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今日の1枚、お薦めレコード/20240523 - ラジオの友 URL

2024/05/23 (Thu) 15:46:41

◆◇◆其の四十五:尊王の国・日本ですけど、何か?◆◇◆

第19代天皇の允恭天皇(いんぎょうてんのう)は、息子の木梨之軽王(キナシノカルノミコ)を皇太子として皇位継承者の勅命(ちょくめい)を出した。

ただ、木梨之軽王(キナシノカルノミコ)は妹の衣通郎女(ソトホリノイラツメ)こと軽大郎女(カルノオオイラツメ)に愛情が芽生え、妹も兄の求愛を受け入れ恋愛を育(はぐく)む事になる。

この妹は“絶世の美女”と言われ、名前の衣通郎女(ソトホリノイラツメ)とは、美しさが着物の袖を通して輝いている例えから名付けられた。

この兄妹の恋愛関係は皇室の一大スキャンダルとなり、インターネット上でもバズり、検索ワードのトップを叩き出す。

皇太子の木梨之軽王(キナシノカルノミコ)は、宮中の人々の軽蔑の眼差しや、大和国(奈良県)の明日香周辺で待機するメディアの好奇心に堪えれなくなり、遠飛鳥宮(とおつあすかのみや)を飛び出して大臣(おおおみ)を司る大前小前宿禰大臣(オオマエオマエノスクネノオオオミ)の屋敷に匿ってもらっていた。

大前小前宿禰大臣(オオマエオマエノスクネノオオオミ)とは、邇芸速日命(ニギハヤヒノミコト)の子孫で、その家系には“天孫降臨”(てんそんこうりん)の天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(アメニギシクニニギシアマツヒコヒコホノニニギ)や天照大御神(アマテラス)がいる。

そんなだらしのない兄貴を討伐する為に、穴穂命(アナホノミコト)は挙兵して安康軍を組成して進軍した。

一方、他人の屋敷で軍備を整備して木梨之軽王(キナシノカルノミコ)は近親軍を結成して篭城(ろうじょう)する。

穴穂命(アナホノミコト)が率いる安康軍は、木梨之軽王(キナシノカルノミコ)が率いる近親軍が篭城(ろうじょう)する大前小前宿禰大臣(オオマエオマエノスクネノオオオミ)の屋敷を包囲する。

此処(ここ)で一番に迷惑なのが大臣(おおおみ)を司る大前小前宿禰大臣(オオマエオマエノスクネノオオオミ)である。

兄弟間の争い事に全く無関係な自邸の屋敷が攻撃されるかもしれない不利益ときたら、戦(いくさ)が起これば被害は甚大である。

そこで大前小前宿禰大臣(オオマエオマエノスクネノオオオミ)は、木梨之軽王(キナシノカルノミコ)を引っ捕まえて穴穂命(アナホノミコト)の本陣に差し出した。

大前小前宿禰大臣…『兄弟間で醜(みにく)い争いをするのは勝手だが、人の迷惑も考えろ、バカヤロー! どっか広い空き地でやれっ!』

穴穂命…『あっ、すみませんでした。』

木梨之軽王…『ゴメンなさい、もう、しません。』

こうして事実上の勝利を得た穴穂命(アナホノミコト)が皇位継承者となり、兄の木梨之軽王(キナシノカルノミコ)を流罪の刑に処した。

流刑の地は四国は伊予国(愛媛県)の松山で、木梨之軽王(キナシノカルノミコ)は毎日の様に道後温泉(どうごおんせん)に浸かり、地酒と共に柑橘系のポン酢で食べる“しゃぶしゃぶ”や“鍋焼きうどん”を堪能し、まんざらでもない生活を送っていた。

木梨之軽王…『このお湯加減、う〜〜ん、最高! この後は“ニュー道後ミュージック”で看板踊り子の岬美華(ミサキミカ)ちゃんのストリップショーが楽しみなんだよぉなぁ〜』

そんな独身男の楽園に、突如、現れたのが禁断の恋人だった衣通郎女(ソトホリノイラツメ)こと軽大郎女(カルノオオイラツメ)だった。

軽大郎女…『お兄ちゃん、私、来ちゃった。』

木梨之軽王…『おっ、お前、どうして此処(ここ)へ!?』

軽大郎女…『私もお兄ちゃんと共に、伊予国(愛媛県)の松山で生きていくの。』

木梨之軽王…『そんな簡単に言うけど・・・』

それでも愛し合う兄妹は、大洲(おおず)に移り住み家賃2万円の安アパートを借りて、木梨之軽王(キナシノカルノミコ)は“冨永松栄堂”(とみながしょうえいどう)で志ぐれなどを作る御菓子職人の見習いとして修行し、軽大郎女(カルノオオイラツメ)は“ニッポニアホテル大洲城下町”の旅館の女中として働き、質素な生活をしながら懸命に生きた。

ところが大和国(奈良県)のヤマト政権から素破(すっぱ/忍者)が送り込まれ、愛し合う2人を引き裂こうとする。

その都度、家と仕事を転々とし、ヤマト政権の追っ手(おって)から日本各地を逃げ回っていた。

しかし、等々(とうとう)に心身共に疲れ果てて、兄の木梨之軽王(キナシノカルノミコ)と妹の軽大郎女(カルノオオイラツメ)は生まれ故郷の大和国(奈良県)の地に戻ってくる。

そして桜井の山間にある泊瀬(はせ/初瀬)に辿り着いた2人。

軽大郎女…『♪貧しさに負けた〜』

木梨之軽王…『♪いえ、政権に負けた〜』

軽大郎女&木梨之軽王…『♪この都(みやこ)も追われた〜 いっそ、綺麗に死のうか〜』

軽大郎女&木梨之軽王…『♪力の限り生きたから〜 未練などないわ〜』

軽大郎女&木梨之軽王…『♪花さえも咲かぬ〜 二人は枯れすすき〜』(♪昭和枯れすすき)

これが愛する2人の最後の歌である。

木梨之軽王…『この倭国(日本)で最も醜(みにく)い家庭に生まれたけど、この宇宙で最も素晴らしい家族に出逢えた幸福な人生もあり、もう思い残す事はない。』

軽大郎女…『私もよぉ、お兄ちゃん・・・』

この後、大和国(奈良県)の山林で誰にも知られる事もなく、兄の木梨之軽王(キナシノカルノミコ)と妹の軽大郎女(カルノオオイラツメ)は手を握り合って静かに息を引き取った。

この悲しい兄妹の物語が「衣通姫伝説」(そとおりひめでんせつ)として語り継がれる。

▼衣通姫伝説(そとおりひめでんせつ)の関係者
1:大前小前宿禰大臣(オオマエオマエノスクネノオオオミ) 物部小前(モノノベノオマエ) 大臣(おおおみ) 物部氏(もののべうじ)の一族 邇芸速日命(ニギハヤヒノミコト)の子孫

AC/DC /♪ BIG GUN

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20240523 - ラジオの友 URL

2024/05/23 (Thu) 15:48:00

◆◇◆其の四十六:尊王の国・日本ですけど、何か?◆◇◆

●第20代天皇 安康天皇(あんこうてんのう)●

第19代天皇の允恭天皇(いんぎょうてんのう)が崩御(ほうぎょ)し、イレギュラーにより息子の穴穂命(アナホノミコト)が第20代天皇の安康天皇(あんこうてんのう)として即位(そくい)した。

安康天皇(あんこうてんのう)は“遠つ飛鳥”(とおつあすか)と呼ばれる大和国(奈良県)の明日香に建つ遠飛鳥宮(とおつあすかのみや)から、同じ大和国(奈良県)の天理に遷都(せんと)して石上穴穂宮(いそのかみのあなほのみや)を創建した。

安康天皇(あんこうてんのう)は弟の大長谷命(オオハツセノミコ)のお嫁さんとして、草香幡梭姫皇女(クサカノハタビヒメノヒメミコ)こと若日下王(ワカクサカノミコ)を候補に挙げる。

若日下王(ワカクサカノミコ)は第16代天皇の仁徳天皇(にんとくてんのう)の娘で、大草香皇子(オオクサカノミコ)こと大日下王(オオクサカノミコ)の兄が居た。

其処(そこ)で安康天皇(あんこうてんのう)は『将を射んと欲すれば、先ず馬を射よ!』の攻略で、兄の大日下王(オオクサカノミコ)を説得する事にし、重鎮家臣の根臣(ネノオミ)を遣わせた。

根臣…『陛下より弟の大長谷命(オオハツセノミコ)と其方(そなた)の妹の若日下王(ワカクサカノミコ)と婚礼の提案があり、その勅使(ちょくし)として参った。』

大日下王…『おお、それは有難き幸せである。早速、妹の若日下王(ワカクサカノミコ)を石上穴穂宮(いそのかみのあなほのみや)に居る大長谷命(オオハツセノミコ)に送り出し、結納品として“押木玉鬘”(おしきのたまかずら)を持参させます。』

こうして若日下王(ワカクサカノミコ)は迎えの根臣(ネノオミ)と共に石上穴穂宮(いそのかみのあなほのみや)に参った。

ところがこの根臣(ネノオミ)が曲者(くせもの)で、安康天皇(あんこうてんのう)に対して讒言(ざんげん)を告げた。

根臣…『陛下、兄の大日下王(オオクサカノミコ)は、自分達は第16代天皇の仁徳天皇(にんとくてんのう)の御子(みこ)で、大長谷命(オオハツセノミコ)や安康天皇(あんこうてんのう)は第19代天皇の允恭天皇(いんぎょうてんのう)の子息だから格下で、お前達が自ら妹の若日下王(ワカクサカノミコ)を御迎えに参れと申しておりました。』

大日下王…『なにぃ〜 叔父の分際で生意気な事を抜かしやがってっ! 今直(います)ぐに大日下王(オオクサカノミコ)を征伐しよっ!』

根臣…『御意(ぎょい)! グッフゥフゥフゥ〜』

此(こ)れにより大日下王(オオクサカノミコ)は斬殺され、しかも若日下王(ワカクサカノミコ)の結納品として持たせた“押木玉鬘”(おしきのたまかずら)を根臣(ネノオミ)が窃盗していた。

大日下王(オオクサカノミコ)が亡くなり、悲しみに耽(ふけ)る未亡人となった妻の長田大郎女(ナガタノオオイラツメ)。

その御葬式に現れた弟の安康天皇(あんこうてんのう)は、喪服姿が色っぽい姉の長田大郎女(ナガタノオオイラツメ)を、大日下王(オオクサカノミコ)の墓前で手篭(てご)めにしてしまった。

安康天皇…『なぁ姉さん、もう義兄さんは帰って来ないんだ。 姉さんも女盛りでこれからも大変だろう。 なぁ姉さん、なぁ!』

長田大郎女…『やめてぇ〜 あんたは獣(けだもの)よぉ! 人間の面(つら)をした悪魔だわぁ!』

こんな経緯(いきさつ)から斬殺された大日下王(オオクサカノミコ)の妻の長田大郎女(ナガタノオオイラツメ)と子供の目弱王(マヨワノキミ)は、安康天皇(あんこうてんのう)の元で暮らす事になった。

それから月日(つきひ)が経ち、石上穴穂宮(いそのかみのあなほのみや)の神床(かんどこ)で安康天皇(あんこうてんのう)と実姉の長田大郎女(ナガタノオオイラツメ)が昼間っから“まぐわい”を励(はげ)んでいた。

安康天皇…『ハッハッハッ〜 この姉さんの光景を義兄さんの大日下王(オオクサカノミコ)に見せてやりたいぜぇ〜』

長田大郎女…『あぁ〜 貴方(あなた)、乱れていく不埒(ふらち)な女を許してぇ〜』

安康天皇…『しかも姉さんの旦那の大日下王(オオクサカノミコ)を斬殺したのは、この俺だからなぁ〜 これは愉快だぁ〜 アッハッハッハッ〜』

ただし、この近親の行為は上通下通婚(おやこたわけ)と言い、高天原(たかまがはら/天界)での大罪の天津罪(あまつのつみ)、葦原中国(あしはらのなかつくに/地上界)での大罪の国津罪(くにつのつみ)に該当し、神様であろうと、人間であろうと、重罪として天界より一番に厳しい処罰が下される。

其(そ)れが今回、安康天皇(あんこうてんのう)と実姉の長田大郎女(ナガタノオオイラツメ)が昼間っから“まぐわい”を励(はげ)んでいた神床(かんどこ)の床下で、大日下王(オオクサカノミコ)と長田大郎女(ナガタノオオイラツメ)の子供の目弱王(マヨワノキミ)がそこに潜って遊んでいた。

実は父親の大日下王(オオクサカノミコ)を殺害したのが、義父の安康天皇(あんこうてんのう)だった事を知った7歳の目弱王(マヨワノキミ)。

目弱王…『この恨み晴らさでおくべきか。』

そして夜になると、目弱王(マヨワノキミ)は太刀(たち)を携えて安康天皇(あんこうてんのう)の寝室に忍び込んだ。

目弱王…『此(こ)の間(かん)の遺恨(いこん)、覚えたるか?』

安康天皇…『グゥ〜 グゥ〜 グゥグゥ うん!? 誰じゃ?』

目弱王…『父の仇(かたき)である!』

バサッ バサッバサッ

安康天皇…『ギャ〜〜 やられた〜〜』

ゴロン

目弱王(マヨワノキミ)は斬首した安康天皇(あんこうてんのう)の首級を、石上穴穂宮(いそのかみのあなほのみや)の大門に晒し首(さらしくび)として設置した。

そして翌朝。

チュンチュン チュンチュン

根臣…『う〜〜ん、晴天で気持ちの良い朝だなぁ〜 んっ!? なんじゃ? ギャ〜〜 へっ、陛下の首がぁ〜 誰かぁ〜 誰か居(お)らぬかぁ〜』

この時、既(すで)に目弱王(マヨワノキミ)は、大臣(おおおみ)の都夫良意富美(ツブラオオミ)の屋敷に逃げ込み、匿(かくま)ってもらっていた。

都夫良意富美…『宮中では、えらい騒ぎになっておるのぉ〜』

目弱王…『まだ7歳の子供だからと言って、舐めてもらっては困る。 因果応報は世の常、武士たるは油断大敵であるぞっ!』

都夫良意富美…『お主は大物(おおもの)に成るな、今後が楽しみじゃわい。』

▼安康天皇(あんこうてんのう)の関係者
1:若日下王(ワカクサカノミコ) 草香幡梭姫皇女(クサカノハタビヒメノヒメミコ) 第16代天皇の仁徳天皇(にんとくてんのう)の子供 第21代天皇の雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)の妻
2:大日下王(オオクサカノミコ) 大草香皇子(オオクサカノミコ) 第16代天皇の仁徳天皇(にんとくてんのう)の子供 若日下王(ワカクサカノミコ)の兄
3:根臣(ネノオミ) 根使主(ネノオミ) 安康天皇(あんこうてんのう)の家臣 坂本臣(サカモトノオミ)の祖
4:目弱王(マヨワノキミ) 眉輪王(マヨワノオオキミ) 大日下王(オオクサカノミコ)と長田大郎女(ナガタノオオイラツメ)の子供
5:都夫良意富美(ツブラオオミ) 円大臣(ツブラノオオオミ) 葛城円 (カツラギノツブラ) 大臣(おおおみ)

