されなかった。

このアメリカとイギリスとソビエトの会合で、世界の国際秩序が決定された。

しかし、連合国とは言え思惑は一致していない。

ルーズベルト…『アメリカは中国の蒋介石(しょうかいせき/国民党)に軍事援助を実施して極東の統治を行い、アメリカは太平洋、イギリスはアフリカ、ソビエトは自国安定の統制を実施する。』

チャーチル…『社会主義の拡散を目論むソビエトの行動が気掛かりとなっている。』

スターリン…『イギリスのチャーチル(イギリス軍人→首相)は表裏の二枚舌で交渉し、裏で何をするか分からない信用が置けない男である。』

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20251003 - ラジオの友

2025/10/03 (Fri) 09:29:27

◆◇◆其の百十六:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

絶体絶命な日本軍だが、最後の砦(とりで)となったのが小笠原諸島(おがさわらしょとう)の硫黄島(いおうとう)だった。

逆に言えばアメリカ軍も日本列島の壊滅計画を遂行するには、どうしても硫黄島(いおうとう)を制圧しなければならない。

そんなお互いの事情が混在する中で、1945年に硫黄島(いおうとう)の争奪戦が始まった。

日本軍は“一人十殺”(いちにんじゅっさつ)を掲げて“大和魂”の軍団がアメリカ軍に突撃していく。

これによりアメリカ軍にも「太平洋戦争」で甚大な被害や損害を被(こうむ)ったが、根性と信念だけでは戦争は乗り切れず、日本軍は2万人余りが戦死して全滅した。

これを1945年2月に起こった「硫黄島の戦」(いおうとうのたたかい)と呼ぶ。

こうしてアメリカ軍は硫黄島(いおうとう)を占領下に置いて、爆撃機のBー29と戦闘機が離着陸できる飛行機を建設した。

そして日本列島の壊滅計画の通りに、爆撃機のBー29の大群を夜間の日本の上空に飛行させ、大量の爆弾や焼夷弾を市街地に投下した。

爆撃の目的地となったのは、主に日本軍の拠点や軍事工場がある東京、横浜、富山、浜松、名古屋、大阪、神戸、呉(広島県)、鹿児島などの各都市で最低2000人以上の民間人が死去している。

ただ、この時点では、広島の14万人と長崎の7万人の原子爆弾の被災者は、まだ加算されていない。

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20251003 - ラジオの友

2025/10/03 (Fri) 09:30:07

◆◇◆其の百十七:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

等々(とうとう)にアメリカ軍が策定する日本列島の壊滅計画が現実のものとなり、太平洋に位置するサイパンの飛行場から飛び立つ爆撃機のBー29の大群は、昼夜を問わず日本の大都市を空爆し、東京は10万人、名古屋は8000人、大阪は1万人余りの一般人が空襲により死去した。

重傷者を入れるとその数は膨大な人数となり、焼け野原になった市街地では、痛みと苦しみで阿鼻叫喚(あびきょうかん)する呻(うめ)き声が響いた。

アメリカ軍の日本列島の壊滅計画の目的は、軍国主義の大日本帝国に陶酔する日本国民に対して、主要都市へ空襲を実施する事で戦争への抵抗と拒否を生み出す事にあった。

しかし、どれだけアメリカ軍のBー29が日本の大空を覆い爆弾や焼夷弾を大量に投下しても、一向に日本政府と日本軍が降伏宣言する気配がない。

第41代内閣総理大臣の小磯國昭(こいそくにあき/軍人→政治家)の内閣は、この後に及んでも、アメリカとの講和や和平の交渉で「太平洋戦争」を終結させると主張していた。

ある意味、喜劇で喧嘩(ケンカ)してコテンパンに討ちのめされ、目の周りはアザとなり唇から血が滴り落ちている状態で、『今日はこれぐらいにしておいてやる。』と言い放って立ち去る様なものだ。

こうなるとアメリカ軍も作戦変更するしかない。

そこで策定されたのが“日本本土決戦”で、日本列島に上陸して、首都の東京を占領し政府の官僚や日本軍の重鎮を拘束して監禁し、無条件降伏を引き出すしかない。

この“日本本土決戦”の第一弾として決定したのが“沖縄攻略作戦”だった。

アメリカ軍は沖縄県を占領して、東南アジアから日本への物資の輸送を遮断する作戦を策定した。

1945年3月にアメリカ軍は史上最大級の1500隻の軍艦を沖縄県周辺の海域に配備し、18万人の兵士を沖縄本土の西中部から上陸を開始した。

沖縄のビーチに到着したアメリカ軍は、日本軍からの攻撃を身構えたが、銃弾一発も飛んで来なかった。

この時の日本軍は、陸軍指揮官の牛島満(うしじまみつる/軍人)と陸軍参謀長の長勇(ちょういさむ/軍人)が指揮する中で、軍備も兵士も集まらず小規模な軍勢だった為に、沖縄県に点在する陣営を放棄して一極集中作戦を採り、沖縄県の南部に位置する那覇の首里城(しゅりじょう/那覇)の周辺に複数の地下防空壕を設けて布陣した。

