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今日の1枚、お薦めレコード/20260127 - ラジオの友

2026/01/27 (Tue) 17:29:49

◆◇◆其の一:細川忠興と細川ガラシャのラブラブアタック大作戦!!◆◇◆

『戦国武将で最も気が長いのが蒲生氏郷(がもううじさと/織田→豊臣)なら、戦国武将で最も気が短いのは細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)である。』

この妻に歪(ゆが)んだ愛情を注いだ細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)と、夫に歪(ゆが)んだ冷遇で接した細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)は、お互い性格に難題がある最も愛し合った夫婦とも言える。

そんな戦国の印象的な夫婦の、ラブラブアタック大作戦を垣間見(かいまみ)てみよう。

1563年に細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)は、細川幽斎(ほそかわゆうさい)こと細川藤孝(ほそかわふじたか/室町→織田→豊臣→徳川)の嫡男(ちゃくなん)として誕生し、幼少期から気が短く粗暴(そぼう)な性格が見受けられた。

同年の1563年に細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)は、明智光秀(あけちみつひで/斎藤→織田→明智)の娘として誕生し、幼少期から美しくも気高く高圧的な性格だった。

1578年に主君の織田信長(おだのぶなが/織田)の仲人(なこうど)により2人は結婚する。

新婚生活は山城国(京都府)の勝龍寺城(しょうりゅうじじょう/長岡京)で暮らしていた。

美しい妻にベタ惚れの細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)に対して、自尊心が高い細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)は当初から冷めていたと言う。

ただ、夫婦の営みは良好で、子供も数人が誕生した。

2人の新婚生活を一変させたのは、1582年に父親の明智光秀(あけちみつひで/斎藤→織田→明智)が主君の織田信長(おだのぶなが/織田)を討ち取った「本能寺の変」(ほんのうじのへん)である。

この明智光秀(あけちみつひで/斎藤→織田→明智)の謀反(むほん)は、親族である細川氏も関与が疑われる為に、細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)は妻の細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)を、山城国(京都府)の勝龍寺城(しょうりゅうじじょう/長岡京)から追い出して丹後国(京都府)の味土野(みどの/京丹後)にある屋敷に連行して幽閉した。

ただ、これには美しい妻と離縁したくない細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)の心情が見え隠れしている。

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260127 - ラジオの友

2026/01/27 (Tue) 17:30:29

◆◇◆其の二:細川忠興と細川ガラシャのラブラブアタック大作戦!!◆◇◆

織田信長(おだのぶなが/織田)の後継者に豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)が就き豊臣政権が始動した。

1584年に豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)の力添えで、細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)が丹後国(京都府)の味土野(みどの/京丹後)から摂津国(大阪府)の大坂城(おおさかじょう)の大名屋敷の細川家屋敷に戻ってくる事になった。

新たな主君に感謝して大喜びする細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)とは裏腹に、豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)の寛大な措置には別の思惑があった。

細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)は御礼を兼ねて豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)に謁見(えっけん)した。

明智玉(細川ガラシャ)…『謀反(むほん)を起こした明智の娘に対して、この度は、寛大な措置、誠に有難う御座います。』

豊臣秀吉…『いやぁ〜 美しいのぉ〜 明智殿の娘とは言え、この可憐な薔薇を削ぎ落とす事など出来ぬわ。』

明智玉(細川ガラシャ)…『滅相も御座いません。』

豊臣秀吉…『わしら男どもは本妻以外にも側室を持っておるが、これは男尊女卑(だんそんじょひ)で傲慢(ごうまん)な慣例である。 これからは女性も複数の夫を持つべきではないか?』

明智玉(細川ガラシャ)…『・・・』

ガタン

その時に床に細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)の着物の袖から短刀が落ちた。

豊臣秀吉…『いっ!? 冗談、冗談、アハハハハ〜』

細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)は、豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)に対して手を出したら容赦はしない覚悟で威嚇(いかく)を講じた。

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260127 - ラジオの友

2026/01/27 (Tue) 17:31:09

◆◇◆其の三:細川忠興と細川ガラシャのラブラブアタック大作戦!!◆◇◆

大坂城(おおさかじょう)の南部にある細川家屋敷では、細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)は、美しい細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)を誰にも見せまいと屋敷の奥部屋に閉じ込めて、外出も禁止し監禁状態にしていた。

そんなある日、屋敷の庭園を剪定(せんてい)する庭師が、部屋で食事をする細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)が目に入り、その美しさに見惚(みと)れていた。

それに気付いた細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)は激昂(げきこう)して庭師を斬首した。

更にその庭師の生首を、細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)の食卓の前に置いた。

細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)は生首をチラッと見たが、その後も黙々と食事を続けていた。

細川忠興(細川三斎)…『人間の生首を見て、何とも思わないのか? お主は蛇の様な女だぁ!』

明智玉(細川ガラシャ)…『些細(ささい)な事で人を斬るなんて、あなた様は鬼です。 鬼の女房には蛇がお似合いです。』

また別の日には、細川家屋敷に出入りする家臣の1人が、偶然に細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)を目撃して、その美しさに見惚(みと)れていた。

それに気付いた細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)は激昂(げきこう)して家臣を御手打ち(おてうち)にした。

その斬った血のりが着いた太刀(たち)を、細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)の着物で拭(ぬぐ)った。

ところがその後、細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)は血のりが着いた着物を着続けた。

最後は細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)が愚行(ぐこう)を詫びて、その謝罪で細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)はようやく着替えたと言う。

この逸話は、細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)と細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)の夫婦の関係性を最も象徴している。

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260127 - ラジオの友

2026/01/27 (Tue) 17:31:48

◆◇◆其の四:細川忠興と細川ガラシャのラブラブアタック大作戦!!◆◇◆

織田信長(おだのぶなが/織田)の時代には、キリスト教のカトリック司祭でイエズス会の宣教師のフランシスコザビエル(カトリック司祭/スペイン)やルイスフロイス(カトリック宣教師/ポルトガル)が擁護(ようご)を受けて、“イエズス会日本通信”や“日本史”を著書し、キリスト教の日本での布教活動が認可されていた。

この時に多くの武将もキリスト教に改宗(かいしゅう)しており、その内の1人が摂津国(大阪府)の武将で高槻城(たかつきじょう)の城主に就任した高山右近(たかやまうこん/荒木→織田→豊臣)で、キリシタン大名や“伴天連の大旦那”(バテレンのおおだんな)と呼ばれていた。

この時期に細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)から同僚でもあるキリシタン大名の高山右近(たかやまうこん/荒木→織田→豊臣)の話しを聞かされていた細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)は、キリスト教に興味を示して日に日に惹きつけられていた。

当初は、洗礼を受ける事を求めていた細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)に対して、織田信長(おだのぶなが/織田)や高山右近(たかやまうこん/荒木→織田→豊臣)と親交のあったイエスズ会の宇留岸伴天連(うるがんばてれん)ことグネッキオルガンティノ(宣教師/イタリア)は、豊臣政権の大名の妻がキリスト教への改宗(かいしゅう)する事に難色を示していた。

それでも大坂城(おおさかじょう)の南部にある細川家屋敷から抜け出して、細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)はキリスト教の教会に通い続けた。

その時にフランシスコザビエル(カトリック司祭/スペイン)と共に日本へ渡航し、日本でのキリスト教の布教活動に貢献していたロレンソ了斎(りょうさい/琵琶法師→キリスト教)と親交のあるコスメトーレス(宣教師/スペイン)に出逢っている。

この時も細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)は洗礼を嘆願したが、コスメトーレス(宣教師/スペイン)は家族の同意も必要などの条件を付けて素性の判らない女性として断っている。

ただ、この時のやり取りでコスメトーレス(宣教師/スペイン)による記述が残されている。

コスメトーレス…『これほど明晰(めいせき)で果断(かだん)な日本女性と、これまで話した事はなかった。』

実はこの頃に細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)は教会で、細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)との離縁も相談をしている。

ただ、キリスト教では離婚は禁忌(きんき)の為に、細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)は思い止まったと言う。

しかし、イエズス会の裏の顔によるスペインの植民地支配や奴隷制による人身売買の実態を知った豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)は、1587年にキリスト教を禁止する「バテレン追放令/伴天連追放令」を発布する。

これに焦った細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)は、細川家屋敷にイエズス会の宣教師を招聘(しょうへい)して、この時に半(なか)ば強引に洗礼を受けてキリスト教に改宗(かいしゅう)し、洗礼名のガラシャ(伽羅奢)と名乗る様になる。

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260127 - ラジオの友

2026/01/27 (Tue) 17:32:28

◆◇◆其の五:細川忠興と細川ガラシャのラブラブアタック大作戦!!◆◇◆

豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)が司る豊臣政権による天下統一が成し遂げられ、織田信長(おだのぶなが/織田)の時から構想があった中国大陸の明(みん)への侵攻が現実化する。

1592年に起こった「文禄の役」(ぶんろくのえき)または“第4次朝鮮出兵”で、勇猛果敢(ゆうもうかかん)な多くの武将が朝鮮半島に渡った。

そこに細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)が率いる軍隊もいた。

この時でも細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)は、日本の細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)へ近況の手紙を何度も送っている。

その内容には、⦅女癖の悪い豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)を警戒する様に!⦆と言う内容もあったと言う。

確かに“西国無双”(さいごくむそう)と呼ばれた立花宗茂(たちばなむねしげ/大友→豊臣→徳川)の妻で、“九州で一番の美女”と言われる立花誾千代(たちばなぎんちよ/大友→豊臣→徳川)は、豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)に肥前国(佐賀県)の名護屋城(なごやじょう/唐津)に呼び出された。

その時に甲冑(かゅちゅう)で身にまとい右手には薙刀(なぎなた)を握り、完全武装した立花誾千代(たちばなぎんちよ/大友→豊臣→徳川)の出立(いでた)ちに、豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)は驚愕(きょうがく)して縮こまった。

朝鮮半島から日本に帰還して、大坂城(おおさかじょう)の南部にある細川家屋敷に戻った細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)は、細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)がキリスト教に改宗(かいしゅう)した事に驚愕(きょうがく)する。

細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)は、「バテレン追放令/伴天連追放令」の意味や日本に滞在する宣教師を斬殺している事を献献(こんこん)と説明するが、キリスト教を受け入れた細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)は頑(かたく)なに棄教(ききょう)を拒否する。

これにより細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)は、キリスト信者の細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)を一目に着かない様に、より一層に細川家屋敷に閉じ込めて監禁した。

そして、細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)による家庭内暴力も始まり、当て付けに側室を5人余り迎えた。

1593年に豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)は淀君(よどぎみ/浅井→豊臣)との間に息子の豊臣秀頼(とよとみひでより/豊臣)が誕生した事で、豊臣政権の後継者に決める。

しかし、こうなると元々の後継者だった甥で関白(かんぱく)に就任していた豊臣秀次(とよとみひでつぐ/豊臣)が邪魔になり、1595年に謀反(むほん)の嫌疑を掛けて一族や家臣などを処刑した。

この時に細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)も豊臣秀次(とよとみひでつぐ/豊臣)から多額の借入金があり、豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)から連座責任(れんざせきにん)の目が向けられた。

困窮(こんきゅう)した細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)は徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)から資金調達して、そのお金で豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)に返済し事なきを終えた。

この事で細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)は、恩義のある徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)に急接近する。

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260127 - ラジオの友

2026/01/27 (Tue) 17:33:07

◆◇◆其の六:細川忠興と細川ガラシャのラブラブアタック大作戦!!◆◇◆

1598年に山城国(京都府)の伏見城(ふしみじょう/京都)にて豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)が死去する。

こうして豊臣政権の権力闘争が始まり、一番に軍事力と統率力を持っている徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)が動いた。

先ず、豊臣政権の豊臣秀頼(とよとみひでより/豊臣)に対して謀反(むほん)の嫌疑を掛けて、陸奥国(むつ/福島県)の鶴ヶ城(つるがじょう/会津若松城)を拠点とする上杉景勝(うえすぎかげかつ/上杉→豊臣→徳川)の討伐を決行した。

この「会津征伐」(あいづせいばつ)に細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)も従軍した。

主人(あるじ)が留守となる大坂城(おおさかじょう)の南部にある細川家屋敷には、⦅もし、留守中に事変が伴い、家中に危険が及ぶ様なら、武家の慣習に従い家族および家臣は自決する様に。⦆と細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)の言伝えが残された。

徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)が畿内(きない/関西)から離れた瞬間に、これを好機として近江国(滋賀県)の佐和山城(さわやまじょう/彦根)の城主だった石田三成(いしだみつなり/豊臣)が挙兵して西軍を組成した。

この時に石田三成(いしだみつなり/豊臣)は、大名屋敷に残る武将の妻に対して、大坂城(おおさかじょう)に入城して人質になる様に強要した。

これを断固として拒否した細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)は細川家屋敷に篭(こも)り、石田三成(いしだみつなり/豊臣)が手配した西軍に包囲された。

明智玉(細川ガラシャ)…『散りぬべき、時知りてこそ、世の中の、花も花なれ、人も人なれ。』⦅花は散る時を知るからこそ、花として美しく咲く。 人間もそうありたいと願うが、今こそ散る時が来ている。⦆

これが最期(さいご)と悟った細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)は、キリスト教で禁忌(きんき)の自害を避けて家臣に槍で身体を突かせて死去した。

その後に残った家臣が細川家屋敷に爆薬を仕掛けて爆発炎上させた。

この時に最後まで細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)を護衛していたのが、一色義道(いっしきよしみち/一色→織田)の家臣で、稲富流砲術(いなとみりゅうほうじゅつ)の鉄砲の名手と言われる稲富祐直(いなとみすけなお/一色→細川)である。

この最期(さいご)となる死に様の細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)の報告を聞いた石田三成(いしだみつなり/豊臣)は驚愕(きょうがく)して、直ぐ様に人質作戦を中止した。

跡形も無く焼失した細川家屋敷から、キリスト教の信者が細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)と思われる遺骨を持ち帰り、和泉国(大阪府)の堺にあるキリスト教の墓地に埋葬した。

その後に細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)の遺骨は、細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)により大坂の東淀川にある崇禅寺(そうぜんじ/曹洞宗)に墓陵に改葬された。

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260127 - ラジオの友

2026/01/27 (Tue) 17:33:46

◆◇◆其の七:細川忠興と細川ガラシャのラブラブアタック大作戦!!◆◇◆

その直後の1600年に美濃国(岐阜県)で起こった「関ヶ原の戦」(せきがはらのたたかい)では、細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)の軍勢は、当然に徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)の東軍に加勢した。

細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)が率いる5400人の細川隊は、石田三成(いしだみつなり/豊臣)の本陣の前に布陣して、獅子奮迅(ししふんじん)して闘争した。

特に驍猛(ぎょうもう)な様相(ようそう)で西軍石田隊に突撃する細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)は正に本性でもある鬼に化し、妻の細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)の仇(かたき)を討つべく136の首級(しゅきゅう)を挙げている。

細川忠興(細川三斎)…『蛇と名付けたガラシャよぉ観てくれ、鬼と呼ばれた夫の本物の愛を!』

この最後の夫婦関係は、細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)と細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)の偽(いつわ)りない愛情の形でもある。

1601年にキリスト教のカトリック司祭の宇留岸伴天連(うるがんばてれん)ことグネッキオルガンティノ(宣教師/イタリア)に依頼して、細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)の教会でのミサ(葬儀)が催される。

しかし、この細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)の死去と「関ヶ原の戦」(せきがはらのたたかい)では、細川氏に多大な被害を与えている。

大坂城(おおさかじょう)の南部にある細川家屋敷が西軍に包囲された際に、細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)が最期(さいご)を告げると、息子で嫡男(ちゃくなん)の長岡休無(ながおかきゅうむ)こと細川忠隆(ほそかわただたか/豊臣→徳川)の妻だった千世(ちよ)こと春香院(しゅんこういん/前田→細川)だけが屋敷から脱出していたのである。

千世(ちよ)こと春香院(しゅんこういん/前田→細川)は、前田利家(まえだとしいえ/織田→豊臣)とまつ(芳春院/織田→豊臣)の娘で、姉の豪姫(ごうひめ/織田→豊臣)の指示で脱出し、当時の細川家屋敷で唯一の生存者となった。

これを知った義父の細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)は激昂(げきこう)し、長岡休無(ながおかきゅうむ)こと細川忠隆(ほそかわただたか/豊臣→徳川)と千世(ちよ)こと春香院(しゅんこういん/前田→細川)を離縁させる。

確かに千世(ちよ)こと春香院(しゅんこういん/前田→細川)は、豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)とおね(高台院、北政所/織田→豊臣)の夫婦共に親密だった前田利家(まえだとしいえ/織田→豊臣)とまつ(芳春院/織田→豊臣)の娘である。

それに備前国(岡山県)と美作国(岡山県)と備中国(岡山県)の両備(りょうび)を所領とする宇喜多直家(うきたなおいえ/毛利→織田)の息子の宇喜多秀家(うきたひでいえ/毛利→織田→豊臣)に嫁いだ豪姫(ごうひめ/織田→豊臣)は、実父が前田利家(まえだとしいえ/織田→豊臣)で、養父が豊臣秀吉(とよとみひでよし/豊臣)であり、姉の豪姫(ごうひめ/織田→豊臣)が妹の千世(ちよ)こと春香院(しゅんこういん/前田→細川)を救済する手筈(てはず)するのも理解できる。

しかし、嫁いだ先が鬼の居る細川氏だった事を忘れている。

千世(ちよ)こと春香院(しゅんこういん/前田→細川)との夫婦関係は良好だった長岡休無(ながおかきゅうむ)こと細川忠隆(ほそかわただたか/豊臣→徳川)は、父親の細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)に何度も復縁の許しを嘆願した。

しかし、これにも細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)は激怒して、細川氏の後継者で嫡男(ちゃくなん)の長岡休無(ながおかきゅうむ)こと細川忠隆(ほそかわただたか/豊臣→徳川)を1604年に廃嫡(はいちゃく)した。

更に別の場所にて、「関ヶ原の戦」(せきがはらのたたかい)への従軍を拒絶した細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)の息子の長岡忠秋(ながおかただあき)こと細川興秋(ほそかわおきあき/豊臣→僧侶→豊臣)は、1600年に出奔(しゅっぽん)して京都の東山の建仁寺(けんにんじ/臨済宗)に出家して僧侶になる。

しかも、そのまま僧侶として生涯を歩むと思ったら、1614年に起こった「大坂・冬の陣」で何故(なぜ)か戦況不利の豊臣軍に参戦し、1615年に起こった「大坂・夏の陣」に勝者の徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)から長岡忠秋(ながおかただあき)こと細川興秋(ほそかわおきあき/豊臣→僧侶→豊臣)を助命する意思が伝えられた。

しかし、父親の細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)はそれを許さず武士の慣(なら)わし通りに、長岡忠秋(ながおかただあき)こと細川興秋(ほそかわおきあき/豊臣→僧侶→豊臣)を敗戦責任で切腹させた。

その後に細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)は、「関ヶ原の戦」(せきがはらのたたかい)の功績で徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)から豊前国(ぶぜん/福岡県)の小倉藩(こくらはん/北九州)の藩主に任命される。

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260127 - ラジオの友

2026/01/27 (Tue) 17:34:30

◆◇◆其の一:御命頂戴致す、織田信長を撃ち落としたスナイパー(狙撃手)◆◇◆

1570年頃、存続意義が問われ風前の灯(ともしび)となった室町幕府。

その足利将軍家の足利義昭(あしかがよしあき/室町)と天下統一まで目前に迫った織田信長(おだのぶなが/織田)は良好関係を築いていた。

1568年に起こった「上洛戦」(じょうらくせん)や1569年に起こった「本圀寺の変」(ほんこくじのへん)にて、織田信長(おだのぶなが/織田)が率いる強靭な織田軍により征夷大将軍15代目の足利義昭(あしかがよしあき/室町)は京都で一時的な地位を確立した。

しかし、その融和な関係は長くは続かず、直ぐに瓦解(がかい)して織田信長(おだのぶなが/織田)と足利義昭(あしかがよしあき/室町)は敵対する様になった。

室町幕府の足利義昭(あしかがよしあき/室町)は、全国の武将や大名に織田信長(おだのぶなが/織田)を討伐する様に“信長包囲網”を伝令(でんれい)する。

その将軍の要請に応えたのが、甲斐国(山梨県)の躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた/甲府)を拠点とする“甲斐の虎”と呼ばれる武田信玄(たけだしんげん/武田)を筆頭に、越前国(福井県)の一乗谷館(いちじょうだにやかた/福井)を拠点とする朝倉義景(あさくらよしかげ/朝倉)や、近江国(滋賀県)の小谷城(おだにじょう/長浜)を拠点とする浅井久政(あざいひさまさ/浅井)と息子の浅井長政(あざいながまさ/浅井)の親子などである。

そんな混沌とした戦国乱世にて、織田信長(おだのぶなが/織田)は最大の危機に瀕(ひん)する。

先(ま)ずは同じ室町幕府では三管領(さんかんれい)の斯波氏(しばうじ)の同じ守護代を務めて、尾張国(愛知県)の織田氏とは格付けが上だった越前国(福井県)の朝倉氏の討伐に侵攻した。

越前国(福井県)の領域に入った当初は、順調に朝倉氏の砦(とりで)や出城を制圧していき、金ヶ崎城(かながさきじょう/敦賀)も落城させて占領した。

続いて一乗谷館(いちじょうだにやかた/福井)の朝倉義景(あさくらよしかげ/朝倉)を攻撃する為に進軍した矢先に、織田信長(おだのぶなが/織田)の元に一通の伝書が届く。

その内容は、織田信長(おだのぶなが/織田)の妹で“小牧山の美女”と言われたお市の方(おいちのかた/織田→浅井)が妻として嫁いだ近江国(滋賀県)の浅井長政(あざいながまさ/浅井)の浅井軍が裏切り、現在は琵琶湖を北上して越前国(福井県)に進軍していると言う。

当初は、まさか義理弟の浅井長政(あざいながまさ/浅井)が朝倉氏に寝返った事を信用してなかったが、続いてその妻で妹のお市の方(おいちのかた/織田→浅井)から、錦の生地で小豆(あずき)が包まれ両端が紐(ヒモ)で結ばれていた袋が届いた。

表向きは陣中見舞いとして送ったとされるが、兄の織田信長(おだのぶなが/織田)は、これを直ぐに朝倉軍と浅井軍に挟まれた“袋の鼠(ネズミ)”との暗号を理解した。

そこで直参家臣の明智光秀(あけちみつひで/斎藤→織田→明智)と豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)を後方部の殿(しんがり)に任命し、大和国(奈良県)の武将の松永久秀(まつながひさひで/三好→織田)を先導にして急いで京都に退却する“金ヶ崎の退き口”(かねがさきののきくち)を実行した。

何とか京都まで帰還した織田信長(おだのぶなが/織田)の織田軍は、直ぐ様に本拠地の美濃国(岐阜県)の岐阜城(ぎふじょう)に戻り、軍勢を立て直す事にした。

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260127 - ラジオの友

2026/01/27 (Tue) 17:35:09

◆◇◆其の二:御命頂戴致す、織田信長を撃ち落としたスナイパー(狙撃手)◆◇◆

ここで浅井軍の本拠地を避ける為に、近江国(滋賀県)の琵琶湖の南部を通り千種街道(ちくさかいどう)から伊勢国(三重県)の鈴鹿山脈を抜けて美濃国(岐阜県)の岐阜城(ぎふじょう)に入る事にした。

しかし、この近江国(滋賀県)から伊勢国(三重県)に抜ける千種街道(ちくさかいどう)の経路は、敵方で近江国(滋賀県)の武将の六角承禎(ろっかくじょうてい)こと六角義賢(ろっかくよしかた/室町)にも伝わっていた。

織田信長(おだのぶなが/織田)と六角承禎(ろっかくじょうてい)こと六角義賢(ろっかくよしかた/室町)とは1568年に起こった「上洛戦」(じょうらくせん)にて、六角氏(ろっかくうじ)の本拠地の安土(あづち)にある観音寺城(かんのんじじょう/近江八幡)が織田軍の侵攻で落城し、六角承禎(ろっかくじょうてい)こと六角義賢(ろっかくよしかた/室町)はお城を捨てて甲賀(こうが)に逃亡した憂(う)き目に遭っている。

その遺恨(いこん)により六角承禎(ろっかくじょうてい)こと六角義賢(ろっかくよしかた/室町)は、何とか織田信長(おだのぶなが/織田)を討ち滅ぼしたいと考えていた。

そんな好機が巡ってきたのである。

その重責な任務の白羽の矢が当たったのは、近江国(滋賀県)の甲賀忍者と言われ、鉄砲の名手だった杉谷善住坊(すぎたにぜんじゅうぼう/甲賀忍者)だった。

六角承禎(ろっかくじょうてい)こと六角義賢(ろっかくよしかた/室町)からの“信長暗殺”の依頼を承諾した杉谷善住坊(すぎたにぜんじゅうぼう/甲賀忍者)は、千種街道(ちくさかいどう)の山岳地帯に崖の上に待機して、織田信長(おだのぶなが/織田)の織田軍が峠を通るのを息をひそめて凝視していた。

そして、その時が来た。

何も知らない織田信長(おだのぶなが/織田)の織田軍は峠の街道を東に進み、狙撃の目的地から杉谷善住坊(すぎたにぜんじゅうぼう/甲賀忍者)の距離は20mほどの近さである。

バァン バァン

山奥に銃声が2発、鳴り響いた。

森成利(森蘭丸)…『敵襲、敵襲である。 殿をお守りしろぉ!』

織田信長…『うっぐ!』

鉄砲の名手だった杉谷善住坊(すぎたにぜんじゅうぼう/甲賀忍者)に狙撃された織田信長(おだのぶなが/織田)は、奇跡的に擦(かす)り傷だけだった。

織田信長…『わしぃを狙撃した者を生捕りにしろ!』

こうして杉谷善住坊(すぎたにぜんじゅうぼう/甲賀忍者)の逃亡生活が始まる。

織田信長(おだのぶなが/織田)は、贔屓(ひいき)にしている京都や大坂の商人や伊賀国(三重県)の伊賀忍者の情報網を利用して、狙撃事件の首謀者は近江国(滋賀県)の六角承禎(ろっかくじょうてい)こと六角義賢(ろっかくよしかた/室町)と判明した。

そこから近江国(滋賀県)に潜(ひそ)ませている間者(かんじゃ/スパイ)に実行犯を探させて、お寺に身を潜(ひそ)めている杉谷善住坊(すぎたにぜんじゅうぼう/甲賀忍者)を発見し捕縛(ほばく)した。

織田信長(おだのぶなが/織田)の前に連行された杉谷善住坊(すぎたにぜんじゅうぼう/甲賀忍者)は、色々と糾問(きゅうもん)を受けた後に鋸挽(のこぎりび)きの処刑が下る。

鋸挽(のこぎりび)きは、罪人を地中に埋めて顔だけを出し、鋸(ノコギリ)で首を切り落とす残酷(ざんこく)な処刑方法である。

杉谷善住坊(すぎたにぜんじゅうぼう/甲賀忍者)は地中に埋められ顔だけ出している。

更に処刑場には、杉谷善住坊(すぎたにぜんじゅうぼう/甲賀忍者)の家族や親族も集められた。

織田軍の死刑執行人が家族や親族に対して、竹で出来た鋸(ノコギリ)で、1人1挽(び)く事を強要した。

少しずつ首を切られていく杉谷善住坊(すぎたにぜんじゅうぼう/甲賀忍者)は激痛のあまり悶絶(もんぜつ)し、それを目の当たりにする家族や親族も阿鼻叫喚(あびきょうかん)した。

こうして杉谷善住坊(すぎたにぜんじゅうぼう/甲賀忍者)は5日間も悶(もだ)え苦しみ死に至る。

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260127 - ラジオの友

2026/01/27 (Tue) 17:35:46

◆◇◆其の三:御命頂戴致す、織田信長を撃ち落としたスナイパー(狙撃手)◆◇◆

織田信長(おだのぶなが/織田)は裏切った近江国(滋賀県)の浅井久政(あざいひさまさ/浅井)と息子の浅井長政(あざいながまさ/浅井)の親子を討伐する為に動いた。

1570年に起こった「姉川の戦」(あねがわのたたかい)では、織田信長(おだのぶなが/織田)が率いる織田軍と徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)が率いる徳川軍の4万人の東海連合軍が東海地方から、畿内(きない/関西)の入口となる近江国(滋賀県)を目指して侵攻していた。

それに対抗する為に、浅井長政(あざいながまさ/浅井)が率いる浅井軍と朝倉義景(あさくらよしかげ/朝倉)が援軍として送った朝倉軍の3万人の近畿連合軍が、伊吹山(いぶきやま)の麓に流れる姉川(あねがわ)に陣営を設けて待ち受けた。

更に琵琶湖の西部にそびえる比叡山(ひえいざん)に構える天台宗(てんだいしゅう)の延暦寺(えんりゃくじ)も、越前国(福井県)の朝倉義景(あさくらよしかげ/朝倉)の要請で近畿連合軍に協力していた。

両軍の戦力は互角で、地元の浅井軍は地の利があり戦況は有利だったが、越前国(福井県)から進軍した朝倉軍の到着が遅延した事や、徳川軍の奇襲攻撃により、浅井軍と朝倉軍の近畿連合軍は敗北して逃走した。

この合戦で、織田氏の古参家臣だった坂井政尚(さかいまさひさ/織田)の息子の坂井尚恒(さかいひさつね/織田)は討死した。

坂井政尚(さかいまさひさ/織田)とは尾張国(愛知県)の丹羽(にわ)の武将で、織田信長(おだのぶなが/織田)の古参家臣であり、“鬼柴田”(おにしばた)と呼ばれる柴田勝家(しばたかついえ/織田)や、土岐氏の家臣から織田氏に仕える森可成(もりよしなり/土岐→織田)などと共に“信長三十六功臣”(のぶながさんじゅうろくこうしん)に数えられる人物である。

戦地から逃走した浅井軍と朝倉軍の近畿連合軍の一部は、比叡山(ひえいざん)の天台宗(てんだいしゅう)に逃げ込み匿(かくま)ってもらった。

それを追撃した織田軍の坂井政尚(さかいまさひさ/織田)は、北嶺(ほくれい)の延暦寺(えんりゃくじ)に配備される僧兵の山法師(やまほうし)に反撃され討死する。

この時の織田信長(おだのぶなが/織田)の戦記には、戦死した坂井政尚(さかいまさひさ/織田)を慈しみ信長公記(しんちょうこうき)に『一人当千の働き、高名比類なきところ。』(1人で千人に匹敵し、比べる者が居ない名将。)と記述された。

これら戦況が織田信長(おだのぶなが/織田)の怒りを増幅させて、1571年に起こった「延暦寺焼討ち」(えんりゃくじやきうち)に繋がっていく。

足利義昭…『700年以上の歴史がある比叡山(ひえいざん)を火の海にしよって、延暦寺(えんりゃくじ)の仏様により罰(バチ)が当たるぞぉ!』

織田信長…『その仏様は、罰(バチ)を与える事が出来るなら、何故(なぜ)に領民を救う事が出来ないのか? 蓄財に明け暮れる強欲坊主が居る限り、この比叡山(ひえいざん)にも、延暦寺(えんりゃくじ)にも、此処(ここ)には神様も仏様も居らぬ。』

足利義昭…『お前は鬼じゃ、いや、鬼より酷い鬼畜(きちく)じゃ!』

織田信長…『鬼畜上等(きちくじょうとう)、この第六天魔王(だいろくてんまおう)、欲ボケした醜(みにく)い人間よりマシじゃわい!』

足利義昭…『うぐぐっ、お主みたいな者は、必ず地獄に堕ちようぞぉ!』

織田信長…『人間の都合に合わせて神様や仏様を操ろうとする人間こそ、地獄に堕ちるわぁい! この地球で起こる地震や疫病は、神様が人間を守護していない表れではないか。 お主こそ、地獄に堕ちない様に、言動に気を付けた方がよいぞぉ!』

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260127 - ラジオの友

2026/01/27 (Tue) 17:36:26

◆◇◆其の一:三重県と言えば?◆◇◆

日本列島の中南部に位置する三重県。

この三重県のイメージと言えば、96%の日本人が伊勢神宮と答えるだろう。

三重県の中東部にある伊勢神宮をはじめ、南部には和歌山県にある未来の信仰の熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ/田辺)と、過去の信仰の熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ/新宮)と、現在の信仰の熊野那智大社(くまのなちたいしゃ/勝浦)を参拝する“熊野詣”(くまのもうで)の為の熊野古道も通っている。

その他にも多くの有名な神社が存在する。

これは中東のユダヤ教とキリスト教とイスラム教の聖地でもあるエルサレム(イスラエル)にも酷似(こくじ)しており、三重県が日本の聖地と呼ばれるのも頷(うなず)ける。

また、世代によっては、シャープの液晶テレビのAQUOS(アクオス)を製造していた“世界の亀山”と言われた三重県のシャープ亀山工場を思い浮かべる人も居るかも知れない。

このシャープ亀山工場が竣工した2004年は、まだ家庭の居間にテレビが鎮座していた時代である。

パナソニックのプラズマテレビと競合していたシャープの液晶テレビのAQUOS(アクオス)を支持する人も多かった。

地上デジタル放送の移行に伴いテレビの買い替え需要が起こり、そんな追い風に乗ってシャープ亀山工場は、2006年に増築して第二工場を立ち上げる。

更に2009年には大阪府堺市の臨海部に、シャープ堺工場を稼働させた。

ただ、日本を含めて世界的なニーズは、2000年頃からインターネット網が急速に発展して、ウィンドウズブームと相まって家庭に鎮座するのはテレビではなくパソコンだった。

この頃になると一人暮らしの若者層は、自宅にテレビを置かずパソコンだけの生活スタイルとなる。

この流れが浸透して、ファミリー層でもテレビの存在感は低下する。

テレビの前に座ってジッと観ているのは、昭和期に生まれ育った老人層くらいで、携帯電話に置き換わった自宅の固定電話と共に、テレビはドンドンと忘れ去られる存在となる。

その結果が、台湾系の鴻海精密工業(ホンハイ)の系列会社となった今のシャープである。

創業から100年近い歴史を持つシャープだが、伊勢神宮の歴史の長さから視れば瞬(まばた)きに過ぎない。

目先の栄枯盛衰だけに目が奪われ、それで人生の判断や決断をすると、跡形も無くなる結果となる。

日本の聖地と言われる三重県では、歴史から学ぶ大切さを示している。

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260127 - ラジオの友

2026/01/27 (Tue) 17:37:01

◆◇◆其の二:三重県と言えば?◆◇◆

三重県伊勢市にある伊勢神宮は、伊勢湾の南部に接している。

これは100年頃に、第11代天皇の垂仁天皇(すいにんてんのう)の娘の倭姫命(やまとひめのみこと)が、天照大御神(アマテラス)が祀られる祭殿を設ける神託により、大和国(奈良県)から出発して山城国(京都府)を経由し近江国(滋賀県)に入り、そこから美濃国(岐阜県)に渡って尾張国(愛知県)に下り、伊勢国(三重県)まで来た時に見つけた立地が伊勢神宮である。

この伊勢湾に面した土地を視察した天照大御神(アマテラス)は、海の向こうの常世国(とこよのくに/理想郷)からなびく海風が気持ち良く、とても縁起の良い美しい環境と感じて気に入り、こうして伊勢神宮の立地が決定した。

伊耶那岐神(イザナギ)から生まれた天照大御神(アマテラス)が祭神となる伊勢神宮の内宮(ないくう)には、倭姫命(やまとひめのみこと)が斎宮(さいくう)の祭祀(さいし)に就任し、その後も皇室の女性が代々と受け継いでいる。

伊勢神宮には、天皇の象徴でもある“三種の神器”の“八尺瓊勾玉”(やさかにのまがたま)と“八咫鏡”(やたのかがみ)と“草薙剣”(くさなぎのつるぎ)こと“天叢雲剣”(あめのむらくものつるぎ)の内、天照大御神(アマテラス)の化身でもある“八咫鏡”(やたのかがみ)が奉納されている。

その北部に位置する伊勢神宮の外宮(げくう)には、伊耶那美神(イザナミ)の尿から誕生した和久産巣日神(ワクムスビ)の子供の豊宇気毘売神(トヨウケビメ)が祭神となる。