AC/DC /♪ ROCKER

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20240523 - ラジオの友 URL

2024/05/23 (Thu) 15:48:55

◆◇◆其の四十七:尊王の国・日本ですけど、何か?◆◇◆

第20代天皇の安康天皇(あんこうてんのう)が7歳の坊やによる暗殺で崩御(ほうぎょ)し、当面の間、その皇位後継者は空席のままだった。

兄でもある安康天皇(あんこうてんのう)の暗殺は、理由はどうあれ弟の大長谷命(オオハツセノミコ)にとっては報復の大義名分となった。

“允恭天皇(いんぎょうてんのう)御子息の仁義なき戦い”の幕開けである。

ジャ〜〜〜〜ン ジャ〜〜ン ジャララ〜〜ン ジャララ〜ン

先(ま)ず大長谷命(オオハツセノミコ)は、兄の境之黒日子王(サカイノクラヒコノミコ)が構える黒日組の事務所へ飛び込んだ。

大長谷命…『兄貴、安康天皇(あんこうてんのう)が命(たま)を殺(と)られましたでぇ!』

境之黒日子王…『うん、そうみたいやぁな。』

大長谷命…『そうみたいやぁなって、そんな悠長(ゆうちょう)な事を言ってる場合やぁおまぁへんでぇ。 殺(や)ったんは大日下組の若頭の目弱王(マヨワノキミ)だって言うやぁないですかぁ!』

境之黒日子王…『うん、知ってるでぇ。 せやぁけど、先に大日下組の組長の大日下王(オオクサカノミコ)を殺(や)ったんは安康天皇(あんこうてんのう)で、その親の仇打(かたきう)ちを息子の目弱王(マヨワノキミ)がしたまでよぉ。 仁義の世界では泣ける話しやぁないか。』

大長谷命…『ムッググゥ〜 どんな理由はあろうとも、兄貴を殺(や)った目弱王(マヨワノキミ)をわしぃは許しまへぇんでぇ! こうなりゃ大日下組と全面戦争じゃ〜 その前に允恭組の直参(じきさん)としての資質に問題がある黒日組の組長の境之黒日子王(サカイノクラヒコノミコ)には消えてもらいまっせぇ。』

境之黒日子王…『おっ、おい、どう言う事やぁ!? おい、やめろぉ!』

大長谷命…『この世界、仁義より先に立つモノがありますねぇん。』

バサッ バサッバサッ

境之黒日子王…『ギャ〜〜 やられた〜〜』

ゴロン

実の弟の大長谷命(オオハツセノミコ)に斬首された兄の境之黒日子王(サカイノクラヒコノミコ)が卒去(そっきょ)し、組長不在となり黒日組は解散となった。

次に大長谷命(オオハツセノミコ)が向かった先は、もう1人の兄の八瓜之白日子王(ヤツリノシロヒコノミコ)が構える白日組の事務所に飛び込んだ。

大長谷命…『兄貴、安康天皇(あんこうてんのう)が命(たま)を殺(と)られたぁんは聞いてまっかぁ!』

八瓜之白日子王…『うん、聞いてるでぇ。 次いでにもう1つ聞いてるでぇ。 お前が兄貴の境之黒日子王(サカイノクラヒコノミコ)を殺(や)った事もなぁ。 これはどう始末つけるぅんやぁ。』

大長谷命…『そこまで知ってちゃ、しゃ〜ないなぁ、おい、八瓜之白日子王(ヤツリノシロヒコノミコ)を縛って車に乗せろぉ。』

八瓜之白日子王…『おっ、おい、やめろぉ! 俺をどうするつもりやぁ!』

大長谷命(オオハツセノミコ)は大長谷組の構成員に指示して、八瓜之白日子王(ヤツリノシロヒコノミコ)を拉致して車に乗せ、大和国(奈良県)の小治田(おはりだ/明日香)まで連行した。

大長谷命…『兄貴には申し訳ないが、此処(ここ)で短い生涯を終えてもらう。 余計な事を知り過ぎたのと、その口の禍(わざわい)を呪うがいい。』

八瓜之白日子王…『どっ、どうするつもりだっ! おっ、おい、止めろぉ! 止めろぉ〜〜』

ひと気のない広大な空き地に穴が掘られ、八瓜之白日子王(ヤツリノシロヒコノミコ)は身体半分を埋められた。

そして大長谷組の構成員に酷(ひど)い暴行を加えられて、八瓜之白日子王(ヤツリノシロヒコノミコ)は両目が飛び出し、顔は識別できない程に凄惨(せいさん)な状況で遺体となって大和国(奈良県)の警察に発見された。

伊丹刑事…『この惨(むご)たらしい殺(や)り方は、素人やぁないなぁ。』

芹沢刑事…『あっ、この死体(ホトケ)、白日組の組長の八瓜之白日子王(ヤツリノシロヒコノミコ)やぁないですか。』

伊丹刑事…『なぁんやてぇ、ほなぁ、組同士の争いか。』

杉下警部…『ちょっと宜しいでしょうか? ほぉうほぉう、目が飛び出してますねぇ〜 しかもセットでぇ! これは大事件ですよぉ〜』

亀山刑事…『右京さん、何でガイシャ(被害者)は、身体半分だけ地面に埋められたのでしょうねぇ〜』

杉下警部…『亀山くん、此処(ここ)は飛鳥時代に都(みやこ)が置かれた由緒(ゆいしょ)ある地域ですよぉ〜 ちょっとグルリと観光でもしますか。』

亀山刑事…『いいですねぇ〜 行きましょ、行きましょ!』

伊丹刑事…『なんやぁ、あいつら?』

芹沢刑事…『さぁ? 観光客とちゃいますか?』

組長の八瓜之白日子王(ヤツリノシロヒコノミコ)が卒去(そっきょ)した事により、白日組は解散に追い込まれた。

先に解散した黒日組と、今回の白日組の併せた構成員は、大長谷命(オオハツセノミコ)が組長を務める大長谷組が引き取る事になり、允恭組の一大勢力となった。

その後、大長谷命(オオハツセノミコ)が率いる大長谷組は、安康天皇(あんこうてんのう)を殺(と)った大日下組の若頭の目弱王(マヨワノキミ)を匿うヤマト政権の大臣(おおおみ)を司る都夫良意富美(ツブラオオミ)の屋敷に殴り込みに行き、家屋一帯を包囲した。

大長谷命…『都夫良意富美(ツブラオオミ)よぉ、人質を差し出したら、命だけは助けてやってもええでぇ〜』

都夫良意富美…『う〜〜ん、篭城戦も時間の問題、もはやぁこれ迄(まで)かっ!』

目弱王…『大臣(おおおみ)よぉ、其方(そなた)達には迷惑は掛けられぬ。 私の首を取って、大臣(おおおみ)は家族共に生き抜いてくれ。』

これが若干、7歳の最後の言葉である。

都夫良意富美…『御子様(みこさま)、無念である。』

目弱王…『覚悟はできておる。 大臣(おおおみ)には心から感謝致す。 今まで本当に有難う。』

都夫良意富美…『御免!』

バサッ

目弱王…『ウムッ』

ゴロン

都夫良意富美…『大長谷命(オオハツセノミコ)よぉ、私の娘の訶良比売(カラヒメ)を人質として差し出し、そして、これがまだ7歳の目弱王(マヨワノキミ)の首級(しゅきゅう)である、持って帰れっ!』

こうして都夫良意富美(ツブラオオミ)は、娘の訶良比売(カラヒメ)と目弱王(マヨワノキミ)の首級(しゅきゅう)を大長谷命(オオハツセノミコ)に手渡し、再び自分は屋敷に戻った。

ボッ ボォ〜 ボォボォ〜 ボォボォ〜

そして都夫良意富美(ツブラオオミ)の屋敷から火の手が上がり、その室内で大臣(おおおみ)の都夫良意富美(ツブラオオミ)は自害をして“仁義”を果たし生涯を閉じた。

▼“允恭天皇(いんぎょうてんのう)御子息の仁義なき戦い”の関係者
1:訶良比売(カラヒメ) 葛城韓媛(カツラギノカラヒメ) 都夫良意富美(ツブラオオミ)の子供 第21代天皇の雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)となる大長谷命(オオハツセノミコ)の側室 葛城氏(かつらぎうじ)

BLACK SABBATH /♪ SABBATH BLOODY SABBATH

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20240523 - ラジオの友 URL

2024/05/23 (Thu) 15:49:55

◆◇◆其の四十八:尊王の国・日本ですけど、何か?◆◇◆

ある日、大長谷命(オオハツセノミコ)の元に近江国(滋賀県)の淡海(おうみ/近江)を地盤とする韓帒(カラフクロ)から、琵琶湖の東側にある久多綿之蚊屋野(くたわたのかやの/愛知)の山林で猪(イノシシ)や鹿が繁殖し過ぎて田畑を荒らされ農民が困っている話しが舞い込む。

第19代天皇の允恭天皇(いんぎょうてんのう)の息子の大長谷命(オオハツセノミコ)は、第17代天皇の履中天皇(りちゅうてんのう)の息子の市辺押磐皇子(イチノヘノオシハノミコ)を誘って狩猟に出掛けて、琵琶湖が見える湖畔でジビエ料理を提供するレストランを開店させる事にした。

この2人は従兄弟で、レストランは共同経営者となる。

早速に大長谷命(オオハツセノミコ)と市辺押磐皇子(イチノヘノオシハノミコ)は、淡海(おうみ/近江)の久多綿之蚊屋野(くたわたのかやの/愛知)の山中に入って行き、弓矢で猪(イノシシ)や鹿を仕留めて解体し、肉にしてステーキやシチューに調理してお客様に提供した。

味も美味しく価格もリーズナブルで評判となり、たちまちレストランは繁盛店となった。

ところが、レストランの売上金の一部を大長谷命(オオハツセノミコ)と雇われ店長が横領して帳簿を誤魔化(ごまか)していた事が発覚する。

閉店後のレストランの事務所で、共同経営者でもある市辺押磐皇子(イチノヘノオシハノミコ)は、大長谷命(オオハツセノミコ)を非難し責め立てた。

久多綿之蚊屋野…『レストランは繁盛している割に売上金が少ないと勘繰り調べてみたら、お前が雇用した店長とグルでお金を抜いていた事が判明した。 いったいどう言う事だっ!』

大長谷命…『ふっ、それを知られてはどうしようもない。 市辺押磐皇子(イチノヘノオシハノミコ)よぉ、あんたには消えてもらうぜっ!』

久多綿之蚊屋野…『どっ、どうするつもりだっ! おっ、おい、止めろぉ! 止めろぉ〜〜』

大長谷命…『あんたは此処(ここ)で短い生涯を終えてもらう。 余計な事を知り過ぎたのと、その口の禍(わざわい)を呪うがいい。』

こうして大長谷命(オオハツセノミコ)は市辺押磐皇子(イチノヘノオシハノミコ)を斬殺して身体をバラバラにし、久多綿之蚊屋野(くたわたのかやの/愛知)の山中に穴を掘って埋めた。

近隣の農民が山中で市辺押磐皇子(イチノヘノオシハノミコ)の遺体の一部を発見した事で、大長谷命(オオハツセノミコ)が殺害した事が発覚した。

これに恐れを抱いた市辺押磐皇子(イチノヘノオシハノミコ)の息子の意祁王(オケノキミ)と袁祁王(ヲケノキミ)の兄弟は逃亡し、山城国(京都府)の苅羽井(かりはい/城陽)まで逃げてきた。

此処(ここ)でひと休憩し、意祁王(オケノキミ)と袁祁王(ヲケノキミ)はランチの握飯(おにぎり)を食べていると、この地域で猪飼部(いかいべ)の畜産をする山代之猪甘(ヤマシロノイカイ)と名乗る老人が来て話し掛けてきた。

山代之猪甘…『お主らは土地の者じゃねえなぁ。』

意祁王…『あっ、はい、大和国(奈良県)の天理から来ました。』

山代之猪甘…『ところで、わしぃのこの干し肉と、お主らが食べておる握飯(おにぎり)を交換してくれんかぁ?』

袁祁王…『あぁ、いいですよぉ、お爺さん。 美味しそうな干し肉ですねぇ、お爺さんが作ったんですか?』

山代之猪甘…『わしぃは昔から牛や豚を世話して生きてきた。 肉の事だったら知らぬ事はない。 ヘェヘェヘェヘェ〜』

そして干し肉と握飯(おにぎり)を交換して、山代之猪甘(ヤマシロノイカイ)は山林に消えていった。

意祁王…『久しぶりのお肉だ、さぁ、食べるぞっ! グェ まっ、まずい〜 世界一にまずい干し肉だなぁ!』

袁祁王…『うわっ、この干し肉、腐ってとるぞっ、あのジジィに騙されたぁ〜』

この後、意祁王(オケノキミ)と袁祁王(ヲケノキミ)の兄弟は、河内国(大阪府)の玖須婆(くすば/樟葉)まで来て淀川を渡り、ドンドンと突き進んで播磨国(はりま/兵庫県)までやって来た。

此処(ここ)で国司に就く志自牟(シジム)の屋敷に御厄介になる事にした。

意祁王…『すみません、突然にお邪魔して。』

袁祁王…『農作業など、どんな事でもしますから、何なりとお申し付け下さい。』

志自牟…『何(なん)も、何(なん)も、気兼ねせんでええよぉ〜 此処(ここ)は田舎じゃけんねぇ〜 土地の者はみんな良い人じゃから。』

こうして意祁王(オケノキミ)と袁祁王(ヲケノキミ)は、この土地で農作業に牛や馬の世話をしながら生きていた。

意祁王…『お〜 この牛はよう乳が出とる。 ええぞ、ええぞ。』

牛…『モォ〜〜』

袁祁王…『この後、婆さんの稲刈りを手伝ってくるわぁ。』

志自牟…『元気な青年2人が来て、この村の大助かりじゃ。』

それが後々に、あんな展開になるとは・・・

▼ 第16代天皇の仁徳天皇(にんとくてんのう)からの関係者
1:市辺押磐皇子(イチノヘノオシハノミコ) 忍歯王(オシハノミコ) 第17代天皇の履中天皇(りちゅうてんのう)の子供
2:意祁王(オケノキミ) 第24代天皇の仁賢天皇(にんけんてんのう) 市辺押磐皇子(イチノヘノオシハノミコ)の子供
3:袁祁王(ヲケノキミ) 第23代天皇の顕宗天皇(けんぞうてんのう) 市辺押磐皇子(イチノヘノオシハノミコ)の子供
4:韓帒(カラフクロ) 狭狭城山氏(ささきのやまうじ/佐佐貴山)の祖 賤民(せんみん)の陵戸(りょうこ)
5:山代之猪甘(ヤマシロノイカイ) 猪飼部(いかいべ)の畜産民
6:志自牟(シジム) 山部連小楯(ヤマベノムラジオダテ) 伊予来目部小楯(イヨノクメベノオタテ) 伊予国(愛媛県)の官人 播磨国(はりま/兵庫県)の国司