首里(しゅり/那覇)に陣営を設けた日本軍は、兵士の少なさを沖縄県民で補(おぎな)い、女性や子供まで兵士として駆(か)り出された。

ただ、どんなに現実から目を背けても、事実を変える事はできず、圧倒的な軍事力と兵士のアメリカ軍は沖縄県の中部と北部を制圧した。

一方で東京の大本営(だいほんえい)は、アメリカ軍の“沖縄攻略作戦”に対して、日本本土への上陸を遅らせる時間稼ぎの思惑があり、逆に言えば日本の本州を守護する為の防衛前線として沖縄県が選定された。

要は日本列島を守る為の沖縄県は、犠牲となる“捨て石”にされた事を意味する。

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20251003 - ラジオの友

2025/10/03 (Fri) 09:30:47

◆◇◆其の百十八:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

1945年4月に、山口県の瀬戸内海の柱島泊地(はしらじまはくち/岩国)に停泊していた戦艦の大和(やまと)に出陣の命令が出された。

しかし、空母が1隻も無い戦況で、戦闘機の護衛が無い中での出陣に、戦艦の大和(やまと)の司令長官に就いていた伊藤整一(いとうせいいち/軍人)は、沖縄県の戦地に着く前に撃沈され、戦艦の大和(やまと)の出陣に反対した。

ただ、窮地に追い込まれた日本軍に取り、もう手筈(てはず)は戦艦の大和(やまと)しか残っておらず、東京の大本営(だいほんえい)からは『日本国民、一億総特攻の先駆けになってくれ。』と嘆願され、伊藤整一(いとうせいいち/軍人)はやむなく承諾した。

こうして戦艦の大和(やまと)は、瀬戸内海の柱島泊地(はしらじまはくち/岩国)を出航して南下したが、九州の南西部に位置する鹿児島県の坊ノ岬(ぼうのみさき)を航行している時に、日本軍の暗号解読し事前察知していたアメリカ軍の戦闘機に総攻撃を受けて、他の軍艦と共に撃沈した。

この時に戦艦の大和(やまと)の司令長官の伊藤整一(いとうせいいち/軍人)を含め日本軍の乗組員も4000人余りが戦死している。

これを1945年に起こった「坊ノ岬沖海戦」(ぼうのみさきおきかいせん)と呼ぶ。

この頃に、九州の最南端に位置する鹿児島県の知覧(ちらん/南九州)に設けられた飛行場では、20歳前後の青年が招集を受けていた。

日本軍の指揮官から言い渡されたのは、フィリピンでの「ルソン島の戦」でアメリカ軍の戦艦に特攻した空軍に“神風特別攻撃隊”(しんぷうとくべつこうげきたい)を参考にした“特別攻撃隊”(特攻隊)を編成する事だった。

その内容は、片道だけの燃料で零戦などの戦闘機に爆弾を搭載し、沖縄県の海域に停泊しているアメリカ軍の軍艦や空母に突撃する事だった。

要は『お国の為に、命を捧げろ。』と言う事である。

知覧(ちらん/南九州)の飛行場から、片道しか飛行できない無数の戦闘機が“爆弾”と“若い命”を乗せて飛び立った。

そして、“特別攻撃隊”(特攻隊)のほとんどの戦闘機がアメリカ軍の軍艦や空母に突撃する前に、アメリカ軍の総攻撃を受けて撃墜された。

フィリピンと同様に、この戦闘機による“神風攻撃”(かみかぜきうげき)はアメリカ軍に大打撃を与えるまではいかず、若い命だけが海に消えていった。

特攻隊員…『お父さん、お母さん、先立つ不幸をお許し下さい!』

フィリピンでの“神風特別攻撃隊”(しんぷうとくべつこうげきたい)や沖縄での“特別攻撃隊”(特攻隊)の日本兵は、この様に叫んで合計で6000人余りが無念の死を遂げた。

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20251003 - ラジオの友

2025/10/03 (Fri) 09:31:31

◆◇◆其の百十九:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

こうして日本本土から援軍も来ないまま沖縄県では、勝てる見込みのない戦闘を日本軍は繰り返していた。

首里(しゅり/那覇)に陣営を設けた日本軍は、アメリカ軍の侵攻により追い詰められ、首里(しゅり/那覇)の陣営を放棄して沖縄県の最南端に退却した。

この日本軍に取り最悪な戦況は沖縄県の住民も同じで、異国のアメリカ軍を恐怖に感じて日本軍の退却に同行した。

しかし、戦争の状態で軍隊に取って、一般人は足手まといでしかない。

敵国のアメリカ軍も、日本軍の兵士なのか沖縄県の住民なのか区別が付かず、発見されれば速攻で射殺されていた。

更に信じ難(がた)い事に、味方である筈(はず)の日本軍からも虐待を受け、沖縄県の住民をスパイ扱いして処刑したり、狭い防空壕などは日本兵を優先させ沖縄県の住民を外に放り出していた。