伊勢神宮の内宮(ないくう)と外宮(げくう)の中間にある猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)には、天照大御神(アマテラス)の孫の天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(アメニギシクニニギシアマツヒコヒコホノニニギ)が日向国(ひむか/宮崎県)の高千穂で天孫降臨(てんそんこうりん)した際に、葦原中国(あしはらのなかつくに/地上界)の道案内をした猿田彦(サルタビコ)こと猿田毘古神(サルタヒコ)が祭神となり、“道開きの神”として崇められ、天狗のモデルとも言われる。

その時に付き添ったのが、“天の岩屋戸”(あまのいわやど)で天照大御神(アマテラス)が引き篭もった時に、踊り子として大活躍した猿女君(サルメノキミ)こと天宇受売命(アメノウズメ)である。

これが縁で猿田彦(サルタビコ)こと猿田毘古神(サルタヒコ)と猿女君(サルメノキミ)こと天宇受売命(アメノウズメ)は結婚するが、猿田彦(サルタビコ)こと猿田毘古神(サルタヒコ)が志摩国(三重県)の海で大貝に噛(か)まれて死去する。

また、第12代天皇の景行天皇(けいこうてんのう)の息子の小碓命(オウスノミコト)こと倭建御子(ヤマトタケルノミコ)は、“草薙剣”(くさなぎのつるぎ)こと“天叢雲剣”(あめのむらくものつるぎ)を携(たずさ)えて東国制定に向かった。

その道中で尾張国(愛知県)の熱田神宮の神主の娘に惚れて婚姻し、そこに大切な“草薙剣”(くさなぎのつるぎ)こと“天叢雲剣”(あめのむらくものつるぎ)を授ける。

近江国(滋賀県)から美濃国(岐阜県)に連なる伊吹山にて、手ぶらで白猪神を退治しに行った小碓命(オウスノミコト)こと倭建御子(ヤマトタケルノミコ)は、逆に返り討ちに遭い衰弱する。

伊勢国(三重県)を彷徨(さまよ)い続けた小碓命(オウスノミコト)こと倭建御子(ヤマトタケルノミコ)は、自分の足がガクガクして3本に重なって見えた事から、この地が三重になった。

この程度の歴史を垣間見(かいまみ)ても、三重県は日本の神様の重要拠点と言う事が理解できる。

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260127 - ラジオの友

2026/01/27 (Tue) 17:37:47

◆◇◆其の三:三重県と言えば?◆◇◆

伊勢神宮の頃から幾年(いくとせ)が過ぎ、室町幕府が衰退し始めた戦国時代。

室町幕府の征夷大将軍12代目の足利義晴(あしかがよしはる/室町)の頃に、その北畠晴具(きたばたけはるとも/公家)は伊勢国(三重県)の国司(こくし)に就任していた。

北畠氏は第96代天皇かつ南朝初代天皇の後醍醐天皇(ごだいごてんのう/朝廷→南朝)に仕えた公家の名門家で、鎌倉時代から室町時代(南北朝時代)に移ろう過程で北畠親房(きたばたけちかふさ/朝廷)と息子で奥州の鎮守府将軍の北畠顕家(きたばたけあきいえ/朝廷)と北畠顕信(きたばたけあきのぶ/朝廷)が忠君愛国(ちゅうくんあいこく)の武将として朝廷軍に従軍し、鎌倉幕府の執権14代目の北条高時(ほうじょうたかとき/鎌倉)や、室町幕府の征夷大将軍1代目の足利尊氏(あしかがたかうじ/鎌倉→室町)と交戦した。

そんな1500年前期の室町幕府では、三管領(さんかんれい)の細川晴元(ほそかわはるもと/室町)と細川高国(ほそかわたかくに/室町)が対立した。

細川高国(ほそかわたかくに/室町)の娘が北畠晴具(きたばたけはるとも/公家)の妻として嫁いでおり、北畠晴具(きたばたけはるとも/公家)は伊勢国(三重県)から援軍を送った。

しかし、摂津国(大阪府・兵庫県)の天王寺から大物(だいもつ/尼崎)辺りでの合戦で、細川晴元(ほそかわはるもと/室町)が率いる軍勢の侵攻で細川高国(ほそかわたかくに/室町)は討死する。

これを1530年に起こった「大物崩れ」(だいもつくずれ)と呼ぶ。

温厚な伊勢国(三重県)でも各地の武将が群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)する戦国の乱世で、北畠晴具(きたばたけはるとも/公家)は北伊勢を領域とする長野稙藤(ながのたねふじ/長野工藤)と息子の長野藤定(ながのふじさだ/長野工藤)への陣地に侵攻した。

そんな戦乱期の1528年に北畠晴具(きたばたけはるとも/公家)の息子の北畠具教(きたばたけとものり/公家)が誕生する。

権門勢家(けんもんせいか)の伊勢北畠氏は京都の朝廷とも深い繋がりがあり、その御子息の北畠具教(きたばたけとものり/公家)は10歳で官位相当制の従五位が与えられ貴族に認定される。

その後も25歳で従四位となり、27歳で従三位が与えられ公卿(くぎょう)に認定された。

1553年に北畠晴具(きたばたけはるとも/公家)から伊勢北畠氏の家督を北畠具教(きたばたけとものり/公家)が継承した。

北畠具教(きたばたけとものり/公家)は、“剣聖”(けんせい)と呼ばれた吉川朝孝(よしかわともたか)こと塚原卜伝(つかはらぼくでん/剣術士)と上泉伊勢守(かみいずみいせのかみ)こと上泉信綱(かみいずみのぶつな/剣術士)から剣術を伝承し、剣術の達人だった柳生石舟斎(やぎゅうせきしゅうさい)こと柳生宗厳(やぎゅうむねよし/剣術士)や胤舜(いんしゅん/僧兵)と親交しており、戦国随一の剣術士として名を馳(は)せた。

再び1555年に北畠具教(きたばたけとものり/公家)は、北伊勢を領域とする長野稙藤(ながのたねふじ/長野工藤)と息子の長野藤定(ながのふじさだ/長野工藤)への陣地に侵攻し降伏させた。

これにより北畠具教(きたばたけとものり/公家)は、息子の北畠具藤(きたばたけともふじ)こと長野具藤(ながのともふじ/北畠→長野工藤)を長野藤定(ながのふじさだ/長野工藤)の養子に入れ、長野氏を内部から統治する施策を計る。

その後の1562年に、長野稙藤(ながのたねふじ/長野工藤)と長野藤定(ながのふじさだ/長野工藤)の親子が同年同月同日に死去し、不審死だった為に伊勢北畠氏の刺客(しかく)による暗殺が疑われた。

こうして北畠具藤(きたばたけともふじ)こと長野具藤(ながのともふじ/北畠→長野工藤)が、長野氏の正式な家督継承者に就任した。

北畠具教(きたばたけとものり/公家)が次に狙いを定めたのは、志摩国(三重県)の波切城(なきりじょう/志摩)の城主で九鬼水軍のお頭だった九鬼定隆(くきさだたか/九鬼)である。

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260127 - ラジオの友

2026/01/27 (Tue) 17:38:30

◆◇◆其の四:三重県と言えば?◆◇◆

伊勢国(三重県)の国司で京都の朝廷とも親密関係にある伊勢北畠氏の北畠具教(きたばたけとものり/公家)に目を着けられた志摩国(三重県)の九鬼定隆(くきさだたか/九鬼)には、その2人の息子で九鬼浄隆(くききよたか/九鬼)と九鬼嘉隆(くきよしたか/九鬼→織田→豊臣)が九鬼水軍を支えた。

伊勢湾の海域を領域とした九鬼定隆(くきさだたか/九鬼)は、近隣の国人(こくじん)や武将の合戦で九鬼水軍を援軍として派遣したり、平事(へいじ)には荷物を運搬する海運業を生業(なりわい)としていた。

1542年に誕生した九鬼嘉隆(くきよしたか/九鬼→織田→豊臣)が9歳の少年期の1551年に、父親の九鬼定隆(くきさだたか/九鬼)が死去する。

九鬼氏(くきうじ)の家督を兄の九鬼浄隆(くききよたか/九鬼)が継承し、弟の九鬼嘉隆(くきよしたか/九鬼→織田→豊臣)が9歳ながらに支えた。

志摩国(三重県)の田城城(たしろじょう/鳥羽)を兄の九鬼浄隆(くききよたか/九鬼)が居城とし、波切城(なきりじょう/志摩)を弟の九鬼嘉隆(くきよしたか/九鬼→織田→豊臣)が居城とした。

1560年に伊勢国(三重県)の北畠具教(きたばたけとものり/公家)が集結した国人(こくじん)や武将により、志摩国(三重県)の九鬼氏(くきうじ)の侵攻を開始した。

これにより防戦した兄の九鬼浄隆(くききよたか/九鬼)だったが討死する。

援軍に駆け付けた弟の九鬼嘉隆(くきよしたか/九鬼→織田→豊臣)も奮闘したが、それでも北畠具教(きたばたけとものり/公家)の勢力は大きく強く戦況不利となり、兄の九鬼浄隆(くききよたか/九鬼)の忘れ形見(わすれがたみ)となった息子の九鬼澄隆(くきすみたか/九鬼)を引き連れ、弟の九鬼嘉隆(くきよしたか/九鬼→織田→豊臣)は志摩国(三重県)の領土を捨てて逃亡した。

そんな戦国時代の時勢で、尾張国(愛知県)から美濃国(岐阜県)に掛けて勢力を拡大させた織田信長(おだのぶなが/織田)が、1567年に滝川一益(たきがわかずます/織田)が率いる織田軍滝川隊が伊勢国(三重県)に侵攻した。

“織田四天王”の滝川一益(たきがわかずます/織田)は、伊勢国(三重県)の国人(こくじん)や武将を調略(ちょうりゃく)により寝返らせ、北畠具教(きたばたけとものり/公家)を窮地(きゅうち)に追い込んでいく。

この状況下で弟の北畠具政(きたばたけともまさ)こと木造具政(こづくりともまさ/北畠→木造→織田)が寝返り織田信長(おだのぶなが/織田)に従属(じゅうぞく)し、その息子の織田信雄(おだのぶかつ/織田→豊臣→徳川)の家臣に就任する。

伊勢国(三重県)攻略の総仕上げとして織田信長(おだのぶなが/織田)が率いる織田軍本隊が出陣した。

大河内城(おかわちじょう/松坂)に篭城して攻防する北畠具教(きたばたけとものり/公家)だったが、強靭な軍事力には敵わず織田信長(おだのぶなが/織田)に降伏した。

この時の織田軍には、北畠具教(きたばたけとものり/公家)の息子で長野藤定(ながのふじさだ/長野工藤)の養子に入っていた北畠具藤(きたばたけともふじ)こと長野具藤(ながのともふじ/北畠→長野工藤)の姿もあり、弟だけでなく、実の子供にも裏切られていた。

更に志摩国(三重県)から追放した九鬼嘉隆(くきよしたか/九鬼→織田→豊臣)が率いる九鬼水軍が織田軍の傘下に入っており、この合戦による勝利に貢献している。

名門家と言われた伊勢北畠氏の北畠具教(きたばたけとものり/公家)に取っては、因果応報の敗戦でもある。

これを1569年に起こった「大河内城の戦」(おかわちじょうのたたかい)と呼ぶ。

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260127 - ラジオの友

2026/01/27 (Tue) 17:39:11

◆◇◆其の五:三重県と言えば?◆◇◆

1569年に起こった「大河内城の戦」(おかわちじょうのたたかい)の後に、織田信長(おだのぶなが/織田)は息子の織田信雄(おだのぶかつ/織田→豊臣→徳川)を、北畠具教(きたばたけとものり/公家)の息子の北畠具房(きたばたけともふさ/公家)の養子入れさせ、伊勢北畠氏の家督権利を奪う画策を推進した。

更に北畠具房(きたばたけともふさ/公家)の娘の雪姫(ゆきひめ)こと千代御前(ちよごぜん/北畠→織田)を、織田信雄(おだのぶかつ/織田→豊臣→徳川)の妻に娶(めと)らせた。

1570年に北畠具教(きたばたけとものり/公家)は出家し僧侶となり、1575年に息子の北畠具房(きたばたけともふさ/公家)も織田信長(おだのぶなが/織田)の圧力により隠居させられる。

こうして伊勢北畠氏の家督継承者は織田信雄(おだのぶかつ/織田→豊臣→徳川)が就任する。

この頃に足利将軍家の足利義昭(あしかがよしあき/室町)と天下統一まで目前に迫った織田信長(おだのぶなが/織田)は良好関係を築いていた。

1568年に起こった「上洛戦」(じょうらくせん)や1569年に起こった「本圀寺の変」(ほんこくじのへん)にて、織田信長(おだのぶなが/織田)が率いる強靭な織田軍により征夷大将軍15代目の足利義昭(あしかがよしあき/室町)は京都で一時的な地位を確立した。

しかし、その融和な関係は長くは続かず、直ぐに瓦解(がかい)して織田信長(おだのぶなが/織田)と足利義昭(あしかがよしあき/室町)は敵対する様になった。

室町幕府の足利義昭(あしかがよしあき/室町)は、全国の武将や大名に織田信長(おだのぶなが/織田)を討伐する様に“信長包囲網”を伝令(でんれい)する。

その将軍の要請に応えたのが、甲斐国(山梨県)の躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた/甲府)を拠点とする“甲斐の虎”と呼ばれる武田信玄(たけだしんげん/武田)を筆頭に、越前国(福井県)の一乗谷館(いちじょうだにやかた/福井)を拠点とする朝倉義景(あさくらよしかげ/朝倉)や、近江国(滋賀県)の小谷城(おだにじょう/長浜)を拠点とする浅井久政(あざいひさまさ/浅井)と息子の浅井長政(あざいながまさ/浅井)の親子などである。

この足利義昭(あしかがよしあき/室町)の要請に賛同したのが、伊勢北畠氏の再興を目論む北畠具教(きたばたけとものり/公家)だった。

北畠具教(きたばたけとものり/公家)は武田信玄(たけだしんげん/武田)と内通して、織田信長(おだのぶなが/織田)の討伐を企てていた。

ところが“信長包囲網”の主軸である武田信玄(たけだしんげん/武田)が1573年に死去する。

こうなると征夷大将軍15代目の足利義昭(あしかがよしあき/室町)が画策した“信長包囲網”は牽引役が不在となり瓦解(がかい)した。

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260127 - ラジオの友

2026/01/27 (Tue) 17:39:54

◆◇◆其の六:三重県と言えば?◆◇◆

その頃、織田軍の海軍として頭角を表していたのが、志摩国(三重県)の波切城(なきりじょう/志摩)を拠点に、九鬼水軍のお頭で“海賊大名”と呼ばれた九鬼嘉隆(くきよしたか/九鬼→織田→豊臣)である。

織田信長(おだのぶなが/織田)が最も手子摺(てこず)っていたのが、浄土真宗(じょうどしんしゅう)こと一向宗(いっこうしゅう)の総本山で摂津国(大阪府)の石山本願寺(いしやまほんがんじ)の住職の顕如(けんにょ/僧侶)との対立だった。

その浄土真宗(じょうどしんしゅう)こと一向宗(いっこうしゅう)を布教に尽力した蓮如(れんにょ/僧侶)の息子の蓮淳(れんじゅん/僧侶)が建立(こんりゅう)した、伊勢国(三重県)の長島(桑名)の願証寺(がんしょうじ/浄土真宗)を中心となる一向一揆の抵抗が激化していた。

こうして織田信長(おだのぶなが/織田)の織田軍は、佐久間信盛(さくまのぶもり/織田)や柴田勝家(しばたかついえ/織田)などの驍猛(ぎょうもう)な武将を参陣させて鎮圧に向かった。

この時に伊勢湾から木曽川や長良川を上って進軍したのが九鬼水軍の九鬼嘉隆(くきよしたか/九鬼→織田→豊臣)である。

1571年から一揆の紛争が起こっていた長島(桑名)は、こうしてようやく鎮圧された。

これを1574年に起こった「長島一向一揆」(ながしまいっこういっき)と呼ぶ。

また1578年に摂津国(大阪府)の大坂湾で織田軍と毛利軍が交戦した「第二次木津川口の戦」(だいにじきづがわぐちのたたかい)では、圧倒的に優位な毛利水軍や村上水軍に対して、九鬼嘉隆(くきよしたか/九鬼→織田→豊臣)が舵取りする九鬼水軍が勝利する。

この合戦の際に九鬼嘉隆(くきよしたか/九鬼→織田→豊臣)は織田信長(おだのぶなが/織田)に進言して、鉄板を張り巡らせた防御に強い鉄甲船(てっこうせん)を造船させて、それが勝利に貢献している。

これらの功績から九鬼嘉隆(くきよしたか/九鬼→織田→豊臣)は、織田軍の中でも重鎮家臣に出世し、九鬼氏(くきうじ)の当主も兄の九鬼浄隆(くききよたか/九鬼)の息子の九鬼澄隆(くきすみたか/九鬼)から家督継承している。

それと前後して、窮地に追いやられた北畠具教(きたばたけとものり/公家)は、織田信長(おだのぶなが/織田)に対する謀反(むほん)の企てで処刑が言い渡された。

1576年に伊勢北畠氏に仕えていた旧家臣が北畠具教(きたばたけとものり/公家)と面談し、その瞬間に旧家臣が太刀(たち)で斬り付けた。

旧家臣…『斬り捨て御免!』

バサッ バサッバサッ

サッサッ

北畠具教…『なるほど、やはりそう言う事か!信長の差し金だなぁ!』

剣豪の名で知られる北畠具教(きたばたけとものり/公家)を、そう簡単に斬れる者は皆無(かいむ)で、旧家臣の太刀(たち)を何なりとかわした。

そして北畠具教(きたばたけとものり/公家)が自らの太刀(たち)に手を掛け抜こうとした時、鞘(さや)に小細工が施され抜く事が出来なかった。

旧家臣…『殿、御覚悟召されよぉ!』

バサッ バサッバサッ

北畠具教…『ウグッ!』

ゴロン

北畠具教(きたばたけとものり/公家)は斬首され、伊勢北畠氏の一族や家臣なども織田信雄(おだのぶかつ/織田→豊臣→徳川)の手筈(てはず)で斬殺されている。

伊勢北畠氏の当主だった北畠具房(きたばたけともふさ/公家)も幽閉され、4年後の1580年に死去した。

こうして鎌倉時代から続く権門勢家(けんもんせいか)の公家と言われた伊勢北畠氏は滅亡する事になる。

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260127 - ラジオの友

2026/01/27 (Tue) 17:40:51

◆◇◆其の七:三重県と言えば?◆◇◆

順調に邁進(まいしん)してきた天下統一の覇道(はどう)も、突然に狂い始める。

1582年に、織田信長(おだのぶなが/織田)が最も重用し信用信頼していた“織田四天王”の明智光秀(あけちみつひで/斎藤→織田→明智)に裏切られ討死にする「本能寺の変」(ほんのうじのへん)が起こった。

これは織田軍の重鎮家臣にも動揺が広がり、その後に織田軍の政権争いが起こる。

この時に謀反人(むほんにん)の明智光秀(あけちみつひで/斎藤→織田→明智)を討伐した豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)と、“織田四天王”の柴田勝家(しばたかついえ/織田)が対立し、1583年に起こった「賤ヶ岳の戦」(しずがたけのたたかい)にて豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)が勝利して豊臣政権の礎(いしずえ)を築く。

この政権争いで志摩国(三重県)の九鬼嘉隆(くきよしたか/九鬼→織田→豊臣)は、豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)の陣営に参加している。

この後は織田軍と同様に、豊臣政権の海軍として九鬼水軍の九鬼嘉隆(くきよしたか/九鬼→織田→豊臣)は重用された。

九鬼嘉隆(くきよしたか/九鬼→織田→豊臣)がその能力を最も発揮したのが、1592年に起こった「文禄の役」(ぶんろくのえき)または“第4次朝鮮出兵”と1596年に起こった「慶長の役」(けいちょうのえき)または“第5次朝鮮出兵”で、肥前国(佐賀県)の名護屋城(なごやじょう/唐津)から九鬼水軍のお頭として豊臣軍の海軍を舵取りして朝鮮半島に渡った。

日本に帰国した頃の1597年に、50歳を超えていた九鬼嘉隆(くきよしたか/九鬼→織田→豊臣)は、九鬼氏(くきうじ)の家督を息子の九鬼守隆(くきもりたか/豊臣→徳川)に継承させた。

その直後の1598年に、山城国(京都府)の伏見城(ふしみじょう/京都)にて豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)が死去した。

これにより豊臣政権で権力闘争が勃発する。

“豊臣五大老”の筆頭家老の徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)が率いる東軍と、“豊臣五奉行”で豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)の直参家臣の石田三成(いしだみつなり/豊臣)が率いる西軍が対立した。

こうして1600年に美濃国(岐阜県)にて「関ヶ原の戦」(せきがはらのたたかい)が起こった。

この時に豊臣政権の大名や武将は、東軍か西軍かのどちらに味方するか判断に悩む。

時流や勢力を考慮すれば徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)だが、豊臣政権への恩義や忠義を考慮すれば西軍の石田三成(いしだみつなり/豊臣)かつ総大将の毛利輝元(もうりてるもと/毛利→豊臣)となる。

後世に家督を存続させるには、勝てる方に着かなければならない。

こうして九鬼嘉隆(くきよしたか/九鬼→織田→豊臣)が出した答えが生存戦略だった。

九鬼嘉隆(くきよしたか/九鬼→織田→豊臣)は、西軍の石田三成(いしだみつなり/豊臣)に加勢する。

一方、息子の九鬼守隆(くきもりたか/豊臣→徳川)は、東軍の徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)に加勢する。

こうすれば、どちらが敗北しても、もう片方が勝者となって生き残れる。

これは信濃国(長野県)の上田城の城主だった
真田氏も同じで、父親の真田昌幸(さなだまさゆき/武田→上杉→豊臣)と次男の真田幸村(さなだゆきむら)こと真田信繁(さなだのぶしげ/武田→上杉→豊臣)は、西軍の石田三成(いしだみつなり/豊臣)に加勢した。

一方で、長男の真田信之(さなだのぶゆき/武田→上杉→徳川)は、本多忠勝(ほんだただかつ/徳川)の娘で“戦国最強の女武士”と呼ばれる稲姫(いなひめ)こと小松姫(こまつひめ/徳川)が妻と言う事もあり、東軍の徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)に加勢した。

この「関ヶ原の戦」(せきがはらのたたかい)にて、西軍の九鬼嘉隆(くきよしたか/九鬼→織田→豊臣)は九鬼水軍を出港させて伊勢湾を封鎖し、東軍の海上輸送を遮断するなど貢献した。

しかし、美濃国(岐阜県)の戦地では、半日余りで決着して東軍が勝利した。

敗軍の武将となった九鬼嘉隆(くきよしたか/九鬼→織田→豊臣)は、志摩国(三重県)の鳥羽城から退城して、その対岸にある答志島(とうしじま)に身を隠した。

一方の東軍に加勢した息子の九鬼守隆(くきもりたか/豊臣→徳川)は、父親の九鬼嘉隆(くきよしたか/九鬼→織田→豊臣)の助命を徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)に嘆願した。

織田信長(おだのぶなが/織田)から仕えて九鬼水軍を舵取りした九鬼嘉隆(くきよしたか/九鬼→織田→豊臣)の功績は徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)も熟知しており、武蔵国(東京都)の江戸城(えどじょう)を拠点とする徳川政権としても海軍や海運は重要な要素である。

これらの要因から徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)は、西軍に加勢した九鬼嘉隆(くきよしたか/九鬼→織田→豊臣)をお咎(とが)めなしの無罪放免とした。

息子の九鬼守隆(くきもりたか/豊臣→徳川)は、早速に使者を志摩国(三重県)の答志島(とうしじま)に向かわせた。

その頃、その答志島(とうしじま)では九鬼氏(くきうじ)の重鎮家臣だった豊田五郎右衛門(とよたごろうえもん/九鬼)が、主君の九鬼嘉隆(くきよしたか/九鬼→織田→豊臣)に敗戦責任の切腹を促していた。

武士の慣例もあり、これを九鬼嘉隆(くきよしたか/九鬼→織田→豊臣)は承諾し、即日に切腹して介錯(かいしゃく)された。

この後に息子の九鬼守隆(くきもりたか/豊臣→徳川)の使者が到着し、豊田五郎右衛門(とよたごろうえもん/九鬼)らに徳川政権からの無罪放免の知らせを伝えた。

豊田五郎右衛門…『なぁ!? なんとぉ!! 早まってしまった!』

時既(ときすで)に遅しで、九鬼嘉隆(くきよしたか/九鬼→織田→豊臣)は息絶えていた。

この経緯(いきさつ)を知った息子の九鬼守隆(くきもりたか/豊臣→徳川)は激昂し、重鎮家臣だった豊田五郎右衛門(とよたごろうえもん/九鬼)を鋸挽(のこぎりび)きの刑に処した。

それから時が経ち江戸幕府では、息子の九鬼守隆(くきもりたか/豊臣→徳川)が志摩国(三重県)の鳥羽藩の藩主に就任した。

その後に九鬼氏(くきうじ)は伊勢湾の海から離れ、摂津国(兵庫県)の三田藩(さんだ)に領地移転の転封(てんぽう)となる。

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260127 - ラジオの友

2026/01/27 (Tue) 17:41:32

◆◇◆其の八:三重県と言えば?◆◇◆

江戸時代には伊勢国(三重県)の津藩(三重県)の初代藩主に藤堂高虎(とうどうたかとら/浅井→織田→豊臣→徳川)が就任し、その後も藤堂氏(とうどううじ)が藩主を務めて統治した。

藤堂高虎(とうどうたかとら/浅井→織田→豊臣→徳川)とは、奥州藤原氏の先祖で“天下一の弓取り名人”と呼ばれる俵藤太(たわらとうた)こと藤原秀郷(ふじわらひでさと/公家)の系統で、近江国(滋賀県)の甲良(こうら/犬上)の土豪の頃に浅井氏(あざいうじ)の家臣となり、7度ほど主君を代えながら豊臣政権では豊臣秀長(とよとみひでなが/織田→豊臣)と豊臣秀保(とよとみひでやす/豊臣)に仕えて、江戸幕府では徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)から最も信用信頼された大名である。

1644年に伊賀国(三重県)の阿拝(伊賀)にて俳諧師(はいかいし)の松尾芭蕉(まつおばしょう/俳人)が生誕し、1689年に武蔵国(東京都)の江戸から出発して北上し、陸奥国(むつ/青森県・岩手県・宮城県・福島県)と出羽国(でわ/秋田県・山形県)をグルリと回り、越後国(新潟県)に入り日本海側の北陸を巡り、越前国(福井県)から南下して美濃国(岐阜県)の大垣に到着する“おくのほそ道”の旅を達成した。

その後の1867年の明治維新では、伊勢国(三重県)の桑名藩の藩主で京都所司代(きょうとしょしだい)に就任していた松平定敬(まつだいらさだあき/徳川)が、兄で尾張徳川家の当主だった徳川慶勝(とくがわよしかつ/徳川)と、陸奥国(むつ/福島県)の会津藩の9代目藩主で京都守護職(きょうとしゅごしょく)に就任していた松平容保(まつだいらかたもり/江戸)と共に、衰退する江戸幕府の対処に奔走(ほんそう)していた。

そして1941年12月に起こった「太平洋戦争」こと「大東亜戦争」では、三重県をはじめ日本列島は激動と激震により、1945年に廃墟同然の焦土(しょうど)と化す。

そこから1960年代の高度経済成長にて日本は復興を遂げて、『もはや戦後ではない!』と言われる程に経済都市が整備され、伊勢湾の沿岸に重厚長大(じゅうこうちょうだい)の工場が連なり中京工業地帯を形成した。

しかし、その経済の繁栄の副作用で、四大公害病の“四日市ぜんそく”が表面化した。

この様な試練と改善で現代の三重県に繋がっている。

それでも変わらないのが、地球の運命を左右させる程の神力を持つ神様が宿る、日本の聖地と言われる三重県であろう。

特に三重県では、伊勢神宮の天照大御神(アマテラス)や倭姫命(やまとひめのみこと)、それに鳥羽志摩の海に潜る海女(あま)さんをはじめとした女性の活躍が目立つ。

最近では三重県の過疎化が進む村や島に移住する女性も増加しており、冒険家の玉置侑里子(たまおきゆりこ/会社員→冒険家)さんは三重県の御浜町(みはまちょう/東紀州)に移住して、三重県の自然の素晴らしさや人生の充実度などの情報を発信している。

千年万年に渡る神州(しんしゅう)の日本における聖地の三重県では、現在でもこの様に神様の従者(じゅうしゃ)が脈々と息づいている。

■インバウンド(訪日観光客)解禁で、もう一度考える民泊殺人事件 - 民泊促進協会

2023/06/02 (Fri) 12:04:50

以下の記事は2018年6月13日に記述したものである。

▼ ▼ ▼

「「2018年2月16日の深夜0時頃、大阪市東成区中道の民泊施設で訪日アメリカ人が日本人女性を殺害した。

さらに女性の身体をバラバラに切り刻み損傷させ、関西地域に遺体一部を運びだし遺棄した。

一番の問題は殺人。

これは日本人であれ、外国人であれ、他人の人生を奪う最低最悪な愚行だ。

では、なぜ日本人女性は大阪東部の住宅街で殺されなければならなかったのか。

一つにはSNSなどの交流サイトによって、何の地縁人脈もない他人同士が一瞬にして出会う事だろう。

優しい言葉に警戒心が薄れ、会ってみたいと思わせる罠が隠れている事もある。

困っている人を装い善意につけ込み極悪非道な行為に走る事もある。

人を信じられない恐ろしい世の中だ。

そして会う場所。

これはお互いの都合がつく場所であればどこでもいいわけだが、今回、利用されたのが違法民泊施設。

これは殺人鬼にとって身分を明かさず不審に思われる事のなく利用できる格好の場所だったに違いない。

これから殺されるとは思いもせずに日本人女性は兵庫県三田市から電車に乗ってやって来たのだろう。

アメリカ住まいの殺人鬼が、どのようにして大阪でもマイナーな下町の東成区の民泊施設を選ぶ事ができたのか。

ここは木密地域(木造住宅密集地域)と言われる場所で、地元のお年寄りが道端で井戸端会議をし、学校の行き帰りに小学生が通学路として歩き、車でも通りにくい狭い路地だらけの町。

大阪に住んでいる人でもあまり馴染みのない場所だ。

これも便利なインターネットのおかげだ。

殺人鬼は違法民泊施設を掲載している民泊仲介サイトを利用して物件を選定していたのだ。

現実の世界、もしもあの時にああしていればよかったはあとの祭りだが、仮にもし民泊仲介サイトが合法民泊施設のみを掲載し、利用者の身分証明を照合するシステムにしていたのなら、日本人女性は殺されずに済んだかもしれない。

合法民泊施設だからと言って犯罪が起こらないとは限らない。

ただ、無秩序無防備な違法民泊施設より、犯罪を未然に防ぐ手立てのシステムを組んだ合法民泊施設の方が犯罪に遭う確率は格段に低くなるだろう。

この民泊殺人事件の加害者はアメリカ人殺人鬼、そして結果的に殺人に手を貸した違法民泊施設事業者、さらに違法民泊施設を掲載し続けていた民泊仲介サイトの・・・

おっと、企業名を言うところだった。

表ざたになっていない民泊仲介サイト企業も売上(お金)のための犯罪幇助と言わざるを得ない。

言うなれば、ブレーキのない車を販売し、事故が起こっても運転手の責任であって販売した我々には責任はないと言っているようなものだ。

本来、自ら名乗り出て謝罪すべきだろう。

国際交流のため活動していた将来有望な日本人女性の命を30年余りで終わらせた罪の意識を感じてほしい。」」

▲ ▲ ▲

2023年6月時点、コロナウイルス対策が終焉し、海外からのインバウンド(訪日観光客)がドット押し寄せて来る。

ほとんどのインバウンド(訪日観光客)は心から日本と言う国を楽しみたい善良な人達だろう。

ただ、その中に悪事を働く者も紛れている可能性がある。

2018年2月16日の事件の様に。

これら悲劇を繰り返されない為にも、民泊促進協会では2月16日を“民泊を考える日”に制定しました。

Re: ■インバウンド(訪日観光客)解禁で、もう一度考える民泊殺人事件 - 民泊促進協会

2023/06/25 (Sun) 03:21:19

民泊仲介会社は寄付する前にやる事がある。

それと、大阪府と大阪市の自治体や在阪メディアによる当時の報道規制により、民泊仲介会社の社名を隠蔽し公表しなかった事は、人1人の命を軽んじた行為として、京都伏見の天女母神は今でも怒りを忘れてはいませんよ。

インバウンド(訪日観光客)景気や東京オリンピック開催の莫大な利益に目が眩んで、若い女性の命を奪った事件を蔑ろ(ないがしろ)にした天の罪は大きい。

事実と異なるのもフェイクニュースだけど、事実を正確に伝えないのもフェイクニュースである。

Re: ■インバウンド(訪日観光客)解禁で、もう一度考える民泊殺人事件 - 民泊促進協会

2024/01/24 (Wed) 07:20:38

天界の神様、地獄の大魔王様、民泊促進協会よりお願いが御座います。

2025年に開催される“大阪関西万博”を、是非、成功に導いて下さい。

“大阪関西万博”が開催されれば、世界各国からインバウンド(訪日観光客)が押し寄せ、それが日本全国に行き渡り、日本に巨万の富がもたらされます。

経済産業デジタル協会のAIによる試算では、“大阪関西万博”開催期間中による“経済効果”は、大阪府を除く46都道府県に各3000億円で総計13兆8000億円になります。

これは控えめに見積った金額のため、大阪府を含めれば実際はこれの3倍の41兆4000億円を想定しています。

“大阪関西万博”開催による、これだけの“経済効果”があれば、2024年1月1日に北陸地方で発生した“能登半島地震”の被災復興費用に最低30兆円は回せます。

“能登半島地震”による災害で被災した北陸地方のためにも、万博開催に関わる全ての関係者は“大阪関西万博”を必ず成功させ、41兆4000億円と言う“経済効果”を出すため、“命”と“魂”を掛けてこの試算を死守する意気込みで御座います。

絶対にあり得ませんが、万が一、万が一にも“経済効果”の41兆4000億円に1円でも足りなければ、民泊促進協会を除く、万博関係機関、日本銀行、大阪府&大阪市の自治体、関西財界、在阪メディア、大阪府民、大阪市民の全ての関係者を、“煮るなり”、“焼くなり”、“地獄に落とすなり”、何なりとご自由にして下さい。

関西地方には有能な人材が揃っておりますので、万が一、億が一にも御座いませんが。

『絶対に負けへん、負けへん、う〜ん、負けへん! 41兆4000億円を稼ぎ出すだけの“夢舞台”を創る自信があるからっ!』

この意気込みで御座います。

では、大船(おおぶね)に乗った気分で、2025年を楽しみにしております。

Re: ■インバウンド(訪日観光客)解禁で、もう一度考える民泊殺人事件 - 民泊促進協会 URL

2024/02/16 (Fri) 00:30:33

2023年、実質的に新型コロナウイルス対策が終焉し、各々が病原菌対策する“自己責任”となった。

日本には世界各国からインバウンド(訪日観光客)が押し寄せている。

そして関西で一番の観光名所の大阪城にも、その優美な天守閣に惚れ惚れする事でしょう。

多くのインバウンド(訪日観光客)が民泊施設を利用するだろう。

当たり前の様で、当たり前でない景色。

2月16日は民泊業界や民泊利用者にとって忘れてはならない日である。

“民泊を考える日”。

2018年に大阪城にほど近い大阪市東成区中道で、何故あの忌まわしい“違法民泊バラバラ事件”が起こったのか?

性悪説(せいあくせつ)で見れば、「人多く集まる所に犯罪あり」である。

これは過去の歴史を振り返っても、否定のしようがない。

この様な悪質事件に対しても、各々が犯罪対策の意識を高めて“自己責任”のもとで行動しなければならないのか?

大阪と言う土地は、昔からこの様な異様な事件が多い。

2011年8月14日、大阪市天王寺区味原本町の分譲マンションで、そこに住む男性が奥さんと息子を殺害し、遺体をバラバラにして数個の一斗缶に詰め込み、自宅近くの東高津公園周辺に遺棄した。

“大阪一斗缶バラバラ事件”である。

この地は、近鉄上本町駅から徒歩すぐで住環境の良好な人気エリアでもあり、大阪城の南側であの真田幸村(真田信繁)で有名となった真田山も近くにある。

こんな平和な街で、何故、あの様な悍(おぞま)しい事件が起こったのか?