HAIM /♪ FEEL THE THUNDER(THE CROODS: A NEW AGE)

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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20240523 - ラジオの友 URL

2024/05/23 (Thu) 15:51:02

◆◇◆其の四十九:尊王の国・日本ですけど、何か?◆◇◆

●第21代天皇 雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)●

第20代天皇の安康天皇(あんこうてんのう)が7歳の坊やによる暗殺により崩御(ほうぎょ)し、当面の間、その皇位後継者は空席のままだったが、ようやく兄弟の大長谷命(オオハツセノミコ)が第21代天皇の雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)として即位(そくい)した。

雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)は大和国(奈良県)の天理に建つ石上穴穂宮(いそのかみのあなほのみや)から、同じ大和国(奈良県)の桜井に遷都(せんと)して長谷朝倉宮(はつせのあさくらのみや)を創建した。

組長として大長谷命(オオハツセノミコ)は、ようやく大長谷組を勢力拡大して一大組織に育て上げ、直参(じきさん)の組から本部へと改正し雄略組の雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)として倭国(日本)のヤマト政権に君臨する事になる。

この猛々(たけだけ)しい“荒ぶる獅子”から倭建御子(ヤマトタケルノミコ)の再来と言われ、若建(ワカタケル)とも呼ばれた。

次は雄略組の構成員の面倒を見てもらう姐さんの招聘(しょうへい)である。

兄の安康天皇(あんこうてんのう)が在命中に、婚約者として紹介してくれた第16代天皇の仁徳天皇(にんとくてんのう)の娘で、その安康天皇(あんこうてんのう)に抹殺された大日下王(オオクサカノミコ)の兄が居る、草香幡梭姫皇女(クサカノハタビヒメノヒメミコ)こと若日下王(ワカクサカノミコ)を正式な結婚をする為に、河内国(大阪府)の生駒山の麓にある日下(くさか/東大阪)の屋敷に向かった。

近鉄奈良線の石切駅を降りて若日下王(ワカクサカノミコ)の屋敷に向かっている途中に、破風(はふ)の切妻屋根に千木(ちぎ)と堅魚木(かつおぎ)が設けられた神明造(しんめいづくり)の屋敷が建っていた。

雄略天皇…『おやぁ!? 此処(ここ)は河内国(大阪府)の生駒山の筈(はず)だが、何故(なぜ)に伊勢国(三重県)にある筈(はず)の伊勢神宮が此処(ここ)にあるのじゃ?』

この伊勢神宮風の屋敷は、河内国(大阪府)の志紀(しき)の豪族である志機大県主(シキノオオアガタヌシ)が、摂津国(大阪府)の繁華街に建つテナントビルの不動産取引で財を成して大儲けをして建設した成金あがりの自邸だった。

雄略天皇…『こんな紛らわしい偽物(ニセモノ)の建物は焼いてしまえっ!』

そう言って伊勢神宮風の屋敷の周囲にガソリンを撒いて火を着け様とした時に、庭の剪定(せんてい)をしていた家主の志機大県主(シキノオオアガタヌシ)が気付いて、慌てて飛び出してきた。

志機大県主…『おいおい、君はいったい何をしているんやぁ!?』

雄略天皇…『この伊勢神宮風の屋敷は紛らわしいし、そもそもこれは天照大御神(アマテラス)への冒涜(ぼうとく)でもある為に、焼いてこの世から抹消する必要がある。 偽物(ニセモノ)は倭国(日本)の領民の品位を低下させる!』

志機大県主…『いや、自宅を焼かれるのは困る、そうだ、この白い犬をあげるから許してくれ。』

そう志機大県主(シキノオオアガタヌシ)が言って、庭先でウロウロしていた白い犬のタロウを雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)に献上した。

雄略天皇…『犬? ああ、この白い犬か。 ちょうどいい、今から妻を迎えに行くから、この犬をプレゼントしよう。』

タロウ…『ワンワン ワンワン』(よろしくね)

こうして雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)と白い犬のタロウは、若日下王(ワカクサカノミコ)の屋敷に向かった。

ピンポ〜ン ピンポ〜ン

若日下王…『はぁ〜い、どなたぁ〜』

雄略天皇…『婚約者の僕です。』

タロウ…『ワンワン ワンワン』

若日下王…『あらっ? この犬は何?』

雄略天皇…『君へのプレゼントだよぉ。 摂津国(大阪府)の上町台地にある上本町の近鉄百貨店の屋上にあるペットショップで買ってきたんだ。』

若日下王…『まあ可愛い、我が家へようこそ。』

タロウ…『ワンワン ワンワン』(よろしくね)

雄略天皇…『では、お邪魔します。』

若日下王…『ちょっと待って、あなたは別よ。 太陽の神でもある天照大御神(アマテラス)を崇拝する皇族が、太陽が沈む西日を背負い訪問するとは何事ですかっ! 皇室の慣習として本来なら太陽が昇る東側から参るものでしょ。 今度、私の方から大和国(奈良県)の桜井にある長谷朝倉宮(はつせのあさくらのみや)に、お召列車(おめしれっしゃ)に乗ってタロウと共に伺います。』

タロウ…『ワンワン ワンワン』(そうだ、そうだ)

その後、めでたく雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)と若日下王(ワカクサカノミコ)は結婚したが、子供は出来なかった。

雄略天皇…『う〜〜む、其方(そなた)との世継ぎが生まれんのぉ〜』

若日下王…『私の子供は、このタロウちゃんです。 ねぇ〜タロウちゃん。』

タロウ…『ワンワン ワンワン』(ママ〜 抱っこしてぇ〜)

雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)には妻がもう1人おり、“允恭天皇(いんぎょうてんのう)御子息の仁義なき戦い”の時に死に追いやった都夫良意富美(ツブラオオミ)の娘で、人質として差し出された葛城韓媛(カツラギノカラヒメ)こと訶良比売(カラヒメ)である。

▼雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)の関係者
1:志機大県主(シキノオオアガタヌシ) 河内国(大阪府)の志紀(しき)の豪族
2:白髪命(シラカノミコト) 第22代天皇の清寧天皇(せいねいてんのう) 雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)と訶良比売(カラヒメ)の子供
3:若帯比売命(ワカタラシヒメノミコト) 雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)と訶良比売(カラヒメ)の子供 伊勢神宮の斎宮

THE OFFSPRING /♪ SMASH IT UP

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20240523 - ラジオの友 URL

2024/05/23 (Thu) 15:52:05

◆◇◆其の五十:尊王の国・日本ですけど、何か?◆◇◆

第21代天皇の雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)がまだ、大長谷命(オオハツセノミコ)の名前で駆け出しの大長谷組の組長をしていた頃、兄貴で第20代天皇の安康天皇(あんこうてんのう)の大和国(奈良県)の桜井の行幸(ぎょうこう)にお供をしていた時に、その地を流れる美和河(三輪川)で1人の美しい乙女が洗濯をしていた。

大長谷命(オオハツセノミコ)は美しい乙女に一目惚れして声を掛けた。

大長谷命…『お姉ちゃん、えらいベッピンさん(美人)やぁのぉ〜 わしぃがヤマト政権の大親分になったらお嫁さんに迎入れるから、それまで誰1人の男がお姉ちゃんの身体に触れる事なく、乙女としての“操”(みさお)を守り通してやぁ。 お姉ちゃんの名前、何て言うねぇん?』

赤猪子…『はい、私は引田部赤猪子(ヒケタベノアカイコ)と申し、みんなからは赤猪子(アカイコ)と呼ばれています。 御子様(みこさま)の事をいつまでもお待ちしております。』

そこから時は流れて・・・

大長谷命(オオハツセノミコ)は“允恭天皇(いんぎょうてんのう)御子息の仁義なき戦い”で戦い抜き、ようやく第21代天皇の雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)と言う大親分となった。

そんなある日、大和国(奈良県)の桜井にある長谷朝倉宮(はつせのあさくらのみや)に、1人の老婆が訪ねて来た。

官人…『宮殿の近くに住む老婆が、陛下に拝謁(はいえつ)を希望しております。』

雄略天皇…『あんなヨボヨボの梅干しみたいな婆さんなんて知らんでぇ。』

赤猪子…『御子様(みこさま)も御立派に成られまして、私は引田部赤猪子(ヒケタベノアカイコ)と申し、約50年ほど前に美和河(三輪川)で求婚された者で御座います。』

雄略天皇…『50年前? 美和河(三輪川)? 求婚? 何の事やらさっぱり分からんわぁ?』

赤猪子…『やはり御忘れでしょう。 ただ、御子様(みこさま)との契(ちぎ)り通りに、この50年間、女としての“操”(みさお)を御守りした事だけは、陛下に知って頂きたかったのです。』

雄略天皇…『なに!? 朕(ちん)との口約束で、男を知らずにここまで生きてきたのか? それは大変、申し訳ない事をした。 今更、お詫びをしても遅いが、謝罪の気持ちだけは受け取って御帰宅くだされ。』

そう言って雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)は、現金5億円、“DMG森精機”の株券1万株、エルメスの“ケリー”と“バーキン”のバッグを各2個、山城国(京都府)の東山と嵯峨に建つ新築マンションの間取りが2LDKの2住戸を賜物(たまもの)として与えた。

赤猪子…『ウッウッウッ〜 陛下、有難き幸せで御座います。 ウッウッウッ〜』

泪して御帰宅した赤猪子(アカイコ)である。

雄略天皇…『いやぁ〜 軽はずみとは言え、行き当たりばったりの求婚を真(ま)に受けて、今まで忠義を通す人格者が居るとはのぉ〜 朕(ちん)も反省しつつ、見習わなければならぬな。』

官人…『はい、女性として、人間として、人の鏡ですな。』

ただ実は、赤猪子(アカイコ)は10代の頃から山城国(京都府)の八坂神社前にある夜の祇園でホステスとして働き“祇園の黒蝶”(ぎおんのくろちょう)と呼ばれ、20代にはボディコンにTバックを着てディスコの“マハラジャ祇園”でお立ち台にのぼり扇子をフリフリして踊り狂い、その前後に出逢った男性と結婚と離婚を繰り返してバツ3だった。

赤猪子…『男を欺(だま)すなんて、ぶぶ漬け(お茶漬け)を作るより簡単よぉん。』

その後、雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)が桜見物で大和国(奈良県)の吉野に行幸(ぎょうこう)に出掛けた時に、吉野宮(よしののみや)の近くを流れる吉野川に1人の乙女が水遊びをしていた。

濡れた着物から透ける乙女の身体に心を奪われた雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)は声を掛けた。

雄略天皇…『なんて綺麗な乙女なんだっ! 僕と結婚して下さい。』

乙女…『ええ〜 おじさんと結婚? いいよぉ〜』

こうして大和国(奈良県)の吉野で出逢った乙女を愛妾(あいしょう)として迎え入れた。

そして、時より大和国(奈良県)の吉野で出逢った場所の吉野川の畔(ほとり)で、琴を奏でて乙女を岩の上で歌舞を踊らせては、雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)はそれを観賞して楽しんだ。

雄略天皇…『若き麗(うるわ)しき乙女の乱舞を独り占めできる喜びは、これ以上ない幸せで御座る。』

ただ実は、乙女は今も昔も摂津国(大阪府)の梅田にあるディスコの“マハラジャマルビル”で、ボディコンにTバックを着てお立ち台にのぼり扇子をフリフリして踊り狂い、スケベ目的の観客の男どもに“お尻”を観せて楽しんでいた。

乙女…『男に観られながら踊り狂うこの快感、やめられまぁへぇ〜〜ん!』

この大和国(奈良県)の宮滝(みやたき)の吉野川では、雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)が乙女の乱舞に一心不乱に観賞している時に、虻(アブ)に刺され顔の半分近くが腫れ上がった。

その憎しき虻(アブ)を蜻蛉(トンボ)が捕食した事から、雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)はこの地を蜻蛉島(あきづしま)と名付け、それが阿岐豆野(あきづの)に変化した。

乙女…『ダーリン、大丈夫? お顔が551蓬莱の“豚まん”みたいになっているけど?』

雄略天皇…『大丈夫、大丈夫、何のこれしき!』

▼雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)の女性関係
1:赤猪子(アカイコ) 引田部赤猪子(ヒケタベノアカイコ) 婚姻の契りを交わした女性

EURYTHMICS /♪ I NEED A MAN

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20240523 - ラジオの友 URL

2024/05/23 (Thu) 15:53:04

◆◇◆其の五十一:尊王の国・日本ですけど、何か?◆◇◆

ある日、第21代天皇の雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)は家臣数十名を引き連れて、大和国(奈良県)の葛城山(かつらぎさん)に居る牛ほどの大きさもある猪(イノシシ)を退治しに来た。

ここは一発、猛々(たけだけ)しい“荒ぶる獅子”と言われる若建(ワカタケル)を家臣達に見せて、勇気ある猪(イノシシ)退治として“武勇伝”を後世にまで残しておこうと思ったのかも知れない。

雄略天皇…『よっしゃ、葛城山(かつらぎさん)の中腹まで来たぞ、猪(イノシシ)めぇ、どっからでも掛かって来(こ)んかぁい!』

家臣A…『勇気ある陛下、頑張って下さい。』

そしたら山林の奥から唸(うな)り声をあげながら大きな猪(イノシシ)が猪突猛進(ちょとつもうしん)してきてた。

ドッドッドッドッドッ〜

猪…『ブッル ブッルルルル〜』

雄略天皇…『出たな猪(イノシシ)めっ、これでも喰らえっ!』

咄嗟(とっさ)に弓矢を構えてた雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)は、威嚇(いかく)の為に音が鳴り響く矢の“鳴鏑”(なりかぶら)を射った。

ギュ〜〜 シュ ヒュインヒュインヒュイン〜

ドッドッドッドッドッ〜

猪…『ブッル ブッルルルル〜』

そんな事では動じない肝の座った大きな猪(イノシシ)は、雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)を目掛けて突進してくる。

“荒ぶる獅子”と言われた勇敢な若建(ワカタケル)、どうする!