こうして日本軍による迫害(はくがい)を受けた沖縄県の住民は、郷里(きょうり)でもある沖縄県で行く場を失う。

更に狂気に満ちた日本軍は、アメリカ軍に発見される恐れのある泣く赤子を殺害したり、アメリカ軍に投降する沖縄県の住民を背後から射殺したり、沖縄県の住民に手榴弾を渡して自決の強要させたりした。

この様に痛みと苦しみで阿鼻叫喚(あびきょうかん)する呻(うめ)き声が響く沖縄県は、地獄と見間違う程の凄惨な戦地しか残っていなかった。

一方で、日本軍の負傷した兵士を収容する医療施設には、若い女性で結成された看護師の姫百合学徒隊(ひめゆりがくとたい)が勤務していた。

しかし、戦況の悪化と共に次々と医療施設も閉鎖され、沖縄県の住民と同様に姫百合学徒隊(ひめゆりがくとたい)も荒崎海岸(あらさきかいがん/糸満)で集団自決などにより130人余りが戦死している。

この時の最も多くの犠牲者を出したガマ(鍾乳洞)の上部に慰霊塔の“ひめゆりの塔”が創建された。

沖縄県の最南端まで追い詰められた日本軍は、陸軍指揮官の牛島満(うしじまみつる/軍人)と陸軍参謀長の長勇(ちょういさむ/軍人)が自決した事により、アメリカ軍の“沖縄攻略作戦”は6月に3ヶ月間の戦闘を終結させた。

これを1945年3月に起こった「沖縄戦」(おきなわせん)と呼ぶ。

日本政府と日本軍から“捨て石”にされた沖縄県の一帯では、12万人が戦死し沖縄県の住民の1/4が命を奪われている。

現在でも、沖縄県の住民の一部にはその遺恨(いこん)が残り続けて、本州に住む日本人を“ヤマトンチュー”(大和民族の馬鹿者)と呼んでいる。

その沖縄県の住民の気持ちは、痛いほど理解できる。

昨今(さっこん)、歪(ゆが)んだ大義や正義を自負する人間が、人間を懲(こ)らしめるパワハラの本性を曝(さら)け出している。

日本軍が沖縄県の住民に実施した虐待行為と、何ら変わりは無い。

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20251003 - ラジオの友

2025/10/03 (Fri) 09:32:09

◆◇◆其の百二十:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

アメリカ軍の日本列島の壊滅計画の実行により、日本各地の大都市が空襲で焼け野原となり、1945年3月に起こった「沖縄戦」(おきなわせん)で沖縄県がアメリカ軍に占領された事などから、第41代内閣総理大臣の小磯國昭(こいそくにあき/軍人→政治家)が担う内閣は責任を取り総辞職した。

しかし、この日本の困窮する戦況で、続いて総理大臣に就きたい者など、皆無に等しい。

第124代天皇の昭和天皇(しょうわてんのう/皇族)から、海軍の鈴木貫太郎(すずきかんたろう/軍人→政治家)に第42代内閣総理大臣へ就任する様に懇願(こんがん)され、高齢を理由に断り続けたが、結局に大和民族として勅命(ちょくめい)を無碍(むげ)に断る訳にもいかず承諾した。

“火中(かちゅう)の栗を拾う”思いで第42代内閣総理大臣の鈴木貫太郎(すずきかんたろう/軍人→政治家)が担う内閣が1945年4月に開始された。

この時は海軍には軍艦や空母は全て撃沈され1隻も残っていなかった。

そこで陸軍は、軍備と兵士の集約化と効率化の為に海軍と合併させる案を提示する。

これに海軍は反発し、明日は全滅しているかも知れない日本の国内で、未だに内部分裂している日本軍だった。

溜息(ためいき)しか出ない第42代内閣総理大臣の鈴木貫太郎(すずきかんたろう/軍人→政治家)だったが、取り敢えず内閣は陸軍と海軍の均衡の取れた人事に着手した。

その際に陸軍から内閣への協力条件として3項目が提示された。

①:陸軍の強硬派の阿南惟幾(あなみこれちか/軍人)を陸軍大臣に就任させる。

②:鈴木貫太郎(すずきかんたろう/軍人→政治家)の内閣が、日本が不利にならない様に「太平洋戦争」こと「大東亜戦争」を終結させる。

③:アメリカ軍の侵攻による日本本土決戦の対策を策定する。

こうして第42代内閣総理大臣の鈴木貫太郎(すずきかんたろう/軍人→政治家)は、陸軍大臣に阿南惟幾(あなみこれちか/軍人)を就任させ、海軍大臣には穏健派で第37代内閣総理大臣だった米内光政(よないみつまさ/軍人→政治家)が就任し、外務大臣には外交官の東郷茂徳(とうごうしげのり/政治家)が就任した。