また、上本町駅から西側に坂を下がった日本橋での事件。

1983年12月24日に発覚した“三重県バラバラ事件”では、大阪ミナミで働くホステスさんが男性に殺害され、三重県の伊賀上野に頭部と手首が無い状態で遺体をバラバラされ遺棄された。

犯人は大阪の“黒門市場”で犯行用備品を購入して、大阪市内のアパートで犯行に及んだ。

犯人の男性は、ホステスさんの同棲相手だったと言う。

さらに大阪城周辺の地域を深掘りすると、様々な出来事が見えてくる。

1945年8月14日の“終戦宣言”の前日。

大阪城の周辺にある軍事工場と京橋駅が空襲に遭い300人以上の人々が亡くなっている。

あと1日、“終戦宣言”が早ければ、どう言う結果だったのだろうか。

大阪城の周辺にある大阪ビジネスパークやJRと地下鉄の車両基地は元々は軍需工場で、最も狙われるエリアだった。

だから周辺地域では、それまでにも空襲があり多く人々が亡くなったいる。

今でも不発弾が地中から見つかるのは、その証(あかし)でもある。

1603年に徳川家康が江戸幕府を開き、その後、265年もの長い間は主だった戦争は無かった。

大阪も“天下の台所”として一大都市を形成し、都心部に多くの人々が住む様になる。

「人多ければ悪人多し」なのか。

大阪の日本橋から西に行った千日前は、その時代から“刑場”(けいじょう)が設けられた。

“千日デパート火災事故”があった周辺である。

大阪城から北側の野江にも“刑場”(けいじょう)は設けられ、ちょうど“薬害エイズ事件”で問題となった血液を取り扱ったミドリ十字の会社が近くにあった周辺である。

大阪の土地には“魑魅魍魎”(ちみもうりょう)が住んでいるのかと思うくらい、悪事が密接している。

オカルトマニアなら、“永住の地”に選びたいところだろう。

この“奇怪な惨事”は、1614年に起こった“大坂の陣”が糸を引いている。

徳川軍に包囲された豊臣軍の大阪城は炎上。

豊臣軍と徳川軍の数万人もの兵士が討死し、大阪城の周囲には戦死者が積み上げられている。

さらに豊臣軍の武将や家来は、大阪城周辺で首を討ち取られ、無数の屍(しかばね)が放置されていたと言う。

無念の血で穢(けが)れた土地は、永遠に安らぐ事は無い。

今でも多くの“悪霊”や“怨霊”が大阪市中を徘徊している。

大阪市街地で浮かれた気分で羽目を外せば、これらの“魑魅魍魎”(ちみもうりょう)に目を付けられ、地獄へ引き摺り込まれる事もある。

過去の事件の様に。

『そんな事、知りませんでした。』

大丈夫です。

最後に知る事ができるから。

Re: ■インバウンド(訪日観光客)解禁で、もう一度考える民泊殺人事件 - 民泊促進協会 URL

2024/03/17 (Sun) 11:29:34

■山陰新幹線の早期開業を実現へ!

敦賀駅(福井県)から博多駅(福岡県)まで、日本海側の“山陰新幹線”の早期開業を実現へ!

若狭国(福井県)、丹後国(京都府)、但馬国(兵庫県)、因幡国(鳥取県)、伯耆国(鳥取県)、出雲国(島根県)、石見国(島根県)、長門国(山口県)、そして豊前国(福岡県)から筑前国(福岡県)へ。

日本中の800万(やおよろず)もの神様に、毎年の神有月(10月)、出雲大社に参るため“山陰新幹線”で楽々で快適に移動してもらおう!

天照大御神(アマテラス)、月読命(ツクヨミ)、須佐之男命(スサノオ)、大気都比売命(オオゲツヒメ)、倭建御子(ヤマトタケルノミコ)、そして八岐大蛇(ヤマタノオロチ)、は“新幹線”が大好きです♪。

Re: ■インバウンド(訪日観光客)解禁で、もう一度考える民泊殺人事件 - 民泊促進協会

2024/04/01 (Mon) 02:07:43

●日本で一番に盛り上がるイベントと言えば何か?

1月のお正月、2月のバレンタイン、12月のクリスマス。

どれも不正解である。

現代の日本人が最も愛して止まないのは、10月の“ハロウィン”である。

秋口に入ると街中ではオレンジ色のカボチャオバケが彩(いろど)られ、「どんなコスプレで“ハロウィンパーティー”に参戦するか」と、今か今かと心待ちにする若者が急増する。

この日だけは“オバケ”に取り憑かれる事に“喜び”と“快感”を覚える。

1年で1回限りの“地獄の祭典”。

ただ、この大阪での街中は、毎日が賑やかな“ハロウィンパーティー”の様なものである。

日本人の心を掴んで離さない、正に“エブリハロウィン”。

大阪市中には“ハロウィン”を体感できる“跡所”と、その地にまつわる“時事”がいくつもある。

それらをぜひ、大阪に来て体感して頂きたい。

●まず、巡ってもらいたいのは“大阪七墓”(おおさかななはか)である。

江戸時代に身元の分からない遺体を“無縁仏”として埋葬された。

[一]梅田墓地
大阪市北区のJR大阪駅北側での再開発地区でもある“グランフロント大阪”や“グラングリーン大阪”の一帯。

工事中に多数のガイコツ(髑髏/しゃれこうべ)が発掘される。

ルシアンペラフィネの“スカル”の服を着ていけば、より街にマッチする。

公園の“グリーン”よりも、墓地の“グレー”のイメージの方がピッタリである。

ここに来れば、建ち並ぶ超高層ビルも“墓石”に見えてくる。

[二]南浜墓地
大阪市北区豊崎町から中崎町あたりにあった墓地。

古い家が建ち並ぶ昔ながらの下町風情が残り、現在も一部の墓地は存続している。

現在では周辺にタワーマンションが多く建設されている。

[三]葭原墓地(よしわらぼち)
大阪市北区の天神橋筋六丁目駅の一帯。

近くには大きな墓地と火葬場がある。

跡地では、1970年に発生した“天六ガス爆発事故”により80人近くの人々が亡くなっている。

そこから南側に行った“扇町公園”は明治時代に“大阪監獄”(おおさかかんごく)があり、刑場(けいば)も併設されていたと言う。

その扇町公園に隣接する関西テレビの役員のご子息が、2019年に千里山の交番に押入りお巡りさんを襲撃し拳銃を奪う“強盗殺人未遂事件”を起こしている。

関西テレビとは、2020年に女子プロレスラーが自害した原因となったテレビ番組を制作したフジテレビの系列局である。

[四]蒲生墓地(がもうぼち)
大阪市都島区のJR京橋駅から東側に行った一帯で、現在も一部の墓地は存続している。

1945年8年14日の“終戦宣言”の前日に、大阪城の周辺にある軍事工場と京橋駅が“大阪大空襲”に遭い300人以上の人々が亡くなっている。

ここから北西側に行くと、2000年に発生した“雪印集団食中毒事件”の大阪工場があった。

これが主因で雪印乳業は事実上の倒産に追い込まれる。

そこからさらに北側に行くと“大阪拘置所”(おおさかこうちしょ)があり、刑場(けいば)も併設されている。

葭原墓地(よしわらぼち)から大川を越えた東側にあたる。

[五]小橋墓地(おばせぼち)
大阪市天王寺区の近鉄上本町駅から北側に行った一帯で、跡地は東高津公園(ひがしこうづこうえん)になっている。

2011年8月14日に大阪市天王寺区味原本町の分譲マンションに住む男性が奥さんと息子を殺害し、遺体をバラバラにして数個の一斗缶に詰め込み、自宅近くの東高津公園(ひがしこうづこうえん)周辺に遺棄した“大阪一斗缶バラバラ事件”が、正にこの場所である。

[六]千日墓地
大阪市中央区の千日前の一帯で、刑場(けいば)も併設されていた。

大阪では最も有名な“オカルトスポット”である。

100人以上の人々が亡くなった“千日デパート火災事故”があった周辺である。

この火災により建築物の防火に対する基準が強化された。

千日前の北側には神戸のホテルで暗殺されたヤクザの親分の事務所があった。

[七]飛田墓地(とびたぼち)
通天閣の南側に行った大阪市西成区の動物園前駅の一帯で、刑場(けいば)も併設されていた。

西側に行くと日雇い労働者の街として有名な“あいりん地区”があり、何度となく暴動が起こっているが、最も印象深いのが1990年の“西成暴動”ではないだろうか。

南側に行くと暗黙の花街でもある“飛田新地”(とびたしんち)があり、昔ながらの街並みと夜の妖艶なネオンが雰囲気を醸し出している。

揚屋(あげや)に「入る、入らない」は別にして、大阪では成人すると必ず見学にいくスポットとなっている。

●次は刑場(けいば)で、討首など罪人を処刑する場所で、余程(よほど)の悪党の討首は晒場(さらしば)に持って行く事もある。

[一]千日刑場
千日墓地に併設されていた。

[二]鳶田刑場(とびたけいば)
飛田墓地(とびたぼち)に併設されていた。

[三]野江刑場
蒲生墓地(がもうぼち)から北側に行った大阪市都島区の一帯。

1980年代の“薬害エイズ事件”で問題となった血液を取り扱ったミドリ十字の会社が近くにあった周辺である。

[四]三軒家刑場(さんげんやけいば)
大阪ドームから南側に行った大阪市大正区の木津川の一帯。

当時はこの一帯が海沿いだった事もあり、遺体処理に便利なため、千日刑場も含めて適地だったと思う。

●さらに最も悪党な罪人の討首を見せしめるため、高札場(こうさつば)に併設して晒場(さらしば)もあった。

[一]高麗橋(こうらいばし)
大阪市中央区の土佐堀通の南側の東横堀川に掛かる橋。

江戸時代の1837年に勃発した“大塩平八郎の乱”にて、この一帯を含めて大坂の市中はほとんどが焼失する。

その主因となった“東町奉行所”が、ここより東側の大坂城前にあった。

[二]日本橋(にっぽんばし)
大阪市中央区の堺筋と千日前通の交差点付近の道頓堀川に掛かる橋。

1983年12月24日に発覚した“三重県バラバラ事件”で、大阪ミナミで働くホステスさんが男性に殺害され、三重県の伊賀上野に頭部と手首が無い状態で遺体をバラバラされ遺棄された。

犯人が殺害用備品を購入したのが、日本橋(にっぽんばし)の南側にある“黒門市場”。

●こうして見ると墓地や刑場(けいば)は、遺体処理に適した川や海に隣接して建っている事が多い。

大阪市は昔から“水の都”や“八百八橋”(はっぴゃくやばし)と言われ、“水”と関わりの深い都市である。

大阪市中に無数の“怨霊”や“悪霊”、それに“魑魅魍魎”(ちみもうりょう)が漂う理由も理解できる。

正に“ハロウィンファン”の皆さんは、大阪を旅先に選べば毎日の様に素敵な体感ができる。

2025年に開催される“大阪関西万博”とセットで、これらの跡所にも巡って欲しい。

日本人、いや、世界の人々に、ぜひ大阪に来てもらい、数ある“パワーダウンスポット”を堪能してもらいたい。

『ウェルカム トゥー “エブリハロウィン”オオサカ!』

Re: ■インバウンド(訪日観光客)解禁で、もう一度考える民泊殺人事件 - 民泊促進協会 URL

2024/05/03 (Fri) 21:31:10

《海に沈んだ路面電車》

昭和の時代まで駆け抜けた名古屋市内の“路面電車”。

廃線から50年近く経った令和の時代に、何と海底から当時の“路面電車”が発見されたと言う。

ドキュメンタリーの内容は、まさに“夢”と“浪漫”を諦めずに追い求めた結集とも言える。

海に沈む“路面電車”を観た時、“スタジオジブリ”のアニメ映画「千と千尋の神隠し」に登場する海の上を走る“電車”を想い描いた。

渥美半島の海に沈む“路面電車”と、「千と千尋の神隠し」の海の上を走る“電車”。

何か相通じるものがある。

しかも、渥美半島は愛知県、近年オープンした“ジブリパーク”も愛知県。

これは“偶然”ではない。

何か意味のある“必然”である。

ドキュメンタリーでは、撮影に参加した若者が自費でボロボロの“路面電車”を購入して、少しずつ修繕している内容も含まれている。

『これである!』

以前、“ジブリパーク”のある愛知県長久手市の市長が、『最寄駅の愛地球博記念公園駅の周辺には何もなく寂しい。』と語っていた。

ならば駅前に、このボロボロの“路面電車”を展示させてあげたらどうか?

現在の保管置場からの運搬費用は愛知県が負担し、設置場所の費用も無料。

ただし、ボロボロの“路面電車”の「修繕費用」や「保全計画」には、愛知県は一切の手と口を出さず、所有者の若者の計画に基づいて実施する。

ボロボロの“路面電車”の状態から完成に近づくまで5年、10年掛かるのかは分からないが、その過程も含めて“ジブリパーク”の来園者(リピーター)などは楽しむ。

また、“スタジオジブリ”に依頼して、海底で見つかった“路面電車”のドキュメンタリーの内容を15分くらいのアニメで制作してもらう。

ボロボロの“路面電車”の展示場に街頭テレビ(モニター)を設置して放映すると、お互いの内容がより深みを増してくる。

特に“路面電車”を探しに海に出て行く船の名前が「ぽん助丸」も、何か“ジブリ”らしさを醸し出し“偶然”とは思えない。

ドキュメンタリーアニメの最後は、海底で“路面電車”を発見し大仕事を終えた人達が、船の「ぽん助丸」で港に帰って行く。

アングルは海底に沈む木枠だけになった“路面電車”。

その“路面電車”が元の姿を取り戻し、海底を線路がドンドンと伸びて行く。

“路面電車”は真ん中の丸いライトを点灯させ、ゆっくりとゴトゴト動き出す。

アングルは車内に移り、魚や海藻が行き交い、“路面電車”がゴトゴトと進むにつれ吊り革が揺れる。

その吊り革が1つだけ無い箇所があるところを見せて“おわり”。

面白いと思うのだが。

Re: ■インバウンド(訪日観光客)解禁で、もう一度考える民泊殺人事件 - 民泊促進協会

2024/06/21 (Fri) 06:17:16

2023年の新型コロナウイルス対策の終焉により、「和文化」を体感しようと再び世界各国からインバウンド(訪日観光客)が大量に日本へ押し寄せている。

いったい、この“日本の魅力”は何処(どこ)にあるのか?

インターネット環境が整備された事で、日本から輸出される自動車や工業機械だけでなく、クオリティーの高いアニメや音楽などが手軽に情報収集できる様になった事も一因であろう。

では、期待を込めて日本に来るインバウンド(訪日観光客)に対して、日本の“文化”や“歴史”をきちんと正確に説明できる日本人が、果たして何人いるだろうか?

現在、その足を着けている土地には、幾多(いくた)の“文化”や“歴史”が隠されている。

例えば、3000年近い日本の長い歴史を、時代を追って説明できるだろうか?

竪穴式住居や貝塚などが盛んに増えていった「縄文時代」。

お米を効率的に作りだす稲作文化の発展や邪馬台国があった卑弥呼(ひみこ)の居た「弥生時代」。

王権制が確立して海外から文化や技術が入って来た「古墳時代」。

そして政治の中心が畿内に移り聖徳太子がウロウロしていた「飛鳥時代」。

朝廷と藤原氏により奈良を拠点とした都造りをした「奈良時代」。

雅な文化が華やいだ京都の「平安時代」。

源氏と北条氏により武家政権が確立した「鎌倉時代」。

足利氏による政権交代が行われた「室町時代」。

下克上(げこくじょう)により各国の武将が台頭した「戦国時代」。

戦(いくさ)による国取合戦の終焉を迎えた「江戸時代」。

そして、あれっ?

そこからの明治、大正、昭和、平成、令和は「何時代」?

これらは日本独自の元号なだけで、時代名ではない。

そう言えば、「明治維新」以降の時代名を歴史の時間で習った記憶が無い。

では、今すぐに時代名を確定する必要がある。

なんせ、インバウンド(訪日観光客)に質問されたらAI(人工知能)より先に答えなければならない。

外国人…『江戸時代ノ後、今ノ時代ハナニデスカ?』

日本人…『え〜と、え〜と、明治? う〜ん、昭和か平成か令和か?』

答えられなければ、インバウンド(訪日観光客)は“ガッカリ”して国に帰ってしまう。

その為、明治から令和に掛けての150年近くを、日本で起こった過去と時事を照らし併せて最適な時代名を考案します。

明治は海外各国に対する開国に始まり、近代産業が輸入され、日本の風景も自然を解体して鉄とコンクリートにドンドンと代わっていき、大正に入る前後から殺傷能力の高い武器を大量生産して近隣他国への領土拡大を目指す。

まさに地球レベルで共存して生きる事よりも、身近な個人が便利な道具でいかに裕福になれるかを競った“文明開花”である。

そこからの昭和では、多少の環境と国民の犠牲を払った太平洋戦争を経験して、日本国土を焼け野原と化して裸一貫から再出発し、手先の器用さを武器に得意な“ものづくり”で“高度経済成長”を迎え、自然豊かな山々を切り拓き、美しい海を埋め立て、世界が認める近代化の日本を形成した。

平成からはバブル崩壊や自然災害を経験するも、“不屈の精神”で困難に立ち向かう日本人はまだまだ健在です。

そんな過去と時事を総合判断して、やはりこの時代の象徴は、街も物も豊かになった“ものづくり”の日本を映し出す“高度経済成長”ではなかろうか?

原風景が残る自然を解体して、高層ビルや高速道路などを建設し、大変便利な暮らしを手にしてきた。

ちょうどこの時代の人達を、作家で経済学者の堺屋太一さんが「団根の世代」(だんこんのせだい)と命名している。

それにあやかって、この150年近くを男性社会が築き上げた意味を込め、“団”を“男”に掛けて「男根時代」(だんこんじだい)に決定しました。

「男根時代」(だんこんじだい)。

なんて良い響きなんだろう。

これでインバウンド(訪日観光客)に質問されても直ぐに返答できますね。

外国人…『江戸時代ノ後、今ノ時代ハナニデスカ?』

日本人…『江戸時代の後の、明治から令和までは男根時代(だんこんじだい)でぇ〜す!』

Re: ■インバウンド(訪日観光客)解禁で、もう一度考える民泊殺人事件 - 民泊促進協会

2024/07/14 (Sun) 14:01:01

『異国情緒あふれる港町、神戸(KOBE)。』

1990年代までの神戸は、関西をはじめ全国から人が押し寄せる日本屈指の観光地だった。

山手に沿って建ち並ぶ洋館の「異人館」。

海手に開ける海岸とポートタワーが建つ「メリケン波止場」。

歴史が積み重なった重厚感ある建築物が集積する「居留地」(きょりゅうち)。

中国大陸から渡ってきた華僑(かきょう)により形成された中華街の「南京町」。

こう見返しても、“昭和の旅行ガイドブック”には見栄えの良いエリアが神戸には数多くある。

いわゆる“昭和のお洒落”である。

そのため、インターネットが世界をつないだ2000年に入った頃から、この神戸の地位は下落の一途を辿(たど)る。

当然である。

“昭和の感覚”のまま都市計画を進めれば、情報過多な時代には見向きもされなくなる。

それに世界中から押し寄せるインバウンド(訪日観光客)が求める「和文化」が、この神戸には何処(どこ)にも無い。

1970年代から日本人観光客などに『お洒落』や『神戸モダン』など言われチヤホヤされた結果である。

しかも、アメリカやヨーロッパのインバウンド(訪日観光客)にしてみれば、神戸にあるのは「自国の文化」でもある。

わざわざ見に行く“価値”など、無い!

日本人がイタリアのミラノに行って、“クルクル寿司”で食事をする様なものだ。

では、神戸はこのまま何もせず、京都や大阪を指を咥(くわ)えて見ているだけなのか。

そんな事はない。

神戸をはじめ、この兵庫県には素晴らしい観光スポットが数多く存在している。

何も観光地は華やかな場所だけではない。

「負の遺産」も観光スポットに成り得る。

例えば「戦争遺産」だ。

1940年前後の神戸などの臨海部は軍事工場が多く、空襲の標的にされた。

当時の光景を偲(しの)べるのがジブリ映画の“火垂るの墓”である。

多くの子供達が餓え死する三ノ宮駅や、幼い兄妹が必死になって生きた住処(すみか)の穴があった西宮市の苦楽園駅から夙川を渡った東部にあるニテコ池。

空から爆弾の落ちてこない現代では、到底に考えられない“惨状”である。

“命の重み”など更半紙(わらばんし)1枚より軽かったであろう日本新政府の“軍事政策”の数々。

そう言う事を思い返しながら、神戸から西宮を探索するのも“人生の肥やし”になる。

戦後の日本で、神戸が最も脚光を浴びたのが1981年に開催された「神戸ポートアイランド博覧会」(ポートピア81)の頃である。

神戸市の北部に広がる山岳地帯を切り拓き、大量に出る土砂を神戸港に投棄して人工島を造築する。

それにより出来たのがポートアイランドと六甲アイランドである。

その切り拓いた山々には西神ニュータウンや鈴蘭台ニュータウンの大規模住宅地が造成された。

海手と山手の双方に人を呼び込み、三宮を中心に人工島とニュータウンが一大形成する大神戸が誕生した。

しかも、事業主体の神戸市には“巨額の利益”がもたらされ、「神戸株式会社」と言う異名を名乗った。

ただ、この“成功体験”が大きな“代償”を生む。

「日本誕生の神」である伊耶那岐神(イザナギ)と伊耶那美神(イザナミ)の“神生み”により、自然の神として誕生した“海の神”の大綿津見神(オホワタツミノカミ)と“山の神”の大山津見神(オオヤマツミノカミ)。

この“海の神”の大綿津見神(オホワタツミノカミ)が司る神戸港の海に大量の土砂を投棄し人工島を造築し、“山の神”の大山津見神(オオヤマツミノカミ)が司る神戸北部の山岳地帯を切り拓いてニュータウンを造成した。

この神に対する“冒涜”(ぼうとく)は、“海の神”の大綿津見神(オホワタツミノカミ)と“山の神”の大山津見神(オオヤマツミノカミ)だけでなく、その嫡流(ちゃくりゅう)の源泉でもある伊耶那岐神(イザナギ)と伊耶那美神(イザナミ)も大いに怒らせる事となる。

これにより多くの祟り神(タタリカミ)が兵庫県下に解き放たれています。

それが、この後から起こる大きな“代償”へとつながっていく。

そして1995年に起こった「阪神大震災」である。

中心地の三宮から元町に掛けてビルが倒壊し、国道43号線の頭上を走る阪神高速はなぎ倒され、古い商店街が残る長田周辺は焼け野原になった。

現在は、震災の面影はほとんど残っていないが、それに伴った復興事業を見て回るのもいい。

その象徴が、JRと地下鉄の新長田駅周辺に広がる新街区である。

低層階に商業施設、高層階に分譲マンションなどが入居する「アスタ棟」の数々。

ある意味、“異様”である。

その“異様”の意味を知りたい方は、是非、新長田まで足を運んでもらいたい。

震災の爪痕がまだ残る1997年に起こったのが「神戸連続児童殺傷事件」で、“少年法”を再考するきっかけにもなった。

事件は地下鉄の名谷駅(みょうだにえき)近くで、事件直後の中学校周辺では、上空にヘリが飛び交い、地域には規制線が張られ、大人数の警察官が巡回し、あの時の西神ニュータウンは“異様”な空気が漂っていた。

現在でも“未成年犯罪”は発生しているが、『他人の人生を奪う』ことの愚かさは、子供だけでなく、大人も理解する必要がある。

世紀が変わり、ミレニアムが過ぎ去った2005年に起こった「JR線尼崎脱線事故」は、現実の事故とは思えない“惨状”だった。

場所はJRの尼崎駅と塚口駅の間の鉄道沿線に建つ分譲マンション。

事故当時に、この分譲マンションに勤務していた管理員に話しを聞いた事がある。

『朝の清掃を終えて管理事務所に戻ったらなぁ、どぉえらい音がして、建物が大きく揺れたんやぁ!』

『こりゃ、また阪神大地震が来たかぁと思い、慌てて外に飛び出してぇん。』

『ただなぁ、周り見渡しても、地震の痕跡がありぃしまへぇんやろぉ。』

『ならなぁ外は、なんやぁガソリン臭い言うかぁ、オイルの匂いが充満しとったわぁ。』

『でっ、駐車場の方を見に行ったら、ご覧の有り様やぁ!』

『最初、現状を理解するのに時間が掛かったわなぁ〜 電車がマンションに突っ込むなんて、夢にも思いませんやぁろぉ。』

『少し時間が経ってから我に返って、こりゃ、えらいこっちゃと思ったわぁ。』

自動車事故に比べ、頻繁(ひんぱん)に起こる事のない列車事故。

それ故(ゆえ)に、一度(ひとたび)起これば大惨事に発展する。

あの当時、近畿圏の通勤電車では先頭車両に乗車する人が激減したが、1年も経たずに普段通りに戻っていた。

人間の“学習能力”を象徴している。

照り付ける太陽、夏の暑い日、2008年7月に神戸市灘区を流れる都賀川(とががわ)の水路に整備された遊歩道で遊んでいた数十名の子供が、川の水源となる六甲山でゲリラ豪雨により、鉄砲水が突然に下流に押し寄せて遊んでいた子供が流されていった。

10人近くは助かったが、保護者も含めて5人の命が奪われた。

この「都賀川水難事故」を受けて山から海に流れる神戸市の地形が仇(あだ)となり、川の内に子供が水遊びできる遊歩道などを整備した自治体の管理能力の無さの責任を問う声も挙がっていた。

ただ、河川の中に入れる様に整備しなくても、子供と言う生き物は水の中に入って遊ぶものである。

それは、誰にも止められない。

だから、神様が何時(いつ)も見守ってくれている。

ただ今回は、その神様が・・・

尼崎の電車事故現場から南下した長洲公園近くの分譲マンションで、2012年に起こった「尼崎監禁変死事件」も衝撃的だった。

場所は阪神電鉄の杭瀬駅(くいせえき)の近く。

女ボスによる“支配統治”により複数人の大人達がマインドコントロールされて、抵抗すれば亡き者にする。

第三者から見れば『そんな事は普通、起こらないだろ!』と思うが、当人達にすればそれが“常識”であり“現実”だったのかも知れない。

事件現場となった分譲マンションでは、最上階の住戸のルーフバルコニーに目隠し用の壁が設けられていたのが“異様”だった。

身近な人こそ、厳選する必要がある。

『独り寂しい』からと言って、手当たり次第に知人を増やすと、いつ何時(なんどき)、この様な事件に巻き込まれるかも知れないので、注意が必要である。

そして、“厳選人事の極み”が2024年の「兵庫県職員抹殺事件」である。

事件要因となった場所は地下鉄の県庁前駅もしくはJRの元町駅近くの山手幹線沿いの兵庫県庁で、兵庫県警察本部も近くにある。

『不都合な人間は、消す!』

戦国時代から400年以上の時を経ているが、その時は当たり前だった“影の軍団”の様な組織が現存していた事に驚く。

因(ちな)みに「尼崎監禁変死事件」の主犯の女ボスは、この兵庫県警察本部の留置所で消されている。

兵庫県の“影の軍団”にしてみれば、たとえアメリカの前大統領でも抹殺するのは“朝飯前”です。

「兵庫県職員抹殺事件」の被害者は西播磨県民局の職員という事もあり、その場所はJRの相生駅(あいおいえき)か西栗栖駅(にしくりすえき)が最寄駅となる。

ただ、20m以上は歩かされるが、“怒り”を堪(こら)えて訪問しよう!

更半紙(わらばんし)1枚より軽い“命の重み”を、兵庫県を巡って感じてみては如何(いかが)ですか?

Re: ■インバウンド(訪日観光客)解禁で、もう一度考える民泊殺人事件 - 民泊促進協会 URL

2024/10/07 (Mon) 18:57:57

▼以下は、2020東京五輪が開催される前の2019年2月に記述したものです。

この後、2019年12月頃に中国で発症したコロナウイルスが感染拡大して2020東京五輪は延期し、2021年に無観客開催となった。

2022年2月にはロシア戦争の勃発、さらに2022年7月に日本の元首相が暗殺される前代未聞の事件が発生した。

これらが果たして偶然だったのか?

それこそ“神のみぞ知る”である。

▼観光立国を目指す日本で、とんでもない実態が明らかになりました。

原風景が残る地方の自然に対し、東京など数百億円規模の都市開発ビジネスによる破壊行為が行われている。

都市開発で地表からえぐり出された土砂を、神が住むと言われる日本の山々に投棄していると言う。

当然に開発業者もこの実態は把握しているはずです。

東京など首都圏の開発ラッシュを進めビジネスとして収益を拡大できれば、地方に残された自然や環境の美しさや素晴らしさはどうなろうと関係はないという事でしょうか。

しかもこれら行為は森林法など法規制が無いため違法ではないと言う。

法令遵守の範囲内で金儲けのためなら何をやってもよい。

大人の事情や法の盲点か。

これがこの世の事実であり実態でもある。

山の神々が住むと言い伝えられる神秘乃国・日本を期待して世界中から訪れる外国人観光客がとてもがっかりする出来事でしょう。

日本の聖地とも言うべき伊勢神宮や熊野古道にほど近い三重県の山々。

都市開発の関係者は神をも恐れぬと言うのか。

祟りだろうか、呪われようが、罰(バチ)が当たろうが関係ない。

己の子孫が不幸に見舞われ破滅しようとも、今さえよければよい、自分達さえよければそれでいい。

まぁ、そういう生き方もあるのかもしれない。

まさに、その建造物に集う人々が、悪霊にとり憑かれ、地獄に引きずり落とす意図がある。

人としてこの世で生きているうちから、地獄に落ちることが判明しているとは・・・

恐ろしい。

▼東京の残土、三重の山へ、建設ラッシュ過疎地に流入

三重県南部の紀北町の山林に東京五輪を控えて開発が続く東京都心のビル建設現場などで生じた大量の建設残土が投棄され、景観悪化や崩落の危険が生じている。

建設残土は産業廃棄物と異なり明確な規制ができなき中、過疎地の安い山林が残土ビジネスの標的となっている。

事態の深刻化を受け三重県が投棄規制する条例制定に動きだした。

世界遺産熊野古道が通る霊場紀伊山地の裾野にむき出しの土砂が20m近い高さまで急角度で積まれている。

土砂は東京港などから紀北町の長島港や尾鷲市の尾鷲港に船で運ばれ、近隣の山林が残土の投棄場所となっている。

東京郊外に捨てに行くより運搬コストが安く済むのが理由。

過疎や高齢化で林業が衰退し、山林価格は下がり続ける一方、山林の地権者にとっては収入が見込めるため残土投棄場となっている。

残土運搬船は2012年頃から三重県などの港に入港し、運搬埋立する紀北町の土砂は下記の都市開発によるもの。

①赤坂プレスセンターの保安施設工事
②横浜環状南線のトンネル工事
③大手町の超高層ビルの開発
④豊洲の超高層ビルの開発
⑤東京都の高級マンション・戸建て住宅などの開発
⑥神奈川県の高級マンション・戸建て住宅などの開発

紀北町や尾鷲市では残土の山が巨大化した2018年頃から、町民から不安の声が相次ぎ、大雨で残土が崩落し水路を塞ぐ被害も多数発生している。

残土ビジネスの背景には、有害物質を含まない土砂の積上げを規制する法令が無い事にある。

1ha超の山林開発には森林法で一定制限が可能だが、残土への対処が目的ではない。

開発許可を取得すれば土砂投棄をいくらでもでき違法にはならない。

廃棄物問題ネットワーク三重の弁護士は、残土投棄する際の届出を出し、積上げる角度や高さを制限する条例が各都府県にはあるが、三重は残土処理制限が無いため無法地帯となっていると言う。

三重県では、残土の搬入や積上げを規制する条例検討を表明するが、条例の厳しさは各自治体により差があり、条例がある大阪府でも2014年に残土崩落事故が発生している。

三重県の自治体では、本来は国の責任で全国一律に規制する必要があり、町を都市の残土捨て場にされる事は耐えられないとしている。

【中日新聞:2019年2月11日】

Re: ■インバウンド(訪日観光客)解禁で、もう一度考える民泊殺人事件 - 民泊促進協会

2024/12/29 (Sun) 19:26:51

♪変わらないも それは 俺たちへの殺意〜 君は“大阪違法民泊バラバラ殺人鬼”〜

日本では、2018年に施行した“住宅宿泊事業法”に基づいた合法民泊施設を利用しましょう。

Re: ■インバウンド(訪日観光客)解禁で、もう一度考える民泊殺人事件 - 民泊促進協会

2025/02/16 (Sun) 00:30:55

2月16日は民泊業界や民泊利用者にとって忘れてはならない日である。

“民泊を考える日”。

2018年に大阪城にほど近い大阪市東成区中道で、何故(なぜ)あの忌(い)まわしい“違法民泊バラバラ事件”が起こったのか?

被害者の女性は、“いしん”を掛けて情報隠蔽(いんぺい)した者達に葬られたと言っても過言では、無い!

♪さあぁ〜 皆で殺(や)りましょ。

♪貴女(あなた)と君と僕。

♪グサグサ ブスブス ギコギコ バラバラ。

♪皆で殺(や)りましょ。

これじゃ、困るんですよね。

Re: ■インバウンド(訪日観光客)解禁で、もう一度考える民泊殺人事件 - 民泊促進協会

2025/06/09 (Mon) 23:32:23

◆◇◆賃貸マンションと民泊◆◇◆

●民泊事業の拡大

近年、インバウンド(訪日観光客)の更なる増加で宿泊施設が逼迫(ひっぱく)している。

都市部では、20年前までは5000円前後で宿泊できたビジネスホテルですら1万円を超えている

そこで登場したのが民間の賃貸住宅などを利用した民泊施設である。

民泊と言う言葉は2015年頃から使用され始めた新しい言葉だが、観光地の京都では同じ形態のサービスはそれ以前から実施されていた。

しかも、京都市街地にある分譲マンションで民泊事業を行なっていた為に、“ゴミ出し”や“騒音”などで他の居住者とのトラブルが絶えなかった。

これが京都市の自治体が民泊に対して厳しい態度を取る理由である。

逆に大阪府や大阪市の自治体は民泊に対して寛大な姿勢を見せていた。

国家戦略特区を利用して民泊の規制緩和を始めて実施したのが大阪府である。

更に2018年6月15日に住宅宿泊事業法が施行し、日本全体で法律に基づく宿泊施設なら民泊が可能となる。

この住宅宿泊事業法に一番に飛び付いたのが大阪市である。

ところがである。

大阪の民泊施設の事業者や観光客は7割近くが中華系民族と言う事情もあり、民泊施設となったマンションの環境が目に見える形で悪化した。

その対象は、不法な“ゴミ出し”の対処は環境局が担い、夜中の“騒音”は所轄の警察署が管轄し、自治体の現場の担当者が疲弊した。

これが民泊施設が上手く行かなかった理由である。

更に大阪市東成区中道の違法民泊施設で、アメリカから来た青年による日本人女性の身体をバラバラにする事件も勃発した。

その後の2019年の年末に、中国大陸からコロナウイルスが世界中に拡散され、人の移動制限され日本をはじめ観光客が激減し、2023年頃までマスク必須の生活が日常化した。

これらが民泊施設に大打撃を与えた。

2020年の東京オリンピックと2025年の大阪関西万博を2大イベントを控え、政府の肝入りで船出した民泊事業だが、最先から出鼻を挫(くじ)かれた。

それが今でも尾を引いている。

とは言うものの、海外との行き来が解禁された事に伴い、コロナパンデミック以前に増して日本にはインバウンド(訪日観光客)が押し寄せている。

こんな事情から民泊施設も水面化では拡大していると言える。

●再び民泊問題が浮上

日本にインバウンド(訪日観光客)が増加して民泊施設が旺盛するのは良い事だが、その裏側には“ゴミ出し”や“騒音”の問題が起こり、東京や大阪の都市部では賃貸マンションから民泊施設に変更する事案が多発している。

これにより以前からの賃借人(居住者)を追い出す悪質行為も見られ、その手口は“月額賃料の大幅増額”や“建物施設の不利用”などである。

インターネットニュースでは、東京都板橋区の中華系民族が所有者となった賃貸マンションで、1Kの住戸の月額賃料が7万円代から19万円代に大幅増額した通知書が賃借人(居住者)に配布された。

数字だけ見れば従来から2.7倍の月額賃料である。

1Kの専有面積は25㎡程度なので、㎡単価に直すと2800円から7600円になった事を意味する。

これを近傍類似(きんぼうるいじ)の賃貸マンションと比較すれば相場感が解ってくる。

近年に起こっているお米10kgの価格高騰に近い。

常識的に考えて賃貸人(大家)の横暴と思うが、ただ、日本の民法では賃貸借契約などの契約行為は、賃貸人(大家)と賃借人(居住者)の合意により成立する為に、この2.7倍となった月額賃料19万円を賃借人(居住者)が支払う意思を示せば契約は成立する。

賃貸住宅に関わる日本の法律は、民法、借地借家法、宅地建物取引事業法などで構成されている。

要はこれら法律に抵触しなければ、賃貸人(大家)と賃借人(居住者)の民事の問題となる。

ただ現実的に月額賃料19万円を素直に支払う賃借人(居住者)は皆無であろう。

どうして賃貸マンションの賃貸人(大家)は、こんな無謀な賃料増額を実施したのか?