雄略天皇…『わぁ〜〜 助けて〜 怖いよぉ〜』

そう言うと、雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)は大切な弓矢をほっぽり出して、近くの大きな木によじ登った。

家臣A…『えっ!?』

目的物を見失った大きな猪(イノシシ)は、今度は見物していた家臣団に目掛けて突進してくる。

そして逃げまとう家臣団の1人に激突して、その勢いで吹き飛ばされた家臣は大きな猪(イノシシ)に咬(か)み殺された。

ドッドッドッドッドッ〜

猪…『ブッル ブッルルルル〜』

ドカァ〜〜ン



家臣A…『あれぇ〜〜』



ヒュ〜〜 ドテッ



猪…『ガツゥガツゥガツゥ〜』



家臣A…『ギャ〜〜 やられた〜〜』

お腹が一杯になった大きな猪(イノシシ)は、再び山林の中に消えていった。

雄略天皇…『いやっ、めっちゃビビったわぁ〜 殺されるかと思ったわぁ〜』

家臣B…『・・・』

また別の日に、性懲(しょうこり)りも無く、雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)は家臣数十名を引き連れて、大和国(奈良県)の葛城山(かつらぎさん)に居る牛ほどの大きさもある猪(イノシシ)を退治しに来た。

今度は雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)を含めて家臣団に、青摺(あおずり)の着物に紅い紐(ひも)を付けた全員が同じ格好をしていた。

これは同じ人が複数も居て混乱する大きな猪(イノシシ)に対する陽動作戦とも考えられる。

雄略天皇…『今回は、全員が同じ格好だから、あの猪(イノシシ)もターゲットを絞り込めずに混乱するぞっ!』

そして葛城山(かつらぎさん)の山頂付近まで来ると、向こう側の山に自分達と同じ様な格好をした軍団が此方(こちら)を見ていた。

雄略天皇…『あれぇ? あの軍団は誰だ? この倭国(日本)には天皇はわしぃ1人しか居ない筈(はず)だぞぉ。』

家臣C…『そうですねぇ〜 もしかしたら何処(どこ)かの大学のワンダーフォーゲル部かもしれませんね。』

雄略天皇…『お〜い、君達は誰だぁ〜い?』

一言主大神…『お〜い、君達は誰だぁ〜い?』

そしたら相手方も、“山彦”(やまびこ)の様に同じ質問をしてきた。

雄略天皇…『舐めた野郎だ! この弓矢で撃ち落としてやる。』

そう言って雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)が弓を構えると、相手の大将も同じ様に弓を構えた。

そしてこう言った。

一言主大神…『私は悪い事も一言、善い事も一言で言葉を言い放つ、葛城山(かつらぎさん)の神様の一言主大神(ヒトコトヌシ)である。』

そう言うと一言主大神(ヒトコトヌシ)の本来の姿に戻った。

雄略天皇…『おお〜 山の神様に出逢えるとは、何て素晴らしい日なんだっ! 私達が身に付けている着物、太刀(たち)、弓矢、ルイヴィトンの財布、ロレックスの時計を、山の神様に献上致します。』

一言主大神…『お〜お〜悪いのぉ〜 その献上品は早速にメルカリに出して換金しようではないか、高く売れるぞぉ〜』

こうして一言主大神(ヒトコトヌシ)はニコニコ顔で、雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)と家臣団の下山を温かく見守った。

▼雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)の関係者
1:一言主大神(ヒトコトヌシ) 葛城山(かつらぎさん)の神様

PEARL JAM /♪ ANIMAL

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20240523 - ラジオの友 URL

2024/05/23 (Thu) 15:53:59

◆◇◆其の五十二:尊王の国・日本ですけど、何か?◆◇◆

第21代天皇の雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)も晩年になると、勇猛果敢な“荒ぶる獅子”と言われる若建(ワカタケル)の影が薄くなり、穏やかな日々を過ごしていたこと

そんなある日、大和国(奈良県)の春日に袁杼比売(オドヒメ)と言う美人の娘が居り、雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)は最後に一花咲かせたいと思ってしまった。

そこで雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)は春日山まで行幸(ぎょうこう)に行き、神様の遣いでもある鹿に“鹿煎餅”(しかせんべい)を与えていたら、そこでバッタリと袁杼比売(オドヒメ)と出逢う。

雄略天皇…『なんて綺麗な女性なんだっ! 僕と結婚して下さい。』

袁杼比売…『ええっ〜!? 出逢っていきなりプロポーズ? 恥ずかしいぃ〜』

そう言って春日山の何処(どこ)かの丘に隠れてしまった。

雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)は付近をあちこち探したが袁杼比売(オドヒメ)は見つからず、猿沢池の畔(ほとり)で体操座りをして、石を投げながらこう呟いた。

雄略天皇…『今、此処(ここ)に金属で出来た鋤(すき/シャベル)があれば丘を掘り起こして、袁杼比売(オドヒメ)を探し当てる事ができるのに、それも無いから残念だ。』

こうして袁杼比売(オドヒメ)が隠れた丘を金鋤岡(かなすきのおか)と呼ぶ様になった。

その後、袁杼比売(オドヒメ)は兄の佐都紀臣(サツキノオミ)の薦めで雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)の側室となった。

これが縁で雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)と袁杼比売(オドヒメ)は、大和国(奈良県)でパワーショベルやバックホウを揃えた土木会社を設立して、山や丘を切り開いて宅地開発の事業に乗り出した。

▼大和国(奈良県)の春日山の人々
1:佐都紀臣(サツキノオミ) 和珥深目(ワニノフカメ) 大和国(奈良県)の和珥氏(わにうじ)の祖である建振熊命(タケフルクマノミコト)の家系
2:袁杼比売(オドヒメ) 佐都紀臣(サツキノオミ)の妹

ある宮中の欅(けやき)が生い茂る庭先で酒宴を開催した時、雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)の大きな盃に、采女(うねめ/女官)がお酒を注いでいた、上から欅(けやき)の葉が舞い降りて盃の中に入った。

この欅(けやき)の葉っぱ入り酒を見て、衛生上の理由から雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)は激怒して、采女(うねめ/女官)を押し倒して剣(つるぎ)を喉元に当て斬首しようとした。

雄略天皇…『おどれぇ(お前)は俺に、葉っぱ入りの酒を飲めと言うんかぁい!』

采女…『陛下、これは違います。 お酒に葉っぱが浮いているのは良い兆しです。 天津神(あまつのかみ)の伊耶那岐神(イザナギ)と伊耶那美神(イザナミ)が“国生み”をする際に、“天の沼矛”(あめのぬぼこ)で海面をコオロコオロとかき混ぜた時に落ちた雫(しずく)で誕生したオノゴロ島を、盃の中で再現しています。』

采女(うねめ/女官)はそう言うと踊り出して“天地創造の舞”を披露した。

この神話に気を良くした雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)は欅(けやき)の葉が浮いたお酒を一気に飲み干した。

そうすると雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)の口の中で蠢(うごめ)くモノがあるので、吐き出してみると毛虫だった。

多分、欅(けやき)の葉に付いていたのであろう。

この毛虫を見て、衛生上の理由から雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)は激怒して、采女(うねめ/女官)を押し倒して剣(つるぎ)を喉元に当て斬首しようとした。

雄略天皇…『ウギャ、毛虫を飲み込むところだったでないかっ!』

采女…『陛下、それは違います。 天津神(あまつのかみ)の伊耶那岐神(イザナギ)と伊耶那美神(イザナミ)が“神生み”をした際に、最初に誕生した蛭子(ヒルコ)です。 蛭子(ヒルコ)は後々の漁業や商売の神様の恵比寿天(えびすてん)となり、大変に縁起が良いです。』

雄略天皇…『う〜〜ん、わしぃは其方(そなた)の説明に、上手く乗せられているだけの様な気がしてならないんじゃが。』

采女(うねめ/女官)は再び踊り出して、“商売繁盛の舞”を披露した。

こんな感じの余生を過ごしながら雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)は124歳で崩御(ほうぎょ)し、河内国(大阪府)の羽曳野にある丹比高鷲原陵(たじひのたかわしのはらのみささぎ)に埋葬された。

LIAM LYNCH /♪ UNITED STATES OF WHATEVER

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20240523 - ラジオの友 URL

2024/05/23 (Thu) 15:54:57

◆◇◆其の五十三:尊王の国・日本ですけど、何か?◆◇◆

●第22代天皇 清寧天皇(せいねいてんのう)●

清寧天皇(せいねいてんのう)の父親の雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)は生前、吉備国(岡山県)に住む絶世の“美女の噂”を聞きつけて、その女性に逢いに行く。

吉備国(岡山県)で一番の美しき女性と言われたのは、備前国(岡山県)の上道郡(じょうとうぐん/岡山)の豪族の吉備上道臣(キビノカミツミチノオミ)の娘の吉備稚媛(キビノワカヒメ)だったが、ただ、既に吉備上道田狭(キビノカミツミチノタサ)と結婚しており人妻だった。

猛々(たけだけ)しい“荒ぶる獅子”と言われる若建(ワカタケル)こと雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)には、人妻だろうが未亡人だろうがそんな事は関係なく、吉備稚媛(キビノワカヒメ)を旦那の吉備上道田狭(キビノカミツミチノタサ)から奪い取り略奪婚をした。

そこで誕生した子供が星川稚宮皇子(ホシカワノワカミヤノミコ)で、これが第22代天皇の清寧天皇(せいねいてんのう)の時代に尾を引く。

第21代天皇の雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)が崩御(ほうぎょ)し、息子の白髪命(シラカノミコト)が第22代天皇の清寧天皇(せいねいてんのう)として即位(そくい)した。

ここで雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)の妻の吉備稚媛(キビノワカヒメ)が、息子の星川稚宮皇子(ホシカワノワカミヤノミコ)にも皇位継承の権利があると主張し始めた。

星川稚宮皇子(ホシカワノワカミヤノミコ)は政権地盤の吉備国(岡山県)から兵士や軍備を整備して挙兵し吉備軍を結成した。

一方、清寧天皇(せいねいてんのう)は重鎮家臣の大伴室屋(オオトモノムロヤ)と都加使主(ツカノオミ)を大将に据えて大和軍を組成して交戦に備える。

未亡人の吉備稚媛(キビノワカヒメ)は息子の星川稚宮皇子(ホシカワノワカミヤノミコ)に対して、ヤマト政権の財務基盤となる金銀財宝や貢納物(こうのうぶつ)が納められる大蔵(おおくら)を占領する様に助言し、吉備軍はその通りに大蔵(おおくら)を占拠した。

ただ、大伴室屋(オオトモノムロヤ)と都加使主(ツカノオミ)が指揮する大和軍は、大蔵(おおくら)を占拠した星川稚宮皇子(ホシカワノワカミヤノミコ)や母親の吉備稚媛(キビノワカヒメ)の居る家屋に火を放ち炎上させて、屋内に居た者は全て焼死した。

このヤマト政権の内紛を聞き付けた吉備稚媛(キビノワカヒメ)の父親の吉備上道臣(キビノカミツミチノオミ)は、娘の吉備稚媛(キビノワカヒメ)や孫の星川稚宮皇子(ホシカワノワカミヤノミコ)を救出しようと備前国(岡山県)の上道郡(じょうとうぐん/岡山)から出陣し、船で大和国(奈良県)に向かったが時既(ときすで)に遅し。

娘の吉備稚媛(キビノワカヒメ)と孫の星川稚宮皇子(ホシカワノワカミヤノミコ)は焼死した後だった。

清寧天皇(せいねいてんのう)はこの謀反(むほん)の処罰として、吉備上道臣(キビノカミツミチノオミ)など吉備一族の領地没収の改易(かいえき)とした。

これを古墳時代の480年頃に起こった「星川皇子の乱」(ほしかわのみこのらん)と呼ぶ。

一先(ひとま)ずヤマト政権が安定した為、清寧天皇(せいねいてんのう)は大和国(奈良県)の桜井に建つ長谷朝倉宮(はつせのあさくらのみや)から、同じ大和国(奈良県)の橿原(かしはら)に遷都(せんと)して磐余甕栗宮(いわれのみかくりのみや)を創建した。

清寧天皇(せいねいてんのう)は生まれながらにして白髪(はくはつ)で“銀狼”(ぎんろう)と呼ばれ、皇后を迎える事なく子供も居らず、生涯を1匹狼として生きた。

▼「星川皇子の乱」(ほしかわのみこのらん)の関係者
1:吉備上道臣(キビノカミツミチノオミ) 備前国(岡山県)の上道郡(じょうとうぐん/岡山)の豪族
2:吉備稚媛(キビノワカヒメ) 吉備上道臣(キビノカミツミチノオミ)の子供 吉備上道田狭(キビノカミツミチノタサ)の元妻 第21代天皇の雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)の妻
3:星川稚宮皇子(ホシカワノワカミヤノミコ) 第21代天皇の雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)と吉備稚媛(キビノワカヒメ)の子供
4:吉備上道田狭(キビノカミツミチノタサ) 備前国(岡山県)の上道郡(じょうとうぐん/岡山)の豪族
5:大伴室屋(オオトモノムロヤ) 大連(おおむらじ) 第19代天皇の允恭天皇(いんぎょうてんのう)から第23代天皇の顕宗天皇(けんぞうてんのう)まで仕える 佐伯氏(さえきうじ)の祖
6:都加使主(ツカノオミ) 東漢掬(ヤマトノアヤノツカ) 阿知直(アチノアタイ)こと阿知使主(アチノオミ)の子供 阿知吉師(アチキシ)の子孫 後漢の霊帝(れいてい)の末裔 漢直(あやのあたひ)の祖 東文氏(やまとのあやうじ/奈良)

RAINBOW /♪ ALL NIGHT LONG

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20240523 - ラジオの友 URL

2024/05/23 (Thu) 15:56:00

◆◇◆其の五十四:尊王の国・日本ですけど、何か?◆◇◆

1匹狼の“銀狼”(ぎんろう)として生きていく清寧天皇(せいねいてんのう)により、ヤマト政権は次期皇位継承者の問題に直面した。

官人や女官などは皇位家系図の古文書やインターネット検索などで、天皇の血筋を探した。

そこで見つかったのが第17代天皇の履中天皇(りちゅうてんのう)の子供で、市辺忍歯別王(イチノヘノオシハノワケノミコ)と飯豊青皇女(イイトヨアオノヒメミコ)こと忍海郎女(オシヌミノイラツメ)の兄妹である。

この2人の兄は市辺押磐皇子(イチノヘノオシハノミコ)で、第21代天皇の雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)が大長谷命(オオハツセノミコ)と名乗っていた頃に、近江国(滋賀県)の淡海(おうみ/近江)の琵琶湖の西側にある久多綿之蚊屋野(くたわたのかやの/愛知)の山林で殺害され埋められた人物である。

通常、皇位は男性が就任するものだが、兄の事もあり市辺忍歯別王(イチノヘノオシハノワケノミコ)は拒否した為に、ヤマト政権は妹の忍海郎女(オシヌミノイラツメ)を何とか説得して、万が一の時は暫定の飯豊天皇(いいとよてんのう)として即位(そくい)する約束を交わす。

そして大和国(奈良県)の葛城山(かつらぎさん)の麓に葛城忍海之高木角刺宮(かづらきのおしぬみのたかぎのつのさしのみや)を建造して、忍海郎女(オシヌミノイラツメ)はそこに居住した。

ある日、播磨国(はりま/兵庫県)の領国で、伊予国(愛媛県)の官人の山部連小楯(ヤマベノムラジオダテ)こと志自牟(シジム)がヤマト政権の屯倉(みやけ)の長官に任命された。

そして官舎を建設し、その新築祝いの酒宴が開催された。

この時、以前にこの村にやって来た2人の若者の意祁王(オケノキミ)と袁祁王(ヲケノキミ)の兄弟も、宴会場を盛り上げる為に歌舞を歌いながら踊った。

意祁王…『♪我々、兄弟は〜 播磨国(はりま/兵庫県)の土地の皆さんに恩義があり〜 その親切心に必ず報いますぅ〜』

袁祁王…『♪父親の市辺押磐皇子(イチノヘノオシハノミコ)が亡き者にされ〜 祖父の第17代天皇の履中天皇(りちゅうてんのう)も草葉の陰で泣いていますぅ〜』

志自牟…『ええっ〜!? お主らは皇族の御子様(みこさま)だったんかぁ〜〜
い!』

そう言って驚きの余りに志自牟(シジム)はひっくり返った。

志自牟(シジム)は早速にヤマト政権の葛城忍海之高木角刺宮(かづらきのおしぬみのたかぎのつのさしのみや)にメールを送信し、皇位継承者が見つかった事を報告した。

播磨国(はりま/兵庫県)の村で農作業に牛や馬の世話をしながら生きていた意祁王(オケノキミ)と袁祁王(ヲケノキミ)だったが、突如に皇位継承者の候補となり村では大騒ぎとなる。