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20251003 - ラジオの友

2025/10/03 (Fri) 09:32:51

◆◇◆其の百二十一:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

この時期には同盟国のドイツも、イギリス軍とソビエト軍の総攻撃に遭い敗北が確定していた。

そこで日本はアメリカとの戦争で生き残るには、ソビエトの協力がどうしても必要との認識で一致した。

強硬派の陸軍大臣の阿南惟幾(あなみこれちか/軍人)は、『アメリカ軍の侵攻による日本本土決戦の防御戦として、ソビエトとの日ソ中立条約の再締結を確実にして、アメリカ軍へソビエト軍が加勢する事を防止しなければならない。』と主張した。

穏健派の海軍大臣の米内光政(よないみつまさ/軍人→政治家)は、『アメリカ軍へソビエト軍が加勢する事を防止するだけでは国交は不安定で、それよりも日本はソビエトと同盟を締結して味方に引き込む必要がある。』と主張した。

穏健派の外務大臣の東郷茂徳(とうごうしげのり/政治家)は、『世界情勢とソビエトの立場を鑑(かんが)みると双方の意見は不可能で、最後の手段はソビエトの仲介でアメリカとの講和や和平の交渉を実施する事である。』と主張した。

そんな状況下で、今までの議論が全て無駄になるソビエトから日本に取り最後通告が伝達された。

ソビエトの言い分は、敵国のドイツに対して軍事支援を実施し、アメリカとイギリスの連合軍と戦争を実施した事は、日ソ中立条約の約定違反に該当し、即ち日ソ中立条約の廃棄と再締結はないと主張してきた。

こうなると「太平洋戦争」こと「大東亜戦争」に、ソビエトが本格的に参戦する可能性が出てきた。

ソビエトの日本との和平条件は、1904年に起こった「日露戦争」の敗北により締結したポーツマス条約や先般に締結した日ソ中立条約の廃棄し、ソビエトと日本の関係性を「日露戦争」以前に遡及(そきゅう)し41年前に戻す事である。

こうなると日本も万策尽(ばんさくつ)き、強硬派の陸軍大臣の阿南惟幾(あなみこれちか/軍人)の意見が強くなってきた。

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20251003 - ラジオの友

2025/10/03 (Fri) 09:33:29

◆◇◆其の百二十二:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

陸軍としては、日本はまだ日本列島以外にも中国大陸や東南アジアを占領下に置いており、それら領民も併せてアメリカ軍に後退する事なく“一億総特攻”の精神で突撃して徹底抗戦する方針が示された。

この“一億総特攻”の施策を前提とした第124代天皇の昭和天皇(しょうわてんのう/皇族)が参加した御前会議(ごぜんかいぎ)では、『日本古来の天皇制を守護しつつ、「太平洋戦争」こと「大東亜戦争」では日本軍の兵士が1人になるまでアメリカ軍と戦い抜き、その為には日本本土での決戦もやむを得ない。』との国策が決定した。

これに危機感を抱いたのが長年に渡り昭和天皇(しょうわてんのう/皇族)の侍従(じじゅう)を務める内大臣の木戸幸一(きどこういち/政治家)だった。

こうして内閣でも穏健派の海軍大臣の米内光政(よないみつまさ/軍人→政治家)と外務大臣の東郷茂徳(とうごうしげのり/政治家)を取り込み、アメリカとソビエトとの外交により戦争の早期終結を模索(もさく)し始めた。

そこでソビエトとの和平交渉の大役に抜擢されたのが、第34代と第38代〜第39代内閣総理大臣だった近衛文麿(このえふみまろ/公卿→政治家)である。

この施策には第124代天皇の昭和天皇(しょうわてんのう/皇族)も同意した。

しかし、世界情勢に精通した近衛文麿(このえふみまろ/公卿→政治家)は、内心では『ソビエトとの和平交渉の実現は既に不可能で、日本が無条件降伏する以外にも戦争の終結する手段は無い。』と思考していたが、昭和天皇(しょうわてんのう/皇族)からの詔勅(しょうちょく)とあって引き受けた。

そこで窮地に追い込まれた日本は、敵方に回したくないソビエトに譲歩した条件を提示した。

①:中国大陸の内モンゴルの一帯をソビエトの占領地として日本は承認する。

②:満州国の北部地域に敷設された鉄道および関連施設の権益をソビエトに譲渡する。

③:遼東半島(りょうとうはんとう)の旅順(りょじゅん)と大連(だいれん)にソビエトの租界(そかい)を公認する。

④:日本海における日本に有利に漁業権の解消する。

⑤:日本が占領した樺太(カラフト)南部をソビエトに返還する。

⑥:北海道の北部にある千島列島(ちしまれっとう)の北部をソビエトに割譲する。

⑦:ソビエトの船舶に対して津軽海峡を自由に航行できる様に開放する。

しかし、ここまでの日本の政府と日本軍による労力と時間を全て無駄にする出来事が、海の向こう側では起こっていた。

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20251003 - ラジオの友

2025/10/03 (Fri) 09:34:10

◆◇◆其の百二十三:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

1945年2月にロシア大陸の西部にあるクリミア半島のヤルタに建つリヴァディア宮殿にて、アメリカからは大統領のルーズベルト(軍人→第32代アメリカ大統領)、イギリスからは首相のチャーチル(イギリス軍人→首相)、ソビエトからは書記長のスターリン(ソビエト書記長)の3人が会合した「ヤルタ会談」が開催された。