それがインバウンド(訪日観光客)の増加と、民泊事業の収益力の高さである。

賃貸マンションの住戸を1ヶ月の賃料7万円で貸出すより、民泊施設として1日の宿泊料2万円で貸出せば、1ヶ月の稼働率20日としても月額40万円の収益を産む。

ざっと5.7倍である。

管理手間賃や租税公課などの諸経費を考慮しても旨味はある。

●賃借人(居住者)の対処法

では賃借人(居住者)は、この事態を受け入れて泣き寝入りしなければならないのか?

これもまた日本の法律が絡み、賃貸借契約において入居後の月額賃料は、賃貸人(大家)と賃借人(居住者)の合意が基本となる。

要は月額賃料を値上げするのも、値下げするのも、双方の合意により成立する。

賃貸人(大家)の発行する月額賃料についての合意書に、賃借人(居住者)が同意して署名押印すれば新賃料となる。

では、賃借人(居住者)が新賃料の額を不服の場合はどうしたら良いのか?

そのまま処理を放置すれば賃借人(居住者)の賃料滞納となり、それこそ賃貸人(大家)から立退請求できる口実を作る事となる。

賃借人(居住者)は従来の旧賃料を支払う意思はあるが、賃貸人(大家)は新賃料でなければ受取拒否をする。

そんな時は、賃貸マンションが立地する所轄の法務局(供託所)に、賃借人(居住者)は旧賃料を供託すれば滞納と見なされず、滞納による利子の遅延損害金も発生しない。

これが賃借人(居住者)の基本的な対処法である。

但(ただ)し、その後の裁判で適正な新賃料が確定すれば、賃貸人(大家)が賃料値上請求した時点に遡及(そきゅう)して新賃料が認定される。

法務局(供託所)に旧賃料を供託した賃借人(居住者)は、その時点から新賃料と旧賃料の差額と差額分の遅延損害金を加算した遅延賃料を、賃貸人(大家)に支払う義務が発生する事も考慮する必要がある。

●賃貸人(大家)の義務

賃貸住宅の賃貸人(大家)と賃借人(居住者)では、当然に賃貸人(大家)の方が立場が強い。

その為に日本では法律や条例により、様々な資格要件が課せられている。

賃貸住宅での賃料の要素には、賃借人(居住者)は賃貸人(大家)に対して月額賃料を支払う債務を負っているのと同時に、賃貸人(大家)は賃借人(居住者)に対して適切な居住を提供する債務を負っている。

例えば、賃料マンションの附属施設が一定期間に渡り使用できなければ、月額賃料に見合わない居住を与えられたとして、賃借人(居住者)は賃料の減額請求をする事ができる。

要はエレベーターや水道などが利用できなければ、債務不履行として賃料減額請求の対象となる。

次に中華系民族などの海外に住む賃貸人(大家)に対しては、日本に在住する賃貸マンションを管理する代理人を置く必要がある。

この代理人が賃貸人(大家)と同等の権利を持つ事になる。

更に2021年6月15日より賃貸住宅管理業務適正化法が施行され、賃貸住宅を管理する業者に当たっては、管理戸数により所轄行政に登録しなければならない。

また、民泊事業を運営する場合も、住宅宿泊事業法に基づき所轄行政に登録する必要がある。

これらの法律や条例を理解し遵守した上で、日本では賃貸住宅事業を経営する資格が与えられる。

要は不動産運営の知能と資質があるかどうかである。

●民泊事業の現状

法律や条例を前面にして賃貸住宅事業や民泊事業を取り締まっても、年々増加するインバウンド(訪日観光客)や、高騰する不動産価格や物価高に対して、施設を所有する賃貸人(大家)の言い分もある。

賃貸住宅であれ、民泊施設であれ、良好な環境と適正なサービスで提供するのが基本だが、それは収益あって成り立つ話で慈善事業では無い。

賃貸住宅より民泊施設の方が収益力が高ければ、経済観点からも用途変更は当たり前である。

ここに来ての問題は、都市部で生活するリスクの高さが浮き彫りになっているだけである。

これら問題は、郊外都市や地方では見当たらない。

ほぼ、東京都区部と大阪市内の特有問題である。

利便性から都市部に居住する意味も解るが、それは40代くらいの現役世代までである。

以前、大阪市中央区の賃貸マンションが民泊施設へ用途変更する際に、長年に渡り居住する70代の高齢者が追い出される問題をインターネットニュースで取り上げていたが、先(ま)ず、その年齢で都心部に居住する意味合いが判らない。

郊外都市や地方の公営賃貸住宅なら低額賃料で空き部屋もあるし、周辺に買い物施設と医療機関があれば十分の様な気がする。

高齢になっても働きたいのなら、それ相応の仕事もあるだろう。

意固地に都市部にしがみ付く理由を、冷静になって考えるのも必要ではないのか?

賃貸人(大家)が加害者で、賃借人(居住者)が被害者と言う構図は、日本の経済観点からも、人口構成からも、成り立ち難い問題となっている。

年々に増加する日本の空き家を含めて民泊施設として利用する事は、経済活性化に取って良い事ではある。

ただ、神州と呼ばれる日本列島の土地は八百万神(ヤオヨロズノカミ)が各々に統治しており、それら神様からお預かりしている土地で悪事を働けば、日本人であれ、外国人であれ、国籍に関係なく必ずや天誅(てんちゅう)が下る事になる。

国賊(こくぞく)に対して50億年に渡る地獄での懲役は、ちょっとやそっとの苦痛では無いですよ。

Re: ■インバウンド(訪日観光客)解禁で、もう一度考える民泊殺人事件 - 民泊促進協会

2025/08/06 (Wed) 18:50:43

◆◇◆其の一:中華圏と共に大阪で飛躍する民泊施設◆◇◆

2023年に新型コロナウイルスが収束して、世界は再び大移動の時代に戻った。

それに伴い日本には空前のインバウンド(訪日観光客)が、倭国(日本)の文化と伝統を求めて世界中から押し寄せている。

ありがたい外国からの観光客だが、問題となるのが宿泊施設である。

しかし近年では、民泊施設の普及に伴い、利用客も右肩上がりで増加している。

民泊(みんぱく)とは、宿泊を目的としたホテルや旅館とは異なり、一般的な住宅に観光客が宿泊する施設の事である。

この民泊事業だが、特に勢いが伸びているのが大阪である。

2015年より“いしん”を掛けた大阪府が、国家戦略特区の規制緩和による特区民泊を制定した。

これにより大阪府内での民泊事業が可能となった。

続いて2018年より住宅宿泊事業法の施行で、基本的に日本どこでも民泊事業が可能となった。

こうして“いしん”を掛けた大阪市が、公認民泊の事業拡大を推進した。

その後、“いしん”を掛けた大阪府と大阪市が、共同で民泊事業の運営と管理を担っている。

2018年の当初は、大阪市環境局事業部の一般廃棄物指導課の事業者指導グループとして、大阪市阿倍野区の天王寺にあるあべのルシアス13階に窓口事務所が設けられていた。

更に民泊営業に関する一般相談窓口として、大阪市違法民泊撲滅チームが難波駅から南方の大阪市浪速区役所4階に設けられた。

2025年の現在は、大阪市中央区の本町にある船場センタービル1号館の地下1階の大阪市保健所環境衛生監視課(旅館業指導グループ)が総合窓口となっている。

大阪市内で申請され認可された特区民泊の件数は、2018年は約2000軒、2021年は約3000軒、2024年は約6000軒と、伸び率を見れば飛躍している事が判る。

大阪市此花区の観光名所でもあるユニバーサルスタジオジャパン(USJ)の近隣にも、建物の階高が14階建で総戸数212戸の天然温泉付きの大規模民泊施設も誕生した。

この大規模民泊施設を運営する神戸市東灘区の六甲アイランドにある事業者は、今後も大阪市内をはじめ近畿圏での民泊事業を拡大する目標を掲げている。

ただ、民泊事業の好調と比例して、民泊施設の近隣トラブルも増加している。

大阪市での民泊施設のある近隣からの苦情は、2021年は約80件だったが、2024年は約400件に増加している。

苦情の主な内容は、騒音、ゴミ不法投棄、民泊概要非表示などが挙げられる。

しかし、民泊施設の急増を考えると、それ程の苦情件数には至っていない為に、新事業の立ち上げに伴うトラブルとしては許容範囲でもある。

また、騒音は警察が無償対応し、ゴミは自治体の環境局が無償対応してくれ、電話1本で直ぐに駆け付けて“いしん”を掛けて解決してくれる。

▼旅館業法(ホテルや旅館)
〔年間営業日〕制限なし
〔居室面積〕7㎡以上(2坪)
〔受付〕必要

▼住宅宿泊事業法(公認民泊)
〔年間営業日〕180日以内
〔居室面積〕3.3㎡以上(1坪)/1人あたり
〔受付〕不要

▼国家戦略特区(特区民泊)
〔年間営業日〕制限なし
〔居室面積〕25㎡以上(8坪)
〔受付〕不要

Re: ■インバウンド(訪日観光客)解禁で、もう一度考える民泊殺人事件 - 民泊促進協会

2025/08/06 (Wed) 18:51:19

◆◇◆其の二:中華圏と共に大阪で飛躍する民泊施設◆◇◆

では、どうして大阪に民泊施設が集中しているのか?

日本全国の民泊施設の設置件数を見ても、2/3以上が大阪府内で申請されている。

これには大阪の戦後からの過去が影響している。

敗戦後の大阪には、戦勝国となった中華民族や朝鮮民族が多く滞在していた。

大阪で一番の繁華街でもある道頓堀川の周辺の土地を所有して、テナントビルや飲食店を経営した。

グリコのネオン前の写真スポットでお馴染みの戎橋(ひっかけ橋)周辺を観ても、あの雑多感は“侘”(わび)と“寂”(さび)を重んじる日本人の感性では設ける事はできない。

こうした背景から、現代に掛けてもアジア圏の移住が増加していた。

1つ例に挙げると、大阪市鶴見区安田の中央環状線の沿線には、昔から中華市場が存在する。

青空朝市の様な感じで、路上で野菜やお肉が販売されている。

そこだけ観ると、とても日本の光景とは思えない。

こうした中華民族の下地がある大阪では、中国からの観光客を宿泊させる為に、民泊施設の事業者を営む人が増加していった。

民泊施設に宿泊するのが中華民族なら、運営する方も中華民族である。

当然に、その民泊市場には大量の資金が流入し、経済が活性化される。

ここに目を着けたのが“いしん”を掛けた大阪府と大阪市である。

中国の本土でも、日本の在留でも、裕福な中華民族は大阪に大型投資をしてくれる。

ある意味、財政面で日本人より頼りになる。

1980年代に中国の国家主席だった鄧小平(とうしょうへい)が発言した『黒い猫でも、白い猫でも、鼠(ネズミ)を獲(と)る猫が良い猫だ。』を、日本の大阪でも採用した。

日本人であろうと、中国人であろうと、大阪の経済発展に貢献する政策が良策であると、“いしん”を掛けて大阪府民に周知させた。

こうして大阪府民は中国を『第二の祖国!』として愛国心を誓う事になる。

お金を生み出さない古臭(ふるくさ)い日本の文化や伝統などは、この大阪には必要ない。

その昔、大阪市中央区の日本橋にある日本の伝統芸能でもある浄瑠璃(じょうるり/文楽)などを演じる国立文楽劇場(こくりつぶんらくげきじょう)に対して、補助金や支援金を打ち切る政策を、“いしん”を掛けて実行しようとした過去もある。

将来の“夢”よりも、目先の“銭”でっせぇ!

Re: ■インバウンド(訪日観光客)解禁で、もう一度考える民泊殺人事件 - 民泊促進協会

2025/08/10 (Sun) 00:23:13

◆◇◆其の三:中華圏と共に大阪で飛躍する民泊施設◆◇◆

中国と共に歩む大阪を象徴するのが、民泊事業の窓口である。

大阪市中央区の本町にある船場センタービル1号館の地下1階に移転してきた民泊施設の申請窓口でもある大阪市保健所環境衛生監視課(旅館業指導グループ)だが、この西本町は中華圏の関連施設が多い事でも有名である。

大阪市西区の阿波座には中国駐大阪総領事館がある。

中国の本土で都市開発を手掛ける大手デベロッパー(不動産会社)のカントリーガーデン(碧桂園ホールディングズ)の日本法人でもあるカントリーガーデンジャパンは、大阪市西区西本町に事務所を設けていた。

これ以外にも多くの大小の中華系企業が、大阪の西本町で事業を営んでいる。

大阪の中国に対してのリスペクト(敬意)が感じられる。

2000年代には、大阪中心部で建設された主要なタワーマンションの購入者の1/4程度が中華民族だった。

しかも1住戸だけでなく、複数の住戸を購入してくれていた。

タワーマンションを開発した不動産会社からしても、中華民族は頭の上がらないお客様である。

まさに、日本人であろうと、中国人であろうと、大阪のマンションを購入するのが良いお客様であると、“いしん”を掛けて大阪府民に周知させた。

こうした大阪府の不動産を視ても、中華民族の所有者は確実に増加している。

その昔、古墳時代から平安時代に掛けても、中国大陸の隋(ずい)や唐(とう)は超大国で、近隣の朝鮮や倭国(日本)は従属(じゅうぞく)していた。

これが現代でも蘇(よみがえ)り、中国の投資による冊封(さくほう)と、大阪の移住受入による朝貢(ちょうこう)で成り立っている。

既(すで)に中国の占領下に置かれた植民地の大阪は、共産圏と言っても過言ではない。

大阪一帯に中国の租界(そかい)が設けられ、中華民族の居住区は治外法権となり得る。

輝ける21世紀の大阪での“改革開放政策”である。

大阪市西成区の萩之茶屋(はぎのちゃや)にある萩之茶屋本通商店街では、中華民族の移住者が多く集まり、大阪西成チャイナタウン構想が進行している

この萩之茶屋本通商店街にある中華系居酒屋では、お酒と共に“覚醒剤”(薬物)を購入する事もできる。

イギリスと清(しん/中国)による1840年に起こった「アヘン戦争」の原因となった中華民族のアヘン中毒を彷彿(ほうふつ)とさせる。

大阪の共産圏として『成功している証拠である。』と言える。

今後、大阪の共産圏を周知する為にも、JR大阪駅前の広大な草原に、高さ40m(10階建相当)もある孫文(そんぶん)と毛沢東(もうたくとう)と鄧小平(とうしょうへい)の銅像を創建する構想も“いしん”を掛けて推進する。

日本人はドンドンと人口が減っていき、今現在に少子化防止対策を施(ほどこ)し子供が誕生しても、成人するのに20年間は掛かる。

その為、人口減少と少子高齢化の問題を解決するのは、外国からの移民や移住しかない。

その入口となるのがインバウンド(訪日観光客)で、受け皿が民泊施設なのである。

大阪関西万博の成功と、安心安全で快適に暮らせる大阪の実績が、共産圏の恭順(きょうじゅん)である大阪府民の、何よりもの成功の証(あかし)なのです。

日本人であろうと、中国人であろうと、大阪で子供を産むのが良い大阪府民である。

Re: ■インバウンド(訪日観光客)解禁で、もう一度考える民泊殺人事件 - 民泊促進協会

2026/01/19 (Mon) 18:36:15

2026年が始まり、日本の政界では“立憲民主党”(労働組合系)と“公明党”(宗教系)が合併して“中道改革連合”(ちゅうどうかいかくれんごう)と言うよく解らない政党になりました。

この“中道”(ちゅうどう)という名前は、大阪市では“中道”(なかみち)と言う地名でもある。

そう、2018年2月16日の深夜0時頃、大阪市東成区中道の違法民泊施設で訪日アメリカ人が日本人女性を殺(あや)め、更に、女性の身体をバラバラに切り刻み損傷させ、関西地域に遺体一部を運びだし遺棄した大阪バラバラ事件の現場である。

当時の民泊事業は、違法であろうと“いしん”を掛けた大阪府と大阪市により推奨され、中華系の民泊事業者と連携して税収増加を目論んだ施策だった。

その副作用にて、“いしん”を掛けた大阪府と大阪市により見殺しにされ、バラバラに切り刻まれた女性。

その地が、大阪市東成区の“中道”(なかみち)です。

“中道改革連合”(ちゅうどうかいかくれんごう)と言う政党を観ると、どうしても“違法民泊バラバラ事件”を連想させる。

今日の1枚、お薦めレコード/20260118 - ラジオの友 URL

2026/01/18 (Sun) 17:55:14

本多俊之/♪ GOOD EVENING

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260118 - ラジオの友 URL

2026/01/18 (Sun) 17:56:09

HERB ALPERT /♪ RISE

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260118 - ラジオの友 URL

2026/01/18 (Sun) 17:57:06

HERB ALPERT & THE TIJUANA BRASS /♪ TASTE OF HONEY

◆ラジオの友◆

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2026/01/18 (Sun) 17:58:02

RICHARD GROOVE HOLMES /♪ I CAN'T STOP DANCING

◆ラジオの友◆

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2026/01/18 (Sun) 17:58:56

HERB ALPERT & THE TIJUANA BRASS /♪ WALK,DON'T RUN

◆ラジオの友◆

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2026/01/18 (Sun) 17:59:53

THE REAL TUESDAY WELD /♪ BATHTIME IN CLERKENWELL

◆ラジオの友◆

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2026/01/18 (Sun) 18:00:52

LUCAS /♪ WITH THE LID OFF

◆ラジオの友◆

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2026/01/18 (Sun) 18:01:53

CYNDI LAUPER FEAT.JONNY LANG /♪ CROSSROADS

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2026/01/18 (Sun) 18:02:49

VALERIE CARTER /♪ I WONDER WHY

◆ラジオの友◆

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2026/01/18 (Sun) 18:03:49

DONNY OSMOND /♪ COULD SHE BE MINE

◆ラジオの友◆

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2026/01/18 (Sun) 18:04:47

THE SANDPIPERS WITH THE MITCHELL SINGING BOYS /♪ Tweedle Dee

◆ラジオの友◆

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2026/01/18 (Sun) 18:05:45

HONEYCOMBS /♪ HAVE I THE RIGHT

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2026/01/18 (Sun) 18:06:39

ARCHIE BELL & THE DRELLS /♪SOLDIER'S PRAYER,1967

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2026/01/18 (Sun) 18:07:34

MANHATTANS /♪ THE CLOSER YOU ARE

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2026/01/18 (Sun) 18:08:27

NANCY WILSON /♪ [You Don't Know] How Glad I Am

◆ラジオの友◆

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2026/01/18 (Sun) 18:09:18

BARBARA MASON /♪ Yes, I'm Ready

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2026/01/18 (Sun) 18:10:15

TIMOTHY B SCHMIT /♪ SO MUCH IN LOVE

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2026/01/18 (Sun) 18:11:12

LEAGUE OF LEGENDS,TORI KELLY & DEEGAN /♪ YOU AND ME MAKES US

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2026/01/18 (Sun) 18:12:19

FREYA RIDINGS /♪ LOST WITHOUT YOU

◆ラジオの友◆

◆2026年/大阪ホットナンバー4(フォー)ミュージック◆ - ラジオの友

2026/01/07 (Wed) 23:13:10

君が歌えば、僕が踊る時、新しい音楽が生まれる。

インターネットの代わりにラジオを、テレビの代わりにライブハウスを、新しい音楽をリードする。

老いたる者には、過ぎし日の郷愁(きょうしゅう)を。

若人(わこうど)には、古(いにしえ)の幻(まぼろし)を。

今日も始まりました大阪ホットナンバー4(フォー)ミュージックの時間です。

素敵な音楽をあなたにお届けするミュージックオアシス。

では、大阪で流行っている最新の音楽をお届けします。

Re: ◆2026年/大阪ホットナンバー4(フォー)ミュージック◆ - ラジオの友

2026/01/07 (Wed) 23:14:00

「♪2025年、大阪キャバクラ幕府!!」

『“いしん”をかけて女の二(2)つの穴(0)に(2)ゴー(5)、2025年、大阪キャバクラ幕府。』

「大阪夜の陣」

“いしん”をかけて夜のミナミへ繰り出しまんねぇん。

毎晩の様に布陣している風俗奉行(ぶぎょう)。

「十三(じゅうそう)の役(えき)」

年齢層はオカン並やがぁ、ベテランのテクニックにはかないまへぇんねぇん。

“いしん”をかけて御奉仕してもらいまっせぇ!

「西中島南方(にしなかじまみなみかた)の戦」

どこの店も、パンツを脱がない店はおまへぇんでぇ!

昼はOLと掛け持ちの女子も多いさかいに、議員バッチをチラつかせて“いしん”をかけて裸の人生相談やぁ!

「兎我野(とがの)の乱」

大阪でもナンバー1(ワン)のピンク街やぁでぇ!

ヘルスにしようか、ホテルに呼ぼうか、魅惑と戸惑いが溢れる“いしん”をかけた快楽の境地やぁ!

「宗右衛門町(そうえもんちょう)の変」

揉(も)んではみたが、吸ってはいない。

濡れてはいたが、入れてはいない。

不謹慎かも知れないが、“いしん”をかけて法的には適正やでぇ。

こんなわしぃらには、風俗で考え抜(ヌ)いて“いしん”をかけた夢がおますねぇん。

中国の植民地の大阪を、“いしん”をかけて副首都のしまっせぇ!

副首都の大阪から、“いしん”をかけて日本の機密情報をドンドンと、親愛なる共産当局に流しまっせぇ!

歴史的に診て沖縄(琉球国)は、中国(明/みん・清/しん)の領土でっせぇ!

ただ、そんな中国も歴史的に診てモンゴル(元/げん)の領土でしてぇん!

こんな難しい国際情勢も、大阪のキャバクラでおっ立てながら議論してますねぇん。

キャバクラ、なんて美しい響きなんだ。

2025年、大阪キャバクラ幕府!!

キャバクラ、なんて素晴らしい楽園なんだ。

2025年、大阪キャバクラ幕府!!

『“いしん”をかけて女の二(2)つの穴(0)に(2)ゴー(5)、2025年、大阪キャバクラ幕府。』

Re: ◆2026年/大阪ホットナンバー4(フォー)ミュージック◆ - ラジオの友

2026/01/17 (Sat) 00:29:57

「♪大阪は“いしん”をかけた“オナホ”(オナニーホール)で決まり!」

ジェルをたっぷりと塗り込んだ“オナホ”(オナニーホール)に挿入する至福の時間。

微動する穴内(ホールインターナル)が俺を刺激する。

5分程度で発射オーライ!

抑圧された暗く狭い空間から解き放たれる開放感。

その向こうに、ほんの数秒の素晴らしい世界が待っている。

淫行(いんこう)、脱糞(だっぷん)、デリケートゾーン。

“いしん”をかけた“オナホ”(オナニーホール)に、そんな事は関係ない。

大阪の街は、ところ構わずオナニー三昧(ざんまい)

大阪は“いしん”をかけたオナニー天国!

略して“大阪オナ天”!

大阪は“いしん”をかけた“オナホ”(オナニーホール)で決まり!

略して“大阪いしんのオナホ”でキメッ!

お金をたっぷりと貯め込んだ“金庫”(マネーホール)に入金する至福の時間。

ひしめく札束(ビッグマネー)が俺を刺激する。

1日かけても札勘定(さつかん)できない!

誰にも知られない密室で大金に埋もれる高揚感。

その向こうに、今後の人生の危険な世界が待っている。

違法、脱法、グレーゾーン。

“いしん”をかけた“国保”(国民健康保険)逃れに、そんな事は関係ない。

大阪の街は、ところ構わず財テク蓄財三昧(ざんまい)

大阪は“いしん”をかけた脱税地獄!

称して“大阪死刑囚”!

大阪は“いしん”をかけた“国保”(国民健康保険)逃れで決まり!

称して“大阪いしんは国賊”で死刑!

何の成果も出てないのに、選挙ってどうなん?

お頭(つむ)の弱いアホな人間は、一時(ひととき)の時流に乗っかるかも知れへんが。

政治(まつりごと)を“大人の玩具”(おとなのおもちゃ)に利用したらアカンでぇ!

今日の1枚、お薦めレコード/20260117 - ラジオの友 URL

2026/01/17 (Sat) 00:12:25

◆◇◆其の一:わたしの愛した歴史人(れきしびと)/妖艶な夫婦の名古屋山三郎と出雲阿国◆◇◆

この地球、この日本に、人類と言う者が誕生してから、後世への伝達方法が進化するにつれ、数々の偉人や賢人が歴史を刻んできた事を知ることができる。

確かに史実とは違う誇張(こちょう)や脚色も加わっていると思うが、それは過去の話しとして割り切って向き合うしかない。

自分に置き換えても解るが、1週間前の出来事の記憶も曖昧(あいまい)なのに、百年千年も昔の事を正確で確実に記述して残している方に無理がある。

それこそ現代人の役目は、歴史の出来事を如何(いか)にして、想像力を膨らませる事ができるのかだと思う。

そんな歴史の糸口を手繰(たぐ)ると、多くの歴史人(れきしびと)と出逢う事ができる。

そんな愛すべき歴史人(れきしびと)を紹介していこう。

今回は歌舞伎の祖と言われる妖艶な夫婦の名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)と出雲阿国(いずもおくに/巫女→芸能者)です。

先(ま)ずは名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)とは、どんな人物だったのか。

尾張国(愛知県)の那古野(なごや)を拠点としていた鎌倉幕府の名越北条氏(なごえほうじょううじ)と尾張国(愛知県)の今川氏の那古野氏(なごやうじ)の系統で、室町幕府の尾張国(愛知県)の守護代を務める斯波義統(しばよしむね/足利)の家臣で清洲織田氏の織田達勝(おだたつかつ/斯波)に仕えていた那古野勝泰(なごやかつやす/斯波→織田)と、織田信長(おだのぶなが/織田)が率いる織田軍の黒母衣衆(くろほろしゅう)に属していた清和源氏の系統の中川重政(なかがわしげまさ/織田→中川)の妹(娘?)の養雲院(よううんいん/織田)の子供として1572年に誕生する。

那古野勝泰(なごやかつやす/斯波→織田)と養雲院(よううんいん/織田)の娘で、名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)の妹の1575年に誕生した岩(いわ)こと智勝院(ちしょういん/織田→豊臣→森)は、豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)の弟で豊臣秀長(とよとみひでなが/織田→豊臣)の息子の羽柴与一郎(はしばよいちろう/豊臣)の妻に嫁いだ。

更に母親の養雲院(よううんいん/織田)は、尾張国(愛知県)に居住していた頃のおね(高台院、北政所/織田→豊臣)に読み書きを教える家庭教師をしていた。

豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)とおね(高台院、北政所/織田→豊臣)が結婚する際は、那古野勝泰(なごやかつやす/斯波→織田)と養雲院(よううんいん/織田)が仲人(なこうど)をした逸話も残っている。

しかし、1582年に羽柴与一郎(はしばよいちろう/豊臣)は病死した為に、未亡人となった岩(いわ)こと智勝院(ちしょういん/織田→豊臣→森)はそのまま羽柴氏(はしばうじ)に残り豊臣秀長(とよとみひでなが/織田→豊臣)の養女に入った。

その後の1594年に岩(いわ)こと智勝院(ちしょういん/織田→豊臣→森)は、江戸時代に美作国(岡山県)の津山藩の藩主かつ津山城(つやまじょう)の城主に就任する森忠政(もりただまさ/豊臣→徳川)の妻に嫁ぐ。

これが後々に森忠政(もりただまさ/豊臣→徳川)と名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)を結び付ける事になる。

COREY TAYLOR /♪ WE ARE THE REST

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260117 - ラジオの友 URL

2026/01/17 (Sat) 00:13:25

◆◇◆其の二:わたしの愛した歴史人(れきしびと)/妖艶な夫婦の名古屋山三郎と出雲阿国◆◇◆

1585年頃の青年期に名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)は母親の養雲院(よううんいん/織田)と共に、京都の東山にある征夷大将軍2代目の源頼家(みなもとよりいえ/鎌倉)が建立(こんりゅう)した建仁寺(けんにんじ/臨済宗)にて宿坊していた。

この頃に1582年に起こった「本能寺の変」(ほんのうじのへん)で討たれた織田信長(おだのぶなが/織田)の家臣だった蒲生氏郷(がもううじさと/織田→豊臣)が、ある時に京都の市中にて美しい娘に一目惚れする。

その娘を探して妻に娶(めと)ろうと思っていた蒲生氏郷(がもううじさと/織田→豊臣)は、ようやく探し当てたのが妖艶な美少年として名高い名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)だった。

蒲生氏郷(がもううじさと/織田→豊臣)は、名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)の美的容姿だけでなく武勇に優れている事にも惚れ込み、建仁寺(けんにんじ/臨済宗)に赴(おもむ)き母親の養雲院(よううんいん/織田)に嘆願(たんがん)して、名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)を家臣の小姓(こしょう)に雇用する事になる。

この時期は亡き織田信長(おだのぶなが/織田)の跡目争奪により、織田軍の内部で権力闘争が起こっていた。

主君の蒲生氏郷(がもううじさと/織田→豊臣)は、豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)に仕えて豊臣政権の礎(いしずえ)に貢献したが、その傍(かたわ)らには獅子奮迅(ししふんじん)する名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)の姿があった。

特に槍の名手と言われた名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)は、各地で起こる合戦で一番槍を挙げる『名古屋山三(なごやさんざ)は一の槍!』と、敵味方に関係なく武将に評される。

豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)の天下統一に向けて進軍した1586年に起こった「九州征伐」(きゅうしゅうせいばつ)や1590年に起こった「小田原征伐」(おだわらせいばつ)、そして総仕上げの1590年に起こった「奥州仕置」(おうしゅうしおき)などの各地の戦場(いくさば)で、豊臣軍蒲生隊に従軍する名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)は武功を挙げる。

赤黒の甲冑(かっちゅう)に猩々緋(しょうじょうひ)の羽織(はおり)で身にまとう傾奇者(かぶきもの/異端者)の侍(サムライ)としては、派手好きな織田信長(おだのぶなが/織田)や前田利家(まえだとしいえ/織田→豊臣)など尾張国(愛知県)の武士の伝統を引き継いでいる。

陸奥国(むつ/青森県)の九戸政実(くのへまさざね/南部→九戸)と九戸実親(くのへさねちか/南部→九戸)の兄弟武将が豊臣政権に反発して1591年に起こした「九戸政実の乱」(くのへまさざねのらん)でも、名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)は一番槍を挙げて武功を立てた。

DRAIN /♪ I DON'T MIND

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260117 - ラジオの友 URL

2026/01/17 (Sat) 00:14:22

◆◇◆其の三:わたしの愛した歴史人(れきしびと)/妖艶な夫婦の名古屋山三郎と出雲阿国◆◇◆

順風満帆に見えた名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)だが、陸奥国(むつ/福島県)の鶴ヶ城(つるがじょう/会津若松城)の城主に就任していた主君の蒲生氏郷(がもううじさと/織田→豊臣)が1595年に死去する。

この蒲生氏(がもううじ)の家督継承を嫡男(ちゃくなん)の蒲生秀行(がもうひでゆき/織田→ 豊臣→徳川)が引き継いだが、息子とは相性の悪かった名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)は出奔(しゅっぽん)する。

牢人(無職侍)となった名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)は京都に戻り、その妖艶な美貌で京都市中を闊歩(かっぽ)する傾奇者(かぶきもの/異端者)になっていた。

20歳を超えたばかりの名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)は、美少年の手下を引き連れ京都の演芸場に出入りしていた。

そこで演者の出雲阿国(いずもおくに/巫女→芸能者)と出逢う事になる。

この出雲阿国(いずもおくに/巫女→芸能者)とは、どんな人物なのか?