志自牟(シジム)も2人の若者を自らの膝に乗せて大いに喜んだ。

志自牟…『まさかのぉ〜 お前達が皇族の血筋だったとはのぉ〜 ほんにぃ良かったのぉ〜』

その後、意祁王(オケノキミ)と袁祁王(ヲケノキミ)はヤマト政権に呼び戻され、大和国(奈良県)の葛城忍海之高木角刺宮(かづらきのおしぬみのたかぎのつのさしのみや)で叔母の忍海郎女(オシヌミノイラツメ)と同居する事となる。

それから数年が経ち、大和国(奈良県)のイオンモール橿原の広場で男女が互いに求愛の歌を歌い合う場の歌垣(うたがき)が開催された。

その会場にラッパーとなった意祁王(オケノキミ)と袁祁王(ヲケノキミ)の兄弟も参加していた。

そして大和国(奈良県)で最も有名なラッパーの志毘臣(シビノオミ)も歌垣(うたがき)に出場していた。

志毘臣(シビノオミ)の傍(かたわら)には、菟田首(オダノオビト)の娘でダンサーの大魚(オフヲ)が寄り添っていた。

先(ま)ずは弟の袁祁王(ヲケノキミ)と毘臣(シビノオミ)とのラップバトルが繰り広げられた。

志毘臣…『♪ヨォ 御子様(みこさま)と言われる袁祁王(ヲケノキミ)が住む御殿をよく見ると ヘェイ 建物の片方の隅が傾いているぜぇ!』

袁祁王…『♪ヘェイ それは大和国(奈良県)の大工の腕が悪いからだぜっ ヨォ 播磨国(はりま/兵庫県)の大工だったら腕がいいから こんな事にはならないぜっ!』

志毘臣…『♪それは違うぜっ ヤマト政権の大王(おおきみ)の心が緩(ゆる)み傾いているぜぇ 大臣(おおおみ)は幾重(いくえ)にも連なる柴垣に入る事させできないよぉ!』

袁祁王…『♪海の浅瀬の波が打ち寄せてぇ そこに遊びに来た鮪(シビ/まぐろ)の片鰭(かたひれ)に寄り添うのは俺の妻だぜっ その鮪(シビ/まぐろ)とは志毘臣(シビノオミ)、お前のことだっ!』

志毘臣…『♪大王(おおきみ)の御子様(みこさま)が住む御殿の柴垣は、節だらけでまとまりがなく 見っともない柴垣だぜぇ そんな柴垣の御殿など 直(す)ぐに焼けて無くなるぜっ!』

袁祁王…『♪鮪(シビ/まぐろ)を捕まえる海女(あま)よぉ その海女(あま)が離れていけば 鮪(シビ/まぐろ)も心悲しいだろうぜぇ 海女(あま)とはお前の横に居る大魚(オフヲ)の事だぜぇ なあ志毘臣(シビノオミ)よぉ!』

志毘臣…『ウグッグッグッ〜』

大魚…『あんた、どうしたの? 何か言い返しなさいよぉ。』

タージン(司会)…『はいはい、私がタージンで御座います。 此方(こちら)のラップバトルの勝敗は、なぁ、なんとぉ、この倭国(日本)を平定に導くヤマト政権の御曹司、あの袁祁王(ヲケノキミ)の勝利で決まりで御座います。』

お互いのラップバトルに合わせてブレイクダンスを踊っていた大魚(オフヲ)も、彼氏の志毘臣(シビノオミ)が負けた事を知ると、勝者の袁祁王(ヲケノキミ)の元に駆け寄り抱き付いてキスをした。

大魚…『いやぁ〜ん 貴方のラップは最高よぉ、私の身体も韻(いん)を踏んで欲しいわぁん。 チュ〜』

袁祁王…『エヘッヘッ〜 どうだ鮪(シビ/まぐろ)野郎よぉ、悔しかったら、いつでも勝負してやるぜぇ!』

志毘臣…『クッソォ〜 俺の女まで横取りしやがってぇ、覚えておれぇ〜』

こうして志毘臣(シビノオミ)はラップバトルで彼女を横取りされ復習する為に、軍備を整えて挙兵を企て、ビッグ・カツラギ・マウンテンを結成する。

志毘臣(シビノオミ)のその不穏な動きは、葛城忍海之高木角刺宮(かづらきのおしぬみのたかぎのつのさしのみや)に居住する意祁王(オケノキミ)と袁祁王(ヲケノキミ)の兄弟にも伝わり、“先手必勝”とばかりに徴兵して軍備を強化しクレイジー・ヤマト・フォーエバーを結成して、志毘臣(シビノオミ)の屋敷を包囲した。

そして志毘臣(シビノオミ)が率いるビッグ・カツラギ・マウンテンの抗戦も虚しく敗北し、志毘臣(シビノオミ)はクレイジー・ヤマト・フォーエバーの兵士に斬首された。

バサッ バサッバサッ

志毘臣…『ギャ〜〜 やられた〜〜 ヨォ メ〜〜ン!』

ゴロン

志毘臣(シビノオミ)の首級(しゅきゅう)は近鉄の大和高田駅前のロータリーの隅に晒し首(さらしくび)として設置された。

そして、第22代天皇の清寧天皇(せいねいてんのう)は在任5年で崩御(ほうぎょ)した。

▼皇位継承問題の関係者
1:市辺忍歯別王(イチノヘノオシハノワケノミコ) 第17代天皇の履中天皇(りちゅうてんのう)の子供 市辺押磐皇子(イチノヘノオシハノミコ)の兄弟
2:忍海郎女(オシヌミノイラツメ) 飯豊青皇女(イイトヨアオノヒメミコ) 飯豊王(イイトヨノミコ) 暫定の飯豊天皇(いいとよてんのう) 第17代天皇の履中天皇(りちゅうてんのう)の子供 市辺忍歯別王(イチノヘノオシハノワケノミコ)の妹
3:志毘臣(シビノオミ) 平群氏(へぐりうじ)の祖
4:菟田首(オダノオビト) 大和国(奈良県)の宇陀(うだ)の豪族
5:大魚(オフヲ) 菟田首(オダノオビト)の子供

THE OFFSPRING /♪ GONE AWAY

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20240523 - ラジオの友 URL

2024/05/23 (Thu) 15:57:08

◆◇◆其の五十五:尊王の国・日本ですけど、何か?◆◇◆

●第23代天皇 顕宗天皇(けんぞうてんのう)●

当初はヤマト政権の皇位継承者として兄の意祁王(オケノキミ)が皇太子として任命されていた。

しかし、意祁王(オケノキミ)は弟の袁祁王(ヲケノキミ)の方が皇位者に相応しいとして、第23代天皇の即位(そくい)を辞退した。

ただ、弟の袁祁王(ヲケノキミ)も兄の意祁王(オケノキミ)を差し置いて皇位には着けないと辞退する。

兄弟が皇位を譲り合う形となった。

意祁王…『♪ラップバトルで優勝したお前の方が 皇位者に相応しいぜっ!』

袁祁王…『♪いやいや 何を仰(おっしゃ)る 兄貴の方が先に世に飛び出したから 兄貴以外に皇位者はいないぜっ!』

意祁王…『♪播磨国(はりま/兵庫県)で生活してた時 父親の市辺押磐皇子(イチノヘノオシハノミコ)の事 祖父の第17代天皇の履中天皇(りちゅうてんのう)の事を 志自牟(シジム)の叔父さんに歌で聴かせたのはお前だぜぇ! それがあるから今があるぅ!』

袁祁王…『う〜〜ん 兄貴、俺の負けだっ! 仕方ない、第23代天皇の顕宗天皇(けんぞうてんのう)に成ろう。』

意祁王…『♪宜しく頼むぜ! ヘェイ ブラザー!』

こうして、弟の袁祁王(ヲケノキミ)が第23代天皇の顕宗天皇(けんぞうてんのう)として即位(そくい)した。

顕宗天皇(けんぞうてんのう)は大和国(奈良県)の橿原(かしはら)に建つ磐余甕栗宮(いわれのみかくりのみや)から、河内国(大阪府)の羽曳野(はびきの)に遷都(せんと)して近飛鳥八釣宮(ちかつあすかのやつりのみや)を創建した。

第22代天皇の清寧天皇(せいねいてんのう)の時期に、第21代天皇の雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)の妻の吉備稚媛(キビノワカヒメ)と、その息子の星川稚宮皇子(ホシカワノワカミヤノミコ)が謀反(むほん)を起こして抹殺された「星川皇子の乱」(ほしかわのみこのらん)で、実はもう1人の息子が居り、それが磐城皇子(イワキノミコ)こと石木王(イワキノミコ)だった。

この石木王(イワキノミコ)は「星川皇子の乱」(ほしかわのみこのらん)とは無関係だった事が証明され、吉備氏の一族だったが命を取られる事は無かった。

その石木王(イワキノミコ)の娘の難波小野王(ナニワノオノノミコト)こと難波王(ナニワノミコ)と顕宗天皇(けんぞうてんのう)は結婚したが、子供は出来なかった。

顕宗天皇(けんぞうてんのう)は即位後、先(ま)ずは雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)に殺害された父親の市辺押磐皇子(イチノヘノオシハノミコ)の遺体探しから始めた。

大和国(奈良県)から遠方の地で起こった事件だった為に、ヤマト政権の宮中には当時を知る者はほとんど残っておらず、しかも、加害者の雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)と被害者の市辺押磐皇子(イチノヘノオシハノミコ)の2人だけの殺人現場の為に、遺体が埋められた場所を特定するのは困難が予想された。

取り敢えず顕宗天皇(けんぞうてんのう)は、近江国(滋賀県)の淡海(おうみ/近江)の琵琶湖の東側にある久多綿之蚊屋野(くたわたのかやの/愛知)に行ってみた。

近隣の住民にも聞き込みをしたが、誰も当時の事件を知る者は居なかった。

諦(あきら)めかけたその時、村外れにある貧しい地域に住む老婆が近付いてきて、顕宗天皇(けんぞうてんのう)に話し掛けた。

置目老媼…『もしや、お主は此処(ここ)で殺害され埋められた屍(しかばね)を探しておるのかなぁ?』

顕宗天皇…『えっ!? お婆さんは当時の事を知っておるのですか?』

置目老媼…『知っておるも何も、わしぃは森の陰から一部始終を見ておったわい。』

顕宗天皇…『そっ、そしたら父上が埋められた場所も覚えていますか?』

置目老媼…『あそこだけ草が生えておらんじゃろ、あの場所にお主の父親は眠っておる。』

そう老婆が指差した草の生えていない一帯を鋤(すき/シャベル)で掘り起こすと、白骨化した遺体が発見された。

骸骨(がいこつ)の歯型から、市辺押磐皇子(イチノヘノオシハノミコ)の特徴と一致した為に本人と確認された。

顕宗天皇…『お婆さん、本当に有難う御座いました。 何て御礼をすればいいのか。』

置目老媼…『わしぃは、いつかこんな日が来るかと思い草刈りを欠かさず行い、孤独な故人の為にお酒をこの地に撒いて弔っておったんじゃ。』

顕宗天皇…『うううっ〜 是非(ぜひ)、お婆さんの余生を朕(ちん)にお世話させて下さい。 そしてお婆さんに置目老媼(オキメノオウナ)と言う名前を勅与(ちょくよ)させて下さい。』

市辺押磐皇子(イチノヘノオシハノミコ)の亡骸(なきがら)は、この淡海(おうみ/近江)の久多綿之蚊屋野(くたわたのかやの/愛知)の地に墓陵を建造して埋葬した。

そして事件のあった当時、市辺押磐皇子(イチノヘノオシハノミコ)を騙し討ちした雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)の共犯者の韓帒(カラフクロ)の子孫は、身分剥奪され賤民(せんみん)の陵戸(りょうこ)として代々に渡り墓陵の管理に従事する事になった。

こうして淡海(おうみ/近江)の久多綿之蚊屋野(くたわたのかやの/愛知)の貧しい地域に住んでいた置目老媼(オキメノオウナ)は、河内国(大阪府)の羽曳野(はびきの)に建つ近飛鳥八釣宮(ちかつあすかのやつりのみや)の近くに屋敷を建設し、そこに住んでもらう事にした。

そして顕宗天皇(けんぞうてんのう)は宮殿に釣り鐘型の大鈴の鐸(ぬりて)を取り付け、置目老媼(オキメノオウナ)に逢いたい時はこの大鈴の鐸(ぬりて)を鳴らして呼び出した。

チリンチリン チリンチリン

顕宗天皇…『ご苦労様です。 媼(おうな)は何か不自由は事はありませんか? 何でも仰せ下さい。』

置目老媼…『いやいや、陛下の御厚意により、賤(いや)しい老婆はこれ以上の幸せは御座いません。 これより何か申し付ければ、高天原(たかまがはら/天界)の天津神(あまつのかみ)により罰(バチ)が当たります。』

顕宗天皇…『其方(そなた)のその謙虚な心は倭国(日本)の宝です。 媼(おうな)を“人間国宝”に勅命(ちょくめい)します。』

この貧しい地域の老婆だった置目老媼(オキメノオウナ)が、日本初の“人間国宝”に認定された。

それから月日(つきひ)が流れ、置目老媼(オキメノオウナ)から顕宗天皇(けんぞうてんのう)へ嘆願があった。

置目老媼…『私も歳を取り、この先いく日も生きる事はないでしょう。 最後は生まれ故郷で生涯を閉じたいと思っております。 私のわがままな御要望とは存じますが、是非(ぜひ)、陛下に受け入れて頂きたく存じます。』

顕宗天皇…『うううっ〜 媼(おうな)の気持ちを、朕(ちん)は汲み取り勅許(ちょきょ)致す。 置目老媼(オキメノオウナ)と過ごした幸せな時間、朕(ちん)は生涯に渡り忘れる事はないぞぉ。 うううっ〜』

こうして置目老媼(オキメノオウナ)は、近江国(滋賀県)の淡海(おうみ/近江)にある久多綿之蚊屋野(くたわたのかやの/愛知)の琵琶湖の畔(ほとり)に小さな御殿を建設してもらい、そこで余生を過ごした。

▼顕宗天皇(けんぞうてんのう)の関係者
1:石木王(イワキノミコ) 磐城皇子(イワキノミコ) 第21代天皇の雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)と吉備稚媛(キビノワカヒメ)の子供 星川稚宮皇子(ホシカワノワカミヤノミコ)の兄弟
2:難波王(ナニワノミコ) 難波小野王(ナニワノオノノミコト) 石木王(イワキノミコ)の子供 第23代天皇の顕宗天皇(けんぞうてんのう)の妻
3:置目老媼(オキメノオウナ) 近江国(滋賀県)の淡海(おうみ/近江)の久多綿之蚊屋野(くたわたのかやの/愛知)に住む貧しい老女