その会合では、イギリスとフランスとアメリカとソビエトの連合国と、ドイツとイタリアと日本の同盟国が交戦した「第二次世界大戦」の戦後処理の問題と対応が話し合われ決定した。

そこの決議事項に伴い、アメリカ軍とイギリス軍の連合国軍は、ヨーロッパ大陸からドイツとの国境に侵攻していた。

アメリカは膨大な軍事力と経済力でソビエトに支援を実施した。

1945年2月に11日間ほど開催した「ヤルタ会談」の終了後、ソビエト軍は東ヨーロッパに侵攻を開始した。

ソビエトが占領下に置いた地域は、共産主義が浸透していった。

そして、イギリスのロンドンからポーランドへ帰国した、ポーランド亡命政府の幹部をソビエトは逮捕して拘束した。

「ヤルタ会談」ではポーランドは民主主義の樹立で3国の同意を得ていたが、ソビエトの強行による由々(ゆゆ)しき事態に、アメリカのルーズベルト(軍人→第32代アメリカ大統領)とイギリスのチャーチル(イギリス軍人→首相)はとても容認できなかった。

1945年3月にソビエト軍はドイツの首都であるベルリンに侵攻した。

この時は既に弱体化していたドイツ軍は、15歳〜18歳の子供を集めて、組成された少年兵を護衛に務めさせていた。

1945年4月にアメリカのルーズベルト(軍人→第32代アメリカ大統領)が死去する。

同年の1945年4月に、ドイツの中部にあるエルベ川で、侵攻を続けていたアメリカ軍とソビエト軍が川を挟んで対面し、両軍の兵士は感激の握手を交わした。

これが「第二次世界大戦」で、アメリカとソビエトの良好な協調関係の最後の場面となる。

ドイツの本丸でもあるベルリンの市街地での交戦で、1ヶ月後の4月に陥落しドイツ軍は敗北した。

これにより最高指導者のアドルフヒトラー(軍人→ナチス統帥)は妻と共に、地下壕にて自害した。

1945年5月にドイツは正式に無条件降伏を宣言する。

軍事力を付けたソビエト軍はヨーロッパ戦線で、ドイツまで侵攻してドイツ軍を壊滅させて勝利した。

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20251003 - ラジオの友

2025/10/03 (Fri) 09:34:50

◆◇◆其の百二十四:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

ソビエトのスターリン(ソビエト書記長)は、「ヤルタ会談」でアメリカのルーズベルト(軍人→第32代アメリカ大統領)と秘密会談で極東密約の約束を果たす為に、日本列島の北東側から侵攻する準備をソビエト軍に命令した。

一方、アメリカでは亡きルーズベルト(軍人→第32代アメリカ大統領)の後任に、トルーマン(第33代アメリカ大統領)が大統領に就任した。

アメリカ大統領に就任した直後のトルーマン(第33代アメリカ大統領)は、「ヤルタ会談」での決定事項や、ソビエトとの外交関係について知らされていなかった。

ソビエトのポーランド侵攻の実情を知ったトルーマン(第33代アメリカ大統領)は激昂(げきこう)し、ソビエトのスターリン(ソビエト書記長)に対して抗議した事で、アメリカとソビエトの友好関係は瓦解(がかい)する事になる。

ここまで世界情勢は進行し「第二次世界大戦」は実質的に終戦している。

そんな状況下で日本の政府と日本軍は、ソビエト友好大使に近衛文麿(このえふみまろ/公卿→政治家)を指名して、ソビエトのスターリン(ソビエト書記長)との和平交渉に送り出す準備をしていた。

しかし、外務大臣の東郷茂徳(とうごうしげのり/政治家)が、ソビエトに対して和平交渉の日取の要望を伝達しても、返答は無く梨の礫(つぶて)だった。

それもその筈(はず)、「第二次世界大戦」は実質的に終結しており、アメリカとイギリスとソビエトの連合国は、総仕上げの作戦となる日本列島の壊滅計画の遂行を話し合っている。