1572年に出雲国(島根県)で出雲阿国(いずもおくに/巫女→芸能者)は生まれ、土地柄から大穴牟遅神(オオナムチ)こと大国主(オオクニヌシ)が主祀となる出雲大社の巫女(みこ)に就いていた。

天性の舞踊(ぶよう)の才能を持つ出雲阿国(いずもおくに/巫女→芸能者)は、出雲大社で踊る“神楽舞”(かぐらまい)だけに収まらず、日本各地に出向いて演芸場で踊る様になる。

少女だった出雲阿国(いずもおくに/巫女→芸能者)の“綾子踊踊り”(ややこおどり)は、行く先々の演芸場で好評を博した。

出雲阿国…『♪梅は咲いたか、桜はまだかいな〜 柳ゃ〜なよなよ、風ぇ〜しだい 山吹やぁ浮気で、色ばっかり、しょんがいな〜』

出雲阿国…『♪あさり採れたか、蛤(はまぐり)ゃまだかいな〜 鮑(あわび)〜くよくよ、片想い、さざえは悋気(りんき)で、角ばっかり、しょんがいな〜』

出雲阿国…『♪柳橋から、小船を急がせ〜 舟はぁ〜ゆらゆら、波しだい、舟から上がって、土手八丁(どてはっちょう)、吉原へご案内〜』(♪梅は咲いたか)

観客…『よぉ! 出雲阿国(いずもおくに/巫女→芸能者)、待ってましたぁ、日本一!』

その評判は京都にも伝わり、出雲阿国(いずもおくに/巫女→芸能者)は都(みやこ)に出て舞踊(ぶよう)を京都の人々に披露する。

CINDERELLA /♪ ALL COMES DOWN

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260117 - ラジオの友 URL

2026/01/17 (Sat) 00:15:23

◆◇◆其の四:わたしの愛した歴史人(れきしびと)/妖艶な夫婦の名古屋山三郎と出雲阿国◆◇◆

それから時は流れ、京都で一番の舞踊(ぶよう)を披露する出雲阿国(いずもおくに/巫女→芸能者)となり、北野天満宮(きたのてんまんぐう/上京)に設けられた常設の演芸場で活動する様になる。

この時に観覧に来ていたのが、京都で一番の傾奇者(かぶきもの/異端者)や伊達者(だてもしゃ)と呼ばれた名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)だった。

2人は直ぐに恋に落ちて結婚する事になる。

しかし、毎回に同じ“綾子踊踊り”(ややこおどり)や“神楽舞”(かぐらまい)を披露していた出雲阿国(いずもおくに/巫女→芸能者)も、その内に観客に飽きられる様になり、更に京雀(きょうすずめ)や京烏(きょうからす)が陰口(かげぐち)を叩いた。

京雀…『年増のいった出雲阿国(いずもおくに/巫女→芸能者)が、少女が踊る“綾子踊踊り”(ややこおどり)とは、些(いささ)かけったいな話しやなぁ〜』

京烏…『ほんまぁやでぇ〜 “神楽舞”(かぐらまい)も見飽きたさかいにぃ。』

これら京雀(きょうすずめ)や京烏(きょうからす)の噂(うわさ)は出雲阿国(いずもおくに/巫女→芸能者)の耳にも入り、新しい踊りを創作するも上手くいかず、演芸場の客足も鈍り憂鬱(ゆううつ)な日々が続いた。

そんな時に夫の名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)が身に付ける派手な衣装に目がいき、女性の踊り子が男装して傾奇者(かぶきもの/異端者)になったら面白いのではないかと閃(ひらめ)いた。

それを名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)に相談したら喜んで後押しをしてくれ、首から掛けていたキリスト教の久留子(クルス/十字架)を贈呈(ぞうてい)してくれた。

それから出雲阿国(いずもおくに/巫女→芸能者)は男装して傾奇者(かぶきもの/異端者)となり、一方で男性が女装して茶屋女(ちゃやおんな/遊女)に扮(ふん)し、道化(どうけ)の猿若(さるわか)が盛り立てて遊郭で恋に落ちる演劇を演じた。

茶屋女(女装)…『この上は、山三(さんざ)様も死なねばならぬ品なるが、死ぬる覚悟が聞きたい・・・』

出雲阿国(男装)…『この世の名残、夜も名残。 死に行く身をたとふれば、仇(かたき)しが原の道の露(つゆ)。 一足づつに消えて行く、夢の夢こそ哀(あわ)れなれ。』

これが好評を呼び、出雲阿国(いずもおくに/巫女→芸能者)が出演する演芸場に連日に満員御礼となった。

時には傾奇者(かぶきもの/異端者)で男装の出雲阿国(いずもおくに/巫女→芸能者)と、茶屋女(ちゃやおんな/遊女)で女装の名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)が共演する演目もあり、舞台で淫乱な目合(まぐあい)を興じた。

これが傾奇者(かぶきもの/異端者)から歌舞伎に発展していき、これにより京都で披露した出雲阿国(いずもおくに/巫女→芸能者)が歌舞伎の祖と呼ばれる。

また、興行する前の宣伝活動として、京都市中を派手な衣装と鳴り物で練り歩くチンドン屋の元祖とも言われる。

THE DONNAS /♪ TOO BAD ABOUT YOUR GIRL

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260117 - ラジオの友 URL

2026/01/17 (Sat) 00:16:19

◆◇◆其の五:わたしの愛した歴史人(れきしびと)/妖艶な夫婦の名古屋山三郎と出雲阿国◆◇◆

京都で妻の出雲阿国(いずもおくに/巫女→芸能者)と歌舞伎を共演していた名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)だったが、その後に北山の大徳寺(だいとくじ/臨済宗)に出家して宗円(そうえん)と名乗る僧侶となった。

ただ、妖艶が漂う美青年の宗円(そうえん)こと名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)は、俗世(ぞくせい)とは無縁の袈裟(けさ)を着た僧侶になり、その相反する要素が益々(ますます)の魅惑を増幅させていた。

大徳寺(だいとくじ/臨済宗)の檀家(だんか)の女性は、宗円(そうえん)こと名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)に逢いたさに頻繁に参拝する様になり、また、同僚の僧侶も悩ましい“お色気坊主”(おいろけぼうず)に仏教の戒律(かいりつ)を破り、禁忌(きんき)となる男色(だんしょく)に走る者まで出始めた。

京都市中では“お色気坊主”(おいろけぼうず)と呼ばれる宗円(そうえん)こと名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)が話題沸騰となり、大徳寺(だいとくじ/臨済宗)と付き合いのある細川氏にも影響を及ぼす事になる。

檀家(だんか)の女性だけでなく、細川氏の家臣や使用人までもが、宗円(そうえん)こと名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)に逢いたさに頻繁に参拝する様になる。

これに困惑したのが細川氏の当主に就いていた細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)で、何と熱心なキリシタンで妻の細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)までもが熱狂的なファンになった。

細川ガラシャ…『キャ〜〜〜 名古屋山三(なごやさんざ)様! こっち向いてぇ〜 素敵ぃ〜!!』

こうして細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)は、細川家の規則に「大徳寺(だいとくじ/臨済宗)の宗円(そうえん)こと名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)に、むやみに逢いに行く事を禁ずる。」を禁令した。

ところが細川幽斎(ほそかわゆうさい)こと細川藤孝(ほそかわふじたか/室町→織田→豊臣→徳川)の弟で、大徳寺(だいとくじ/臨済宗)の僧侶となり、高当院(こうとういん)を建立(こんりゅう)した玉甫紹琮(ぎょくほじょうそう/細川→僧侶)が主催する茶会に、細川幽斎(ほそかわゆうさい)こと細川藤孝(ほそかわふじたか/室町→織田→豊臣→徳川)と細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)などが意気揚々と参加していた。

当然にお茶を嗜(たしな)む前に、宗円(そうえん)こと名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)に逢う為である。

父親と妻が堂々と細川家の規則を破り有名無実(ゆうめいむじつ)となり、他の家臣に示しが付かない細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)は苦渋(くじゅう)する。

細川藤孝(細川幽斎)…『粗末な黒染めの衣(ころも)でも、宗円(そうえん)こと名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)が着れば錦(にしき)にも勝る。』

玉甫紹琮…『武勇に長(た)けてるだけでなく、隠れて無き美男子で、遊芸(ゆうげい)にも精通する伊達者(だてもしゃ)である。』

細川ガラシャ…『名古屋山三(なごやさんざ)様、私めが立てたお茶を召し上がって下さぁ〜い! その茶器(ちゃき)に触れる唇(くちびる)を奪いたいわぁ〜!!』

細川忠興(細川三斎)…『・・・』

FLEMING & JOHN /♪ I'M NOT AFRAID

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260117 - ラジオの友 URL

2026/01/17 (Sat) 00:17:19

◆◇◆其の六:わたしの愛した歴史人(れきしびと)/妖艶な夫婦の名古屋山三郎と出雲阿国◆◇◆

仏教界にとっても、大徳寺(だいとくじ/臨済宗)にとっても、細川氏にとっても、“お色気坊主”(おいろけぼうず)の宗円(そうえん)こと名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)は何かと問題が起こる。

時は豊臣政権の末期で、1592年に起こった「文禄の役」(ぶんろくのえき)または“第4次朝鮮出兵”や1596年に起こった「慶長の役」(けいちょうのえき)または“第5次朝鮮出兵”の頃である。

1592年に起こった「文禄の役」(ぶんろくのえき)で、豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)が肥前国(佐賀県)の名護屋城(なごやじょう/唐津)に出向いている時に、留守を良い事に山城国(京都府)の淀城(よどじょう/伏見)にて、京都に居た“お色気坊主”(おいろけぼうず)の宗円(そうえん)こと名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)と淀君(よどぎみ/浅井→豊臣)は密会していた。

そして、1593年に誕生した豊臣秀頼(とよとみひでより/豊臣)の父親は、名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)との噂が出回る。

こうして宗円(そうえん)こと名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)は還俗(げんぞく)して、1594年に岩(いわ)こと智勝院(ちしょういん/織田→豊臣→森)が嫁いでいた森忠政(もりただまさ/豊臣→徳川)の家臣に仕官(しかん)した。

1600年に起こった「関ヶ原の戦」(せきがはらのたたかい)の直後から信濃国(長野県)の松代藩(まつしろはん/長野)かつ松代城(まつしろじょう/長野)の城主に就任していた森忠政(もりただまさ/豊臣→徳川)とは、清和源氏の八幡太郎(はちまんたろう)こと源義家(みなもとよしいえ/朝廷)の系統の森氏で土岐氏の家臣から織田氏に仕える氏族である。

織田信長(おだのぶなが/織田)の重鎮家臣だった森可成(もりよしなり/土岐→織田)を筆頭に多くの息子が織田氏に従軍した。

森長可(もりながよし/織田→豊臣)は、美濃国(岐阜県)の金山城(かねやまじょう/可児)の城主で、人間無骨(にんげんむこつ)の槍として知られ“ヤンチャな長可”の名で通っていた。

森蘭丸(もりらんまる)こと森成利(もりなりとし/織田)と森坊丸(もりぼうまる)こと森長隆(もりながたか/織田)は、尾張国(愛知県)の葉栗(はぐり/一宮)の小姓(こしょう)で、織田信長(おだのぶなが/織田)の従者として1582年に起こった「本能寺の変」(ほんのうじのへん)で共に殉死(じゅんし)した。

実はこの直前まで、森忠政(もりただまさ/豊臣→徳川)も織田信長(おだのぶなが/織田)に従者だったが、少年期でヤンチャ盛りだった為に美濃国(岐阜県)の金山城(かねやまじょう/可児)に居住する母親の元に送り返され、これで事変の難を逃れている。

そんな強運の持ち主の森忠政(もりただまさ/豊臣→徳川)に仕える名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)は、岩(いわ)こと智勝院(ちしょういん/織田→豊臣→森)以外の他の妹も森氏の血縁者に嫁がせている。

これにより名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)は、森氏での地位や発言力を高めていく。

主君の森忠政(もりただまさ/豊臣→徳川)は、美青年の名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)を寵愛(ちょうあい)して高待遇の饗応指南役(きょうおうしなんやく)の役職を就けた。

こうなると森氏の古来からの家臣で、面白くないと思う者も出てくる。

その筆頭が大和国(奈良県)の井戸氏(いどうじ)の系統で武辺者(ぶへんもの)として知られる井戸宇右衛門(いどうえもん/斎藤→森)である。

AMERICAN HI-FI /♪ FLAVOR OF THE WEAK

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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260117 - ラジオの友 URL

2026/01/17 (Sat) 00:18:15

◆◇◆其の七:わたしの愛した歴史人(れきしびと)/妖艶な夫婦の名古屋山三郎と出雲阿国◆◇◆

京都の朝廷から征夷大将軍1代目に任命された徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)により、1603年に武蔵国(東京都)で江戸幕府が開設された。

この同年に森忠政(もりただまさ/豊臣→徳川)も、信濃国(長野県)の松代藩(まつしろはん/長野)から美作国(岡山県)の津山藩へ領地移転の転封(てんぽう)となる。

こうして1603年に、美作国(岡山県)で新たな津山城(つやまじょう)を築城する事になった。

ところが、このお城の縄張りや曲輪(くるわ)の配置などの基礎設計で、主君の森忠政(もりただまさ/豊臣→徳川)と家臣の井戸宇右衛門(いどうえもん/斎藤→森)の意見が合わず対立した。

嫌気が差した森忠政(もりただまさ/豊臣→徳川)は、重鎮家臣で勇猛果敢(ゆうもうかかん)な名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)に、主君の言う事を聞かない井戸宇右衛門(いどうえもん/斎藤→森)と一族の暗殺を威令(いれい)する。

重要な任務を請け負った名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)は、築城の建設現場に居た井戸宇右衛門(いどうえもん/斎藤→森)に殺気を消して近付いた。

名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)が太刀(たち)に手を掛けて斬りかかろうとしたその瞬間に、異変に気付いた井戸宇右衛門(いどうえもん/斎藤→森)が先に太刀(たち)を抜いて名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)を斬殺した。

返り討ちに遭った名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)は、津山城(つやまじょう)の建設現場にて呆気(あっけ)なく人生の幕を閉じた。

寵愛(ちょうあい)する名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)が返り討ちで惨殺された事を知った森忠政(もりただまさ/豊臣→徳川)は、激怒して森軍の刺客を放ち井戸宇右衛門(いどうえもん/斎藤→森)とその一族を抹殺した。

こうして津山城(つやまじょう)の北側には名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)が葬られ松の墓標が植えられ、南側には井戸宇右衛門(いどうえもん/斎藤→森)が葬られ松の墓標が植えられた。

この南北の2本の松は“白眼合松”(睨み合いの松)と呼ばれる。

名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)の討死は京都の細川氏にも知らされ、かつて“お色気坊主”(おいろけぼうず)の僧侶として在籍した大徳寺(だいとくじ/臨済宗)にて法要が営まれた。

THE OFFSPRING /♪ ALL I WANT

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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260117 - ラジオの友 URL

2026/01/17 (Sat) 00:19:12

◆◇◆其の八:わたしの愛した歴史人(れきしびと)/妖艶な夫婦の名古屋山三郎と出雲阿国◆◇◆

1603年に美作国(岡山県)の津山藩の領地で名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)が死去した事は、京都の演芸場で人気を博していた妻の出雲阿国(いずもおくに/巫女→芸能者)にも知らされた。

悲しみに耽(ふけ)る出雲阿国(いずもおくに/巫女→芸能者)は、食事も喉に通らず愛する名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)から頂戴したキリスト教の久留子(クルス/十字架)を抱(いだ)き続けた。

更に悪い事は続くもので、出雲阿国(いずもおくに/巫女→芸能者)が発案した“傾奇踊り”(かぶきおどり/男装)が、京都の三条や四条の遊郭でも採り入れられ、遊女歌舞伎(ゆうじょかぶき/女性)として乱立し始めた。

舞踊(ぶよう)に身が入らない出雲阿国(いずもおくに/巫女→芸能者)と相まって、潮が引く様に演芸場から観客が消えていった。

こうして出雲阿国(いずもおくに/巫女→芸能者)は京都を離れて、人と物が集まる徳川政権が拠点とする武蔵国(東京都)の江戸に赴(おもむ)く事になる。

京都で低迷したとは言え、天性の舞踊(ぶよう)の才能を持つ出雲阿国(いずもおくに/巫女→芸能者)は、江戸で再び魅惑を開花させていく。

その噂は江戸城(えどじょう)に居た徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)などにも知れ渡る。

こうして1607年2月20日(歌舞伎の日)に、出雲阿国(いずもおくに/巫女→芸能者)は江戸城(えどじょう)に招聘(しょうへい)され、徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)などの幕臣に“傾奇踊り”(かぶきおどり/男装)を披露する事になる。

これが現代でも2月20日が“歌舞伎の日”に制定されている理由である。

徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)は歌舞伎をお特に気に入り、江戸幕府の庇護(ひご)を受けた。

ただ、征夷大将軍2代目の徳川秀忠(とくがわひでただ/徳川)は、さほど歌舞伎に興味を示さなかった。

更に征夷大将軍3代目の徳川家光(とくがわいえみつ/徳川)の時代になると、江戸城下町の風紀を乱すとして、性的な要素を持つ遊女歌舞伎(ゆうじょかぶき/女性)や女歌舞伎は禁令となる。

その後に登場した美男子や蔭間(かげま/男娼)による若衆歌舞伎(わかしゅかぶき/美少年)が登場するも、これも風紀を乱すとして禁令となる。

最後にむさ苦しい男性による野郎歌舞伎(やろうかぶき/男性)が残り、これが現代でも女人禁制の歌舞伎に繋がっている。

江戸時代の出雲阿国(いずもおくに/巫女→芸能者)は、江戸城(えどじょう)にて徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)の前で舞踊(ぶよう)を披露した後は、スッパリと居なくなり消息が途絶えた。

日本を代表する古典芸能の歌舞伎も、妖艶な夫婦の名古屋山三郎(なごやさんざぶろう/蒲生→森)と出雲阿国(いずもおくに/巫女→芸能者)の間に誕生した可愛い子供である事は間違いない。

LESS THAN JAKE /♪ AUTOMATIC

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260117 - ラジオの友 URL

2026/01/17 (Sat) 00:20:08

◆◇◆其の一:細川氏とトヨタ自動車とくまモン◆◇◆

室町時代から戦国時代、そして江戸時代を通して必ず目にするのが細川氏です。

室町幕府では将軍家の足利氏に仕える三管領(さんかんれい)の畠山氏や斯波氏と共に細川氏が実権を掌握し、守護大名として四国の讃岐国(香川県)と阿波国(徳島県)と伊予国(愛媛県)などの領国を統治していた。

戦国乱世では山城国(京都府)を中心に、織田氏や豊臣氏に恭順(きょうじゅん)し、文化や学芸にも精通させる。

江戸幕府でも徳川氏に重用され、豊前国(ぶぜん/福岡県)の小倉藩(こくらはん/北九州)や肥後国(熊本県)の熊本藩の藩主に就任した。

では、権門勢家(けんもんせいか)な細川氏の出自(しゅつじ)は何処(どこ)からなのか?

平安時代に奥州(東北地方)の“蝦夷討伐”(えみしとうばつ)の為に、京都の平安京から進軍した鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)に任命された河内源氏の源頼義(みなもとよりよし/朝廷)と、その息子の八幡太郎(はちまんたろう)こと源義家(みなもとよしいえ/朝廷)が同じ筋目(すじめ)で、平安時代末期に上野国(こうずけ/群馬県)で活躍していた源義国(みなもとよしくに/源氏)から細川氏は始まる。

その2人の息子が足利氏と新田氏の先代に当たる。

足利義康(あしかがよしやす)こと源義康(みなもとよしやす /源氏)が、下野国(しもつけ/栃木県)の足利氏の祖となる。

新田義重(にったよししげ)こと源義重(みなもとよししげ/源氏)が、上野国(こうずけ/群馬県)の新田氏の祖となる。

1185年に相模国(神奈川県)の鎌倉幕府が日本各地に守護地頭(しゅごじとう)を設置し、1192年に朝廷から征夷大将軍1代目に任命された源頼朝(みなもとよりとも/鎌倉)も同じ家柄(いえがら)である。

その頃に河内源氏の足利氏の系統で、三河国(愛知県)の加茂(かも/豊田)の御家人だった広沢義実(ひろさわよしざね/鎌倉)の息子達が、仁木氏(につきうじ)と細川氏と戸崎氏と荒川氏の祖となる。

1221年に起こった「承久の乱」(じょうきゅうのらん)の頃に、鎌倉軍が京都に侵攻する際に三河国(愛知県)の守護を任せたのが広沢義実(ひろさわよしざね/鎌倉)の息子達だった。

その1人が三河国(愛知県)の細川荘(豊田)を拠点とした細川義季(ほそかわよしすえ/鎌倉)で、この地名から細川氏の祖となった。

足利義康(あしかがよしやす)こと源義康(みなもとよしやす /源氏)の子孫が、その後の1338年に室町幕府を開設した征夷大将軍1代目の足利尊氏(あしかがたかうじ/鎌倉→室町)に繋がっていく。

江戸時代には足利尊氏(あしかがたかうじ/鎌倉→室町)の系統で徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)の従兄弟の吉良義定(きらよしさだ/江戸)が三河国(愛知県)の吉良(きら/西尾)を統治する。

その曾孫(ひまご)が吉良上野介(きらこうずけのすけ)こと吉良義央(きらよしなか/江戸)で、江戸幕府では高家旗本(こうけはたもと)や饗応指南役(きょうおうしなんやく)に就いていた。

その妻が上杉定勝(うえすぎさだかつ/徳川)の娘の上杉富子(うえすぎとみこ)こと梅嶺院(ばいれいいん/米沢→吉良)であり、足利氏の一門の家柄(いえがら)となっている。

因みに、新田義重(にったよししげ)こと源義重(みなもとよししげ/源氏)の子孫が、鎌倉幕府を滅亡させた新田義貞(にったよしさだ/鎌倉→朝廷)で、そこからの庶流(しょりゅう)が三河国(愛知県)を拠点とした安祥松平氏(あんじょうまつだいらうじ)の系統で、1603年に江戸幕府を開設した征夷大将軍1代目の松平元康(まつだいらもとやす)こと徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)に繋がる。

要は幕府を開設した源氏の筋目(すじめ)が細川氏である。

そこから幾年(いくとせ)が過ぎ、現代の三河国(愛知県)ではトヨタ自動車が本社を構える一大拠点とし、豊田幕府として日本経済を牽引している。

REGINA SPEKTOR /♪ YOUR HONOR

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260117 - ラジオの友 URL

2026/01/17 (Sat) 00:21:09

◆◇◆其の二:細川氏とトヨタ自動車とくまモン◆◇◆

そんな清和源氏で河内源氏の細川氏が台頭したのは、室町幕府が一番に栄華を極めた征夷大将軍3代目の足利義満(あしかがよしみつ/室町)の時代である。

足利義満(あしかがよしみつ/室町)の父親代わりだった細川頼之(ほそかわよりゆき/室町)は、室町幕府の管領に就任し、讃岐国(香川県)と阿波国(徳島県)と伊予国(愛媛県)などの守護として統治していた。

この1300年代後期に北山文化が開花し、大徳寺(だいとくじ/臨済宗)の僧侶でトンチ名人で有名な一休さんこと一休宗純(いっきゅうそうじゅん/僧侶)の友達だった足利義満(あしかがよしみつ/室町)により、相国寺(しょうこくじ/臨済宗)や金閣寺(きんかくじ)こと鹿苑寺(ろくおんじ/臨済宗)が建立(こんりゅう)された。

ただ、やはり細川氏が有名になったのは、室町時代の1467年〜1477年に起こった「応仁の乱」(おうにんのらん)である。

室町幕府の征夷大将軍8代目の足利義政(あしかがよしまさ/室町→西軍→東軍)と妻の日野富子(ひのとみこ/朝廷→室町→東軍)が中心に、京都の堀川通を主軸に西陣の山名宗全(やまなそうぜん/室町→西軍)と東陣の細川勝元(ほそかわかつもと/室町→東軍)が10年近くに渡り対峙した。

最後は1477年に、東陣の亡き細川勝元(ほそかわかつもと/室町→東軍)の息子の細川政元(ほそかわまさもと/室町→東軍)と、西陣の亡き山名宗全(やまなそうぜん/室町→西軍)の孫の山名政豊(やまなまさとよ/室町→西軍)が、日野富子(ひのとみこ/朝廷→室町→東軍)の仲裁で和睦して、「応仁の乱」(おうにんのらん)は表面的に終結した。

この頃に足利義政(あしかがよしまさ/室町→西軍→東軍)により銀閣寺(ぎんかくじ)こと慈照寺(じしょうじ/臨済宗)が建立(こんりゅう)され、侘(わ)び寂(さ)びが特徴の東山文化が開花する。

THE PARADOX FEAT.TRAVIS BARKER /♪ BENDER

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260117 - ラジオの友 URL

2026/01/17 (Sat) 00:22:04

◆◇◆其の三:細川氏とトヨタ自動車とくまモン◆◇◆

室町幕府は1467年に起こった「応仁の乱」(おうにんのらん)にて権威が喪失(そうしつ)し、畠山氏と斯波氏と細川氏が権力を掌握した三管領(さんかんれい)も有名無実となり、家臣が主君を討伐する下克上(げこくじょう)による戦国時代が始まる。

そこで台頭したのが守護の斯波氏の家臣だった尾張国(愛知県)の守護代で、織田大和守の系統の清洲織田家の織田信秀(おだのぶひで/織田)だった。

その息子が織田信長(おだのぶなが/織田)である。

一方の細川氏も下克上(げこくじょう)の乱世に飲み込まれ、更に細川氏の同族でも権力闘争が勃発した。

室町幕府の管領に就いていた細川高国(ほそかわたかくに/室町)は、細川晴元(ほそかわはるもと/室町)と対立して敗北し自害した。

細川高国(ほそかわたかくに/室町)の養子に入っていた細川氏綱(ほそかわうじつな/室町)は、義父の仇(かたき)を打つ為に細川晴元(ほそかわはるもと/室町)と対立したが、そんな時に阿波国(徳島県)の武将で細川氏の家臣だった三好長慶(みよしながよし/細川→三好)が台頭してきた。

細川晴元(ほそかわはるもと/室町)は三好長慶(みよしながよし/細川→三好)と交戦して敗北し室町幕府から失脚した。

この頃は征夷大将軍13代目の足利義輝(あしかがよしてる/室町)が表面的に政権運営していたが、実際は管領や守護大名などに操られる傀儡(かいらい)の存在だった。

第106代天皇の正親町天皇(おおぎまちてんのう/朝廷)や朝廷の公家などに信任を得た三好長慶(みよしながよし/細川→三好)は、河内国(大阪府)の飯盛山城(いいもりやまじょう/大東)で政権を掌握し天下人になる。

こうして足利義輝(あしかがよしてる/室町)は近江国(滋賀県)に追い遣られる。

そんな征夷大将軍13代目の足利義輝(あしかがよしてる/室町)の家臣だったのが、河内源氏の庶流(しょりゅう)の三淵氏(みつぶちうじ)で1534年に生まれ、細川氏の養子に入った細川幽斎(ほそかわゆうさい)こと細川藤孝(ほそかわふじたか/室町→織田→豊臣→徳川)である。

細川幽斎(ほそかわゆうさい)こと細川藤孝(ほそかわふじたか/室町→織田→豊臣→徳川)は足利義輝(あしかがよしてる/室町)と共に、常陸国(ひたち/茨城県)の塚原城(つかはらじょう/鹿島)を拠点にしていた戦国時代の剣士で、鹿島流から卜伝流を確立した“生涯無敵”の吉川朝孝(よしかわともたか)こと塚原卜伝(つかはらぼくでん/剣術士)に剣術の指南(しなん)を受けて腕を磨いた。

更に細川幽斎(ほそかわゆうさい)こと細川藤孝(ほそかわふじたか/室町→織田→豊臣→徳川)は武芸だけでなく、茶道や和歌などの学芸にも研鑽(けんさん)し、両道の造詣(ぞうけい)の深さから文武両道(ぶんぶりょうどう)の武将と言われる。

一方で1564年に三好長慶(みよしながよし/細川→三好)が死去すると、甥の三好義継(みよしよしつぐ/三好)が家督継承者となる。

この頃になると大和国(奈良県)の武将で生駒山の信貴山城(しぎさんじょう/平群)の城主だった松永久秀(まつながひさひで/三好→織田)が室町幕府を支える様になる。

しかし1565年に、松永久秀(まつながひさひで/三好→織田)の息子の松永久通(まつながひさみち/三好→織田)と三好義継(みよしよしつぐ/三好)を筆頭に、“三好三人衆”の三好長逸(みよしながやす/三好)と三好宗渭(みよしそうい/三好)と岩成友通(いわなりともみち/三好)が首謀者となり、征夷大将軍13代目の足利義輝(あしかがよしてる/室町)に謀反(むほん)を起こし現職の将軍を惨殺し、前代未聞の「永禄の変」(えいろくのへん)を起こした。

“三好三人衆”は征夷大将軍13代目の足利義輝(あしかがよしてる/室町)の従兄弟で、和泉国(大阪府)の堺公方(さかいくぼう)に就いていた足利義維(あしかがよしつな/室町)の息子の足利義栄(あしかがよしひで/室町)を征夷大将軍14代目に就任させた。

これに身の危険を感じたのが、征夷大将軍12代目の足利義晴(あしかがよしはる/室町)の息子で、征夷大将軍13代目の足利義輝(あしかがよしてる/室町)の弟の、法相宗(ほっそうしゅう)の総本山で大和国(奈良県)の興福寺(こうふくじ)に出家して僧侶だった足利義昭(あしかがよしあき/室町)である。

その直後に足利義昭(あしかがよしあき/室町)は、大和国(奈良県)の松永久秀(まつながひさひで/三好→織田)などに拘束され幽閉された。

しかし、征夷大将軍13代目で亡き足利義輝(あしかがよしてる/室町)の直参家臣だった細川幽斎(ほそかわゆうさい)こと細川藤孝(ほそかわふじたか/室町→織田→豊臣→徳川)などにより、足利義昭(あしかがよしあき/室町)は救出される。

Rancid /♪ TIME BOMB

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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260117 - ラジオの友 URL

2026/01/17 (Sat) 00:22:59

◆◇◆其の四:細川氏とトヨタ自動車とくまモン◆◇◆

大和国(奈良県)の松永久秀(まつながひさひで/三好→織田)や阿波国(徳島県)の“三好三人衆”の手中から救出された足利義昭(あしかがよしあき/室町)は、細川幽斎(ほそかわゆうさい)こと細川藤孝(ほそかわふじたか/室町→織田→豊臣→徳川)に引責されながら畿内(きない/関西)の各地を転々とした。

そんな逃亡の旅では食料や物資も少なく貧困な生活を極めていた。

しかし、足利将軍家に生まれ育ち、藤原氏の菩提寺(ぼだいじ)でもある大和国(奈良県)の興福寺(こうふくじ)で生活していた足利義昭(あしかがよしあき/室町)に、貧困や節約などの感性は持ち合わせていない。

夜になり宿舎が暗くなった時の事。

足利義昭…『読書をするから、行燈(あんどん)に灯(ともり)を着けて欲しい。』

細川藤孝…『将軍様、この困窮(こんきゅう)する生活の状況下では、灯(ともり)の油がありません。』

足利義昭…『うむ、でも読書をするから、行燈(あんどん)に灯(ともり)を着けて欲しい。』

細川藤孝…『しょ、承知致した・・・』

こうして深夜に細川幽斎(ほそかわゆうさい)こと細川藤孝(ほそかわふじたか/室町→織田→豊臣→徳川)は、人気(ひとけ)の無い神社などに忍び込んで油を窃盗していた。

しかし、何度目かの窃盗で、神社の神主に目撃され現行犯で捕縛(ほばく)される。

ただ、細川幽斎(ほそかわゆうさい)こと細川藤孝(ほそかわふじたか/室町→織田→豊臣→徳川)が、神主に室町幕府と足利義昭(あしかがよしあき/室町)の事情を話すと、神主は同情してくれ行燈(あんどん)の油を分け与えてくれた。

こんな逃亡の旅は近江国(滋賀県)の琵琶湖を北上して、越前国(福井県)の一乗谷館(いちじょうだにやかた/福井)を拠点とする斯波氏の守護代を務めていた朝倉義景(あさくらよしかげ/朝倉)を頼って訪問した。

細川幽斎(ほそかわゆうさい)こと細川藤孝(ほそかわふじたか/室町→織田→豊臣→徳川)と足利義昭(あしかがよしあき/室町)は、朝倉義景(あさくらよしかげ/朝倉)に軍隊を引き連れ京都へ上洛し、そこで阿波国(徳島県)の“三好三人衆”を討伐して欲しいと嘆願した。

ところが朝倉義景(あさくらよしかげ/朝倉)は、嫡男(ちゃくなん)の朝倉阿君丸(あさくらくまぎみまる/朝倉)が1568年に6歳の若さで早世し、意気消沈して出陣どころでは無いと固辞(こじ)された。

そんな時に室町幕府の幕臣で美濃国(岐阜県)の明智城(あけちじょう/可児)を拠点にしていた明智光秀(あけちみつひで/斎藤→織田→明智)が、美濃国(岐阜県)の岐阜城(ぎふじょう)を拠点とする織田信長(おだのぶなが/織田)を取り持ってくれた。

織田信長(おだのぶなが/織田)は京都への上洛を快諾し、美濃国(岐阜県)から大軍勢の織田軍を進行させ、1568年に起こった「上洛戦」(じょうらくせん)を開始した。

こうして京都で布陣していた“三好三人衆”は阿波国(徳島県)へ逃亡し、足利義昭(あしかがよしあき/室町)が征夷大将軍15代目に就任した。

当初は良好関係を築いていた征夷大将軍15代目の足利義昭(あしかがよしあき/室町)と織田信長(おだのぶなが/織田)だったが、直ぐに政策の違いから瓦解(がかい)して敵対する様になる。

COWBOY MOUTH /♪ I KNOW IT SHOWS

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260117 - ラジオの友 URL

2026/01/17 (Sat) 00:23:53

◆◇◆其の五:細川氏とトヨタ自動車とくまモン◆◇◆

室町幕府の権威が復権していない状態で征夷大将軍15代目の足利義昭(あしかがよしあき/室町)は、全国各地の大名や武将に織田信長(おだのぶなが/織田)を討伐する様に“信長包囲網”の伝令(でんれい)を送達した。

その将軍の要請に応えたのが、甲斐国(山梨県)の躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた/甲府)を拠点とする“甲斐の虎”と呼ばれる武田信玄(たけだしんげん/武田)を筆頭に、越前国(福井県)の一乗谷館(いちじょうだにやかた/福井)を拠点とする朝倉義景(あさくらよしかげ/朝倉)や近江国(滋賀県)の小谷城(おだにじょう/長浜)を拠点とする浅井久政(あざいひさまさ/浅井)と息子の浅井長政(あざいながまさ/浅井)の親子などである。

しかし、足利義昭(あしかがよしあき/室町)と苦楽を共にした直参家臣の細川幽斎(ほそかわゆうさい)こと細川藤孝(ほそかわふじたか/室町→織田→豊臣→徳川)は、主君の要請には応えず織田信長(おだのぶなが/織田)に従属(じゅうぞく)する事を決める。

そんな混沌とした戦国乱世にて、織田信長(おだのぶなが/織田)は最大の危機に瀕(ひん)する。

最大の脅威となる“甲斐の虎”と呼ばれる武田信玄(たけだしんげん/武田)が率いる武田軍が甲斐国(山梨県)を出陣し、徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)の領国でもある遠江国(とおとうみ/静岡県)に侵攻し、1572年に起こった「三方ヶ原の戦」(みかたがはらのたたかい)で徳川軍を撃破して勝利した。

ただ、その翌年の1573年に武田信玄(たけだしんげん/武田)が死去すると、“信長包囲網”の歯車が狂い始める。

同年の1573年に、織田信長(おだのぶなが/織田)が率いる織田軍は、越前国(福井県)の朝倉義景(あさくらよしかげ/朝倉)と、近江国(滋賀県)の小谷城(おだにじょう/長浜)の浅井久政(あざいひさまさ/浅井)と息子の浅井長政(あざいながまさ/浅井)の親子を攻め滅ぼし、斬首した3人の梟首(きょうしゅ)の髑髏(しゃれこうべ)に金箔を貼り合わせ髑髏杯(どくろはい)にした。

その勢いで京都に侵攻した織田信長(おだのぶなが/織田)が率いる織田軍は、征夷大将軍15代目の足利義昭(あしかがよしあき/室町)を京都から追放して、毛利輝元(もうりてるもと/毛利→豊臣)の領国の備後国(広島県)の鞆の浦(とものうら)に身を寄せた。

こうして1338年から続いた室町幕府は、1573年に235年間の幕を閉じた。

その後、天下統一に邁進(まいしん)する織田信長(おだのぶなが/織田)の家臣として、細川幽斎(ほそかわゆうさい)こと細川藤孝(ほそかわふじたか/室町→織田→豊臣→徳川)は同僚の明智光秀(あけちみつひで/斎藤→織田→明智)と共に織田軍の覇道(はどう)を支えた。

一時は織田信長(おだのぶなが/織田)に協力して生命まで助けた大和国(奈良県)の松永久秀(まつながひさひで/三好→織田)が、征夷大将軍15代目の足利義昭(あしかがよしあき/室町)の要請に応えて裏切った為に、織田氏の後継者となった嫡男(ちゃくなん)の織田信忠(おだのぶただ/織田)が率いる織田軍が侵攻した。

1577年に大和国(奈良県)の生駒山に建つ信貴山城(しぎさんじょう/平群)に篭城する松永久秀(まつながひさひで/三好→織田)に対して、細川幽斎(ほそかわゆうさい)こと細川藤孝(ほそかわふじたか/室町→織田→豊臣→徳川)と明智光秀(あけちみつひで/斎藤→織田→明智)の軍勢も攻撃を仕掛けて、最後は天下の名器と言われる“平蜘蛛茶釜”(ひらぐむちゃがま)と共に松永久秀(まつながひさひで/三好→織田)は爆死した。

そして翌年の1578年に、主君の織田信長(おだのぶなが/織田)が仲人(なこうど)となり、細川幽斎(ほそかわゆうさい)こと細川藤孝(ほそかわふじたか/室町→織田→豊臣→徳川)の息子の細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)と、明智光秀(あけちみつひで/斎藤→織田→明智)の娘の細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)が結婚する事になる。

RAMONES /♪ THIS AIN'T HAVANA

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260117 - ラジオの友 URL

2026/01/17 (Sat) 00:24:51

◆◇◆其の六:細川氏とトヨタ自動車とくまモン◆◇◆

織田信長(おだのぶなが/織田)の“織田四天王”の中でも頭一つ抜けている明智光秀(あけちみつひで/斎藤→織田→明智)は、天下統一で最も重要な畿内(きない/関西)から北部の攻略を任されていた。

山城国(京都府)を中心に、丹波国(京都府・兵庫県)と丹後国(京都府)と若狭国(福井県)の織田軍に対しての反対勢力を鎮圧していく。

その中でも丹後国(京都府)の守護大名で建部山城(たけべやまじょう/舞鶴)の城主の一色義道(いっしきよしみち/一色→織田)と、その息子で弓木城(ゆみのきじょう/与謝野)の城主の一色義定(いっしきよしさだ/一色→織田→明智)は手強く、明智光秀(あけちみつひで/斎藤→織田→明智)も苦戦していた。

一色氏(いっしきうじ)の元は、三河国(愛知県)の吉良(きら/西尾)を拠点とし、室町幕府でも七頭(しちとう)の山名氏、一色氏(いっしきうじ)、赤松氏、京極氏(きょうごくうじ)、土岐氏、上杉氏、伊勢氏に選ばれる家柄(いえがら)である。