Robbin Thompson/♪ GUILTY

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20240523 - ラジオの友 URL

2024/05/23 (Thu) 15:58:00

◆◇◆其の五十六:尊王の国・日本ですけど、何か?◆◇◆

それから顕宗天皇(けんぞうてんのう)は、父親の市辺押磐皇子(イチノヘノオシハノミコ)が雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)に殺害され、幼い時に意祁王(オケノキミ)と袁祁王(ヲケノキミ)の兄弟で逃亡した際、途中に立ち寄った山城国(京都府)の苅羽井(かりはい/城陽)で、この地域で猪飼部(いかいべ)の畜産をする山代之猪甘(ヤマシロノイカイ)と名乗る老人に、自分達のランチの握飯(おにぎり)を騙し取られた怨念を忘れてはいなかった。

顕宗天皇(けんぞうてんのう)は山城国(京都府)の苅羽井(かりはい/城陽)まで行き、直ぐに山代之猪甘(ヤマシロノイカイ)を見つけ出して斬殺し、その家族親族の一族全員の身体の筋(スジ)の全部を斬り裂き、命は殺(と)らなかったものも歩けなくした。

顕宗天皇…『此(こ)の間(かん)の遺恨(いこん)、覚えたるか?』

バサッ バサッバサッ

山代之猪甘…『ギャ〜〜 やられた〜〜』

ゴロン

斬首された山代之猪甘(ヤマシロノイカイ)の首級(しゅきゅう)は、山城国(京都府)の城陽の奈良街道沿いの長池に晒し首(さらしくび)が設置された。

この事から『食べ物の恨みは恐ろしい!』と言う言葉が生まれた。

最後に雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)の報復を考えるも、相手は既に墓の中の為に、兄の意祁王(オケノキミ)に相談する。

顕宗天皇…『兄貴、父の仇(かたき)で雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)に仇討(あだう)ちしたいと思うが、本人は存命ではなく墓の中だし、どんな方法がよいのか?』

意祁王…『う〜〜ん、同じ父親を持つ兄弟としてお前の気持ちは十分に理解できるが、ただ、仮にもお前は天皇陛下だっ! そんな倭国(日本)の大王(おおきみ)が個人的な遺恨(いこん)で悪政を働けば、ヤマト政権全体の信用に関わる。 ここは俺に任せておけ。』

顕宗天皇…『兄貴の言う事にも一理あり、では、お任せ致す。』

こうして意祁王(オケノキミ)は、河内国(大阪府)の羽曳野にある雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)が埋葬される丹比高鷲原陵(たじひのたかわしのはらのみささぎ)に行き、墓陵の隅を少しだけ鋤(すき/シャベル)で掘り起こして帰ってきた。

あまりもの早い帰宅だったので、顕宗天皇(けんぞうてんのう)は意祁王(オケノキミ)に報復の状況を聞いた。

顕宗天皇…『兄貴、顕宗天皇(けんぞうてんのう)への報復はどうなった?』

意祁王…『もう完了したよ。 奴の墓陵を少しだけ掘り返してきた。』

顕宗天皇…『えっ!? そんな事で報復が終わり?』

意祁王…『ああっ、そりゃ奴の墓陵をユンボで全部を破壊したいのはやまやまだが、そんな事をしたらメディアやインターネットからヤマト政権への非難が集中し、領民からの信頼も失墜するだろう。 だから、隅だけ掘り返して報復に決着を付けた。』

顕宗天皇…『なるほど、兄貴の言う通りだ。 やはり皇位継承は聡明な兄貴が即位(そくい)するべきだったな。』

意祁王…『それは御勘弁だっ! アハッハッハッハッ〜』

顕宗天皇…『アハッハッハッハッ〜』

ただ、この後に顕宗天皇(けんぞうてんのう)の思いの通りになる。

●第24代天皇 仁賢天皇(にんけんてんのう)●

第23代天皇の顕宗天皇(けんぞうてんのう)が即位3年で崩御(ほうぎょ)し、兄の意祁王(オケノキミ)が第24代天皇の仁賢天皇(にんけんてんのう)として即位(そくい)した。

仁賢天皇(にんけんてんのう)は河内国(大阪府)の羽曳野(はびきの)に建つ近飛鳥八釣宮(ちかつあすかのやつりのみや)から、大和国(奈良県)の天理に遷都(せんと)して石上広高宮(いそのかみのひろたかのみや)を創建した。

仁賢天皇(にんけんてんのう)の妻は春日大郎女(カスガノオオイラツメ)で、この女性の父親は第21代天皇の雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)だが、自分の子供であるか疑っていた。

その理由は、雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)と春日大郎女(カスガノオオイラツメ)の母親が“一夜の愛”だけで誕生したからである。

ただし、その“一夜の愛”の中身は男女が7ラウンドも対戦しており、子息認知拒否していた雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)を当時の大臣(おおおみ)か諌(いさ)めて、春日大郎女(カスガノオオイラツメ)を自分の娘と認めさせた経緯(いきさつ)がある。

仁賢天皇(にんけんてんのう)は、そんな不遇の女性でもある春日大郎女(カスガノオオイラツメ)との間に、高木郎女(タカギノイラツメ)、財郎女(タカラノイラツメ)、久須毘郎女(クスビノイラツメ)、手白髮郎女(タシラカノイラツメ)、第25代天皇の武烈天皇(ぶれつてんのう)こと小長谷若雀命(オハツセノワカサザキノミコト)、眞若王(マワカノミコ)の6人の子供が誕生した。

さらに、大和国(奈良県)の和珥氏(わにうじ)である丸邇日爪臣(ワニノヒツメノオミ)の娘の糠若子郎女(ヌカノワクゴノイラツメ)と結婚し、子供の春日山田郎女(カスガノヤマダノイラツメ)が誕生した。

仁賢天皇(にんけんてんのう)は即位10年で崩御(ほうぎょ)した。

▼仁賢天皇(にんけんてんのう)の家族関係者
1:春日大郎女(カスガノオオイラツメ) 第21代天皇の雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)の子供 第24代天皇の仁賢天皇(にんけんてんのう)の妻
2:高木郎女(タカギノイラツメ) 仁賢天皇(にんけんてんのう)の子供
3:財郎女(タカラノイラツメ) 仁賢天皇(にんけんてんのう)の子供
4:久須毘郎女(クスビノイラツメ) 仁賢天皇(にんけんてんのう)の子供
5:手白髮郎女(タシラカノイラツメ) 仁賢天皇(にんけんてんのう)の子供 第26代天皇の継体天皇(けいたいてんのう)の妻
6:小長谷若雀命(オハツセノワカサザキノミコト) 第25代天皇の武烈天皇(ぶれつてんのう) 仁賢天皇(にんけんてんのう)の子供
7:眞若王(マワカノミコ) 仁賢天皇(にんけんてんのう)の子供
8:橘仲皇女(タチバナノナカツヒメミコ) 仁賢天皇(にんけんてんのう)の子供 第28代天皇の宣化天皇(せんかてんのう)の妻

9:丸邇日爪臣(ワニノヒツメノオミ) 大和国(奈良県)の和珥氏(わにうじ)
10:糠若子郎女(ヌカノワクゴノイラツメ) 丸邇日爪臣(ワニノヒツメノオミ)の娘 第24代天皇の仁賢天皇(にんけんてんのう)の妻
11:春日山田郎女(カスガノヤマダノイラツメ) 仁賢天皇(にんけんてんのう)の子供

TRAVIS /♪ U16 GIRLS

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20240523 - ラジオの友 URL

2024/05/23 (Thu) 15:58:50

◆◇◆其の五十七:尊王の国・日本ですけど、何か?◆◇◆

●第25代天皇 武烈天皇(ぶれつてんのう)●

第24代天皇の仁賢天皇(にんけんてんのう)が崩御(ほうぎょ)し、息子の小長谷若雀命(オハツセノワカサザキノミコト)が第25代天皇の武烈天皇(ぶれつてんのう)として即位(そくい)した。

武烈天皇(ぶれつてんのう)は大和国(奈良県)の天理に建つ石上広高宮(いそのかみのひろたかのみや)から、大和国(奈良県)の桜井に遷都(せんと)して長谷之列木宮(はつせのなみきのみや)を創建した。

武烈天皇(ぶれつてんのう)は妻も娶(めと)らず、子供も居らず、一生涯を1匹狼として生きた。

そんな武烈天皇(ぶれつてんのう)には、“クレイジーエンペラー”として数々の伝説が残っている。

『多くの悪行は有れど、1つの善業も無し。』

これが武烈天皇(ぶれつてんのう)のキャッチフレーズである。

趣味は酷刑(こっけい)を御天覧する事である。

①:お腹の大きな妊婦を執刀(しっとう)し開腹して、胎児を取り出して観察する研究者の気質を持っていた。

②:宮中で気が合わない官人や女官の手の爪を全て剥(は)いで、血塗れの素手で庭先で栽培している芋掘りをさせ、様々な農業作法に関心を示した。

③:官人や女官の頭髪を全て抜いて、大きな木に登らせて、ある程度まで登ったら、その木を根本から切り倒して、登った人が落下して死去したところを現場検証して万有引力(ばんゆういんりょく)を理解した。

④:宮廷の庭園にある大きな池に水が流れ込む為の樋(とい)に、官人や女官に水着を着用させて流れさせ、三つ刃の矛(ほこ)を持ち途中で待ち構えて、樋(とい)を流れてきた人を刺し殺して、プールのウォータースライダーと流しそうめんの原理を発案した。

⑤:朝鮮半島の百済(くだら)から使節(しせつ)の麻那君(まなきし)が、倭国(日本)のヤマト政権への朝貢(ちょうこう)として貢物(こうもつ)を献上したが、それ以前から長期間の百済(くだら)から朝貢(ちょうこう)が途切れていたとして麻那君(まなきし)を抑留(よくりゅう)し、この時に戦時中の人質交渉の兵法を編み出す。

⑥:官人や女官を大きな木に登らせて、弓矢で射って矢が突き刺さった人が落ちるのを見て、映画やドラマで高所から悪人が撃ち落とされるシーンを思い付く。

⑦:宮殿にステージを設けて、そこに女官と雄馬を引き合わせ遊牝(つるみ)の行為の禽獣姦(きんじゅうかん)をさせて、人と馬は愛し合えるのか馬婚(うまたわけ)を試み、行為を終えた女性の陰処(ほと)を覗き膣口(ちつこう)が潤っていれば抹殺され、潤っていなければ女性は奴隷にされ、異種のジェンダー結婚について研究した。

これだけ見ても、本場アメリカのハリウッドでも、ここまでのクレイジー映画は製作できないだろう。

●第26代天皇 継体天皇(けいたいてんのう)●

第25代天皇の武烈天皇(ぶれつてんのう)が崩御(ほうぎょ)し、近江国(滋賀県)の生まれで越前国(福井県)の育ちの衰本杼命(オオドノミコト)が第26代天皇の継体天皇(けいたいてんのう)として即位(そくい)した。

この衰本杼命(オオドノミコト)を探し出したのが、ヤマト政権の大連(おおむらじ)に就いていた大伴金村(オオトモノカナムラ)と物部麁鹿火(モノノベノアラカヒ)だった。

第15代天皇の応神天皇(おうじんてんのう)の子孫と言われるが、それは5世代も後の事で“謎の大王(おおきみ)”と呼ばれる。

第1代天皇の神武天皇(じんむてんのう)の血統から何処(どこ)かで途絶えている“王朝交替説”(おうちょうこうたいせつ)を巻き起こす一因にもなっている。

また、今までの皇位者は実在の確証が得られていない神話に近いが、第26代天皇の継体天皇(けいたいてんのう)からはウィンドウズの登場でコンピューター管理により皇位継承者が記録され確実な人物像とされる。

当初はヤマト政権に蔓延(はびこ)る古参の大臣(おおおみ)などの反対勢力を警戒して、直(す)ぐには大和国(奈良県)に入らず河内国(大阪府)の枚方(ひらかた)にある樟葉宮(くすはのみや)で即位(そくい)の儀式を行った。

この時点で継体天皇(けいたいてんのう)は58歳で、当時で言えば高齢者だった。

その後、継体天皇(けいたいてんのう)は大和国(奈良県)の桜井に建つ長谷之列木宮(はつせのなみきのみや)の近くに、磐余玉穂宮(いわれのたまほのみや)を創建した。

継体天皇(けいたいてんのう)は、尾張国(愛知県)の熱田神宮の周辺が地盤の尾張氏(おわりうじ)の目子媛(メノコヒメ)と結婚した。

その子供に第27代天皇の安閑天皇(あんかんてんのう)となる勾大兄皇子(マガリノオオエノミコ)と、第28代天皇の宣化天皇(せんかてんのう)となる檜隈高田皇子(ヒノクマノタカタノミコ)が誕生した。

また、第24代天皇の仁賢天皇(にんけんてんのう)の娘の手白髮郎女(タシラカノイラツメ)とも結婚した。

その子供に第29代天皇の欽明天皇(きんめいてんのう)となる天国排開広庭尊(アメクニオシハラキヒロニワノミコト)が誕生している。

これ以外にも7人の女性と結婚して、沢山の子供を誕生させ、皇位継承問題の解決に一役買っている。

また、継体天皇(けいたいてんのう)の就任中に、朝鮮半島問題を起因に九州の筑紫国(つくしのくに)から肥国(ひのくに)を一帯とした地盤を統治する豪族の竺紫君石井(チクシノキミイワイ)が、新羅(しらぎ)と結託してヤマト政権に対して謀反(むほん)を起こす。

これを鎮圧したのが物部麁鹿火(モノノベノアラカヒ)を将軍としたヤマト軍であり、敗北した筑紫軍の竺紫君石井(チクシノキミイワイ)は斬首された。

これを527年に起こった「磐井の乱」(いわいのらん)と呼ぶ。

▼継体天皇(けいたいてんのう)の関係者
1:衰本杼命(オオドノミコト) 第26代天皇の継体天皇(けいたいてんのう) 第15代天皇の応神天皇(おうじんてんのう)の子孫 “謎の大王(おおきみ)” 近江国(滋賀県)の生まれで越前国(福井県)の育ち
2:大伴金村(オオトモノカナムラ) 大連(おおむらじ)
3:物部麁鹿火(モノノベノアラカヒ) 大連(おおむらじ) ヤマト軍の将軍

4:目子媛(メノコヒメ) 継体天皇(けいたいてんのう)の妻 尾張国(愛知県)の熱田神宮の周辺が地盤の尾張氏(おわりうじ)
5:勾大兄皇子(マガリノオオエノミコ) 第27代天皇の安閑天皇(あんかんてんのう) 継体天皇(けいたいてんのう)と目子媛(メノコヒメ)の子供
6:檜隈高田皇子(ヒノクマノタカタノミコ) 第28代天皇の宣化天皇(せんかてんのう) 継体天皇(けいたいてんのう)と目子媛(メノコヒメ)の子供