そんな時期に和平交渉など快諾する訳がない。

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20251003 - ラジオの友

2025/10/03 (Fri) 09:35:28

◆◇◆其の百二十五:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

「第二次世界大戦」の終戦が見えてきた1945年7月に、ドイツのベルリンの郊外にあるポツダムにて、アメリカとイギリスとソビエトによる「ポツダム会談」が開催される。

この会合に、アメリカのトルーマン(第33代アメリカ大統領)と、イギリスのチャーチル(イギリス軍人→首相)と、ソビエトのスターリン(ソビエト書記長)が出席した。

この時は既にソビエト軍は、日本が占領下に置く中国大陸の内モンゴルや満州国に侵攻する事を決定していた。

そんな中の「ポツダム会談」の裏では、アメリカ軍がニューメキシコ州で原子爆弾の実験が成功していた。

その報告を受けたアメリカのトルーマン(第33代アメリカ大統領)は、「ヤルタ会談」の極東密約によるソビエト軍の日本列島への侵攻を必要としなくなった事を意味した。

表面上の「ポツダム会談」は、日本に無条件降伏を要求して、敗北した日本の統治と処理について決議された。

これを1945年7月に発布された「ポツダム宣言」と呼ぶ。

「ポツダム宣言」は主に8項目から構成されている。

①:大日本帝国による軍国主義の廃止。

②:アメリカなど連合国による日本の一定期間の占領。

③:“カイロ宣言”により日本が戦争により占領した太平洋一帯の植民地を没収する。

④:アメリカなど連合国の裁定による日本軍の武装解除。

⑤:アメリカなど連合国による「太平洋戦争」こと「大東亜戦争」を起因させた戦争犯罪人の裁判と処罰の判決。

⑥:軍事産業や財閥の解体により公平公正な経済市場の確立。

⑦:基本的人権の尊重の確立。

⑧:日本国民による民主主義の導入と言論宗教の自由。

追記で、日本がこれら条文を1項目でも拒否した場合は、猶予なしで即刻に日本列島の壊滅計画を遂行する。

そして「ポツダム宣言」は、ソビエトを抜きにしたアメリカとイギリスと中華民国の調印で取り決めがされた。

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20251003 - ラジオの友

2025/10/03 (Fri) 09:36:10

◆◇◆其の百二十六:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

この「ポツダム宣言」の書面を受け取った日本の内閣は、第42代内閣総理大臣の鈴木貫太郎(すずきかんたろう/軍人→政治家)が日本国民に向けて「ポツダム宣言」の条文の内容を公表して、今後の日本の政府の対応を表明した。

鈴木貫太郎…『この「ポツダム宣言」を熟読したが、その概要は「カイロ会談」で表明された“カイロ宣言”の焼き直しである。 日本の政府としては真(しん)に受け止める必要はない。』

この「カイロ会談」で表明された“カイロ宣言”とは1943年にエジプトのカイロにて、アメリカのルーズベルト(軍人→第32代アメリカ大統領)、イギリスのチャーチル(軍人→イギリス首相)、中華民国の蒋介石(しょうかいせき/国民党)が参加し、「カイロ会談」にて戦後の日本に対しての要求を決定した3項目の事項である。

①:日本が戦争により占領した太平洋一帯の植民地を没収する。

②:満州国や台湾など中国大陸で割譲した領土を中華民国に返還する。

③:朝鮮半島を独立国家として確立する。

そして、日本が無条件降伏するまで連合国は攻撃を続ける事が確認された。

この鈴木貫太郎(すずきかんたろう/軍人→政治家)の「ポツダム宣言」に対して無視する姿勢により、新聞社や放送局は一斉に誇大(こだい)して報道した。

⦅無礼な鬼畜欧米(きちくおうべい)が突き付ける「ポツダム宣言」を大日本帝国は対応に値せずと黙殺と放任(ほうにん)し、あくまで無敵の日本軍による徹底抗戦あるのみである!⦆

ところが運悪く、この日本の報道がアメリカやイギリスにもそのまま伝達された。

アメリカは、この出所不明な報道で日本の運命を決定した。

日本の政府と日本軍は「ポツダム宣言」を完全に拒否し、徹底抗戦の姿勢を示したと判断し、日本列島の壊滅計画を実行に移した。

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20251003 - ラジオの友

2025/10/03 (Fri) 09:37:01

◆◇◆其の百二十七:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

アメリカ軍の基地から1機のエノラゲイが日本に向けて飛び立ち、1945年8月6日に広島の市街地に向けて原子爆弾(リトルボーイ)が投下された。

広島の周囲は、光と熱と風により14万人余りが一瞬で消えて亡くなった。

アメリカ軍が世にも恐ろしい最新兵器で、日本の大都市を一瞬にして消し去った情報は、ソビエトのスターリン(ソビエト書記長)にも届いた。

こうなるとソビエトの日本北部の占領が実現できなくなるとして、日本への侵攻を計画より早めて実施し、ソビエト軍は日本軍が占領下に置く中国大陸の満州国に侵攻を開始した。

既に弱体化している日本軍に、ソビエト軍に対抗できる軍力は残っておらず、見るも無惨に敗北した。

ソビエト軍は、サハリン南部と千島列島(クリル列島)を占領下に置いた。

敗北した日本軍の兵士の57万5千人がソビエト軍の捕虜となり、極寒で有名なシベリアなどに護送された。

この時に劣悪な環境下で飢えも重なり6万人余りの日本軍の兵士がシベリアで死去した。

それ以外に東南アジアや太平洋でも、戦時中に移住した600万人余りの日本国民が、現地に取り残されていた。

この様な事情から、現地に置き去りにされた日本国民の子供が、戦後に中国残留孤児などとして姿を変える。

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20251003 - ラジオの友

2025/10/03 (Fri) 09:37:46

◆◇◆其の百二十八:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

沖縄がアメリカ軍に占領され、広島に原子爆弾(リトルボーイ)が投下され、中国大陸の満州国などもソビエト軍に侵攻され敗北が続く日本軍だが、この期(ご)に及んでまだ内部紛争を起こしている。