この氏家の中で京都奉行を担う四職(ししき)の山名氏、一色氏(いっしきうじ)、赤松氏、京極氏(きょうごくうじ)は、足利氏の庶流(しょりゅう)でも権門勢家(けんもんせいか)である。

そこで明智光秀(あけちみつひで/斎藤→織田→明智)は武力ではなく、調略で一色氏(いっしきうじ)を織田軍に取り込む事にした。

丹後国(京都府)の攻略を任されていた同友の細川幽斎(ほそかわゆうさい)こと細川藤孝(ほそかわふじたか/室町→織田→豊臣→徳川)の娘の細川伊也(ほそかわいや/細川→一色→吉田)を、一色義定(いっしきよしさだ/一色→織田→明智)の嫁として仲人(なこうど)したのである。

この政略結婚により1581年に細川伊也(ほそかわいや/細川→一色→吉田)は、一色義定(いっしきよしさだ/一色→織田→明智)の妻として丹後国(京都府)の弓木城(ゆみのきじょう/与謝野)に嫁いだ。

日本海の入江となる宮津湾(みやづわん)の西側の阿蘇海(あそかい)に面する弓木城(ゆみのきじょう/与謝野)は、難攻不落の堅固なお城であるが、日本三景の1つでもある天橋立(あまのはしだて)が望める美しい環境だった。

そんな漁村での一色義定(いっしきよしさだ/一色→織田→明智)と細川伊也(ほそかわいや/細川→一色→吉田)の生活は良好なものだったと言うが、それもほんの一時(ひととき)にしか過ぎない。

順風満帆に見えた織田軍と細川幽斎(ほそかわゆうさい)こと細川藤孝(ほそかわふじたか/室町→織田→豊臣→徳川)だったが、日本の歴史を揺るがす事変が起こる。

1582年に明智光秀(あけちみつひで/斎藤→織田→明智)が謀反(むほん)を実行して織田信長(おだのぶなが/織田)を討つ「本能寺の変」(ほんのうじのへん)が起こった。

この時に明智光秀(あけちみつひで/斎藤→織田→明智)は、同友でもある細川幽斎(ほそかわゆうさい)こと細川藤孝(ほそかわふじたか/室町→織田→豊臣→徳川)と義理息子の細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)に対して、明智政権に加わる様に書状にて協力要請している。

その内容は⦅守護する領国は摂津国(大阪府・兵庫県)を与えて、希望するなら若狭国(福井県)も追加する。 他に要望が有れば、必ず希望に沿う様に履行致す。⦆と記述されていた。

これは細川氏にとり破格な条件だったが、この高待遇を細川親子は拒否した。

その理由として幾つかあるが、最も大きな要因は明智光秀(あけちみつひで/斎藤→織田→明智)による明智政権は、長くは続かない懸念だった。

それを裏付ける様に、親密にしていた明智光秀(あけちみつひで/斎藤→織田→明智)と内通していた疑いが掛からない様に、細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)の妻の細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)を、居住する山城国(京都府)の勝龍寺城(しょうりゅうじじょう/長岡京)から追い出して、丹後国(京都府)の味土野(みどの/京丹後)にある屋敷に連行して幽閉した。

EELS /♪ AMATEUR HOUR

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260117 - ラジオの友 URL

2026/01/17 (Sat) 00:25:42

◆◇◆其の七:細川氏とトヨタ自動車とくまモン◆◇◆

織田軍にとり危機的な戦況を、毛利輝元(もうりてるもと/毛利→豊臣)を侵攻していた豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)が、「中国大返し」(ちゅうごくおおがえし)を敢行(かんこう)して11日余りで畿内(きない/関西)に侵攻し、天王山(てんのうざん)の周辺で交戦した「山崎の戦」(やまざきのたたかい)にて、明智光秀(あけちみつひで/斎藤→織田→明智)の明智軍を討ち負かした。

この「本能寺の変」(ほんのうじのへん)の際に一色義定(いっしきよしさだ/一色→織田→明智)は、明智光秀(あけちみつひで/斎藤→織田→明智)の軍勢に加わっていた。

こうなると例え妹の細川伊也(ほそかわいや/細川→一色→吉田)が嫁いだ先でも、織田軍の細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)は弓木城(ゆみのきじょう/与謝野)を侵攻するしかない。

しかし、ここでも武力ではなく調略で、義理弟の一色義定(いっしきよしさだ/一色→織田→明智)に近付いた。

表向きは細川氏と一色氏(いっしきうじ)の親族としての結束を図る為に、細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)が居城する丹後国(京都府)の宮津城(みやづじょう)に、酒宴を催す理由を付けて一色義定(いっしきよしさだ/一色→織田→明智)を招いた。

暗殺を警戒した一色義定(いっしきよしさだ/一色→織田→明智)や一色氏(いっしきうじ)の家臣だったが、『行くも地獄、断るも地獄、ならば行くしかない。』として宮津城(みやづじょう)に出向く。

御殿に通された一色義定(いっしきよしさだ/一色→織田→明智)は、やはり細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)により斬殺された。

こうして宮津城(みやづじょう)の織田軍細川隊と、弓木城(ゆみのきじょう/与謝野)の明智軍一色隊は戦闘に入る。

この時に細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)は、明智軍一色隊に対して妹の細川伊也(ほそかわいや/細川→一色→吉田)の返還を要求した。

これを本人の細川伊也(ほそかわいや/細川→一色→吉田)が拒み『戦国武将の妻として、夫の仇(かたき)を討つ!』と、一色氏(いっしきうじ)の家臣の面前(めんぜん)で公言したのである。

士気が高まる弓木城(ゆみのきじょう/与謝野)の明智軍一色隊は、一色義道(いっしきよしみち/一色→織田)からの家臣で鉄砲の名手で稲富流砲術(いなとみりゅうほうじゅつ)を指南していた稲富祐直(いなとみすけなお/一色→細川)が率いる鉄砲隊の活躍もあり、一時は善戦していた。

ただ、亡き一色義定(いっしきよしさだ/一色→織田→明智)との間に誕生した幼い息子もいた為に、細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)は母子の引渡しを条件に、弓木城(ゆみのきじょう/与謝野)の攻撃を中止すると伝えてきた。

こうして細川伊也(ほそかわいや/細川→一色→吉田)は幼い息子と1人の侍女(じじょ)を引き連れて、父親の細川幽斎(ほそかわゆうさい)こと細川藤孝(ほそかわふじたか/室町→織田→豊臣→徳川)と兄の細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)が待つ宮津城(みやづじょう)に入城した。

御殿で対面した細川伊也(ほそかわいや/細川→一色→吉田)は、兄の細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)の顔を見るや、短刀を引き抜き斬り付けたのである。

幸い鼻先を斬った程度で命までは取られなかったが、兄の細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)は妹の細川伊也(ほそかわいや/細川→一色→吉田)に、夫の一色義定(いっしきよしさだ/一色→織田→明智)を殺(あや)めた事を何度も詫(わび)びたと言う。

その後、細川伊也(ほそかわいや/細川→一色→吉田)を取り戻した織田軍細川隊は、攻撃中止の約束を反故(ほご)にして、大軍勢で押し寄せ弓木城(ゆみのきじょう/与謝野)を包囲して落城させた。

この時に細川幽斎(ほそかわゆうさい)こと細川藤孝(ほそかわふじたか/室町→織田→豊臣→徳川)の命令で、一色氏(いっしきうじ)の鉄砲隊を率いる稲富流砲術(いなとみりゅうほうじゅつ)の稲富祐直(いなとみすけなお/一色→細川)を生捕(いけど)りにした。

天下に名が轟(とどろ)く鉄砲の名手の稲富祐直(いなとみすけなお/一色→細川)を、細川氏の家臣として招いたのである。

これにて「本能寺の変」(ほんのうじのへん)で誘発された丹後国(京都府)の合戦も終結し、室町幕府の名門家だった一色氏(いっしきうじ)は滅亡した。

一方で、「山崎の戦」(やまざきのたたかい)で豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)に敗北した明智光秀(あけちみつひで/斎藤→織田→明智)は、山城国(京都府)の醍醐寺(だいごじ/真言宗)の近くの竹藪(明智薮)で落武者狩りに遭遇して斬殺された。

謀反(むほん)から10日余りの天下人だった。

こうして織田信長(おだのぶなが/織田)の跡目を引き継いだ豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)が、豊臣政権を樹立して天下統一を果たした。

この時流に細川幽斎(ほそかわゆうさい)こと細川藤孝(ほそかわふじたか/室町→織田→豊臣→徳川)と息子の細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)も従属(じゅうぞく)している。

その後、一色義定(いっしきよしさだ/一色→織田→明智)の妻だった細川伊也(ほそかわいや/細川→一色→吉田)は京都に戻った。

そして、父親の細川幽斎(ほそかわゆうさい)こと細川藤孝(ほそかわふじたか/室町→織田→豊臣→徳川)と親交のあった吉田神社(吉田神道/左京)の神主(かんぬし)を務めていた吉田兼見(よしだかねみ/神主)の息子の吉田兼治(よしだかねはる/神主)と再婚した。

この時に一色義定(いっしきよしさだ/一色→織田→明智)との息子は、お寺に出家させられ母子は引き離されている。

HONEYRIDER /♪ California USA

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260117 - ラジオの友 URL

2026/01/17 (Sat) 00:26:36

◆◇◆其の八:細川氏とトヨタ自動車とくまモン◆◇◆

1598年に山城国(京都府)の伏見城(ふしみじょう/京都)にて豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)が死去した。

これにより徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)の東軍と、石田三成(いしだみつなり/豊臣)の西軍で政権の争奪が始まる。

先(ま)ずは1600年に、陸奥国(むつ/福島県)の鶴ヶ城(つるがじょう/会津若松城)を拠点としていた上杉景勝(うえすぎかげかつ/上杉→豊臣→徳川)に謀反(むほん)の嫌疑を掛けた徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)が、「会津征伐」(あいづせいばつ)に向かって東軍を進軍させた。

この時に細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)も東軍に従軍していた。

しかし、徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)が大軍勢を引き連れて畿内(きない/関西)から離れた隙を突き、石田三成(いしだみつなり/豊臣)は西軍を挙兵して、山城国(京都府)の徳川氏の拠点になっていた伏見城(ふしみじょう/京都)を総攻撃する「伏見城の戦」(ふしみじょうのたたかい)を実行して勝利する。

更に石田三成(いしだみつなり/豊臣)は、摂津国(大阪府)の大坂城(おおさかじょう)の周辺に建つ大名屋敷に居住する武将の妻などにも、人質として大坂城(おおさかじょう)に入城する様に強要した。

この時に大坂城(おおさかじょう)の南部にある細川家屋敷に居た細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)は、石田三成(いしだみつなり/豊臣)の要請を拒否して屋敷に火を放ち焼死した。

細川ガラシャ…『散りぬべき、時知りてこそ、世の中の、花も花なれ、人も人なれ。』⦅花は散る時を知るからこそ、花として美しく咲く。 人間もそうありたいと願うが、今こそ散る時が来ている。⦆

この時に最期(さいご)まで細川ガラシャこと明智玉(あけちたま/斎藤→織田→豊臣→徳川)を警護していたのが、一色氏(いっしきうじ)の家臣だった稲富祐直(いなとみすけなお/一色→細川)である。

この時期に細川幽斎(ほそかわゆうさい)こと細川藤孝(ほそかわふじたか/室町→織田→豊臣→徳川)は、日本海側の丹後国(京都府)の田辺城(たなべじょう/舞鶴)に入城していた。

そこに北上してきた前田茂勝(まえだしげかつ/豊臣→徳川)などが率いる1万5千人の西軍丹後隊が侵攻してきた。

前田茂勝(まえだしげかつ/豊臣→徳川)とは、“豊臣五奉行”の前田玄以(まえだげんい/織田→豊臣→徳川)の息子で、江戸幕府では丹波国(京都府)の亀山藩(亀岡藩)や丹波国(兵庫県)の八上藩(やかみ/丹波篠山)の藩主に就任している。

こうして田辺城(たなべじょう/舞鶴)は西軍丹後隊に包囲され、細川幽斎(ほそかわゆうさい)こと細川藤孝(ほそかわふじたか/室町→織田→豊臣→徳川)は圧倒的に不利な戦況だったが篭城する戦術を採った。

直ぐに落城できる戦力差だったが、ただ、寄せ集めの西軍丹後隊の指揮系統は乱れ、更に西軍の武将には茶道や和歌を細川幽斎(ほそかわゆうさい)こと細川藤孝(ほそかわふじたか/室町→織田→豊臣→徳川)から学ぶ弟子も多く存在しており、真剣に攻撃する意思は無かった。

京都では日本全土に広がる戦況を不安視しており、朝廷でも行く末を見守っていた。

そんな時に八条宮智仁親王(はちじょうのみやとしひとしんのう/朝廷)は、細川幽斎(ほそかわゆうさい)こと細川藤孝(ほそかわふじたか/室町→織田→豊臣→徳川)が篭城する田辺城(たなべじょう/舞鶴)の戦況を危惧していた。

八条宮智仁親王(はちじょうのみやとしひとしんのう/朝廷)とは八条宮家(はちじょうのみやけ/桂宮)の祖で、誠仁親王(さねひとしんのう/朝廷)の息子で、第107代天皇の後陽成天皇(ごようぜいてんのう/朝廷)の弟に当たり、豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)の猶子(ゆうし)にも入り、細川幽斎(ほそかわゆうさい)こと細川藤孝(ほそかわふじたか/室町→織田→豊臣→徳川)の学芸の弟子でもあった。

細川幽斎(ほそかわゆうさい)こと細川藤孝(ほそかわふじたか/室町→織田→豊臣→徳川)は、日本古来の“古今和歌集”(こきんわかしゅう)のただ1人の古今伝授(こきんでんじゅ)で、万が一にも戦死すると日本文化の伝統が途絶える事になる。

八条宮智仁親王(はちじょうのみやとしひとしんのう/朝廷)は朝廷からの令旨(りょうじ)を送達して、細川幽斎(ほそかわゆうさい)こと細川藤孝(ほそかわふじたか/室町→織田→豊臣→徳川)に西軍と講和する様に何度も諫言(かんげん)した。

しかし、その度(たび)に細川幽斎(ほそかわゆうさい)こと細川藤孝(ほそかわふじたか/室町→織田→豊臣→徳川)は拒否し、日本にとり貴重な書物を朝廷に献上したのである。

これに危機感を覚えた八条宮智仁親王(はちじょうのみやとしひとしんのう/朝廷)は、兄で第107代天皇の後陽成天皇(ごようぜいてんのう/朝廷)に報告し、天皇の勅命(ちょくめい)で西軍との講和を記載した綸旨(りんじ)を発布した。

天皇の直々の勅命(ちょくめい)となれば、これには細川幽斎(ほそかわゆうさい)こと細川藤孝(ほそかわふじたか/室町→織田→豊臣→徳川)も従うしかなく、1600年10月12日に田辺城(たなべじょう/舞鶴)を開城し「田辺城の戦」(たなべじょうのたたかい)は終結した。

この9日後の10月21日に美濃国(岐阜県)にて、徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)が率いる東軍と石田三成(いしだみつなり/豊臣)が率いる西軍が交戦する「関ヶ原の戦」(せきがはらのたたかい)が起こり、半日程度で東軍が勝利した。

この時に日本海側の丹後国(京都府)の「田辺城の戦」(たなべじょうのたたかい)で釘付けにされていた前田茂勝(まえだしげかつ/豊臣→徳川)などが率いる1万5千人の西軍丹後隊は、美濃国(岐阜県)の「関ヶ原の戦」(せきがはらのたたかい)には間に合わず参戦していない事も、戦況に何かしらの影響を与えている。

ONE MINUTE SILENCE /♪ HOLY MAN

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260117 - ラジオの友 URL

2026/01/17 (Sat) 00:27:32

◆◇◆其の九:細川氏とトヨタ自動車とくまモン◆◇◆

細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)は、「関ヶ原の戦」(せきがはらのたたかい)で武功を挙げて、徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)から論功行賞により豊前国(ぶぜん/福岡県)の小倉藩(こくらはん/北九州)の藩主に任命された。

父親の細川幽斎(ほそかわゆうさい)こと細川藤孝(ほそかわふじたか/室町→織田→豊臣→徳川)は隠居して、茶道や和歌を嗜(たしな)み静かな余生を過ごした。

そして1610年に順風満帆だった生涯に別れを告げた。

その前後の1600年の“九州の関ヶ原”にて、豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)の直参家臣で“天才軍師”と呼ばれた黒田官兵衛(くろだかんべえ)こと黒田孝高(くろだよしたか/小寺→織田→豊臣→徳川)に仕えていた宮本武蔵(みやもとむさし/黒田→剣術士)は、拠点を京都から筑前国(福岡県)に移していた。

郷里が共に播磨国(はりま/兵庫県)だった縁(えん)が、2人を結ばせたのかも知れない。

そして1612年に、豊前国(ぶぜん/福岡県)と長門国(山口県)の関門海峡にある巌流島(がんりゅうじま)に、宮本武蔵(みやもとむさし/黒田→剣術士)は小舟を漕いで向かっていた。

無人島の巌流島(がんりゅうじま)には、宿敵の佐々木小次郎(ささきこじろう/毛利→剣術士)が待ち構えている。

これが1612年に執り行われた「巌流島の戦」(がんりゅうじまのたたかい)である。

豊前国(ぶぜん/福岡県)の小倉藩(こくらはん/北九州)が領有する無人島の巌流島(がんりゅうじま)には、宮本武蔵(みやもとむさし/黒田→剣術士)と佐々木小次郎(ささきこじろう/毛利→剣術士)が対峙していた。

木刀を握る宮本武蔵(みやもとむさし/黒田→剣術士)に対して、佐々木小次郎(ささきこじろう/毛利→剣術士)は真剣(しんけん)の太刀(たち)だった。

結果は木刀の宮本武蔵(みやもとむさし/黒田→剣術士)が勝利する。

北九州から「巌流島の戦」(がんりゅうじまのたたかい)について記述がなされた書物が発見された。

宮本武蔵(みやもとむさし/黒田→剣術士)と佐々木小次郎(ささきこじろう/毛利→剣術士)が決闘して、宮本武蔵(みやもとむさし/黒田→剣術士)が勝利する所までは同じである。

この後に起こった出来事が少し違っていた。

佐々木小次郎(ささきこじろう/毛利→剣術士)は、宮本武蔵(みやもとむさし/黒田→剣術士)の一撃を受けて敗北したが、討死はしていなかった。

少し時が経ち佐々木小次郎(ささきこじろう/毛利→剣術士)は立ち上がる。

この時、勝利した宮本武蔵(みやもとむさし/黒田→剣術士)は、小舟を漕いで北九州に帰還している途中だった。

しかし、師匠の宮本武蔵(みやもとむさし/黒田→剣術士)を心配して見に来ていた数十人の門下生が、巌流島(がんりゅうじま)の岩場の影に隠れて、決闘の動向を見守っていたのだ。

師匠が勝利したものの、宿敵の佐々木小次郎(ささきこじろう/毛利→剣術士)が生きている事を目撃した宮本武蔵(みやもとむさし/黒田→剣術士)の数十人の門下生は、その場で佐々木小次郎(ささきこじろう/毛利→剣術士)を木刀で袋叩きにして撲殺してしまう。

後日、佐々木小次郎(ささきこじろう/毛利→剣術士)の門下生が、巌流島(がんりゅうじま)にて師匠が宮本武蔵(みやもとむさし/黒田→剣術士)の数十人の門下生に撲殺された事を知る。

佐々木小次郎(ささきこじろう/毛利→剣術士)の門下生は師匠の仇打ちの為に、血眼(ちまなこ)になって宮本武蔵(みやもとむさし/黒田→剣術士)を北九州一帯を探し回る。

これを知った宮本武蔵(みやもとむさし/黒田→剣術士)は身の危険を感じて、豊前国(ぶぜん/福岡県)の小倉藩(こくらはん/北九州)の藩主だった細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)の家臣で、北九州の門司城(もじじょう)の城代に就いていた沼田延元(ぬまたのぶもと/小倉)に匿(かくま)ってもらう。

ここまでの出来事は、北九州の沼田氏に伝わる“沼田家記”(ぬまたかき)に記載されている。

WELSHLY ARMS /♪ LISTEN UP

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260117 - ラジオの友 URL

2026/01/17 (Sat) 00:28:31

◆◇◆其の十:細川氏とトヨタ自動車とくまモン◆◇◆

征夷大将軍1代目の徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)と征夷大将軍2代目の徳川秀忠(とくがわひでただ/徳川)による江戸幕府の政権運営が開始され10年近く経った。

しかし、気掛かりなのは摂津国(大阪府)の大坂城(おおさかじょう)に居城する淀君(よどぎみ/浅井→豊臣)と豊臣秀頼(とよとみひでより/豊臣)で、1614年に起こった「大坂・冬の陣」と1615年に起こった「大坂・夏の陣」により、大坂城(おおさかじょう)を総攻撃して豊臣氏は滅亡した。

1620年に細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)は、豊前国(ぶぜん/福岡県)の小倉藩(こくらはん/北九州)の藩主を息子の細川忠利(ほそかわただとし/徳川)に引き継ぐ。

肥後藩(熊本県)の初代藩主に就任した加藤清正(かとうきよまさ/豊臣→徳川)の息子で2代目藩主だった加藤忠広(かとうただひろ/熊本)が、1632年に江戸幕府から謀反(むほん)の嫌疑が掛けられて領地没収の改易(かいえき)となる。

その跡目を細川忠利(ほそかわただとし/徳川)が引継ぎ、肥後国(熊本県)の熊本藩の初代藩主へ領地移転の転封(てんぽう)となった。

1640年に細川忠利(ほそかわただとし/徳川)は、昔に縁のあった宮本武蔵(みやもとむさし/黒田→剣術士)を客人として熊本藩に迎え入れる。

宮本武蔵(みやもとむさし/黒田→剣術士)の肥後国(熊本県)での生活は、剣を筆に持ち替えて水墨画などを描く画家に転身した。

その画量は剣と同様に一流の腕前で、多くの国宝級の絵画を残している。

1643年から、柳生新陰流の柳生宗矩(やぎゅうむねのり/剣術士)が著書した“兵法家伝書”を参照しながら、長年の武者修行を書き記(しる)した剣術の流儀の“五輪書”を1645年に完成させる。

“五輪書”には、大地の“地之巻”と、流体の“水之巻”と、情熱の“火之巻”と、成長の“風之巻”と、空虚の“空之巻”の全五巻から構成されている。

“五輪書”は、墓石や供養塔などの五輪塔(ごりんとう)の形状を流用している。

そんな宮本武蔵(みやもとむさし/黒田→剣術士)だが、“五輪書”を完成させた1645年に永い修行の旅を終えて静かに眠った。

宮本武蔵…『一理に達すれば、万法(ばんぽう)に通ず。』

1646年に細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)が死去する。

1649年に熊本藩の3代目藩主に細川忠利(ほそかわただとし/徳川)の孫の細川綱利(ほそかわつなとし/徳川)が就任した。

細川綱利(ほそかわつなとし/徳川)は熊本城の東部にて、1670年から水前寺成趣園(すいぜんじじょうじゅえん)の造園に尽力した。

水前寺清子(チータ)…『♪幸せは歩いて来ない、だから歩いてゆくんだね〜 一日一歩、三日で三歩、三歩進んで二歩下がる〜』

水前寺清子(チータ)…『♪人生は、ワンツーパンチ、汗かき、べそかき、歩こうよ〜 あなたの着けた足跡にゃ、綺麗な花が咲くでしょう〜』

水前寺清子(チータ)…『♪腕を振って、足を上げて、ワンツー、ワンツー、休まないで歩け〜 ソレ、ワンツー、ワンツー、ワンツー、ワンツー』(♪三百六十五歩のマーチ)

そして時は流れて現代では、細川氏の系統は熊本県知事や第79代内閣総理大臣に就任した日本新党の党首だった細川護煕(ほそかわもりひろ/新聞社→政治家→陶芸家)さんに引き継がれ、細川幽斎(ほそかわゆうさい)こと細川藤孝(ほそかわふじたか/室町→織田→豊臣→徳川)や細川三斎(ほそかわさんさい)こと細川忠興(ほそかわただおき/織田→豊臣→徳川)と同じ様に、陶芸家として芸術の世界で活躍されている。

RADIOHEAD /♪ PLANET TELEX

◆ラジオの友◆

■当サイトを閲覧するにあたり/20260116 - ラジオの友 URL

2026/01/16 (Fri) 23:53:13

閲覧者の義務として、このサイト内に掲載されている音楽の5曲以上をお好きなラジオ局にリクエストして下さい。

もし、リクエスト曲が掛かれば幸福度がアップします。

今日のラッキーソングはこれだっ!

大山百合香/♪光あるもの

◆ラジオの友◆

◆2025年/大阪ホットナンバー3(スリー)ミュージック◆ - ラジオの友

2025/12/11 (Thu) 09:50:53

君が歌えば、僕が踊る時、新しい音楽が生まれる。

インターネットの代わりにラジオを、テレビの代わりにライブハウスを、新しい音楽をリードする。

老いたる者には、過ぎし日の郷愁(きょうしゅう)を。

若人(わこうど)には、古(いにしえ)の幻(まぼろし)を。

今日も始まりました大阪ホットナンバー3(スリー)ミュージックの時間です。

素敵な音楽をあなたにお届けするミュージックオアシス。

では、大阪で流行っている最新の音楽をお届けします。

Re: ◆2025年/大阪ホットナンバー3(スリー)ミュージック◆ - ラジオの友

2025/12/11 (Thu) 09:51:47

「♪“いしん”をかけた大阪キャバクラ天国!!」

“いしん”をかけて性務活動する政治家に取って、大阪ミナミのキャバクラや風俗店は庭みたいなもんやぁ!

横に付いた新人のキャバ嬢には、議員バッチと札束をチラつかせ、スカートの中に手を入れてグッショリさせスタンバイOKやぁ!

その後、店のトイレに連行して、わしぃのブツ(肉棒)を頬張(ほおば)らせ、トドメはバックから一撃やでぇ!

ここに居るホステス全員は、政治家の有難い聖液入りのシャンパンを飲み干せぇ〜

おいマネージャー(黒服)、この会計は政務活動費で計上するから、書上(かきあげ/多め)した領収書を発行しろぉ!!

“いしん”をかけたわしぃらの仲間は、皆んな同じ様な事をやってんでぇ〜

“いしん”をかけたわしゃらに取って、女は男の性欲を満たす道具に過ぎんのやぁ〜

例え大臣であろうと、女やったらわしぃらのこの太くて長いブツ(肉棒)を、“いしん”をかけてぶち込んで手懐(てなず)けるでぇ〜!

“いしん”をかけた大阪キャバクラ天国!!

いしん、いしん、いしんをかけて、性務、性務、性務な活動!

“聖液”をかけた大阪キャバクラ天国!!

聖液、聖液、聖液をかけて、交尾、交尾、交尾な行為!

わしぃら地球上で“いしん”をかけて生きている卑俗(ひぞく)な生物は、何をやっても許されるんやぁ〜

“いしん”をかけて、わしぃらの聖液を飲み干し、地獄へ堕ちろぉ〜 ブハッハッハッハッ〜

わしぃら地球上で“いしん”をかけて生きている卑俗(ひぞく)な生物は、何をやっても許されるんやぁ〜

“いしん”をかけて、わしぃらの聖液を飲み干し、地獄へ堕ちろぉ〜 ブハッハッハッハッ〜

“いしん”をかけたわしぃら性治家の“せい”は、性行為の“性”ですねぇん!

Re: ◆2025年/大阪ホットナンバー3(スリー)ミュージック◆ - ラジオの友

2025/12/12 (Fri) 00:50:29

「♪お客様は神様じゃない/銀座の寿司屋編」

最近、カスハラ(カスタマーハラスメント)なんて言葉が流行っているが、ウチの寿司屋には無関係だ。

ウチのやり方に文句があるなら帰ってもらって、二度と来なくて結構だ!

この伝統ある銀座の寿司屋は、味と腕前と心構えに自信がある。

おい政(まさ)、そちらのカウンターのお客さんのオーダーを握ってくれ。

うちの寿司屋は鮮度に拘(こだ)り、新鮮な魚しか扱わないのが信条でしてね。

おい政(まさ)、そう言えばさっきクソしにいって、出てきた後に手を洗ったか?

なに、洗ってねえだと、今度から気をつけろよ!

おい政(まさ)、此処(ここ)に置いてあった鮮度が落ちた腐りかけの鯛はどうした?

なに、その鯛を握ってお客さんに出したって?

出しちまったものは仕方ない、今度から気をつけろよ!

理不尽で高圧的な態度のお客は、客じゃねえ!

お客様は神様じゃない、文句があるなら店から叩き出す!

意味不明の非常識なお客は、客じゃねえ!

お客様は神様じゃない、文句があるなら店から叩き出す!

Re: ◆2025年/大阪ホットナンバー3(スリー)ミュージック◆ - ラジオの友

2025/12/12 (Fri) 11:22:20

「♪大阪女子アナ物語、あなたの知らないテレビ業界!」

日本の歴史上、長年に渡り怨霊や悪霊が蔓延(はびこ)る大阪で、取り憑(つ)かれながら活躍している女子アナ達。

大阪女子アナのお腹には取り憑(つ)いた怨霊や悪霊が卵を産みつけているから、産まれてきた子供は生まれ付き怨霊や悪霊に呪い祟られてぇんねん。

大阪の下町にある古くて汚い食堂で食べさせられる料理の飲食レポートでも、表の感情と裏の心情を使い分けるのが女子アナの腕の見せ所。

テレビ的には『これぇ、メッチャ美味しい!』と言っているが、心の中では⦅うわぁ不味い、食えたもんやぁないわぁ!⦆と叫んでんねぇん。

大阪女子アナは皆んな綺麗で可愛い顔してるが、怨霊や悪霊の影響で腹の中は真っ黒やでぇ。

日々のニュースのネタ収集の為に、周辺の人へ怨霊や悪霊の拡散に余念(よねん)があらへぇん。

重大な事件や悲惨な事故が起こる事を願うのが、メディアとして本物のプロフェッショナルやでぇ。

特権階級に都合の悪いニュースは、絶対に報道しないのがメディアの鉄則やぁねん。

もし、情報が漏れても言葉の伝え方で修復し、アホォな視聴者への情報操作は大阪女子アナに採(と)ってお手のものやぁわ。

怨霊や悪霊に呪い祟られ、頭の中も気狂(きちが)い気味やぁから、このまま交番に行って警察官を襲撃しても無罪放免やなぁ。

大阪女子アナが振り撒(ま)いた怨霊や悪霊により、メディア業界の関係者(派遣社員、アルバイト含む)に降りそそぐ惨事に比べれば、巷(ちまた)の心霊現象による恐怖なんて蚊に刺された程度やぁで。

神様や仏様に見捨てられた大阪に全員集合して、皆んなで一緒に地獄に堕(お)ちようやぁ!

大阪女子アナ物語、あなたの知らないテレビ業界!

どうせあの世で地獄に堕(お)ちるなら、せならこの世でトコトン楽しまな損やで。

大阪女子アナ物語、あなたの知らないテレビ業界!

お正月の初詣は、どうせ神様は願い事を叶えてくれへぇんから、行っても無駄やねぇ〜ん!

Re: ◆2025年/大阪ホットナンバー3(スリー)ミュージック◆ - ラジオの友

2025/12/19 (Fri) 14:36:40

「♪俺たちの解散コンサート」

俺たちは有名なビッグスターに成りたくてバンドを組んだ。

ギターやベースも購入したばかりで、ドラムは組み立てるのが面倒だから無しにした。

バンド名は“アナールモンキー”に決定した。

楽譜も読めないし、作詞作曲の才能もなく、Fコードって何だ?

それでも俺たちは練習に励(はげ)む。

俺たちの解散コンサートに向けて。

俺たちのバンドが観客いっぱいの武道館を目に浮かべて。

そして俺は、こう叫ぶ!

『今日、俺たちの為に集まってくれた大勢の皆んなに悲しい知らせがある。 俺たちのバンドは本日をもって解散する! 俺たちのラストライブを目に焼き付けて帰ってくれぇ!』

日々の練習は、この台詞(セリフ)を覚えてスラスラ言う事だ。

俺たちのバンドはファン交流活動の為にインターネットで動画配信している。

閲覧件数は身内が観てくれたが、全て10件以下で更新もやめた。

でも、俺たちには夢がある。

日々の生活を送るのに、今はコンビニでアルバイトしているが、いつかは正社員になる夢がある!

俺たちの夢は、バイトから正社員に昇格する事だぁ!

俺たちの夢は、バイトから正社員に昇格する事だぁ!

Re: ◆2025年/大阪ホットナンバー3(スリー)ミュージック◆ - ラジオの友

2025/12/21 (Sun) 09:20:51

「♪速いぞ夢の超特急、ゴーゴー新幹線!」

東西に長い日本列島を駆け抜ける、夢の超特急の新幹線。

北海道から九州まで一直線に結ばれた日本の主軸だ!

まだまだ新幹線は今後もドンドンと延びていくよ。

日本の大動脈でもある東京と名古屋を結ぶリニア中央新幹線に期待が膨らむね。

福井県の敦賀駅(つるがえき)から日本海に沿って駆け抜ける山陰新幹線は、九州は福岡の博多駅まで結ばれる。

山陰地方を統治する須佐之男命(スサノオ)や、島根県の出雲大社の主祀でもある大穴牟遅神(オオナムチ)こと大国主(オオクニヌシ)も大喜び。

山陽地方の岡山駅から瀬戸内海の上を通る瀬戸大橋を渡り、四国をグルリと環状線でつなぐ四国新幹線。

香川県の出身の弘法大師(こうぼうだいし)こと空海(くうかい/真言宗)や、平安時代末期に香川県に配流(はいる)された第75代天皇の崇徳天皇(すとくてんのう/朝廷)も楽しみにしている。

ところが、この新幹線計画を妨害する輩(やから)が現れた!

日本国民の混乱を招く様な複雑怪奇な暴政(ぼうせい)を掲げ、日本の発展を“いしん”を掛けて阻止しようとする悪党。

我田引水(がでんいんすい)なややこしい計画を提示した“いしん”を掛けた組織を許さない!

山陰新幹線の延伸を邪魔する悪党は、“天界の暴れん坊”の異名を持つ須佐之男命(スサノオ)が悪党一族を征伐するだろう!

四国新幹線の延伸を邪魔する悪党は、“平安最大の怨念”の異名を持つ崇徳天皇(すとくてんのう/朝廷)の詔勅(しょうちょく)により悪霊や怨霊が悪党一族を地獄に引き摺(ず)り堕(お)とすだろう!

これで日本国民も新幹線も安心だね。

速いぞ夢の超特急、ゴーゴー新幹線!

速いぞ夢の超特急、ゴーゴー新幹線!

Re: ◆2025年/大阪ホットナンバー3(スリー)ミュージック◆ - ラジオの友

2025/12/21 (Sun) 09:52:08

「♪誰もが憧れる東京シティボーイ」

俺は生まれも育ちも東京は板橋区のシティボーイ。

平成初期までは経営者の父親の元で、家族は裕福な生活を送っていた。

ところがバブル崩壊で、事業に失敗した父親は未だに行方不明。

そのお陰で母親は、赤羽のスナックでホステスをしながら俺を育てた。

成人した俺は中野区で、憧れの一人暮らしを始めた。

シティボーイは独立心が旺盛だ。

日々の食事も外食し、近所のお洒落なイタリアンレストランが俺の行きつけだ。

ところがイタリアンレストランがオープンしてから、3ヶ月後にはコンビニに代わっていた。

シティボーイはファッションにお金を惜しまない。

代官山の服屋でオーナーが薦めた一点物のコートを購入した。

家に帰ってコートを見たら裏地が破れていたので、数日後に交換に行ったら服屋は潰れていた。

シティボーイは見た目を大切にしている。

髪型には拘(こだわ)り、表参道の美容院でカリスマ美容師にカットしてもらっている。

そこのカリスマ美容師がトイレで女性客を盗撮していて逮捕され、美容院もそのまま閉店した。

シティボーイは当然に彼女が居る。

可愛い彼女から嘆願され、高額な宝石を買わされたと思ったらロマンス詐欺だった。

ダイヤモンドと説明を受けた宝石も、鑑定したらガラス玉だった。

シティボーイは首都圏の複雑な鉄道を乗りこなす。

通勤で朝の混雑するオレンジ色の中央線に乗っていたら、隣の女性から痴漢に間違われ警察に連行された。

心当たりは無いが、警察の執拗(しつよう)な取調べで容疑を認めた。

シティボーイは過(あやま)ちに対しての筋は通す。

痴漢を訴えた女性に示談金を支払う為に、インターネットから手っ取り早く稼げるアルバイトに応募した。

指定された家に行って、お年寄りから封筒を預かるだけの簡単な仕事だったが、お年寄りのお宅に訪問して封筒を受け取ったら警察に連行された。

シティボーイは時には刑務所(ムショ)暮らしをする事もある。

そこで男の味を叩き込まれた。

刑務所(ムショ)を出所した後、新宿二丁目で働いており、もう、昔の俺には戻れない。

薔薇色な人生が待っている大都会の東京!