7:天国排開広庭尊(アメクニオシハラキヒロニワノミコト) 第29代天皇の欽明天皇(きんめいてんのう) 継体天皇(けいたいてんのう)と手白髮郎女(タシラカノイラツメ)の子供

8:竺紫君石井(チクシノキミイワイ) 九州の筑紫国(つくしのくに)から肥国(ひのくに)を一帯の豪族

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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20240523 - ラジオの友 URL

2024/05/23 (Thu) 15:59:43

◆◇◆其の五十八:尊王の国・日本ですけど、何か?◆◇◆

●27代天皇 安閑天皇(あんかんてんのう)●

第26代天皇の継体天皇(けいたいてんのう)が崩御(ほうぎょ)し、息子の勾大兄皇子(マガリノオオエノミコ)が第27代天皇の安閑天皇(あんかんてんのう)として即位(そくい)した。

ただ66歳と言う高齢での即位(そくい)だった為に、就任4年間と短期に終わっている。

安閑天皇(あんかんてんのう)は大和国(奈良県)の桜井に建つ磐余玉穂宮(いわれのたまほのみや)から、同じ大和国(奈良県)の橿原(かしはら)に遷都(せんと)して勾金橋宮(まがりのかなはしのみや)を創建した。

そして安閑天皇(あんかんてんのう)は、第24代天皇の仁賢天皇(にんけんてんのう)と丸邇日爪臣(ワニノヒツメノオミ)の娘の春日山田郎女(カスガノヤマダノイラツメ)を妻に娶(めと)った。

ただ、皇位後継者となる子供は誕生しなかった。

安閑天皇(あんかんてんのう)はヤマト政権の直轄地でもある屯倉(みやけ)を、倭国(日本)の九州から関東の広い範囲で設置した。

そして勾金橋宮(まがりのかなはしのみや)には犬養部(いぬかひべ)を創設して、宮殿の番犬を飼育した。

犬…『ワンワン ハッハッハッ ワンワン ハッハッハッ〜』

安閑天皇…『尻尾(しっぽ)を振ってますねぇ〜 喜んでますねぇ〜 鼻が濡れてますねぇ〜 これは元気な証拠ですねぇ〜』

実は父親でもある第26代天皇の継体天皇(けいたいてんのう)が531年に崩御(ほうぎょ)した際に、目子媛(メノコヒメ)を母親とする息子の第27代天皇の安閑天皇(あんかんてんのう)こと勾大兄皇子(マガリノオオエノミコ)、および第28代天皇の宣化天皇(せんかてんのう)こと檜隈高田皇子(ヒノクマノタカタノミコ)と、手白髮郎女(タシラカノイラツメ)を母親とする息子の第29代天皇の欽明天皇(きんめいてんのう)こと天国排開広庭尊(アメクニオシハラキヒロニワノミコト)が、皇位継承を巡って政権争いをした可能性がある。

その時、ヤマト政権は天皇を2人即位(そくい)させる、室町時代より早い元祖・南北朝時代が成立していたかも知れない。

これを531年に起こった「辛亥の変」(しんがいのへん)と呼ぶ。

●第28代天皇 宣化天皇(せんかてんのう)●

第27代天皇の安閑天皇(あんかんてんのう)が崩御(ほうぎょ)し、弟の檜隈高田皇子(ヒノクマノタカタノミコ)が第28代天皇の宣化天皇(せんかてんのう)として即位(そくい)した。

ただ兄と同様に68歳と言う高齢での即位(そくい)だった為に、就任3年間と短期に終わっている。

宣化天皇(せんかてんのう)は大和国(奈良県)の橿原(かしはら)に建つ勾金橋宮(まがりのかなはしのみや)から、同じ大和国(奈良県)の明日香に遷都(せんと)して檜隈廬入野宮(ひのくまのいおりののみや)を創建した。

そして宣化天皇(せんかてんのう)は、第24代天皇の仁賢天皇(にんけんてんのう)と手白髮郎女(タシラカノイラツメ)の娘の橘仲皇女(タチバナノナカツヒメミコ)を妻に娶(めと)った。

その子供に、後々に第29代天皇の欽明天皇(きんめいてんのう)の妻となる石姫皇女(イシヒメノヒメミコ)、火焔皇子(ホノオオウジ)、宅部皇子(ヤカベノミコ)などが誕生した。

この頃から古墳時代のヤマト政権も衰退期に入り、大王(おおきみ)が独裁政治の実権を握るのではなく、大臣(おおおみ)や大連(おおむらじ)などの重鎮家臣が政権をコントロールする飛鳥時代の黎明期に入る。

そして朝にしか執務をしない政治運営を朝廷と呼んだ。

第27代天皇の安閑天皇(あんかんてんのう)の政権では、大臣(おおおみ)の蘇我稲目(ソガイナメ/朝廷)が登場し、倭国(日本)の直轄地でもある朝鮮半島の任那(みまな)を拠点に、高句麗(こうくり)、百済(くだら)、新羅(しらぎ)との国交の結び付きを強めた。

その流れが息子の蘇我馬子(ソガウマコ/朝廷)、その息子の蘇我蝦夷(ソガエミシ/朝廷)、その息子の蘇我入鹿(ソガイルカ/朝廷)へと続いていく。

▼安閑天皇(あんかんてんのう)の家族関係者
1:石姫皇女(イシヒメノヒメミコ) 宣化天皇(せんかてんのう)の子供 第29代天皇の欽明天皇(きんめいてんのう)の妻
2:火焔皇子(ホノオオウジ) 宣化天皇(せんかてんのう)の子供
3:宅部皇子(ヤカベノミコ) 宣化天皇(せんかてんのう)の子供

▼蘇我氏(そがうじ)の一族
1:蘇我稲目(ソガイナメ/朝廷) 大和国(奈良県)の高市郡(たかいちぐん/橿原)の豪族 大臣(おおおみ)の建内宿禰(タケウチノスクネ)が祖先 仏教派
2:蘇我馬子(ソガウマコ/朝廷) 蘇我稲目(ソガイナメ/朝廷)の子供 仏教派
3:蘇我蝦夷(ソガエミシ/朝廷) 蘇我馬子(ソガウマコ/朝廷)の子供 645年に起こった「乙巳の変」(いっしのへん)で自害
4:蘇我入鹿(ソガイルカ/朝廷) 蘇我蝦夷(ソガエミシ/朝廷)の子供 第38代天皇の天智天皇(てんぢてんのう)こと中大兄皇子(なかのおおえのみこ)と藤原鎌足(ふじわらかまたり)こと中臣鎌足(なかとみかまたり/公家)により斬殺

T.REX /♪ JEEPSTER

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20240523 - ラジオの友 URL

2024/05/23 (Thu) 16:00:41

◆◇◆其の五十九:尊王の国・日本ですけど、何か?◆◇◆

●第29代天皇 欽明天皇(きんめいてんのう)●

第28代天皇の宣化天皇(せんかてんのう)が崩御(ほうぎょ)し、義兄弟の天国排開広庭尊(アメクニオシハラキヒロニワノミコト)が第29代天皇の欽明天皇(きんめいてんのう)として即位(そくい)した。

ただ就任期間は531年に起こった「辛亥の変」(しんがいのへん)により不明確な箇所が多い。

なんせ1500年近く前の話しだから、人の記憶も朧(おぼろ)げになるのは当然である。

欽明天皇(きんめいてんのう)は大和国(奈良県)の明日香に建つ檜隈廬入野宮(ひのくまのいおりののみや)から、同じ大和国(奈良県)の桜井に遷都(せんと)して磯城島金刺宮(しきしまのかなさしのみや)を創建した。

そして欽明天皇(きんめいてんのう)は、第28代天皇の宣化天皇(せんかてんのう)と橘仲皇女(タチバナノナカツヒメミコ)の娘の石姫皇女(イシヒメノヒメミコ)を妻に娶(めと)った。

また、蘇我稲目(ソガイナメ/朝廷)の娘である蘇我堅塩媛(ソガキタシヒメ/朝廷)と蘇我小姉君(ソガオアネノキミ/朝廷)の姉妹を側室に迎え入れている。

その子供に、次に第30代天皇の敏達天皇(びだつてんのう)となる渟中倉太珠敷尊(ヌナクラノフトタマシキノミコト)、その次に第31代天皇の用明天皇(ようめいてんのう)となる橘豊日命(タチバナノトヨヒノミコト)、その次に第32代天皇の崇峻天皇(すしゅんてんのう)となる泊瀬部皇子(ハツセベノオウジ)、その次に第33代天皇の推古天皇(すいこてんのう/女皇)となる炊屋姫(カシキヤヒメ)、穴穂部皇子(アナホベノミコ)などが誕生した。

この大臣(おおおみ)の蘇我稲目(ソガイナメ/朝廷)は皇室と血縁関係を結び、外戚(がいせき)によりヤマト政権の実権を握った事で、パワーバランスの変化の兆しが出てきた。

一方、大連(おおむらじ)の大伴金村(オオトモノカナムラ)は倭国(日本)の管轄地だった朝鮮半島の任那(みまな)が新羅(しらぎ)に侵略され併合されたり、百済(くだら)から多額の賄賂(わいろ)を受け取っていた事などから、同じ大連(おおむらじ)の物部麁鹿火(モノノベノアラカヒ)に叱責(しっせき)され失脚した。

この後、第29代天皇の欽明天皇(きんめいてんのう)のヤマト政権は、重鎮家臣として蘇我稲目(ソガイナメ/朝廷)と物部尾輿(モノノベオコシ/朝廷)が仕える様になる。

物部尾輿(モノノベオコシ/朝廷)は物部麁鹿火(モノノベノアラカヒ)の親族であるが、直接の関係はない。

この時期に朝鮮半島から渡って来た使節団により、欽明天皇(きんめいてんのう)の元に仏教の教典(きょうてん)と仏像が贈呈された。

欽明天皇(きんめいてんのう)は重鎮家臣の蘇我稲目(ソガイナメ/朝廷)と物部尾輿(モノノベオコシ/朝廷)に、これら仏教と仏像について、どう対処すべきか問いかけた。

蘇我稲目…『仏教は中国大陸や朝鮮半島などを発展させ国を豊にする宗教で、布教させるべきである。』

物部尾輿…『日本は古来から神様が治める土地であり、神道(しんとう)を敬う事が大切であり重要でもある。』

欽明天皇…『う〜ん、ならさぁ、個々が仏教か神道(しんとう)のどちらか選択すれば良くねぇ?』

こうして宗教論争は一先(ひとま)ず保留となった。

ところが、この後の日本全国で疫病が大流行して、多くの死者を出す。

物部尾輿…『これは日本の神々が怒りを表(あら)わにしている証拠である!』

そう言って物部尾輿(モノノベオコシ/朝廷)は、仏教の拠点となっていた蘇我稲目(ソガイナメ/朝廷)の屋敷を焼き討ちにして、仏像を池に捨ててしまった。

ポチャン

仏像…『わてぇ、疫病と関係おまへぇんやぁん。』

▼欽明天皇(きんめいてんのう)の関係者
1:蘇我堅塩媛(ソガキタシヒメ/朝廷) 蘇我稲目(ソガイナメ/朝廷)の子供 第29代天皇の欽明天皇(きんめいてんのう)の妻
2:蘇我小姉君(ソガオアネノキミ/朝廷) 蘇我稲目(ソガイナメ/朝廷)の子供 第29代天皇の欽明天皇(きんめいてんのう)の妻
3:物部尾輿(モノノベオコシ/朝廷) 豪族 朝廷軍の将軍職 神道派

▼欽明天皇(きんめいてんのう)の子供
1:渟中倉太珠敷尊(ヌナクラノフトタマシキノミコト) 第30代天皇の敏達天皇(びだつてんのう) 欽明天皇(きんめいてんのう)の子供 推古天皇(すいこてんのう/女皇)の夫
2:橘豊日命(タチバナノトヨヒノミコト) 第31代天皇の用明天皇(ようめいてんのう) 欽明天皇(きんめいてんのう)の子供 聖徳太子(しょうとくたいし)こと厩戸皇子(ウマヤドノミコ)の父親
3:泊瀬部皇子(ハツセベノオウジ) 第32代天皇の崇峻天皇(すしゅんてんのう) 欽明天皇(きんめいてんのう)の子供
4:炊屋姫(カシキヤヒメ) 第33代天皇の推古天皇(すいこてんのう/女皇) 欽明天皇(きんめいてんのう)の子供 敏達天皇(びだつてんのう)の妻
5:穴穂部皇子(アナホベノミコ) 第29代天皇の欽明天皇(きんめいてんのう)の子供

TAXIRIDE /♪ GET SET

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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20240523 - ラジオの友 URL

2024/05/23 (Thu) 16:01:32

◆◇◆其の六十:尊王の国・日本ですけど、何か?◆◇◆

●第30代天皇の敏達天皇(びだつてんのう)●

第29代天皇の欽明天皇(きんめいてんのう)が崩御(ほうぎょ)し、息子の渟中倉太珠敷尊(ヌナクラノフトタマシキノミコト)が第30代天皇の敏達天皇(びだつてんのう)として即位(そくい)した。

敏達天皇(びだつてんのう)は大和国(奈良県)の桜井に建つ磯城島金刺宮(しきしまのかなさしのみや)から、最初は同じ大和国(奈良県)の葛城に遷都(せんと)して百済大井宮(くだらのおおいのみや)を創建したが、その後に桜井の訳語田幸玉宮(おさたのさきたまのみや)に移転した。

そして敏達天皇(びだつてんのう)は、近江国(滋賀県)の比呂比売命(ヒロヒメノミコト)を妻に娶(めと)り、その子供の押坂彦人大兄皇子(オシサカノヒコヒトノオオエノミコ)が誕生した。

更に異母兄弟の第33代天皇の推古天皇(すいこてんのう/女皇)こと炊屋姫(カシキヤヒメ)とも結婚して、その子供の竹田皇子(タケダノミコ)が誕生した。

側室との子供の糠手姫皇女(ヌカデヒメノヒメミコ)も誕生している。

敏達天皇(びだつてんのう)のヤマト政権は、大臣(おおおみ)は蘇我稲目(ソガイナメ/朝廷)の息子の蘇我馬子(ソガウマコ/朝廷)が就任し、大連(おおむらじ)は物部尾輿(モノノベオコシ/朝廷)の息子の物部守屋(モノノベモリヤ/朝廷)が就任した。

欽明天皇(きんめいてんのう)の時代に朝鮮半島から伝来した仏教だが、この時期も仏教派の蘇我馬子(ソガウマコ/朝廷)と、神道派の物部守屋(モノノベモリヤ/朝廷)が激しく対立していた。