最後まで戦争を継続する強硬派の陸軍大臣の阿南惟幾(あなみこれちか/軍人)、参謀本部の参謀総長の梅津美治郎(うめづよしじろう/軍人)、海軍の軍令部総長の豊田副武(とよだそえむ/軍人)が中心となった。

連合国と和平を交渉する穏健派の海軍大臣の米内光政(よないみつまさ/軍人→政治家)、外務大臣の東郷茂徳(とうごうしげのり/政治家)、内大臣の木戸幸一(きどこういち/政治家)が中心となった。

この双方の主張に挟まれた第124代天皇の昭和天皇(しょうわてんのう/皇族)と第42代内閣総理大臣の鈴木貫太郎(すずきかんたろう/軍人→政治家)は困惑する。

この時の最大の議題は『戦後に国体護維(こくたいごじ)を確保できるのか?』だった。

国体護維(こくたいごじ)とは、日本古来から続く天皇制を敗戦後も連合国や日本国民に認可してもらう事である。

穏健派は『日本の維持は皇族の存続に掛かっており、無条件降伏をしたとしても国体護維(こくたいごじ)だけは認可してもらう様に和平交渉するべきだ。』と主張した。

これに対して強硬派は『連合国の「ポツダム会談」では国体護維(こくたいごじ)は維持できず、追記で3項目を条件に付け加えるべきだ。』と主張した。

この3項目の条件とは下記になる。

①:日本軍が自主的に武装解除する。

②:「太平洋戦争」こと「大東亜戦争」を起因させた戦争犯罪人の裁判と処罰の判決は日本が主導する。

③:アメリカなど連合国の日本本土の占領を拒否。

ここまで来ると陸軍大臣の阿南惟幾(あなみこれちか/軍人)が懸念していたのは、日本の敗戦が確実となり日本軍の兵士が自暴自棄に陥り、軍事クーデターを起こす危険性があった。

日本軍の兵士に「太平洋戦争」こと「大東亜戦争」の敗北を納得させなければ、日本国内の秩序は保証できない。

しかし、強硬派が示した3項目の条件では、連合国が承諾する可能性は皆無である。

そんな悠長(ゆうちょう)に戦後処理の議論を東京の大本営(だいほんえい)で開催している間にも、アメリカ軍の侵攻は継続していた。

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20251003 - ラジオの友

2025/10/03 (Fri) 09:38:24

◆◇◆其の百二十九:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

1945年8月9日に1機のBー29により、九州は長崎の市街地に向けて原子爆弾(ファットマン)が投下された。

広島と同様に長崎の周囲は、熱射と爆風で7万人余りが一瞬で消えて亡くなった。

この長崎への原子爆弾(ファットマン)が投下の情報は、東京の大本営(だいほんえい)にも伝達された。

広島と長崎の市街地が一瞬にして消えた事に、第42代内閣総理大臣の鈴木貫太郎(すずきかんたろう/軍人→政治家)などは驚愕(きょうがく)する。

鈴木貫太郎…『いっ、一瞬で広島と長崎がぁ!? このままだと日本列島が消される・・・』

この日本の存続危機に鈴木貫太郎(すずきかんたろう/軍人→政治家)は閣僚を招集して、第124代天皇の昭和天皇(しょうわてんのう/皇族)も出席の元で御前会議(ごぜんかいぎ)を開催した。

通常の御前会議(ごぜんかいぎ)は、出席する閣僚で事前に議題を決議してから昭和天皇(しょうわてんのう/皇族)に報告して叡慮(えいりょ)を頂いていた。

ところが今回は強硬派と穏健派の主張が対立する中でも、刻々と日本列島は各地で崩壊している緊急事態の為に、最後は昭和天皇(しょうわてんのう/皇族)の御聖断(ごせいだん)に委ねた。

昭和天皇…『残念ながら、今の日本軍にアメリカ軍やイギリス軍に対抗できる程の軍事力は持っていない。 これ以上に抵抗すれば日本民族は滅亡してしまう。 それらから絶望しかない戦争を早期に終結させるべきである。 連合国の「ポツダム宣言」を受け入れて、日本は無条件降伏を致す。』

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20251003 - ラジオの友

2025/10/03 (Fri) 09:39:02

◆◇◆其の百三十:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

この昭和天皇(しょうわてんのう/皇族)の御聖断(ごせいだん)に、早速に連合国へ日本の無条件降伏を伝達し、その中に日本が懸念していた国体護維(こくたいごじ)が継続できるかの質問も含まれていた。

連合国から早々に日本の戦後処理について返信が伝達され、その中に国体護維(こくたいごじ)の対応についても記述されていた。

連合国…⦅日本は無条件降伏により天皇制の権限は、連合国の最高司令官の制限の元に置かれ、最終的には日本の政府の形態は「ポツダム宣言」に従い、日本国民の自由な意志で決断すべきである。⦆