誰もが憧れる東京シティボーイ!

皆んなもおいでよ、首都の東京へ!

誰もが憧れる東京シティボーイ!

Re: ◆2025年/大阪ホットナンバー3(スリー)ミュージック◆ - ラジオの友

2025/12/24 (Wed) 11:05:44

「♪なにわ兄弟挽歌(きょうだいばんか)」

僕の家族は大阪の市営住宅で暮らす貧困な家庭です。

僕は10歳になったばかりで、8歳の弟と小学校に通っている。

お父さんはギャンブルとお酒の日々で、仕事はしていない。

その為にお母さんがパートで働いて、僕たちの生活を支えている。

あるクリスマスの日に、お父さんが鶏(ニワトリ)1羽を抱えて酔っ払って帰ってきた。

お母さんがその鶏(ニワトリ)でチキンの丸焼きを作ってくれ、その夜は人生で初めての細(ささ)やかなクリスマスディナーを体験した。

弟と喜んでチキンを美味しく食べようとした、その時だった。

近所のおじさんが怒鳴(どな)り込んできて、そのおじさんの飼っている鶏(ニワトリ)をお父さんが盗んだと言う。

おじさんはチキンの丸焼きを見て、酔っ払って酩酊(めいてい)状態のお父さんをブン殴り、鼻血を垂らして倒れるお父さんを見て弟は泣き出した。

お母さんは頭を下げておじさんに謝っている。

そして正月が明けてから直ぐに、お母さんが僕たちを置いて家から出て行き、二度と戻ってこなかった。

その後、酔っ払ったお父さんも行方知(ゆくえし)れずとなった。

僕と弟は2人だけで家に残され、食べる事も出来なかった。

学校にも行かず家に引き篭(こ)もり、空腹と寂しさを子供2人だけで堪(た)える日々を送った。

ある日、朝起きると横で寝ていた弟が目を覚さない。

弟を揺すっても動かず、息もしていない。

僕は弟をそのまま寝かせて、ずっと傍(かたわら)で座って弟の寝顔を眺めていた。

外では選挙の立候補者が『1人1人の大阪府民の為に“いしん”を掛けて良い暮らしを実現させます。』と叫んでいる。

それから僕も意識が遠退(とおの)き、気付いたら真っ青な空の下の草原で、弟と手をつないで立っていた。

そしたら向こうから、白い服を着た老人が迎えに来てくれた。

そして僕と弟を明るく暖かい天界に連れて行ってくれた。

何の苦痛もない天界に来て、弟は嬉しそうな顔をしている。

ほんの僅(わず)かな人生だっけど、これで良いと思っている。

今、この天界に来たら、あの過去に帰りたいと思う気持ちは湧かない。

過去に帰ってどうするのか、なにわ兄弟挽歌(きょうだいばんか)。

今、この天界に立つと、あの頃に戻りたいと思う気持ちは1つも無い。

あの頃に戻っても良くはならない、なにわ兄弟挽歌(きょうだいばんか)。

昔が良かったと思うのは、今まで何もしてこなかった表(あらわ)れでもある。

Re: ◆2025年/大阪ホットナンバー3(スリー)ミュージック◆ - ラジオの友

2025/12/25 (Thu) 12:56:55

「♪大阪女子アナ(穴)、そこまでイッていいんかい!」

イクッイクッイクッイクッ、イクッイクッイクッイクッ、イッちゃう〜

指先が器用なディレクターに、穴の出入口付近の上部を刺激されると、5分も持たずにイッちゃうねぇ〜ん。

大阪女子アナ(穴)、そこまでイッていいんかい!

イクッイクッイクッイクッ、イクッイクッイクッイクッ、イッちゃう〜

芸能人の顔が下部に移動して、その舌が高速回転すると、秘液が溢れ出てイッちゃうねぇ〜ん。

大阪女子アナ(穴)、そこまでイッていいんかい!

イクッイクッイクッイクッ、イクッイクッイクッイクッ、イッちゃう〜

政治家に背後(うしろ)から抱えられ、足を絡(から)めて強く出し入れされると、奥に突き刺さった時にイッちゃうねぇ〜ん。

大阪女子アナ(穴)、そこまでイッていいんかい!

イクッイクッイクッイクッ、イクッイクッイクッイクッ、イッちゃう〜

CMスポンサー様に馬乗りになって、ロデオの様に腰を激しく上下前後に動かすと、頂点に達してイッちゃうねぇ〜ん。

イクッイクッイクッイクッ、イクッイクッイクッイクッ、イッちゃう〜

でもやっぱり、正攻法で役員に責められると、役員と瞳が重なった時にイッちゃうねぇ〜ん。

大阪女子アナ(穴)、そこまでイッていいんかい!

Re: ◆2025年/大阪ホットナンバー3(スリー)ミュージック◆ - ラジオの友

2025/12/26 (Fri) 08:48:54

「♪国賊必見!“いしん”を掛けた大阪財テク(蓄財テクニック)」

わてぇらは“いしん”を掛けて社団法人の理事をしてぇまんねぇん。

社団法人に会費を支払へば社会保険料負担額を最低水準に落とす事が可能との勧誘を受けましぇん。

社団法人の担当者から、コスト削減提案で年間80万円もお得と言われましてぇ、わてぇらは“いしん”を掛けて飛び付きましてぇん。

社団法人は、公的制度に関する理解や知識の向上を図ること等を目的として設立した法人であり、脱法違法スキームの勧誘や助長の言われに遺憾の意を表してましてぇん。

知識向上に研鑽(けんさん)頂く事など、ご立派な言葉を並べられても、お頭(つむ)の弱いアホォなわてぇらは、何を言うてぇるか解りませんけどなぁ、銭(ゼニ/お金)が儲かればそれでぇよろしいわぁ。

こうして日本にとって悪害でしかない国賊は、八百万(やおよろず)の神により、誰でも簡単に地獄に堕(お)ちる事ができまっせぇ。

国賊必見!“いしん”を掛けた大阪財テク(蓄財テクニック)で地獄に堕(お)ちまひょ!

中国の植民地の大阪は、“いしん”を掛けて日本の制度を遵守(じゅんしゅ)する必要はあらへぇん。

中華民族の奴隷の大阪人は、中国に対して“いしん”を掛けて畏敬の念(いけいのねん)を抱き、日本に対して“いしん”を掛けて憎悪(ぞうお)を剥き出しにせなアカン!

日本は過去の過ちに対して中国に謝罪をすべきと、大阪人は“いしん”を掛けて声を高める必要があるでぇ!

ただ、2019年頃から中国はコロナウイルスを世界に撒(ま)き散らした謝罪は必要ないと、大阪人は“いしん”を掛けて声を大にして叫ぶ必要もあるでぇ!

大阪人は、武漢の華南海鮮卸売市場と大阪市中央卸売市場が、酷似(こくじ)している事に誇りを持ってんねぇん。

国賊必見!“いしん”を掛けた大阪財テク(蓄財テクニック)。

この世で八百万(やおよろず)の神により悪霊や怨霊に取り憑(つ)かれても、大阪人は願ったり叶(かな)ったりで平気やぁでぇ!

国賊必見!“いしん”を掛けた大阪財テク(蓄財テクニック)。

あの世で閻魔大王(えんまだいおう)に地獄に叩き堕(お)とされても、大阪人は怖い事あらへぇん!

Re: ◆2025年/大阪ホットナンバー3(スリー)ミュージック◆ - ラジオの友

2025/12/29 (Mon) 09:51:29

「♪お客様は神様じゃない/24時間営業の牛丼屋編」

美味しくて速攻提供で安価な牛丼屋。

どこの街にもあり、大変に便利で庶民の味方だ!

僕はこの牛丼屋でアルバイトをしてから10年が経とうとしている。

今ではバイトリーダーにまで昇格した。

牛丼屋の隅々まで知り尽くした僕だからこそ言う。

お客様は神様じゃない!

1人で来店して、4人掛けのテーブル席に座るな!

1人掛けのカウンターに座るのが、お客様の常識と配慮だ!

野郎(男)2人で来るのはいいが、ペチャクチャ喋ってないで、食べたらさっさと帰れ!

ウチは喫茶店じゃないんだ!

牛丼屋はお客様の回転率で売上を確保しているんだ!

おいそこの若造、スマートフォンを片手に持ち、画面を見ながら牛丼を食べるな!

牛丼を食べるか、スマートフォンを操作するか、どちらかにしろ!

ゲームをやりながら、同時に牛丼を食べるなど言語道断だ!

お前の親は、食事のマナーを教えてこなかったのか!?

牛丼を食べ終えたサラリーマン!

たった500円ほどの牛丼に、1万円札で支払うな!

千円札が足りないんだ!

なに、持ち帰り牛丼が豚丼になっていた!?

中身があるだけでも有難いと思え!

そう言う運命と思い、豚丼を黙って食べろ!

お客様は神様じゃない!

Re: ◆2025年/大阪ホットナンバー3(スリー)ミュージック◆ - ラジオの友

2026/01/16 (Fri) 00:26:48

「♪大阪少女恋唄」

十代の私が、80歳を超える貴方に出逢って一目惚れした。

男と女の恋愛に年齢差は関係ない。

素敵な貴方にシンパシーを感じたの。

これが本当で本物の愛よ。

数千坪の屋敷に、数十億円を超える預金など、そんな事はどうでもいいの!

貴方さえ傍(そば)に居てくれたら。

高級ブランドの服や宝石を梅田の百貨店で購入して着飾っているのは、綺麗にしている私を見て貴方が喜ぶからよ。

決して私の欲望ではないの。

少しでも貴方の役に立ちたくて、送り迎え用にドイツの高級車を3台ほど予約しておいたわ。

貴方の身体の為に、毎日の料理は私が作る。

唐揚げとトンカツと天ぷらのローテーションで決まりね。

カロリー高めで美味しく出来たから、残さずタップリと食べてね。

80代の高齢の身体に堪(こた)えるなんて言わないで。

私の愛情がたっぷりと注入された料理よ。

大阪少女恋唄、素敵な喪服(もふく)は既に用意してあるわ

大阪少女恋唄、相続する財産の使い道もファイナンシャルプランはバッチリよ。

今日の1枚、お薦めレコード/20260116 - ラジオの友 URL

2026/01/16 (Fri) 00:08:12

◆◇◆其の一:サトウキビ畑を抜けた海が見える丘、その青空の下で飲むソーダ水、琉球(沖縄)で過ごす至福の日々◆◇◆

●1200年頃(鎌倉時代) グスク(お城)時代

日本列島が紀元前(BC)の狩猟文化の縄文時代から紀元後(AD)の稲作文化の弥生時代に移行し、その後に中国大陸や朝鮮半島から異国人が大海を船で渡航して文化や文明を伝来する古墳時代や飛鳥時代が到来する。

そして、大和国(奈良県)を中心に朝廷が組織され日本列島を統治する奈良時代や平安時代を迎える。

その頃の沖縄列島は、まだ狩猟文化が定着していた。

周囲を海に囲まれた小さな島国の為に、新鮮な魚や貝が豊富に採れ、温暖な気候から森林には果物などが多く実り、食糧に困窮(こんきゅう)する事がなかったのが理由である。

その生活環境を一変させたのが、日本の船がアジア大陸へ向かう途中に沖縄列島に立ち寄り、そこで稲作などの農耕文化を伝授した事で、農業が発展し安定して食料が収穫できる為に人口も増加した。

これにより沖縄列島の各地には、集落で村を統治する按司(あじ)や世の主(よのぬし)が登場した。

按司(あじ)や世の主(よのぬし)を中心とした集落は、他の土地に侵攻したり、備蓄食糧を防衛する為にグスク(お城)を築城する様になる。

これが1100年頃のグスク(お城)時代である。

SAVOY BROWN /♪ WHEN IT RAINS

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260116 - ラジオの友 URL

2026/01/16 (Fri) 00:09:08

◆◇◆其の二:サトウキビ畑を抜けた海が見える丘、その青空の下で飲むソーダ水、琉球(沖縄)で過ごす至福の日々◆◇◆

●1200年頃(鎌倉時代) グスク(お城)時代

沖縄本島の中西部に位置する中山(ちゅうざん)の浦添(うらぞえ)では、古来より琉球国(りゅうきゅうこく)の祖と言われる王族系統の天孫氏(てんそんうじ)が統治していた。

そこから幾年(いくとせ)が過ぎ、25代目王族の天孫(てんそん/中山)は、家臣だった利勇(りゆう/中山)に毒殺された。

梟雄(きょうゆう)で名高い利勇(りゆう/中山)は王位に就任して、暴君(ぼうくん)の悪政(あくせい)で浦添(うらぞえ)を支配した。

その頃の浦添(うらぞえ)には、少年期の舜天(しゅんてん/中山)が母親と共に暮らしていた。

この舜天(しゅんてん/中山)だが、父親は源為朝(みなもとためとも/朝廷→上皇)との伝説がある。

平安時代末期の京都の平安京にて、第75代天皇だった崇徳上皇(すとくじょうこう/朝廷→上皇)と第77代天皇の後白河天皇(ごしらかわてんのう/朝廷→天皇)が朝廷の政権運営を巡り争いが起こり、崇徳上皇(すとくじょうこう/朝廷→上皇)には、父親の源為義(みなもとためよし/朝廷→上皇)と弟の源為朝(みなもとためとも/朝廷→上皇)などが加勢し、後白河天皇(ごしらかわてんのう/朝廷→天皇)には、兄の源義朝(みなもとよしとも/朝廷→天皇→源氏)と平清盛(たいらきよもり/朝廷→天皇→平氏)が加勢した。

こうして1156年に起こったのが「保元の乱」(ほうげんのらん)で、崇徳上皇(すとくじょうこう/朝廷→上皇)の軍隊は敗北し、加勢した武将や公家は処刑されるなどされたが、源為朝(みなもとためとも/朝廷→上皇)は伊豆国(静岡県)の伊豆大島に配流(はいる)となった。

ところが源為朝(みなもとためとも/朝廷→上皇)を乗せた船は南西部の沖縄列島に着港し、こうして中山(ちゅうざん)の浦添(うらぞえ)の周辺で暮らしていた。

その時に出会った女性と結婚して、誕生したのが舜天(しゅんてん/中山)だった。

それから間もなくして源為朝(みなもとためとも/朝廷→上皇)は、妻と息子の舜天(しゅんてん/中山)を残して日本に帰国した。

この舜天(しゅんてん/中山)の歴史は伝説としているが、江戸時代には曲亭馬琴(きょくていばきん/作家)が黄表紙(きびょうし)の“椿説弓張月”(ちんせつゆみはりづき)を執筆して発刊し、挿絵(さしえ)は葛飾北斎(かつしかほくさい/浮世絵師)が描いた事で、江戸町人には大いに好評だったと言われる。

少年期の舜天(しゅんてん/中山)は頭にタンコブがあり、それを隠す為に髪を結(ゆ)ってお団子にした事から、琉球国(りゅうきゅうこく)の“かたかしら”と言う髪型となる。

青年期になった舜天(しゅんてん/中山)は、領民から慕われ浦添(うらぞえ)の按司(あじ)に就任した。

しかし、琉球国(りゅうきゅうこく)の国王に就いていた梟雄(きょうゆう)で名高い利勇(りゆう/中山)は、悪政(あくせい)で領民を苦しめていた。

これにより憤懣(ふんまん)した舜天(しゅんてん/中山)などが軍事クーデターを起こし、国王の利勇(りゆう/中山)を征伐した。

そして領民から推薦され舜天(しゅんてん/中山)が1187年に琉球国(りゅうきゅうこく)を建国して初代国王に就任した。

THE SOURCE&CANDI STATON /♪ YOU GOT THE LOVE

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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260116 - ラジオの友 URL

2026/01/16 (Fri) 00:10:04

◆◇◆其の三:サトウキビ畑を抜けた海が見える丘、その青空の下で飲むソーダ水、琉球(沖縄)で過ごす至福の日々◆◇◆

●1200年頃(鎌倉時代) グスク(お城)時代

中山(ちゅうざん)の浦添(うらぞえ)にある伊祖(いそ)では、母親の胎内に太陽が宿り1229年に英祖(えいそ/伊祖→中山)が誕生して、“太陽の子”(てだこ)と呼ばれる様になる。

青年期の英祖(えいそ/伊祖→中山)は、伊祖(いそ)の按司(あじ)に就任して、領域を統治して地域の発展に尽力していた。

その頃の王朝は、舜天(しゅんてん/中山)の孫の義本(ぎほん/中山)が、1249年に3代目国王に就任した。

しかし、中山(ちゅうざん)の浦添(うらぞえ)を中心とした琉球国(りゅうきゅうこく)は、疫病や飢饉で疲弊(ひへい)していた。

困った国王の義本(ぎほん/中山)は、善政(ぜんせい)を実施して評判の高い英祖(えいそ/伊祖→中山)に、琉球国(りゅうきゅうこく)の国王として就任して欲しいと嘆願した。

琉球国(りゅうきゅうこく)の家臣の身分だった英祖(えいそ/伊祖→中山)は固辞したが、それでも義本(ぎほん/中山)から頼まれた為に、日本の朝廷の摂関政治の様な代理で政権運営を担う事にした。

それから琉球国(りゅうきゅうこく)から疫病や飢饉は無くなり、平穏な日々が戻ってきた。

この事で国王の義本(ぎほん/中山)は、正式に王位継承する様に英祖(えいそ/伊祖→中山)に勅命(ちょくめい)を出す。

こうして1259年に英祖(えいそ/伊祖→中山)は、英祖氏(えいそうじ)の初代国王として琉球国(りゅうきゅうこく)の王位を譲位を受けた。

英祖(えいそ/伊祖→中山)の評判は沖縄列島にも伝わり、奄美大島(あまみおおしま)をはじめ周囲の島々から貢(みつ)ぎ物を持参して使節(しせつ)が訪れた。

この頃に日本から仏教が伝来し、浦添城(うらそえじょう)の一画に寺院を建立(こんりゅう)して、英祖(えいそ/伊祖→中山)は仏教を信仰した。

この時期の日本では、鎌倉幕府による政権運営が実施されていた。

執権8代目の北条時宗(ほうじょうときむね/鎌倉)の頃に、中国大陸の元(げん/モンゴル帝国)からチンギスカン(モンゴル皇帝)の孫のフビライハン(元皇帝)が指揮する元軍(モンゴル軍)が軍艦で九州に侵攻してきた。

これを1274年に起こった「文永の役」(ぶんえいのえき)または第1次の元寇(げんこう/蒙古襲来)と、1281年に起こった「弘安の役」(こうあんのえき)または第2次の元寇(げんこう/蒙古襲来)と呼ぶ。

結果的に元軍(モンゴル軍)の侵攻は、穏やかな玄界灘(げんかいなだ)を乱し汚したとして、筑前国(福岡県)の宗像大社(むなかたたいしゃ)に祀られる主祭神の天誅(てんちゅう)により元軍(モンゴル軍)は滅亡された。

この元軍(モンゴル軍)は軍艦で航海する途中で、瑠求(りゅうきゅう/台湾)もしくは琉球国(りゅうきゅうこく)にも侵攻しているが、どちらの国かは判明していない。

その後に国王の英祖(えいそ/伊祖→中山)はは、浦添城(うらそえじょう)が建つ丘陵(きゅうりょう)の中腹にあるガマ(洞窟)に、英祖氏(えいそうじ)の一族が納められる墓陵の“ようどれ”を築いた。

その後に、沖縄列島の各地には点在していた集落は戦争により統合され、沖縄本島の北部から北山王国(ほくざんおうこく)と中山王国(ちゅうざんおうこく)と南山王国(なんざんおうこく)の三国に集約された。

これが1300年頃の三山時代(さんざんじだい/沖縄三国志)である。

ここから沖縄本島では、三王国による戦争が繰り広げられる。

DE'WAYNE FEAT.I DONT KNOW HOW BUT THEY FOUND ME /♪ FOREVER

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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260116 - ラジオの友 URL

2026/01/16 (Fri) 00:11:02

◆◇◆其の四:サトウキビ畑を抜けた海が見える丘、その青空の下で飲むソーダ水、琉球(沖縄)で過ごす至福の日々◆◇◆

●1300年頃(室町時代) 三山時代(さんざんじだい/沖縄三国志)

1300年頃の琉球国(りゅうきゅうこく)の間切(まぎり/宜野湾)にある神聖な泉で、天女が入浴していた時に、木の枝に掛けていた羽衣(はごろも)が村人の男性に盗まれた。

羽衣(はごろも)が無ければ天界に帰る事ができない天女は、宜野湾(ぎのわん)の村人の男性と結婚する事にした。

そして1321年に2人から誕生したのが察度(さっと/中山)だった。

この“天女伝説”の逸話は日本各地にも多く残っており、羽前(うぜん/山形県)の最上義光(もがみよしあき/最上→豊臣→徳川)の家臣になった怪力で名高く天童八楯(てんどうやつだて/最上八楯)と呼ばれた延沢満延(のべさわみつのぶ/延沢→最上)の母親も羽衣天女(はごろもてんにょ)だった。

青年期の察度(さっと/中山)は怠け者で、その地域でも尾張国(愛知県)の織田信長(おだのぶなが/織田)と同じ様に“大うつけ”(大バカ者)と呼ばれていた。

ある時に、地域の按司(あじ)の娘が婿(むこ)を探している情報を聞きつけた察度(さっと/中山)は求婚した。

周囲は“大うつけ”(大バカ者)の察度(さっと/中山)の愚行に失笑したが、ところが按司(あじ)の娘は婚姻に承諾したのである。

ただ、結婚しても察度(さっと/中山)の怠け者は変わらず、貧困な生活は続いていた。

ある時に農作業をしていた娘が、その土地から金塊が出る事を発見した。

これを察度(さっと/中山)に報告すると、何とその周囲には金鉱山が眠っており、その価値を知らなかった察度(さっと/中山)は、一夜にして大金持ちになった。

この潤沢な資金で中国大陸や日本などと貿易をする様になり、更に地域の領民には土地と農具を貸し与えて荘園(しょうえん)の領主にも就いた。

こうして察度(さっと/中山)は浦添(うらぞえ)の按司(あじ)に就任した。

そして三山時代(さんざんじだい/沖縄三国志)の1350年に、英祖氏(えいそうじ)の後継者として察度(さっと/中山)は中山王国(ちゅうざんおうこく)の国王に就任する。

1368年に中国大陸では元(げん/モンゴル帝国)が滅亡し明(みん)が建国された。

中山王国(ちゅうざんおうこく)に中国大陸の明(みん)から使節(しせつ)が訪れ、洪武帝(こうぶてい)こと朱元璋(しゅげんしょう/明皇帝)の国書を渡され、明(みん)に従属(じゅうぞく)して交易する様に伝えられる。

国王の察度(さっと/中山)も明(みん)に服従(ふくじゅう)する事に困惑したが、琉球国(りゅうきゅうこく)が初めて大国と付き合う事により、文化文明の伝来で発展すると考えて了承する。

こうして中国大陸の明(みん)からの冊封(さくほう)と、琉球国(りゅうきゅうこく)の中山王国(ちゅうざんおうこく)からの朝貢(ちょうこう)による主従関係の起請文(きしょうもん/誓約書が締結された。

そして、察度(さっと/中山)の弟の泰期(たいき/中山)を、中山王国(ちゅうざんおうこく)から明(みん)への使節(しせつ)として渡航させ、皇帝の洪武帝(こうぶてい)こと朱元璋(しゅげんしょう/明皇帝)と謁見(えっけん)した。

こうして琉球国(りゅうきゅうこく)の中山王国(ちゅうざんおうこく)は港湾の整備と造船に尽力し、中国大陸や朝鮮半島などと交易で結び付く貿易国としての地位を高めていく。

ARIANA GRANDE /♪ Popular Song

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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260116 - ラジオの友 URL

2026/01/16 (Fri) 00:12:02

◆◇◆其の五:サトウキビ畑を抜けた海が見える丘、その青空の下で飲むソーダ水、琉球(沖縄)で過ごす至福の日々◆◇◆

●1300年頃(室町時代) 三山時代(さんざんじだい/沖縄三国志)

1400年頃に南山王国(なんざんおうこく)では、国王の他魯毎(たるみい/南山)が統治していた。

その南山王国(なんざんおうこく)にある地方の按司(あじ)に就いていた尚思紹(しょうししょう/南山→琉球)と息子の尚巴志(しょうはし/南山→琉球)は、隣国の中山王国(ちゅうざんおうこく)に侵攻して、国王の武寧(ぶねい/中山)を討伐して征服する。

これを1406年に起こった「中山侵攻」(ちゅうざんしんこう)と呼ぶ。

更に尚思紹(しょうししょう/南山→琉球)と息子の尚巴志(しょうはし/南山→琉球)は、軍隊を北進させて北山王国(ほくざんおうこく)に侵攻して、国王の攀安知(はんあんち/北山)を討伐して、居城だった今帰仁城(なきじんじょう)を落城させ征服する。

これを1416年に起こった「北山侵攻」(ほくざんしんこう)と呼ぶ。

そして1429年に南山王国(なんざんおうこく)では、尚思紹(しょうししょう/南山→琉球)と息子の尚巴志(しょうはし/南山→琉球)は謀反(むほん)を起こし、国王の他魯毎(たるみい/南山)は失脚して南山王国(なんざんおうこく)は乗っ取られる。

こうして100年間ほど続いた三山時代(沖縄三国志)が終焉(しゅうえん)し、父親の尚思紹(しょうししょう/南山→琉球)が第一初代国王が就任し、息子の尚巴志(しょうはし/南山→琉球)が第一2代目国王(初代琉球王)に就任して、1429年に琉球王国が建国された。

しかし、統一国家の琉球王国では、王位を巡り内部騒乱が続く事になる。

BILLY PRESTON /♪ LISTEN TO THE WIND

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260116 - ラジオの友 URL

2026/01/16 (Fri) 00:13:02

◆◇◆其の六:サトウキビ畑を抜けた海が見える丘、その青空の下で飲むソーダ水、琉球(沖縄)で過ごす至福の日々◆◇◆

●1400年頃(室町時代) 第一次琉球王国

尚巴志(しょうはし/中山→琉球)の息子の尚忠王(しょうちゅうおう/琉球)が、1440年に第一3代目国王(2代目琉球王)として即位した。

軍略家として能力の高い尚忠王(しょうちゅうおう/琉球)は、「北山侵攻」(ほくざんしんこう)の際に今帰仁城(なきじんじょう)を落城させる武功をお挙げている。

しかし、王位継承から4年後の1444年に薨御(こうぎょ)した。

続いて尚忠王(しょうちゅうおう/琉球)の息子の尚思達(しょうしたつ/琉球)が、1445年に第一4代目国王(3代目琉球王)として即位した。

調略家として能力の高い尚思達(しょうしたつ/琉球)は、1447年に沖縄列島の北東部に浮かぶ奄美大島(あまみおおしま)に侵攻して征服した。

しかし、王位継承から4年後の1449年に薨御(こうぎょ)し、王位継承する嫡男(ちゃくなん)が居なかった。

その為に叔父に当たる第一2代目国王(初代琉球王)だった尚巴志(しょうはし/中山→琉球)の息子の尚金福(しょうきんぷく/琉球)が、1450年に第一5代目国王(4代目琉球王)として即位した。

尚金福(しょうきんぷく/琉球)は、沖縄本島の那覇の港湾を整備して、中国大陸や朝鮮半島などの外国と貿易による取引関係を構築する。

しかし、王位継承から3年後の1453年に薨御(こうぎょ)した。

通常は嫡男(ちゃくなん)の尚志魯(しょうしろ/琉球)が王位継承者に任命されるが、叔父に当たる第一2代目国王(初代琉球王)だった尚巴志(しょうはし/中山→琉球)の息子の尚布里(しょうふり/琉球)と王位継承を巡り紛争となり討死した。

これを1453年に起こった「志魯布里の乱」(しろふりのらん)と呼ぶ。

一方の紛争に勝利した尚布里(しょうふり/琉球)も、戦争責任により王位継承権を剥奪され、琉球王国から追放された。

この紛争で首里城(しゅりじょう/那覇)が炎上して焼失している。

この後の琉球王国は王位継承者だった尚志魯(しょうしろ/琉球)が死去した事で、再び王位継承する者が不在となった。

THE FLAMING LIPS /♪ DO YOU REALIZE??

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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260116 - ラジオの友 URL

2026/01/16 (Fri) 00:14:05

◆◇◆其の七:サトウキビ畑を抜けた海が見える丘、その青空の下で飲むソーダ水、琉球(沖縄)で過ごす至福の日々◆◇◆

●1450年頃(室町時代) 第一次琉球王国

そこで白羽の矢が当たったのが、第一2代目国王(初代琉球王)だった尚巴志(しょうはし/中山→琉球)の息子の尚泰久(しょうたいきゅう/琉球)である。

当初は王位継承を固辞していた尚泰久(しょうたいきゅう/琉球)は、後々の第二初代国王に就任する重鎮家臣の金丸(かなまる)こと尚円王(しょうえんおう/農民→琉球)や、琉球王国の勝連城(かつれんじょう/うるま)の城主で按司(あじ)に就いていた阿麻和利(あまわり/勝連)に推奨され、1454年に第一6代目国王(5代目琉球王)に即位した。

勝連城(かつれんじょう/うるま)の城主で按司(あじ)の阿麻和利(あまわり/勝連)は、第一6代目国王(5代目琉球王)の尚泰久(しょうたいきゅう/琉球)の娘の百度踏揚(ももとふみあがり/琉球→勝連)を妻に娶(めと)っていた。

その時に尚泰久(しょうたいきゅう/琉球)の家臣だった“鬼大城”(うにうふぐしく)と呼ばれた越来賢雄(ごえくけんゆう/琉球)が、百度踏揚(ももとふみあがり/琉球→勝連)の侍従(じじゅう)として勝連城(かつれんじょう/うるま)に同行している。

阿麻和利(あまわり/勝連)の幼少期は病弱で歩く事ができず、両親が山へ捨てた捨て子だったと言う。

琉球王国の国王に就いた尚泰久(しょうたいきゅう/琉球)は、安定安心の穏やかな政権を司り、重鎮家臣の護佐丸(ごさまる/琉球)の娘を妻に娶(めと)り、臨済宗(りんざいしゅう)を信仰し首里城(しゅりじょう/那覇)に梵鐘(ぼんしょう)を設置している。

護佐丸(ごさまる/琉球)は、沖縄本島の中西部にある座喜味城(ざきみじょう/読谷)や、沖縄本島の中東部にある中城城(なかぐすくじょう)を築城している。

この時期に沖縄本島の中東部に建つ勝連城(かつれんじょう/うるま)の城主の茂知附(もちづき/勝連)が、家臣で按司(あじ)だった阿麻和利(あまわり/勝連)の軍事クーデターで滅亡した。

代わりに勝連城(かつれんじょう/うるま)の城主に就いた阿麻和利(あまわり/勝連)は、中国大陸や日本列島などと交易の関係を築いて国益や財政を繁栄させた。

一方で、沖縄本島の中東部にある中城城(なかぐすくじょう)は、第一6代目国王(5代目琉球王)の尚泰久(しょうたいきゅう/琉球)の家臣で按司(あじ)に就いていた護佐丸(ごさまる/琉球)が1430年頃に築城した。

ただ、護佐丸(ごさまる/琉球)は、勝連城(かつれんじょう/うるま)の城主である阿麻和利(あまわり/勝連)の謀略(ぼうりゃく)により、護佐丸(ごさまる/琉球)による謀反(むほん)の讒言(ざんげん)を第一6代目国王(5代目琉球王)の尚泰久(しょうたいきゅう/琉球)が信じてしまい、居城としていた中城城(なかぐすくじょう)にて清廉潔白(せいれんけっぱく)を訴えながら一家と自決した。

これを1458年に起こった「護佐丸阿麻和利の乱」(ごさまるあまわりのらん)と呼ぶ。

THE CRANBERRIES /♪ JUST MY IMAGINATION

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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260116 - ラジオの友 URL

2026/01/16 (Fri) 00:15:02

◆◇◆其の八:サトウキビ畑を抜けた海が見える丘、その青空の下で飲むソーダ水、琉球(沖縄)で過ごす至福の日々◆◇◆

●1450年頃(室町時代) 第一次琉球王国

阿麻和利(あまわり/勝連)の謀略(ぼうりゃく)による讒言(ざんげん)を知った尚泰久(しょうたいきゅう/琉球)は、自分の過(あやま)ちにより重鎮家臣の護佐丸(ごさまる/琉球)を死に追い遣った事を悔恨(かいこん)した。

そして、琉球王国の第一6代目国王(5代目琉球王)の尚泰久(しょうたいきゅう/琉球)の勅命(ちょくめい)により、“鬼大城”(うにうふぐしく)と呼ばれた越来賢雄(ごえくけんゆう/琉球)が率いる軍隊が阿麻和利(あまわり/勝連)を討伐する為に勝連城(かつれんじょう/うるま)に侵攻した。

こうして総攻撃され阿麻和利(あまわり/勝連)は、城内のガマ(洞窟)から逃亡するも、読谷(よみたい)で捕縛(ほばく)され斬首されたと言う。

夫の阿麻和利(あまわり/勝連)が亡くなり未亡人となった百度踏揚(ももとふみあがり/琉球→勝連)は、寂しさの余り夫の仇(かたき)でもある将軍の越来賢雄(ごえくけんゆう/琉球)と再婚した。

その後に、第一6代目国王(5代目琉球王)の尚泰久(しょうたいきゅう/琉球)は、王位継承から6年後の1460年に薨御(こうぎょ)した。

続いて尚泰久(しょうたいきゅう/琉球)の息子の尚徳王(しょうとくおう/琉球)が、1461年に第一7代目国王(6代目琉球王)として即位した。

しかし、第一7代目国王(6代目琉球王)に就任した尚徳王(しょうとくおう/琉球)は、名君(めいくん)として慕われた父親の第一6代目国王(5代目琉球王)だった尚泰久(しょうたいきゅう/琉球)と大きく異なり、悪政(あくせい)の暴君(ぼうくん)で琉球王国を統治し始めた。

梟雄(きょうゆう)として名を馳せた尚徳王(しょうとくおう/琉球)は、性格や意見が合わない家臣を次々と粛清(しゅくせい)した。

更に琉球王国の国民に対して軍事費用を徴収する納税を課して、反対や反発する領民にはジェノサイド(集団殺戮)を実施した。

この時に第一6代目国王(5代目琉球王)だった尚泰久(しょうたいきゅう/琉球)から琉球王国の重鎮家臣として仕えていた金丸(かなまる)こと尚円王(しょうえんおう/農民→琉球)も、第一7代目国王(6代目琉球王)の尚徳王(しょうとくおう/琉球)に対して言動を改める様に諫言(かんげん)している。

ただ、暴君(ぼうくん)の尚徳王(しょうとくおう/琉球)は聞く耳を持たず、そのまま悪政(あくせい)で琉球王国の政権を掌握し続けた。

こうして心が折れた金丸(かなまる)こと尚円王(しょうえんおう/農民→琉球)は、琉球王国の役職を全て辞任して、内間(うちま/浦添)で農民として暮らす様になる。

ただ、琉球王国の家臣による軍事クーデターで、1469年に第一7代目国王(6代目琉球王)の尚徳王(しょうとくおう/琉球)が暗殺される。

この軍事クーデターで、尚徳王(しょうとくおう/琉球)の王位後継者となる嫡男(ちゃくなん)や一族も斬殺された。

こうして第一2代目国王(初代琉球王)の尚巴志(しょうはし/南山→琉球)が、1429年に三国統一して琉球王国を建国してから40年間で第一次琉球王国は滅亡した。

CHVRCHES & ROBERT SMITH /♪ HOW NOT TO DROWN

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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260116 - ラジオの友 URL

2026/01/16 (Fri) 00:16:02

◆◇◆其の九:サトウキビ畑を抜けた海が見える丘、その青空の下で飲むソーダ水、琉球(沖縄)で過ごす至福の日々◆◇◆

●1500年頃(戦国時代) 第二次琉球王国

第一2代目国王(初代琉球王)の尚巴志(しょうはし/南山→琉球)が建国した第一次琉球王国が終焉し、王族とは違う民間人から王位に就任した第二次琉球王国が始まり、日本の戦国時代から江戸時代、そして明治期まで続く事になる。

第二初代国王に就任した尚円王(しょうえんおう/農民→琉球)とは、どんな生涯を送ってきたのか?