蘇我馬子…『仏教は中国大陸や朝鮮半島などを発展させ国を豊にする宗教で、布教させるべきである。』

物部守屋…『日本は古来から神様が治める土地であり、神道(しんとう)を敬う事が大切であり重要でもある。』

敏達天皇…『う〜ん、ならさぁ、個々が仏教か神道(しんとう)のどちらか選択すれば良くねぇ?』

こうして宗教論争は一先(ひとま)ず保留となった。

ところが、この後の日本全国で疫病が大流行して、多くの死者を出す。

物部守屋…『これは日本の神々が怒りを表(あら)わにしている証拠である!』

そう言って物部守屋(モノノベモリヤ/朝廷)は、仏教の拠点となっていた蘇我馬子(ソガウマコ/朝廷)の屋敷を焼き討ちにして、仏像を池に捨ててしまった。

ポチャン

仏像…『わてぇ、疫病と関係おまへぇんやぁん。』

▼敏達天皇(びだつてんのう)の家族関係者
1:比呂比売命(ヒロヒメノミコト) 近江国(滋賀県)の息長氏(おきながうじ)
2:春日老女子(カスガノオミナゴ) 第29代天皇の敏達天皇(びだつてんのう)の妻 大和国(奈良県)の春日氏(かすがうじ)または小野氏(おのうじ)
3:押坂彦人大兄皇子(オシサカノヒコヒトノオオエノミコ) 敏達天皇(びだつてんのう)と比呂比売命(ヒロヒメノミコト)の子供 第34代天皇の舒明天皇(じょめいてんのう)の父親
4:竹田皇子(タケダノミコ) 敏達天皇(びだつてんのう)と第33代天皇の推古天皇(すいこてんのう/女皇)の子供
5:糠手姫皇女(ヌカデヒメノヒメミコ) 敏達天皇(びだつてんのう)の子供 押坂彦人大兄皇子(オシサカノヒコヒトノオオエノミコ)の妻 第34代天皇の舒明天皇(じょめいてんのう)の母親

▼敏達天皇(びだつてんのう)の関係者
1:物部守屋(モノノベモリヤ/朝廷) 物部尾輿(モノノベオコシ/朝廷)の子供 神道派

ALTER BRIDGE /♪ GHOST OF DAYS GONE BY

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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20240523 - ラジオの友 URL

2024/05/23 (Thu) 16:02:34

◆◇◆其の六十一:尊王の国・日本ですけど、何か?◆◇◆

●第31代天皇 用明天皇(ようめいてんのう)●

第30代天皇の敏達天皇(びだつてんのう)が崩御(ほうぎょ)し、兄弟の橘豊日命(タチバナノトヨヒノミコト)が第31代天皇の用明天皇(ようめいてんのう)として即位(そくい)した。

用明天皇(ようめいてんのう)は大和国(奈良県)の桜井に建つ訳語田幸玉宮(おさたのさきたまのみや)の近くに磐余池辺雙槻宮(いわれのいけのへのなみつきのみや)を創建した。

そして用明天皇(ようめいてんのう)は、第29代天皇の欽明天皇(きんめいてんのう)の娘の穴穂部皇子(アナホベノミコ)を妻に娶(めと)り、その子供の聖徳太子(しょうとくたいし)こと厩戸皇子(ウマヤドノミコ)や殖栗皇子(エグリノミコ)などが誕生した。

また側室との娘で葛城当麻倉首比里古(カヅラキノタギマノクラノオビトヒロコ)は、伊勢神宮の斎宮に就任している。

用明天皇(ようめいてんのう)の母親は蘇我稲目(ソガイナメ/朝廷)の娘の蘇我堅塩媛(ソガキタシヒメ/朝廷)で、その姉妹の蘇我小姉君(ソガオアネノキミ/朝廷)の息子の穴穂部皇子(アナホベノミコ)は皇位継承を狙っており、今回の第31代天皇の用明天皇(ようめいてんのう)の即位(そくい)には不満を持っていた。

穴穂部皇子(アナホベノミコ)は大連(おおむらじ)の物部守屋(モノノベモリヤ/朝廷)と結託して謀反(むほん)を企てるも、この時はまだ実行には至らなかった。

この後にヤマト政権の皇室で事件が起こる。

穴穂部皇子(アナホベノミコ)が異母姉弟で未亡人の第33代天皇の推古天皇(すいこてんのう/女皇)こと炊屋姫(カシキヤヒメ)を、亡き夫の墓前で手篭(てご)めにしてしまった。

穴穂部皇子…『なぁ姉さんよぉ、もう旦那は帰って来ないんだ。 姉さんも女盛りでこれからも大変だろう。 なぁ姉さん、なぁ!』

炊屋姫…『やめてぇ〜 あんたは獣(けだもの)よぉ! 人間の面(つら)をした悪魔だわぁ!』

この未亡人と亡き夫の墓前で昼間っから“まぐわい”に励(はげ)むストーリーは、後にエッチなビデオの参考となり一世を風靡する。

第31代天皇の用明天皇(ようめいてんのう)が崩御(ほうぎょ)したが、この時期のヤマト政権は大臣(おおおみ)の蘇我馬子(ソガウマコ/朝廷)と、大連(おおむらじ)の物部守屋(モノノベモリヤ/朝廷)が宗教問題以外でも激しく対立した。

ヤマト政権の軍備担当だった物部守屋(モノノベモリヤ/朝廷)は、地元の河内国(大阪府)に帰り八尾の渋川に本陣を構える。

蘇我馬子(ソガウマコ/朝廷)は、第30代天皇の敏達天皇(びだつてんのう)の息子で、後々の第34代天皇の舒明天皇(じょめいてんのう)の父親となる押坂彦人大兄皇子(オシサカノヒコヒトノオオエノミコ)を当初は皇位継承者に推薦する。

ところが、軍力に長(た)けた物部守屋(モノノベモリヤ/朝廷)の抵抗を見て、ここで蘇我馬子(ソガウマコ/朝廷)は奇策に出て、第29代天皇の欽明天皇(きんめいてんのう)の息子で、後々の第32代天皇の崇峻天皇(すしゅんてんのう)となる泊瀬部皇子(ハツセベノオウジ)を天皇後継者に任命した。

以前に、亡き第30代天皇の敏達天皇(びだつてんのう)の墓前で手篭(てご)めにしてしまった炊屋姫(カシキヤヒメ)こと推古天皇(すいこてんのう/女皇)は、その怨念から穴穂部皇子(アナホベノミコ)を抹殺する様に蘇我馬子(ソガウマコ/朝廷)に命じる。

その為、穴穂部皇子(アナホベノミコ)は歪(ゆが)んだ欲望の償いとして斬殺された。

炊屋姫…『此(こ)の間(かん)の遺恨(いこん)、覚えたるか?』

蘇我馬子…『斬り捨て御免!』

バサッ バサッバサッ

穴穂部皇子…『ギャ〜〜 やられた〜〜』

ゴロン

こうなると物部守屋(モノノベモリヤ/朝廷)に味方する皇族は皆無となる。

蘇我馬子(ソガウマコ/朝廷)は、用明天皇(ようめいてんのう/朝廷)の息子で聖徳太子(しょうとくたいし)こと厩戸皇子(ウマヤドノミコ)も味方に入れ蘇我軍を進軍させた。

この時、聖徳太子(しょうとくたいし)こと厩戸皇子(ウマヤドノミコ)は木材で4体の仏像を彫り四天王として、この戦(いくさ)に勝利したらお寺を建立(こんりゅう)すると誓った。

同じく蘇我馬子(ソガウマコ/朝廷)も負けじと、この戦(いくさ)に勝利したらお寺を建立(こんりゅう)すると誓う。

合戦は物部守屋(モノノベモリヤ/朝廷)の本拠地でもある河内国(大阪府)から摂津国(大阪府)の一帯で繰り広げられた。

最後は、物部守屋(モノノベモリヤ/朝廷)に弓矢が命中して戦死し、物部軍は敗北した。

その後も物部氏の一族は蘇我馬子(ソガウマコ/朝廷)により撫斬り(なでぎり/根切り)にされ滅亡した。

これを587年に起こった「丁末の乱」(ていびのらん)と呼ぶ。

▼用明天皇(ようめいてんのう)の家族関係者
1:厩戸皇子(ウマヤドノミコ) 聖徳太子(しょうとくたいし) 用明天皇(ようめいてんのう)の子供
2:殖栗皇子(エグリノミコ) 用明天皇(ようめいてんのう)の子供 聖徳太子(しょうとくたいし)肖像画の向かって左側の人物
3:葛城当麻倉首比里古(カヅラキノタギマノクラノオビトヒロコ) 用明天皇(ようめいてんのう)の子供 伊勢神宮の斎宮

MAMAS GUN /♪ FINGER ON IT

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20240523 - ラジオの友 URL

2024/05/23 (Thu) 16:03:28

◆◇◆其の六十二:尊王の国・日本ですけど、何か?◆◇◆

●第32代天皇 崇峻天皇(すしゅんてんのう)●

587年に起こった「丁末の乱」(ていびのらん)の後に、第31代天皇の用明天皇(ようめいてんのう)からの皇位継承者は、兄弟の泊瀬部皇子(ハツセベノオウジ)が第32代天皇の崇峻天皇(すしゅんてんのう)として即位(そくい)した。

崇峻天皇(すしゅんてんのう)は大和国(奈良県)の桜井に建つ磐余池辺雙槻宮(いわれのいけのへのなみつきのみや)の近くに倉梯柴垣宮(くらはししばがきのみや)を創建した。

そして崇峻天皇(すしゅんてんのう)は、大伴金村(オオトモノカナムラ)の孫の小手子(コテコ)を妻に娶(めと)り、その子供の蜂子皇子(ハチノコノオウジ)などが誕生した。

また側室として、蘇我馬子(ソガウマコ/朝廷)の娘の河上娘(カワカミノイラツメ)、物部尾輿(モノノベオコシ/朝廷)の娘の太媛(フトヒメ)とも結婚している。

ヤマト政権では「丁末の乱」(ていびのらん)の勝利により約束通りに、蘇我馬子(ソガウマコ/朝廷)は、大和国(奈良県)の明日香に日本最初の仏教寺院となる飛鳥寺(あすかでら)を建立(こんりゅう)した。

聖徳太子(しょうとくたいし)こと厩戸皇子(ウマヤドノミコ)は、大和国(奈良県)の斑鳩(いかるが)に法隆寺と摂津国(大阪府)の上町台地に四天王寺を建立(こんりゅう)した。

倭国(日本)は、この仏教の浸透から古墳が衰退して古墳時代の終焉を迎え、寺院が各地に建立(こんりゅう)される飛鳥時代の幕開けとなる。

そんな新しい夜明けとは裏腹に第32代天皇の崇峻天皇(すしゅんてんのう)は、自らが政権運営に参加できない傀儡(かいらい)政治に不満を抱いていた。

592年に朝廷に献上された“牡丹鍋”(ぼたんなべ)用の猪(イノシシ)を、崇峻天皇(すしゅんてんのう)が見て一言、こう呟(つぶや)いた。


崇峻天皇…『この猪(イノシシ)の喉元を掻(か)っ切る様に、いつかは憎きあいつの喉元も掻(か)っ切ってやるぜっ!』


この呟(つぶや)きを、なんと皇后の小手子(コテコ)が蘇我馬子(ソガウマコ/朝廷)に密告する。


蘇我馬子…『わしぃは“牡丹鍋”(ぼたんなべ)の猪(イノシシ)かぁ〜〜い!』



これに御立腹の蘇我馬子(ソガウマコ/朝廷)は、第32代天皇の崇峻天皇(すしゅんてんのう)を斬殺する。

▼崇峻天皇(すしゅんてんのう)の家族関係者
1:小手子(コテコ) 大伴金村(オオトモノカナムラ)の孫 第32代天皇の崇峻天皇(すしゅんてんのう)の妻
2:蜂子皇子(ハチノコノオウジ) 崇峻天皇(すしゅんてんのう)と小手子(コテコ)の子供
3:河上娘(カワカミノイラツメ) 蘇我馬子(ソガウマコ/朝廷)の子供
4:太媛(フトヒメ) 物部尾輿(モノノベオコシ/朝廷)の子供 物部守屋(モノノベモリヤ/朝廷)の妹

●第33代天皇 推古天皇(すいこてんのう/女皇)●



「牡丹鍋(ぼたんなべ)事件」により第32代天皇の崇峻天皇(すしゅんてんのう)が急死し、皇位継承者を早急に選定する必要性が出た。



第1候補者は押坂彦人大兄皇子(オシサカノヒコヒトノオオエノミコ)で、第30代天皇の敏達天皇(びだつてんのう)の息子だが、天皇選定中に死去する。



第2候補者は聖徳太子(しょうとくたいし)こと厩戸皇子(ウマヤドノミコ)で、第31代天皇の用明天皇(ようめいてんのう/朝廷)の息子で皇位継承者に申し分なかったが選定されなかった。



第3候補者は竹田皇子(タケダノミコ)で、第30代天皇の敏達天皇(びだつてんのう)と第33代天皇の推古天皇(すいこてんのう/女皇)の息子だが、早世してしまう。



これら事情から蘇我馬子(ソガウマコ/朝廷)は、姪の炊屋姫(カシキヤヒメ)こと第33代天皇の推古天皇(すいこてんのう/女皇)を593年に即位(そくい)させ、皇位初の女性天皇となった。

推古天皇(すいこてんのう/女皇)は大和国(奈良県)の桜井に建つ倉梯柴垣宮(くらはししばがきのみや)から、同じ大和国(奈良県)の明日香に遷都(せんと)して豊浦宮(とゆらのみや)を創建した。

この豊浦宮(とゆらのみや)が、近くに創建さる飛鳥宮の原型となり、その後に飛鳥宮は同じ立地で4回に渡り造り替えている。

地表面の近くから4層となっており、新しい順に飛鳥浄御原宮(あすかきよみがはらのみや)、後飛鳥岡本宮(ごあすかおかもとのみや)、飛鳥板葺宮(あすかいたぶきのみや)、飛鳥岡本宮(あすかおかもとみや)が埋没している。

皇位継承の第2候補者だった聖徳太子(しょうとくたいし)こと厩戸皇子(ウマヤドノミコ)は、摂政(せっしょう)となり推古天皇(すいこてんのう/女皇)を補佐して、血族や世襲ではなく能力や志気などから優秀な人材を投与する制度の“官位十二階”(かんいじゅうにかい)と、ヤマト政権に勤める官人の心得とした“憲法十七条”を制定した。

622年に聖徳太子(しょうとくたいし)こと厩戸皇子(ウマヤドノミコ)が薨御(こうぎょ)する。

日本初の女性天皇となった第33代天皇の推古天皇(すいこてんのう/女皇)が628年に崩御(ほうぎょ)して、第34代天皇には舒明天皇(じょめいてんのう)が即位(そくい)する。


舒明天皇(じょめいてんのう)は、押坂彦人大兄皇子(オシサカノヒコヒトノオオエノミコ)の息子で、第30代天皇の敏達天皇(びだつてんのう)の孫にあたる。

日本神話の伊耶那岐神(イザナギ)と伊耶那美神(イザナミ)の神代(かみよ)から始まり、第1代天皇の神武天皇(じんむてんのう)の“神武東征”により大和国(奈良県)を中心とした倭国(日本)のヤマト政権が確立され人代(ひとよ)が形成された。

ただ1500年以上も前の話しの為、歴史による史実とは異なる点も多いと思うが、しかし、現在から未来に掛けて、これら歴史がこの倭国(日本)の土地で営まれて今があるのは、これは紛(まぎ)れもない事実である。

HOLE /♪ VIOLET

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20240523 - ラジオの友

2024/11/21 (Thu) 06:24:49

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