ただ、当然だが返信は全て英文の為に、日本で和訳して解釈する必要があり、その和訳により解釈が大きく異なる文面もあり、それが国体護維(こくたいごじ)の記述だった。

ある英文を和訳すると⦅ある一定の制限により日本国民が天皇制を望むなら、国体護維(こくたいごじ)は保証できる。⦆と、⦅日本は連合国に従属(じゅうぞく)し、その占領下の中で天皇制を実施するかは日本国民に委ねる。⦆の2通りに解釈できた。

要は後者の解釈を選択すると、⦅アメリカなどの連合国に天皇は服従(ふくじゅう)する。⦆と言う意味となり、千年余り前の中国大陸の隋(ずい)や唐(とう)などの帝国に臣従(しんじゅう)していた倭国(日本)と変わらなくなる。

そこで再び緊急の御前会議(ごぜんかいぎ)を開催した。

連合国からの返信内容を聞いた昭和天皇(しょうわてんのう/皇族)は、自らの思いを閣僚に語った。

昭和天皇…『アメリカなどの連合国は、国体護維(こくたいごじ)に対してある一定の理解は示すと思い、その事に付いては心配していない。 そんな事よりも最も危惧(きぐ)しているのは、「ポツダム宣言」の受け入れで日本軍の兵士に動揺が広がり、困難の中で戦い続けた兵士に対しての擁護(ようご)が必要となる。 各担当大臣には尽力して頂くが、もし、必要ならば朕(ちん)が自ら前に出てご説明に伺う。』

こうして1945年8月15日に、日本が連合国の「ポツダム宣言」を受け入れて無条件降伏を承諾した事が、アメリカ大統領のトルーマン(第33代アメリカ大統領)から発表された。

そして同日の8月15日に日本国民に対して、第124代天皇の昭和天皇(しょうわてんのう/皇族)が放送を通じて“玉音放送”(ぎょくおんほうそう)により終戦の報告を実施した。

昭和天皇…『〜〜〜 耐え難(がた)きを耐え、忍び難(がた)きを忍び、もって萬世(ばんせい)の為に、太平を開かむと欲(ほっ)す 〜〜〜』

この昭和天皇(しょうわてんのう/皇族)の“玉音放送”(ぎょくおんほうそう)を聞いた日本国民は、落胆や反抗の意志を示さず、日本の政府や日本軍、それに昭和天皇(しょうわてんのう/皇族)が危惧(きぐ)していた軍事クーデターも起こらなかった。

これで日本は1937年7月に起こった「日中戦争」を経て、1941年に開戦した「太平洋戦争」までの8年間の惨劇(さんげき)な時代に幕を閉じ、ようやく終戦を迎えた。

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20251003 - ラジオの友

2025/10/03 (Fri) 09:39:49

◆◇◆其の百三十一:中国大陸と朝鮮半島と日本列島の歴史観◆◇◆

日本が犯した戦争と言う過(あやま)ちを振り返ると、組織の責任者の“希望的観測”(きぼうてきかんそく)と“誤認”(ごにん)の2つに尽きる。

1937年7月に起こった「日中戦争」では、占領した北京近郊での抗争で、便所(トイレ)に行っていた日本兵が中国軍に拉致されたとの思い込みから始まっている。

「太平洋戦争」の起因となる1941年12月に起こった「真珠湾攻撃」も、日本軍の極度な軍力差の判断の偏(かたよ)りで開戦した。

その後の1942年の「ミッドウェー作戦」から状況判断や戦況報告の勘違いや思い違いで決断を誤り、1944年に実施したビルマ(ミャンマー)の「インパール作戦」や1944年に実施したフィリピンの「ルソン島の戦」も日本軍に侮(あなど)りがあった。

1945年8月6日の広島への原子爆弾(リトルボーイ)の投下は、日本の政府と連合国の誤解(ごかい)から実施されている。

現代でも大なり小なり、この様な事はよく起きている。

人間と言う生き物は、地球上で最も崇高(すうこう)と思われているが、これが人間の本性と実力の真実で事実である。

敗戦した日本に対してアメリカの占領が開始される。

第42代内閣総理大臣の鈴木貫太郎(すずきかんたろう/軍人→政治家)は終戦の職務を終えて辞任し、次いで皇室で陸軍の東久邇宮稔彦王(ひがしくにのみやなるひこおう/皇族→軍人→政治家)が第43代内閣総理大臣に就任した。

2ヶ月後には外交官だった幣原喜重郎(しではらきじゅうろう/政治家)が第44代内閣総理大臣に就任して、連合国と協調しながら国家運営をになった。

ソビエトのスターリン(ソビエト書記長)はアメリカのトルーマン(第33代アメリカ大統領)に対して、北海道の北部をソビエトへ割譲する事を要求した。

しかし、ソビエトに対して軋轢(あつれき)のあるアメリカのトルーマン(第33代アメリカ大統領)は、これを拒否した。

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