沖縄本島の北部に浮かぶ伊是名島(いぜなじま)の農民の家に1415年に誕生した。

農民の時は金丸(かなまる)と名乗っていた。

金丸(かなまる)こと尚円王(しょうえんおう/農民→琉球)が20歳頃に両親がこの世を去り、15歳年下の弟で後々の第二2代目国王に就任する尚宣威(しょうせんい/農民→琉球)を養育しながら農業に勤(いそ)しんだ。

そんな時期に伊是名島(いぜなじま)では、天候不順による凶作となり飢饉が発生した。

ほとんどの田んぼは稲が育たず全滅したが、ただ、何故(なぜ)か金丸(かなまる)こと尚円王(しょうえんおう/農民→琉球)の田んぼだけは潤沢に水が張られ、立派な稲が育っていた。

これを見た他の農民は、金丸(かなまる)こと尚円王(しょうえんおう/農民→琉球)が我田引水で農業用水を自らの田んぼに引き込んでいると抗議した。

金丸(かなまる)こと尚円王(しょうえんおう/農民→琉球)には身に覚えはないが、農業用水が枯れない理由も判明しなかった。

一説には、既婚の金丸(かなまる)こと尚円王(しょうえんおう/農民→琉球)に恋焦(こいこ)がれる村の女性が、枯れる田んぼを心配して水を引き込んでいたと言う。

しかし、反発する農民の行動は過激になり、金丸(かなまる)こと尚円王(しょうえんおう/農民→琉球)を亡き者にしようとする者まで現れた。

これに危機感を抱いた金丸(かなまる)こと尚円王(しょうえんおう/農民→琉球)は、1438年に妻と弟の尚宣威(しょうせんい/農民→琉球)を連れて船に乗り島を出た。

GILBERT O'SULLIVAN /♪ IN A NUTSHELL

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260116 - ラジオの友 URL

2026/01/16 (Fri) 00:17:06

◆◇◆其の十:サトウキビ畑を抜けた海が見える丘、その青空の下で飲むソーダ水、琉球(沖縄)で過ごす至福の日々◆◇◆

●1500年頃(戦国時代) 第二次琉球王国

沖縄本島に上陸した金丸(かなまる)こと尚円王(しょうえんおう/農民→琉球)は、仕事や住居を渡り歩き首都の首里(しゅり)に到着した。

この首里(しゅり)で王朝の仕事に就いていたが、その時に王位に就任する前の第一6代目国王(5代目琉球王)となる尚泰久(しょうたいきゅう/琉球)に、金丸(かなまる)こと尚円王(しょうえんおう/農民→琉球)の能力や才能を見出される。

金丸(かなまる)こと尚円王(しょうえんおう/農民→琉球)は、第一6代目国王(5代目琉球王)に即位した尚泰久(しょうたいきゅう/琉球)の寵愛(ちょうあい)を受けて、琉球王国の王朝では出世を続けて重鎮家臣に就任した。

その後に金丸(かなまる)こと尚円王(しょうえんおう/農民→琉球)は、首里(しゅり)にある内間(うちま/浦添)の按司(あじ)に就任した。

金丸(かなまる)こと尚円王(しょうえんおう/農民→琉球)による忠勇義烈(ちゅうゆうぎれつ)の政治運営は、琉球王国の王朝や内間(うちま/浦添)の領民に好評を博(はく)した。

しかし、穏やかな琉球王国の日々は続かず、1460年に第一6代目国王(5代目琉球王)の尚泰久(しょうたいきゅう/琉球)が薨御(こうぎょ)した。

続いて尚泰久(しょうたいきゅう/琉球)の息子の尚徳王(しょうとくおう/琉球)が、1461年に第一7代目国王(6代目琉球王)として即位した。

これが琉球王国に取り最大の危機となる。

第一7代目国王(6代目琉球王)に就任した尚徳王(しょうとくおう/琉球)は、悪政(あくせい)の暴君(ぼうくん)となり琉球王国を統治し始めた。

琉球王国の王朝で重鎮家臣に就いていた金丸(かなまる)こと尚円王(しょうえんおう/農民→琉球)は、第一7代目国王(6代目琉球王)の尚徳王(しょうとくおう/琉球)に対して言動を改める様に諫言(かんげん)している。

ただ、梟雄(きょうゆう)として名を馳せた尚徳王(しょうとくおう/琉球)は聞く耳を持たず、そのまま悪政(あくせい)で琉球王国の政権を掌握し続けた。

こうして心が折れた金丸(かなまる)こと尚円王(しょうえんおう/農民→琉球)は、琉球王国の役職を全て辞任して、内間(うちま/浦添)で農民として暮らす様になる。

しかし、悪辣(あくらつ)な政権も長く続く事はなく、琉球王国の家臣による軍事クーデターで、1469年に第一7代目国王(6代目琉球王)の尚徳王(しょうとくおう/琉球)が斬殺される。

この軍事クーデターで、尚徳王(しょうとくおう/琉球)の王位後継者となる嫡男(ちゃくなん)や一族も斬殺された。

JOHN MAYER /♪ HEARTBREAK WARFARE

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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260116 - ラジオの友 URL

2026/01/16 (Fri) 00:18:00

◆◇◆其の十一:サトウキビ畑を抜けた海が見える丘、その青空の下で飲むソーダ水、琉球(沖縄)で過ごす至福の日々◆◇◆

●1500年頃(戦国時代) 第二次琉球王国

琉球王国では突然の軍事クーデターにより第一7代目国王(6代目琉球王)の尚徳王(しょうとくおう/琉球)が斬殺され、国王が不在となる。

通常では尚徳王(しょうとくおう/琉球)の嫡男(ちゃくなん)が王位継承者となるが、一族が斬殺されている為に、王朝では王位継承で混迷していた。

第一7代目国王(6代目琉球王)の尚徳王(しょうとくおう/琉球)の血統である王族に就任する事に反発する家臣も多く、そこで白羽の矢が当たったのは琉球王国の王朝から辞任していた金丸(かなまる)こと尚円王(しょうえんおう/農民→琉球)である。

金丸(かなまる)こと尚円王(しょうえんおう/農民→琉球)が農民として暮らしていた内間(うちま/浦添)に、琉球王国の王朝から役人が何度も王位継承の嘆願(たんがん)に訪れる。

当初は農民の家系と言う事で固辞していたが、琉球王国の家臣による“三顧(さんこ)の礼”により、金丸(かなまる)こと尚円王(しょうえんおう/農民→琉球)は王位継承を承諾する事にした。

こうして1470年に第二次琉球王国の第二初代国王として、名前も改名して尚円王(しょうえんおう/農民→琉球)と名乗り即位した。

農民から国王に就いた立身出世は、戦国時代の豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)を彷彿(ほうふつ)とさせ、沖縄では“琉球の太閤”と呼ばれている。

王位継承から6年後の1476年に薨御(こうぎょ)した。

15歳年下の弟の尚宣威(しょうせんい/農民→琉球)が、1476年に第二2代目国王に即位したが、この頃から王朝で王位継承について内紛が起こる。

第二初代国王の尚円王(しょうえんおう/農民→琉球)の妻による謀略(ぼうりゃく)で、息子の尚真王(しょうしんおう/琉球)が1477年に第二3代目国王に即位した。

琉球王国の王朝により、第二2代目国王だった尚宣威(しょうせんい/農民→琉球)は越来(ごえく/中頭)に蟄居(ちっきょ)させられたが、移転して直ぐの1477年に薨御(こうぎょ)した。

第二3代目国王に就いた尚真王(しょうしんおう/琉球)には、嫡男(ちゃくなん)の浦添朝満(うらそえちょうまん)こと尚維衡(しょういこう/琉球→中山)が居た。

ところが青年期の浦添朝満(うらそえちょうまん)こと尚維衡(しょういこう/琉球→中山)は怠け者で、その首里城(しゅりじょう/那覇)の城内でも尾張国(愛知県)の織田信長(おだのぶなが/織田)と同じ様に“大うつけ”(大バカ者)と呼ばれていた。

更に第二3代目国王の尚真王(しょうしんおう/琉球)の母親や妻の謀略(ぼうりゃく)などにより王族から廃嫡(はいちゃく)され、廃城となっていた浦添城(うらそえじょう)へ1524年に配流(はいる)となる。

“大うつけ”(大バカ者)と呼ばれた浦添朝満(うらそえちょうまん)こと尚維衡(しょういこう/琉球→中山)だったが、そこから110年余り経った1589年に、琉球国(沖縄県)の第二7代目国王に就任した尚寧王(しょうねいおう/琉球)が、この浦添朝満(うらそえちょうまん)こと尚維衡(しょういこう/琉球→中山)の系統である。

日本を含めた歴史の中で、“大うつけ”(大バカ者)や傾奇者(かぶきもの/異端者)が偉業を成し遂げているのも事実である。

DAN FOGELBERG /♪ HIGHER GROUND

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Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260116 - ラジオの友 URL

2026/01/16 (Fri) 00:18:54

◆◇◆其の十二:サトウキビ畑を抜けた海が見える丘、その青空の下で飲むソーダ水、琉球(沖縄)で過ごす至福の日々◆◇◆

●1590年頃(安土桃山時代) 第二次琉球王国

この時期の日本列島は、1582年に起こった「本能寺の変」(ほんのうじのへん)にて織田信長(おだのぶなが/織田)が死去し、織田軍を引き継いだ豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)の豊臣政権が天下統一を果たしていた。

そして合戦が起こらない日本では、次なる領土拡大として中国大陸の明(みん)へ侵攻する事を決める。

これが1592年に起こった「文禄の役」(ぶんろくのえき)または“第4次朝鮮出兵”と、1596年に起こった「慶長の役」(けいちょうのえき)または“第5次朝鮮出兵”である。

この時に豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)は、琉球王国に対して軍隊の出兵は不要としたが、その代わりに軍事協力金の徴収を強要した。

この時期の琉球王国は、日本とは交易で友好関係を築いていたが、その一方で中国大陸の明(みん)とは、長年に渡り冊封(さくほう)と朝貢(ちょうこう)の主従関係にあった。

結果的に琉球王国は、豊臣政権が要求した軍事協力金の半額を負担した。

「慶長の役」(けいちょうのえき)または“第5次朝鮮出兵”の最中(さなか)の1598年に、山城国(京都府)の伏見城(ふしみじょう/京都)にて豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)が死去する。

その後の日本列島では、西軍の石田三成(いしだみつなり/豊臣)と東軍の徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)が対立し、1600年に美濃国(岐阜県)にて「関ヶ原の戦」(せきがはらのたたかい)が起こる。

結果は半日程度で東軍の徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)が勝利したが、西軍に加勢した武将は徳川政権の制裁により、領地没収の改易(かいえき)や領地削減の減封(げんぽう)の処分を受けている。

この時に表向きは処分のお咎(とが)めなしだった西軍に加勢した薩摩国(鹿児島県)の島津軍は、それでも豊臣政権から続いた軍事費支出で島津家の財政は逼迫(ひっぱく)していた。

島津氏の当主に就任していた島津忠恒(しまづただつね/島津→豊臣→徳川)は、財政再建策として琉球王国に侵攻する計画を、江戸幕府の徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)に報告する。

この頃は、天下統一を果たした豊臣秀吉(とよとみひでよし/織田→豊臣)が策定した“惣無事令”(そうぶじれい)により、各地の大名や武将による交戦を禁止していた政策を踏襲(とうしゅう)していた。

ところが江戸幕府の徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)は、独立国家の琉球王国を日本列島に取り込んで琉球国(沖縄県)にする目論見(もくろみ)があり、薩摩国(鹿児島県)の島津忠恒(しまづただつね/島津→豊臣→徳川)の要望を承諾した。

MICHAEL W.SMITH /♪ I'LL LEAD YOU HOME

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260116 - ラジオの友 URL

2026/01/16 (Fri) 00:19:52

◆◇◆其の十三:サトウキビ畑を抜けた海が見える丘、その青空の下で飲むソーダ水、琉球(沖縄)で過ごす至福の日々◆◇◆

●1600年頃(江戸時代) 琉球国(沖縄県)

こうして1609年に島津軍による「琉球侵攻」(りゅうきゅうしんこう)が始まる。

この情報は琉球王国にも伝わり、浦添朝満(うらそえちょうまん)こと尚維衡(しょういこう/琉球→中山)の系統で第二7代目国王の尚寧王(しょうねいおう/琉球)も、琉球軍を強化して防衛に従事させた。

薩摩国(鹿児島県)の島津軍は3千人が乗船する軍艦で琉球王国に向けて出航した。

第一弾として琉球王国の領土だった奄美大島(あまみおおしま)に上陸して、琉球軍奄美隊の抵抗も虚しく直ぐに制圧された。

第二弾として琉球王国がある沖縄本島に上陸し、沖縄全域を島津軍が群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)して1ヶ月程度で首里城(しゅりじょう/那覇)を包囲する。

戦国の世を渡り歩いた勇猛果敢(ゆうもうかかん)な島津軍の圧倒的な軍事力の差を目の当たりにして、尚寧王(しょうねいおう/琉球)は島津軍に降伏した。

島津軍に捕縛(ほばく)された第二7代目国王の尚寧王(しょうねいおう/琉球)は、薩摩国(鹿児島県)の薩摩藩の藩主に就いていた島津忠恒(しまづただつね/島津→豊臣→徳川)や、駿河国(静岡県)の駿府城(すんぷじょう/静岡)にて大御所の徳川家康(とくがわいえやす/松平→豊臣→徳川)や、武蔵国(東京都)の江戸城(えどじょう)にて征夷大将軍2代目の徳川秀忠(とくがわひでただ/徳川)に謁見(えっけん)している。

この時に琉球王国は日本の琉球国(沖縄県)として従属(じゅうぞく)する起請文(きしょうもん/誓約書)を締結させられた。

その一方で琉球王国は中国大陸の明(みん)とは、長年に渡り冊封(さくほう)と朝貢(ちょうこう)の主従関係にあった為に、第二7代目国王の尚寧王(しょうねいおう/琉球)は苦渋の決断をしている。

この日本に服従(ふくじゅう)する事に反発した琉球王国の王朝の家臣などは、江戸幕府や薩摩国(鹿児島県)の薩摩藩により徹底的に制裁を受けて処刑された。

1613年に島津軍の軍功として、奄美大島(あまみおおしま)は琉球国(沖縄県)から割譲され、薩摩国(鹿児島県)に編入して現在に至る。

その後の第二11代目国王の尚貞王(しょうていおう/琉球)の時代には、琉球国(沖縄県)は江戸幕府の将軍が代替りする度(たび)にお祝いの“慶賀使”(けいがし)を、天皇の即位には“謝恩使”(しゃおんし)を、江戸や京都へ使節(しせつ)を派遣していた。

この琉球国(沖縄県)の豪華な使節団が江戸上り(えどのぼり)をして、江戸城下町を練り歩く事で江戸幕府の権威を町人などに見せ付ける狙いもある。

ただし、この使節団の受け入れには、江戸幕府も宿泊費や飲食費など多額の費用を支出させ、財政圧迫の要因でもあった。

そこで江戸幕府の新井白石(あらいはくせき/江戸)は、1709年に実施した「正徳の治」(しょうとくのち)の一環として、琉球国(沖縄県)使節団や朝鮮通信使の迎賓(げいひん)内容を簡素化して、滞在費用を60%近く削減した。

PASSENGER /♪ LET HER GO

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260116 - ラジオの友 URL

2026/01/16 (Fri) 00:20:50

◆◇◆其の十四:サトウキビ畑を抜けた海が見える丘、その青空の下で飲むソーダ水、琉球(沖縄)で過ごす至福の日々◆◇◆

●1800年頃(明治期) 沖縄県

日本の領土に編入した琉球国(沖縄県)だったが、薩摩国(鹿児島県)の管轄ではあるが、それでも琉球王国としての王朝は維持していた。

しかし、江戸幕府の組織に弊害(へいがい)が出始め、京都の二条城(にじょうじょう/京都)にて征夷大将軍15代目の徳川慶喜(とくがわよしのぶ/徳川)により朝廷へ政権を返上する1867年の「大政奉還」(たいせいほうかん)が実施された。

こうして1603年から264年間の江戸時代が終焉する。

そして第122代天皇の明治天皇(めいじてんのう/朝廷)による1867年に発令された「王政復古の大号令」(おうせいふっこのだいごうれい)で日本新政府が組成され、明治維新に突入していく。

これに伴い1871年の「廃藩置県」(はいはんちけん)で琉球国(沖縄県)は沖縄県となり、実質的に日本へ併合された。

1429年に琉球王国が建国されてから442年間で終焉を迎える。

これにより琉球王国は消滅し、1848年から就任していた最後の国王となった第二19代目国王の尚泰王(しょうたいおう/琉球→沖縄)は、家族や王族と共に首里城(しゅりじょう/那覇)から退城して、沖縄本島の中東部にある中城城(なかぐすくじょう)の近くの御殿に移転した。

沖縄県となり日本新政府から派遣されたのが鍋島直彬(なべしまなおよし/佐賀)で、1879年に初代の沖縄県令(知事)に就任した。

鍋島直彬(なべしまなおよし/佐賀)とは、肥前国(佐賀県)の鹿島藩(かしま/佐賀藩)の藩主で、戦国時代の肥前国(佐賀県)の武将で龍造寺氏の家臣だった鍋島直茂(なべしまなおしげ/龍造寺→豊臣→徳川)の系統であり、伊達氏(だてうじ)や諫早氏(いさはやうじ)も親族である。

そして1879年に実施した「琉球処分」(りゅうきゅうしょぶん)により、日本新政府は中国大陸の清(しん)との主従関係を解消させた。

しかし、この後の日本に併合された沖縄県は、琉球王国とは比べものにならない位の過酷な運命を辿る事になる。

DONNA LEWIS&RICHARD MARX /♪ AT THE BEGINNING

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260116 - ラジオの友 URL

2026/01/16 (Fri) 00:21:45

◆◇◆其の十五:サトウキビ畑を抜けた海が見える丘、その青空の下で飲むソーダ水、琉球(沖縄)で過ごす至福の日々◆◇◆

●1900年頃(昭和期) 沖縄県

沖縄県を惨禍(さんか)に巻き込んだのは、1941年12月に起こった「太平洋戦争」こと「大東亜戦争」である。

特に沖縄県は、日本軍が資源確保の為に東南アジアに侵攻した“南方作戦”(なんぽうさくせん)の前線基地の役目を果たす事になった。

日本列島の最南西端と言う立地が、沖縄県に悲劇を引き起こす事になる。

日本軍が引き起こした「太平洋戦争」の戦況は、開戦のまぐれ勝利(ビギナーズラッグ)はあったが、その後は散々たるものである。

1945年2月には、アメリカ軍が策定する日本列島の壊滅計画が現実のものとなり、太平洋に位置するサイパンの飛行場から飛び立つ爆撃機のBー29の大群は、昼夜を問わず日本の大都市を空爆し、東京は10万人、名古屋は8000人、大阪は1万人余りの一般人が空襲により死去した。

しかし、どれだけアメリカ軍のBー29が日本の大空を覆い爆弾や焼夷弾を大量に投下しても、一向に日本政府と日本軍が降伏宣言する気配がない。

第41代内閣総理大臣の小磯國昭(こいそくにあき/軍人→政治家)の内閣は、この後に及んでも、アメリカとの講和や和平の交渉で「太平洋戦争」を終結させると主張していた。

こうなるとアメリカ軍も作戦変更するしかない。

そこで策定されたのが“日本本土決戦”で、日本列島に上陸して、首都の東京を占領し政府の官僚や日本軍の重鎮を拘束して監禁し、無条件降伏を引き出すしかない。

この“日本本土決戦”の第一弾として決定したのが“沖縄攻略作戦”だった。

アメリカ軍は沖縄県を占領して、東南アジアから日本への物資の輸送を遮断する作戦を策定した。

1945年3月にアメリカ軍は史上最大級の1500隻の軍艦を沖縄県周辺の海域に配備し、18万人の兵士を沖縄本土の西中部から上陸を開始した。

沖縄のビーチに到着したアメリカ軍は、日本軍からの攻撃を身構えたが、銃弾一発も飛んで来なかった。

この時の日本軍は、陸軍指揮官の牛島満(うしじまみつる/軍人)と陸軍参謀長の長勇(ちょういさむ/軍人)が指揮する中で、軍備も兵士も集まらず小規模な軍勢だった為に、沖縄県に点在する陣営を放棄して一極集中作戦を採り、沖縄県の南部に位置する那覇の首里城(しゅりじょう/那覇)の周辺に複数の地下防空壕を設けて布陣した。

首里(しゅり/那覇)に陣営を設けた日本軍は、兵士の少なさを沖縄県民で補(おぎな)い、女性や子供まで兵士として駆(か)り出された。

ただ、どんなに現実から目を背けても、事実を変える事はできず、圧倒的な軍事力と兵士のアメリカ軍は沖縄県の中部と北部を制圧した。

一方で東京の大本営(だいほんえい)は、アメリカ軍の“沖縄攻略作戦”に対して、日本本土への上陸を遅らせる時間稼ぎの思惑があり、逆に言えば日本の本州を守護する為の防衛前線として沖縄県が選定された。

要は日本列島を守る為の沖縄県は、犠牲となる“捨て石”にされた事を意味する。

GLADYS KNIGHT /♪ I DON'T WANT TO KNOW

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260116 - ラジオの友 URL

2026/01/16 (Fri) 00:22:43

◆◇◆其の十六:サトウキビ畑を抜けた海が見える丘、その青空の下で飲むソーダ水

●1900年頃(昭和期) 沖縄県

1945年4月に、山口県の瀬戸内海の柱島泊地(はしらじまはくち/岩国)に停泊していた戦艦の大和(やまと)に出陣の命令が出された。

しかし、空母が1隻も無い戦況で、戦闘機の護衛が無い中での出陣に、戦艦の大和(やまと)の司令長官に就いていた伊藤整一(いとうせいいち/軍人)は、沖縄県の戦地に着く前に撃沈され、戦艦の大和(やまと)の出陣に反対した。

ただ、窮地に追い込まれた日本軍に取り、もう手筈(てはず)は戦艦の大和(やまと)しか残っておらず、東京の大本営(だいほんえい)からは『日本国民、一億総特攻の先駆けになってくれ。』と嘆願され、伊藤整一(いとうせいいち/軍人)はやむなく承諾した。

こうして戦艦の大和(やまと)は、瀬戸内海の柱島泊地(はしらじまはくち/岩国)を出航して南下したが、九州の南西部に位置する鹿児島県の坊ノ岬(ぼうのみさき)を航行している時に、日本軍の暗号解読し事前察知していたアメリカ軍の戦闘機に総攻撃を受けて、他の軍艦と共に撃沈した。

この時に戦艦の大和(やまと)の司令長官の伊藤整一(いとうせいいち/軍人)を含め日本軍の乗組員も4000人余りが戦死している。

これを1945年に起こった「坊ノ岬沖海戦」(ぼうのみさきおきかいせん)と呼ぶ。

この頃に、九州の最南端に位置する鹿児島県の知覧(ちらん/南九州)に設けられた飛行場では、20歳前後の青年が招集を受けていた。

日本軍の指揮官から言い渡されたのは、フィリピンでの「ルソン島の戦」でアメリカ軍の戦艦に特攻した空軍に“神風特別攻撃隊”(しんぷうとくべつこうげきたい)を参考にした“特別攻撃隊”(特攻隊)を編成する事だった。

その内容は、片道だけの燃料で零戦などの戦闘機に爆弾を搭載し、沖縄県の海域に停泊しているアメリカ軍の軍艦や空母に突撃する事だった。

要は『お国の為に、命を捧げろ。』と言う事である。

知覧(ちらん/南九州)の飛行場から、片道しか飛行できない無数の戦闘機が“爆弾”と“若い命”を乗せて飛び立った。

そして、“特別攻撃隊”(特攻隊)のほとんどの戦闘機がアメリカ軍の軍艦や空母に突撃する前に、アメリカ軍の総攻撃を受けて撃墜された。

フィリピンと同様に、この戦闘機による“神風攻撃”(かみかぜきうげき)はアメリカ軍に大打撃を与えるまではいかず、若い命だけが海に消えていった。

特攻隊員…『お父さん、お母さん、先立つ不幸をお許し下さい!』

フィリピンでの“神風特別攻撃隊”(しんぷうとくべつこうげきたい)や沖縄での“特別攻撃隊”(特攻隊)の日本兵は、この様に叫んで合計で6000人余りが無念の死を遂げた。

HOWARD HEWETT /♪ MASQUERADE

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260116 - ラジオの友 URL

2026/01/16 (Fri) 00:23:40

◆◇◆其の十七:サトウキビ畑を抜けた海が見える丘、その青空の下で飲むソーダ水、琉球(沖縄)で過ごす至福の日々◆◇◆

●1900年頃(昭和期) 沖縄県

こうして日本本土から援軍も来ないまま沖縄県では、勝てる見込みのない戦闘を日本軍は繰り返していた。

首里(しゅり/那覇)に陣営を設けた日本軍は、アメリカ軍の侵攻により追い詰められ、首里(しゅり/那覇)の陣営を放棄して沖縄県の最南端に退却した。

この日本軍に取り最悪な戦況は沖縄県の住民も同じで、異国のアメリカ軍を恐怖に感じて日本軍の退却に同行した。

しかし、戦争の状態で軍隊に取って、一般人は足手まといでしかない。

敵国のアメリカ軍も、日本軍の兵士なのか沖縄県の住民なのか区別が付かず、発見されれば速攻で射殺されていた。

更に信じ難(がた)い事に、味方である筈(はず)の日本軍からも虐待を受け、沖縄県の住民をスパイ扱いして処刑したり、狭い防空壕などは日本兵を優先させ沖縄県の住民を外に放り出していた。

こうして日本軍による迫害(はくがい)を受けた沖縄県の住民は、郷里(きょうり)でもある沖縄県で行く場を失う。

更に狂気に満ちた日本軍は、アメリカ軍に発見される恐れのある泣く赤子を殺害したり、アメリカ軍に投降する沖縄県の住民を背後から射殺したり、沖縄県の住民に手榴弾を渡して自決の強要させたりした。

この様に痛みと苦しみで阿鼻叫喚(あびきょうかん)する呻(うめ)き声が響く沖縄県は、地獄と見間違う程の凄惨な戦地しか残っていなかった。

一方で、日本軍の負傷した兵士を収容する医療施設には、若い女性で結成された看護師の姫百合学徒隊(ひめゆりがくとたい)が勤務していた。

しかし、戦況の悪化と共に次々と医療施設も閉鎖され、沖縄県の住民と同様に姫百合学徒隊(ひめゆりがくとたい)も荒崎海岸(あらさきかいがん/糸満)で集団自決などにより130人余りが戦死している。

この時の最も多くの犠牲者を出したガマ(鍾乳洞)の上部に慰霊塔の“ひめゆりの塔”が創建された。

沖縄県の最南端まで追い詰められた日本軍は、陸軍指揮官の牛島満(うしじまみつる/軍人)と陸軍参謀長の長勇(ちょういさむ/軍人)が自決した事により、アメリカ軍の“沖縄攻略作戦”は6月に3ヶ月間の戦闘を終結させた。

これを1945年3月に起こった「沖縄戦」(おきなわせん)と呼ぶ。

日本政府と日本軍から“捨て石”にされた沖縄県の一帯では、12万人が戦死し沖縄県の住民の1/4が命を奪われている。

現在でも、沖縄県の住民の一部にはその遺恨(いこん)が残り続けて、本州に住む日本人を“ヤマトンチュー”(大和民族の馬鹿者)と呼んでいる。

その沖縄県の住民の気持ちは、痛いほど理解できる。

昨今(さっこん)、歪(ゆが)んだ大義や正義を自負する人間が、人間を懲(こ)らしめるパワハラの本性を曝(さら)け出している。

日本軍が沖縄県の住民に実施した虐待行為と、何ら変わりは無い。

D.J.ROGERS /♪ Say You Love Me

◆ラジオの友◆

Re: 今日の1枚、お薦めレコード/20260116 - ラジオの友 URL

2026/01/16 (Fri) 00:24:39

◆◇◆其の十八:サトウキビ畑を抜けた海が見える丘、その青空の下で飲むソーダ水、琉球(沖縄)で過ごす至福の日々◆◇◆

●1900年頃(昭和期) 沖縄県

その後も“捨て石”にされた沖縄県や、戦地となった東南アジアの犠牲だけに止(とど)まらず、尚(なお)も日本軍は抵抗をし続けた。

理由としては様々あるが、最大の要因は日本がアメリカの植民地になった時に、天皇を主権とした国体維持(こくたいいじ)を継続できるかである。

逆に言えば、琉球王国や東南アジアを植民地にした日本が、その国の国体維持(こくたいいじ)を棄却(ききゃく)しているのに、自国の制度は維持したいと言う矛盾した思考回路が、戦争の全てを露呈(ろてい)している。

アメリカは、日本の政府と日本軍は「ポツダム宣言」を完全に拒否し、徹底抗戦の姿勢を示したと判断し、日本列島の壊滅計画を実行に移した。

アメリカ軍の基地から1機のエノラゲイが日本に向けて飛び立ち、1945年8月6日に広島の市街地に向けて原子爆弾(リトルボーイ)が投下された。

広島の周囲は、光と熱と風により14万人余りが一瞬で消えて亡くなった。

沖縄がアメリカ軍に占領され、広島に原子爆弾(リトルボーイ)が投下され、中国大陸の満州国などもソビエト軍に侵攻され敗北が続く日本軍だが、この期(ご)に及んでまだ内部紛争を起こしている。

1945年8月9日に1機のBー29により、九州は長崎の市街地に向けて原子爆弾(ファットマン)が投下された。

広島と同様に長崎の周囲は、熱射と爆風で7万人余りが一瞬で消えて亡くなった。

この長崎への原子爆弾(ファットマン)が投下の情報は、東京の大本営(だいほんえい)にも伝達された。

広島と長崎の市街地が一瞬にして消えた事に、第42代内閣総理大臣の鈴木貫太郎(すずきかんたろう/軍人→政治家)などは驚愕(きょうがく)する。

この日本の存続危機に鈴木貫太郎(すずきかんたろう/軍人→政治家)は閣僚を招集して、第124代天皇の昭和天皇(しょうわてんのう/皇族)も出席の元で御前会議(ごぜんかいぎ)を開催し、最後は昭和天皇(しょうわてんのう/皇族)の御聖断(ごせいだん)に委ねた。

昭和天皇…『残念ながら、今の日本軍にアメリカ軍やイギリス軍に対抗できる程の軍事力は持っていない。 これ以上に抵抗すれば日本民族は滅亡してしまう。 それらから絶望しかない戦争を早期に終結させるべきである。 連合国の「ポツダム宣言」を受け入れて、日本は無条件降伏を致す。』

こうして1945年8月15日に、日本が連合国の「ポツダム宣言」を受け入れて無条件降伏を承諾した事が、アメリカ大統領のトルーマン(第33代アメリカ大統領)から発表された。

そして同日の8月15日に日本国民に対して、第124代天皇の昭和天皇(しょうわてんのう/皇族)が放送を通じて“玉音放送”(ぎょくおんほうそう)により終戦の報告を実施した。

昭和天皇…『〜〜〜 耐え難(がた)きを耐え、忍び難(がた)きを忍び、もって萬世(ばんせい)の為に、太平を開かむと欲(ほっ)す 〜〜〜』

この昭和天皇(しょうわてんのう/皇族)の“玉音放送”(ぎょくおんほうそう)を聞いた日本国民は、落胆や反抗の意志を示さず、日本の政府や日本軍、それに昭和天皇(しょうわてんのう/皇族)が危惧(きぐ)していた軍事クーデターも起こらなかった。

これで日本は1937年7月に起こった「日中戦争」を経て、1941年に開戦した「太平洋戦争」までの8年間の惨劇(さんげき)な時代に幕を閉じ、ようやく終戦を迎えた。

しかし、沖縄県にとっての戦争は、まだ終わってはいない。

1945年のこの瞬間から日本列島の最南西端に位置する沖縄列島は、アメリカの領土に編入された。

1972年5月15日に沖縄列島はアメリカから日本へ返還され、27年ぶりに再び沖縄県となった。

しかしこの領地は、元は442年余り続いた琉球王国であり、それ以前にも琉球国(りゅうきゅうこく)として独立国家が形成されていた。

日本に編入された沖縄県としての歴史は、ほんの瞬(まばた)きの如(ごと)くである。

日本政府の関係者は大きな顔をして、沖縄県で善政(ぜんせい)を担ってきたと、沖縄列島に設けられた御嶽(うたき)に宿る琉球の神々に報告できるのか?

もし、心の底から自信を持って偉業を成し遂げたと、琉球の神々に伝えたいなら、先(ま)ずは「太平洋戦争」の「沖縄戦」(おきなわせん)で日本軍が壊滅させた沖縄本島の中南部にある浦添城(うらそえじょう)を、首里城(しゅりじょう/那覇)の様な立派な正殿(せいでん)や城壁の石垣を再建する事でしょう。

その第一弾として、沖縄に行って御嶽(うたき)の前で、琉球の神仏に対してウートートー(参拝)から始めましょう。

MICHAEL W.SMITH /♪ THERE SHE STANDS

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◆◇◆大人のジャズはよろしゅうおすぅなぁ〜◆◇◆

Carmen Bradford & Compass Jazz Orchestra/♪ SOMETIMES I'M HAPPY

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2026/01/15 (Thu) 10:12:03

NICK FINZER /♪ SAY WHEN

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2026/01/15 (Thu) 10:12:56

HORACE SILVER /♪ NO SMOKIN'

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RINA /♪ JOKER-PARTⅢBLACK

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SEAN MASON /♪ REDISCOVERY

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ETIENNE CHARLES /♪ OLD SCHOOL

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BRANDON SANDERS /♪ LASTING IMPRESSION

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ITAI KRISS /♪ BELLEZA

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Johnny Moore's Three Blazers /♪ Scratch Sheet

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PAUL MARINARO /♪ I'M BEGINNING TO SEE THE LIGHT

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ART HIRAHARA /♪ THE MORE THINGS CHANGE

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John Coltrane /♪ ALL OR NOTHING AT ALL

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BRAZILLIAN JAZZ QUARTET /♪ MAKIN' WHOOPIE

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ELAINE DELMAR /♪ It Had To Be You

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NICHOLAS PAYTON /♪ UNCONNDITIONAL LOVE

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NAT ADDERLEY JR./♪ SUPERSTAR

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KEN PEPLOWSKI /♪ All the Things You Are

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KEIKO LEE /♪ GONE TOO SOON

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THE BAND /♪ TWILIGHT

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STARLAND VOCAL BAND /♪ AFTERNOON DELIGHT

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THE DECEMBERISTS /♪ DOWN BY THE WATER

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KINGS OF LEON /♪ ECHOING

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LAURA MARLING /♪ MASTER HUNTER

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KATHY MATTEA /♪ THEY ARE THE ROSES

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THREE DOG NIGHT /♪ SHAMBALA

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BILLY JOE ROYAL /♪ CHERRY HILL PARK

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PUSSNBOOTS /♪ ANGEL DREAM

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Ray LaMontagne /♪ Beg Steal or Borrow

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DAVID CROSBY /♪ WHAT'S BROKEN

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EAGLES /♪ MY MAN

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ORLEANS /♪ DANCE WITH ME

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JOE WALSH /♪ HELP ME THRU THE NIGHT

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John Denver /♪ ANNIE'S SONG

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JIMMY MESSINA /♪ WATCHING THE RIVER RUN

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MARY BLACK /♪ JUST AROUND THE CORNER

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JOHN MICHAEL MONTGOMERY /♪ FRIENDS

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